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大長見ダム

堤高71.5m
G/FNW 2003年 島根県営

2012.5.11見学


浜田ダムと別れ、山の奥へ車を進めます。
5〜6kmで大長見ダムに到着します、浜田ダムと近いのですが川筋は別の水系にあります。

2003年竣工で、まだまだ白い美白肌の大長見ダム、コンクリートの白さよりも驚いたのは丸くラウンドした上流面でした。

え?大長見ってアーチダムだっけ???

IMGP9846.JPG

取り急ぎ駐車場に車を停めます。
管理所脇の駐車場にはトイレや休憩スペースも完備、管理所1階は展示スペースもありますが後回しです。

どうなってるの大長見!!。

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おおおおおお!
めっちゃ美形やんけー!

アーチダムに見えた上流面の正体は、大きくカーブを描く右岸付近の姿でした。

ぐーっとカーブした右岸側、中心部から左岸はすっきりと直線の堤体が伸びています。大長見ダムは堤高71.5mの重力式コンクリートダム、堤頂長はなんと344mもあります。

展望スペースが近い事もあって、超広角でも全体が画角に収まりません!。

IMGP9808.JPG

車道の天端、アーチダムみたいな見事が曲線です。

普通、両岸が直線状に無い場合は、堤体にコーナーを付けるか、小さな円弧で曲げるかなのですが、それを大きな円弧としているのがこの大長見ダムのミソです。

IMGP9813.JPG

滑らかな白い肌。
いいですね、色っぽいです。

最近のダムは、曲線美を強調しようと意図して水平にラインを刻むデザインを見受けますが、あえてラインを入れずにスムーズな感じを出している大長見。

悪くないです、いや、むしろこの方が正解かも。
大長見はもち肌系の美人ダムです。

IMGP9815.JPG

カーブ部分を真上から見ると、まんま重力式アーチです。

IMGP9838.JPG

つるつるの下流面がとってもセクシー。
越流式のピアや、そこから連続してクレストの端まで付けられた柱状のデザインは、角の無い丸い形状で、その事も女性的に見える要因の気がします。

IMGP9818.JPG

下流の地形をぐるっと取り囲む感じで堤体がカーブしています。
地山を覆う植物のグリーンと、白いコンクリートのコントラストが見事です。

IMGP9831.JPG

天端には眺望スペースも備わっています。
こういった心配りもなんとなく女性的・・・。

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眺望スペースから見下ろすと、2門のオリフィスから転波越流中。
その下に減勢池に水没している切欠き形状も独特。

IMGP9824.JPG

人里離れた山の中といった場所にありますが、天端は地元のコミニュテイバスが往来していました。水も美しく両岸は緑に溢れた閑静な貯水池です。

IMGP9812.JPG

左岸からの堤体。
アーチダムですか?

IMGP9888.JPG

いえいえ、重力式ですよ。
曲線部分も美しいのですが、そこから繋がる直線部分もスッキリとして綺麗な堤体です。
クレストは自然越流の洪水吐が連続し、薄くシンプルな管理橋が軽快なイメージです。

IMGP9887.JPG

次にダムの下流側に回ってみました。
豊富なアングルが楽しめるのも嬉しいポイントです。

天地に薄い管理橋、角のない丸いピア、つるんとした下流面。ダムの表情としてはかなり個性的です。
重厚さよりも軽快感を意識した感じを受けますが、全体を通してシンプルな形なのでむしろ塊感があり芯の強さを感じます。

デザインして無さそうに見えて、実は隅から隅まで計算しているクレバーな造形です。オリフィスから流れ出る自然の水の広がりさえも、意図的にデザインされたものに見えて来ます。

(途中で骨材や配合が変った?堤体中ほどからコンクリートの色味が違って見えるのはご愛嬌)

IMGP9848.JPG

島根の山の中、なんだかダイヤの原石を発見した気分の大長見ダムです。

写真ではちゃんとその魅力を伝える事が出来たのか???です。
なので、ちょっと遠いですが是非とも実物を見て頂きたいお勧のダムでした。

IMGP9852.JPG

大長見ダム
★★★★

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浜田ダム

堤高58m
G/FP 1962年 島根県営

2012.5.11見学

さよならゲートたち。


太田市で深山溜池堰堤を探した後、日本海沿いに西へ浜田市にやって来ました。
県営の浜田ダムは、今現在は洪水調節に加え発電も行っている多目的ダムです。

今現在と付け加えたのは、現在1km下流に新しく第二浜田ダムが建設中であり、第二浜田の完成に伴い、洪水調節専用のダムとして再開発される事になっているからです。

従来は海に面した浜田市から真直ぐに川に沿って下流から訪問できましたが、第二浜田ダムの工事に伴い、大きく迂回してダム湖の上流から向かいます。
浜田ダムから下流の道は第二浜田ダムの水没範囲の為、現在付替え道路が建設中です。

貯水池からの浜田ダム。
手前は左岸にある発電所への取水口、浜田川発電所はダム水路式で、発電所は第二浜田ダムのダムサイトよりも下流にあります。
なので第二浜田ダムの影響は無いように思うのですが・・・?

