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稲村ダム

堤高88m
R/P 1982年 四国電力

2011.10.9見学

天空のバルコニー。


念願だった大森川ダムを訪問し、無事下界に戻ってきました。
現在時刻は午後1時、さて次はどのダムに行こうか?。

前回、天端が工事中だった大橋ダムと、高藪取水堰堤を再訪してもいいし、お気に入りの長沢ダムに行くのもいいなあ。
そういえばこのエリアで未踏のダムがありました。
大橋ダムを下池として揚水発電を行っている四国電力のロックフィル、稲村ダムです。

稲村ダムの位置は大橋ダムから南東におよそ5km、地図上では近いのですが、いざ向かうとなると小一時間延々と峠道を登る事になるので、時間に余裕が無いと訪れるのが難しい物件です。

ダムの手前で、とても不思議な岩山に出会いました。
もしかしたらと思ったのですが、後から四国電力本川発電所のパンフで確認すると、やはり稲村ダムの原石山でした。

最近のダムは原石山を水没エリアや湖畔となる場所とする事が多いかと思うのですが、これだけ目立つ所にあるのは珍しいと思いました。

原石山の周辺は計画的に植林され、岩肌と緑のコントラストがとても自然で、お世辞抜きで美しい景観だと感じました。
環境破壊の象徴のような言われ方もされるダム建設ですが、その爪跡が美しい景観を造りだしているとしたら、どうなるのだろう?。

剥き出しの岩盤が美しい景観であるかは個人の主観もあるけど、この風景がもし自然界の天然の産物であったなら、ダイナミックな絶景として人気の行楽スポットになっているのではないか。

なんて事を思いつつ、稲村ダムを目指します。



ダムの周辺は、ここもまた秘境と呼ぶに相応しい辺境の地で、稲村ダムが建設される前は、何も無かった所だと思います。
そんなロケーションなので、稲村ダムが完成しても、ここには稲村ダムしかありません。

(四国はロックフィルの事をロックヒルと呼ぶのか?たしかに岩の丘と呼びたいのも解るけど)



原石山から1〜2キロほど進むと岩村ダムに到着。

ふもとから一気に500mほど駆け上がって来ました、天端の標高はおよそ1100m。
ここは少し秋が深まっています。



ダムサイトには広い駐車スペースが確保され、小さな公園のように整備されていました。

独特の緑掛かった四国の石、えーっと、名前は緑色片岩だっけ?。
公園スペースには、その緑の砕石が敷き詰められていました。
この辺りでは当たり前に観る石だけど、地元の人にも、ちゃんとその美しさの自覚はあった訳です。



稲村ダム本体を左岸から。
天端は立入禁止となっています。



堤高88m、堤頂長352m。
とても立派なロックフィルダムです。

立入禁止の天端は柵などもなくスッキリ。
その事もあり、ロックフィルダムとしては異例なシャープな顔をしています。



リップラップは整形タイプの様なのですが、大小の石が混在する特徴的な表情をしています。
ひとつひとつの石も平らで角が鋭く尖っている感じです。

苔や雑草がほどんどなく、乾いたドライな印象。
陽光を照り返し銀色に輝いて見えました。



リップラップの下の方を観ると、広く高く盛土がされていました。
アスファルト舗装の道も見えます。

天端からリップラップの中を葛折れに降りて行く巡視道がある様です。



東を向いたダム本体、南北に長く広大な貯水池。

北西方向の大橋ダムの貯水池にある本川発電所まで、落差560mを使って揚水発電を行なっています。



駐車場などの周辺施設が綺麗に管理され、色白のリップラップから新しいダムかと思ったら、1982年竣工と思いのほか古いダムでした。

標高1100m、天空のバルコニー。
聞こえるのは鳥のさえずりと、風が木の葉を揺らす音だけ。
雲は手の届く場所にあり、隙間からの陽光がリップラップを眩しく照らしていました。

訪問には少し手間と時間が掛かりますが、ドライブ気分で余裕を持って訪問されるのをお勧めしたい心地よいロックフィルでした。



稲村ダム
★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム高知県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
大森川ダム

堤高73.2m
HG/P 1959年 四国電力

2011.10.9見学

孤高の騎士。


大森川ダム。
それはダムに心を奪われてから、ずっと忘れる事なく思い続けていた、僕にとって幻のダムである。

高知の山奥深く、吉野川源流部の支流である大森川渓谷にあり、ダムへと向かう林道はどれも難所の酷道であり、通行止めも多い。

最初にアタックしたのは2010年の2月。
この時は林道が工事の為、完全な通行止めであった。
諦めがつがず、ダメ元で林道入口から数キロ入ってみたものの、生憎の雨天でダート路面はぬかるみ、工事現場まで達する事なく撤退を余儀なくされた。

2回目のアタックは2011年5月、この時の四国遠征も雨に祟られた。
さらにアタック予定の前日に子供が熱を出し、急遽帰還命令が下され断念。
大森川に嫌われているのか。ダムの神よ、何故試練をあたえたもう。

そして、3回目のチャレンジを慣行したのは2011年10月の事であった。
今回アタックを10月としたのは訳があった。
まず、ダムまで続く全長11キロにも及ぶダート林道は雨が降るとぬかるむ事が予想され、10月は晴天が多く天候が安定する時期である事。
そしてもう一つは、ダム便覧やネット上の大森川ダムの写真は何故か曇天の写真ばかりであった事。

