-
スポンサーサイト
-
2020.03.26 Thursday
一定期間更新がないため広告を表示しています
| スポンサードリンク | - | - | - | pookmark | -
御調ダム
-
2013.06.28 Friday 12:43
堤高53.1m
G/FN 1988年 広島県営
2012.11.23見学
本日の広島ダム巡り、最後の目的地は建設も大詰を迎えていた某コンクリートダムとしていたのですが、山陽道からそのダムへ向かう道すがら、全くノーマークだったダムが現れました。
デミオ号急停車。
晩秋の日暮れが早い季節、残された時間は多くありません。
ともかく、わわわーっと、大急ぎで見てまわる事にしました。
この御調ダムは洪水調節を主な目的とした県営のダムです。
クレストに並ぶ洪水吐。
堤高53.1mと、そこそこ立派な大きなダムです。
ちなみに「御調」と書いて「みつぎ」と読むそうです。
(口には出しませんが、今も頭の中では「ごちょう」と読んでしまいます)
この規模の県営ダムとしてごくスタンダードな感じです。
なかなか特徴を見出すのが難しいダムですが、真面目でしっかり者という感じはよく伝わって来ました。
薄味なレポでごめんね、御調さん。
御調ダム
★★ -
野呂川ダム
-
2013.06.25 Tuesday 12:14
堤高44.8m
G/FN 1975年 広島県営
2012.11.23見学
今回の中国ダム遠征、ちょっと寄り道して以前からずっと気になっていた遺構を訪れる事にしました。
(元々このブログ、「SIDE WAY」→寄り道・道草、って意味なのです)
やって来たのは呉市東部にある安浦と言う漁港。
目的のその遺構は直ぐに見つかりました。
「鉄筋コンクリート船」
太平洋戦争末期、深刻な鉄不足と造船技術者不足から、海軍で4隻の鉄筋コンクリート製の貨物船が作られました。
鉄筋コンクリートなら、鉄の使用は最小限で設計から造船まで「土木技術者」で出来ると考え出されたのだそうです。
4隻の貨物船のうち2隻は戦時中に沈没や座礁により早々に役目を終えましたが、2隻が戦火を潜り抜け終戦を迎えています。
安浦漁港にはその生き残った2隻、第一武智丸と第二武智丸が、「防波堤」として現存しています。
終戦直後、中国地方を襲った枕崎台風によって安浦漁港も甚大な被害を受けます。
漁業組合は防波堤の建設を県に要請するも、地盤が悪く防波堤の建設は困難とされました。
そこで、終戦により廃船となった2隻の鉄筋コンクリート船に白羽の矢が立ちました。
前代未聞の鉄筋コンクリート船、一説には完成後も乗組員の確保に苦労したとか。
しかし、出来あがった船は頑丈で、3回魚雷に触れ、機銃掃射を受けるも洋上で修理を施し輸送任務を遂行したという武勇伝も持っています。
また、主に瀬戸内海を航路としていましたが外洋にも出た事もあるそうです。
現在の2隻は船尾を突き合わせる形で港入口に安置され、その上を歩く事も出来ます。
第二武智丸の後部船室部分です。
現在は甲板がなく鉄筋コンクリートの枠だけの姿になっています。
その船室の内部です。
戦後60年以上も防波堤として、時として荒波を受けて来たとは思えないほど、まだまだしっかりとしています。
船室内の船尾部分です。
所々コンクリートが剝れ鉄筋が露出していますが、装備品を外す時に壊されたりもしたのかもしれません。
第二武智丸の甲板デッキです。
総鉄筋コンクリート製であった事がよく解ります。