IMGP9800.JPG

ダムサイトの看板です。
主に洪水調節を行うダムとして建設されました。

マニア的には、2門のコンジットゲートの装備に注目です。
先日の綾北ダムのレポートで、綾北ダムは日本で最初にコンジットゲートが付いたダムと紹介しましたが、浜田ダムはアーチ式の綾北ダムに続いて、次にコンジットが付いたダムなのではないかと思います。

つまり重力式ダムで最初のコンジットという事になります。

IMGP9794.JPG

クレストゲートはラジアル1門、その間から下を観るとコンジットゲートの建物の屋根が見えます。
その下の減勢工は小振りで、斜めに配置した副ダムが特徴的です。
河川が直下で左にカーブするので、水を左に飛ばす為に斜めになっているのかと想像。

IMGP9791.JPG

天端を歩いて右岸に来ました。
堤高58m、堤頂長184.3m、右岸寄りで大きくカーブした堤体は、少しだけ有峰の左岸側のカーブに似ています。

時々、第二浜田ダム関係の大型ダンプが地響きを立てて天端を通り過ぎて行きました。

IMGP9797.JPG

右岸の下流を少し歩いて、正面が良く見える所に来ました。

実直で真面目な雰囲気のクレストゲート。
第二浜田ダムの完成に伴う再開発で、クレストゲートは撤去され自然越流式の洪水吐に改められる事になっています。

IMGP9785.JPG

重力式ダムではお初ではないかと思われるコンジットゲート、高圧ラジアルが2門。

実は再開発によって、このコンジットゲートも撤去されてしまいます。
と、言うのも、下流に出来る第二浜田ダムの設計洪水位は、このゲート室の屋根辺りまで来てしまうのです。(第二浜田がサーチャージを超えると、浜田ダムの下部は水に没する)

再開発ではコンジットに代り、2門の自然調節のオリフィスゲートが新設されます。
再開発後の常時満水位が、現在のコースターゲートの高さと同じなので、コンジットゲートの穴を利用してオリフィスゲートが作られるようです。

IMGP9784.JPG

クレストゲート1門、シンメトリーにコンジット2門が作るゴールデントライアングル。この整った雄姿が見れるのもあと数年となりました。

由緒あるゲートたちが撤去されるのは少し寂しいのですが、第二浜田という頼もしい後輩とタッグを組んで、これからも浜田市を洪水からガッチリと守って行きます。

IMGP9787.JPG

さよならゲートたち、今迄ありがとう。

浜田ダム
★★★



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深山溜池堰堤

堤高15m
G/A 1943年 波根町土地改良区

2012.5.11見学

ちょっと不思議なコンクリートダム。


先日、養福寺堰堤の調べ物で購入した、
「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」
内容はホームページでも公開されているので、ネットで見る事も出来るのですが、思考が未だアナログなのか、買ったお金の分の元を取ろうと必死なのか(笑)、パソコンで見るよりも本の方が俄然じっくり読んでしまいます。

IMGP9675.JPG

この本の中に紹介されているダムで、気になる物件がありました。

島根県太田市 深山(溜池)堰堤
「農業用の練積形枠をもつ粗石Cダムとしては高い」
「コンクリート壁と玉石詰部分の2重構造」

堤高が15mあり、ダム便覧にもちゃんと掲載されているものの、位置未確認物件で写真もなく、またもや詳細不明のダムです。

うーん、コンクリート壁と玉石詰部分の2重構造とは???
よく解らないけど、練積形枠って事は、つまり石積なのか?

気になるう〜、でも島根かあ〜、遠いよなあ島根。

とか思いつつ、気が付いたら島根に飛んでいました(笑)

ダム便覧では位置未確認でしたが、電子国土で目星を付けた地点に到着。林道の入口からは車両進入禁止です。
幸運な事に、近くの水田で農作業中の地元の方に、堰堤の存在と道も教えていただきました。

IMGP9674.JPG

コンクリート舗装には、軽トラの走った跡がありますが地元の車だと思います。
時々倒木とかもあり、たしかに車で行くべき道ではありません。

しばらく坂道を登ると右に脇道があり、谷山池という堰堤がありますが、手前でゲート封鎖され見学する事は出来ません。
谷山池は目的の深山溜池よりも古い1930年代のコンクリート堰堤ですが、かなり小さな堰堤のようです。

谷山池の上流にあるのが深山溜池堰堤です。

IMGP9678.JPG

林道入口からおよそ1km弱、深山溜池に到着です。
深山溜池は地元の土地改良区が管理する、小振りな農業用ダムです。

IMGP9753.JPG

残念ながら天端は立入禁止。
両岸も急峻で、取り付く場所が全くありません。

立入禁止の文字の上に、昭和18年完工、昭和50年改修とあります。
戦争中に農業用ダムとしてコンクリートダムが造られていた事になり、少し意外な感じです。

昭和50年の改修は、天端の通路橋の追加等で、堤体そのものには手は加えられていないと思われます。(日本の近代土木遺産では昭和62年改修と記されています・・・)

IMGP9760.JPG

周囲には木々が茂り、ほとんどその姿を観る事は出来ません。
対岸に取水設備(斜樋管、スピンドル?)がある様です。

昭和50年(62年?)の改修以前は天端橋の無い坊主ダムだった事を考えると、対岸の取水設備もその時に改修され、場所が移動したのかもしてません。

IMGP9755.JPG

で、問題の「コンクリート壁と玉石詰部分の2重構造」、
なんとか堤体表面が見えないかフェンス越しに観察すると・・・。

IMGP9751.JPG

おおー!
堤体表面はやはり石張です!!。

あまり整形されていない野面石に近い石が、こってりとした練積で積まれています!。

IMGP9758.JPG

雑木林の隙間から、なんとか下流面が見える所を探しました。
常時越流しているのか、表面は苔と水草に覆われています(これはこれで凄い)。

苔に覆われた表面の凹凸は、確実に石積堰堤の表情です。
凹凸感や使われている石の雰囲気は、石川の中宮ダムに近い感じがします。

IMGP9765.JPG

今回の調査では、表面が石張という確認が出来ましたが、結局「コンクリート壁と玉石詰部分の2重構造」の意味は解らずじまいでした。

農業用ダムと言う事もあり、コンクリートの遮水壁を持つアースダムのイメージが頭から離れません。
建設が戦中だった事もあり、あまりコンクリートを使わない特殊な構造、建設方法が用いられたり、地元の住民でも施工可能な方法が試された可能性を感じます。