晴天の大森川ダムを観てみたい。
すっきり晴れ渡った秋空をバックに大森川ダムを観て、そして写真に収めたい。

鏡ダムに立ち寄った後、国道194を北進。
午前9時、大森川渓谷沿いにダムへと続く林道の入口に到着。

大森川ダムまでは、これ以外にも林道が存在するが、通行止めが多く、例え開通していても常識では想像もつかない超ウィザード級のハード林道であり、素人が2駆の乗用車で行くのは自殺行為に等しい。
唯一、普通の車で行けるルートがこの渓谷沿いの林道であり、そこから向かう大森川ダムこそ、普通車で現地まで行けるダムとしては、最高難易度のダムと言える。



林道入口から数キロは林の中を地形に沿って進む林間ダートである。
10キロ以上もダートが続く、タイヤにダメージを与えない様に慎重にデミオ号を進める。

焦る事はない、今日は大森川ダムのみを落とす計画なのだ。



林間ダートを3〜4キロほど進むと視界が開けて来る。
今度は谷底まで100mはあろうかという山腹を延々と進む事になる。

ここは天国への階段か、それとも地獄の入口か。



去年の冬にアタックした時と比べて、非常に走りやすいダート林道。
実は、最近補修がされた様で、深い轍は砕石がきっちりと敷き詰められ、覚悟していたより路面のコンディションがとても良い。時々、車体の底をコンコンとノックされるが全くの想定内である。

但し、轍を埋める砕石は拳大の石が多く、常にパンクの危険がつきまとうため進路は慎重に選ぶ必要がある。

また、待避所が悲しいほど少ない。幸い一台も対向車が無かったが、運が悪いと何百メートルもバックする事になるかもしれない。

ともかく、昨日迷って突入した普当池左岸のダート林道と比べたら、これでも快適とすら感じてしまう。
一度地獄を味わうと、直ぐに免疫が出来てしまうダムファンの性が恐ろしい。



さらに進むと、はるか眼下に見えていた渓谷がすぐ側に見えるようになる。
ここからダムまではアップダウンも少なく、快走ダートが4〜5キロ続く。

さあ、難所は超えた!。



ダムまであと1キロの地点に渓谷を渡る橋がある。
橋を渡るとダム左岸にあるダム管理施設に、そのまま進むとダム右岸に達する。

僕が選んだのは、そのまま直進して右岸に向かう道である。
橋から上流へ500m、ゆっくりと車を進める・・・。

前方の谷間にコンクリートの巨大な壁が見えてきた!!

高鳴る期待!
心臓の鼓動が聞こえてきそうだ!




おおおおおおおおお!



をををををををををををををを!



ついに来たーーーーーーーーー!!!
幻のダム、大森川ダム!!!

雲ひとつない快晴の空。
大きく翼を広げるその勇士。

大森川!
嗚呼!大森川!!

美しいV字の谷底から築かれた73.2m。
カッコイイにも程がある!



胸元に刻まれるのは巨大な十字架か。

左右に伸びるホロー内部と通じる換気口への巡視路。



しゃーばばばばばばばばば。

深い渓谷を跨ぐ大森川ダム。
河川維持の放流の水音は、塞がれた谷底に反響し、辺りを支配している。

ここからまだ300mは離れているが、音源が耳元にあるほど近くに感じる。
まるでヘッドホンで音を聞いているようにさえ感じるのは、眼前の風景が現実離れした絶景である為か。

これは現実か、それとも夢か。
現実世界にしては、あまりにもヴァーチャルな空間。
現実ならずっと眺めていたい、夢なら永遠に。



真直ぐに落ちる人工の滝。
意図的に刻まれた横継目のライン、ラディカルな堤体デザインにとても良く似合う。

ごつごつした河原の自然な情景が、現実世界と僕を結ぶ唯一のロープ。



林道は相変わらず一台も車が来ない。
放流の音だけが高知の秘境に響き渡る。

持参したコンビニ弁当で昼食。
一時間ほどダムを鑑賞していたら、天端の向こうから雲が湧いて出てきた。
最初、日本晴れの青空で鑑賞できたのは、奇跡的なタイミングだったのかもしれない。ダムの神様に感謝。

太陽が真上に近くなると、堤体の中程、十字架の少し下辺りで堤体の色が変っているのが解る。
中空重力式の堤体は、途中で傾斜が切り替わっていて、光線の当り具合で表面の明るさが異なって見えるのだ。



時間はまだ余裕がある。
蛇に睨まれた蛙の様に、またしばらく堤体を観ていたが、林道を奥に進み堤体右岸に行ってみる事にした。

ダム直下からダム右岸へ上る坂道。意外にもここだけコンクリートで舗装が。
快適、快適。



坂道を登り切ると直ぐにダム本体の右岸に到着。
天端は厳重なフェンスにより立入禁止。

岸沿いの車道から間隔なく始まる天端、とてもタイトである。



フェンスの隙間からレンズを出して写真を撮る。

イージス艦の装甲を思わせる硬質な表情。

全ては省コンクリートの為に。
無慈悲でクールな造形は、中空重力式ならではの迫力と魅力に溢れる。



そこには、バケットカーブといった、技術者の主義志向が反映できる要素はない。

高欄でさえ只のコンクリートの一枚板でしかなく、そこから一気に突き落とす様に始まる下流面。



途中で勾配が切り替わるが、それも構造的な要素の一つでしかないのだろう。

山の中に射す光のように、全てが直線で構成された大森川ダムの姿。



唯一、この大森川ダムの外観で曲線が使われているジャンプ台の基部。
木々に隠れているがジャンプ台は側面からアーチ形状にくり抜かれている。

これも省コンクリートの為、アーチ状であるのは力学的な要素。
何処までもクール、それが大森川ダム。



ダムサイトを少し離れ、上流面を望む。

わずが15年の間に13基のみ建設された中空重力式ダム。
この大森川ダムの竣工は1959年。
1957年完成の井川に続き、中空重力式としては国内二例目のダムである。