鋼管の手摺は防波堤として安置後に取り付けられたものです。
船首部分。
鋼船ではなくコンクリートで出来ているという事が、表情としてもよく解る部分です。
細部をクローズアップすると、しみじみとコンクリートで出来ていると実感します。
建造には、学徒動員もされたそうで、型枠の中に流したコンクリートを突き固める作業などに動員されたのだとか。
現在、安浦漁港ではこの二隻の鉄筋コンクリート船を維持、保存して行く形で、大切に扱われています。
「水の守り神 武智丸」
静かな港の水面の向こう、船体に掲げられた文字に、
地元漁港関係者の愛着と感謝の念が伺えます。
漁港の守護神 2隻の武智丸。
★★★★
おっとっと。
思わす流れでレポを締めてしまう所でした。
寄り道から本線に戻って、ここから本題のダム訪問記です。
野呂川ダムは安浦漁港からほんの3、4キロ山間に入った所にあります。
濃い赤色をしたローラーゲートが見えてきました。
野呂川ダムのダム目的はFN、主に治水を目的とした県営ダムです。
堤高44.8m
飾り気はありませんが、整った綺麗な形です。
管理所が対岸にあり、天端も開放されています。
貯水池の奥に岩盤が露呈した山肌が見えます。
原石山でしょうか?。
しゃぱーーーー。
純白のレースのカーテンが晩秋の柔らかな陽光を受けキラキラ。
特にスカートの一番下、減勢工に注ぐ部分の波紋が綺麗で、時間を忘れ見とれてしまいます。
黒いコンクリートの上を、泡を噛んだ転波が常にその形を変化させ、山水画のような模様を絶え間なく魅せてくれます。
今日はいつものように早朝から活動開始していますが、江田島に行ったり、安浦漁港で3時間近く過ごした為、すでに日差しが傾き初めていました。
早々に次のダムが本日の最終目的地になりそうです。
野呂川ダム
★★ -
三高ダム
-
2013.06.21 Friday 12:36
堤高 44m
G/AW 2004年 広島県営
2012.11.23見学
下関で廃ダムを見て山陽道のSAで車中泊、明けて早朝の広島市内です。
まずは呉方面に車を勧めます。
呉市街から南下、倉橋島から早瀬大橋を渡り江田島に渡ります。
江田島を訪れるのは2度目、その昔、修学旅行で来た事があります。
その時は広島から船で訪れた事もあり、江田島はフェリーに乗らないと行けないものとずっと勘違いしていました。
江田島市は、江田島と西能美島、東能美島などに別れています。
目的の三高ダムは西能美島にあり、江田島市だけど江田島じゃない、ちょっとややこしい所にあります。
呉から島々を渡って来た事もあり、意外と時間も掛かってしまいました。
堤高44m。
クレストに自然越流の洪水吐4門、シャツの襟元のような導流壁です。
左岸から天端に到着です。
素気ないほどシンプルな天端です、丸い取水設備の赤い屋根が唯一のポイント。
あまりにも素気ない天端は違和感を覚える程ですが、それもそのはず、辺りを見回しても、ダムの管理所らしき建物が何処にも見当りません。
天端からの眺望。
ダムから3、4キロ先に三高港があり、その向こうに広島湾の海も見えます。
天気がどんよりしてるのがちょっと残念。
貯水池はそれほど広い印象はありません。
ダムサイトが一番幅広く、上流に向かって自然に狭くなっている事もあるかと思います。
四角いプールの様な減勢池。
そこからしゅっと狭くなり、護岸された河川に繋がっていきます。
ダム下には浄水場らしき施設が見えます、ダムの取水設備は左岸寄りなので手前の貯水槽の水は??
