無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | - | - | pookmark |
沈堕ダム

堤高5.5m
G/P 1909年 九州電力

2011.11.4見学


大分自動車道 大分米良ICで降りて、一般道を南下します。
北川ダムに行く途中で少し寄り道をして、沈堕ダムに向かいます。

沈堕ダムは九州電力の発電用取水堰堤で、大抵の地図で「沈堕の滝」と記された場所にあります。

国道502(日向街道)から脇道に入ると、滝を眺める展望スペースがありました。
そこから真正面に沈堕ダム(沈堕の滝)が見えます。

IMGP1623.JPG

「で、でかい!!」

沈堕ダムは、たかだか高さ5.5m程のローダムと聞いていました。ところが、目の前に轟々と水飛沫を上げる滝の迫力に、自然と驚きの声が出ていました。
「沈堕の滝」の高さはおよそ20m、その滝の上にあるのが取水堰堤の「沈堕ダム」。一体化した滝と堰堤のシナジー効果で、迫力の情景を創り出していたのです。

何故こんな滝の上に取水堰堤を造ったのか?

現在は九州電力が管理している堰堤ですが、歴史は古く、明治末期に豊後電気鉄道に使用される発電施設として造られました。

当初は普通に川を堰き止めて造ったスタンダードな堰堤でしたが、下流にあった滝が崩落を繰り返し、次第に堰堤に近づいて来たと言うのです!。

現在では全面越流の堰堤と、滝は完全に一体化して見えます。
知らなければ、滝の直上に取水堰堤があるなどと気が付く人も少ないと思います。

IMGP1631.JPG

沈堕の滝は、150年ほど前は、現在よりも240mも下流にあったそうです。
このまま滝の後退が進めば、やがて沈堕ダムも滝と共に崩落してしまう運命にありました。

そこで、1998年、九州電力によって、川床や滝の壁面の補強が施され、滝の崩壊が食い止められ、現在の姿になったとの事です。

IMGP1626.JPG

県道脇の展望スペースから移動して、近くの集落の中へ入ると、滝の下流は小さな公園になっています。
明治に建てられた最初の発電所が、公園の中に遺構として残されています。

現在の九州電力の発電所は、3キロ下流の別の所にあります。

IMGP1636.JPG

遺構の中の散策路を滝に向かって歩きます。
太古の昔から滝が崩壊を繰り返し、上流へ後退し続けた跡を辿る、ちょっと不思議な散策路。

150年で240mも後退したとなると、毎年1.6mのペースで滝が移動した事になります。自然の力って凄いですね〜。

IMGP1638.JPG

散策路は、滝が近くで見える所で終点。
この先に、発電所への取水設備がありますが、関係者以外立入禁止です。

盛大に流れ落ちる沈堕の滝、ダイナミックな水の景観です。

豪快な滝にばかり目を奪われてしまいますが、滝の上の沈堕ダムも、全面に白く越流した水が美しく、上流の水面の静けさとのコントラストが印象的です。

IMGP1663.JPG

九州電力により、補強が施されたという沈堕の滝。
ぱっと見ても、人為的に手が加わっている様には見えません・・・。

実は元々の天然の岩に混じって、擬岩が配置されているのだとか(!)
でも、色も形も全く違和感が無く、僕の目では、どれが擬岩なのか解りませんでした。

やろうと思えば、全体をコンクリートで覆ってしまう事も出来たはず。
しかし、九州電力は擬岩まで使用し、かつて水墨画で有名な雪舟も見たとされる名瀑を再現したのです。
うーん、素晴らしい!!。

IMGP1656.JPG

対岸を観ると、魚道のような遺構が見えます。

堰堤と滝に挟まれ、今となっては用を成す事はありませんが、その昔、滝はずっと下流にあった名残と言えます。

IMGP1655.JPG

対岸の切り立った岩盤。一見、堅そうに見えるのですが、阿蘇山も近く、見た目よりも脆いのかもしれません。

この沈堕ダムの、およそ20km上流には、日本三大美堰堤のひとつ、白水堰堤があります。大分の美堰堤めぐりとして、セットで訪問されるのも乙かもしれません。

IMGP1645.JPG

最後は広角レンズに交換して全景を撮影。

岩盤に囲まれた丸い滝壷は、ここだけの特別な別世界をイメージさせます。

ダイナミックな地形の変化と、九州電力の技術と景観への想い、そんな素晴らしいコラボレーションによって産れた美堰堤。そんな沈堕ダムでした。

IMGP1650.JPG

沈堕ダム
★★★


| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム大分県 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
鮎返ダム

堤高24m
G/W(A?) 1949年 別府市水道局

2011.11.4見学

進駐軍の水源地。


別府市水道局は、乙原ダムの他にもう1基ダムを管理しています。
乙原ダムより南に500m、朝見浄水場のすぐ裏山にある鮎返ダムです。

乙原ダムの見学に朝見浄水場を訪問した朝、約束の時間まで30分ほどあったので、先に鮎返ダムを観に行ってみました。

浄水場の前を通過、薄暗く狭い林道を登って行きます(どうか対向車来ないで)

IMGP1500.JPG

立木の隙間から別府の街が見えました。
後で発見したのですが、街の方からも鮎返ダムの天端を観る事が出来ます。

IMGP1507.JPG

木々の隙間から白い高欄が覗いています。
鮎返ダムです。

自由越流式のクレストゲート、高欄や取水塔は白く塗られています(表面保護剤?)