IMGP9769.JPG

結論として、謎の堰堤はやっぱり謎のままでしたが、とりあえず現地の座標をダム協会に報告して、位置確認をする事が出来ました(あつだむ史上、初の位置確認なのだ)

深山溜池堰堤
個人的には★★★
お勧め度は★(よく見えないので)

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小匠ダム

堤高35.9m
G/F 1959年 和歌山県営

2012.4.1見学

サクラサク。


日本中のダムファンが奈良に集結した今年の春。
国交省の多目的ダム、大滝ダムが待ちに待ったサーチャージを達成したのです。

遅まきながら、僕も満水位3日目に見学に訪れました。
前日の伝説の暴風雨(笑)と一転して、穏やかな天候に恵まれました。

おめでとう大滝ダム。これからもよろしく!!。

IMGP9102.JPG

そんなお祝いムードの大滝ダムを後に、ちょっと寄り道をする事にしました。

和歌山県の山中、紀伊半島の南端にある小匠ダムです。
少し変わったダムとして有名ですが、実際に訪れるのは大変です。

関西圏のダムに精通するダム友に、大滝の後に小匠に行った事を話すと、
「あなた、あほですか?」と言われました。
実際、大滝ダムから延々一般道で3時間も掛かってようやく到着したので、あほかと言われればぐぅの音も出ません・・。(途中、池原ダムの傍を通るので、誘惑を断ち切るのも大変だった)

昨年9月に紀伊半島を襲った台風12号は、日本屈指の多雨地域で、日頃から防災意識が高く水害に強いとされたこの地域に於いても甚大な被害をもたらしました。
その真っ只中に、穴あき型の防災専用ダムがありました。それが小匠ダムです。

本来ならダムサイトまで車で行ける小匠ダムですが、下流800mで路肩と法面が崩落し、車両通行不能となっていました。
手前で車を停めて、徒歩で向かいます。

IMGP9201.JPG

道路の被災状況に少し不安になりましたが、ダムサイトで迎えてくれたのは、満開の桜でした。

ダム直下には沢山の桜が植樹され、桜の花は春の陽光の中に淡く輝いていました。
路肩の崩れた道を徒歩で来なければなりませんが、家族連れが花見を楽しんでいました。毎年、ここでお花見をするのを習慣にされているのかもしれません。

小匠ダムが地元の方々に愛されている事を感じて嬉しくなりました。

IMGP9151.JPG

桜の下を通って、小匠ダムと対面します。
午後の逆光の中、黒々とした厳つい壁が姿を見せました。

ダムサイトの護岸は至る所大きくえぐられ、台風12号の爪跡が深く刻まれています。
その向こうに、しっかりと大地に踏ん張り、堂々と胸を張って立っている小匠ダムがありました。

その姿に満開の桜が、文字通り花を添えています。

IMGP9195.JPG

防災専用ダムという先入観もあってか、小匠ダムの姿はとても重厚で頑丈そうに見えます。

実際、導流壁もゲート間のピアも、通常のコンクリートダムよりもかなり分厚く、肩にぐっと首を沈めたようなゲートピアは、アメフトの選手がセットポジションに着いた姿勢にも似て、内に秘めた力強さを感じます。

少し奥まった所にある2門のローラーゲート、少しだけゲートが開けられています。
通常の洪水の場合、この洪水吐ゲートの水位まで洪水を貯留して、下流河川の水位低下を行うのかと思います。

ローラーゲート上にも四角い穴が開いていて、ここは防災ダムとして最後の最後でしか水が出ない、正に非常用の洪水吐だと思われます。

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堤体の下部には大きく空いた丸い二つの穴。

手前の左岸側の穴には魚道も付いています。
普段水を貯めない、穴あきダムの貯水池の水面は、この穴の高さにあります。

IMGP9194.JPG

桜の中をもう少し堤体に近づいてみます。
実は小匠ダムにはもう一つ、とても変わった穴があいているのです。

IMGP9154.JPG

それは堤体の真下。
なんとダム本体をトンネルが貫いているのです。

通常のダムでは有り得ない場所に、有り得ない穴が空いてます。
入口には小匠防災堰堤のプレート。

IMGP9158.JPG

トンネルに入ってみました。
軽自動車なら通れそうな広さがあります。

完成から50年以上経っている小匠ダムですが、トンネル内部の表面は型枠の跡もくっきりと残っていて、とても綺麗に見えました。

今、ダムの体内に居ると思うと、少し不思議な感じです。

IMGP9189.JPG

トンネルを抜けると、まだ先に道が続いていました。
通常の貯水ダムであれば、湖底であるはずの場所です。

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振り返って小匠ダムの上流面。
トンネルを締め切るスライドゲートです。
洪水調節時にはゲートが降ろされ、洪水を受け止めるのです。

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トンネルを抜けて度肝を抜かれたのが、上流面の姿でした!。

うっわー、めちゃめちゃかっこいいぞおー!!!!。

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乾いたコンクリートと枯れた苔。
複雑な表情のゲート部分。

手前がローラーゲートのピア、向こう側は、堤体下部の丸い穴のゲートピアだと思います。

見慣れない巨大建造物の姿は、どこか工場のプラントのイメージも匂わせます。

IMGP9182.JPG

岩の様な重厚感。

小匠ダムは戦う為だけに産まれた、生粋のファイターです。

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甚大な被害をもたらした台風12号に対して、全力で戦った小匠ダム。
紀伊半島の南端、未だ傷の癒えないダムサイトにそのダムはありました。