省コンクリートが目的であり、よって小型ダムの施工例が無く、73.2mもあるこの大森川でさえこの型式では特別高いダムではないが、シャープな風貌がそう思わせるのか数値以上に高いダムに感じる。

U字谷に造ってこそ真価を発揮する型式であり、191mの堤頂長はこの型式では短い方である。
但し、下流面から観たV字谷の光景は両岸の山の張り出しによるもので、実際の堤体正面形状は、もっとU字谷に近いものではないかと想像される。



静かな貯水池。
矢木沢ダムや三浦ダムにも通じる最果て感が漂う。

実際、吉野川最上流の源流部に築かれた長沢ダムを下池とした揚水発電の上池を担うのが大森川ダムの使命であり、名実ともに最果ての秘境と言って良いだろう。



対岸に見えるダム管理所。
左岸にもほとんど平地がなく、非常のタイトな立地である。



揚水発電専用のダムである為、ダム本体には取水設備などは一切無い。
クレスト中心に構えるクレストゲートも1門のみと潔い。

クレストから此方の右岸に延々と伸びている物がある。
先程、渓谷に水音を反響させていた河川維持用のホースの様だ。



1997年の河川法改正により、発電用ダムに於いても河川維持の為の放流が義務となった。
クレスト脇からの放流は、半世紀にのぼる大森川ダムの歴史の中では、つい最近の変化だと言えるだろう。

堤体から右岸へと続く2本のホース。
岸に一旦上陸したホースは右岸に沿い、貯水池に浮かぶ取水設備へと繋がっていた。



僕にとって幻であった大森川ダム。

記念写真など滅多に撮らないのだが、3年と8ヶ月、15万キロを付き合ってくれたデミオ号と記念撮影。

高知の自然と水の恵みにも感謝。
電気のある便利な暮らしも、大森川ダムの様にひっそりと人知れず働き続けているダム達のお陰である。



高知の秘境にその姿を魅せる大森川ダム。
それは想像を超える恰好良いダムであった。

ダート林道を延々一時間ほど進んだ先にあり、誰しも勧められるダムでは決して無い。しかし、ダムファンなら可能であれば是非訪問して欲しい名堤である。

多少苦労しても、必ず期待以上の驚きと感動を持って迎えてくれるだろう。



秘境にそびえる孤高の騎士。
大森川ダム

★★★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム高知県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
鏡ダム

堤高47m
G/FNWIP 1966年 高知県営

2011.10.9見学

「四国の命」、高知の分け前。


今回の四国遠征の最大の目的は、大森川ダムを訪れる事でした。
遠征2日目は、ターゲットを大森川ダム1基に絞って挑みます。

高知道南国SAで車中泊をして、朝一に向かったのは高知県営の多目的ダム、鏡ダムです。

ターゲットを大森川1基に絞って於きながら、いきなりの寄道ですが、このまま大森川へ向かうと丁度8時くらいに林道を通過する事になるので、工事などの関係車両と林道で遭遇しそうな時間を避ける為の時間潰しなのでした。

鏡ダムまでは高知道伊野ICから僅か数キロ、高知市の中心街からも10キロ程度のアクセスの良さ。
そのアクセスの良さから何時でも行けそうなイメージがあり、未踏のダムファンも多いのではないでしょうか?。
確かに、少し足を延ばせば「四国の命」早明浦ダムや、貴族的なルックスの大橋ダム、穴内川と大森川の2基のHGなど有名処のダムが多いこのエリアにあって、少し影の薄い鏡ダムです。

早朝の鏡ダム。
ダムの右岸下に立派なウッドデッキの展望スペースがあり、ダムを愛でる事が出来ます。

周辺は沢山の桜が植樹され、桜の名所となっているそうです。
立派な広いウッドデッキはお花見の宴会スペースなのかも。



印象的な濃赤のラジアルゲート。
クレストセンターに非常用洪水吐 9.5×9.5m 1門。
左右にオリフィスゲート 5.3×5.3m 2門の布陣。

鋭い造形の堤体導流壁もヒーローの襟みたいでカッコイイです。



ボリューミーな副ダム。
ダム巡りの朝一なのでOKですが、何基も見た後では胸焼けしそうなボリュームです。両岸に三角断面の非越流部があり、副ダムですがちょっとしたダムの風貌。



副ダムの中に見えるのは仮排水の跡でしょうか?。
ガチガチに川床を固めていなくて、天然の岩肌が見えるのも印象的です。



右岸の道を登って、車で天端を通過しました。
大きなダムですが天端の幅が一車線程度と狭めで途中で停車する事もできず、写真はいきなり左岸となります。左岸に見学者が使えるパーキングがあります。

