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帝釈川ダム

堤高62.4m
G/P 2006年(再開発) 中国電力

2010.11.7見学


以前からずっと訪問してみたかったダムに、帝釈川ダムがあります。
堤高62.4mに対して堤頂長はわずか39.5m、日本一縦長のダムと言われています。

この日、温井ダムを堪能した後、中国道の東城ICから寄り道してみました。
景勝地帝釈峡にある帝釈川ダムは観光用の遊覧船も出ていますが、ダムサイトを訪れる場合は全く違う場所からのアプローチとなります。
左岸のダム本体の近くから向かうのですが、集落の隅っこの農道の先にあるのでカーナビによっては道が表示されないかもしれません。
なので事前に詳しい地図などでチェックされる事をお勧めします。

農村集落の外れ、ダムサイトに向かう道はチェーンが張られ、ここから先は徒歩となります。



ダムまでの道は、帝釈峡の散策歩道として解放されています。

地元の方の手でダムまでの地図のコピーが用意されていました。
複数枚用意され、持ち帰れる配慮がありがたいです。(晩秋とあり、ストックは無くなっていましたが)

「新帝釈川ダム」と書かれていますね。
帝釈川ダムは今世紀に入って大規模な再開発が行われています。



邪魔にならない場所に車を置き、ダムに向かいます。

渓谷の下にあるダムなので、ここから山道を下って行きます。
アスファルトの車道とは別に、真っ直ぐ下にショートカットする階段がありました。

木々の間にダム湖の水面がちらっと見えますが、ずーっと下の方です。



階段を下りると、再び車道に出ました。
濡れた落ち葉で滑らないようにそろそろと降りて行きます。

昨日の二級ダム登山(?)で足腰そこらじゅうが軋んでいます。
帰りは無事戻れるかな?。



森が開け、ダムの周辺設備が見えました。

写真の手前がダム湖上流。
ダム本体は正面の岩盤の向こうにあります。

岩盤の中腹に水平に屋根付きの巡視路が見えます・・・。



そう、なんと、帝釈川ダムまではこの巡視路の中を歩いて向かうのです!!

岩盤を水平に細長く削った棚に、鉄骨の屋根。
屋根は雨露をしのぐ目的もありますが、上からの落石から歩行者や脇のボックス内の配線を守る為だと思われます。

かつてないワクワク感にゴキゲンです。
岩盤に沿ってカーブしているので、先が見えない所もたまらん感じ。



周辺の岩は魚卵状石灰岩というものだそうです。
歩道の中に説明看板があり、見本のように石片がちょこんと乗っていました。



岩盤にそって100mほど進むと、巡視路は終着点に到達しました。
そう、ついに帝釈川ダムに到着です。



うわっ、なんかスゴっ。
今迄訪問したどのダムとも明らかに違う事が一目瞭然。

谷にを塞ぐと言うよりも「詰まっている」と言うか、「挟み込んである」雰囲気。
堤体は鋭い鋭角のV字型をしていますから、文字どうり渓谷に打ち込まれたクサビのイメージなのです。



嬉しい事に天端も解放され散策が出来るようになっていました。

40mに満たない短い天端です。
あえてじっくりと、じらしながら進みます。



この帝釈川ダムの歴史は古く、なんと1924年まで遡ります。
当初の堤高は56.4m、同年に木曽川に大井ダム(53.4m)が完成していますが、こちらの方が数メートル高く、堤高日本一のダムとして産まれました。

また、メイソンリー中毒として欠かせないのが帝釈川ダムは石積ダムであった事です。国内のメイソンリーダムで唯一堤高50mを超えるダム、それが帝釈川ダムなのです。
大井ダムが新しい工法と積極的な機械化で50mの壁を超えたのに対して、既存の工法でそれを上回っていたのが面白いと感じました。
とても急峻な立地です、まさに人の手によって造られた50m級の石積ダムだったのではと思います。

その後、完成間もない1931年に5.7mの嵩上工事を経て、さらに2002年から4年をかけた再開発で表面の石積は斫り落とされ、上からコンクリートを増設し近代的な現在の姿になりました。

天端の目につく場所に、再開発の工事を記念したプレートが飾られていました。



天端から下を見下ろします。

下流の水面が遠い!
導流壁の穴から河川維持の放流中。
直下の減勢池は、滝壺のようになっています。

しかし、驚くのはこれから。
このまま視線を上げて行くと・・・。



目の前に現れたのは、まさに断崖絶壁という切り立った一枚板の岩盤でした。

岩盤までの距離も近く広角レンズに交換しても画角に収まりません。
このブログ始まって以来初の縦写真です。



天端の高さから直下の水面までおよそ60m・・・。
そして、そこからぐぐっと空を突き破るほどの垂直の壁がそそり立っています。



これはダムサイトの地形図です。
堤体直下左岸の等高線に注目。こんなに密集した等高線は見た事ありません!。
ダム直下から等高線を数えると、岩盤の高さはおよそ150mもある事が解りました。

もの凄い地形です。よくこんな場所を見つけて、さらにダムを建設したと思います。しかも大正時代の事です!。



この急峻な立地の為、現在でも陸路では巡視路を徒歩でしかダムに行く事は出来ないと思います。
もし大きな物資を搬入する時は船やヘリコプターで運び込む事になるのかなと思います。

また、再開発の時は仮設の道路を造り工事が行われました。(現場が帝釈峡の国定公園内の為、新たに道を付ける事が難しかったそうです)



現在の堤体はクレストに非常用洪水吐として2門のラジアルゲートが備わっています。

再開発は大正時代の竣工から80年を経て老朽化が進んでいた事や、既存の洪水吐の放流能力が少なく出水期には水位を下げて運用する必要があり、35mもの未利用の落差があるなど、水資源をより有効に活用する為に実施されました。

また、この時同時に発電所の再開発も行われています。



天端を渡って対岸に来ました。

階段を数段上がると、その先には狭い素掘りのトンネルが真っ黒な口を開けていました。
中はどうなっているのか?何処まで続いているのか?入口からは全く想像する事もできません。入るには相当勇気が要ります。(って、事でUターン)