春は必ずやって来る、誰の所にも必ず。

満開の桜と、誇らしげな小匠ダムの姿がそう言ってるようで、胸が熱くなりました

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小匠ダム
★★★★★

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大津呂ダム

堤高40.6m
G/FNW 2012年 福井県営

2012.3.10 見学


この日、福井県で試験湛水中であった大津呂ダムがサーチャージを迎えるらしいと聞きつけて、早速行ってみました。

打ちたての真っ白な堤体が出迎えてくれました。
途中で折れている大津呂ダムの堤体。
クレストの柱状の意匠は、最近の流行りのデザインです。

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左岸から天端。
まだいたる所で工事が続いていて、高欄上の手摺も青いビニールで養生中。

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天端も工事中ですが入らせて頂きました。
路面はまだ未舗装で、コンクリートの地のままです。

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天端で直ぐにおやっ?と思ったのが高欄の構造です。
これ、プレキャストです、プレキャスト高欄ですね。
丸い窪みは泡をイメージしたデザインなんだそうです。

(ちなみに、プレキャスト高欄は目新しい設計ですが、戦前のダムでも近い構造の事例を発見しました。そのダムは追々レポートしたいと思います。)

IMGP9026.JPG

天端のコーナーを過ぎると、直下に減勢工が見えて来ました。
凝ったデザインの建物が目を引きます。

コンパクトな減勢工、それに、北富士や成相ダムを思わせる有機的な堤体導流壁が印象的でした。思いのほか、デザインコンシャスな大津呂ダムです。

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しゃわしゃわと静かに淡々と、キューティクル越流中。

祝!サーチャージ!!!

と、ダムファンはお祝いモードなのですが、現場の方々はいつもと同じ様に作業中です。
よく考えると、サーチャージは建設工程の一つの通過点でしかないのかも。

IMGP8990.JPG

天端でしばらく過ごした後、貯水池周辺を散策してみます。

堤体も貯水池もコンパクトなダムですが、流入は3箇所くらいあって、そのどれもが急峻な渓谷で砂防堰堤が造られていました。

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コンパクトな貯水池。写真の範囲がほぼ全てです。
これでダムの高さは40mを超えているので、どれだけ急峻な場所に造ったのか!と、驚きです。

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サーチャージのクレストゲートです。
洪水調節を行う大津呂ダムでは、今後はなかなか見れない姿です。

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貯水池から天端越しに見えるのは、ダムマニア(濃いめ)のみなさん。

貴重な越流ショーをカメラに収めるマニアたち。
その背後は、マニアたちを収める日本ダム協会さん。

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新しく産声を上げたばかりの大津呂ダム。
これからの活躍に期待です。

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大津呂ダム
★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム福井県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
藤古川ダム

堤高16m
G/W 1963年 関ヶ原町

2011.11.13見学


以前このブログでも紹介した愛知県犬山市の桃太郎神社
http://side-way.jugem.jp/?eid=612
ここのコンクリート像を造った同じ作家の作品群が、関ヶ原にあるらしいので行って来ました。

名神関ヶ原IC下車、北へおよそ2Km、「関ヶ原ウォーランド」は、関ヶ原の戦いをモチーフとしたテーマパークです。

IMGP2333.JPG

おおーっ、すげー。
敷地の中には無数のコンクリ像が合戦の一部始終を再現しています。
こまかなエピソードも沢山再現されていて、結構楽しめます。

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関ヶ原の合戦の時には死んでいる武田信玄も亡霊となって乱入です。
「ノーモア関ヶ原合戦じゃー!!」

もうなんだかよく解りません。

関ヶ原ウォーランドは関ヶ原の合戦を通じて、戦争の悲惨さと、命の尊さを表現した、真面目なテーマパークなのでした。
(隣接するお寺には「ノーモア関ヶ原合戦」と刻まれた巨大な慰霊碑が・・・)

IMGP2353.JPG

と、いきなりダムとは関係ない話題で脱線してますが、関ヶ原ウォーランドのすぐ隣にあるのが、関ヶ原町の水道水源として造られた藤古川ダムです。

ウォーランドとは、ほんの2〜300mと目と鼻の先ですが、直接行く道がなく、数キロ迂回して行く事になります。
集落から杉林の中を進みます・・・。

IMGP2391.JPG

直ぐに水道施設で行止ります。

ここから先は立入禁止ですが、ダム本体は天端が散策路として開放されていて(古戦場が近く、いろんな史跡があるみたいです)自由に入る事が出来ます。

IMGP2387.JPG

左岸から天端。
クレストゲートの部分が一段高くなっていて階段があります。

IMGP2369.JPG

クレストゲートは自然越流みたいですが、眺望が悪く顔が全く見えません・・・。
砂防堰堤のようにほぼ鉛直に切り立った堤体です。(※写真は右岸から観た下流面です)

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天端から貯水池、周囲は少し寂しい感じです。
水道水源池ですが、常時取水しているのではなくて夏季の渇水時のバックアップみたいです。

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下流もこんな感じ、でうっそうとしています。

ダム直下は副ダムみたいになっていますが、既得水利権で水田に水が引いてあるのかもしれません。

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むむっ?

逆アーチ???

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ちょっと薄寂しい所にあり、ダム本体もよく見えなくて、あまりお勧めできません・・・。
もの足らない時はウォーランドとセットでどうぞ。(20分も走れば天命反転地もあります)

藤古川ダム

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム岐阜県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
太高山ダム

堤高16.4m
G/A 1927年 呉市豊町営

2011.11.6見学

みかん畑のロコ・ダム。


遠征最終日は、九州からの帰り道、以前から訪問したいと思っていた、広島の物件に向かいます。
それは、呉市の沖、瀬戸内海に浮かぶ安芸灘諸島にあるとされる太高山ダムです。
太高山ダムは日本ダム協会のダム便覧でも写真が無く、正体不明のコンクリートダムです。

竣工は1927年。
この時代は、数年前の1924年に志津川ダム(天ヶ瀬ダムのダム湖に永久保存)と、大井ダムが完成、コンクリートダムは、それまでの石積・石張から、型枠整形へと大きな変化を迎えた過渡期と言えます。