対岸の白い大きな建物がダム管理所ですが、こちらの左岸にもダム本体から直接生える感じで建物があります。



対岸に新しく管理所が出来て、こちらの建物は引退しているみたいです。
無人の建物には「管理棟」のプレートが後付けされていました。



左岸から天端。
天端は右岸端で少し折れ曲がった形をしています。



無人の管理棟の柱に「展望台↑」の文字。



左岸のパーキングに車を停めた時から、建物の屋上が気になっていました。
管理棟の屋上に手摺やベンチらしきものが見えていたのです。

ダムサイトの右岸には幼稚園や保育所があり、園児のお散歩でここに登る情景が頭に浮かびました。
管理棟の屋上を展望台として開放、ナイスなアイデアです。



ところが今日は日曜、しかも朝の6時とあって、残念ながら利用できませんでした。

「タバコの火には気をつける。」

きっと愛煙家が作った看板ですね(笑)。そうじゃなかったら多分禁煙なので。
愛煙家にとって世知辛い世の中です、ダム展望台くらい思う存分吸って下さい。



展望台を諦めて天端を歩きます。

ラジアルゲートの真っ赤なアーム。
思いのほか白いコンクリートは放流の頻度が高い証かもしれません。

白い斜面と踏ん張った両腕。
スキージャンプ競技の選手の目線みたいですね。
ピッ、ピッ、ピッ、ポーン!と音が鳴ったら、飛び出して滑り出して行きそうです。



ダム下には発電所。
FNWIPと働き者の鏡ダムです。
発電事業は四電でも電発でもなく、高知県営の様です。



その名の通り鏡のような貯水池。
ダム名の鏡は、鏡川という河川名が由来です。
急峻な山地から短い距離で一気に海へと注ぐ四国の河川は、どの川も美しい川ばかりです。

鏡ダムの水源は鏡川の水の他に、早明浦ダム上流の堰堤から導水トンネルで水が供給されています(高知分水)。



四国四県に水を供給し、文字通り「四国の命」である早明浦ダムは、高知にありながら実は高知県内への流量配分はわずか4%でしかありません。
(徳島県48%、香川県29%、愛媛県19%、高知県4%)

この4%というのが、高知分水から送られた鏡ダムへの給水分だと思います。
(間違っていたらごめんなさい)



少し影の薄い鏡ダムでしたが、高知市民に親しまれているとても立派なダムでした。その役割も大きく、時間潰しに訪問したのが申し訳ない素敵なダムです。

これからの桜の季節に是非お勧めしたいダムと締めくくり、罪滅ぼししたいと思います。

鏡ダム
★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム高知県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
NHKスペシャル 仁淀川

突然ですが、今晩のNHKスペシャル

「仁淀川 青の神秘」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0325/index.html

青森から鹿児島まで、たぶん普通の人よりも沢山の河川を観てきたはずの私です。

「仁淀川」は、私が観てきた沢山川の中で一番豊かで美しい川です。
去年、鏡ダムから大森川ダムに向かう途中に車中から観た仁淀川の情景が忘れられません。

朝もやの湖面、淡い朝日、川漁師の小船・・・。

自然の姿と、人と、人の暮らしがバランス良く調和した素晴らしい「生きた川」だと感じました。

仁淀川は、大渡ダムをはじめ、本流に幾つかのコンクリートダムがある川でもあります。

番組では、たぶんダムについては取り上げないと思いますが、河川と、暮らしと、ダムの事について、考えを深めるヒントがあるかもしれません。

と、いう事で観てみようと思います。
興味のある方は是非。

| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奥出ダム

堤高18.7m
G/A 1991年 高知県営

2011.10.8見学

プチ下久保。


謎のフィルダム(あえてロックと言わない・・・)普当池を調査して、一時はガス欠の危機にあった本日のダム巡りの予定は完了です。
日没まで少しだけ時間があったので、近くの奥出ダムに行ってみる事にしました。

ジル蔵池や普当池のあるこのエリアは、他にも灌漑用のアースダムがいくつもあり、15m未満の溜池も含めると沢山の土堰堤があります。

集落の奥にコンクリートの構造物。ありました、奥出ダムです。
奥出ダムはアースダムの多いこのエリアで唯一のコンクリートダムです。



竣工は比較的最近(?)の1991年。
1キロほど西にコンクリートダムの和食ダムが計画中で、このエリアは、古いダムはフィルダム、新しいダムはコンクリートで・・・といった感じ。

堤高18.7mの小さなダムですが、天端はちゃんと車道になっています。
いつもの様に歩いて散策。堤頂長も62mとコンパクト。

あっと言う間に右岸かと思えば・・・。



おやーっ?

右岸の端っこが折れています。
しかも、ぱきっと直角90°コーナー。



わっ、下久保だ、下久保だ!。

右岸の副堤体の部分はダム本体とほぼ同じ長さがあり、その感じも下久保にそっくり!。



見事な直角コーナー。

副堤体の部分はそんなに高さはありませんが、盛土をしているかもしれないので基礎地盤からの堤高は外観からは不明です。



今迄、「堤体が直角に折れているダムは?」とクイズが出たなら、下久保ダムが正答でしたが、マニアックな人は是非「奥出ダム!!」と答えて下さい。



プチ下久保。奥出ダム

★★


| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム高知県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
普当池

堤高17m
R/A 1956年 高知県営

2011.10.8見学

ミステリー・ゾーン。


最新鋭の綺麗なダムも好きですが、どちらかと言うと古くて渋いダムが好きです。

一日で幾つものダムを巡る時は、古いダムは極力落とさずに見学しています。
いつもコンクリートダムが主体ですが、ロックフィルも特徴があったり、竣工が古いものは観るようにしてきました。

日本のロックフィルで、歴史ある古いダムベスト3はこの3基です。

第一位
日本最古のロックフィルは、岐阜県の小渕防災ダム。
完成は1951年です。
丸山ダムや小里川ダムなども近く、古いダムですが比較的訪れやすいダムです。
ダム湖の上を東海環状自動車道が通過しており、知らない間に通過しているという人も多いのではないでしょうか?