奥の茶色い外壁の建物がダムの管理所です(こんな所にあるのか)
この三高ダムの、現在のダム目的は水道と灌漑となっています。
現在の目的、と言ったのには訳があります。
三高ダムは、元々は旧海軍の水道施設(海軍兵学校への水道水源)として、1944年に完成した堤高32.6mのダムでした。
戦後は水道水源として利用されて来ましたが、農業用(主に柑橘類、トマト栽培、生花など)の水も取水出来るよう1995年から嵩上工事が行われ、現在の姿は2004年に完成したものです。
嵩上は旧堤体の下流側表面の傷んだ部分を斫った後、下流面を分厚く打ち増す形で施工されています。
堤高の増加は11.4mですが、堤体積は既存の41.000㎥から、78.000㎥ほど追加していますから、おおよそ三倍ぼど大きなダムに生まれ変わっています。
天端から左岸を観ると、天端の高さから一段下に空地が見えます。
たぶん、旧堤体の時の天端の名残かなと想像。
その空地には記念碑の他に「いいもの」があるそうなので行ってみました。
ガサゴソガサゴソ・・・。
なんだか枯れた雑草だらけ。
腰の高さまで茂った雑草の先に、その「いいもの」を発見。
実は、旧堤体の天端の一部が保存されているのです。
洪水吐の部分を切り出した物だと思われます。
天端の幅は2m弱といった感じ、ずいぶん可愛い天端だった事が伺えます。
三高ダム
★★★ -
谷山ダム
-
2013.06.18 Tuesday 12:16
堤高21m
G/P(機能停止) 1939年 神戸製鉄
2012.11.22見学
1012年の晩秋、山口県下関に今はもう使われていない廃ダムがあると知って、早速ちょっと行ってみました。
ダムを観て周るようなって数年経ちますが、ダムを知るまで車で琵琶湖より西は行った事が無かった事を思うと、慣れと言うのは本当に怖いですね〜笑。
夜明け前に自宅を出て一路西へ西へ。
お昼頃はに本州の端っこまで来ました。
眼の前に関門海峡大橋、背後の山はもう九州です。
今回向かう廃ダムは、海からほんの少し山間に入った所にあります(あるらしいです・・・)
神戸製鉄の工場に工業用水を供給する目的で、戦前に建設された古いコンクリートダムなのだそうです。
ここがダムへの入口、どこにでもある感じの山里です。
戦前のダムです、ダムサイトまでは当然のように徒歩で向かう事になります。
丁度いい所に砂防に関する看板がありました。
看板の端っこに、ちゃんと目的の「谷山ダム」も描かれていました。
県道から直線で300mといった距離です、楽勝でしょう(たぶん)。
川に沿って畑の脇のあぜ道を行きます。
距離は無くとも油断禁物。長靴、手袋、クモの巣払い棒のフル装備。
県道から100mほど進むといよいよ山の中へ。
ここでコンクリートの橋を渡ります。
ポイントは急がばまわれで、黄色い矢印のように進む事。
なんとなく上流へ向かうと、川沿いの赤矢印に進んでしまいますが、砂防堰堤で行き止まりになっています。
道はあると行っても、廃ダムに向かう廃道です。
地元の環境調査のグループが、夏頃にホタルの生息調査にダムを訪問したと言う記事を見たので、とりあえず廃道ながらダムまでは行けるはずです。
だんだん険しくなって来ました。
雨で道が荒れても整備される事も無いでしょうから、訪問する人は時には勇退も心得て向かってください。
あと、いくらダム巡りがレジャーとして認知されても、やっぱり廃ダムだけは家族向きじゃありません。
途中で木の橋を渡りさらに進みます。
なんとなく、そろそろかな・・・。
おおおおー!
茂った木々に隠れていたのか!!
林の向こうにコンクリートの壁がどーんと立塞がっていました。
無事、谷山ダム発見です。
直下には人がかがんで入れるくらいの穴が。
位置的に底樋ではないので、堤体内や取水設備へ向かう穴かなと思います。
御影石の銘板がありました。
「谷山堰堤」
昭和十四年の文字も見えます。
茂った木々に阻まれて、触れるくらいの真下まで来ないと下流面は見えません。
ひょっとしたら、まだまだ石張堰堤である可能性も感じていたのですいが、国産セメントの一大産地である山口県にあって、流石にもう石張はとうの昔に脱ぎ捨てていたようです。
堤頂部に小振りな洪水吐が複数並んでいるのが見えました。
ここから観ると自然越流式のようにも見えるのですが・・・。
細く低い堤体導流壁。
車止め程の高さしかありません。これで大丈夫だったのか?大丈夫ではなかったのか??。
廃ダムの今となっては知る由もありません。
直下からほぼ獣道の歩道を登ります。
幸い、訪問した2012年11月の時点では、特に危険と感じる場所はありませんでした。
右岸天端に到着。
特に広場のようなスペースもなく、いきなり天端というのも徒歩で向かうオールドダムによくある感じ。
行く手を阻む倒木の枝が何かを言っているようで、少し緊張しつつ、先に進みます。
天端の幅は1.5m程でしょうか、コンパクトですが高欄のコンクリート整形も品の良いもので、廃ダムとなった今も竣工時の美しさの残り香が薫ります。
天端中央の洪水吐。
下から見上げた時は自然越流に見えていたのですが、どうも違った様です。
赤錆色の手摺りに囲われ、頑丈そうなハンドルがゲートの数だけ並んでいます。
非常にシンプルなスライドゲートです。
ピアの溝に木板を差し込み、手動で昇降していた様です。
扉体の木板は朽ち果てて一部を残すのみですが、ピアのコンクリートやハンドルなどの金属部分はよほど堅牢な造りだったのか、赤錆が表面を覆うだけで現役と思えるほどしっかりとしています。
ゲートの辺りから下流を見ます。
木々が茂っていますが、およそ2km先にはもう海です。
天端を左岸まで来ました。
こちらは山肌からの土砂に埋まりつつあります。
それでも、コンクリートの堤体自体はしっかりとしてるように感じました。
左岸端でちょっとだけダム軸が折れている所がチャームポイント。
今は全く使われていない廃ダムの谷山ダム。
貯水池はというとこんな感じ、池の底に雨水が溜っているといった具合。
背後に標高260mほどの山がありますが、明確に流れ込む河川も見当たらず、地形を見ると集水範囲が極端に狭い事もあり、本当に貯水できたのか不思議な感じを受けます。
ひょっとしたら、他の工業用水のダムにもある様に、他の河川からポンプアップした水を貯留していたのかもしれませんが、そういった設備らしき遺構も見当りません。
右岸から貯水池内に降りてみます。
砂地の斜面は緩やかですが、慎重に慎重に。
天端から見た砂地の上に、無数の足跡があるのが見えていたのです。
夏のホタル調査の人の足跡だろうか?
と、思って、例の砂地に降りて驚いた。
人間の足跡だと思っていたのですが、どうも全て動物の足跡の様です。
廃ダムの溜り水は周辺の動物の格好の水飲み場になっているみたいです。
(流石にクマはいないと思いますが)
何はともあれ、ちょっと珍しいアングルからのコンクリートダム。
最初見た「やっつけ仕事」のような堤体導流壁とはうって変って、とても丁寧で美しい姿に見えます。
貯水池の底は想像よりもしっかりしていて、足元が沈むような事もありません。
堆砂や堆積物もほとんど無かった、とても良好な貯水池だったようです。
木板のゲートが朽ち落ちて、小さなアーチ橋が並ぶ可愛いゲートから向こうの空が透けています。
丸い取水設備を囲む細かい型枠の跡が、昼過ぎの陽光を受けグラデーションのように見えていました。
思い立って訪れた下関の廃ダム。
決して誰にでもお勧めできる物件ではありませんので、もし行かれる方は十分安全に配慮して向かわれる事をお願いします。
谷山ダム
★★★ -
五位ダム
-
2013.06.14 Friday 12:23
堤高57m
R/A 1992年 北陸農政局
2012.10.20見学
小撫川ダムから東に5km、五位ダムは北陸農政局の灌漑用のダムです。
客土で覆われた表面は青く草が茂り、大きな大きなアースダムの風情で出迎えてくれました。
中心にはトピアリー(?)、草の刈り方(?)で、何かのマークが作られています。
少し肌寒い10月後半の訪問だったので、もっといい季節ならはっきりとした模様が浮かび上がっているのかもしれません。
天端の高さまで来ました。
管理所の前に駐車スペースはあるものの、天端は立入禁止のようです。
管理所近くの案内看板。
「夢の水五位ダム」
いいですね〜。水って大切。
ダムが無く、水不足に悩まされた時代からすると、夢と言うのもオーバーな表現ではないのかもしれません。
すごく巨大なアースダム、いやいやロックフィル。
もしこの高さでアースから、大久保山の55.8mを超え、清願寺に次ぐ日本2位のビッグアースって事になります。
ここから先は入ってはいけません。
立入禁止のロープ手前から貯水池、3つに枝分かれして奥行きのある大きな貯水池です。
対岸に長く大きな洪水吐が夕日に照らされていました。
天端に入れず、越流部は見えませんが、吐のスロープ下は行けるようなので移動します。
堤体の下流に謎の建物がぽつぽつと・・・。
ダム下流より右岸の洪水吐。
大きな空の下、ゆったりおおらかな五位ダムでした。
五位ダム
★★★ -
子撫川ダム
-
2013.06.11 Tuesday 12:19
堤高45m
R/FNW 1978年 富山県営
2012.10.20見学
臼中ダムを訪問した後、刀利ダムに立ち寄って、午後からは少し移動して子撫川ダムに来ました。
能登半島の根元辺り、石川県との県境近くにある富山県営のロックフィルです。
ダムサイトに裸婦のブロンズ像。
周辺にはこういったブロンズ像が沢山展示されているそうですが、なぜか僕はこの一体しか見つける事が出来ませんでした。
右岸のパーキングに駐車して徒歩で天端散策。
堤高45m、堤頂長224m
コンクリートブロックの柵が点々と天端に並びます。
堤体の大きさは中規模といったサイズなのですが、九頭竜をイメージさせる黒くてゴツゴツしたリップラップが、実際の数値以上のスケールを感じさせます。
右岸にある洪水吐のスロープの壁に小窓が見えます。
こんなディティールの九頭竜的・・・。
洪水吐や管理所は左岸に集中しています。
てくてく歩いて行くと、なんか、得体の知れないモノが見えて来ました。
な、なんでしょかこれは!!