水道水源とあって、乙原ダムと同じで完全に立入禁止、貯水池の周囲もフェンスで完全に囲われて外部から侵入する事は出来ません。

おまけに立木に阻まれ、眺望が全く良くありません。
他にダムが見れそうなポイントもなく、このまま山を降りました。

IMGP1511.JPG

以上で鮎返ダムの見学は終える予定でしたが、朝見浄水場の方に乙原ダムを見せて頂いた後、「遠くからはるばる来られたのですから、鮎返ダムも観て行かれますか?」と、大変嬉しいお誘いがありました。

これを断る理由なんて何処にもありません。
乙原ダムから、そのまま直行で鮎返ダムを案内して頂きました。

水道局の軽バンにゆられて、先程の対岸となる左岸に到着です。
ここに来るまで幾つもの施錠ゲートを通過して来ました、大切な水源は幾重にも厳重に施錠され安全が保たれています。

堤高24m、堤頂長97.2m
直線的でスッキリとした外観から新しいダムかと思えば、終戦間もない1946年に着工、1949年の竣工と言う、66年もの歴史を持つ思いのほか古いダムでした。

IMGP1597.JPG

シンプルなクレストゲート。
ピアの色が一つ飛びで濃淡があるように見えます。
埼玉の間瀬湖堰堤のように、ビアが前後にオフセットしているのかと思ったのですが、どうもそうではないみたいです。(うーん、なんでだろう・・・)

IMGP1606.JPG

終戦直後のダムとしては、とても表面が綺麗です。
それもそのはずで、堤体の表面は、コンクリートをはつり、化粧直しが施されています。

実はこの鮎返ダムは、現在は別府市水道局が管理運用をしていますが、他のダムとは違う生立ちを持っています。

終戦直後、進駐軍の別府キャンプへ給水する事を目的とし、連合軍の命令を受け、日本政府が建設したダム、それがこの鮎返ダムなのです。

終戦直後の粗悪な材料であった事から、堤体表面の劣化が著しく、今世紀に入って劣化部分の除去と、下流面30cm、上流面50cmの打増しコンクリートによる補修、補強工事が施され、現在の姿になりました。

IMGP1602.JPG

このダムが造られた鮎返川は、元々乙原ダムと並ぶ市の水道水源であった為、皮肉にも別府市は鮎返ダムによって市民の水源を奪われる事となります。

進駐軍が撤退し、管轄であった日本政府よりダム及び関連施設が別府市に譲渡されるまで、市民は不便な水道状況におかれる事となりました。

そんな過去を持つ鮎返ダムですが、現在は平和そのものといった風情で、水は音も無くダムを越え流れています。

IMGP1599.JPG

堤体を左岸から。

スリットの空いた高欄や、角ばった取水塔は、表面をペイントされていますが、形状は終戦直後のオリジナルが保たれている様に見えました。

IMGP1617.JPG

鍵を開けて頂き、天端にも入らせて頂く事が出来ました。
幅の狭い天端は、たしかにオールドダムの造りを感じさせます。

IMGP1619.JPG

天端からは別府の街や、別府湾がよく見えました。
天気が良ければ対岸の愛媛もよく見えるそうです。

IMGP1622.JPG

四角い形をした貯水池。
インレットは護岸され人工的な雰囲気です。

給水人口25.000人から始まった別府市水道局朝見浄水場ですが、幾度の拡張工事により現在は別府市の75%へ給水をしています。
水源の安定化を図る為、別府市水道局は大分県企業局との共同事業により、昭和44年、およそ20km離れた大分川からの取水を開始します。

大分川から取水した水は、朝見浄水場のすぐ裏にある県営別府発電所で発電に使われた後、朝見浄水場で処理され市内へ給水されています。
(発電所の写真を間違えて消去してしまった、ぼけあつだむ)

現在、朝見浄水場では、ほとんどの水をこの大分川からの取水でまかなっており、鮎返ダムの水は、大雨により大分川が濁り取水できない時や、別府発電所が点検などで停止する時のバックアップ水源の役目を担っています。

発電所停止時には、このインレット上流にある導水路の放流ゲートが開放され、発電所へ向かう水は、直接鮎返ダムに流入する仕組みとなっています。

IMGP1616.JPG

インレット付近から貯水池を見ます。
水は澄んでいて綺麗な貯水池だと思いました。

ご案内下さった朝見浄水場の方は、朝見浄水場の特徴や、優れた点をいくつも説明して下さったのですが、浄水システムの基礎知識からまるでなく、ちゃんと理解できず大変失礼をしてしまいました。
ともかく、朝見浄水場の水は、水質が良く、他の浄水場よりもより自然の水に近い形で、安全安心な水を作り、供給されていると言う事を知りました。

(オールドダムが好きなら、水道についての知識が必須のようです、これは今後の課題ですね)