再開発以前は堤体の上に歩道橋があったはずです。
巡視路からこの素掘りトンネルまで真直ぐ水平に橋が架けられていたと思います。



どでどでどでどでどどど・・・。
渓谷にディーゼルエンジンの音を轟かせて遊覧船がやって来ました。

再開発により洪水吐の処理能力が上がった事で、年間を通して満水の水位での運用が可能となりました。

最も観光客の多い紅葉の時期に、岸際の裸地を見せる事が無くなったのは、景観の保全、しいては観光資源としての価値を飛躍的に上げる効果があったと想像します。

まさにいい事づくめの再開発です。



「おおお。」
お客さんの視線が一斉に例の岩盤に注がれ、パチパチとフラッシュが光りました。

「あんな所に人がいるよ・・・」
僕と目が合った人がそう言ってる気がしました。

遊覧船は岩盤を見せるように向きを整え、ゆっくりとターンすると、でろでろでろでろ・・・と、再びエンジン音と波紋を残し上流に戻って行きました。



現在の非常用洪水吐はクレストゲートですが、それ以前はどうなっていたんだろう?。

現地ではダムとは別に左岸に大きな2門のローラーゲートがあり、トンネル式の洪水吐がある事は解っていたのですが、明らかに大正時代よりもずっと新しく、少なくとも1960年代以降のものだと感じていました。(神奈川の城山ダムのピアと同じテイストを感じたので同じ年代ではないかと)

帰宅後に調べてみると、やはりこのローラーゲートは1966年に造られた洪水吐ゲートだと言う事が分かりました。
このローラーゲートは720㎥/sの能力があり現在も現役です。クレストに新設されたラジアルゲートの890㎥/sと合わせ、現在は1610㎥/sの洪水処理能力を持っています。

さらにそれ以前はと言うと、下流への放流はたぶん同じこのトンネルなのですが、岸の岩盤にそって水路が掘られ、111門もの木製の小さなゲートが並べられていたと言う事です。

巡視路下の水面近くに棚になっている所がその竣工当初の放流設備の名残だそうです。



大正時代に築かれた50m超級ダム。
国内石積ダムの最高峰。
日本一縦長の堤体。
高い貯水効率。
中国電力所有の最古参ダム。
幽玄で美しいダム湖。

この帝釈川ダムにまつわるエピソードはいくつでもあります。
しかも、現地までの行程はちょっとした冒険が味わえて、家族で訪れるのも良いかと思います。(遊覧船よりもきっと楽しいはず)



普通のダムでは飽き足らなくなった愛好家に、是非ともお奨めしたい逸品でした。

帝釈川ダム
★★★★★

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温井ダム

堤高156m
A/FNWP 2001年 国交省

2010.11.7見学

ファイナルアンサー。


堤高156m、堤頂長382m、堤体積81万㎥。
温井ダムは国交省直轄の大型のアーチダムです。

上流にある王泊ダムから向かったのでダム正面からファーストコンタクト。
ダムサイトの上流にある公園から、グラマーなアーチが見えました。



もう少し近づいて、ダム本体右岸のパーキングから眺めます。

温井ダムは洪水調節や水道等を目的とする多目的ダムとして、2001年に完成しました。
この年は、同じく堤高156mの宮ケ瀬ダムと浦山ダムも竣工しています。
僕がダムに憑りつかれるのはその後何年も後の事なので、当時の事は知る由もありませんが、2001年は日本ダム史におけるビンテージイヤーであった事は間違いないですね。



直轄ダムである温井ダムは展望スペースが豊富に用意され、さまざまなアングルから存分に堤体を鑑賞する事ができます。
真っ白な下流面はドーム型アーチの証。

最初そのスケールに圧倒されますが、落ち着いてよく見ると上部に飛び出しの無い非常にすっきりとしたデザインに気か付きます。
通常天端に見られるエレベータシャフトや、洪水吐ゲートの建物などの突起物が一切無く、アーチの伸びやかさを強調しています。



天端は幅広く、車道になっています。
平日は車で往来が出来ますが、土日は一般車両通行禁止で歩行者天国(ダムマニア天国?)となっています。

この日も沢山の家族連れや、デート中のカップルが訪れていました。



天端で面白いのがダム中央のクレストゲート部分です。
ゲートの巻揚機は低くクレスト部分に埋め込まれ、温室のように透明のパネルになっています。



ゲートの扉体はどこにあるかと言うと、アーチの上流面にぺたーっと貼り付いていました。
コースターゲートみたいですが、紛れもなくクレストの非常用洪水吐ゲートです。

形式はローラーゲートですが、面白いのが開閉動作が通常のローラーゲートと真逆で、ゲートが下方にスライドし、上を越流させて放流する構造になってる事です。
現在はフルオープン状態ですが、有事にはゲートが上昇しサーチャージまで洪水を貯め込みます。

機械的に負荷が少ないのか、通常は下に降りて全開になっているのかなと想像。

なにはともあれ、この構造によってすっきりしたクレストの美しいデザインが出来上がったと言う事かと思います。



156mの天端を散策する家族連れ。

わいわいと親子で会話して散策中、そのわずか1m横は150mの断崖です。
このギャップが凄いですよね。

河川をまたぐ土木建築ではダムの他に、橋があります。
日本で最も高い橋は、僕の地元にある東海北陸自動車道の高架橋(鷲見橋)で、高さは118mだそうです。
もちろん118mと言う高さはとんでもなく高いのだけど、日本一高い黒部ダムと比べると3分の2でしかありません。
しかもダムの場合、路面から谷底まで全部コンクリートが詰まっている訳で、つくづくダムってとてつもなく巨大な建造物だと思う訳です。

この親子も、もしもここが橋だったらすごくおっかないのではと思います。
谷底までしっかりと中身が詰まっているダムだから、心理的に安心できるのかなと思うのです。



手を伸ばし山勘撮影。
大きな減勢池が見えます。鏡のような水面。



左岸にある管理棟のエレベータで3Fのフロアに行くと、ダム展示施設です。

試験湛水での記念放流の写真が飾ってありました。
すごいです!。



リアルに作られた模型をにやつきながら見学します。

FNWPと働き者の温井ダム、役割の中心はやはり洪水調節でしょうか。
赤いラインは最高水位を示していますが、本当に天端ぎりぎりまで貯め込む事が分かりますね。頼もしいかぎりです。

左岸にあるのは選択取水設備です。
アーチダムなのでダム本体ではなくダムサイトに造られています。
この立派な取水設備は多段式と多重ゲートを組合せていて、この温井ダムで初めて採用された構造となっています。



展示施設のある管理棟とは別棟の屋上は展望台になっていました。
いろな場所から眺める事ができます。

芝生とカラー舗装、天端のアスファルトと白い堤体。
ダム本体だけでなく、周辺のダムサイトも美しくデザインされています。

王泊ダムでは見頃だった紅葉ですが、それよりも少し標高は低い為が周辺の見頃はあと1週間かな?と、言った印象でした。



芝生の上で、対岸から歩いて来たファミリーが休憩中。
手摺の近くに車イスのおばあちゃんも。



そうなんです。

温井ダムは見学用の通路(監査廊)にも車イス用の昇降機完備で、完全バリアフリーのダムなのです!(さすが新鋭の直轄ダム)



温井ダムの内部。
ダムの内部は一般に開放されていて、自由に散策できます。
高速エレベータで下に降りた後は、明るい監査廊を進みます。



これは途中にある展示物。
何の展示かと思えば、ダムサイトの基礎岩盤に触れるという展示でした。

アーチダムは岩盤が命!

