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オールドコンクリートダム型録


しばらくぶりのブログ更新、前回の戦前のハイダム型録に続いて、それよりも古いオールドコンクリートダムを竣工年が古い順に紹介します。

1900年(明治33年)から始まった日本のコンクリートダムの歴史、古いものは既に完成から100年以上経過しています。
私たちの生活を支えるインフラで、100年を越えて尚現役という建造物は、なかなか無いのではないでしょうか?。
これら最古参のコンクリートダムは貿易港や都市の水道施設として建設されたものが多く、その為、比較的訪問し易い場所にあると言うのも魅力の一つと言えます。


第1位
布引五本松ダム 1900年 神戸市

日本で最も古いコンクリートダムは、19世紀最後の年、神戸の水道水源地として産声を上げます。
新神戸駅のすぐ裏手、ハイキングルートやロープウェーで訪れる日本最古のコンクリートダムは、神戸っ子の恰好のレジャースポットとなっています。

阪神淡路大震災にも耐え抜いた堤体は、補修工事により耐震性を強化、湖底の堆積物を浚い、次の100年も現役で神戸の街に水を送り続ける事と思います。

588布引五本松.JPG


第2位
本河内低部ダム 1903年 長崎市

神戸市と共にオールドダムの二大聖地と言うべき長崎市、海外との交流の拠点であった貿易港は、諸外国から侵入するコレラ等の伝染病の侵入を防ぐ水際であり、より衛生的な上水道が熱望されていました。

本河内低部ダムは既に完成していた本河内高部(1891年完成・アースダム)の500m下流に建設され、長らく長崎市の重要な水源地を形成してきました。
昭和57年に発生した長崎豪雨災害を契機に、洪水調節機能を持たせた多目的ダムとしての再開発を受けています。(写真は3年前の工事中のものです、現在工事は完成しているはずです)

488本河内低部.JPG


第3位
西山ダム 1904年 長崎市

本河内低部と共に、長崎オールドダム・ツートップの一翼を担うのが西山ダムです。
ダム本体からわずか50m下流に新しい西山ダムが建設され、オリジナルの西山ダムは首まですっかり水没した格好となっていますが、現役の水道用ダムとして活躍中です。

1999年に完成した新しい西山ダムには洪水調節の能力を持っており、本河内低部と違ったアプローチで多目的ダム化への再開発が実施されています。

492西山.JPG


第4位
立ヶ畑ダム 1905年 神戸市

布引五本松ダムから西へわすが2km、直線的な布引五本松と比べ、アーチ状の柔らかな姿がとても美しい立ヶ畑ダムです。
曲線重量式はアーチ作用を期待する(具体的な計算はされていない模様)目的と、コンクリートが硬化する時の伸縮に対して、直線よりも柔軟性があるとされていたそうです。

神戸市街のすぐ裏手ながら静かな貯水池は周囲を緑に囲まれ、湖畔から眺めるその姿は100年前にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。

585立ヶ畑.JPG


第5位
藤倉ダム 1911年 秋田県秋田市

東北初の本格的な水道施設として誕生、以来秋田市の水道水源として活躍してきました。
1973年の運用終了後は「忘れ去られた水源地」として余生を送っていましたが、近代水道100選に選定された事を機会に公園として再整備され、現在は越流が美しいダムとして多くの人々に愛されています。

673藤倉.JPG

第6位
黒部ダム 1912年 栃木県日光市

有名な関西電力の黒部ダムと奇しくも同名の「栃木の黒部」は、コンクリートダム初の発電専用ダムとして誕生しています。発電ダムは「黒部にはじまり、黒部に終わる」と言った感じでしょうか?
堤高の割にやたらと広い敷幅は、実は60m級のダムとして計画がスタートした名残りではないかと推測しています(個人的な憶測です)

441黒部.JPG


第7位
草木ダム 1913年 兵庫県宍粟市

兵庫県山間部、日本のマチュピチュとして人気の竹田城址に程近い所にあります。
ゲートレスのシンプルな堤体、越流部の表面は改修を受けていますが、軽いアーチを描く左右の非越流部は、表面の石張と共にこの時代のコンクリートダムの特徴を持っています。

381草木.JPG


第8位
飯豊川第一ダム 1915年 新潟県新田市


加治川治水ダムの下流、こっそりと隠れるようにあるのが飯豊川第一ダムです。
36.85mの堤高は竣工時は日本に最も背の高い堤体でした。
全面的な改修工事により、石張であったはずの当時の姿は、現在は見る影も無く少し残念。