IMGP1609.JPG

上流からクレストゲートの中を観ると、なみなみと湛える満水位の向こうに別府の市街地が見えました。
進駐軍の基地の為に生まれ、紆余曲折を経て、今はバックアップ水源として別府の街を見守る鮎返ダム。

水道は蛇口をひねれば、いつでもどれだけでも水が使えるのは、実はとても凄い事なんだと再認識した鮎返ダム見学でした。

IMGP1612.JPG

鮎返ダム
★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム大分県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
乙原ダム

堤高17.2m
G/W 1916年 別府市水道局

2011.11.4見学

別府の楽天地。


古いコンクリートダムが好きで、いろいろと見て周ったり、ネットで調べてみたりするのですが、情報が少なく今一つどの様なダムであるか謎が多い物件がありました。それが今回訪問する、大分県別府市にある乙原ダムです。

夜明ダムを観た後、大分自動車道をぶっとばして別府にやってきました。
温泉観光地として、全国的にも有名な湯のまち別府、街のあちこちから湯煙が上がっています。

海沿いの僅かな平地と、急斜面に広がる街並みは、オールドコンクリートダムの聖地、長崎や神戸と良く似ています。
貿易港がオールドダムの聖地であるのは、当時、外国から侵入するコレラなどの病原菌の蔓延を防ぐ為に衛生的な近代水道が求められた事があります。

それらと同じく、水道専用ダムとして建設された乙原ダムは1913年着工、1916年に竣工した日本で8番目に古いコンクリートダムです。
横浜から始まった日本の近代水道は、乙原ダムが出来る頃には全国に幾つもの事例あり、乙原ダムを水源とする別府の近代水道は特別に古い水道ではありませんが、他とは違う特色があります。

それは、別府の近代水道は、日本初の「観光水道」として整備された事です。
温泉街として別府の発展を目的に造られたダム、それが乙原ダムなのです。



ダム便覧にも写真が無く、詳細不明の乙原ダムですが、場所はなんとなく判っていました。
温泉街を見下ろす町はずれの山頂に「ラクテンチ」と言う味わい深い遊園地があります。

乙原ダムはラクテンチのすぐ南の谷にあるはずです。



昭和の臭いがする観覧車、手前には段々畑が残されています。

地図で見ると、乙原ダムはラクテンチの敷地から200m程しか離れておらず、遊園地南の真下にある様ですが、木々に囲まれ外部からはダムがあるようには見えません。



ダムを目指して山沿いの道を進むと、道路脇にオーラを放つ建物がありました。

朝見浄水場量水室です。
華美な装飾に飾られた外観は、小振りながら歴史を感じさせるもので、登録有形文化財の指定を受けています。



量水室の脇を通り、住宅地の坂道をくんぐん登っていくと、本日お世話になる別府市水道局朝見浄水場に到着です。

乙原ダムは水道施設として現役のダムであり、関係者以外は立入る事は許されません。今回は事前に問合せをして、見学申請書を提出、許可を頂き、公式に見学させて頂ける事となりました。

朝見浄水場では、普段から小学校の社会科見学を受け入れていますが、見学範囲は浄水施設までで、水源地の乙原ダムは学術調査を除き、外部の人を入れた事は無いとの事で、だだ単純に「ダムが好きなので、見学させて下さい!」と、いうのは前代未聞だったみたいです・・・。



朝見浄水場ではまず3階の事務所内の応接に通されました。

対応して下さいました職員さんが、まず最初に、
「ダムがお好きな方って、堰堤の下流面がどうなっているかとか、知りたいのですよね?」と、話を始められました。

それは、日本大学理工学部 伊東孝教授と、ダム好きにはおなじみ、写真家の西山先生のダム風土記の記事の事でした。
ネット上で唯一見る事が出来る、乙原ダムの記事でもあります。
http://www.nikkenren.com/archives/doboku/ce/kikanshi0101/fudoki.htm
この記事の中で、乙原ダムは下流に木々が茂り、下流面が見えないとあるのです。

その上で、職員さんは、古い資料の中から下流面が写っている写真を事前にコピーして用意して下さっていました!感激です!。

「おおお〜!!!」
静まり返った管理所のオフィスに、異様にハイテンションなダムマニアの歓声が響き渡ります(笑)

ダム風土記では見えなかった、美しい曲面重力式の下流面。
直下の構造物も石積や煉瓦で造られ、植栽も見え、公園の様に整備されていた様子が覗えます。
右岸端からの水流を辿ると、堰堤下の水路にはカスケードも見られ、美しい庭のようなダムであった事が解りました。


さらに、工事中の貴重な資料も拝見しました。
明治39年に当時の町長らによって起案され、大正5年に完成したとても古いダムです。(水道は翌大正6年に通水)
閲覧させて頂いた貴重な資料も、当時の実物なので、慎重に慎重にページをめくります。

これは建設中の乙原ダムを下流から撮影した写真です。
「別府町水道 貯水池堰堤施工中之図」とあります。
工事の節目に記念として撮られたものでしょうか?足場の上には紋付羽織袴で正装した人の姿が見えます。