温井ダムは当初は重量式コンクリートダムで計画されていたそうですが、岩盤が非常に良好な事が解りアーチ式で建設される事になりました。
宮ヶ瀬、浦山と並んだ重力式の温井ダムも観てみたかった気もしますね。

がっちりした花崗岩は、何かご利益がありそうなので沢山なでなでして先に進みます。



通路を抜けるとダム下流広場です。

翼を広げる温井アーチ。
大きいだけでなく、左右対称の美しい姿をしています。



副ダムも立派ですね。



「こんにちは、ようこそ温井ダムへ、ぼくの名前は利水次郎です」

と、しゃべりませんが、そう言ってる気がします。
次郎だがら次男に間違いなのですが、じゃあ長男はと言うと・・・。



兄の治水太郎はあんな所に居ました。
名前は太郎と次郎だけど苗字は異なります。少し複雑な家庭で育った二人です。

両脇はツイン波動砲こと、2条のホロージェットバルブです。
ホロージェットもこれだけ大口径だと迫力がありますね。
2条で最大60t/sの放流能力があります。

中位標高放流設備のこのバルブは主に洪水調節に使用されます。



下流広場は上下2段になっていて、もう少しお近づきになる事が出来ます。
至り尽くせりの温井ダム、どこまでもフレンドリーです。


でかい。

そして意外なほど重厚。
アーチダムと聞くと繊細なイメージがありますが、温井ダムのアーチは重厚で分厚い壁の印象です。
事実、堤体積は81万㎥もあり、重力式ダムだと長島(86万㎥)大山(80万㎥)に匹敵します。

また、形状はドーム形なのですが、156mという高さに比べ、クレストのオーバーハングはかなり控えめです。
以前新潟で見た奥三面ダムにとてもそっくりだと感じました。(奥三面は下からは見れないので、あくまで想像ですが)
奥三面ダムも堤高116mを誇る大型のアーチダムで、面白い事に温井と同じ2001年の完成です。
同時期に設計・建設された二つのアーチの設計は、どこか共通するものがありそうです。



ダムの一番下には4門のコンジットゲートを配備。

温井ダムは、コンジットゲートを装備するダムで国内最大級の堤体です。
コンジットゲートの水深は106mもあり、もちろん日本一深い所にあるコンジットゲートとなっています。



整然と各設備が配置されている事もあり、スケール感が湧きませんがこの部分だけでもなかりの広さがあります。
放流能力は1100t/s、25mプールをわずか1秒で満水にします(!!!)

ダムの下から、コンジットを目線の高さで鑑賞できるのもなんだが不思議です。

キャットウォークは樹脂パネルで覆われていますね。(行ってみたい!)



うひょー。
すっげーフーチング。

温井ダムはスケール感が完全に麻痺します。



真下から見上げるアーチ。ここまで観れるアーチダムは貴重です。
これより1mほど低い奈川渡ダムでも出来ますが、奈川渡とはだいぶ印象は違います。

ちなみにクレストの非常用洪水吐は、5門で最大2000t/sの放流能力があります。



美形で、たくましくて、フレンドリー。

あんまりいい奴なので、意地悪で悪者っぽくモノクロで撮影したら、妙にカッコよく撮れてしまいました。できる奴は何やってもキマっちゃう訳ですね。くやしい〜。



配慮の行き届いた美しいデザイン。
バランスの取れた重厚で堂々としたシルエット。
豊富な展望スペースや誰もが見学できるバリアフリー。
洪水をカットする重武装。

西日本を代表する大型アーチと呼ばれる事の多い温井ダムは、西日本のみならず、間違いなく現在の日本を代表する大型コンクリートダムの一つである事は間違いないと感じました。



アーチダムのファイナルアンサー。

温井ダム
★★★★★






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王泊ダム

堤高74m
G/P 1959年 中国電力

2010.11.7見学


樽床ダムの後は、同じく中国電力の発電用ダムである王泊ダムにやってきました。
今回はダム巡りのルートの都合で貯水池の上流からアプローチしていますが、温井ダムの上流10キロの位置なので、普通は下流から訪問するのかもしれません。

湖畔は紅葉真っ盛り、立木の間から王泊ダムが見えてきました。



ダムと並んで右岸に赤い吊橋が見えます。
(PENTAX DA 12-24mm F4 ED AL[IF] 大活躍の構図)



三門の黒いラジアルゲートと大きな取水設備。
155mの堤頂長を広く使ってダム設備が並んでいます。

その姿は静かな湖面に写し出されていました。



赤い吊橋を渡ってダムの右岸側に来ました。
橋の袂に車を置いて、ダム本体まではここからは少しだけ歩きます。



橋の鉄骨部分を赤く塗装するのは防錆塗料の都合かと思っていましたが、日本の山野に映える色として赤色が採用される事があると聞いた事があります。

この王泊ダムに架かる橋を見て、なるほどと、思いました。



ダム本体のすぐそばにある橋の遺構。

この橋も吊橋だったみたいですね。
上部のアーチ部分や、柱の造形もなかなか良いものなので、新しい橋ができても取り壊さず残されたのかもしれません。



ちなみに、これは木曽川に架かる桃助橋です。
読書発電所の建設の為に、福沢桃助率いる大同電力によって架けられたもので、当時はレールが敷かれ資材運搬のトロッコが通っていました。

ひょっとしたら、こんな木造の吊橋だったのかもしれませんね。



吊橋の遺構のすぐ横からダム本体の施設になります。

周辺にはいろいろなコンクリートの構造物が残っていますが、ダム建設以前からの物なのか、建設プラントの遺構なのかはよく解りませんでした。

堤高74mと、当時としてもかなり背の高いダムだったので、この橋が旧道の橋だったとすると、谷のとても高い所に架かっていた事になります。
ひょっとして、桃助橋のようにダム建設用に架けられた資材運搬用の吊橋だったのかもしれません。