石積ダム全国制覇を密かに目論む(?)僕としては、どうしても確認しなければならない事がありました。
それは、太高山ダムは、もしかしたら石積ダムなのではないか?という疑問です
石積ダムの全国制覇は、同時に詳細不明の過渡期のダムを訪れ、石積なのか?整形なのか?を見定めて行く旅でもあるのです。

太高山ダムは堤高16.4mと小柄で、町営の農業用ダムである事から、石積である可能性は高いと考えていました。

山陽道のSAで車中泊をして、早朝からミッション開始。
薄暗い早朝の広島市内、街はまだ眠っています。

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路面電車のお客さんもまだ少なく、少し眠たげな街は静かな朝を迎えていました。

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広島呉道路を使って、呉市街に到着する頃には、すっかり明るくなっていました。

瀬戸内海に散らばる小島にある太高山ダム、そこへ行くには呉から幾つもの島々を連絡橋で渡って行く事になります。

まず最初に渡るのが、安芸灘大橋。
呉市街と瀬戸内海に浮かぶ下浦刈島を結ぶ立派な吊橋で、有料道路となっています。

IMGP2247.JPG

安芸灘大橋で下浦刈島に渡った後、次は浦刈大橋を通って、島の東隣にある上浦刈島に渡ります。
ここからの橋は無料で通行できます。

IMGP2116.JPG

その下浦刈島を西から東に半周すると、また次の連絡橋が見えて来ました。
さらに次の東隣の豊島に渡る、豊島大橋です。

IMGP2121.JPG

橋の上からは瀬戸内海の島々がよく見えます。

IMGP2125.JPG

島の道路は海岸線沿いの一本道なので道に迷う事はありません。

連絡橋で島に渡って、海岸線沿いに時計回りに進むと、島の反対側の次の連絡橋に至るという具合です。反時計回りに進んだとしても、自然と島の反対側に行き当るので道に迷わないのです。

島の入り江には映画に出てきそうな趣のある漁村が見えました。
海なし県育ちなので、どの景色も珍しく感動的です。

IMGP2126.JPG

豊島の東端、この辺りが豊島の中心部部でしょうか。
眼下に次に渡る連絡橋が見えます、豊島の東に隣接する大崎下島を結ぶ豊浜大橋です。この橋を渡った大崎下島こそ、いよいよ太高山ダムがあるとされる島です。

ちなみに、この豊浜大橋は立派な橋ですが広域農道である為か、カーナビによっては道として登録されていません。僕のカーナビも橋が載っておらず、自宅から太高山ダムまでルート検索しても「ルートがありません」と表示されてしまいます。
太高山ダムに興味を持ってから何年も経ちますが、ずっと船でしか行けないダムだと勘違いしていました。

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大崎下島に上陸し、海岸に沿って時計回りで島の東に来ました。
連絡橋はまだこの先の島々とも繋がっていて、隣に見える島からは愛媛県になります。

海の向こうにぼんやりと大きな吊橋が霞んで見えます、愛媛と尾道を結ぶしまなみ海道です。
先月、四国からの岐路にしまなみ海道を渡った時は、向こうから此方を眺めて、
「ああ、あの島の何処かに太高山ダムがあるんだ・・・」なんて事を思っていました。

IMGP2205.JPG

大崎下島の東端にある豊町御手洗に来ました。
目指す太高山ダムは、ここから海岸に沿って1kmほど進んだ場所にあるとされています。

崖の上のポニョの港町にそっくりな御手洗の小さな町。
ここは、江戸時代には瀬戸内海の航路上にあり、「潮待ち、風待ち」の要所として、離島でありながら大変栄えた港だったそうです。

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海岸線から少し町に入ると、潮待ちの商人たちが泊まったであろう、船宿の街並みが保存され、情緒に溢れています。

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漁師町らしいこんな細い路地も現役です。
今日のダム巡りは太高山ダム1基に狙いを絞っている事もあって、珍しく旅情モードです・・・。

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瀬戸内なので特産はやっぱりみかんです。
家々の軒先に無人販売されています。一袋100円也、安い!。

たま〜に、家族に土産を買って帰るのですが、菓子類よりも果物の方が断然好評です。今回もみかんを買って帰る事にしました。安いので実家にも買って帰ろう。

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さてさて、すっかりダムブログである事を忘れていました。
情緒あふれる御手洗の古い町並みから海岸にそって車を進めます。

太高山ダムは、なんとなくの位置は解っていましたが、ダムまでの道などは全くの不明で、この時点ても、本当にダムが見れるのか?そもそもダム現存なのかさえ解っていませんでした。

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海岸伝いに走ると、街並みが途切れ、なんといきなり「太高山バス停」を発見!
御手洗を過ぎた最初のバス停が、いきなり「太高山」でした。

行ける、これはイケるぞっ!

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そして、バス停留所の近くを散策すると、こんな見慣れない物がありました。

なんでしょうか?近くで見てみます・・・。

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おおーっ!
スゴイ!すごすぎる!

なんとそれは、太高山ダムの貯水を使った「ダム水・供給スタンド」なのでした。

灌漑用ダムとされる太高山ダム、周辺は一面のみかん畑です。
きっと、地元のみかん農家の方が軽トラで横付けして、荷台に積んだタンクに給水して行くのだと思います。

それに、これで太高山ダムが確実に現存すると言う事も判明しました!。

後は、この「ダム水スタンド」の周囲の山を調査すれば見つかるはずです。
直ぐ海岸沿いにあるダム水スタンドから、山に向かって細い路地があったので、デミオ号で入って行きます、軽トラでもぎりぎりくらいの、細い農道です。

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急な坂道をぐいんぐいん登って行くと、フロントガラスいっぱいに、唐突に何か黒々とした壁が立ちふさがりました。
その壁は盛大に茂った巨木にカモフラージュされ、木漏れ日の向こうに空だけが見えていました。

こ、これはもしや!!。

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そう、これが太高山ダムです。
農道はダム下でカーブしていて、まさにダム直下に到着していたのです。

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ダムのすぐ直下だと言うのに、まるでその姿が見えません。
左岸から巨木が真横に伸びて、完全に下流面を隠しているのです。
全体に苔生した巨木は、老木ながら生命感にあふれ、近寄りがたい不気味ささえあります。

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下草を掻き分け、巨木の枝の下を潜り、堤体に近寄ってみました。

苔生した平坦な下流面・・・、整形コンクリートです。

1927年竣工の太高山ダムの正体は、石積ダムではなく、型枠整形による重力式コンクリートダムと結論が出ました。
残念ながら石積ダムではありませんでしたが、ダムの真下に立ってみて、もう、そんな事はどうでも良くなっていました。
それに、逆を言えば、型枠整形のごく初期の大変貴重なダムである、と言う事でもあるのです。

湿った黒いコンクリート。
下からは、つる性の植物が這い上がり、上の方は深い苔を生していました。

空の光で逆光になったクレストのシルエットにはクレストゲートの類は確認できません。非越流式の非常にシンプルな堤体である事が伺えます。

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逆V字をした堤体の、左岸のダム本体と岩盤の間を水が流れ落ちていました。

最初はこの水がどこからの水なのか見当も付きませんでしたが、以前に山口で観た羽根越堰堤に近い物を感じていました。
羽根越堰堤は、この太高山ダムとほぼ同時期に竣工したオールドダムです。

夜雀さんが、羽根越堰堤の特殊な洪水吐について詳しくレポートされています。
http://yosuzumex.daa.jp/flame.htm

茂った木々が視界を阻み、太高山ダムの洪水吐に関しては実態を探る事は出来ませんでしたが、両ダムは、型枠整形の創世期の貴重なダムであり、近い構造を持っている可能性を感じます。

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それにしても木々の勢いが凄い。
85年もの歳月は、ダムサイトの風景を一変してしまう様です。

一昨日見学した別府の乙原ダムがフラッシュバックしていました。

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堤体表面のクローズアップです。
整形の型枠に使われた木板の筋が見えました。

古い石積ダムの中には、後に何らかの理由で石張の表面をコンクリートで覆ってしまったダムもある様です。そういったダムは一見すると型枠整形に見えるのですが、表面がのっぺりとして違和感があります。

木板の跡が刻まれた、この太高山ダムの表面は、まぎれもなく竣工当時の状態であると思います。

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真下からは全くクレストが見えないので、農道を少し登って、堤体から距離をおいてみました。木々の隙間から、ようやくクレストの一部分が見えました。

コンクリート整形の、シンプルながらとても品の良い高欄が見えました。
農道はそのまま山の上の方へ向かって続いていたので、歩いてみる事にしました。

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海岸のすぐ近くなのですが、結構登って来ています。
海の向こうに見える陸地は、四国の山なみです。

山の斜面はすべてみかん畑です。
島に来て観て、水田はおろか、みかん以外の作物は全く見ていません。
ここは、漁業とみかん栽培の島なのです。

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山の斜面の農道を登って来ました。
森の中に水面と、ダムのクレスト部分が見えて来ました。

クラシックな半円形の取水設備。
取水塔のような建屋は元々無かった様です。

脇に付いているパイプは後から付けた物でしょう。
これは、ひょっとして最初に見た「ダム水スタンド」の給水パイプかもしれません、高低差を使ってサイフォンの原理で水を落しているのかも。

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堤体の右岸まで来ましたが、天端に降りる道は見付ける事が出来ませんでした。

ダムからの給水設備は例のスタンドだけでは無いと思うのですが、詳細は解りませんでした。

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ダムの背後は切り立った山脈が連なっていて、山の頂上付近までずっとみかん畑が続いています。

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周囲にみかん以外の作物が無いとなると、灌漑用のダムと言う太高山ダムは、やはりみかん栽培の為のダムと思って良いと思います。(竣工当初は、他の作物もあったのかも)

しかし、給水先であるみかん畑はダムの標高より高い場所にも沢山広がっていて、その場合、水は農家の人が各々のトラックで運ぶしかないのかもしれません。

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みかん畑の中には、点々と、こんな感じの作業小屋があります。
そして、そんな作業小屋の脇には必ず、丸い大きなタンクが備え付けてありました。

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このタンクも、その一つです。
タンクの下にコックが付いています、タンクの上部からビニールホースが出ていて、何処かに繋がっています・・・・。

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ホースの先を観ると、作業小屋の雨樋に直結していました。

乾燥に強いみかんですが、全く水が要らないと言う訳ではありません。
みかん農家の方々は、こうやって各作業小屋を利用して雨水を貯水している事が解りました。

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みかん畑の斜面から見下ろすオールドダム。

そうです、太高山ダムは、みかん農家の方々にとって頼もしい、大きな、大きな、雨水タンクなのです。

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瀬戸内海、みかん畑、オールドダム、そしてまたみかん畑。
全国にはいろいろなダムがありますが、こんなロケーションのダムは初めてです。

辺りを歩いて散策して、小さく古いダムを眺めているうちに、僕はすっかり、この太高山ダムが好きになっていました。

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いや、太高山ダムを好きになったのではなくて、この島そのものが好きになっていたのです。

よし!決めた!!。

家のローン完済して、子供が成人して、自分も定年になったら、老後はこの島に移住するぞ!!!。

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帰り際、何度も振り返っては眺めた島の風景。
瀬戸内の乾いた風は、どこか懐かしい甘い匂いがしました。

