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明谷ダム

堤高19.6m
G/P 1931年 四国電力

2011.10.8見学

トランスフォーマー。


石貼の洪水吐を持っていた高西ダムを観た後、再び徳島道を走り美馬インターで降りて、国道438で明谷ダムへ向かいます。

明谷ダムの竣工は古く1931年。
愛媛の柿原水源地第一貯水池堰堤と並び、四国で最も古いコンクリートダムであり、オールドダムファンとしては、必ず見ておきたいダムのひとつです。
(柿原水源地第一貯水池堰堤は廃ダムの為、ダム便覧には未掲載)

僕がどうしても明谷ダムを観たいと思ったのは、ただ古いというだけでなく、特徴溢れるその姿に、謎めいた魅力を感じていた事もありました。

インターから延々と山道を30kmくらい走ってようやく現地に到着しました。
かなりの山の中ですが、まだまだ民家も多く、ダムは集落の外れにありました。



ダムの右岸に到着。

堤高19.6m、堤頂長51.3m。
谷も狭いので、それほど大きなダムではありません。

下流面に並ぶ重厚なコンクリートの塊。
この巨大まマス感を持った下流面が、明谷ダムの外観上の大きな特徴です。



山奥の発電用ダムですが、意外にも天端は解放されていました。

天端を渡った左岸に民家があり、地元の方の利便性を考えて解放されているのかもしれません。
その民家は、ダムのすぐ隣なので、その昔はダム守のような方の住まいだったのかも(未確認)

クレスト上でクランクした天端。
ダムから下流の川はゴツゴツした岩が転がる四国らしい谷です。



天端から貯水池。
左岸に発電所への取水口があります。

少し堆砂の多い貯水池。
水が澄んでいるので余計に砂が溜まっているように見えるのかもしれません。
上流を観ればすぐ近くにインレットも見えて、とても小さな貯水池です。



僕か明谷ダムに特別な興味を持っていたのは、この巨大なブロックです。

これはダム本体なのか?それともゲートピアなのか?もしかして導流壁?
今まで覚えたどのダム用語にも当てはまらないその形状は、富山の宇奈月ダムに良く似ています。

しかも、このダムは1929年着工、1931年完成という、とても古いダムなのです。
この形状が竣工当初からだとすると、とんでもない異端児と言えます。
バージェス動物群のように、ダムデザインの進化の過程で突然現れ、そして、消えてしまったデザインなのでしょうか???

シャープなエッジの効いたブロック自体、1931年完成のダムとしては異様な造形であり、違和感もあります。



いろいろと空想を膨らましながら左岸に渡ってみました。
木々が邪魔をして眺望は良くありません。

対岸に見える建物は管理事務所や車庫など。



再び、天端に戻ってきました。

3門あるクレストのスライドゲート。
左岸の1門だけ二段式のゲートとなっていました。

二段となっている分、越流面が他の2門より低くなっています。
取水口が左岸にある事もあり、この1門は排砂ゲートだと思います。

褪せたグリーンのゲート。
真下に目をやると、少し意外なものが見えました。

石?・・・石貼りだ!。



排砂ゲートからの下流面は切石できっちりと石貼が施されていました。

ちなみに、垂直に近く石を並べる事を「石積」、水平に近く石を並べる事を「石貼」と言います。
何度の傾斜までが石積で、何度から石貼であるかは、明確な決まりは無いようです。
一般的に考えて45°くらいが境界の気もしますが、勾配が途中で徐々に変わる場合もあるので、下流面の途中で呼名が変わるのも不自然だと思うので名前の境界線は無いと思います。

ともかく、この排砂部分の勾配は重力式コンクリートダムとしては異例になだらかで、僕の目には「石貼」に見えました。

両脇の大きなブロックの勾配が、通常のダムの下流面勾配よりも緩いくらいなので、石貼部分の勾配の緩さがイメージできると思います。



それでは、センターと、右岸の2門の下流面はどうなのか?。
例の巨大なブロックの間を覗いてみます。

これはセンターのゲート。
コンクリートのスロープの先、軽いジャンプ台の所にのみ石貼が見られます。



排砂の石貼と違い、未整形の野面石が、こってりとした目地で貼られています。

高西ダムの洪水吐と同じで、表面の耐摩耗性を上げる為、コンクリートの上に貼りつけられている印象を受けました。

などほど、この明谷も耐摩耗の為に天然石を貼っているのか。
そう思って隣の右岸ゲートも見たのですが・・・。



いかにも上から石を貼りつけましたというセンターのゲートと比べ、右岸のそれは、石を上から貼ったと言うよりは、石貼の上を一度コンクリートで覆い、後に、コンクリートが削られて再び石貼が露出した様に見えました。

形がまばらなセンターの石と比べて、右岸の石は形も揃っているので、施工された時期を含め、センターとはまた違った経緯でこの様になっている感じを受けました。



疑いの目でつぶさに観察すると、いろいろと気になる部分が見えて来ます。
排砂ゲートの右側のブロックですが、垂直な壁面に繋ぎ目の様な跡が感じられます。

やはり、この巨大なブロック部分は竣工後に大改修され、後付けされているのではないでしょうか?