周辺に民家もなく、晩秋の森は風で木の葉が鳴く音しか聞こえません。

天端は解放されていました。
取水設備の大きな建物が目を引きます。


ダム直下を横切る水圧鉄管。
下流にある発電所に水が送られています。



太い水圧鉄管。
遠目ではスケール感が麻痺してしまいますが、周辺に建物などの対象物があると大きさが解りますね。

直線的で剛健な印象はこの時代の発電ダムに共通の表情です。



天端を散策すると、こんなメカニカルな物がありました。
取水に関係する設備だと思うのですが、よく解りません(ごめんなさい)。


わっ!
びっつくりした。

こんな巨大な手の平なら、子供じゃなくても驚くよね。



ダムを後に振返って写真を撮りました。

深い谷を堰き止める電気の工場。
真っ黒なその顔は威風堂々と秋の森の中にありました。



王泊ダム
★★★★



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樽床ダム

堤高42m
G/P 1957年 中国電力

2010.11.7見学


柴木川ダムを後に、そのまま国道191を北上します。
森に囲まれた快適な道を20キロほど走り、脇道に入ると樽床ダムの貯水池である聖湖に到着です。

しっとりとした霧の中、湖畔の道を進みます。
周囲には手付かずの森が残り、晩秋のこの時期は風景写真家にとってメジャーなスポットの様です。



湖畔の曲がりくねった道を抜け、樽床ダムの左岸に到着しました。
が、
いっそう霧が深くなり何も見えません・・・。

ダムの向こうから、大型の一眼レフと三脚を手にしたおばちゃんが歩いてきました。

尼崎から夜の高速を飛ばして朝6時から2時間粘ってんけど一向に霧が晴れへんししゃあないから近所に去年一度行った事のある古いお寺と柿木があるいい場所があるので今から行こうかと思うねんけどもう少し待ったら霧が晴れるかもしれへんしどうしょうかなと思ってたけどやっぱり行ってみるわ兄ちゃん岐阜ナンバーかいなお互いえらい遠い所からきてるなそんじゃがんばってほなさいなら。

・・・流石関西のおばちゃん、霧の中で2時間一人で黙っていた分を取り戻すかのように、一息で喋って行きました。(関西のおばちゃんは喋らないと窒息します  嘘)

結局、僕が風景じゃなくてダムを撮りに来た事は言えなかった(笑)



おばちゃんと別れて天端を散策します。

下を見下ろすと水圧鉄管が見えました。
本当はここから下流の景色は見事な紅葉が広がっているらしいのですが・・・。



霧の中の聖湖。

深い霧によって湖面と空の境界線がなくなり、網端が空中に浮遊しているように見えました。
網端の先は空気の中に完全に溶けています。



天端を右岸に渡ると少し広くなった場所がありました。
霧の中に、ポツンと小さな物置ほどの建物が見えます。



丸太でログ風に仕立ててあります。
なんだろう?物置?公衆トイレ??



実は、監査廊の入口なのでした。

山中の静かなダムですが、意外と交通量があり先ほどから県外ナンバーの車が天端を行き交っています。
近くに登山道の登り口があるのかもしれません。
ログ風の監査廊の入口はそんな周辺環境へのちょっとした心配りといった所かと思います。



深い霧に包まれ、あまり詳しく拝見する事は出来なかったのですが、これも自然の中にあるダムの一つの表情かもしれませんね。

尼崎のおばちゃんは、その後いい写真が撮れたかな?
おばちゃんのマシンガントークを頭の中で思い出しながらダムを後にしました。



樽床ダム
★★★


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柴木川ダム

堤高15.5m
G/P 1955年 中国電力

2010.11.7見学


鱒溜ダムを見た後、国道191を3キロほど北上すると柴木川ダムがあります。
T字の交差点の手前に車を置いて、ペンションの辺りからダム直下の川原へ歩いて降りる事ができます。



堤高15.5m、堤頂長104.9m。
柴木川ダムは決して大きなダムではありませんが、2門の大きなゲートと3本のピアが堂々とした、ダイナミックな風貌が特徴です。



センターには下流に大きくオーバーハングして、ゲートの巻揚機を収めた機械室が乗っかっています。

半円形の抜きが並ぶ高欄が見えます。
懐かしいノスタルジックな感じと、油っぽい機械的な部分が混在する不思議なイメージ。

重厚な造りは、どことなく要塞のようにも見えます。



T字の交差点を三段峡方面に左折すると、すぐにダムの左岸に到着です。
周辺に駐車スペースがほとんど無いのですが、すぐ横のトンネルの入口に小さめの車なら1台停める事ができます。
(ダム施設の駐車スペースはとても狭いので、関係者の方が来た時に困るので空けておきましょう)

施設は全面フェンスに囲まれていますが、天端は自由に見学できる様です。



堤高からすると、とても高くて大きなゲートピア。
一回り大きなダムのクレスト部分だけ切り取って据え付けたようなダムです。



ダム湖の上流は、なだらかな地形になっていて、その周囲には閑静な住宅が広がっています。
発電用の人造湖なのですが、完全に景観の一部として溶け込んでいました。
湖畔の黄色い花がきれいです。



こんな感じのコンクリートの高欄が好き。
表面のザラザラ感、黒ずんだ感じ。

本当はドライな乾いた感じが好みだけど、雨に濡れて苔むした表情も良いですね。
雨水が溜まらないように、路面に傾斜が付いてる所も◎。



クレストゲートの部分は全体に下流に突出しているので、天端はゲート部を避けてクランクした形になっています。



ダムに行くと、時々こんな少し懐かしい感じの高欄に出会いますが、これってダムだからこんなデザインと言う訳ではなくて、以前は、そこらじゅうの川に架かる橋も、こんなコンクリート欄干が普通だったんじゃないかと思います。

橋の場合は交通量の増加で架け替えたり、30年とか40年の耐用年数を経てどんどん架け替えるので今では味のあるコンクリ欄干は少なくなってしまいましたが、ダムの場合は管理すれば永遠に使える施設なので、当時の姿を現在も留めているのではと思います。

そう思うと、ダムと言うのは土木建築の中でも特殊で面白い位置にあるんじゃないかと思います。
何十年も、ダムによっては100年以上も前の、技術者や地域の方々の思いがタイムカプセルのようにそのまま現代まで生き続けている。
こんな情緒あるダムのコンクリート高欄を観る度に、そんな事を思うのです。



柴木川ダム
★★★


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鱒溜ダム

堤高19.2m
G/P 1939年 中国電力

2010.11.7見学


立岩ダムを後に、そのまま下流へ下って行きます。
ぽつぽつと民家があり、川沿いの集落を抜けます。

川は集落の脇を流れていて、道を挟み民家とそれほど離れていないのですが、とにかく川の中の岩が巨大で驚きます。
しかも、どの岩も鉄砲水で流された様にゴロゴロと川の流れの中で積み重なっているのです。
立岩ダムはもの凄く厳しい川に造られたダムだった様です。

そして、立岩ダムと共に、この川に建設されたのがこの鱒溜ダムです。

ゲートレスの小柄な堤体。とてもシンプルな簡素なダムです。
右岸寄りの放流設備より河川維持と思われる放流中。



所々苔むした越流部。
朝露に濡れ黒々とした表面は、どこか生き物の皮膚をイメージします。



ざばざばと白い飛沫を上げていた放流設備は、ピアの内部に内蔵されています。

船を思わせる造形がいいですね。
川の流れを切るのは、波を切って進む船と似たような物なのかもしれません。
そう思うと、渋い色の管理橋が桟橋に見えてきました。



小さな堤体なので貯水池もコンパクトです。湖面は眠っているように静かな表情。
発電所への取水口は、ダム本体とは全く別の場所にありました。

面白いのは取水口の向きが、川の流れに対して上流を向いている事です。
ここから送水する発電所の、方角の関係もありますが、さっき見た上流のゴロゴロとした巨石の事を思い出しました。
大水の度に、巨大な岩が押し流されて来ては取水設備もたまった物ではありません。
ひょっとすると、濁流と流れて来る岩から設備を守るための向きなのかもしれません。

そう思うと、鱒溜ダムのシンプルなゲートレスの構造にも、そういった意味があるのでは?
鱒溜ダムは、見た目はシンプルだけど、どこか奥深い物を予感させる魅力的なダムなのでした。



鱒溜ダム
★★★


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立岩ダム

堤高67.4m
G/P 1939年 中国電力

2010.11.7見学


中国自動車道吉和SAで車中泊し、すぐ近くの吉和ICから立岩ダムを目指します。
インターを降りて10キロ少々なのでそれほど遠くはないのですが、民家もなく狭路が延々と続く貯水池のインレット側からのアプローチとなります。
この立岩ダムへは、もうひとつ東の戸河内ICから向かうのがベターかもしれません。

11月の早朝。
霧につつまれた少し眠たげな空気は、まだ夜の匂いを残していました。



左岸の管理所脇に車を停めて歩きます。
立岩ダムは1939年に竣工した戦前のコンクリートダムです。

堤高は67.4m
これは戦前・戦中に完成しているダムではなかり高いダムと言えます。
戦前は〜1941年まで、戦中は〜1945年までとすると、この様になります。

1. 塚原ダム  87m      1938年
2. 三浦ダム  83.2m   1945年
3. 小牧ダム  79.2m   1930年
4. 大橋ダム  73.5m   1939年
5. 祖山ダム  73.2m   1930年
6. 立岩ダム  67.4m   1939年
7. 千頭ダム    64m      1935年
8. 岩屋戸ダム   57.5m  1942年
9. 帝釈川ダム   56m     1923年
10.小屋平ダム  54.5m  1942年
                  (間違いがありましたらご連絡ください)

こうやってランキングにしてみると、エンペラー塚原の凄さが判りますね。
千頭ダムが実はこんなに高いダムだったと言うのも驚き。

立岩ダムですが、立地と周辺の山林の都合で正面から堤体の全景を見る事はできません。
マニア的には少し残念ですけど、そういうミーハーな部分はまるで関心がないぞ、って所も発電用ダムの男らしい魅力だったりします。



クレストには6門のラジアルゲート。
角ばったゲート間の扶壁の形状が際立って見えます。

この時代のダムならば、もっと角の取れた形状をしていると思うので、この辺りは後から改修工事が施されているのかなと想像しました。



左岸の県道から脇の歩道を進むと、意外な事に天端が解放されていました。
集落の途切れた深い山中なので、てっきり天端には入れないと予想していたのです。

天端の幅は5m弱といった感じ。真っ直ぐに対岸まで伸びています。



ダム中央部にならぶクレストゲートの設備。
巻揚機は下流側の天端通路から一段高くなった場所に並んでいます。

その下の隙間から越流面が見えるはずなのですが、二段のガードレールで厳重に塞がれています。



ガードレールの隙間にレンズを突っ込んで下流面を拝見。
真っ黒なコンクリート、男の色香が香ります。

この時代のコンクリートダムは、越流面や導流壁の、水に逆らわない自然で素直なカーブが持ち味ですね。
例にもれず立岩ダムもいい表情をしています。



管理所は県道脇にあるので、ダムを渡った先の右岸にあるのは取水設備や関連の建物の様です。
発電所への取水設備は、ダム本体とは数メートル離れた岸にあるのですが、天端から通路が渡されていました。

ねじる前のウインナーのような網端も特徴的。



霧に煙る貯水池。

がらららら。
しゃぽーん。

時々、岸部から石が転げ落ちる音がしました。
鹿か猪の仕業かもしれません。



静まり返った山中にあって、一人黙って黙々と仕事を熟す。
そんな、とても男らしい風情のある立岩ダムでした。

立岩ダム
★★★★


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弥栄ダム

堤高120m
G/FNWIP 1990年 国交省

2010.11.6見学

いまどきのお父さん。


本庄水源地を堪能した後、傾いた太陽と競争しながら急いで来たのが弥栄ダムです。
北の温井、南の弥栄、二基のダムは広島県を代表するツートップです。見逃す訳には行きません。

国道のトンネルを抜けて、ダムサイトまでの脇道に入ります。
わお!
なんだかとても大きなコンクリートの塊が見えました。弥栄ダムに到着です。



ダムの左岸には管理所のほかに、立派な展示施設もあります。
いつもの様に閉館時間ぎりぎりで飛び込みました。

むむっ。ダムカードが見当たりません(見つけられなかっただけだと思います)
日が暮れそうなのでカードは諦めて、本物の弥栄ダムを観に行きます。



展示施設正面からの眺め、ダムサイトは公園が整備されています。

また、弥栄湖の湖畔にはキャンプ場やスポーツ施設などのレジャースポットが点在し、湖畔には遊歩道が整備され、家族で沢山遊べる場所となっています。



弥栄ダムの大きさ、堤高は120m。
これだけでも巨大なダムなのですが、堤頂長の540mは重力式コンクリートダムでは全国5位のスケールです。
堤体積155万㎥は、並み居る堤高140〜150mクラスのノッポダムに混じって堂々のベスト10入りです。

コーナーのある堤体は有峰ダムを思い出します。



歓声を上げて親子が天端を駆けっこ。
これは長〜いダムの正しい楽しみ方です。

ちなみに、うちの妻子ではありません。

「自分の家族はちっとも撮らないクセに、よその子は撮るのか (怒」
と、嫁に怒られるのでこの写真は内密にお願いします(笑)。



僕も思わず童心に帰って駆け出したくなる広さですが、中年男が一人で走ってると忘れ物をして焦ってるオヤジにしか見えないので自粛。

それでものんびりしてると日が落ちそうなので早足で天端を散策します。



ダム中央には4門のラジアルゲート。
このところ古いダムが多かったので、久しぶりのクレストゲートらしいゲートです(新鮮)

手前のエレベータの横に弥栄ダムのマスコットキャラクターのヤッシーくんが付いています。
ヤッシーくんは、体長7m、体重10t、年齢不詳のプロントザウルスです。
性格はおとなしく子供と遊ぶのが大好きですが、好物がブラックバスという獰猛さも併せ持っています。



クレストゲートの付近にこんなプレートがありました。
ダムの中心は県境になっています。
ダムの所在地は左岸住所となりますので、半分は山口でも弥栄ダムは広島県のダムと言う事になる訳です。

弥栄ダムは国交省のダムなのでどちらの県のダムなのかに拘る事はありませんが、富山と岐阜にまたがる境川ダムは、半分は岐阜県なのに、富山県営のダムです(涙。
岐阜県ってダムの基数は多いけど開発時期が古く、背の高いコンクリートダムは意外と少ないのです。
境川ダムが岐阜のダムだったら、重力式ダムでは県下ナンバーワンの好待遇でお迎えするのですが・・・。



天端からの眺め。
うむむ。120mはやっぱり高い・・。お尻がスースーします。
中国地方の瀬戸内側は、90mクラスの重力式ダムなら意外と沢山あるのですが、100超級は流石に違います。

減勢工も迫力あります。



こちらは貯水池の弥栄湖。
1億1200万㎥の総貯水容量を持つ大きな湖です。

水が綺麗ですね。



540mを歩いて右岸にやって来ました。
弥栄ダムの堤体は両岸に軽いコーナーを持った独特の形状をしていました。



1990年竣工なので、まだまだ二十歳を過ぎた辺りの若いダムです。
正面のコンクリートも白く綺麗です。

選択取水設備も西日に白く輝いて綺麗でした。



右岸には秘密基地のような建物がありました。
巡視艇の繋船設備みたいです。

それと、この奥にはダム本体の取水設備とは別に、山口県の取水設備がある様です。



天端を一通り見学した後、一旦国道を戻って下流の川に沿って登ってきました。
ダムの真下までは行く事は出来ませんが、そびえる弥栄ダムが見えます。



そんなに恐縮しなくても・・・。
もうすでにこの看板自体がひっそりとした場所なんだからもっと主張しても良いですよ。

奥ゆかしき中国電力さま。

ヤッシーのふるさと・・・。
って、事は巣立って今は湖に居ないのか???

消息情報求む!



やや横顔の弥栄ダム。

凄い男前です。
カーブした堤体は逞しい腕を思わせ、包み込むような包容力をイメージします。

すかーっと晴れた空ならもっと凛々しく見えたはず。
でも、やっぱりカッコいい!。


ダムを下から見上げた後は弥栄湖を通過して、夜が来るまでにもう1基別のダムに行けそうなのですが、正面から見たあまりの大きさに思わずUターンして戻って来てしまいました。

ビッグボディ弥栄ダム。
たくましい大きな背中です。



おや、
さりげなくお洒落??
いやいや。



県境を跨ぐ弥栄ダムは、FNWIPと幅広く活躍する働き者のお父さんのようなダムでした。
周辺に沢山レジャー施設が整っていて、オフの日も大切にする今時の優しいお父さんといった感じでしょうか?

うむ、ちょっとは僕も見習わないとね。

弥栄ダム
★★★★

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本庄水源地堰堤

堤高25.4m
G/WI 1917年 呉市営

2010.11.6見学

名門の誇り。


二級ダムを後に、県道31号を北上し、次の目的地に向かいます。
車窓から風格あふれる石積ダムが見えました。本庄水源地堰堤です。

周辺に沢山の団地や住宅地があり、交通量が多く車を停めるのも一苦労です。
安全な路肩に停め、歩いてさっきダムが見えた所に戻って来ました。

今まで沢山の石積ダムを観てきましたが、本庄水源地堰堤はどのダムとも違う意匠を施されています。他のダムとは比べ物にならないほど装飾的。



もう少し近くから見えないものかと、県道脇の敷地の入口に来ました。
入口から先は一般車両は入る事が出来ません。

水道水源である本庄水源地は、関係者以外立入禁止の施設であり、ネット上でも堰堤のディティールが解るような写真はほとんど無く、とても謎に充ちた施設です。



歩いて施設の正門まで来ました。
数年前までは、この奥に浄水場がありましたが、現在は廃止されてありません。

訪れたのは土曜の昼下がり、門は開いていますが・・・。



とても警備が厳しいようで、うかつには近寄れません。
水源の警備は市民の衛生と安全の為にとても重要な事です。
ダムファンとしてはとても頼もしく思います。

この場所からは、どう背伸びをしてもダム本体はおろか、貯水池だって見る事が出来ません。やはりここまでか・・・。
諦めて戻ろうとした時に、本庄水源地にダム巡りの神が降りました。
門の中に見える管理所から、敷地の落葉掃きに職員さんが出てこられたのです。

「こんにちは〜!」

門の外から大きな声で声を掛けました。



ダムの神は本物でした。

職員さんにお願いをすると、ご厚意で特別に敷地内から見学させて頂ける事となりました。(自分の名刺と一緒に、初めて「ダムマイスターカード」を提示したのですが、その効力についてはよく解りませんでした)

セキュリティの厳しい水道水源は、正門に入った後も複数の堅いガードで守られています。
管理所からフェンスに囲まれた庭園に入る為に、常時施錠の入口を開けて頂きました。

貯水池に直接接する水際や、堰堤の天端はこのエリアからは入る事が出来ません。
フェンスは敷地内で二重になっていて、また別の入口の開錠が必要となります。
水際は完全に関係者以外厳禁のエリアです。

下の写真は庭園エリアからフェンス越しに撮りました。



周囲を森に囲まれた閑静な貯水池です。
突然の来訪者にばたばたと水鳥が飛び立ちました。



凄く寄りで撮影していますが、庭園エリアからフェンス越しに撮っています。

直接その素晴しい堰堤に触れる事は出来ませんが、これだけ近くで見学する事が出来て感激です。
軽くアーチのついた天端は、高欄が滑らかな曲線を描き、岸の上まで伸びていました。



右岸からの天端です。
堤高は25mと当時としてもそれほど高い堤体ではありませんが、堤頂部の幅はゆとりがあります。

天端は岸から階段で数段降りた高さにあります。
縞鋼板のスロープが置かれ、警備の方が自転車で往来していました。
軽自動車と思われる走行跡もありますね。



本庄水源地堰堤の竣工は1917年まで遡ります。

明治22年(1889年)、海軍の重要機関である鎮守府が呉市に置かれます。
鎮守府は全国に4箇所しかなく、呉市の他に横須賀、舞鶴、佐世保です。

本庄水源地は、呉海軍工廠ので使用する水源として当時の日本海軍によって建設された軍事施設です。
呉海軍工廠は戦艦大和を建造した造船の名門と言えます。およそ10万人が就労する世界でも稀に見る大規模な軍需工場でした。



貯水池はダム湖百選にも選ばれています。
右岸にプレートを埋め込んだ石碑がありました。

また、本庄水源地の各施設は国指定の重要文化財の指定を受けています。
ダム本体の本庄水源地堰堤、施設内にある丸井戸、第一量水井、庭園の階段が重文となっています。

国の重要文化財はハイダムでは僅か6基、15m未満のローダムや砂防堰堤を含めても11施設に過ぎません。本庄水源地堰堤は大変貴重な近代遺産です。



滑らかなアーチ状の天端。

下流側にせり出して石材が積まれたクレスト部。
それを支える扶壁が独特のリズム感と、彫りの深い立体的な表情を魅せています。

白い御影石によく似合った淡いブルーの高欄は、爽やかな風のようです。

本庄水源地堰堤のクレストは、重厚さよりも、女性的で品の良いエレガンスを強く感じます。



右岸の土手から眺める堰堤下の様子。

現在は呉市が水道施設を引き継ぎ、呉市の水道水源となっていますが、周辺には現在も海上自衛隊の土地や施設があり、この地の生い立ちを色濃く感じます。

当時この場所には海軍の呉通信隊の基地があり、「ニイタカヤマノボレ」や、「トラトラトラ」等の有名な暗号がこの地を経由して洋上の艦隊や本土の基地に転送されたそうです。

また、戦後しばらく堰堤下には通信用の鉄塔が残っていましたが、頻繁に雷が落ちる為、水道局の要望で撤去されました。(ダム管理所の目の前なので、雷が落ちると相当怖かったそうです)

下に見える丸い大きな穴は国の重文の指定を受けている丸井戸です。



土手から階段を下ってきました。

竣工時からのこの階段も、国の重要文化財です。
幅3.6m、長さ36.5m。三段になった土盛りに真っ直ぐ石段が伸びています。



堰堤下からのダム施設の全景です。
ごみひとつ落ちておらず、清掃が行き届いていて、とても心地よい空間です。



視線を左に向けると階段状の水路が見えます。

カスケード形洪水吐!
と、ダム目線で単純に思ってしまいそうですが、これは洪水吐ではありません。
本庄水源地の右岸には、貯水池の右岸に沿って、別に独立した水路が掘られています。



右岸にそって500mほど県道を走ると、本庄水源地の洪水吐が見えてきます。
堰堤と同時期に造られた古い設備なので、吐のスロープも一面石張りです。

この洪水吐から出た水は例の水路に放流されますが、水路はここが最上流ではなく、貯水池の右岸に沿って、お堀のようにずっと上流まで続いています。

二河川を完全に堰き止めて、軍事施設である本庄水源地は建設されました。
その為、下流の既存の農業用に海軍によって人工的に掘られたのがこの水路です。現代の地図ではこの人工の水路が二河川を名乗っています。

装飾的な石積が特徴の本庄水源池堰堤ですが、右岸に沿って掘られたこの水路も軍事目的として建設された施設として他に無い大きな特色だと思います。



洪水吐の隣は公園が整備されています。

案内図の上部が貯水池、下側が農業に使う水が流れる人工水路(二河川)です。
公園の左隣が洪水吐。

警備上、公園からは湖面に触れる事も見る事も出来ません。
それでもこの時は何組かの家族連れが散歩に訪れていました。

地元のファミリーに愛されるレイクパーク本庄です。



公園内から、もっと近くで洪水吐が見れないかと思ったのですが、フェンスと樹木が邪魔をしてよく見えません。

ノーファインダーでバンザイポーズで写したのが下の写真。
よって肉眼では見ていません。

吐の上の管理橋は意外と幅もあり、しっかりした造りです。
フェンスが空いていて、通行できる風にも見えますが、写っている範囲は全て立入禁止の区画です。



再び写真は先程の右岸の土手からの眺め。

丸井戸は横に流れる二河川から、水道設備に直接取水する為の施設です。
二河川から取水した水を沈砂し、第一量水位に送ります。

貯水池が何らかの事情で取水出来なくなった時の緊急用として、堰堤と同時に造られましたが、実際に使われた事はほとんど無く、現在は水利権もあって使われる事はありません

この水道施設が建設された時代は、何よりも軍事最優先の時代だった事が伺えます。



敷地内から堰堤の真正面。

写真右手にあるのが第一量水井で、ここも国の重要文化財となっています。
堰堤の取水塔や、丸井戸からの水を集め、取水場に送り出す設備です。



見上げる本庄水源地堰堤。
規制線があり、触れるほど真下へは行けませんが、こんなに近くで鑑賞できるという幸せ。

雲ひとつない秋空に白御影石が眩しく映えています。
立体感のある装飾が陰影を作り、効果的に堰堤を美しく魅せます。



装飾が美しい本庄水源地堰堤。

西洋建築が近代化のシンボルであった時代にあって、この堰堤も西洋建築をモチーフにしてデザインされたのでしょうか?
でも、観れば見るほど、本庄水源地堰堤のデザインがとても特殊なニュアンスを持っている様に思えるのです。
華美な装飾は、最初はバロック建築をイメージしていましたが、どうもしっくり来ません。

サッシ以外は竣工当時のままの取水塔には、日差しのある大きな屋根が付いています。
建物なのだから雨除けの日差しがあるのは当然なのですが、石積ダムの取水塔は西洋の城を思わせる外観となっているのが普通で、この様に大きな屋根が乗っているのは非常に珍しいのです。

これは明らかに西洋建築ではなく、アジアや日本の木造建築を思わせるデザインです。
そう思うと、クレストの造形や立ち並ぶ扶壁が神社仏閣の梁や柱のように見えて来ました。

そもそも、石積ダムは西洋で生まれた舶来品です。
堤体の装飾は西洋の様式に準えるのがスタンダードであり、実際、神戸や長崎の石積ダムは当時の西洋建築を思わせる歯飾りがクレストに並ぶなど、西洋建築の潮流に沿ったものだと言えます。

しかし、この本庄水源地堰堤については、そこから一歩踏み出した、日本独自の様式美を目指していたのではないでしょうか?。

この独自性のある外観に、この堰堤を設計した帝国海軍の誇りのような物を感じるのです。



下部の設備には本庄貯水池の石碑。
左右には竣工年と完成年を刻んだ石板があしらわれていました。



クレストが下流に向かってせり出した造形なので、付近は雨に濡れる事なく竣工時の白さを保っています。
竣工から90年以上経過しているとは思えない白さですが、表面の石積は全て当時のままだそうです。堰堤が南西向きなのも、白さを保っている要因かもしれません。

雨に濡れる下部は黒く色付いていていますが、その姿は冠雪の富士山を思わせます。

実に日本らしい和風メイソンリー。
その解釈が正しいのかは解りませんが、現地ではそんな風に感じました。



一通り見学を終え、お礼に管理所に行きました。
開けて頂いた庭園エリアの施錠がありますから、一声掛ける目的もあります。

「よかったら、天端も見ますか?」

それは思ってもみない嬉しいお誘いでした!
勿論、こんな機会を逃す理由はありません。

先程とは別の入口の鍵を開けて頂き、再び天端右岸にやって来ました。
今度は庭園エリアを囲むフェンス越しではありません、関係者しか決して入る事の出来ない施設の最深部です。