718飯豊川第一.JPG


第9位
乙原ダム 1916年 大分県別府市

温泉で全国的に有名な別府にあり、温泉観光地の発展を目的に整備された「日本初の観光水道」の水源地として誕生。
もうすぐ100歳を迎えるオールドダムは、今も現役で活躍中です。

646乙原.JPG


第10位
大又沢ダム 1917年 神奈川県足柄郡

宮ケ瀬、浦山、滝沢とスターダムがひしめく現代の関東ブロック、その全てのコンクリートダムの祖先と言えるのが、このエリアのコンクリートダムで最初に建設された大又沢ダムです。
飯豊川第一ダムと同じく、全面改修により近代的な姿にリニューアルされていますが、当時のコンクリートダムのスタンダードであった曲線重力式の堤体は、まぎれもなくオールドダムのシルエットです。

602大又沢.JPG


以上がニッポンのオールドコンクリートダム10ベストですが、飯豊川第一と大又沢は、全面改修により当時の姿とはかけ離れており、オールドダムとしての魅力に今一つ欠ける所があります。(第6位の黒部ダムは当時のイメージを残しつつ、再開発されていますね)
なので、ランキング繰り上げで11位、12位のダムもおまけでご紹介。


本庄ダム 1917年 広島県呉市

帝国海軍呉海軍工廠の水源地として築堤された名堤。
国家高揚を謳い上げるかのような華美な装飾、緻密な仕上げは、大正4年の竣工時のオリジナルを維持しており、軍港建設も手掛けていた海軍の土木技術の高さを証明しています。

518本庄.JPG


千本ダム 1918年 島根県松江市

日本の城壁を思わせる美しい谷積が印象的。
直線重力式と幅広の余水吐のシンプルなレイアウトは藤倉堰堤とも良く似ており、東の藤倉、西の千本といった所でしょうか。

460千本.JPG


史実としては、この年代では、高原ダム(1917年 奈良県 堤高20m)、野花南ダム(1918年 北海道 21m)が完成していますが、これらのダムは廃止され、堤体は現存していないようです。

また、1918年には函館の笹流ダムに先駆ける事5年、国産初のバットレスダム・手井ダム(堤高21m)がサハリンに誕生していますが、何せ樺太なので実際に訪問しようがありません。
衛星写真をしらみつぶしに観察したのですが、いくつかのフィルダムは確認したものの、手井ダムと思われるダムは見つける事が出来ませんでした。
凍害が問題となりやすいダム型式ですので、廃止され、もう現存していないのかもしれません。


シリーズ・ダムカタログ(堰堤型録)、次回は、この時期のローダム(堤高15m未満)をいくつかピックアップしたいと思います。

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戦前のハイダム型録


個人的な好みを言うとフィルダムよりもコンクリートダムが好きです。
その中でも大型のオールドコンクリートダムは、石張堰堤と並び僕の大好物と言えます。

題して「戦前のハイダム型録(カタログ)」
今まで実際に訪れた戦前のオールドダムを、堤高順にベスト10でまとめました。
戦前の範囲ですが、細かく区分すると〜1941までが戦前、終戦の1945年までが戦中とも言えますが、ひっくるめて1945年以前に完成したダムとしました。

この時期を代表する大型ダムは、ほぼ間違いなく発電専用のダムだと言えます。
発電の為だけに建設されたダムたちは、絶対的な機能主義を前提としつつ、戦争へと突き進む大きなうねりの中で、まるで国家高揚を謳いあげるかのように、力強く、威厳に満ちたディテールを併せ持つ事が特徴です。


第1位
堤高87m
耳川のエンペラー 塚原ダム(1938年)宮崎県

その堂々たる姿は皇帝と呼ぶに相応しい威厳に満ちた堤体です。
西洋の砦を思わせるクレストの造形、そして何より滑らかで美しい堤体表面が、観る者に高貴な印象を与えます。

ダム建設には、日本のコンクリート研究の先駆者であった吉田徳次郎氏が顧問として参加。コンクリートの配合や骨材の選定など、現代のコンクリートの基礎とも言える技術が凝縮されています。
ちなみに吉田徳次郎氏は少し前にアップした広島の「鉄筋コンクリート船」の産みの親でもあります。