第二位
岩手県の石淵ダム。
小渕防災ダムよりも着工が早く、見方を変えればこちらの方が古いとも言えます。
小渕防災ダムは、1948年着工、1951年完成。
石淵ダムは、1945年に着工、完成は1953年です。
現在真下に胆沢ダムがほぼ完成しており、やがて胆沢ダムの湖底に永久保存される事となっています。



第三位
天空の楽園こと、群馬県の野反ダム。
こちらは1953年着工、完成は1956年です。
非常に美しいロケーションの中にあり、とても好きなダムのひとつです。



さて、日本のロックフィルを古い順に3基ほど観て頂きましたが、この3基が一般的なロックフィルとは少々違う事に気が付かれたでしょうか?。

そうです、この3基全て表面遮水型なのです。
鉄筋コンクリートの遮水壁で水を留めている、ごく初期のロックフィルに採用されていた型式です。
そうとなれば、ある疑問が生れるのは至極当然と言えます、その疑問とは・・・。

「日本で最初にコアを持ったゾーン型ロックフィルはいったいどのダムなのか?」

ダム便覧で調べてみると、野反ダムに次いで4番目に古いロックフィルは、高知の「普当池」というダムである事が判りました。

しかし、ダム便覧には写真が1枚も無く、遮水の型式も、どの様な姿のダムであるかも判りません。
それどろか、位置さえ未確認であり、普当池というダムが本当に実在しているかも確証がありませんでした。

と、言う事で、位置未確認の普当池を発見し、表面遮水であるか、それともゾーン型であるのか、その疑問を解き明かす為、四国は高知へと向かったのでした。

地形図と衛星写真で、事前に目星を付けた池に向かいます。
土佐湾の海原を右手に見て国道55号を東進、御殿ノ鼻という小さな岬の辺りで左折して山側の集落の中へと車を進めます。

河川は赤野川水系赤野川・・・ん、何処かで聞いた事ある・・・。
しかも、この道は見覚えがあるぞ、わりと最近この道を通ったな・・・。
実は、半年前に訪れたジル蔵池のすぐ近くだったのでした。

目星を付けていた池に到着。
堤体の上はアスファルト舗装の農道となっていて、堤高はどうみても5m程度。

これが普当池なのか?。
しかも、堤体の造りはどうみてもごくありふれた野池であり、もし堤高を満たしていてもアースダムに分類されるものです。



わざわざ高知まで来て、なんか違う感じの野池だった・・・ではあまりにも中途半端です。
周辺の農道を行き来して、周囲をくまなく探査しましたが、結局それらしい池の発見には至りませんでした。

こうなったら、現地で情報収集です。
農作業中の地元のおじさんに声を掛けてみました。

「こんにちは、すみません、あそこの野池は何という池ですか?」
「あ、あれは〇〇池だ」 (池名は念失)

「そうですか、普当池という池を探しているのですが、ご存じありませんか?」
「普当池?・・・あんた、どうせこれじゃろ」
(ルアーロッドを振るジェスチャー、バス釣りが嫌われている様だ)

「いえいえ、釣りではなくて、溜池の調査をしています」
「あ、そうですか!、えーっと、普当池はですね、この道を・・・」

と、いうやりとりを経て、ついに普当池の場所が判りました。
「溜池の調査」という言葉がかなり有効に働いた様で、かなり詳しく教えて頂く事が出来ました。調査と言っても、バス釣りと同じで個人的な遊びには変りないのでかなり恐縮。

何はともあれ、ともかく普当池と名の付く池が、実在している事はこの時点で確定しました。

集落の外れから林道に入ります。
500mほど進むと、コンクリート舗装が終わり、道はダートになります。
このコンクリート舗装の終点が普当池の目印です。



路肩に車を停め、林道の下を見ます。

あった!

林の木々の向こうに水面が西日を反射して輝いて見えました。



林道からダム本体までの道は、獣道的なラフロード。
つる草に足を取られ、転びそうになりながら水面の方に向かいます。

見えて来ました。
これが、四国初、いや、近畿以西で最初に完成したロックフィル。
そして、日本初のゾーン型ロックフィルダムなのでしょうか!?。

ざざざざざっ・・・。
はやる気持ちを抑える事が出来ず、斜面を駆け下ります。



がさがさがさ・・・・。

斜面を駆け下りると、いきなり左岸端の洪水吐の中に降りていました。
吐の上に橋が無く、左岸から天端へ向かう場合、洪水吐の中を横断する事になります。

そして、この洪水吐の中から普当池の堤体を観ます。

どきどき。



んんん・・・・・・?

なーんかイメージ違う。

ロックフィルダム・・・と、いうか。

・・・アースダム???。



草むら状態の天端を進みます。
ほとんど人が訪れる事が無いのか、踏み跡もありません。



天端から下流。
堤体の真下は当然といった感じで林になっています。

そこそこの堤高があり、目測ですが普当池の堤高17mと合致しました。
ここが普当池と考えて間違いなさそうです。

ただ問題は、そこにはロックフィルらしいリップラップはなく、天端の草むらがそのまま下流面全体を覆っています。



天端を渡って右岸に来ました。
岸に耕運機が置いてありました、右岸にも道があるみたいで本当はこちら岸から行くと良いのかもしれません。

水面の上に見える石貼は、見様によっては整形リップラップに見えない事もありません。
山林の中なので、完成後半世紀の間にリップラップ全体が雑草に覆われてしまったのでしょうか?