これは明谷ダムを後に、県道32沿いで観た祖谷川の取水堰堤。

管理所には「四国電力栗寄取水ダム」とありました。若宮谷ダムに水を送っている施設ではないかと思います。若宮谷ダムも四国では有数のオールドダムで、明谷に送れることわずか4年、1935年の竣工です。

この栗寄取水ダムは、ほぼ明谷ダムと同時代に建設された堰堤と推測できます。



澄んだ水が印象的な栗寄取水ダム。
注目したいのは、石貼の石の形や、なだらかな勾配です。

この栗寄取水堰堤の姿に、一風変わった巨大ブロックが並ぶ明谷ダムの、竣工当時の姿を観るような気がしてなりません。

なだらかな石貼堰堤に3門のスライドゲートを追加する為、ゲートを支えるピアと、満水位が上昇する事で不足するダムの質量(重量)を補う為に、導流壁を兼ねた巨大なブロックを築いた。

左側のゲートは排砂ゲートとし、オリジナルの石貼下流面に手を加えず利用。
センターと右側は、排砂ゲートよりも越流面を上げる為、オリジナルの石貼の上にコンクリートを打設。こうして現在の明谷ダムの姿となる。

その後、センターのシャンプ台はコンクリートの摩耗が激しい為、擦り減ったコンクリート上に石貼を追加し補強。
右岸のゲートは使用頻度が少なく、センターほど摩耗が無かったが、現状、やはりコンクリートが摩耗して、オリジナルの石貼が露呈して来た状態にある。



以上が、明谷ダムが四国最古のコンクリートダムでありながら、時代性にまるでそぐわない、異様な姿に至ったヒストリーではないかと僕は考えています。
(あくまで、あつだむ宣言!の仮説です。正解かは判りません)

但し、ここから直接送水している切越発電所の事を少し調べてみたのですが、明谷ダムの嵩上工事が必要となる様な設備の変更は解りませんでした。
切越発電所で使われた水は、さらに下流にある別の発電所にも使われているので、かなり広範囲で調べてみないと、この明谷ダムが本当に嵩上工事をした姿であるのかは謎が残ります。



徳島のトランスフォーマー。明谷ダム
★★★★


ちなみに、レポの中で「石積」と、「石貼」の違いについて説明しました。

さらに言うと、石積の最上部の事を 「天端(てんば)」 と言います。
そうです、まさに、

「全てのダムは、石積堰堤に通ず。」 

と、言えるのです。

またひとつ、あつだむ語録が生れてしまった(笑)。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム徳島県 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
はたばん file.17

初雪が降った午後でした。

どんよりとした寒空の下、
薄く積もった淡雪はほとんど消えていました。



なんで、よりにもよって、こんな坂の途中に置いたのか。

朽ちて行くのも楽じゃないね。
そんな声が聞こえます。

| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
高西ダム

堤高16.8m
A/FA 1954年 徳島県営

2011.10.8見学

行く価値無しなんて言わないで。


昨年の秋、4月に続いてこの年2回目の四国遠征に行って来ました。
四国はダム巡りでしか行った事がありませんが、景色は綺麗だし、どのダムも魅力的でお気に入りの場所です。

四国の形をざっくりイメージすると、四隅が尖った四角い形をしていて、4箇所の角には、それぞれ特徴のある個性的なダムが鎮座しています。
南東の室戸岬には、イナズマ模様のロックフィル・魚梁瀬ダムがあり、土佐湾を挟んで南西の足摺岬には階段状の下流面を持つデザインダム・中筋川ダムが。
その中筋川から北上して北西には迫力溢れるダンディ・野村ダムがどっしりと構えています。

そして、四国の鬼門である北東の個性派のダムこそ、今回の四国遠征の最初のターゲット、コンクリートアーチの高西ダムであり、いつか必ず行かないと、四国のダムを観た事にならないと思っていたダムでした。

しかし、今までこの高西ダムを訪問したマニアが口を揃えて言う言葉があります。

「ああ、高西ね。あそこは行かなくていいよ」 「高西ダム?わざわざ行く価値は無いねえ」

こちらから質問をしたつもりも無いのだけど、高西ダムという名前を耳にしただけで、行った事のあるマニアは誰もがそう第一声を発するのです。

行く価値が無いなんて・・・・しかもレア形式のアーチなのに・・・。

そんな事前情報に少し不安になりつつも、ダムへ向かう道の入口に到着。

徳島道を土佐インターで降りて数キロ。
高西ダムへ向かう道は、ほんとうにこの先にアーチダムがあるのか?と疑わずにいられないほど、ひっそりとした道です(ひっそりと言うか、こっそりという感じ)

ダートの山道は、以前は軽トラくらいなら通れそうな道でしたが、この日は路肩の崩壊が激しく、4輪は物理的に走行不能な状況でした。

うーん、不安だ。

長靴に履き替え、いざ四国の鬼門を守る高西ダムへ。



さらに不安がつのる謎の立て看板。

罠!??

僕は生きて帰ってこられるのか???



ダムへの道と言うのは、管理者が時々巡視する為、普通それほど荒れてはいないものです。
現役のコンクリートダムへ向かう道としては、最高ランクのラフロード。

左手の崖下に川があるので、とりあえずこの道を歩けば高西ダムに行き付くはずです・・・たぶん。

途中、いくつか石積の砂防堰堤を観ました。



湿った土が匂うダートを歩くこと15分。

立木の向こうに水面が見えました。
水面に気付かないと、通り過ぎてしまいそうです。
ダムへの道と同じで、ひっそり、こっそりと、高西ダムはありました。



アーチダムのダムサイトはどこも狭いものですが、このダムの狭さはまた違った意味での狭さ。
道と言うよりも、護岸のコンクリートの上面といった感じ。
これ道?。



そして天端、苔生して滑るコンクリート。

貯水池側は一切ノーガード。
下流側は一応手摺がありますが、錆色の華奢な手摺は信頼出来そうもありません。



アーチダムと言うと、山深い所に多く、その事もあり発電用ダムのイメージがありますが、高西ダムは灌漑用のダムです。

また、便覧によるとFAとあるので防災の役割もある様です。
さっき見た石積の砂防のイメージが頭に残っていました。
防災→砂防?、灌漑兼砂防アーチ???(あくまで僕の思ったイメージです)

最近、その防災の仕事をしたのか貯水池は濁流に淀んでいました。



ぎゃはぎゃはぎゃは。
大きな羽音を立てて水鳥が飛び立ちました。

誰も居ない静まり返った山中なので、結構驚きました。これも罠か?。



慎重に天端を移動。

水通しのようなゲート部。
ヒレのような支柱には板が入るようなスリットがありました。
スリットは現在は使われてはいないと思いますが、板の取り外し、危なくないですか?

ゴミ等を取るのか?天端には竹竿が常備。

手前はスピンドルのハンドル。



そーっと下を覗いてみました。
堤高16.8m、堤頂長37.5m
日本に50数基あるアーチダムでは、最も小さなダムです。(15m以上のダムとしては最小)

ぎりぎりダムと名のつく高さなので慣れっこの高さですが、水が淀んで不気味な上に、手摺が信用出来ないのでいろんな意味でかなり怖いです。



垂直な下流面に沿って伸びるスピンドルシャフト。
設備が無防備なのは、ダムが好きだと言う理由で、こんな山の中に人が来る事を想定していない為です。
管理者様を裏切らない為にも、絶対にスピンドルには触らないように。



妙に後付けっぽい気がしないでもない板を入れるヒレ。
本体とはコンクリートの整形の仕方が違うから後付のように見えるのかも。

なんて見ていたら、越流部分の表面・・・あ、石だ。



1954年に完成したコンクリートアーチの高西ダム。
コンクリートダムが石積で造られていたのは、もう既に昔話になっていた時代です。

一見、硬そうに見えるコンクリートも、土砂混じりの濁流に対しては激しく摩耗してしまいます。
かつてコンクリートダムが石積で造られていた理由は、整形の型枠という事の他にも、石はコンクリートに比べ耐摩耗性に優れる、という理由もありました。

近代的な宇奈月ダムであっても、排砂設備にはステンレスプレートに混じって天然の石材が採用されています。



こっそりと林の中に隠れるように日本最小アーチの高西ダムがありました。

石貼のクレストゲート。
メジャーな石積ダム(メイソンリー)が少ない四国ですが、こんな部分的な石使いが四国のダムの特徴なんじゃないかと気が付いたのは、今回の四国遠征の中盤以降になってからでした。

そんなヒントをくれた高西ダム。

人に行くことを勧めれるダムかと聞かれれば、もっと他に行くべきダムがあると言うのが正しい答えでしょう。但し、個性的なダムである事には間違いありません。



高西ダム
★★★

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はたばん file.16

黒いボディがシックなボンゴさんです。

オーナーはとても器用な方なのか、隣の小屋も自分で建てられたものかと思います。



ボディの錆は、小屋のトタン板と同じペンキで塗られていました。
オーナーさんの愛着が伝わってきます。

青い空の下、清々しい夏のはたばんです。

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三浦ダム

堤高83.2m
G/P 1945年 関西電力

2011.09.19見学

大同電力のフラッグシップ。


ダムを観て回るようになって3年くらいになりますが、当初からずっと行ってみたい、観てみたいと思っていたダムがあります。
長野県王滝村、御嶽山の山麓にある三浦ダムです。

自宅から3時間くらいの場所なので、その気になったら何時でも行ける距離ですが、ダムへ向かう唯一の道は国有林の専用林道となっていて、ダムの手前8キロに林道のゲートがあり、関係者以外の立入を拒んでいました。

ダム巡りを始めた頃にこのゲートまでは行っていたのですが、
「許可なく車両や歩行者の通行を禁止します。」と明記されていて、がっかりして帰った事があります。(徒歩でもダメだなんて・・・)

なんとか、三浦ダムへ行く方法はないものか?
関電の職員になる?営林署の職員に?王滝村役場に勤める?
唯一、木曽森林鉄道に関するイベントが一般でも林道内に入れるチャンスですが、今年もそのイベントがあるかは不明・・・。ここで唯一の望みの糸は切れたかと思いましたが、別の行事で年に何度か一般の人間でも林道に入れるイベントの存在が解ってきました。

「OSJトレイルランニングシリーズ」

山中を駆け巡るトレイルランのシリーズ戦が、毎年この三浦ダム周辺の国有林を使って開催されていたのです。
しかも、第8戦の大会は、三浦ダムの天端をコースが通過しています(!)

よっしゃー!今から体鍛えてレースに参戦!??

と、言う事で、OSJクロスマウンテンマラソン・イン・王滝2011の当日。

今まで立入を拒んできた林道入口ゲートはフルオープンのウエルカム状態。
この場所も大会のコースに含まれているからです!



と、ここでネタばらし。
40前のおじさんがいきなりトレイルランに挑戦なんて自殺行為です。

ここで、昨年より認定を受けている「ダムマイスター制度」の出番です。
トレイルランの主催事務局様にコンタクトを取り、写真撮影目的に特別にコース内(つまり林道内)への立入許可を頂きました。

いえいえ、決して私利私欲の為にダムマイスターを利用した訳ではありません。
素晴らしいダムを広く知って頂く事がダムマイスターの使命ですので。

それに今回は、歴史ある戦前のオールドダムの天端を、色とりどりのカラフルなウエアを着たランナーが駆けて行く・・・。
すごくいい写真が撮れそう、フォトコンのダムに親しむ部門はもう獲ったも同然。
あれ?やっぱり私利私欲???

なにはともあれ、同じダムマイスターでダム友のひろ@さんも誘い、二人でいざ三浦ダムへ。立入許可は頂きましたが、ゲートからは徒歩で向かいます。

9月の早朝。雲一つない秋空が絶好のレース日和、そしてダム巡り日和。
ゲートから8キロほどある林道は、かつての木曽森林鉄道の軌道を利用した林道なのでほとんど坂がなく平坦。
談笑しながら歩く事しばし、木々の間からとてつもなく大きな壁が姿を魅せました!。三浦ダムです。

堤高83.2m、堤頂長290m。かなり大きなコンクリートダムです。

巨大な古びたコンクリートの塊は、朝日を鈍く反射しています。
白いエレベータ塔が1本、渋い色のコンクリートから浮き上がって見えました。



また少し歩いて、ダム左岸に到着しました。

洪水吐が本体に無い(見えない)シンプルな堤体は、日本のダムではなく、もっと大きな大陸的なものに感じさせます。
ダムに関する洋書に載っていそうな風貌です。

竣工は古く、戦中の1945年まで遡ります。
宮崎の皇帝こと塚原ダム(堤高87m)に次ぐ、83.2mという大規模なこのダムは、福沢桃助率いる大同電力によって計画されました。
やがて日本は戦争の時代に突入し、国の政策により日本発送電に計画は引き継がれ、戦中を通して建設が進められた三浦ダムは、終戦の年に完成を迎えます。



なだらかなバケットカーブからせりだしたクレストの形状。
オールドダムとしては、異例とも感じるシャープな造形です。

そして、思わず声を上げて驚いてしまったのは真近で初めて目にする高欄のデザインでした。高い部分と低い部分が交互に並ぶ凝った造形。

コンクリートでこんな凝った装飾を施すのは、そうです、間違いありません。
この高欄は、この三浦ダムが大同電力によって計画、設計されたダムである証だと直感しました。

電力王と呼ばれていた福沢桃助は、自身が携る木曽川水系の発電用ダムにそれぞれ異なった、凝った意匠を施した事で知られています。



完成から65年以上経ち、コンクリートは物凄い表情を生み出しています。
ざらざらした肌、分厚い苔。



そんな迫力ある堤体と比べ、真っ白で滑らかに見えるエレベータ塔。

傾斜のある下流面よりも鉛直なエレベータ塔が白いのはよくある事ですが、あまりにもその差が激しいので、表面保護剤などが塗布されているのだと思います。

よく観ると、エレベータ塔のコーナー部分にもさりげなく段差が付けてあり、塔をすっきりと見せるデザイン処理が施してあります。



大きな下流面。
ざらついた肌。
大型のオールドダムの魅力、アフターバーナー全開。



林道からそのまま繋がっている天端道路を歩きます。

定間隔で高さを切替えている高欄。
低い部分に付いている鋼管の手摺は後から追加した様にも感じました。



その高欄には、所々に四角い穴が抜いてありました。
穴の側面には配線を通していただろうダクト穴もあります。

これはかつての照明が設置してあった名残ではないかと思います。
堤体を下から見上げた時のクレストの飾り照明と、天端道路の灯りを兼ねた照明器具が高欄にビルトインしていたのだと思います。

同じ手法の照明が上椎葉ダムの高欄にもありますが、上椎葉はこの三浦からずっと後のダムです。
大同電力の力を誇示するかのように、とても凝ったデザインが施されていたのだと思います。



このような凝った仕掛けの高欄を観るのは下流側だけとなっています。

天端の貯水池側は、端から端まで冬季通路が貫いています。
この通路の為、天端から貯水池は一切目にする事は出来ません。
天端のやや右岸寄りに通路とは異なる建屋があり、発電所への取水設備に関する建物だと思います。



エレベータの近く、鋼管のガードに囲われているのは地震計でした。
ガードに結ばれたポールは、除雪の目印でしょうか。



天端から下流を見下ろします。

真下にある大きな建物は発電所。水が勢いよく湧き出していました。
一見すると減勢池や副ダムに見える水面は、発電所から出た水の導水路で洪水吐とは一切関係ありません。



導水路の先には3門のゲートを持つ水門。
水はここで直角に右折し、導水トンネルに導かれ、8キロ下流にある滝越発電所へ送られる仕組みとなっています。
滝越発電所は、林道入口ゲートの丁度川を挟んだ対岸に見る事が出来ます。

全ての水が導水トンネルで王滝川をパスする為、三浦ダムから下流は枯れ川になってしまいそうですが、ここからすぐ下流に別の谷(白谷川)が王滝川に合流しており、滝越までの川の水が枯れてまう事はありません。



ダムの真下は広場のように埋立てられ、平坦になっています。

ダム便覧の情報では、ダム建設の工事従事者は延べ210万人にも上り、建設現場には労働者の街が出現したとあります。
この広い平地はかつての街の跡地を思わせますが、現在は水門と発電所へ通ずる冬季通路の先に、職員宿舎といくついかの木造の建物を見るだけとなっています。



天端を歩いて右岸まで来ました。
ダム本体の右岸端には余水吐があります。



余水吐はローラーゲートが2門。
ここに来て、ようやくゲート越しに貯水池の水面が見えました。

しかし、色こそブラックですが、関電といえばラジアルゲートのイメージなのですが・・・。



ゲートピアに残る円弧状の戸当り?。いったい何の為の戸当りなのか?
遺構であるのか?それとも保守などで使う現役の物であるのか、全く不明。

現在では見ない型式のフラッシュボードの名残ではないかと思いました。



ゲートから下は、ほんの少し開渠の部分があり、トンネル式の余水吐となっています。
トンネルは、右岸の山を貫通し王滝川へ注ぐ白谷川へ繋がっています。



トンネル式の余水吐で注目したのは、暗渠の入口部分の装飾です。

アーチ状の間口の中心のデザイン。
明らかに石積アーチの飾り石を模したレリーフとなっています。
もちろん、全てコンクリートで出来ていますから、この形状にする構造的な理由はありません。

石積の装飾美を残したコンクリートの造形に、人の美的感覚の変化よりも早いスピードで変化した、当時の土木技術の変化が読みとれます。



右岸端の高欄。
親柱の上にあるのは人感センサーです。

親柱の上が四角く抜いてありますが、やはり照明等が入っていたのだろうと思われます。
柱の角に彫り込まれた段差は、エレベータ塔のコーナーと通じる造形で、ダムの細部にわたり、デザインがトータルでコーディネートされていた事を伺わせます。



ダム本体の右岸端に、堤体を俯瞰するように立派な慰霊碑が祀られていました。



慰霊碑の後ろを周ると視界が開け、大きな三浦湖が姿を表しました。

雲ひとつない快晴、穏やかな湖面。

Blue & Blue.
湖水は青空を映す鏡、いっそう青く輝き、水面を境に二つの青空が広がっています。

山々が低く感じますが、標高1300もある高地です。
天上の巨大湖といった三浦湖です。



複雑な形をした三浦ダムの貯水池。
ここから見える湖面はほんの一部でしかありません。



右岸から見る三浦ダム。
余水吐が極端に端に寄っています。



オールドダムに多い半円形状の取水設備。
しかし、相当に大きなもので迫力さえ感じるものです。



対岸には管理所、少し離れてボート庫、インクライン。



さらに視線を左にやると、建設プラントらしき遺構が湖面から覗いているのが見えました。



余水吐ゲートを上流から・・・。

ローラーゲートの戸当りとは別に、円弧状のレールが見えます。
実は、現在のローラーゲートは後に改修をしたゲートで、元々はラジアルゲート(テンターゲート)であったそうです(Hisaさん、情報ありがとうございます)。

関電といったら黒いラジアルゲートがイメージなので、なんとなく納得。
(大同時代や、日発時代のゲートがブラックだったかは謎ですが)

ゲート下流面側の戸当りが何なのかはHisaさんでもはっきりとは解らないとの事ですが、フラッシュボード説が有力です。



今日のトレイルランは、午前7時にスタートして、ダート林道を大勢のランナーが駆け巡ります。
コース総延長42km(!)、三浦ダムの天端はスタートから33km地点となっています。
ダート林道をフルマラソン。あり得ません・・・。

ちなみに、7月に開催されたシリーズ第6戦はここを舞台に制限時間24時間、コース総延長100kmの大会も開催されています。さらにあり得ません・・・。

現在、午前9時。
まだまだ先頭ランナーがやって来るには時間があります。

ひろ@さんと、三浦湖右岸を散策してみる事にしました。



ダムまで舗装だった林道も、貯水池から先は、わだち掘れ掘れダートです。
道なりにしばらく歩くと、林道は右岸の山を登り、余水吐のゲートを俯瞰できる場所に来ました。

木々に邪魔をされて、残念ながらダム本体は見えません。

しかし、視線を上げると・・・そこには御嶽山。



元々山岳系のひろ@さん曰く、これだけ御嶽が綺麗に見えるのは珍しいとの事。

日頃の激務で、この日は少々お疲れモードだったひろ@さんですが、綺麗な御嶽を観た途端にテンションが急上昇、むやみに山の斜面に登ってみたり、ちょっと面白い事になっていました(笑)。



ぶらぶらと林道を散策していたら、いきなり、びゅんびゅんとランナーが駆け下りて行きました。トップのランナーです。

は、速いっ!

予想より早い時間に、そしてスピードも速い!、体脂肪も少なそう!!。



我々も山を下りてダムに戻って来ました。
いつのまにか空には沢山の雲が浮かび、先程とは違った雄大な風景を造っていました。



やがて、ぱらぱらとランナー達が天端に現れはじめました。
どのランナーも背中には給水ギアを背負っています。林道を走る過酷なレースです

しかし、思ったよりもランナーが少ない・・・?
ランナーの募集には500名とあったのですが、実際参加したのは100名未満の様です。
そして、皆、ウエアが地味・・・。

色とりどりのウエアを流し撮りしてみようと企んでいたので、ちょっと計画が外れてしまいました。さようならダムに親しむ部門(笑)。



カメラを向けるとポーズを決めてくれるランナーも。

「がんばってー!」自然と応援してしまいます。

後続のランナーの中には天端で足を止めて風景を観たり、持参したコンデジで記念写真を撮ったり(僕が撮ってあげました)、和やかな雰囲気がありました。



ちょっと俯瞰位置からの三浦ダム。

ひろ@さんが三脚にカメラを固定して、こんな動画を撮っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=6Scx1-d6NAk



天端でしばらく過ごした後、ダムの下も行ってみました。

開閉所の向こうに大きなコンクリートダム。
田子倉ダムにそっくりな光景です。



手前は長い管理通路。
雪が沢山降る所なので、この通路が無かったら発電所へ辿り着くだけで半日仕事になりそうです。

ダム下の広い敷地が、雄大なイメージをさらに強調します。



朝一はあんなに晴れ渡っていた空も、ダムを見上げておにぎりを食べる頃にはどんより曇ってきました。

重厚なコンクリート。目立つ縦継目を下から上に辿ると、高さの異なる高欄の切替部分に繋がっていました。

白いエレベータ塔。青いカビの模様が曇天の空に染みてアンニュイ。



最後尾のランナーが三浦ダムを通過した頃、僕らも三浦ダムを離れました。

近くても、観たくても、なかなか会う事が許されなかった三浦ダム。
再訪を誓って後にしました。



大同電力のフラッグシップ、三浦ダム。
★★★★★


おまけの後日談。

見学当日は最初から林道ゲートが開いていたので、脇の看板を良く見なかったのですが、三浦ダムから戻った後に見てみると、看板は真新しい物に建て替えられていて、内容も数年前に諦めた時と異なっている事に気が付きました。

な、なんと、
「車両や歩行者の通行禁止」から、「車両等の通行禁止」に変っているではありませんか!。
つまり、歩いてなら入れるようなったのか?。



気になったので、王滝村に問い合わせてみると、あっさり「徒歩ならOK」との回答。
おお!なんと!!。

実際、村のホームページからリンクしているレジャー施設では、ハイキングルートとして紹介されています。
「看板が変わって、徒歩なら入れるようになったのですか?」と尋ねると、看板の詳しい事は村では解らないとの事でしたので、直接、中部森林管理局にも尋ねてみました。

以下が森林管理局様からの回答です。

>風景写真の撮影や一般的なレジャーを目的に、徒歩で入林していただく場合は問題ありません。
>ただし、林道は事業実行中の車両が通行しますので、十分注意をしていただく必要があります。
>国有林への入林に当たっての留意事項は下記をご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/apply/nyurin/index.html
>安全で楽しい行楽となりますよう祈念いたします。
 
と、言う事で、以前は訪問が困難だった三浦ダムが、ずっと身近になり、高瀬渓谷の高瀬ダムと並び、ハイキングで訪問するには絶好の物件となりました。

途中で照明の一切ない真っ暗なトンネルがありますから、ライトをお忘れなく。
林業や工事関係など、意外と車も通っていますから、真っ暗な一車線のトンネル内で背後から迫るトラックの爆音は相当な恐怖です。
車からもトンネル内に人が居る事が見えるように、ライト、出来たら反射材の着用をお勧めします。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム長野県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
はたばん file.15


道路沿いのこのはたばんも、藁の束を満載していました。

運転席も助手席も藁満載。



写真を撮っていると、近くの家のおばあさんに、

「時々、写真を撮って行く人が居るが、流行っているのか?」
と、声を掛けられました。

| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
小屋平ダム

堤高54.5m
G/P 1936年 関西電力

2011.9.11見学

名堤のオーラ。


黒部渓谷鉄道に乗って、黒部川を遡る今日のダム巡り。
関西電力出し平ダムの後は、その上流の小屋平ダムに向かいます。

出し平ダムを過ぎた辺りから渓谷はより深くなり、目前にはあり得ない高さの岩の壁が迫ってきます。
日本にこんな絶景があったのか!壮大なスケールの黒部の自然には驚かされます。



トロッコはガタガタ、ギーギー音を立て、猫又駅の近くまで来ました。
黒部川を挟んだ対岸に立派なコンクリートの建築物が見えて来ました。

戦前の名建築として有名な黒部川第二発電所です。
建築家は山口文象。日本建築史でも重要な位置づけにある近代土木遺産です。



黒部川をまたいで発電所へ向かう赤い橋(目黒橋)。
鉄骨の形状が特徴的なこの橋は、発電所と同じく山口文象の手によるものです。
山口文象は、この黒部川の電源開発に携わる以前は、関東大震災における復興局の橋梁課の技師でもあったので、橋については専門家でもありました。
但し、復興局で手掛けた装飾性豊かな橋と異なり、それまでとは異なる趣を持ったものです。



凛とした佇まいを魅せる黒部川第二発電所。

山口文象は、この発電所を手掛ける直前にドイツに留学し、国際建築様式(一切の装飾を取り払い、機能に素直であり構成の美しさを目指す建築様式)という、当時最先端であったデザイン手法を持ち込みました。

構造を優れたプロポーションで表現した端正な外観。
既に完成から80年近い年月が経っていますが、まるで古臭さを感じません。

この黒部第二発電所で凄いのは、一見して冷たい印象の建築物であるのに、周囲に広がる黒部峡谷の大自然と不思議なバランス感覚で、違和感を全く感じない点です。
これは、決して、自然の環境と調和しているという事では無い様です。

本物の大自然の迫力溢れる黒部渓谷の絶景と、
本物の美しさを持つ建造物とが、真正面からぶつかりあってお互いを高め合いながらバランスを取っている様に見えるのです。
この発電所を眺めながら感じる軽い緊張感は、たぶんそんな事が影響しているのではと感じます。

そして、この発電所へ水を送っているのが次のターゲットである小屋平ダムです。



黒部川第二発電所のすぐ近くにある猫又駅辺りから対岸を観ると、山の中にコンクリートの構造物が見えます。
洪水吐のスロープを思わせる形状なのですが、用途は不明。

山の上には発電所の水圧鉄管などがあるので、自然の沢が浸食して発電所関連の設備に影響が無い様に、コンクリートで改良されているのかも(空想に近い想像)



がががががーぎぎぎぎー。
小さなトロッコの車両は、これまた小さな、すれすれで通過できるだけのトンネルを何本も抜けて行きます。

手を出せば壁に触れるほどの距離。
黒部のトロッコの客車には、他にもちゃんと窓がある客車もあります。

いつもと違い、交通機関を使った今日のダム巡りは遠足気分です。
コンビニで買って来た味付き煮卵の汁が飛び散って、他のお客さんのシートを汚す事件も発生。首に掛けていたK-5もしょう油まみれに・・・。

でも大丈夫、防塵防滴構造だから。(ペンタックスのエンジニアさん、ごめんなさい)



さらにどんどん山の表情が険しくなってきました。

ここまでトロッコは黒部川の右岸を走ってきましたが、釣鐘駅の手前で鉄橋を渡り左岸を走ります。

そろそろ見えて来るはずです・・・。



いくつかトンネルを抜けると、険しい両岸の山間が少しだけ広い場所に出ました。

見えたっ!!



間違いありません、関西電力 小屋平ダムです!。



トロッコはスピードを落とす訳でもなく、ダムの前を走り続けます。
富山出身という室井滋さんの声で、ダム紹介のアナウンスが放送されました。

無骨とも感じる重厚なゲートピア。
冬季は雪に鎖される厳しい場所なので、太く見える管理橋は内部に冬季用の通路があるのではないかと思います。

ゲート型式も他では見た事のない特徴的なものです。
シェル構造のローラーゲートで、斜めに引き上げる方式。



この特徴的なデザインは黒部川第二発電所と同じく、山口文象の手によって設計されました。

走るトロッコからその全容を観る事は出来ませんが、水芭蕉の花のような美しい下流面を持っています。
先日、ダム便覧のダム百選で、「デザインの良いダム」の投票があったので、「美しい有機的なデザイン」として1票投じたのですが、その後の調査で、どうもそれは僕の見当違いであった事が解ってきました。

山口文象はドイツ留学の際、流砂とダムの形態についても修得していて、その結果として設計されたはずの小屋平ダムの形状は、単なる意匠デザインではなく、水の流れを計算した、「機能そのもの」なのではないかと思えてきたのです。

また、山口文象直筆のデザインスケッチを観ると、実物よりもシャープな印象が強く、特にゲートピアと管理橋の部分は航空機の尾翼を思わせるメカニカルなデザインで描かれています。



と、言うような、長い説明は帰宅してから考えた事。
トロッコ上の現地では、とにかく写真を撮るだけで精一杯(汗)

「あ、脇の下に何かあるっ!?」

ピアから連続する導流壁の外側に窓が確認できました。



ダムの真正面は小屋平駅となっています。
ネットで観れる小屋平ダムの写真はこのカットが多いので、てっきり駅で一旦停車するものとばかり思っていました。

が、無情にもそのまま通過。

わー、聞いてないよーっ。

この駅で止まるのは、関電さんの管理用列車と、すれ違い待ちの回送列車だけで、一般の観光列車はノンストップで通過です。



めげずに、煮卵くさいカメラでひたすら写真を撮ります。
(ファインダー越しじゃなくて、肉眼でも観たいよう)

さっきの脇の下の小窓、その下は導流壁伝いに吐のようになっています。
排砂ゲートか何かを隠し持ってるみたいです。
(発電所への取水は左岸なので排砂なのか不明、左岸にも別に違う構造の放流設備を隠している様です)



走るトロッコからは、クレストの周辺しか見る事が出来ませんが、実は堤高は54.5mもあります。

現代の感覚だとコンクリートダムで50mは特別高いダムではありませんが、この小屋平ダムの完成は1936年で、戦前(〜1941年)では8番目に高く、(帝釈川より低く、大井よりも少し高い)、当時としては大規模なダムであったと言えます。



うわーっ、木ーじゃまーっ。

でもまだまだ見えてるっ。



ぐわーっ。もうダメーーーーー。

小屋平ダムとの面会は、20〜30秒くらいで終了。
がくっと椅子に座り、久しぶりの呼吸。(しばらく息をするのを忘れてた)

ばさばさばさっ。と、線路脇の立木が列車の後ろに飛んでいきます。

ああ、僕の小屋平は終わったか・・・・。そんな事を思いかけた次の瞬間!!。



な!なんだこりゃーーーーーーーー!!



前触れなく目の前を通過した謎の建物。

心臓ばくばく。

事前に写真で知っていたダム本体よりもインパクト大。

これは発電所への制水門を覆っている建物との事です(車内アナウンスより)。



急流河川である黒部の水は、相当量の砂が混じる為、ダムサイトに沈砂池が作られ、発電所へ送水する前に砂が排除される仕組みとなっています。

扇型をした制水門の建屋がさらにもう一棟。
こちらは上流側なので沈砂池への入口にあたる門だと思います。沈砂池自体は雪対策かコンクリート舗装に覆われ地上からは見えません。

制水門の建物が何故この様な形であるかは不明ですが、国際建築様式の黒部川第二発電所とは対照的な違うデザインアプローチが試みられた様です。

忘れてしまいそうなので何度も繰り返しますが、これらの建物は全て戦前の建築です(!)。



上流の制水門の向こうにダム本体のピアが見えて来ました。

衛星写真で確認すると、ダム本体左岸に円弧を描く様に取水口があるようです。
特徴的な制水門の建屋は、反復する円弧をモチーフとした空間デザインではないかと思います。

舗装でカバーされた沈砂池が広場の様でもあり、公園にも見える小屋平ダムの敷地内は、ひょっとしてこの地を訪れる登山者達の憩いの場を想定した環境デザインだったのかもしれません。



走るトロッコから観る、小屋平ダムの横顔。

一瞬で通り過ぎてしまいましたが、年月に色付いたコンクリートの表面は平滑で、丁寧な施工を感じました。



あっと言う間だった小屋平ダムとの出会い。

見学と言うよりも、遭遇と言う感じのほんの一瞬でしたが、日本ダム史に燦然と輝く名堤のオーラを確かに感じました。



名堤のオーラ、小屋平ダム。
関電さん、いつか見せて下さい。宜しくお願い致します。

★★★★★


おまけ

黒部トロッコの終着駅である欅平。駅の真下にあるのが黒部川第三発電所です。
この発電所へ水を送っているのが小屋平ダムとよく似た外観を持つ仙人谷ダムで、難工事を極めた建設用トンネルの掘削は小説「高熱隧道」に書かれています。

これら戦前に造られた黒部川の発電所は、富山のアルミ精錬(軍需)の電力の為に開発されました。
高熱隧道の難工事は、まさに内地での戦場であったとも言われています。



欅平を散策して、黒部川第三発電所を別角度から。
上流に小さく見えているのは、新黒部川第三発電所です。



内容盛りだくさんの今回のレポ。
もういっちょ、おまけその2。

小屋平ダムは日本のダムでは珍しく、デザインした建築家が知られているダムです。
山口文象の作品を調べてみると、少ないながらも小屋平ダム以外のダムにも携わっていた事が解りました。

箱根湯本にある東京電力東山発電所と、取水堰である早川取水堰(ローダム)がそれで、竣工は1936年と小屋平ダムの完成と同時期ですが、実際に設計した順番は小屋平ダムの後ではないかと思います。
そして、もう1基、小屋平ダムに携わる以前に関ったダムがある事も解ってきました。

山口文象の作品年表を見ると、日本電力の嘱託技師となった1924年に、「庄川水系のダム」のデザインに関るとあります。
しかし、残念ながら具体的なダム名はどの資料を読んでもなかなか判明しません。
この「庄川水系のダム」に於いて、山口文象は図面を精査し、外観などの意匠を調整する仕事をした事も判ってきました。

着工が1920年代とすると、1930年頃に完成した庄川のダム・・・・。
ここで、もしかしたらという思いが湧いてきました。

ひょっとしたら、それは小牧ダムなのでは?

小牧ダムの完成は1930年、関ったとされる1924年とも時期的に合っています。
それに、小牧ダムが庄川初のダムだったはずなので、おのずと候補は絞られます。

僕が小牧ダムではないかと思った理由は他にあります。
クレストに17門ものゲートが並ぶ小牧ダムですが、左岸の非越流部のゲートが無い部分にも、まるでゲートがあるかの様に扶壁が付けられ、一見すると20門以上のゲートが左岸端まで並んでいるかの様に見えるのです。
構造的な理由がある様にも見えないので、明らかにデザイナーの参画を感じさせる造形なのです。



さらに調べを進めると、「舟戸ダム 1931年」と記されたダムの写真に行き当たりました。クレストに並ぶラジアルゲート、曲線重力式のその姿は間違いなく小牧ダムの写真です。

少し疑問なのは舟戸ダムというダム名です。
舟戸というのは小牧ダムのすぐ下流にある庄川合口ダムのダム湖名(舟戸湖)です
小牧ダムから水を送っている発電所は舟戸湖の上流部にあるので、小牧ダムは竣工当時は発電所の所在地名から舟戸ダムと呼ばれていたのではなかと仮説します。

小屋平ダムのデザインを追って調べていくうちに、まさか、God of  庄川 小牧ダムにたどり着くとは全く思っても見ませんでした。
オールドダムを調べるというのは、シナリオの無い物語を辿るようで、いつも想像を超えた結末に辿り着き付きます。

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はたばん file.14

広島県のハイゼットさんです。

畑の片隅に置かれた典型的なはたばんです。



はたばんの積荷は藁(わら)。
実は案外多くのはたばんが藁を積荷にしています。

最近はコンバインで収穫するので、田舎でも藁って貴重品だったりします。

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辰巳ダム試験湛水に行ってきましたー。

昨日めでたくサーチャージを迎えた辰巳ダム。

2日間に渡り最高水位を維持するとの事で、さっそく行ってきました。



いわゆる穴あき形の治水専用の辰巳ダム。
完成後に、もしここまで水が貯まる事があったとしても、土砂降りと濁流だと思うので、こんな風流な姿を見せてくれるのは今日限りです。

一面が凍って雪化粧の湛水範囲(貯水池とは呼べない?)
非洪水期の冬に満水位になるのもこれが最初で最後でしょう。



辰巳ダムの近くには、既存の犀川ダム、内川ダムがあります。
辰巳ダムを治水専用とする事で、既存のダムの目的別の容量が再編成され、3基のダムは連携してより効率的に運用される事になります。

雪が降ったり止んだり、青空がのぞいたかと思えば吹雪いたり。
めまぐるしく天候が変わる一日でしたが、雪が止んでる間は、途切れる事なく天端にはお客さんの姿がありました。
遠くからダムファンも来ていましたが、何よりも地元の方々が沢山来られていたのが良かったです。
案内の職員さんも、みなさん穏やかな表情。

とても和やかな辰巳ダムのスタートとなったようです。



おめでとう、辰巳ダム。
これからもよろしく。

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出し平ダム

堤高76.7m
G/P 1985年 関西電力

2011.09.11見学

黒部のブラックナイト。


残暑厳しい9月の週末、今日は黒部峡谷の観光トロッコ(黒部峡谷鉄道)に乗ってのダム巡りです。
まだ紅葉には早いのですが、午前中に終点の欅平に到着する車両は満席となっていました。
車中から写真が撮りやすい様に、車両の最後尾のシートをゲット。



始発駅の宇奈月駅を出発すると、直ぐに黒部の怪物こと、モンスター宇奈月が見えてきます。



トンネルを抜けると、宇奈月ダムの貯水池です。

ヨーロッパの古城のような建物が見えて来ました。関西電力 新柳河原発電所です。
この発電所に送水しているのが今回の第一目標である出し平ダムで、およそ8キロほど上流にあります。



黒部川の電源開発の為に造られた鉄道を、観光鉄道として運行している黒部トロッコ。一般のお客さんが利用できる駅は黒薙、鐘釣、欅平と限定されますが、途中で他にいくつもの駅があります。
実は観光鉄道というのは黒部トロッコの仮の世を忍ぶ姿(?)で、観光車両とは別ダイヤでダム管理用の車両も連日運行されていて、バリバリの現役ダム鉄道でもあります。

黒薙駅を出て直ぐに現れる水路橋。

走るトロッコの上からなのでシャッターチャンスはわずかです。
見事、我が子の頭がモロかぶり。今日は、家族レジャーを兼ねてのダム巡りです。

親子三人で往復すると運賃はそこそこのお値段になるのですが、
「それだけのお金があれば、何冊コミックスが買えるんや〜」
    と、意味不明の理屈で少々不機嫌な小5の娘。
いやいや、お金を払うのはお父さんだし、そもそも、トロッコに乗らないからと言って、君にマンガを買ってやる訳ではないぞよ。



黒薙を過ぎれば出し平まであと少しです。
トンネルを抜ける度に、今か今かとドキドキの連続です。

そして、ついに!



関西電力 出し平ダム。
堤高76.7m、堤頂長136m。

戦前から開発されて来た黒部川の発電専用ダムとしては最後に造られたダムで、下流の宇奈月ダムとの連携排砂を行う事で有名なダムです。

黒い!黒い塊だ!

走るトロッコの上から観た第一印象はその真っ黒なコンクリートの色でした。



すばばばばば!
堤体左岸寄りにあるバルブから激しい放流、河川維持でしょうか。

むむっ。

バルブ放流に目を奪われがちだけど、クレストゲートからの壁のような導流壁がスゴイ事になってるぞ。かっちょいい〜っ!!。

直線的で黒々としたコンクリートは、金属でできているかの様な重厚感。



クレストゲートはラジアルだなっ。
それにしても、ゲートアームの支点部分がゴツい!。



えーっと、
ゲートの上には雪避けの建物・・・。

わーっわーーっっ。

・・・・・・・・・。



あっと言う間にトロッコはダムサイトを走り去り、風景は貯水池右岸となりました。

走るトロッコの上から、ほんの数十秒しか見えない出し平ダム。
もっとじっくり訪れる事が出来るなら、男前のコンクリートダムとして、きっと人気が出るダムだと感じました。

その重厚で男気溢れる漆黒の勇士は、今でも鮮明な記憶として頭の中にあります。

新柳河原城を守る、鋼鉄の甲冑をまとった黒騎士。
そんなイメージの出し平ダムでした。



出し平ダム
★★★★

さて、出し平ダムの後は、トロッコはあのダムへと向かいます・・・。

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