これも同じ頃に撮られた、上流側の様子です。
遠景には別府湾がうっすらと見えます。



しばらくお話を伺ったり、資料を拝見させて頂いた後、職員さんの運転する軽バンで、いよいよ乙原ダムに出発です!。

浄水場の敷地内を軽バンで通過します。助手席の窓からは、数々の古い建物が見えました。
こちらは集合井室、浄水場の下で観た量水室と同じく登録有形文化財です。

そのほか、配水池の施設など、朝見浄水場の敷地内には幾つもの登録有形文化財が散見され、まさにタイムカプセル状態なのですが、それらを全て見学していては、とても時間が足りません・・・。



浄水場の敷地から出て、段々畑の狭路を通り抜けると、すっかり辺りは山の中です。湿った森の匂いがしました。

立入禁止のチェーン施錠ゲート。
この先も道路に轍がありますが、道はダムで行止り、車が回転できる場所が無いので、ここからは少しだけ歩きになります。



数十メートルも歩くと、うっそうとした林の奥に管理橋が見えました。

乙原ダムです!。

管理橋手前の施錠ゲートを開けて戴き、天端に向かいます。
(施錠を開けて戴く時のワクワク感は公式見学の醍醐味??)



ゲートをくぐり、右手を観ると、ダム風土記で西山先生が撮影された天端がそこにありました。

小振りで可愛い取水塔が見えます、トンガリ屋根の横顔は、ちょっとツンとすました表情に見えました。



天端に足を踏み入れます。
赤レンガを使った可愛い高欄、壁の部分はコンクリートブロックでしょうか。

周囲は360°木々に囲まれ、すぐ隣に遊園地があるとは思えない閑静な環境です。
ここだけ、すっぽりと大正時代にタイムスリップしたかの様です。



天端から、小さな貯水池に視線を移すと、ちょっと予想外の構造物に目が止まりました。
貯水池の右岸にそって、コンクリートの壁が立っています。

コンクリートの壁は決して貯水池の護岸でも、洪水吐の越流部でもありません。
貯水池の内側に、壁が上流まで縦断しているのです。



そのコンクリートの壁は天端の右岸近くから、真上を渡って歩く事が出来ます。
全面びっしりと青々とした苔の絨毯に覆われた頂上部を歩きます。

手摺のある右側はダムの貯水池。
左手は護岸された谷川です(乙原川???)

こんな構造物は、今迄どのダムでも見た事がありません。



貯水池最上流部には、水神様が祀られていました。
この川を数百メートル上流まで行くと、落差60mの隠れた名瀑「乙原滝」があります。(乙原滝へ行くには別の道があります)



その辺りから足元を見ると、またしても他のダムでは見た事のない物がありました。
壁を隔てたすぐ横の谷川から、ダムの貯水池にバルブで人為的に水が流入しています。



バルブの所から振り返った様子。
左に貯水池です、苔に覆われた壁を挟んで、右側の護岸された川はやはり乙原川でした。

驚くなかれ、なんと乙原ダムは、貯水池内に「仕切り」があり、貯水池の中に川が縦断している、なんとも珍しい構造を隠し持っていました!。

乙原ダムの水の流入はバルブにより自由に調節が出来ます。これは水道水源として、とても優れた仕組みです。
なぜなら、大雨で取水する河川が濁った場合はバルブを閉め、流入を止める事で濁った水や土砂の流入を完全にカットする事が出来るのです。



壁の上を戻って来ました。
乙原ダムは、堤高17.2m、堤頂長60.6mの小柄で可愛い堤体です。

大正ロマンを感じる取水塔が小さな湖面に揺らいでいます。



遠目には愛くるしい小さなダムですが、堤体に近寄ってみると、あと数年で竣工から一世紀を迎えようとする歴史の重みを感じる事ができます。

四角い石張に伝う植物たちが、古城の雰囲気を漂わせ、小さな堤体は、ちょっとした箱庭の風情があります。



貯水池と乙原川を仕切る壁と、堰堤の接合部分。
貯水池側に見える四角い穴は、いわゆるオリフィスゲートの役目をしています。

大雨が降っても、流入はバルブ径で決まっているので増える事はありません。
乙原ダムは、ダムでありながら「非常用洪水吐が無い」という、とんでもなく珍しい設計のダムなのです!。



同じ部分を下流側から観ます。
管理橋は護岸された乙原川の上に架かっていて、洪水吐のように見える石張は乙原川そのものであり、また、乙原ダムの堤体の一部分です。
滝のように水が落ちているのが、貯水池側の四角い穴からの水です。

貯水池と乙原川を仕切るコンクリートの壁は、昭和59年から60年に実施された改修工事により、見た目は現在の姿になりましたが、構造自体は大正5年の竣工時をキープしています。

乙原川部分の石張は竣工当初からの部分でしょう。
仕切りのコンクリートの壁や、乙原川部分の護岸も、かつてはこの様な間知石の石張りで全面的に仕上げられていた事は、最初に見せて戴いたモノクロの写真で確認できます。