下の写真は、同じ水系で3キロほど上流にあるアースダムのジル蔵池です。
竣工は普当池の前年の1955年なので、同じ時期に造られたダムと言えます。

普当池と良く似ています・・・。
素人なので外観でしか判断できませんが、同じと言っていいと思います。



疑った目で観ると、アースダムにしか見えない堤体です。

ダムの周辺は赤土の山林で木々が茂っています。ロックフィルの主な材料である石材が沢山取れるような感じではありません。
この場所にロックフィルを築堤するには、別の遠い所から原石を運び入れる必要がありそうです。

また、投石法で築堤したとすると、トロッコの軌道の名残があっても良さそうですが、その様な遺構も見つける事はできませんでした。

ダム友の夜雀さんに意見を伺ってみると、
堤高が17mしかないのなら、均一フィルのアースで充分築堤可能な規模である。
ゾーン型にしろ、表面遮水にしろ、ロックフィルで造らねばならない理由が無い。
との考察を頂きました。おおおお、流石は少佐、指摘が鋭すぎる。



結局、表面遮水ではないと言う事は解ったものの、ロックフィルダムであるかについては結論に至る事ができませんでした。

また、位置未確認ダムを確定するには石碑や銘板などでダム名か、池の名称を確認し、本当にそのダムであるかの確認が必要なのですが、位置未確認物件の捜索は初めてで、僕の調査力ではそれらを発見するに至りませんでした。

その後、位置未確認ダム探査の東の雄、D侍さんの現地調査により銘板が発見され、この池は正式に普当池と確定される事になりました。
現在はD侍さん撮影の写真と共に、ダム便覧に位置情報も記載されています。

また、ダム協会から普当池の管理者様にダム型式の再確認を行なって頂いたのですが、「ロックフィルダムである」という回答であったそうです。

うーむ。謎が謎を呼ぶダムミステリー。

ミステリー・ゾーン。
普当池
★★


ちなみに、普当池を探して林道に入った時、ダムの水面を見落として、ダート林道をそのままずっと奥まで行ってしまいました。

轍掘れ掘れダート。
下手に停車すると亀になってしまいそうだったので、突っ切ったらフロントが大変な事になっていました。
これもダムを見落として行き過ぎた為でしたが、自分のダム巡り史上最も過酷なダートでした。
普当池に行かれる人は、くれぐれもご注意を!。

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三縄ダム

堤高17m
G/P 1959年 四国電力

2011.10.8見学


若宮谷ダムを観た後、そのまま県道32を北上すること約12Km、県道から見下ろす位置に見えるのが四国電力の三縄ダムです。

堤高17mと低いのですが、ゲートピアがとても高く、ふたまわりは大きなダムに見えます。もし堤高がピアの頂上という事だったら、堤高は30m近いかも。

そのあたりはダムキング佐久間と同じで、ちょっと損をしています。
佐久間ダムもピアの高さまで含めたら、間違いなく奥只見ダムを軽く超え、重力式では高さナンバー1のはずです。



県道からダムへ降りる道は車両進入禁止です。

歩いて行ってみようかな・・・?。少し迷って諦めました。
不審者には違いないから、迷惑になるかもしれないので。



高いピアをやや上流から。

水の透明感も印象的。
白っぽいコンクリートと、淡く明るいグレーのペイントもよく似合っていて、蒼い湖面に映えます。
白い部分と、少し黒ずんだ部分の比率がなんだか白馬を連想させ、妙にカッコよく見えたりします。



明谷ダムにも通ずる角ばったゲートピア。
両岸にある自然越流のゲートは、対照的に丸く分厚い感じ。

そして、ローラーゲートの下流面に注目。



そうです、またしても石張りです。

三縄ダムの竣工は1959年。
堤体の整形目的ではなく、完全に表面保護を目的とした石張りです。

このタイル状に貼られた三縄ダムの石張りは、NASAの宇宙開発計画に影響を与え、
スペースシャトルに採用した耐熱タイルへと繋がりました。


うそです。



澄んだ水面の下には所々石張りが痛んで剝れていました。
それだけ激しい川だと言う事でしょう。

NASAが総力を注いで開発した耐熱タイルだって、最初の頃は時々剝れて問題になったくらいなので、石張りだってはがれる事もあります。



四国のダムを観ていたら、ダムの石張りには、実は色々な種類があるという事が良く解りました。

整形の型枠を兼ねて石を積み、内部にコンクリートを充填して堤体を築いた石張りダム(メイソンリーダム)と比べ、この三縄ダムは、石張りでありつつも、メイソンリーとは呼べないタイプだと言えます。

このタイプの石張りは決して三縄ダムだけでなく、例えば仁淀川の筏津ダムでも、左岸端のゲートに採用していたと思います。(筏津ダムの場合は、さらに鋼板で重武装)

四国以外でもきっと見つかるとは思いますが、四国のダムの特徴のひとつと言えると思います。



スペースシャトルが初飛行した頃、僕は小学生で、
「NASAが開発したくせに、表面はタイル貼りなんだー」
と、風呂場の水色やピンク色のタイルを連想して、なんだか微妙にガッカリした記憶があります。

戦後10年以上経過して、型枠でのコンクリート整形が確立していても、一見時代遅れに見えるけど採用されていた石張りに、なんだかスペースシャトルの耐熱タイルがオーバーラップしてしまうのでした。