みかん畑のロコ・ダム。
太高山ダム
★★★★★


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綾北ダム

堤高75.3m
A/FP 1960年 宮崎県営

2011.11.5見学


田代八重ダムを後に、綾北川を下って行きます。
長細い綾北ダムの貯水池、曲がりくねった湖畔道路を進んで行きます。

昨夜からの雨は上がり、霧も晴れて来ました。

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田代八重ダムからおよそ10km、綾北ダムが見えて来ました。

綾北ダムは、洪水調節を主目的として、発電も行っている宮崎県営の多目的アーチダムです。
クレストセンターに大きく空いた2門の非常用洪水吐。
その両脇に間隔を開けて、コースターゲートが見えます。

車を停め、写真を撮っていたら、何処からか犬の鳴声が聞こえて来ました。
静まり返った朝の湖面に、犬の声が反射して響いています。

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車でダムサイトに到着しました。
出迎えてくれたのは、ダム管理所の愛犬でした。

湖畔に車の音がすると、吠えて職員さんに知らせるみたいです。
こちらから声を掛けると、すぐに静かになりました。賢いいい子です。

陸の孤島のような場所にある綾北ダムです。
九州に熊は居ませんが、猪や猿避けに飼っているのかもしれません。

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高速のインターからおよそ2時間、ようやく辿り着いたという感じです。

今回の九州遠征は、過去の遠征で未踏となっていた物件をメインに巡っています。
5基のアーチダムを有するアーチ王国宮崎県、これでようやくコンプリートです。
(大分の北川ダムも観たので、離島以外は九州のアーチもコンプ達成)

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さて、コンプリートする事よりも楽しみにしていたのは、綾北ダムが他のアーチダムでは有り得ない超個性堤体という事もありました。

鮮やかな朱色に塗られた怪しい物体が、湾曲したアーチ面にへばりついています。

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ななな、なんですかこれは!

不思議な、不思議な、放流設備。
何故だか急に、高2の生物で習ったT2ファージを思い出しました(見比べると全然似てないのですが)。

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実はこれ、コンジットゲートなのでした。
アーチダムなのに、あえてラジアルゲートと言うのか実に変態的!

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鮮やかなペイントで怪しさ2割増し!
(グレーとかもっと地味な色だと、もう少しおとなしく見えると思うのですが・・・この色は確信犯?)

ゲート室の屋根も壁も同じ色ってのもミソですね。

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ゲート室の下は紛れも無くラジアルゲートが付いています。

通常アーチダムのコンジットはローラーゲートと決まっているような物ですが、そこをあえてラジアルにするかっ!。面白すぎ!。

アームの支点は、堤体から伸ばされた鋼製の太いフレームによって支持されています。
扉体の両脇からコンクリートの扶壁が立ち上がっていますが、導流壁であって、ゲート本体とは分離しています。

なんだか重力式の高圧ラジアルが堤体から飛び出しちゃった感じで、スケルトン模型とかのイメージです。

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ゲートの下はコンクリートのジャンプ台になっています。
こうまでしてコンジットにラジアルゲートを使いたかったのか!?。

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特徴ありすぎのコンジットに目を奪われぎみですが、アバットのコンクリートの表情も緊張感があってマニア的になかなかよろしい・・・。

最下層のキャットウォークが、ジャンプ台の下に入りこんでいます。
いいなあ、あそこに行ってみたい・・・。

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少し下流に目を向けると、副ダムもちゃんとアーチになっていました。
なかなかグラマーな感じの副ダムです。

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手前(右岸)のコンジットも全く同じ造りです。

コンジットの放流時には、左右のジャンプ台で飛び出した放水が空中で交わってクロスファイア(集中砲火)状態になるそうです。

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右岸のコンジット辺りを観ていたらパイプ状の物が・・・プラムラインですね。

アーチ式の堤体のコンジットに高圧ラジアルゲートを使っている不思議な綾北ダム。何故この様な凝った構造をしてまでラジアルゲートを採用したのでしょうか?。

調べてみると不思議な見た目とは裏腹に、実に単純明快が答えが解ってきました。

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綾北ダムは1957年に着工、完成は1960年です。
当時は戦後の高度成長期の真っ只中で、ダムに於いても貯水をより有効に活用する事が求められはじめていました。
そこで考え出されたのが、高圧下での大容量調整放流設備、すなわち「コンジットゲート」です。

実は、綾北ダムこそ我が国で初めてコンジットゲートを装備したダムなのです。

これはアーチ式では勿論、重力式コンクリートダムを含めても、初めての事でした。(確認の為にダム便覧で綾北より古いダムを全てチェックしました・・・)

なにせ我が国で初めての試みであり、高圧下の放流ゲートは実績がなく、綾北ダムのゲートはアメリカの高圧ラジアルゲートを技術導入し設計の基礎としました。
しかし、ゲート支持部の荷重集中など、アーチダムでの高圧ラジアルゲートの採用は構造上の難点もあり、その後アーチダムのコンジットには高圧ローラーゲートが使われる様になります。

つまり、
「選んでラジアルにしたのではなく、最初だったので選択肢がラジアルしか無かった」

と、言う理由がこの不思議なゲートの真相のようです・・・。

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日本初のコンジットゲートは、他には類を観ない超個性派ダムとして、ダム史の1ページを飾っています。

綾北ダム
★★★★

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田代八重ダム

堤高64.6m
G/FNWP 1999年 宮崎県営

2011.11.5見学


遠征3日目は、宮崎県南部の山の中からスタートです。
宮崎自動車道 小林ICから、国道265をひたすら北進して到着したのは、田代八重(たしろばえ)ダムです。

霧の中の静かな湖面、神秘的な貯水池です。

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ダム湖に沿って車を進めると、ダム本体に到着です。

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宮崎県営の多目的ダムで、堤高64.6m、堤頂長216mの立派な重力式ダムです。

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雨に濡れた部分のコントラストがやたらとハッキリしています。