すっかり、初めて見る珍しい構造に気を取られてしまいましたが、ダム風土記でも取り上げられたトンガリ屋根の取水塔こそ、乙原ダムのハイライトと言えます。



淡いブルーのトンガリ屋根。
白いモルタルの柱と赤レンガのコントラスト。
屋根のひさし部分や、入口の造形も大変凝った意匠となっています。

サッシ部分は昭和59年からの改修時に変更を受けていますが、基本的に竣工当時の外観を保っています。



正面の屋根の下には梅のレリーフが彩色されて飾られています。
大分は豊後梅という梅の発祥地で、梅は県花にもなっている大分とはなじみ深い花です。



特別に取水塔内部も見せて頂きました。
昭和の改修で設備が改められ、現在は空家のようになっていました。



100年近い歴史を持つ別府市の上水道は、給水人口の増加に伴い度々拡張を繰り返してきました。
そして、昭和44年、遠く離れた大分川からの取水ルートが開通します。

現在、別府市の75%をカバーする朝見浄水場では、ほとんどの水は大分川から取水しており、乙原ダムの水源は、主に、大雨等により川が濁るなどメインの大分川の取水に制限が生じた場合のバックアップを担っています。



天端から下流側です。
ダム風土記でもあった様に、沢山の木々で覆われていました。
竣工時に植樹された木も今は大木になっているのかもしれません。

たしかにこれでは、真下から堰堤を見上げるのは無理といえます。



大正初期に建設された、日本で8番目に古いコンクリートダム。

そして日本最初の観光水道は、別府を有数の人気温泉街へと成長させた影の立役者でもあり、昭和60年には水道100選にも選ばれています。

赤レンガとトンガリ屋根の可愛い乙原ダムは、市街地を見下ろす森の中、これまでの100年と同じ様に、これからもずっと街を見守り続けて行く事でしょう。



別府の楽天地。

乙原ダム
★★★★★


別府市水道局 朝見浄水場さま。
この度は一人の物好きの為に、いろいろとありがとうございました。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム大分県 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
夜明ダム

堤高15m
G/P 1954年 九州電力

2011.11.4見学

夜明けの夜明け。


大分自動車道のSAで車中泊をして、遠征二日目はまだ夜が明けないうちに移動をしていました。
この日は、午前に別府に寄った後、そのまま南下して宮崎に入り、高千穂まで走る強行軍です。その強行スケジュールを割ってでも見ておきたいダムがありました。
筑後川本流を堰き止めている夜明ダムです。

今回の遠征で、どのタイミングで訪れようか思案したのですが、折角なので「夜明の夜明」を観てやろうと、まだ真っ暗なダムサイトに到着しました。

夜明ダムは幹線国道のすぐ脇にあります。
安全な所に車を停めて、三脚を立ててしばらく、東の空から明るくなって来ました。朝の川風が、辺りの枯草をカサカサと鳴らしています。

やがて暗闇の川の中に、夜明ダムの姿がぼんやりと浮かび上ってきました。



全てが藍色に染まる単調なモノカラーの世界に、高いピアの上の歩廊が、緻密で美しい姿を魅せています。



刻一刻と表情を変える夜明けの情景。
辺りが明るくなるに連れて、夜明ダムの全貌が露になりました。

カメラを持つ手に鳥肌が立ったのは、冷たい川風の性だけではありません。

堤高15mと数値の上では大した事のないダムですが、川幅一杯に巨大なローラーゲートを配し、異様とも思えるほどの迫力に満ちていたのです。
(残念ながら僕の腕では、その迫力を写真に収める事が出来ず・・・残念)



すっかり朝になり、詳細な部分も見えて来ました。
左岸は高く台地のようになっていて、その上にもゲートがある様です。

築後川は県境になっていますので、右岸の此方は福岡県、対岸の左岸は大分です。



8門の大きなゲートを支えるピアも巨大なもので、壮観な眺めです。
このタイプのダムでは、島根の浜原ダムも迫力ありますが、夜明ダムの方が一枚も二枚も上です。



シルバーに塗装されたローラーゲートは、径間15.6m×扉高11m。
1954年の竣工時に於いては、かなり大きなゲートであり、実は、扉体は上下2分割に独立した構造になっていて、リンクで結合されているそうです。

さらに、巨大なゲートによる大きな水圧を受ける為、ゲートのローラー部分に初めてロッカービームが採用されています。(上下2個のローラをビームで結び、ビームの中心に設けた、偏心軸の作用で扉体を水密ゴムに圧着させる)

このロッカービームの初採用に関しては、水門の風土工学研究委員会による「鋼製ゲート百選」でも、‘大型ローラゲートの実現を可能ならしめた「技術の夜明け」’と、委員会もダム名に掛けたノリノリの解説がされています。



九州を代表する河川である筑後川は、過去に何度も水害を出して来ました。
1953年の大水害では、当時建設中であった夜明ダムにも容赦なく襲いかかり、大きな被害を受けたそうです。

ダムは大きく川が蛇行する直前のポイントにあります。
川が蛇行すると言う事は、この辺りは強固な岩盤があり、ダムサイトに向いていた?
地形とダムサイトの位置関係を観ると色々と想像が膨らみますが、本当の事は判りません。