三縄ダム
★★


おまけ。

先日、明谷ダムのレポートで「石積み」と「石張り」の違いについて書いたところ、先祖代々石積み職人の家系という詳しい方からアドバイスを頂きました。

石積みと石張りの区分は勾配によるのではなくて、もっと設計上の違いによるものとの事でした。
具体的には、石を外しても設計上の安定条件を満たし、構造として成り立つものを「石張り」、そうでないものを「石積み」と区分されるそうです。

そうなると、今まで「石積堰堤」として紹介してきたダム達も、表面の石を外しても内部のコンクリートでダムとして自立し、ダムの堤体として水を遮断する事が出来ますから、全て「石張堰堤」と言う事になります。

但し、これらの考え方は各土木分野で統一されたものではなく、分野によって異なり、それが全てではないとの事ですが、メイソンリーダムは下流面の傾斜に関係なく、「石積」ではなく、「石張」と表現した方がより正しい様です。

土木の世界って、知れば知るほど奥深くて面白いですね。

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若宮谷ダム

堤高32.2m
G/P 1935年 四国電力

2011.10.08見学

ミステリアス・ビューティー。


名頃ダムの後で無事に給油を済ましたあと、国道439から県道32に右折します。

祖谷川にある高野発電所を過ぎた所で、趣のある姿に車を停めて見入ってしまったのが、明谷ダムのレポでも紹介した、四国電力栗寄取水ダムです。
今から目指す若宮谷ダムは、この取水堰堤から水が送られています。

ガラスのように透き通った祖谷川の水に心が洗われます。



祖谷のかずら橋など観光名所をスルーして、西祖谷中学校の手前から細い山道に入ります。
若宮谷ダムは中学校のすぐ裏山にあります、500mも登らないうちに渋いコンクリートの堤体が見えてきました。

若宮谷ダムに限らず、ダムと学校というのは意外と近い場所にある事が多いです。
多くは、水没集落にあった学校の移転が想像できます。(岐阜だと横山ダムや、高根第二ダムなど)
若宮谷ダムの場合、水没範囲も狭く、戦前の古いダムなので、建設プラントや資材置き場などの平坦で広い跡地が、後の学校の建設地にうってつけだったのかもしれません(想像)。

洪水吐を持たない若宮谷ダム。
とてもシンプルで綺麗な堤体というのが第一印象でした。



シルエットがシンプルな事もあり、クレストのコンクリート高欄が際立っています。
高欄から垂直に落ちた下流面は、大らかなバケットカーブに繋がっています。



オールドダムで時々見かける、堤体表面のコテ跡のような模様。
佐世保の菰田ダムでは、もっとはっきりした模様が確認できます。

縦横の継目が汚れで目立つ事を避ける為、表面にモルタルを塗っているのかな?
と、思いましたが、そんな施工方法の存在も含め、僕の想像です。



調整池のような役割の若宮谷ダムには洪水吐がありません。
一番下部にあった穴は、排砂や仮排水などかと思います。



中学校から登ってきた道から脇道に降りると天端へ行く事ができます。
意外にも天端は解放されていました。

登ってきた道は、ダムが終点ではなく、この先にも集落がある様でした。



親柱がすごいボリューム。
柱の上に立派なブロンズ像を飾りたいほどです。

その間の通路は幅1.5mといった感じで、真っ直ぐ左岸に通じています。



右岸から天端を歩くと、最初に目に飛び込んで来たのは、この謎の構造物です。

奥の丸い物は、発電所への取水口と観て間違いありません。
上部がアーチ状に丸いスクリーンが洒落ています。

問題はその手前、湖面にせりだしているコンクリートの物体です。



大小、上下2段に、くちばしの様にせり出している形。
せり出しの下面に穴等があり、水か空気でも出入りするのか?と思ったのですが、水面の鏡越しで観察する限りでは、そんな穴がある様にも見えません。側面の太いダクトも気になります。

調整池のような若宮谷ダムですが、一応上流から流れ込んでいる谷川もあります。
ひょっとしたら洪水時の吐のような働きをする「何か」?・・・かも。
うーん、全くもって何なのか解りません。



不思議な構造物に目を奪われがちですが、この青い湖水も驚きです。

群馬の四万川ダム、長野の豊丘ダム、静岡の大間ダムが、僕が見た日本3大青色湖水ダムですが、それに続く第四位の青さです。

さっき見た、祖谷川の栗寄取水ダムの水は、澄んでいましたが色味はだいぶ異なります。
このダムが堰き止めている、若宮谷川の水が青い色をしているのかもしれません。



貯水池は小さく、幅はダム本体の部分が一番広く、奥行きも100m強といった大きさです。
上流部の左岸に見える構造物は、祖谷川からの水の出口かと思います。

その奥にもコンクリートの堰堤が見えます。
ひょっとして、このダムは上下2段になっているのかも。



天端から下流を見下ろします。
堤高32.2m 堤頂長93m。

非常にバランスの良い整った逆三角形の堤体です。



天端から左岸を観ると、巨石文明を思わせる構造物が見えます。
ダム建設時の遺構でしょうか?。



天端を渡って左岸に来ました。
綺麗なV字の堤体がとても美しいダムです。

ゲートが無く、下流面に導流部のないシンプルな形状

祖谷川を堰き止め、ここに水を送っている栗寄取水ダムは、全面を切石で覆った石貼堰堤でした。
同じ時代に建設されたこの若宮谷ダムは、当時、既に当たり前となっていた型枠整形によるコンクリートダムです。

