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後谷ダム

堤高20.3m
G/WP 1968年 新潟県企業局

2011.6.11見学

森のおるがん。


後谷ダムは、山深い谷にひっそりと隠れるようにありました。

ほんとうにこの先にダムがあるのか?
延々狭道を走り、ちょっと不安になり始めた頃、貯水池に到着します。



コンパクトな貯水池の先に、堤体が現れます。後谷ダムです。

茶褐色の肌が雨に濡れて光って見えます。

つい先ほど、下流面の勾配がゆるい正善寺ダムを観たばかりの為か、下流面が通常よりも切り立って見えます。それに、幅広で奥行きが短いジャンプ台が特徴的。

なんとなく、オルガンに見えてしまう個性的な堤体です。
生い茂る樹木に囲まれて、森のおるがんって雰囲気です。



越流部には青々と苔が生しています。
角が削れたピアが痛々しい。



オルガンの鍵盤部分。
随分とざっくりした形です。



竣工は1968年。
傷み具合と色味から、最初はもっと古いダムかと思いましたが、直線基調の造形は、たしかに60年代のものですね。

堤体は左岸付近で折れた形をしています。



天端は入る事が出来ません。
ダムの右岸には取水設備が付いています。



建物に掲示してあった水利標識を観てちょっと驚いたのは、このダムは発電と上水道用のダムだった事です。
(根拠はありませんが、なんとなく農業用水のダムかとイメージしていました。)

岸際にスロープがあったので、水際まで近寄ってみました。



水面を叩く大粒の雨。

湖面を見ると異様なほど水が動いている事に気が付きました。
結構な流速で、貯水池の幅いっぱいに、大きく円を描くように水がぐるぐると回転しているのです。

上流から水がどんどん流れて来ている訳でもなく、不思議な感じです。



対岸を見るとその理由が解りました。
貯水池の左岸に導水管が口を開け、勢いよく水を吐き出してしました。

地形図を見ると、20キロくらい西の別の河川から水が引かれている様です。



後谷ダム。
森の中にひっそりと、しかし黙々と仕事をこなす働き者のダムでした。



後谷ダム
★★★

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正善寺ダム

堤高47m
G/FNW 1984年 新潟県営

2011.6.11見学

正善寺の涅槃仏。


北陸道を新潟から富山方面へ向けて走ると、唐突に姿を見せるコンクリートダムがあります。
上越ジャンクションから富山方面に約2キロ、連続するトンネルの、ほんの僅かな隙間に見えるのが正善寺ダムです。高速からダム本体まで直線距離で300m弱と近い事もあり、初めて観た時はとてもインパクトがあった事を覚えています。

一度、ゆっくり観てみたいと思っていましたが、写真で見る正善寺ダムは、よくある普通の自治体ダムといった風貌で、特別な期待はしていなかったのですが、まさか、あんな事になっているとは・・・。
その時は夢にも思っていなかったのでした。

上越インターを降りておよそ12キロ、雨のダムサイトに到着。
右岸に管理所があり、駐車場からファーストコンタクト。

な!!
なんだこのダム!!

車を降りて第一印象から目が点になってしまいました。

お分かりでしょうか?
そうです、このダム、やたらと下流面の勾配が緩いのです。



今まで観て来たコンクリートダムとは、明らかに傾斜の角度が違います。

異様に緩い下流面は、とてもリラックスしてると言うか、油断してるって言うか・・・。
例えるなら、ダムが横になってぐーぐー寝てるみたいに見えるのです。
それも、涅槃仏を思わせる穏やかな眠り・・・。

堤体の傾斜としては、コンクリートダムよりもフィルダムのイメージなのです。

第一印象でいきなり驚かされましたが、この後、さらに驚愕する事になります。



それは、管理所付近に掲示してあった堤体の図面でした・・・。

!!!!!!!!!!

こ、このダム、なんかとっても変ーーーーーー!

例の緩やかな下流面。
たしかに1:1.0(つまり45°)という異様に緩い勾配という事が解りましたが、そんな事は、このダムのほんのディテールに過ぎないのでした。

勾配だけじゃなくて、断面もまんまフィルダムみたいなのです!
こんなの他で観たことも聞いた事もありません!!
不思議すぎるにも程があるっ!

しかし、一体なぜこんな変わったダムに??

特別な工法のテストケース?
案外、知らないだけで新潟では流行ってる??
完成した後に、川の上下流を間違えて造った事に気が付いてやり直した???
(冗談デス)



あほな妄想を膨らませつつ、抜けた腰をはめ戻して、ふらつきながら天端に向かいます。
車止めの柵がありますが、徒歩で歩くには問題ありません。



異様に緩い下流面ですが、天端から観ると、横から観たときほど不思議な感じはありません。
ダムの規模からすると、やや小振りな減勢工が見えます。



下流の河川は直下で右に急カーブ。
視線の先に北陸道が見えます。



行き交う車の音もよく聞こえる距離です。
高速道からこの正善寺ダムか見えるのは、ほんの数秒だけです。



天端を渡って左岸に来ました。

この水位だと、正面(上流面)の勾配は見えませんが、水中には下流と同じ勾配1:1.0の堤体が沈んでいるのです。

うーん、謎だ。

上流面にも勾配があると言う事は、単純に堤体積も大きくなる訳で、ほぼ同じ大きさの大野川ダム(新潟県 1979年竣工)と比較してみると・・・。

正善寺ダム 堤高47m / 堤頂長 187.3m 堤体積 20.3万㎥
大野川ダム  堤高47m / 堤頂長 183m   堤体積 11.4万㎥

おお、やっぱり想像どうりのヘビー級。通常のダムよりも2倍近い体積です!。
中空重力式やバットレスが、羨ましくて化けて出るほどの贅沢堤体。

比較しても意味ありませんが、中空重力式の木地山ダムと比べると・・・。
木地山ダム 堤高46m / 堤頂長 168.2m 堤体積 6.4万㎥(!)



堤体の形状だけでなく、取水設備も珍しいタイプになっています。
上流面に勾配があるので、スタンダードな取水設備は設置できなかったのでしょう。

フロート式の表面取水で、このワイヤーの先に取水口があり水位に合わせ上下する仕組みです。(上の断面図にも略図が記されています)

フロート式と言うのだから、浮きの様な物でぷっかり浮かんでいるかと思っていたのですが、実際には水中に没していて、ワイヤーの先には特に何も見えませんでした。



何故この正善寺ダムが上下に勾配を持つに至ったか?

多分、ダムサイトの地盤があまり良くなくて、ロックフィル向き(?)の地盤だけど、コア材(もしくはロック材)の採取に問題があって、コンクリートダムのまま、敷幅が異様に幅広の設計になった・・・って、感じかなあと思う。

そんな事を、いつものダム友に話していたら、その話が何故かあの中村靖治先生の耳にまで入り、なんとダム友を通じて解答まで返って来ました!!。(中村先生、恐縮です・・・汗)

中村先生はこの正善寺ダムの事も良くご存じで、上流にも勾配を持つ不思議な形状は、地盤が好ましくないので、フィレット(!)を付けているだけで、設計としてまったく不思議な事は無いそうです。

なんと、あの斜面は左右の岸を結び、地盤から天端まで伸びた変形フィレットだったのでした。

いやはやなんと、ダムってのはちゃんと近くまで行ってみないと、何が隠されているか解らないですね。まさにダムめぐりの醍醐味って感じでしょうか?

中村靖治先生、この度はどうもありがとうございました。



正善寺ダム
★★★

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箕面川ダム

堤高47m
R/FN 1983年 大阪府営

2011.6.4見学


一庫ダムを後に、ワインディングを飛ばして箕面川ダムに到着です。
何処をどう走って来たのか定かではありませんが、何故か上流からアプローチ。

箕面川ダムは洪水調節などを目的としたロックフィルダムです。
湖畔の道から堤体が見えますが、不法投棄対策か周囲はフェンスに囲まれています



右岸端に小さな休憩所がありますが、パーキングスペースがありません。
ダムサイトには車を停める所が全くなく、少し離れた湖畔の邪魔にならない路肩に止めて歩いて来ました。

天端は2車線の車道になっています。



天端の下流側には歩道もあるのですが、隙間なく木が植えられていて下流面は全く見る事が出来ません。
ダムマニア的には、ちょっとストレスが溜まる感じ・・・。



リップラップが見えない事は上流面も同じで、さらに上流面は高いフェンスに囲まれ完全にシャットアウト状態。都市近郊なのでこれも不法投棄対策なのかと思います。

貯水池は公募により「ゆうゆうレイク」と言う、消費者金融みたいな湖名が付いていますが、あまりに厳重すぎて、ゆうゆうどころではありません・・・。



天端から全くと言っていいほど眺望が効かない箕面川ダム。
かろうじて、洪水吐の一部は見えました。



左岸の道路を歩いて堤体が見える場所まで来ました。
ようやくダムらしい顔が見えてほっとしました。

逆光ぎみの西日を受けて滑らかな整形リップが見えます。

実はダム直下に行けば真下から見上げる事もできるそうです。
この日は日が暮れて来た事と、神戸で歩き疲れた事もあり、いつもより早めの帰路となりました。



箕面川ダム
★★

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一庫ダム

堤高75m
G/FNW 1983年 水資源機構

2011.6.4見学

さりげなくデザインダム。


一庫ダムは、兵庫県川西市にある水資源機構の多目的ダムです。

いつでも行けると思っていた事もあり、今まで未踏となっていましたが、神戸のオールドダムを観た後でいい機会なので行ってみました。

国道173から脇道に入りダム直下を目指します。
かに料理の店が見えたら一庫ダムに到着です。(なぜこの場所に蟹料理??)



ダムの直下には広い駐車スペースがあり、それに負けないくらい大きな減勢工がお出迎え。堤高75m、堤頂長285m。



控えめなグレー塗装の2門のラジアルゲート。
巻揚機は側面の建屋にきれいに収められています。

ゲート間の扶壁にも窓がありますね。
見た目が煩雑にならない様に、窓の高さが揃っています。

窓からはどんな風景が広がっているのでしょうか?。



堤体下部には2門のコンジットが双子のように鎮座しています。

バランスよく配置された窓は完全にシンメトリーになっています。
こういう所がちゃんとデザインされているのは、水資源機構のダムの特色です。



副ダムにもシンメトリーに配置された配管(?下流に向け開口している)。
そこに止まる川鵜までシンメトリー。



少し歩いて真正面から見えるアングルを探しました。
減勢工から下流がぐっと右にカーブしているので、下流の左岸から真正面が拝めます。

コンクリートの斜面から、四角柱がにょきにょき生えて来た感じの外観です。

大きなコンジット建屋は、やもすると無骨で唐突な感じになり易いのですが、クレストゲートの建屋が上手くマス感を揃えて、上と下で同じ形状が反復するバランスの良い外観を造っています。

この辺りのデザインのバランス感覚は流石です。
さりげなく、実はとてもカッコいいダムと言えます。



下から見上げた後、再び国道を登って天端の高さまで来ました。
右岸に立派な管理所、こじんまりとしていますが情報満載の資料館もあります。

「水・人・自然の調和を目指す」
管理所の柱に力強く掲げられています。

水資源のダムとしては深層爆気装置を初めて導入したり、フラッシュ放流等で下流河川の保全に力を入れている一庫ダムです。



なんだか得体の知れないペイントが施された建物は、インクラインの建物です。



天端は2車線の県道で、遠慮なくびゅんびゅん車が通っています。



クレストゲートの上から見下ろします。
コンジットの赤い管理橋がいいアクセントになっています。

わざわざこの橋だけ赤く塗られているので、本当に外観上のフォーカルポイントとしてデザインされているのだと思います。



貯水池は知明湖と呼ばれ、公園も整備され、釣りやキャンプなどアウトドアのレジャー施設が充実しています。
昔々、毎週末くらいバス釣りをしていた頃があるのですが、一庫は良く釣れると同僚から聞いていたのですが、何故か一度も行かずじまいでした。

兵庫県の東の端っこにあり、知明湖の左岸の一部は大阪府の部分もあります。



不規則に思えて、実は高さを揃えたり、面を合わせたりしてデザインされているクレスト部分。

後の日吉ダムや、日奈知ダムのように、バリバリにデザインしましたー、と、いう感じではありませんが、相当デザインに気を配っている事が伺えます。



派手さはないけど、よく見るといい男。
そんな感じの一庫ダムなのでした。



一庫ダム
★★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム兵庫県 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
布引五本松ダム

堤高33.3m
G/W 1900年 神戸市営

2011.06.04 見学

バロン五本松。


立ヶ畑と共に、神戸で忘れてはいけない重要なダムに布引五本松があります。

1897年着工、1900年竣工。日本最初のコンクリートダムとして、神戸どころか、日本ダム史に燦然と輝く巨星であり、忘れるどころか会いたい想いはつのるばかりでした。

今まで30基以上の石張ダムを観てきて、石張ジャンキーを自称する僕ですが、ひょっとして布引五本松に出会ってしまったら、自己完結してしまい、急速にダムへの興味が無くなってしまうのではないか?そんな危険性も感じていました。

布引五本松に会いに行く。
それは、ダムファンの僕にとって、審判の日に等しいものなのです。

2011年6月4日、ついにその日はやって来ました。


布引五本松へのアクセスはとても変わっています。
まずロケーションが新神戸の裏山であり、市街地とは目と鼻の先にあると言う事。
さらに、ダムまでは麓から登山道を登るか、観光用のロープウェイで行くというのも他のダムにはない面白みと言えます。

神戸の街。
大阪で働いていた頃、市場調査で行った以来で少し懐かしい。



布引五本松ダムへのエントランス、神戸布引ハーブ園 ロープウェイ。
111年前に造られた日本で最も古いコンクリートダムへ誘うタイムマシンなのである。



ロープウェイの設備は真新しく快適。
スタッフの明るい笑顔に送り出されるダムファン。
4人乗りのゴンドラ、ちょっと寂しい。



山麓駅と山頂駅を結ぶロープウェイ。
布引五本松に向かうには、その間にある「風の丘中間駅」で途中下車となります。

別に「中間駅」でもいいのに、「風の丘」を付ける辺りが神戸っぽい。



乗車してすぐに眼下には手付かずの山が広がっていました。
滝なんかも見えてきて、ちょっと得した気分です。



そして、おもむろに彼は姿を見せ始めました。

布引五本松だ!!。



緑豊かなダムサイト。
樹木に埋まるように渋い色の堤体。
並々と水を湛えるオールドダム。

ダムサイトの高く茂った樹木は、一世紀を軽く超える歴史の証人と言えます。



一人スタンディングオベーションのゴンドラはダムの見える左に傾きますが、足をふんばって撮影続行。

非越流のシンプルな堤体。
中央に取水設備、クレストには歯飾りが並ぶ石張ダムの王道。

これは真近で観るのが楽しみです。



風の丘中間駅で下車し、散策路を進みます。

向かう先は貯水池のインレット。
布引五本松に会う前に、行って於きたい場所がありました。

国指定重要文化財の登録を受けている「布引水源地水道施設」は、メインの布引五本松ダムの他に、上流に分水堰堤、締切堰堤、下流の雌滝取水堰堤など複数の施設群から成っています。



散策路脇の林の中に注意しながら進むと、石積の堰堤を見つける事が出来ます。
布引水源地水道施設 締切堰堤です。

堤高8.5m、堤頂長30.5m、堤頂幅1.4m。
布引五本松ダムと同時期に造られた砂防堰堤を、後に嵩上した石積堰堤で、型式はなんとアーチ式コンクリートダム(堰堤)です。

この締切堰堤の上流に、分水堰堤と呼ばれる別の堰堤が、布引五本松ダムの完成から数年の後に造られました。
川の上流からの水は分水堰堤で取水された後、人工の隧道を通り、この締切堰堤の下流で布引五本松の貯水池に放流されます。
これは濁った水や土砂を貯水池に入れない為のシステムで、濁流は分水堰堤でカットされ貯水池を迂回して下流へ送る別の放流路へ送られる仕組みです。

砂防堰堤だった締切堰堤は、分水堰堤の完成に伴い、隧道を通って流れ込む水が川を逆流しない為の設備へと役目を変える事となりました。

写真を観ての通り、現在はダムの上流は堆積物で埋まり、水は下流側に溜まっている状態となっていて、ダムでありながら下流面で水を受け止めている(逆流を阻止している)、とても不思議な状況となっています。



ダムファンの目からは落とす事の出来ない希少な堰堤も、一般にはそれ程でもないのか案内看板もなく、散策路脇のフェンスには事務的に立入禁止のプレートがあるだけでした。

フェンスを避けて道路脇の林に登って撮影を試みますが、通り過ぎる他の人の視線が痛い・・・。



そんな締切堰堤とは裏腹に、しっかりとした案内看板もありアピールされているのが上流にある分水堰堤です。

堤高4.3m、堤頂長14.0m、堤頂幅0.9m。
アーチ式コンクリートダム(堰堤)

竣工はなんと1907年、我が国初の「アーチダム」なのではないかと思っていましたが、布引五本松ダムの下流にある雌滝取水堰堤も同じアーチ式コンクリート造で、竣工は布引五本松と同じ1900年。
どうも、この雌滝取水堰堤こそ我が国初のアーチダムなのかも。

締切堰堤と同じでフェンス越しの見学となります。薄い石積のアーチ・・・。
厳重なフェンスと茂った木々でその姿がほとんど見えないのが残念。



さらには、分水堰堤の真下には橋が架かっていて、さらに眺望が良くないのです。
この橋自体も分水堰堤付属橋という名称で国の重文の登録物件となっていますから、邪魔だとかあまり邪見にもできません・・・。



両手を上げて山勘撮影を試みます。
なんとか分水堰堤右岸の取水施設を見る事が出来ました。

ここで取水した水は、隧道を通って締切堰堤の下流に放流されます。
かつては、河川の流量で自動で開閉する弁が設置されていたそうですが、現在は電化されているそうです。

時代の変化に合わせ、少しずつ改良を加えながら、造られてから100年以上経った現在も現役で活躍中の施設です。



ここまでで、上流の施設は終わりですが、散策路はまだ上流へと続いていて、ちょっとだけ散策してみました。

味のある建物。
今年、スプライトがリバイバルしましたが、コーラとファンタの下の看板は勿論当時モノ。

これはいったい何の建物?
と、思って看板を見る・・・。



神戸市 投輪連盟
あけぼの茶屋専属 布引道場

初心者 経験者 歓迎

僕の知り合いでは、投げ輪は初心者も経験者もいませんが、みなさんの周りには居ますか??



布引道場の横を、クーラーボックスを持ったグループが上流へ歩いて行きました。
まだこの先に何かあるのかな?

グループが消えていった先を覗いてみると・・・。

わ、なんだこりゃ、人がわんさと居ます。



布引五本松の上流に大きな砂防堰堤があり、その周辺には若者を中心に沢山の人がバーベキューや川遊びをしているのです。



よく見ると、若者だけでなく、結構いろんな年齢層の人が居ます。
神戸の裏庭みたいな感じで、神戸っ子の恰好の遊び場所になっているみたいです。



バーベキューの匂いを嗅いで、早朝に自宅を出てからまだ何も食べていない事に気が付きました。
布引道場の近くに茶店があり、アイスを買って分水堰堤からの水の音を聞きながら食べる事にしました。

うんうん、爽やかでいいね。美味しい、楽しい。

・・・あ、溶けたアイスがカメラに落ちた。
でも大丈夫、防塵防滴仕様だから。(ペンタックスのエンジニアが泣いてるぞっ)



さあ、ひと休みしたら、いよいよメインの布引五本松へ。
貯水池左岸の散策路を行くと、樹木の向こうに白い石積の壁が見えました。



白い石張のクレスト部、とても落ち着いた佇まいです。
でも、荘厳な感じではなくて、青空をバックに明るく爽やかな印象を受けました。

その向こうには行き交うロープウェイも見えます。



散策路の眺めのいい場所にはベンチも用意されています。
のんびりとしたいい風が吹いてます。



そしてついに布引五本松に接近遭遇です。

ここで驚いたのは、手前の余水吐です。
この余水吐の辺りは、山の影になってロープウェーからは全く見えません。
どんな余水吐を持っているか予備知識が無かったので、ナチュラルに驚いてしまいました。



越流部に架かる管理橋の上も自由に歩く事が出来ます。
左岸の山の形に添ってカーブを描く余水吐。



鋼製トラスの管理橋は、ダム建設時の資材運搬用トロッコのレールを部材に再利用したとも言われています。
竣工時はもう少し長い橋でしたが、左岸端が土砂の堆積で埋没され少し短くなっているそうです。

また、橋脚の真っ白な石張(改修により石積風の石貼)で解る通り、近年の改修で手が加わっています。



意外な管理橋の存在と共にまた驚いたのが、越流した水の流れる溢水路です。
一部コンクリートが張られていますが、基本、左岸の岩盤を掘って出来ていました。

クラシック&ナチュラルなオールドダムのディテール。



狭い管理橋の上を小学生の列が通過します。
子供会のハイキングとかでしょうか?。至る所でいろんな人に出会う布引五本松。

管理橋を渡った先は、いよいよダム本体です。



白さが映える上流面。

1900年完成の日本で最も古いコンクリートダムですが、1995年の阪神淡路大震災にも見事耐えて見せました。
そして2001年、神戸市水道100年を契機に貯水池の堆積土砂の撤去、歴史的構造物であるダム本体の保全を目的に2005年まで補修工事が実施されました。

堤頂から少し下の段になっている所から下部が、耐震化補強工事で追加された部分です。
石張の高欄や、クレストの石張は竣工当初からの部分ですが、補修工事の時に100年の汚れを落とされたのでしょう、スッキリとした白さを取り戻しています。

また、基礎のグラウチングを追加するなど、見えない部分にも手が加えられています。



水道水源地でありながら非常にオープンな布引五本松ですが、天端へは立入禁止でした。



堤体中程に半円形の取水設備。

たぶんあの辺りの高欄の内側に、竣工時に係った技術者の名前が刻まれた石板があるらしいのですが、ここからは確認する事は出来ませんでした。



ダムサイト左岸の散策路はそのまま下流側へと続いています。
先程、ロープウェーから観た堤体下流面が見えて来ました。

非越流型の風格ある横顔。



明治になり開国からわずか数十年、この時代は都市部の人口増加や、諸外国から入ってくる伝染病を防ぐ目的で衛生的な水道が求められ、日本各地の港町を中心に近代水道が造られ始めます。

また、1820年代にイギリスで発明されたポルトランドセメントは、日本では1873年に官営の摂綿篤(セメント)工場が完成、さらに1881年に山口県に民営のセメント会社が設立され、日本でも混凝土(コンクリート)製の建造物を造る事が可能となりました。

この二つの時代背景の融合により、日本最初のコンクリートダムが産声を上げる事となります。

それが、布引水源地 五本松堰堤(布引五本松ダム)です。
堤高33.3m、堤頂長110.3m、堤頂幅3.6m



神戸の近代水道は、日本初の近代水道である横浜の水道を設計したイギリス人H.Sパーマーにより、最初の設計書が描かれました、1888年の事です。

その後、神戸でもコレラの流行や、人口の増加を背景に、内務省の雇技師W.K.バルトンの手で現在の水道施設群の原案が作られます。

1893年のバルトンの原案から日清戦争により計画は一時中断、4年後の1897年に起工する時には、著しい人口の増加に合わせ、布引五本松ダムはバルトン案のアースダムから現在のコンクリートダムに大きく設計が変更される事となります。

この時、バルトンに代って現在の重力式コンクリートダムの設計を行ったのが、吉村長策、佐野藤次郎ら日本人技師でした。

布引五本松の設計者についてまとめると、ダムサイトの選定がバルトン、工事長として全体を監督した吉村長策、実際にダム本体を設計したのが、バルトンを師としていた主任技師の佐野藤次郎という事になる様です。

ちなみに、バルトンはダムの完成を見ずに1999年に他界。佐野藤次郎は吉村長策が退任後工事長を引き継いでいます。



クレストの歯飾り部分のクローズアップ。
今世紀の補修工事で全体的に洗浄された事もありますが、緻密でしっかりと積み上げられた間知石は、とても100年以上も前の施工とは思えないしっかりしたものです。

石材の間を埋める目地は、内部にコンクリートを打設した後、目地の表面から1インチの深さを剥ぎ取り、その後モルタルを打ち、硬化後に再びモルタルを盛るという入念な施工が施されています。

これら日本初のコンクリートダムの施工技術は、後のダムの貴重な石杖となっていった事は言う間でもありません。



白いクレスト部と比べ、ゆるやかなバケットカーブから下は雑草も芽を出し、重鎮らしい表情です。

非越流式のスッキリとした姿は、背筋を伸ばした姿勢の良い紳士を思わせます。
明治生まれの趣ある神戸紳士は、男爵ってイメージがぴったりです。

布引五本松男爵。

バロン・五本松。



左岸の散策路を歩いてダムの下まで来ました。
堤体の直下は水道施設と言う事もあり立入禁止となっています。

アイアンのデザインが可愛いですね。



ダムの下に来たら、何処からともなく急にザバザバと言う大きな水音が聞こえて来ました。

いったいどこから聞こえるのか?と振返ってみると、ダムサイト左岸の少し下流に滝が流れ落ちていました。結構な水量で、滝の粒子が辺りに漂っています。
何処から来た水だろう?
滝の一番上の岩盤を見ると、人工的に岩を削って作られた滝である事が解りました。

え??

これってひょっとして・・・。

慌てて、今歩いて下って来た左岸の坂道を走って戻ります。



息も絶え絶え管理橋まで戻って来ました。

これです!滝の正体はなんと余水吐からの放流だったのでした。
左岸の岩盤を掘られた溢水路は、数十メートル下流で滝になっていたのでした。

この人工の滝は、余水吐から越流している時にしか見れない為、五本松かくれ滝という名前が付けられているそうです。



以上で、日本最古のコンクリートダム 布引五本松ダムの見学は終了です。

さて、冒頭のダムファンとしての最後の審判はどうなったのか?。
もうお分かりかと思いますが、ダムについて自分の中で完結してしまう何処か、さらにどっぷりと肩まで浸かってしまった気がします。

日本には観たい石張ダムがまだまだあります。

石張ダムだけでなく、日本のコンクリートダムは全てこのダムの子孫たちです。これからも、どんどんダムを観に行くぞっ。

帰りのロープウェイからバロンにお礼を言いつつ、そんな思いを新たにした布引五本松でした。



バロン五本松。
★★★★★


さてさて、またもや長編となったダム見学記ですが、おまけとしてもう少しお付き合いください。

えーっと。
日本人の風習と言うか、物の味方には面白いものがあって、同じ物が二つ並ぶと何でも夫婦(めおと)にしてしまうという趣味があります。

茶碗が二善あれば夫婦茶碗。
岩が二つ並んでいれば夫婦岩。滝が並べば夫婦滝。
(何故だか漁船だけは兄弟船ですが?)

なぜこんな関係の無い話をするかと言うと、前回レポの立ヶ畑ダムで、クレストゲートの謎は推理したのですが、何故ゆえ立ヶ畑は曲線重力式なのかという素朴な疑問が湧いて来たので、考えてみた訳です。

立ヶ畑の曲線重力式は、アーチダムや、重力式アーチとは異なり、力学的な要素は無さそうに見えます。
また、ダム軸を上流に湾曲させる(アーチダム状にする)事で、少しでも河床の標高が高い位置となり堤体積を少なくする効果もあると言われていますが、どうもすっきりしません。



今回、布引水源地を訪れて、本体の布引五本松は直線重力式ですが、付随する堰堤達が揃ってアーチ式なのには驚きました。
セメントが最新の新建材であった時代と言う事も関係すると思いますが、ダム設計の理想形として、技術者として「造ってみたい」という考えもあったのではと思います。

その、アーチダムへの思いが立ヶ畑ダムの堤体をアーチ状にカーブさせ、あの貴婦人のような美しい姿となって現れたのではないかとも思えて来ます。

貴婦人のような立ヶ畑。
そして、男爵・布引五本松。



あれ?ちょっと待てよ・・。
ひょっとしてこの神戸の街に並ぶ二つのダムは・・・。

「夫婦(めおと)ダム」

として設計・デザインされたのではないでしょうか???

神戸の裏山、生田川に雄ダム・布引五本松。
そしてわずか2キロ西の烏原川に雌ダム・立ヶ畑。
仲睦まじく並ぶ二つのダム、それは夫婦ダム。

近代水道の父・吉村長策と、バルトンを師としていた佐野藤次郎が、そんな和風な志向の持ち主であったかは謎ですが、立ヶ畑が曲線重力式という理由として、面白くて、個人的には案外しっくり来るのですが?。

みなさんはどう思いますか??。

おわり。
 

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立ヶ畑ダム

堤高33.3m
G/W 1905年 神戸市営

フェアレディ。


石井神殿を後に立ヶ畑ダムを目指します。
立ヶ畑ダムは布引五本松ダムと並び、神戸の近代水道を築いた上水道用ダムの名堤です。

石井ダムから下流の道は六甲山の遊歩道になっていて、自然の中で軽く汗をかくには絶好のルートとなっています。
この日も、お弁当片手のファミリーをはじめ、ハイキングの団体さんから山ガールまで沢山の人と出会いました。(徒歩で向かうダムって、誰一人で合わない事が普通なのですが)



大金鶏菊が綺麗に咲いた初夏の遊歩道。
おせっかいなのか、心配性なのか、手書きの注意書きが微笑ましいです。



烏原川に沿って、遊歩道をガシガシ進みます。



心地の良い森です。
神戸の街のすぐ裏山なのに、自然がいっぱいです。



森の中に突如石積のダム関連施設が現れました。
立ヶ畑ダムの上流施設です。

写真右奥にチラッと見えるのは取水堰堤。
烏原川からダムに必要な量の水を取水し、立ヶ畑ダムに水が送られています。

立ヶ畑は1901年着工、1905年竣工の日本で4番目に古いコンクリートダムです。
これら関連の施設も同時に造られ、100年以上も前のものです。
堰堤だけでなく水路の河床も全て石貼で出来ています。
とても丁寧な施工は、100年を超えるものには見えません。



正面の暗渠から出ている水は石井川の水で、取水堰堤で立ヶ畑ダムに送られずに余った烏原川の水と合流し、ダムを迂回して下流へ向かう水路に導かれます。

多連アーチ橋を思わせるするデザインが美しい締切堰堤。
締切堰堤はその名の通り、立ヶ畑ダムのインレットで烏原川を締め切っている堰堤です。

上水道用のダムなので、大雨で烏原川が濁った場合は水を貯水池に入れずに下流へパスする役目があるのかなと思います(推測です)。
また、ダム建設時の流転工の役目もあったと思われます(これも推測です)。



装飾的なリブが見応えのある鋼製ゲート。
気品と風格のある表情は、一世紀を経た者の証です。



締切堰堤の脇にある暗渠の入口。
重厚かつ緻密な仕上げが印象的。

暗渠を示すアーチ状の装飾が、本当に装飾だけの用途しかありません。
様式美と言うのは、礼儀作法に近いですよね。



締切堰堤を過ぎると、立ヶ畑の貯水池はすぐそこです。
遊歩道は貯水池をぐるっと一周しています。

左岸を歩いてダム本体に近づく事にしました。



ここでも多くの人とすれ違います。

しっとりとした森の匂い。
少しひんやりした空気が清々しい道。



静かな立ヶ畑の貯水池が見えて来ました。
想像していたよりも大きな貯水池で、ちょっと驚きました。



タケノコ堀りのグループとすれ違い、そろそろかな?と思っていたら、樹木の間に見えて来ました。

立ヶ畑ダムです!。



美しい弧を描く石積の堤体。
穏やかな銀面にそのシルエットがゆらいでいます。

緻密に積み上げられた石積は寸分の狂いもなく、その丁寧な仕事の一つ一つが、大きな堰堤の美しさの源となっています。



湖畔から天端へ向かうアプローチ、手摺は上品なカーブを描いています。
立ヶ畑ダムへのエントランスに相応しい優美なライン。



重厚な上流側の高欄、下流側の高欄が対照的に華奢なのは古いダムではスタンダードな様式です。
転落防止の為、フェンスが張巡らせてありますが、シンプルな柵で明るい塗装が施されていて、雰囲気を壊すような感じはありません。

天端がカーブしているので、フェンスで対岸が見えない所もなんだがワクワクしてしまいます。



フェンスの隙間から下流を見下ろします。

不思議な壁が立体迷路の様に並んでいます。
これは沈澄池と言う施設で、水の水質改善の施設だったそうです。
現在は、近代的な浄水場が出来ていますので使われていません。

壁の中ほどに、ダム本体のカーブに合わせた副ダムの様に見える厚い壁が見えます。沈澄池は上下2段になっていたのかな?と、思います。



クレストやや左岸寄りにある取水塔建屋。
上部まで全て石造りの荘厳な姿をしています。



神殿のような丸い柱。
全体のデザインは西洋建築を思わせるのですが、漢字のレリーフが妙にマッチしています。

中央の白いドアーには金色の「水」マーク。
教会のような宗教施設を思わせますが、日本では水もまた神の一つです。



クラシックな額縁を思わせるプレートには、立ヶ畑ダムの建設に携わった、吉村長策、佐野藤次郎の名前が刻まれています。

吉村長策は、日本初の上水道専用ダム 本河内高部ダムを長崎で手掛け、その後も、神戸、佐世保、呉等で多くの水道水源ダムを建設、日本近代水道の父とも呼ばれる一方で、海軍技師として軍港設備の建設に従事し、後に海軍省建築局長に就任します。

また、佐野藤次郎は、布引五本松ダムを設計、千苅ダムなど神戸の水道に深く携わった後、日本で最初のダム水道コンサルタント会社を設立、大井ダムや豊稔池など数々の名堤の建設に携わり、台湾の烏山頭ダムにも関与してゆきます。

まさに、当時のビッグネームがタッグを組んで建設されたのがこの立ヶ畑ダムなのです。



腰壁部分の細工も立体的で素晴らしい装飾が施されています。

これがダム施設の外壁なんて、とても思えませんが、しかし、これもまたダムなのです。



取水塔から堤体の中央辺りは、貯水池側の高欄にクレストゲートに関する構造物が並びます。



高欄の裏側(貯水池側)を覗くと、全体が真っ赤に錆びたウォームギヤがありました。カバーの一部は、錆び落ちています。



同じ部分を天端通路から観ると、高欄がくり貫かれ、鋼製の台座が残っています。



高欄の石材に切欠きがあり、かつてシャフトが貫通していた事が伺えます。
その昔は天端の上にゲート操作の機械が鎮座していたのかもしれません。


天端を歩いて右岸に来ました。

緻密な石積の曲線美。
他のダムとは一味も二味も違う甘美な気品が薫ります。



親柱に刻まれるのは、「大正三年拡張」の文字。
立ヶ畑ダムは、1914年に2.7mの嵩上工事が行われ、現在の姿になりました。



クレストを飾る帯状の装飾。
天端からおよそ2〜3m下に延びる2本のラインは、嵩上以前の天端の痕跡かもしれません。



そうなると気になるのは堤体中央のクレストゲートの存在です。
ゲートの越流部の高さは、帯状の装飾の位置とほとんど変わりません。



帯状の装飾は貯水池側にも同じ高さにあしらわれています。

この装飾が竣工当初の天端を指すのであれば、満水位の水位は竣工当初も、現在もほとんど変わらない様に思えます。
つまり、1914年の嵩上工事は、貯水容量の増加目的ではなく、クレストにゲートを設ける為の工事だったのではないかと思うのです(仮説、かなり大胆)。

では、1904年の竣工当時の立ヶ畑ダムは、どの様な姿だったのでしょうか?。



当時既に竣工していた、長崎の本河内低部ダム、西山ダム、そして同じ神戸の布引五本松ダム。

これら、立ヶ畑とほぼ同時期に建設された名堤に共通するのは、佐野藤次郎、もしくは吉村長策と言う二人の技師、そして、クレストにゲートを持たない非越流式の堤体という設計です。

嵩上前の立ヶ畑のオリジナルは、設計者と時代背景から察すると、これらと同じ非越流式であったのではないかと僕は推測しています。
その裏付けとして、堤体の真下の施設が減勢工ではなく沈澄池である事や、洪水が取水堰堤と締切堰堤で流入部分で制御可能であり、貯水池には他に主立った流入も無い為、本格的な余水吐を必要としなかったのではないかと思うのです。

ちょっと大胆すぎる推測ですが、全く余水吐を持たないのも不自然なので、クレストには砂防堰堤の水通し程度の越流部があったとも思えます。

後に何故クレストゲートが必要になったのかについては不明な点もありますが、今現在ではそのクレストゲートも使われている感じはなく、いかに1904年当時のダム設計が優れた物であったかを物語ります。

美しい姿を見ながらそんな妄想にしばしふけってしまいましたが、例の帯状の装飾がアーチ状の天端を強調し、より美しいエレガントな姿に魅せている事は確かな事実です。



アーチ状のダムのベストビューは、やや俯瞰ぎみに見下ろしたアングルと言えます。

最後にダムサイトの右岸にある階段を上がり、なるべく高い位置から眺めてみる事にしました。
ウエッジウッドブルーのペイントが爽やかな木製の門、細部まで神戸流。



滑らかなラインが美しい旋律を奏でます。

天端に美しいアーチラインを持ったダムは、時々女性にたとえられます。

曲線重力式の立ヶ畑ダム。
日本で初めてアーチ状の天端を採用したこのダムは、日本ダム史のファーストレディとして、気品溢れる姿で、次の百年も人々を魅了し続けるのでしょう。



神戸を見下ろす魅惑の貴婦人。
フェアレディ・立ヶ畑ダム

★★★★★

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石井ダム

堤高66.2m
G/FR 2008年 兵庫県営

2011.06.04見学

神が生れる瞬間。


2009年の秋、Dam Web Ring の第8回のオフ会として、「神鉄で行く烏原川のダムめぐり」オフが行われました。
このオフ会の模様は幹事を務められた夜雀さんが詳しくレポートされています。
http://yosuzume3.web.infoseek.co.jp/dam2/karasuhara-off/karasuhara-off_01.html

実は僕もこのオフ会に参加予定だったのですが、直前に新型インフルエンザに掛かり、数日会社を欠勤した結果、仕事の都合でドタキャンをしていました。
今日は、このオフ会のルートを独りで巡ってみようと、スタート地点である神戸電鉄鈴蘭台駅にやって来ました。

駅前のパーキングに車を入れ、線路沿いに歩いて、まずは石井ダムを目指します。
今まで無かったダム巡りのパターンに、いつもよりウキウキ度5割増し!。



線路沿いに800mほど歩くと、神鉄の線路とはお別れ。

その後は川に沿って進みます。
コンクリートに護岸された川ですが、石井ダムはこの川の下流にあります。



てくてく歩いて行くと、神鉄の車両基地がありました。
わ、なんだこの車両、すごく変わってる。



さらにその奥では、ミラーマンが洗顔中でした、ゴシゴシ。



車両基地を横目に進むとゲートが現れます。
歩行者は脇をパスして通れますが、一般車両はここまでです。



ゲートから先は住宅も無く、ダムまではハイキングルートといった感じです。

ほどなく公園が現れました。
石井ダムのインレット付近は公園が整備されています。
鈴蘭台からウォーキングしてきた人が、上半身裸でストレッチをしていました。



さらにずんずん歩くと、見えて来ました。
石井ダムです。

洪水調節を主目的としているダムなので、とても水位が低いです。



望遠で撮影。

このシンメトリーに配置された2本角は・・・。
そうか、石井ダムも天端側水路を持っているのか!