国道は左岸の岸際まで迫っていて、フェンス越しにダムを観て歩くには、車通りに要注意です。

九州電力さんもよく認識しておられる様で、フェンス伝いに国道脇を歩くと人感センサーが感知して、安全の注意を促すアナウンスが流れます。



発電所への取水スクリーンはこちらの右岸にあります。
でっかい除塵のカニ爪クレーン。



広い川幅を大きな多連ゲートで堰き止めるこのタイプのダムは、ダムファンの中でも特別に注目される事のない、マイナーなキャラクターかもしれません。
しかし、この夜明ダムの壮大な風貌は、巨大建造物として非の打ちどころの無い壮観なものです。

筑後川をガッチリ受け止めるその姿は、まさに雄姿という言葉が相応しい男気溢れるダムでした。



筑後川の雄姿
夜明ダム

★★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム福岡県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
上司の家の家宝。

ある日、職場の上司が凄い物を貸してくれました。

それは、上司の家に伝わる秘伝の家宝。
その昔、上司の父親が土地付きの家を買った時、元の家主が置いていった物なのだそうです。

じゃじゃーん。
うきゃー、めっちゃカッコイイ!!!。



白山水力と言えば、大正時代に電力王・福沢桃助によって設立され、あの尾口第一ダムや、吉野谷ダムを造った名門中の名門です!。

技術員駐在所と言うのが、今でいうダム管理所に当るのか良く解らないのですが、かつて、この看板が尾口第一か吉野谷か何処かに掲げられていたのです!。

上司の家は手取川から遠く離れ、僕と同じ岐阜県側なのですが、白山水力の職員だった元家主さんの、奥さんがこちらの出身だそうで、その関係か?岐阜県側に自宅があったらしいです。

上司とはもう10年以上の付き合いなので、いきなりこんなのが出てきてびっくりしましたー。


| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
地元でダムの話をしてみたら・・・。

僕は岐阜の田舎に住んでいます。

田舎は建設業で働く人の割合が高いのか、自然に建設関係の人と知り合いになったり、友達になったりします。
そんな地元の呑み会で、僕がダムの話を始めようものなら・・・。

「ああ、丹生川ダムね。コンクリ打設前の岩盤磨きをやったけど、大変だった」
とか、
「中野方ダムのゲート関係は全部やったよ」とか、
「今渡ダムのゲートワイヤーは、俺が交換したぞ」

なんて、話が周囲からポンポン飛び出す事になり、
流石のダムマイスターも返討ちに会って、すっかり舌を巻く事になります(笑)

「宮川に取水堰を造ったぞ」
と、言う話を聞いたので、早速観に出かけてみました。
飛騨市国府町、古川病院のすぐ裏です。

シンプルなステンレス製の転倒ゲートなのですが、実は、昇降はゴムチューブにコンプレッサエアーを入れて動かしています。(ラバーダムの上流面に、ステンレスプレートを付けた感じと思って下さい)



ゲートを越える水の表情が柔らかで、正直、復元の神戸堰なんかより、よっぽど美しい堰堤でした。

いやあ、侮れないぞ、地元!!。


| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
近頃なんだか変!!!

近頃・・・。

ダム巡りに必要なアイテムがおかしな事になりつつある。
(竹の棒は前方のクモの巣を払う道具です)



家族でいつも行く「皿の絵付け体験」、GWにまたしても行って来ました。
この体験コースでは、過去何基もダムの絵皿を作ってきましたが・・・。



今迄、係りの人に、絵の内容を聞かれた事は無かったのですが、流石に今回は何の絵なのか、根掘り葉掘り聞かれてしまいました。

| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
厳木第二調整池ダム

堤高不明
A/P 1957年 九州電力

2011.11.3見学

ダムの新しい見つけ方。


それは、2度目の九州遠征から帰って、自宅で佐賀県の下田ダムのレポートを書いていた時の事でした。



下田ダムに設置してあった、周辺のダムとの関係図を示す看板。

今回「発見」したダム、全てはこの看板を撮った写真から始まりました・・・。
ブログ記事の資料用に、なんとなく撮っておいた1枚です。



下田ダム(写真中程下)は1930年に造られた九州電力の古い発電用ダムです。
下流(写真右上)には国交省の100m級の大型多目的ダムの厳木ダム、
天山ダム(写真左上)は別の水系ですが、厳木ダムとの間で揚水発電をしている九州電力のロックフィルです。

さてさて、この看板の中に、何か気になる物がありませんか???

ヒントは赤く現在地を示した下田ダム(厳木発電所取水ダム)の辺りです・・・。



この辺りです・・・。
ほら、何かありますよね・・・。

ダムファンなら、みんな大好きなアレです、アレ。



そう、これです!!!。

まさか大きく口を開けた、巨大オタマジャクシじゃないですよね?