この事からも、四国のダム(堰堤)は、コンクリートダムの築堤にもはや石積を必要としなくなっていても、河川の中に築堤する場合は、激流による摩耗を防ぐ為に、表面に石材を採用し続けていた事が推測されます。

また、それは、四国の河川というのはとても荒く激しい川である事を物語っているのかもしれません。



左岸の巡視路は立入禁止なので、一旦右岸に戻り、車で来た道を登ります。

苔とカビの色が味わい深し。
蒼い水とのコントラストはファンタジーの世界。



祖谷川からの水の出口と思われます。ずいぶんと複雑な形をしています。

それにしても水が青い!。



小さな貯水池の最上部にある堰堤ですが、若宮谷ダムの小型版といった感じで、下流面勾配もあり、ちゃんとした重力式コンクリートダムの形をしています。

しかし、残念ながら立木に阻まれてほとんど見えません。
この上流の堰堤に行く道は、立入禁止だった左岸の巡視路しか無く、これ以上は不明です。

上流に水面は無く、水は貯まってはいないなので、砂防目的の堰堤なのかもしれません。



四国のオールドダムのひとつ、若宮谷ダム。
非越流タイプのその姿は、大分の女子畑第二を思い出しました。

蒼い湖水のヴェールをまとったミステリアスな美女、といった若宮谷ダムでした。



若宮谷ダム
★★★★

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名頃ダム

堤高37m
G/P 1961年 四国電力

2011.10.8見学

ガソリンが無い!


今迄、北は青森から南は鹿児島まで、さまざな道をデミオ号で走りましたが、四国の山道ほど油断できない道はありません。
山の中を延々と続く道は、集落もまばらで時々不安になります。また、道路工事も頻繁に行われているので、思わぬ足止めを食らうこともしばしば。

徳島道を走っている時から、デミオ号のガソリン残量が少し気になっていました。
インター降りたら、適当にガソリンスタンドを見つけて給油しよう。
そして国道438を山奥方向へ、石油会社を選り好みしたり、たまたま入りずらかったりで、結局、明谷ダムまで給油する事なく到着。

まあ、なんとかなるさ。
次の名頃ダムまでの何処かで給油すればいいや。(この時はまだ余裕あり)

念の為、明谷ダムでカーナビ周辺検索で最寄のGSを検索。
するとヒットは1件のみ。明谷ダムまで来た道を20Kmくらい戻った辺りにあるらしい。うーん、さっきのインターの近くだなあ・・・。
今からインター近くまで戻って、名頃ダムに向かうと往復40km(しかも山道)ロスする事になる。
名頃の後も訪問予定のダムが目白押しなので、とりあえず名頃方面に向かう事に。

国道438は曲がりくねった峠となり、元々燃費のいいデミオ号でも、きつい上り坂やヘアピンカーブの連続に、無情にもガソリン残量を示す液晶表示が一つ、また一つと消えてゆく・・・!!。

さすがに少し焦って再びカーナビ周辺検索してみると・・・。
「最寄にガソリンスタンドはありません」

ひゃーーーーーっ。

今日は絶好のレジャー日和の秋の三連休。こんな山中でJAFを呼んでもいつ来るかは判りません。もしガス欠になったら、本日のダム巡りはここで終了です。

ガソリンどこだー、ガソリンないかー。
ガス欠になる前に、とにかくGSが見つかる事を祈りながら、ドキドキしながら車を進めます。
そんな感じでしばらく走ると、路肩に建物が。

あ、なんかある。

それは名頃ダムの管理所でした。
ガス欠の事ばかり気にしていて、すっかり目的のダムの事を忘れていました(笑)

名頃ダムは1961年に完成した四国電力の発電用ダムです。



管理所はダムサイト右岸にあります。
厳重なフェンスの向こうに名頃ダムの姿が見えました。



ダムは、管理所や国道から少し下がった高さにありました。
天端へは管理所の敷地内から道が伸びていて、一般は立入禁止です。

対岸が絶壁の岩盤になっていて、そこから一直線に伸びる天端が綺麗です。
堤高は37mという事ですが、下流側の様子が見えないので、もっと背の高いダムの様に見えます。



クレストセンターにラジアルゲートが1門。
その右脇に用途不明の出っ張りがあります。
その出っ張りを利用して監視カメラが付けられています。

下流側の高欄のアーチ状のくり抜きがとても綺麗です。
いいな、いいダムだ、名頃ダム。



きれいなダムにのほほんとしましたが、今はとにかくガソリンを探さなくては。
燃料計のEマークはもうかなり前から点滅していましたが、心の余裕の残量もエンプティです。

管理所から道を下ると、ほんの少しだけ下流側から観る事が出来ました。
ダム便覧にはダム仙人様が撮影した下流面の写真がありますが、撮影場所へ行く道が良く分からず、下流正面の撮影はやはり困難なようです。



名頃ダム。向かう時はガソリン満タンで!。
★★★


ちなみに、その後ガソリンはどうなったか?

名頃ダムの下流にようやくガソリンスタンドを発見!!
お店のおばちゃんが女神に見えました。

でも、エネオスなのに支払は現金のみ、エネオスカードが使えなかった。
そんなエネオスって有りっ???

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はたばん file.18

長崎の転石ダムが見える所に居たはたばんです。

生い茂る雑草の中に、お尻だけ見えていました。



ハッチバックのガラスの中を観ると、車内もざわざわと雑草に溢れていました。

雑草のたくましさ。
そして、優しく雑草を受け入れる、はたばんの大らかさ。

はたばんと雑草の、ちょっといい関係はまだまだ続きそうです。

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