形状も魔可不思議ですが、大きさもかなりの物です。
形自体にインパクトがあるので、普通に撮影しただけでも面白さがあります。
なんとなく、ツノを出したウミウシにも見えます・・・
(そう思うと、可愛くも見えて来るから不思議)
ダム好きならみなさんお解りですね。
かなり変わった形状ですが、自然越流式の洪水吐です。
こんな感じで平面形は貯水池に突き出した形になっています。
越流部分が帽子の鍔のように少しオーバーハングしていて、吐の中心に滝のように流れ落ちる形になっています。
頂上に並ぶ「ツノ」は、滝裏が負圧になり、騒音や振動が発生しないように、あえて滝を切り、空気を入れる隙間を作る役目ではないかと思います。(いわゆるスポイラーですが、これほど大きな物は珍しいと思います)
青土ダムなどの半円形の吐に形状は近いですが、半円よりも越流長が長く必要で、滝壺部分が極端に狭いレイアウトの為、このようになったと勝手に推測。
ウミウシくんを反対側から、こちらの下部は湖水に没しています。
この面白い洪水吐ばかりに注目してしまいますが、すぐ隣に2門のラジアルゲートも持っています。
これらゲート付近の天端の様子です。
ごちゃごちゃと設備が集まり、小型の重力式コンクリートダムのような感じ。管理所はこの先の岸辺にあります。
設備が密集して、非常用洪水吐もコンパクトにする必要があったので、あのような面白い形になったのかなと思います。
傾いた日差しを受ける2門のラジアルゲート。
扉体は見えませんが小さくないです。立派なゲート。
そこから伸びるスロープも迫力あります。
日差しがスロープ下の減勢池に反射して、コンクリートの壁をキラキラと照らしていました。
凄く綺麗だったのですが、なかなかその美しさを写真に収める事は出来ませんでした。
面白い洪水吐を持ったロックフィル。
普段、コンクリートダムをメインに訪問していますが、フィルダムも侮れないなーと、感じた小撫川ダムでした。
小撫川ダム
★★★
おまけ。
小撫川ダム上流は「宮島峡」という有名な景勝地だそうです。
ぱっと見、ダムマニア界の某重鎮氏に見えませんか? -
臼中ダム
-
2013.06.07 Friday 12:14
堤高68.9m
R/FA 1993年 富山県営
2012.10.20見学
富山県の臼中ダムにやってきました。
東海北陸自動車道の福光インターからも程近く、アクセス良好なダムなのですが、前回(2008年)に向かった時は夏の集中豪雨によりダムへの道が被災していた為、今まで未踏となっていました。
堤高68.9m、堤頂長238m。
臼中ダムは洪水調節と農業用水を供給する富山県営の多目的ダムです。
綺麗に整形されたリップラップ。
右岸の道路は時折大型ダンプが行き来していました。
刀利ダムのすぐ下にある太美ダムの堆砂がダンプで運び出されているようです(上流に残土処理場がある?)
この臼中ダムの一番の特徴は洪水吐の形状です。
自然越流の洪水吐が右岸にあるのですが、こんな感じで途中に島があります。
島の上には何やらモニュメント。
あの上にどうやって行くかは謎です。
時刻を示す日時計と、影で季節を示す重力石なるものが立ててあります。
綺麗なリップラップ、特徴的な洪水吐。
なかなか見所のある臼中ダムですが、アバットメントの枠工なんかもいい感じでした。
臼中ダム
★★★ -
ダムA (仮名)
-
2013.06.04 Tuesday 18:46
堤高 15m以上
G/利水 民間企業所有
ダムを管理する事業者を分類すると、大きく分けて3つに分けられます。
まずは国や地方自治体、それに水資源機構などの、公共事業によるダム。
二つ目に電力会社が管理するダム、全国10社の電力会社や電源開発のダムなど。
そして3つ目が、民間企業が所有する社用ダムです。
金属の精錬や電気化学工場で使用する電力供給であったり、工場で使用する工業用水を補給する目的で、民間企業が事業主となって、所有、管理しているダムです。
企業所有のダムは、それ自体が企業の施設や私有地などの所有物であり、ダムの管理はその企業活動の一環として行われている事業なので、見学には特に注意する必要があります。
さらには外来魚の密放流や、一部の心無い釣人によるトラブル、さらにはゴミの不法投棄など、ダム管理上の問題は多く、それらに費やす費用は企業活動上の障害であり、関係のない者は出来れば訪れてほしくないと言うのが、ダム管理者にとって正直な所なのではないかと察します。
(勿論、企業所有のダムであっても文化財としての価値や、観光資源として積極的に開放したり、花見シーズンなど期間を決めて公開されているダムもあります。
また、ダムが幹線国道脇にあるなど、部外者と遮断とするのが物理的に無理なダムもあり、状況はさまざまです。)
前置きが長くなりましたが、今回取上げるダムはそういった企業が所有するダムのひとつです。
堤高は15mを超えている現役のダムでありながら、日本ダム協会のダム便覧にも載っておらず、ネット上にもほとんど情報が無い事から一般には全く知られていないとても珍しい物件です。
今回のレポートは特別編として、ダム名、所在地、その他具体的な情報は全て伏せる事にしました。
このダムについて、ネットで詳細を公表する事による影響が予測できないと思ったのが主な理由です。
いつもダムファン(特に初心者の方々)のダム訪問ガイドのつもりでブログを書いてますが、今回だけはご了承頂きたいと思います、ごめんなさい。
さて、本題のダムですが、上記の通り、某民間企業の所有する、利水専用のコンクリートダムです。
某年某月、場所は日本の何処か・・・。
その堤体を一目見た時、雷に撃たれたような衝撃が僕の体中を駆け巡り、湧き上がるように一気に鳥肌が立ったのを覚えました。
洪水吐などの放流設備を持たず、只々巨大なマスコンクリートの塊。
その下流面は全面が水墨画の黒雲を思わせる重厚な表情に覆われていて、見上げる僕を圧倒しました。
そこには、どこか異様とも感じさせる不思議な世界が広がっていたのです。
その訳は、ただ単純に古いコンクリートだからと言う事だけではありませんでした。
のっぺりとした下流面の形状。
そう、このダムにはコンクリート打設の継目という物が一切無いのです。
横継目はおろか、水平に痕跡を残す打継目すらありません。
それは今まで訪れたどのダムともまるで異なり、文献の中でも見た事も、聞いた事すらなく、全くの未知の姿なのです。
表面は平坦ではなく不規則に大きく波打っており、下流面全てが法面に塗布するような吹き付けコンクリートで覆われていると言う事以外、全てが謎に包まれています。
いったいこのコンクリートダムが、どのように建設され、そしてどのような経緯を経て、現在の姿になったのだろうか?。
その不思議な外観と、そこに秘められているであろう史実への興味が湧き上がります。
しばらくダム真下で茫然とした後、少し移動します。
堤体を斜めから観ると、その独特の形状もより良く判ります。
全体を黒雲に見せていた染み模様に見とれてしまっていた事もあり、ここで改めて堤体の全体像を冷静に観察する事が出来ました。
ダム便覧に未掲載であるものの、堤高は軽く15mは越え、目測ながら20m強と言った所ではないかと思います。
天端から始まる下流面の傾斜はきつく、天端からほぼ垂直から始まり、ゆるやかなバケットカーブを経てやはりきつめの下流面勾配へと繋がります。
堤体の断面形状や、独特の存在感から発散される雰囲気は、僕が好きで観慣れている石張堰堤に限りなく近い姿をしています。
帰宅後、このダムを所有する企業の社史から竣工年を知る事が出来ましたが、堤体のシルエットや、非常用洪水吐が横越流式である事、さらに取水塔の真下に底樋を持つ事等の特徴から、ダムの完成年代は推測して頂きたいと思います。
左岸に登って来ました。
堤体は既に日陰になっていましたが、夕暮の斜陽に湖面が輝いていました。
コンクリート打ちっ放しの天端通路が、ダム全体の塊感を助長させます。
まさにコンクリートの塊といった姿です。
写真を撮影している場所は全て自由に立ち入る事が出来ますが、当然ながら天端は堅く閉ざされています。
ここで偶然、地元の方に話を伺う事が出来ました。
以前は貯水池を囲うように遊歩道もあり、天端も歩道として開放されていたそうです。
当時は立派な鯉等を釣る事も出来たのですが、外来種の密放流後はマナーの悪化が深刻となり、結果として現在のように閉鎖されてしまったのだそうです。
コンクリート打ちっ放しの通路。
細い鋼管の手摺。
これ以上、省く物の無い、極めて簡素な天端。
天端に雨水の排水溝さえも無く、天端に降った雨水が吹付けコンクリートの波打った下流面に直接流れ出す事で、あの得も言われぬ黒雲模様を生み出していると言う事が解りました。
そして気になるのは、堤体全体から感じる石張堰堤によく似た雰囲気(オーラ)。
下流面の勾配、それに本体非越流とし、貯水池から横越流としている非常用洪水吐など、石張堰堤のスタンダードとも言えるレイアウトを持っている点です。(川筋や地形から横越流とする根拠が見当たらない)
ここで石張堰堤ファンの僕が推測をするならば、当初、このダムは石張堰堤として築堤されたものの、後の改修により表面の石の上から、もしくは石を斫り撤去した後、吹付けコンクリートを塗布したのではないかと言う、大胆な推測をしてみたいと思います。
但し、先程、話を伺った地元の方(年頃は私と同じ40歳前後)によると「ずっと昔からこの姿だった」との事でした。
石張堰堤の上をコンクリートで覆ってしまう事例は、少ないながらも実在すると僕は考えていて、他のダム物件でも現在調査を進めています。
しかし、このダムがそれに該当するかは、この時点では何とも言えません。
また、上流面は通常の型枠整形と見られたので残念ながらその可能性は低いと思われます。
それでは、あくまで素人の空想ですが、もう少しだけ現実的な推測をしてみたいと思います。
このダムを所有する企業は、自社グループ内に独自の工事部門を持っていそうな大企業である事を踏まえると、設計から施工まで、全て自社の手によってダム建設が行われたのではないかと推測します。
そこにダムファンとしてのロマンを添加するなら、築堤方法は当時既に主流であった型枠整形としたが、手本として参考にしたダムが古くからの石張ダムであった為、洪水吐のレイアウトや、堤体のシルエットが石張ダムに酷似してしまったのではないか?、そんな空想が浮かびます。
さらに、その後の改修工事も全て自社にて施工した結果、日本の何処のダムとも異なり、どのコンサルタントやゼネコンとも関連を持たない、現在の独自の姿になったのではないだろうか?(言うなればコンクリートダムのガラパゴス化現象)
吹付けコンクリートの波打った表面は、部分的に補修を繰り返した結果、表面の吹付け層の厚みに変化が付いたのではと思われます。
勿論、これらの推測は空想に近いもので事実とは多分に異なるとは思うのですが、そんな事も想像したくなる、謎めいた魅力に溢れるダムである事だけは、疑う余地のない事実と言えます。
このダムは、日本の何処かに実在する現役のダムですが、今回のレポは中途半端な情報で、ダム巡りのプランとして役立てる事が出来ずごめんなさい。
ですが、ダムに興味を持ち、全国のダムを調べて行けば、必ず行き当たると思います。
日本全国にはいろいろなキャラクターのダムがありますが、詳細不明のこんな物件があっても面白いな、なんて思って頂けると幸いです。
Aダム(仮名)
★★★★ - ←back 1/1 pages next→