この形・・・・。

これって、「アーチ式コンクリートダム」なのでは???。



看板では、発電所に送水している貯水池らしい事は解るのですが、肝心のダム名等は記されておらず、全くの謎の物件です。

ちなみに、国土地理院の地形図も見てみると・・・。
やっぱり、堰堤らしき部分がアーチ風に描かれています・・・。

知り合いのMI6のダブルオー要員に、ダム名称の調査を依頼すると、
極秘ルートからの情報で「厳木第二発電所調整池」であると報告がありました。
さすが少佐、殺しのライセンスを持っているだけあります。

ダム便覧に未掲載なので、15m未満の堰堤ではないかと思われます。
ごく簡素な造りで、水槽のような物ではないか?。
よしんば徳島の高西ダムのような、極小のアーチダムなのではないか?。
妄想に近い勝手な想像が膨らみます、これは確かめなければなりません!。

次に九州を訪れる時は、必ず現地調査すると決めました。



と、言う事で、再びやって来ました。
厳木ダムの上流、一年ぶりの下田ダムです。

地図によると、下田ダム上流から脇道へ入ると、問題の堰堤の付近までは行ける様ですが、ダムサイトまで実際に行けるのか等は全く判りません。正直、出たとこ勝負の行き当たりバッタリです。



地図で目星を付けていた辺りに車を進めると、そこには予想外の展開が待ち伏せていました。

路肩に、少佐の報告にあった名前が書かれた柱を発見。
それに、その脇から怪しい歩道が僕を誘っているのでした。



これは、きっとダムの神が僕に行くのだと言っているに違いありません。
林の木々の中を縫うように続くコンクリートの階段は、未踏ダムへ誘うモーゼの道に思われました。

急勾配の歩道は、朝から色んな所を歩いた足腰をさらに重くしましたが、もう後戻りは出来ません。



2〜300m程、延々と階段を登り続け、ようやく道はなだらかになりました。
どうやら堰堤のある標高に達した模様です。

山腹を水平に移動します・・・。



急にぱあーっと視界が開けたかと思うと、
フェンスの向こうに、何やら大きな建造物が姿を現しました。



車を止めた車道からここまでは、立て看板も含め、立入の規制はありませんでしたが、さすがに周辺はフェンスで厳重に囲われていました。

フェンスにかぶり付きで、その構造物を観ます。
ドキドキ。



フェンス越しに目に飛び込んで来たのは、シンプルなシリンダーアーチ。
その姿、紛れもなくアーチ式コンクリートダムです!!。

しかも、想像していたより、はるかに「ダムダム」しています!水槽どころか、高西ダムよりも遙かに立派なダムそのものです。

残念ながら堤高は目視でも15mには届いていない感じがします、10〜12mか?。
しかし、左右にワイドに広げたアーチは、これをダムと呼ばずに何と呼ぶのか?と言いたいくらい立派です。



そして何より驚いたのは・・・・。

福岡県須惠町の水道水源ダムである、須惠ダムにそっくりな事でした。
須惠ダムは堤高21m、堤頂長144.5mのアーチ式コンクリートダムです。
(下の写真は須惠ダム)



シリンダーアーチの堤体、クレスト中心に開いた2門の余水吐ゲート、その下のタタキによる越流の減勢の方法までもが同じなのです。

もはや違うのは全体の寸法だけと言って良いほど似ているのです。
おそらく、同じコンサルタントによる設計と考えて間違いないと思います。

須惠ダムは1964年の完成、対してこの厳木第二調整池はそれよりも古く1957年に完成していたらしく、どちらかと言うとこっちの方が兄さんみたいです。

天端は入口が施錠され、フェンスの隙間から観るだけですが、山中の無人施設なので仕方ないです。



堤体中心部のクレストゲート。
スピンドルが立っていますが、排砂ゲートのものかと思います。



ゲート部分の堤体下部の穴が、その排砂ゲートと思います。
ちなみに須惠ダムも、水深は少し上ですが、同じ配置で排砂ゲートを持っています。



対岸の左岸に発電所への送水設備。



手前の右岸は、スラストブロック付きです(ちなみに、これも須惠ダムと共通)



大きな円弧を描く天端のライン。
調整池もなかなか立派な広さです。



右岸から下流方向です。
天端には入れないので空ばかりの写真ですが、山の頂上といった感じの所にあり、下流側の視界は大きく開けています。
見下ろす位置に下田ダムがあるのですが、地形の都合で観る事はできません。

そろそろ夕暮が近くなって来ました。
こんな高い所に登って来ちゃって、無事帰れるだろうか・・・足ガクガク 笑。



立て看板にたまたま描かれていたイラストから始まった今回のダム調査。
実際に現地の山奥で待っていたのは、まぎれもなくアーチ式コンクリートダムでした。

全国にわずか52基しか造られていない希少な形式とも言えるアーチ式コンクリートダム。重力式ダムと比べ、セメント使用量が少なく低コスト、堤体積が少ない事から工期も短いなどのメリットがあります。
ダムが大型になるほど、そのメリットも大きくなる半面、小さな堤体では効果も薄く、どちらかと言うと大ダム事業に適したイメージを持っていました。

しかし、コンクリートダムの理想と言えるその形式は、基礎岩盤の条件され合えば、規模の大小に関係なく根本的な優位性は明らかで、ましてや資材の搬入が困難な山中の工事に於いては、そのメリットを大いに発揮できるダム形式と言えます。

堤高15mに満たない河川法の堰堤クラスは、所詮素人のダムファンでは、なかなか情報は掴めませんが、日本の何処かで一般の目に触れる事なく、こんな小型のアーチダムが、まだまだ潜んでいるのは間違いないと感じました。



厳木第二調整池ダム
★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム佐賀県 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
嘉瀬川ダム

