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三永水源地堰堤

堤高14.2m
G/W 1943年 呉市営

2010.11.6見学


広島県呉市の三永水源地堰堤は戦前のオールドダムファンにとって必見のダムです。
堤高が14.2mと15mに満たない為、河川法上ではダムとは言えませんが、堤頂長は145mもある立派な堰堤です。

呉市には既に宮原浄水場や本庄水源地があり、前年には二級ダムも完成していましたが、それらは呉海軍工廠などに送水する軍港水道でした。
三永水源地は市民待望の市営上水道ダムとして呉市によって建設されました。

また、場内に咲く藤はとても有名で、水源池までの道路脇の道案看板も「⇒藤棚」と言った具合で、この場所の主役は藤の花のようです。

貯水池の右岸にある堅く閉ざされた水源地の正門。
そう、三永水源地堰堤は水道用ダムであり、その姿は貯水池にさえ容易に見る事が出来ない難易度の高い物件なのです。



正門の柵の隙間から望遠レンズをにゅっと伸ばし施設内を覗くと名物藤棚の案内看板が見えました。
三永水源地堰堤は、春の藤が咲く時期だけ一般公開され、由一その時にだけ姿を観る事が出来ると言われています。



門の隙間からレンズを伸ばし、スナイパーの様に場内を見ていたので、警備の方が飛んできて不審者と間違われて危ない所でした(汗。

「堰堤や水源池の写真を撮り歩いている者です」と説明して誤解は溶けましたが、(思いっきり不審者でした、すみません) だからと言って簡単に立入許可が出るはずもなく。
それで、「何処か写真を撮らせて頂ける場所を教えて下さい」と聞いて来たのがこのポイントでした・・・。

いやいや、たしかに水源池は見えるけどねぇ・・・ちょっとだけ。



実は三永水源地堰堤の難易度の高さは、公開期間が限られている事もありますが、立地の都合で外部から全くその姿が見えないと言う事があります。

周囲に山が無く、なだらかに広がる土地の僅かな丘陵の間を、長く、低く築堤したダムである事や、下流の広い敷地に広がるうっそうとした雑木林が完璧に堰堤を隠しているのです。

正門の近くの公道脇に通用口のような階段を見つけました。
交通量もあり路上駐車が出来ないので何百メートルも先に車を置いて戻ってきました(汗。



わずかな希望は、息を切らせて階段を登ってまたもや玉砕。
フェンス越しに見えるのは、水道施設の広ーい敷地だけ。
位置的に堰堤の右岸付近のはずですが・・・・

ん、これでは再び不審者だ。退却〜。



その後も貯水池左岸の住宅地を徘徊したり、ゴルフ練習場を覗き見したり、かなり怪しい行動を繰り返したのですが全て空振りに終わりました。

平野にある貯水池なので、何処からも見下ろす事が出来ないのです。

で、最後は湖周のローラー作戦です。
右岸の県道を周ってとにかくチラッとだけでも見えるポイントを探ります。
県道から水面までも雑木林ばかりでこれまた難しいのですが・・・・。

おっ!?



おおーっ!!



がんばれ高倍率ズーム。
250mmの望遠端でどやっ!。

な、な、なんとなく見えたっ!
オールドダムらしい半円形の取水設備。

コンクリートの重厚かつ装飾的な高欄(と、いう感じになんとなく見える)
ゆったりと優美なアーチを見せる天端(で、あるらしい・・・)

んー説得力無し。
・・・・・。

おや?
目に止まったのは取水設備のはるか向うに見える白い建物でした。

なんだろう、病院??
でも、あそこなら堰堤の真正面が見えるかも・・・???