クレストには自然越流の非常用吐が5門、その下の4門のオリフィスにはラジアルゲートが採用されています。

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天端は広く、解放されています。

地元特産品の栗が熱烈にアピールしています。
良く見ると、フルカラーのイラストだけでなく親柱の形も栗(イガ付き)だったりします。

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オリフィスゲートの操作室や、水位計室など、クレストの建物が、「ごく普通の建物」的な外観です。

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天端から下流を観ます。下にある建物は発電所です。

下流10キロには綾北ダムがあります、綾北ダムの貯水池は長細く、田代八重ダムの下流の水面は、綾北ダムの最上流部となっています。

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至る所に栗がプッシュされています。
これだけ特産品を押してるダムも珍しいですが、悲しいかな、まず観光客が来ない山の中だったりします・・・。

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天端を渡った左岸にある管理所。
スキーロッジ風で洒落てますね。

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下流からの眺め。
重力式らしい堂々とした落ち着いた佇まいに、4門のオリフィス・ラジアルゲートがメカニカルなアクセントになっています。

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田代八重ダム
★★★

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芋洗谷ダム

堤高25.5m
GA/P 1930年 JNC(株)

2011.11.4見学


星山ダムを観た後、国道218を北進し高千穂まで来ました。
ターゲットは日本で最も古い重力式アーチダム、芋洗谷ダムです。

竣工は古く1930年までさかのぼります。
重力式アーチをアーチダムとして分類すると、三成ダムの竣工は1953年なので、芋洗谷ダムは日本最古のアーチダムと捉える事も出来ます。
また、芋洗谷ダムに続く重力式アーチは1961年の二瀬ダムまで待たなければなりませんから、1930年当時、重力式アーチという明確な概念があったのかは不明ですが、目新しい設計であった事は確かだと思います。

道の駅「高千穂」の辺りから里山集落に入り、芋洗谷ダムを目指します。

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集落の外れから薄暗いダート林道に突入。
落葉が積もった、滑りやすい雨上がりのダートを慎重に進みます。

日も暮れて来そうだし、脱輪でもしたら大変です。

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電子国土の地形図で、だいたいのルートは把握していたのですが、地形図に未記載の分岐があり、まんまとミスコースしてしまいました。

車幅ぎりぎりのダートは、体積した分厚い泥で人が歩く程度のスピードでも、勝手にズルズルとテールが流れ出します・・・。

あわわわ、ここでアクセル緩めたら間違いなくスタックです。
とにかくアクセル踏みっぱなし、カウンター当てっぱなしで突破します。

今迄のダム巡り人生で最大のピンチでした(汗)

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またもやスカートでラッセルしてしまった。
ごめん、デミオ号。

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本来のコースに戻り、途中で軽トラの地元のおじさんに道を聞いたりして、ようやく辿り着きました。

芋洗谷ダムはダムサイトまでは車で行けません。
最後は管理歩道を歩いて行きます。

さあ、いざ芋洗谷ダム!。

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んあ?

ありゃりゃー。なんとここまで来て立入禁止でした。

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この下にダムがあると思いますが、仕方ありませんね。

ちなみに、管理者はJNC(株)とありますが、去年(2011年)設立したばかりの会社で、チッソ(株)から全ての事業を引き継ぎ、チッソ(株)は水俣病に関する保障の業務を継続し存続しています。

立入禁止の看板も、JNCになってから新しく建てられたのかもしれません。

芋洗谷ダムの水で発電された電力は、水俣のJNC関連の化学プラントに送電されています。
星山ダムの旭化成も、同クループの企業であり、水俣のプラントも延岡の旭化成と同じで50Hzが現在も使われています。
また、延岡と水俣の両プラントへの送電線は、高千穂(この辺り)を経由して繋がっているそうです。

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JNC(チッソ)は、現在、液晶や電子部品、また繊維、化学、樹脂、それに化学肥料など幅広く手掛けていて、一見ダムや発電事業と直接関係が無いように思いますが、そのルーツは鹿児島の鶴田ダムの湖底に眠る曾木発電所が最初の事業とされています。
はじめに発電事業があり、その電力を利用して電気化学へ邁進したのがチッソ(日本窒素肥料)の始まりの様です。

それに、日本窒素肥料とダムの関りとして、外せないのが、日本の統治下にあった朝鮮半島に日本窒素肥料(朝鮮窒素肥料)が自費で建設した発電用ダム「水豊(スプン)ダム」です。

日本窒素肥料 水豊ダム。堤高106.4m(!)、堤頂長899.5m(!!)。
この途方も無く巨大な重力式ダムは、右岸から西松建設、左岸から間組が本体施工し、1944年に竣工しています。(設計は日本工営)
国産初の100m級ダムは、丸山ダムとされる事が一般的ですが、実はそれより10年以上も前に、丸山をはるかに超える巨大ダムが日本の技術で造られていた事には驚くばかりです。

湛水面積は琵琶湖の半分以上、東芝製の10万kw発電機7台により最大70万kwを発電、半分は満州へ、朝鮮側への1/3が朝鮮窒素肥料のプラントへ送電されていました。
当時の日本本土での最大発電量が4万5千kw(蟹江発電所 神通川)であり、世界有数のとんでもない巨大ダムは、朝鮮戦争では北を屈服させる為に米軍が空爆をしますが、ついに破壊できなかったという武勇伝まで持っています。

日本の敗戦により、日本窒素肥料は水豊ダムを放棄、その後、北朝鮮の需要な発電所として今現存も稼働中とされています。

残念ながら、僕はまだ未踏なので水豊ダムの写真をお見せする事は出来ません。

でも、衛星写真などで、中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江を黄海から辿ってみてください。

北緯40度27分40秒、東経124度57分40秒。
そこに、すごくいい物が見れるはずです、むふふふふ。

すっかり話題が脱線してしまいました。

芋洗谷ダム
★未評価

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