クレストの中心に2本角を生やすデザインは、宮ヶ瀬、比奈知に共通の天端側水路を持つダムの特徴です。
天端側水路に降りるエレベータ(もしくは階段室)の都合でこういう風になるのかな?と思います。



上流側のゲートは天地の薄い6門。
向こう側の放流ゲートはセンターに2門となっている様です。

丸いデザインのピアは、ゲートから堤体の一番下まで丸い柱状のデザインとなって真っ直ぐ貫かれています。
普段から水位の低いダムなので、上流面のデザインも気を配られています。


貯水池内は立入禁止です。
大雨になったらぐんぐん水位が上がりますから危険ですよ〜、という注意看板。



鈴蘭台駅からおよそ2km。
だいぶダム本体まで歩いてきました、もう少しです。



橋脚に記された満水位のマーク。
こんな高さまで水を貯めるのか!



ついにダムサイトに到着です。
お洒落な外観のダム管理所。



右岸からの石井ダム。
2008年完成の石井ダム、白いコンクリートが眩しいです。

丸いピアのデザイン、あえて横継目を強調した処理も独特です。



上流方向を観ます。
サーチャージの高さまで樹木が伐採はされていますが、緑が復活していて自然な感じです。
裸地のままだと景観を損ねる場合もあるので、あえて緑化しているのかも。



広い天端、もちろん散策自由です。
いたる所にベンチが置かれ、天端はちょっとした公園になっています。



天端の上に植え込みが・・・。

綺麗に整備されていてまるで違和感ないのですが、天端に植え込みって凄くないですか?
アベリアやコニファーなど、乾燥に強そうな植物ですが、雨水などの過剰な水の排水も必要ですよね?

ともかく、コンクリートダムの上に土があって、木が生えているのがとても斬新。



天端から下流を見ます。

スクエアな減勢工、その下流は年季の入った砂防堰堤があり、神鉄の線路が見えます。(神鉄の車窓から、ダムを真正面から観る事も出来ます)



不法投棄対策から、徒歩でしか来れない石井ダムですが、それでも沢山のお年寄りが世間話をしていました。
車で来れないので不便ですが、それが返って「隠れ家」的な散策スポットとして近隣の方には好評なのかもしれません。

時折、神鉄のガタゴトという音が聞こえますが、車の音が聞こえないだけでも、断然リラックス感が違います。



驚いたのは下流面に造られた遊歩道です。
天端からダムの下まで、堤体の表面に階段が造られています。

散策のおじさんがトコトコ降りて行きます。

こ、これはなんだか凄いぞ!!。



下流面の階段は後に置いておいて、とりあえず天端を歩いて左岸まで来ました。
とても凹凸の多い独特のデザイン。

エレベータ棟のデザインもすごく凝っています。(よくある四角柱ではない)



エッシャーの騙し絵を思わせる複雑な階段。

この写真だけではダムだと思う人は居ないんじゃないでしょうか?
ダムに係らず、こんな空間デザインって他ではちょっと観たことありません。



複雑な下流面の階段は両岸にあるのですが、左岸側は立入禁止となっています。
わくわくしながら右岸に戻り、降りてみます。

一歩一歩階段を降りる毎に表情を変化させる石井ダム。



時間を掛けてじわじわと堪能します。
下流面中程には踊り場もあります。



踊り場から見上げます。

ぐえー!
かっちょいい!!



踊り場から堤体を見上げて、何故このダムが天端側水路を採用したのか解りました。
この階段付きの下流面を造る為に、洪水吐をセンターにまとめたのではないかと思います。
(すぐ近くに天王ダムがあり、天端側水路の実績があったのも影響してる?)

さらに石井ダムは堤体内に多目的ホールを持っていて、これがダム目的のR(レクリエーション)の施設となっています。



下流面の階段は細かく踊り場や切替しがあり、とても変化に富んでいます。
設計者以外に、明らかにデザイナーの参画を感じます。



超至近距離から見上げる石井ダム。
階段を一番下まで降りる頃には、僕はすっかりこの石井ダムに惚れていました。

神殿のように神々しさまで感じる姿は、もはや信仰の対象です。

神様ーーーーーっ!



ダムの直下にあった禁止事項の看板です。

それによると、カメラ小僧のように真下からローアングルを狙ったり、
神として崇めたり、拝んだり、ひれ伏したりする行為は一切禁止されていません。

って、事はダム愛好家としては、やりたい放題と言う事です!!。



複雑な表情の石井ダム。
下から見上げた時の表情も完璧に計算済みです。

これだけ複雑な下流面は、通常のコンクリートダムの施工では難しく、特別な型や、異例の施工方法が必要であった事は想像が付きます。

重力式コンクリートダムは、水を受け止める質量、基礎地盤への安定、耐震性など、ダムとして必要な条件をクリアすれば、既存のデザインに捕われずもっと自由な形が出来るはずです。

石井ダムはアグレッシブにその事を伝えているように感じました。



石井ダムの階段を降り、そのまま下流向かう道は立ヶ畑ダムへ続きます。
遊歩道を歩きながら、何度も何度も振り返り石井ダムを後にしました。



石井ダム
★★★★★

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イブシ銀ダムめぐり。

連休をフルに使って久しぶりに遠出しましたー。

3日間、朝から晩まで巡り巡って、ダムカード0枚!!

我ながら、ダムのチョイスが渋すぎるぜ。



なんだろう、不思議な形。
水も青い!。



↓ おそらくネットで写真が出るのはお初。
日本ダム史に歴史を刻む貴重な物件・・・のはずなのだけど、なんか違うぞ。
追跡調査中。



完成して4年も経つのに、いまだダム便覧に写真が1枚も無かったとあるダム。
便覧観ても、ずーっと完成予想図のままなので、可哀想なので観て来ました。



レポートは多分来年くらいになるかな?。
乞うご期待!!

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天王ダム

堤高33.8m
G/F 1980年 兵庫県営

2010.06.04見学

神戸の守護神。


今日は神戸に来ています。
神戸は港町のすぐ背後に、険しい山を控える独特の地形です。
天王ダムも、神戸の中心である三宮から直線で4〜5kmしか離れていません。

まずはダムの上流側からファーストコンタクト。
公園の奥にコンクリートの堤体が見えて来ましたが、ちょっと他のダムとは景色が違います。



それもそのはず、天王ダムは治水専用のダムなので、普段の水位は極端に低く、水の無い湖底を車で走ってここまで来られるのです。




今まで岐阜や静岡、三重などで同じような治水専用のコンクリートダムを訪問しましたが、水没するエリアに立ち入れるダムはこの天王ダムが初めてです。

しかも、水没範囲の中には野球場まであり、公園として地元の方の憩いの場として利用されています。
水没するエリアに公園なんて!?と、ちょっと驚きですが、河川敷のグランドや公園と同じですね。



堤体の中央にゲージに囲われた放流設備。

貯水ダムのオリフィスとは付いている水深が違いますが、一応水位を調節しているゲートなのでオリフィスと呼んで差支えないですよね。

穴あきダムとして紹介される事の多い天王ダムですが、オリフィスゲートで「水位」を調節していますから、「穴あき」と言うよりも「極端に水位の低いダム」なのかと思います。
(今まで観て来た他の穴あきコンクリートダムは、カラカラに水が無い)



見上げると非常に天地に薄いクレストゲートが並んでいます。

橋梁のようにクレストに鎮座する天端。



ダムを見上げた位置から天端へ行く道を探しましたが、それらしい道は途中で途切れていました。
天端へは、一旦国道428へ戻りトンネルの脇の狭道を入って行きます。



湖畔沿いの曲がりくねった道を進むと、ダム管理所があり、さらにその奥が天端です。天端の横には、兵庫県のダムではおなじみのタイムカプセル。



シンプルな天端です。
ですがカラータイルの路面は、お洒落な神戸っ子を主張しています。



天端から上流方向。
遠方に鈴蘭台の街が見えます。

ウエーディングのバサーが居ますが、本来は釣り禁止です。
(ウエディングじゃないですよ、水の中に立ち込んで釣りをする事をウエーディングと言います)



こちらは下流面です。

すぐ真下に国道428が通過しています。その国道からもダムは見えますが、交通量が多く、駐車できる場所も無いので、走行中の瞬間だけしか見る事は出来ません。
(根性据えて遠くから歩けば下流から見上げる事が出来るみたいです)

折角なので真下に駐車スペースを造って欲しい気もしますが、不法投棄の防止から難しいのかも。
また、非常にタイトな谷なので、物理的にスペースを確保する事は無理っぽいです。



右岸まで歩いてきました。
バケットカーブの無いクールな表情です。



上流側はこんな感じ。
対岸の白い建物が管理所です。



上流側に降りていける階段があるのは、水を貯留しないダムならではですね。



再び折り返して左岸へ戻ります、これはクレストの洪水吐の越流部です。
天端が少し下流にオフセットしているので越流部を上から観る事が出来ます。

自然越流の洪水吐は、沢山の門数をクレストに並べる事で、越流する水の厚みを薄くする事が出来ます。それはダムの堤高を抑える事に繋がり、同じ放流能力を維持しながら建設コストを抑える事が出来ます。

さらに、こんな感じで越流部の直上をオープンにすれば、ゲートの天地をより薄く出来て、より効果的なのかなぁ?と、空想。

それにしても、越流部が壁の様に薄い!



そうです!
もうお気づきでしょうが、この天王ダムは天端側水路を持っているのです。



左岸から下流面を観ます。
センターに天端側水路で集めた水の放流ゲートがあります。

クレストには薄い隙間がありますが、これはゲートでは無くて、天端側水路上の天端は橋梁の構造となっている為です。



もっと、正面から見えないかなあ・・・。

一応もう少し下流側まで行けるのですが、ズラッと養蜂の巣箱が鎮座していて、ミツバチが盛んに飛び回っているのでこれ以上は無理でした・・・。



何故、この天王ダムに天端側水路が?
ヒントは下流が非常にタイトな独特の立地にあるのでは?と思われます。

ダムの直下は真正面に別の山が壁の様に立塞がり、水は国道の手前で右に急ターンを強いられます。スムーズに下流の河川に水を流す為には、放流部分はストレートに、尚且つセンターにまとめたかったのではないか?。
憶測ですが、そんな風に思いました。



特徴的な天端側水路を持つ天王ダム。
そのデザインのディテールも、また他にない特徴があります。

マニア目線で観て、見逃せないのがこのクレストから曲面で立ち上がる導流壁の襟元です。
なかなかカッコイイ造形だと思うのですが、ただそれだけでは無くて、某有名ダムに似たデザインエッセンスを感じるのです。



例えば、
宮ヶ瀬ダムの、導流壁の立ち上がり部分の曲面。



さらには、こちらは比奈知ダム。
これも同じく導流壁の立ち上がり部分。



勿論、天端側水路だから導流壁の立ち上がりが曲面になる、と、いう直接的な話ではありません。

機能とは関係の無いデザインの細部に、歳の離れた兄弟のような血筋を微かに感じるのです。
何処でどう繋がっているのかは定かではありませんが、なんとなく近い物を感じるのです。



天王ダム
★★★

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香坂ダム

堤高38.5m
R/F 1972年 長野県営

2011.5.21見学


鹿野ダムからスタートした忘れ物を巡る旅、最後はロックフィルダムを訪れました。
群馬からの県境を越え、香坂ダムは長野県の県営ダムです。



夕暮れのロックフィル。
ブラックロックの上は薄く雑草が生えています。



堤高38.5m、堤頂長184m。
香坂ダムは、農地防災を目的とした治水専用のダムです。

脇を走る県道からバリアフリー状態のアスファルト舗装。
車でも普通に入る事が出来ます。



防災専用なので通常ほとんど水は貯められていません。
狭い水面に魚の跳ねる波紋が見えました。



天端から上流です。
上信越自動車道が近くを通っていて、行きかう車が見えます。



左岸にある取水塔。
防災専用ダムなので、単純な放流用の設備なのかと思います。



洪水吐はロックフィルのスタンダードなバスタブタイプ。



洪水吐を越えた水は、アバットの脇から下流へ向かいます。
左岸にある管理所は、堤頂部から下流側にあって、天端から下流面に向かう道がありました。



水を貯めない防災ダムの表情。

同じ事をコンクリートダムで行なった場合、上流からダム本体を見ると、巨大な切り立った壁が河川を塞ぐ感じとなり、景観を壊してしまうかもしれません。
その点、天然素材で上流にも傾斜を持ったフィルダムなら違和感なく周辺に溶け込む事が出来ます。

貯水池に茂る木々や草花。
有事の際には水没する為、人が手を加える事のない貯水池内は、本来あるがままの自然な山野の情景が広がり、山野草のコロニーの様に見えました。



香坂ダム
★★

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