で、行ってみました(笑)
地図で見当を付けたのは東広島運動公園でした。
三永水源地堰堤から直線距離でおよそ1.5kmです。

ところが、どうも様子がおかしい。
運動公園なので広い駐車場もあるのですが、何処も満車で車を停める事が出来ない。
イベントブースには沢山の人だかり。駅伝の選手や先導車みたいなのもいっぱい居るし。

どうも広島市の大々的なスポーツイベントの真っ最中なのでした。

で、ターゲットの白い建物ですが・・・。



発見!あったあった。
それは陸上競技場のスタンド脇の展望塔でした。

んー、でも、まず間違いなく施錠されていて立入る事は無理だろなあ。
満車の駐車場の空待ちの列に並んだあげく、施錠されていたショックの事を思うとこれ以上の調査は断念せざるを獲ませんでした。



三永水源地堰堤。
それはそれは難易度の高いオールドダム。

いつしか藤の咲く時期に再挑戦です。

★(未評価)

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久山田貯水池堰堤

堤高22.5m
G/W 1924年 尾道市営

2010.11.6見学


門田貯水池堰堤の上流、西にわずが1キロの所に久山田貯水池堰堤があります。

湖畔に尾道大学がある関係か、ダムサイトにはきれいで可愛い周辺案内図がありました。久山田水源地は尾道市の水道水源となっています。



久山田貯水池堰堤は、国の登録有形文化財の指定を受けています。
石積の堤体は大きくアーチ状に湾曲した美しい姿です。

尾道市水道局の現地に設置したプレートによると「重力式とアーチ式を複合した構造形式」と説明されています。
それなら「重力式アーチダム」じゃん、と、早合点してしまいそうですが、そもそも日本で初めてアーチダムが建設されるのは、1924年竣工のこのダムから、あと四半世紀以上待たねばなりません。

過去に造られた物に、後々の基準で言葉を当てはめて考えるのは、なんとなくこじつけの気がしますし、堤体をアーチ状にする理由は、アーチ式の水圧に耐えうる力学的な理由の他にも・・・。

・下流に土地が無かったのでダム軸を上流にオフセットした。
・堤体積を減らせる(ダム軸が上流にあるほど河床の地盤の標高が高い)
・右岸と左岸が直線で結ぶ事が出来なかった(現代ならコーナーをつける)
・美観に優れる。

といった別の側面もありますから、見た目では判断できない難しさがあります。
つまり、「アーチ形」だけど、「アーチ式」ではない、といった堤体もあると思うのです。



両手を広げたほどの可愛らしい天端。

右岸よりには取水設備があります。
路面に埋め込まれた石材の並びを見ると、元々は建物があった雰囲気ですが、スピンドルの位置を考えると現在の姿は当時の状態である様にも思えます。



丁寧に積まれた布積みの堤体。
ゲート間の扶壁のカーブが、下流面にスッと溶けて消えていきます。

小さな石積堤体は、相対的にモザイクのドットが大きいようなもので、表面を滑らかに積上げるのは大きなダムよりも難しいと思うのですが、久山田貯水池堰堤は美しさにかけては、より大きな石積ダムにも引けを取りません。

今、写真を改めて見て思ったのですが、切石はよく使われる間知石よりも若干小さい様にも見えます。
現地でもっと見ておくべきでした。



天端から下流の左岸を見ると、山の斜面まで石積・石張りで補強、遮水されています。
石材はさまざまな形ですが、目地が整っていて、とても丁寧な造りです。

堤体端にそって掘り込まれた溝は下流面に降った雨水を流す樋でしょうか?。



堤頂長は75mほどなので、あっと言う間に左岸です。
クレストの薄いゲートには、角落し用に小さな支柱が並んでいます。

堤体の岸際は、下流面と同じ様に斜面に石が貼り込まれ遮水されていました。
現代で言うフーチングの祖先でしょうか。



現地では僕以外にパシャパシャと写真を撮影しておられる方が居ました。
ダム右岸の道路が拡張工事中で、法面の工事記録を撮影しておられるようです。

「何を撮っているんですか?」
先に声を掛けて来られたのは、道路工事の方でした。

「珍しいダムだと聞いて、ダムを撮っています」
そう答えると、とても不思議そうな顔をされていました。

天端のカーブですが、クレストの余水吐の所だけ直線で繋がれ、ちょっとカクカクした感じになっています。
プレキャストのように、他で作った管理橋を完成した堤体に乗せた様に感じました。



天端から下を見るとダム本体に沿ったアーチ状の副ダムが見えました。右岸は公園化されている様です。

行ってみましょう。



遊歩道を降りていきます。

眺望が良い様に木々も剪定され、最近整備された歩道のようです。
一歩一歩降りる度に堤体のアングルが少しづつ変わって、ドキドキ感も高まります。



んーっ。

美人ですね。

直線重力式だと「男前」だけど、アーチ状になると女性になるのは何故だろう。

空が青い!



明るい朝日を受けて、樹木の影を投影した美しい堤体は、
まるで映画館のスクリーンの様でした。

転校生のラストシーンの8ミリを写したいぜよ。(まだ言うか)



久山田貯水池堰堤
★★★★


余談ですが、日本最初のアーチダムは1953竣工の三成ダムですが、ローダムまで範囲を広げると1909年に完成した旧大湊水源地堰堤(重力式アーチダム)が最初と言われています。
でも、旧大湊堰堤はアーチダムでも重力式なのでどうもスッキリとしません。

調べてみると、神戸の布引水源地水道施設にある「分水堰堤」は純然たるアーチ式で、なおかつ完成は旧大湊堰堤よりも以前の1907年です。
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=102&item_id=00004080
これこそが日本初のアーチ式コンクリートダムなのかもしれません。
4月になってロープウェーの運行が再開したら早速行ってみるつもりです。

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門田貯水池堰堤

堤高23.5m
G/W 1950年 尾道市

2010.11.6見学

砂防の表情。


今日は広島県の尾道市にやってきました。
僕の歳だと尾道と聞けば、「転校生」「時かけ」「さびしんぼう」しか頭に浮びません。
そんなこんなで、車中でちょっぴり甘酸っぱくなりながら到着したのは、謎に満ちて、かつ個性的な門田貯水池堰堤です。

門田貯水池堰堤はダム便覧では栗原ダムとして掲載されています。
砂防ダムを改造してつくられた水道用ダムで、尾道市が管理をしています。

到着してまず驚いたのがその絶壁ぶりです。

小林聡美が二人でゴロゴロと転げ落ちたのが神社の石段で良かった。
もしこのダムの上からだったら、物語の冒頭で即死です。(なんじゃそれ)



堤体のやや右岸よりにある水通し。
いやいや、利水ダムなのでクレストゲートと呼ぶべきか?。
流木がぴゅんぴゅんと突き出しています。

堤頂はゲートの部分が一番低く、両岸に向かって高くなっている辺りも、砂防堰堤だった生い立ちが見て取れます。



手前の左岸側にあるのは取水用のスピンドルだと思います。
狭い堤頂部分に設備を増設した為、操作する人が立てるようにアングル材と鋼板で踊場が増設されたようです。



堰堤脇の道を下って、下流の正面に来ました。
ダムの下流には門田の集落で、隣接して民家もあります。

橋の上から見上げる堰堤。
堤高23.5mと、ハイダムとしてはローの方ですが、絶壁下流面はなかなかの迫力。



直下には水褥池。
いやいやこれも今は減勢池と呼ぶべきか?。

副ダムの形状は、みたまんまのミニ砂防堰堤形。
こちらもちゃんと本堤体とお揃いの谷積みの石積です。



堤体直下は尾道市水道部の敷地で、関係者以外は立入禁止なのですが、敷地内に地元地域の方が炭焼きをしておられます。

とってもラッキーな事に、軽バンのおじさんが門の鍵を開けて炭焼き小屋に入って行かれました。
挨拶をして立入をお願いすると、快く承諾して下さいました。



敷地内からの門田貯水池堰堤。
どうだー!と言わんばかりの迫力。

手前の木は桜かな?。



取水設備の踊場を下から。

谷積みの石積は、遊離石灰が目立ちますが、平坦な表面は丁寧に築かれた石積だと感じました。



つる植物が這い回り、石積の目地から直接雑草が生えたりしています。
あまり茂りすぎても困りますが、この程度なら集落の景観にも溶け込み、趣があります。



下流面を見ると断崖絶壁の門田貯水池堰堤ですが、勾配を持った堤体はちゃんと上流側にありました。

生まれが砂防なもので。



謎の多いダムですが、例のクレストゲートを良く見ると・・・・。
貯水池側に高欄がありませんね・・・。

ここに高欄や手摺を付けると、ゲートに切られた溝に角落しが入れれなくなるからだと思いますが。



姿形の他に、竣工年にも謎に思う所があります。

ダム便覧では竣工年は1950年とされていますが、その頃であれば下流面は石積よりも型枠成型の方が一般的のはずです。
この堤体のように勾配がほぼ鉛直なら尚更かと思います。

と、なれば1950年と言うのは、利水ダムに改造した年ではないかと推測できます。
上流のわずが1キロ弱の所に、1924年竣工の久山田貯水池堰堤があり、この久山田堰堤の完成により砂防の役割が半減したとすれば、砂防から利水に変身したストーリーも納得です。

と、言う事であれば当然、この門田貯水池堰堤(砂防堰堤)は、1924年よりも以前の完成となる訳で、下流面の石積とも合致するのですが、どうも腑に落ちないのが下流面の石積の「表情」なのです・・・。
古い石積の砂防堰堤って、なんというか、もっと温厚で大らかな表情だと思うのですが・・・。
同じ石積の砂防堰堤でも、この門田貯水池堰堤は面構えが厳しすぎる・・・。

謎だ。


雀の社会科見学帳の夜雀さんの調査では、現在は水道水源としては使われておらず、実質的に再び元の砂防堰堤としての役目に戻っているのだとか。

つまり、砂防→水道ダム→砂防。
うーん、つまり「転校生」みたいに、元に戻った訳ですねっ。
(どうしてもこじつけるかっ)

門田貯水池堰堤
★★★

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灰塚ダム

堤高50m
G/FNW 2006年 国交省

2010.9.5見学


灰塚ダムは2006年完成の新しいコンクリートダムです。
ダムの真下は広い駐車場と公園になっていて、ちょっとした屋外イベントにはうってつけの感じです。

駐車場はこのダム下の「灰塚ダム記念公園」のほかにも、天端の高さにも用意されています。



灰塚ダムで一番の特徴はこの引張りラジアルゲートです。
通常のラジアルと違った、メカニカルな外観も見所です。

この引張りラジアルゲートは堤体中央の「環境用水放流設備主ゲート」に採用されています。
環境用水とは、フラッシュ放流などの出水の再現や、洪水後の長期にわたる濁流の軽減など、自然越流式の洪水吐の弱点を補うものです。



訪れた日は、残暑厳しく、うだるような暑さでした。
広い減勢池に映る堤体も印象的。

クレストに並ぶ自然越流の非常用洪水吐、中心部分に一段低い常用洪水吐が1門、引張ラジアルを挟み、堤体中程に2門あいているのも常用洪水吐(オリフィス)です。



暑さで大変なのはダムマニアだけじゃない様で、堤体の影に何か粒々した物があるなと思って、よく見たら日陰に非難中のハトでした。



灰塚ダムは開かれたダムとして、ダム内部はギャラリーとして開放されています。
ずらり並ぶダムに関するパネル。膨大な情報量なので全て観るにはどれだけ時間があっても足りません。

また、とてもパンフレットが充実していて、知りたい内容に合わせて
・灰塚ダム建設における技術的な特徴
・環境用放流設備の目的と放流方法
・ハイヅカ湖における水質保全対策
・動植物の保全対策
・ハイヅカ湖で自然を楽しもう
・ハイヅカ湖における外来魚対策
と、共通の表紙デザインで、沢山の冊子が用意されていました。
(思わず沢山もらって来てしまいましたが、本当は知りたい項目だけ持ち帰るスタイルかと)



ギャラリーの奥のエレベーターも開放されていて、天端と自由に行き来出来ます。

ギャラリー階でエレベーターを呼ぶと、天端階にあったエレベーターが降りて来ました。
ドア越しに楽しそうな話声が聞こえます、天端から誰か乗って来るみたいです。

するするとエレベーターが到着し、静かに目の前でドアーが開きました。

!!!

開いたドアーの向こうは空っぽで、誰もエレベーターに乗っていません。

さっき聞こえてきた人の声は・・・・。
瞬間、背筋が凍ったのはギャラリーの冷たい空気のせいでは無い様です。

恐る恐るエレベーターに乗り込み、天端に向かいます。
ドアが閉まり、密室の中に僕独り。

すると、何処からか太い男の声で不敵な笑い声が・・・・
ぎゃーっ!!



広島FMにびびりつつ、抜けそうになった腰をはめ直して天端に到着しました。
(エレベータにFMを流す目的は防犯だそうです、あせった〜)

堤体の越流部が薄くて、意外と鋭い形です。
天端通路が下流側にオフセットしていて、その造形を存分に鑑賞できます。



二車線&歩道の広い天端。

雲の形がすごくいい日でした。
時々天端を抜けてゆく風が、辺りの熱気を吹き飛ばして、とても気持ちがいい。



天端から見下ろすと、減勢池の中に雲が捕まっています。
風が止むと、水面は鏡の様で、いっそう鮮やかな空が閉じ込められていました。



灰塚ダムは堤高50m、堤頂長196.6mと、決して大きな堤体ではありません。

しかし、ハイヅカ湖と命名された貯水池は、複雑な形状でとても広く、小さな堤体で大きな貯水池という効率の良いダムの手本とも言えるダムでもあります。

また、2箇所の流れ込みにはそれぞれ川井堰堤と和知堰堤の2基の小堰堤が築かれています。
これは、洪水調節区域の裸地を減らし、荒地になるのを防いだり、出水時に泥流を本湖に入れる前に沈殿させる等の役割があります。

これはハイヅカ湖の東側にある川井堰堤。
越流部のデザインがとても洒落ています。
堤高13.5m、堤頂長146m、型式はなんと台形CSGです。



こちらは、ハイヅカ湖の南側にある和知堰堤。
堤高などのスペックは解りませんでしたが、川井堰堤と比べて小振りの様に感じました。
でも、低いながら導流壁、減勢池、副ダム、それに魚道と一揃いそろっている立派な小堰堤です。



越流部もやはり凝ったデザイン。
北海道の古いコンクリートダムに有りませんでした?こんなの、違うか?。

この和知堰堤によって上流に広がる人工の湿地帯は和知ウエットランドと呼ばれ、水生植物や水生生物をはじめ、魚や鳥達の楽園が造られています。



とにかくあらゆる所に見所いっぱいの灰塚ダムです。
ファミリーで訪れても良し、じっくり見学するも良し、魅力に溢れるダムでした。

灰塚ダム
★★★★

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高暮ダム

堤高69.4m
G/P 1949年

2010.9.5見学


沓ヶ原ダムを後に上流にあると言う高暮ダムを目指します。
沓ヶ原の貯水池を過ぎるとその先には集落や民家はなく、一車線の狭道が続きます。



沓ヶ原ダムから6〜7km、高暮ダムまでの道はずっとこんな感じの道です。
すれ違いが出来る待避所も少なく、ガードレールが無いので早朝や日が暮れてから向かうのはお勧めできません。

但し、アスファルトの舗装は途切れる事なく続いていますし、急激なアップダウンも無いのでこの日もロードレーサーの集団に出会いました。



崖側の樹木が途切れ、高暮ダムが姿を見せました。
このアングルが下流面を観る唯一のポイントです。



堂々とした姿。
完成は1949年、戦時中の資材不足により10年を費やし、竣工は戦後にずれ込みました。

高暮ダムは、細く狭いダムまでの道と比べて、驚くほど大きく立派なダムです。
建設には三次から索道が張られ物資が運ばれてたとの事です。



優雅なラインの導流壁が目を引きます。
有機的な曲線のそれは、植物の茎や葉を思わせます。



しかし、優しく見えるのは遠目で見た印象で、目を凝らして観察すると、その肌は粗く、酷くざらついた荒々しいものです。

丸く開いた穴は排砂用です。



クレストには非常用洪水吐が5門。
横長のラジアルゲートが時代性を感じさせます。

天端通路の高欄にはオールドコンクリートダムらしいアーチ形の抜きが見えます。

期待出来そうです。



峠道を登って、ダムサイトに到着しました。
右岸に見学者用の駐車場も確保されています。

右岸から堤体を観ます。
堤体は一段下に降りた高さにありました。



天端の入口、門柱にあたる高欄端の装飾。

稲妻のマークは日本発送電の社章でしょうか?
その下の銅版は要目表が刻まれていました。



いよいよ高暮ダムの天端に足を踏み入れます。
集落も何も無い山奥のダムなので、天端は立入禁止かもしれないと思って来たのですが、あっけらかんと受け入れてくれました。



素晴しい天端。

堤頂の幅は3〜4m弱、高欄のアーチ形の意匠がクラシックです。
一定間隔で柱状の装飾があり、ガス燈風の外灯が立てられていました。
照明器具自体は新しい物で、アーチの中にはめ込まれた珊もステンレス製に置き換えられていました。天端の細部は部分的にレストアされている様です。



下流を見下ろします。
堤高69.4mは、戦前〜戦中に建設されたダムの中では7番目に高いものです。

下流から良く見えなかった右岸の導流壁も、左岸と対称形状の様です。



下流は深い山林。
正面の山腹にさっき通って来た道筋が見えますが、他には何も見えません。



左岸の導流壁。
立体的に大きくうねる導流壁は、内側に倒れこんだ独特の形状をしています。



左岸からの横顔も貫禄充分。
左岸には発電所への送水設備がありました。



親柱のデザイン。
シンプルですが、重厚かつモダンな意匠です。



神之瀬湖と呼ばれる貯水池。
静かで深く沈んだグリーン、裸地とのコントラストも印象的。



左岸にコンクリート製と思われる遺構が水面から覘いています。
建設プラントの跡かもしれません。



クレストゲートの巻揚機を収める建屋は比較的新しい建物の様です。
大規模な改修が行われていると感じました。

ゲート部の貯水池側の高欄。
水を切るピア先端の造形が、そのまま高欄の高さまで立ち上がっていました。



再び右岸に戻ります。
右岸の地階に部屋があります、監査廊などに通じるのかもしれません。



一部剥がれかけた石垣風の装飾は、比較的新しく見えました。
クレストゲートの巻揚機や、高欄の装飾と同時期に改修されているのだと思います。



よく観ると、地階の部屋の下の壁面にも、薄っすらと石垣風の装飾が見られます。
痛み具合から、こちらは竣工当時のままだと思われます。

改修部分が石垣に見立てた薄板を貼り付けているのに対して、此方はコンクリートの表面に溝を刻み、目地に見立てたモルタルを埋め込んだと思われます。

高欄の品の良い装飾と相まって、実は当時としては飛びぬけたデザイン堤体であった事が伺えます。



駐車場から観る堤体。

巻揚機の改修工事で建屋が大きくなったのか、貯水池側へ軽くクランクした天端の曲がり角だけ鋼管の高欄となっています。

高欄のレベルまであるゲート間の扶壁がよく解ります。



ダムサイトにある日本発送電の慰霊碑。
此方は日本人の殉職者が祭られています。

これとは別に朝鮮人労働者の慰霊碑(追悼碑)があるとの事で、辺りを探したのですが見つける事が出来ませんでした。
帰宅後の調べて、その慰霊碑は右岸の少し離れた場所にあった様です。



今は静かで美しい高暮ダムですが、このダムについて避けて通る事の出来ない史実があります。

高暮ダムは、戦時中の人手不足から、騙したり、拉致するなどで故郷から連行されて来た朝鮮人らによって築かれました。
この地で強制労働を強いられた朝鮮人労働者は少なくとも2000人以上と言われています。

日本人の労働者も居ましたが、不当な低賃金で、トロッコ押しなどの重労働や、隧道掘りなどの最も危険な労働を強いられました。
過酷な労働や虐待に絶えかね逃亡者も多く、今世紀に入ってからも周辺から複数の白骨が見つかっています。

ダム本体の打設では、上からシュートで落とされるコンクリートに人が巻き込まれても、そのまま救出する事もなく作業は続行され、堤体の中に埋められる者も居たと、逃走して生き延びた方が証言しています。

戦争さえ終われば故郷に帰れる。
叶わなかった願いと亡き骸が堤体の中に永久に閉じ込められている・・・。

見学から帰って、自宅で強制労働の事を調べているうちに、戦争の被害者だとが、尊い犠牲だとか、そんな言葉は平和ぼけした今日の日本人のうわ言でしか無い様に思えて来ました。


天端を散策していた時に、一家で来ていた家族連れとすれ違いました。
少し派手めの服装と、話す言葉から韓国人である事は直ぐに気が付きました。

たまたまの偶然なのかもしれません。
でも、直感的に、その家族に対して偶然以上の物語性を感じていました。



高暮ダムには、またいつか再訪したいと思います。
次は必ず湖畔の慰霊碑も観ておきたい。

そして、天端を靴を脱いで素足で歩いたら、何かが理解できるかもしれない。

そんな事を今思っています。



高暮ダム
★★★★★

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沓ヶ原ダム
堤高19.5m
G/P  1942年 中国電力

2010.9.5見学

島根県を後に、広島の沓ヶ原ダムに来ました。
県道の路肩に車を停めて堤体に向かいます。



竣工は1942年。
現在は中国電力が管理していますが、元々は日本発送電が造った発電用ダムです。

以前、四国のダムを巡った時に、このタイプのゲートピアを「四国形」と勝手に命名しましたが、「四国・中国形」と改めねばなりませんね。



堤体の真下は公園のように整備され(雑草が多かったですが)、すぐ目の前までお近づきになれます。

中心部に上下に薄い4門のローラーゲート。
両脇は越流式の吐のようになっていますが、ローラーゲートの上端とほとんどレベルが変わりません。
ここから越流する時は同時にローラーゲート上もオーバーしてしまう感じなるので、実際に越流する様な事は無いのかもしれません。
手前の左岸端には排砂ゲートがあり、維持放流が行われていました。

色あせた赤色の管理橋はとても趣があります。



ダム下の謎の遺構。
用途は皆目検討も付きません。



表面をよく見ると、長い年月を風雨に曝された為か、金属製の網が露出していました。



県道に戻ってきました。
管理棟や取水設備も左岸の道路脇に密集しています。



道路に面してバスの停留場。
ごみ収集のステーションも兼ねています。



さらに、停留場の屋根の下には郵便受がありました。

かつて、職員さんが常駐していた頃の名残なのかもしれません。
職員住宅が配達に不便な所だったりして、個人宛の郵便も、ここで受け取っていたのかも。
(僕の勝手な空想で、根拠はありません)



天端には特に立入を拒む物はありません。
ちょっと意外な感じ。



鉄骨トラス組の管理橋を進みます。

こんな感じの天端は初めて歩くかもしれません。
なんかとても幸せ。



のんびりとした貯水池。
上流には高暮ダムがあります。



通路の上をゲート操作のワイヤーが渡っています。

色あせたペイント、年季の入ったコンクリートの肌、苔とカビ。
沓ヶ原ダムの天端は、グリスの匂いがしました。



沓ヶ原ダム
★★★

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