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第2位
堤高83.2m
大同電力のフラッグシップ 三浦ダム(1945年)長野県

福沢桃助が計画し、ニッパツの手よって完成した木曽川最上流に待ち構えるラスボス。
非越流の巨大な堤体が醸し出す迫力は、日本離れしたワールドクラスのサイズ感。
それは電力王・福沢桃助の夢のスケールを物語っています。

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第3位
堤高79.2m
庄川のダム神 小牧ダム(1930年)富山県

石井頴一郎氏によりコンクリート内部発熱に関する本格的な研究が実施され、耐震設計論で名高い物部長穂氏や、後に小屋平ダム(下記10位)をデザインする山口文象氏も建設に参加するなど、いろんな意味で話題が尽きません。
巨大な曲線重力式はアーロックダム(1916年アメリカ)を参考にしたもので、具体的な計算はされていないものの、アーチ効果を期待したものと言われてます(基礎岩盤に現れた断層を避けるにも都合が良かったとも)

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第4位
堤高73.5m
吉野川のオールドジェントルマン 大橋ダム(1939年)高知県

貴族的な印象のクレスト部。
「若い頃はブイブイ言わしたもんじゃよ」
そんな事を語ってくれる、素敵な老紳士です。
現在は稲村ダムという若い相棒をコンビを組み、生涯現役を貫いています。

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第5位
堤高73.2m
庄川ワンダー 祖山ダム(1930年)富山県

高さ73mの本堤は国道から奥まった所にあり、そこに辿り着くまで、流木設備の遺構が残る副堤など、ちょっとした探検気分が味わえる物件です。
3位の小牧ダムの上流にあり、セットで訪問される事をお勧めします。

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第6位
堤高67.4m
広島の秘密電気工場 立岩ダム(1939年)広島県

早朝の薄暗く深い霧の中を延々走って辿り着いた事もあり、とにかくすごい山の中にあったという印象があります。
周囲は民家はおろか何もなく、ただひっそりと静まり返っています。
深い山の中、だれに見られる訳でもないのに、ただ黙々と任務を遂行する・・・。そんな発電専用ダムの鏡のようないじらしい姿に、涙腺が緩むのを抑えきる事ができません。

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第7位
堤高64m
千頭ダム(1935年)静岡県

このダムのみ未踏の為、写真はありません(ごめんなさい)
過去の資料でしかその姿を見る事はできませんが、実は64mもある事に驚きです。
元々徒歩でしか行けない物件、さらに水害や地震による災害により現在は立入厳禁となっています。
さいはての地に多いこのジャンルの中でも、とびきり訪問難易度の高い(訪問不可能)物件です。


第8位
堤高62.1m
石張の楔 帝釈川ダム(1931年嵩上)広島県

なんとここで、元「石張ダム」がランクイン!
60mを越える堤高にして堤頂長わずか35mと言う、日本一縦長のダムとしても有名です。
全面的な再開発により、石張当時の姿は見る影もありませんが、急峻な谷に打ち込まれたクサビのような姿は今のなお健在です。
ダム本体までは歩道を伝い徒歩でしか行く事が出来ませんが、景勝地とあり遊覧船に乗って湖上からダムを観る事もできます。

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第9位
57.5m
日発スタンダード 岩屋戸ダム(1942年)宮崎県

上流の上椎葉ダムが放つ後光が鮮烈すぎて、その影になってしまい、いまひとつ印象の薄い物件ですが、よく見ると、有機的な堤体導流壁、臼状にラウンドした減勢工など、ニッパツらしい特徴に溢れたダムでもあります。

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第10位
堤高54.5m
名堤のオーラ 小屋平ダム(1936年)富山県

魔境・仙人谷ダムと揃いの、戦前を代表するデザイナーズダム。
黒部トロッコからはその上半身しか観賞できない事が本当に残念。
間違いなく、日本を代表する名堤のひとつではないかと睨んでいます。

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さてさて、堤高ベスト10は以上ですが、参考に1945年には着工済で、終戦直後に完成した背の高いダムを紹介しますと・・・。

長沢ダム(71.5m 高知県)

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高暮ダム(69.4m広島県)

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相模ダム(58.4m神奈川県)

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などがランキングにくい込んできます。
小河内ダムや有峰ダムなども戦前着工組ですが、ジャンルとしては少し異なる感じですね。

それでは次回もまた、別ジャンルでダムカタログとして紹介したいと思います。
乞うご期待。



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