天端上から眺める下流の敷地。
丸く円錐状に盛られた右岸が綺麗です、芝が青々と生える時期にはもっと美しく見えると思います。

また、古い施設にも関らず、植込みの木々が小さく整然としています。
百年に届くかという古い施設ですが、剪定や手入れが丁寧に行われ、その古さを感じさせません。
それは、竣工当時の姿を維持してると言う事です。



すっかり感激してしまい、天端ではほどんど写真らしい写真を撮っていません。
この写真は、天端に本当に入れて頂いたという証明になるのでは?。



舞い上がってしまいPLフィルターの存在を忘れていました。
写りこみで大変見づらいのですが、天端の中心にある取水塔の内部です。

バルブ操作の設備ですが、非常に凝った洒落たデザインとなっています。
海軍が設計したダム設備なので、帆船のデッキにある船の金具に類似するデザインとなっているのです。本庄水源地のデザインは細部まで隙がありません。

軍港や造船ドックなど、水際の土木工事に掛けては最高の技術を持っていた海軍による施工なので、石積の精度は非常に高く、それは水面と石積みのラインで確認する事が出来るそうです。



天端から貯水池を見ると、池の中に小さな島が浮び、水神様が祭られていました。
それも不思議なくらい堰堤に近い水面にあります。池の水を抜くと島の裾は堰堤に直接掛かっていると思う程の距離。

少しでも貯水量を確保する為に、地山ごと撤去されてもおかしくないのですが・・・。
何か特別なエピソードが潜んでそうな雰囲気です。

水神様の島の前後には、エアコンプレッサを使った循環装置が稼働中。



国の需要文化財、本庄水源地堰堤。

海軍の力を象徴する華美な装飾を施し、軍事施設として大正6年に建設されました。
威厳と誇りに満ちた立派な堰堤は、90年以上経た現在も呉市水道局の方々の手で大切に守られています。



誇り高き日本の名堤。本庄水源地堰堤
★★★★★

今回は、管理者さまのご好意により特別に見学させて頂きました。
大変貴重な文化遺産をご案内いただき、本当にありがとうございました。

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二級ダム

堤高32m
G/WIP 1942年 広島県営

2010.11.6見学


広島県の二級峡にある二級ダムにやって来ました。
国道375から旧道の脇道に進むと、道はトンネルの入口で行き止まりになります。

路肩に車を停め、ここから先は徒歩となりますが、目指す二級ダムはすぐ脇に見えています。



二級ダムは呉海軍工廠への送水と電力の供給を目的に戦中の1942年に完成しました。
戦争が終わり、発電事業は中国電力が、水道事業は呉市が引き継いでいます。

現在は上水道への給水は行われておらず、呉市水道局のパンフレットを見ると、やはり工業用水専用の水道施設となっていました。(下流の臨海地域に大きな製紙工場があり、主にそこに給水しているのかなあと想像)



天端の上は遊歩道に使われています。
中国自然歩道の矢印看板に誘われるまま天端を進みます。



ダムの天端より下流を観ます。

ダムの下に見えるのは二級峡の力強い岩盤です。
吊橋が掛かっていますね・・・遊歩道の吊橋みたいです。

さらにその向うに小さく集落が見えるのですが、不思議なくらい遠くに見えます。
写真では伝えづらいのですが、二級ダムは山間の小高くなった場所にあり、吊橋から下流は数段に分かれた滝になっています。

二級ダムは真下に降りて近くから堤体を見上げる事が出来るらしいので、後から行ってみる事にします。



四国・中国型のゲートピア。
ゲート操作のワイヤーの下を歩きます。



型枠の木材の跡がくっきり残るコンクリートの表面。
戦前、戦中のダムですからね。



さっきから、ウインウインと大きな音を立てているのは浚渫作業中のフロートでした。
ぐういいいいん。じゃばじゃばあ。

浚渫作業を見ていたら突然サイレンが鳴り出しました。12時です。
程なく浚渫のクレーンもエンジン停止。お昼休みに入りました。

じゃあ、そろそろダムの真下に移動しましょうか。
マニアの先輩方のレポートの写真は、下流の右岸寄りからダムを見上げた写真が多かったはず・・・。
ならば下流にはダムの右岸から降りるのかな?・・きっとそうだ。
(今思えばゾッとする間違い)



天端を渡った先の右岸の中国自然歩道は思ったより険しく、時間にして30分、天端の標高から、右岸の山を70mほど登った後、今度は100mほど降りてようやくダムの真下にたどり着きました。疲労困憊。
(みんなこんな険しいルートで降りてたのか、無事帰る体力的な自信がない・・)

一面に広がる広大な岩盤、その上に積み重なる巨石群。
山を登った直後で膝がクスクス笑っていますが、滑らないように注意して脚を運びます。

写真はダムの真下から振り返った所、吊橋方向が下流です。



やっほー。苦労した甲斐がありました。
ここまで近くで寄って見上げる事の出来るダムは少ないですからね。



いつ見てもちょっぴり不思議な感じの四国・中国型のゲートピア。
手前の建物の中に巻揚機が入っています。

(この呼び方は正式名称ではありません、念のため)



岩盤に囲まれた渓谷の、滝の上にある二級ダム。
よくこんな場所を見つけたよなあ、よくこんな場所に建てたものだ・・・。

とにかく立地が特徴的な二級ダムですが、水力発電にはうってつけの場所と言えます。
発電所は二級峡の真下にあって、こんなに貯水池と発電所が近いダム水路式も珍しいのではと思いました。

滝の上にある貯水池。ちょっぴりセバ谷ダムを思い出します。

ダムが出来た事により、二級峡や二級滝は枯れ川になっています。
計画が戦前戦中なので、そんな事はお構いなしだったんでしょう。
華厳の滝みたいに時々観光用に放流するのも良いかも。でも、そうなるとダムマニアは自由に真下に来れないか・・・。うーむ。

ダムを見上げ体力が回復するまで、しばし色々な事を考えました。



帰り道は、来た道を引き返す程の体力が無かったので、一か八かで違うルートで帰る事にしました。
帰りは赤い吊橋を渡って左岸に登ります。

写真左の岩山が来た時に転げるように下って来た山です。

吊橋はグレーチングのシースルーだあ〜、わーっ。わーっ。(汗
吊橋の後はしばし九十九折れの階段、その後は水平移動ですーいすいっと・・・。



ありゃりゃ、何処だここは。

あっけなく到着したのはダムの左岸でした。

・・・・・・あ。



教訓。
二級の真下は左岸より。

そう肝に命じた二級ダムハイキングでした。

二級ダム
★★★★

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