堤高97m
G/FNAWIP 2012年 国土交通省

2011.11.3日見学

嘉瀬川の新しい風。


九州道鳥栖JCTから長崎道に入り、佐賀大和ICで高速を降ります。国道323を北に向い、約10Kmで、九州地方整備局が建設を進めている嘉瀬川ダムに到着します。

快晴の青空に、真新しい白いコンクリートが眩しく栄えています。
クレストに連なる洪水吐、まだ工事の続く真下に行くと、壮観な光景が目の前にありました。

嘉瀬川ダムは、水道水、工業用水、灌漑用水の供給、さらには発電も行う、なんでもできるスマホの様な新鋭ダムですが、やはり役割として大きいのは洪水調節です。

佐賀県庁をかすめるように佐賀市街を縦断し、有明海に注ぐ嘉瀬川は、天井川という事もあり、幾度となく大きな水害を繰り返して来ました。
嘉瀬川の上流には北山ダムがありましたが、農政局が管理する灌漑用のダムである為、大きな洪水調節容量を持った多目的ダムとして、新しく建設されたのがこの嘉瀬川ダムです。



クレスト中央に、取水設備、コンジットの予備ゲート室、エレベータ塔などが、すっきりとレイアウトされています。

その造形はシンプルで、特に主張する事もなければ、変に隠してしまう事もせず、「あるべき所に、あるべき物を取付けた」と、いった感じで、潔い清々しささえ感じます。



この嘉瀬川ダムのデザインに関しては、ダム便覧で、デザインされた方の詳しいインタビューが記事になっています。
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=502

ですので、僕があれこれ書いても受け売りになってしまうので、デザインに興味のある方は是非、便覧を読んで頂きたいのですが、この記事を拝見して、実際に現地に行ってみると、「なるほど〜」と、納得する事ばかりでした。

と、言うのも、堤高は97mと100mクラス、そして堤頂長も454.5mもある巨体なのですが、スペック程の大きさを感じません。
かと言って、僕の目の前には紛れも無く、そのサイズ通りの巨大建造物が実在している訳で、他のダムにはない、嘉瀬川ダムだけの独特の「雰囲気」を持っているのです。

現実には、「巨大コンクリートダム」を観ているのですが、何故かダムではなくて「大きな真新しい橋」を観ているようなイメージなのです。

重力式コンクリートダムの「重さ」を感じない・・・と、言った感じでしょうか?。



何故そんな風に見せているかは、インタビューを読むと、意図していた事が解ると思います。

でも、単純に押し出しを抑えて、シンプルに作れば良いと言う訳でもなく、細部を観ると、取水塔の角を大きく面取したり、洪水吐のピア先端部の角も落とすなど、コンクリートのマス感を意図して抑え、計算されたデザインが施されている事が分かります。



見学に訪れた2011年の11月初旬は、サーチャージに向け試験湛水も大詰の時期でした。
ダム本体の施工は完了していますが、管理所付近など、ダム敷地内にはまだ入る事が出来ません。

管理所もダム本体とお揃いのデザイン。
何処か、どうお揃いなのか?と、聞かれそうですが、お揃いの「雰囲気」と言うのがミソです。

入口の軒下には、新品の巡視艇(?)が仮置きされていました。



450mを超える長い天端。
街路灯が流行の高欄埋込みではなく、オーソドックスな物ですが、これも意図して採用しているのかと思います。

訪問時は未だ立入禁止でしたが、今年の4月から天端も入れる様になったそうです。(夜間は立入禁止)



ダムサイト右岸のすぐ上流には道の駅ならぬ、「ダムの駅」がオープンしていました。
嘉瀬川ダムは佐賀市街から玄界灘に抜ける国道323沿いにあり、家族連れの車や、ツーリングのライダー達で溢れていました。



ダムの駅の裏手から。
並々と水を湛える嘉瀬川ダム。



一年以上前の、昨年の10月から試験湛水を開始。
現在サーチャージまであと数メートルといった所です。

見学した2週間後の11月19日に無事サーチャージを迎え、越流の様子は一般公開されたそうです。(惜しいなあ、観たかったなあ)



ダムの駅の裏手からは、湖畔を散策できる公園になっているみたいですが、試験湛水に伴う水没の為立入禁止。

100年に1度の大洪水を想定していますが、こうやって咽かに湛水の様子が見えるのは、これが最後でしょう(大洪水の時は、それどころじゃない)



ダムを眺める湖畔には芝生とベンチ、秋の日差しも柔らかで、和やかな感じ。

地元の方々の目に、嘉瀬川ダムはどう映っているのでしょうか。
嘉瀬川ダムは、度重なる水害から守ってくれる頼もしい存在です。



結構真剣に読んでます・・・。
ダムガールとして将来有望??。

彼女が大きくなる頃は、かつて佐賀市で水害があった事は、きっと遠い昔話になるのです。



3月20日にめでたく竣工式が行われ、無事完成した嘉瀬川ダム。

街を守り、人々の暮らしを支え、背負う責務は重いけど、
秋空の元、颯爽とした佇まいは清々しく、
その姿は、ダム界に吹く新しい風を感じさせるのでした。



嘉瀬川の新しい風

嘉瀬川ダム
★★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム佐賀県 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |