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柴木川ダム

堤高15.5m
G/P 1955年 中国電力

2010.11.7見学


鱒溜ダムを見た後、国道191を3キロほど北上すると柴木川ダムがあります。
T字の交差点の手前に車を置いて、ペンションの辺りからダム直下の川原へ歩いて降りる事ができます。



堤高15.5m、堤頂長104.9m。
柴木川ダムは決して大きなダムではありませんが、2門の大きなゲートと3本のピアが堂々とした、ダイナミックな風貌が特徴です。



センターには下流に大きくオーバーハングして、ゲートの巻揚機を収めた機械室が乗っかっています。

半円形の抜きが並ぶ高欄が見えます。
懐かしいノスタルジックな感じと、油っぽい機械的な部分が混在する不思議なイメージ。

重厚な造りは、どことなく要塞のようにも見えます。



T字の交差点を三段峡方面に左折すると、すぐにダムの左岸に到着です。
周辺に駐車スペースがほとんど無いのですが、すぐ横のトンネルの入口に小さめの車なら1台停める事ができます。
(ダム施設の駐車スペースはとても狭いので、関係者の方が来た時に困るので空けておきましょう)

施設は全面フェンスに囲まれていますが、天端は自由に見学できる様です。



堤高からすると、とても高くて大きなゲートピア。
一回り大きなダムのクレスト部分だけ切り取って据え付けたようなダムです。



ダム湖の上流は、なだらかな地形になっていて、その周囲には閑静な住宅が広がっています。
発電用の人造湖なのですが、完全に景観の一部として溶け込んでいました。
湖畔の黄色い花がきれいです。



こんな感じのコンクリートの高欄が好き。
表面のザラザラ感、黒ずんだ感じ。

本当はドライな乾いた感じが好みだけど、雨に濡れて苔むした表情も良いですね。
雨水が溜まらないように、路面に傾斜が付いてる所も◎。



クレストゲートの部分は全体に下流に突出しているので、天端はゲート部を避けてクランクした形になっています。



ダムに行くと、時々こんな少し懐かしい感じの高欄に出会いますが、これってダムだからこんなデザインと言う訳ではなくて、以前は、そこらじゅうの川に架かる橋も、こんなコンクリート欄干が普通だったんじゃないかと思います。

橋の場合は交通量の増加で架け替えたり、30年とか40年の耐用年数を経てどんどん架け替えるので今では味のあるコンクリ欄干は少なくなってしまいましたが、ダムの場合は管理すれば永遠に使える施設なので、当時の姿を現在も留めているのではと思います。

そう思うと、ダムと言うのは土木建築の中でも特殊で面白い位置にあるんじゃないかと思います。
何十年も、ダムによっては100年以上も前の、技術者や地域の方々の思いがタイムカプセルのようにそのまま現代まで生き続けている。
こんな情緒あるダムのコンクリート高欄を観る度に、そんな事を思うのです。



柴木川ダム
★★★


| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム広島県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
鱒溜ダム

堤高19.2m
G/P 1939年 中国電力

2010.11.7見学


立岩ダムを後に、そのまま下流へ下って行きます。
ぽつぽつと民家があり、川沿いの集落を抜けます。

川は集落の脇を流れていて、道を挟み民家とそれほど離れていないのですが、とにかく川の中の岩が巨大で驚きます。
しかも、どの岩も鉄砲水で流された様にゴロゴロと川の流れの中で積み重なっているのです。
立岩ダムはもの凄く厳しい川に造られたダムだった様です。

そして、立岩ダムと共に、この川に建設されたのがこの鱒溜ダムです。

ゲートレスの小柄な堤体。とてもシンプルな簡素なダムです。
右岸寄りの放流設備より河川維持と思われる放流中。



所々苔むした越流部。
朝露に濡れ黒々とした表面は、どこか生き物の皮膚をイメージします。



ざばざばと白い飛沫を上げていた放流設備は、ピアの内部に内蔵されています。

船を思わせる造形がいいですね。
川の流れを切るのは、波を切って進む船と似たような物なのかもしれません。
そう思うと、渋い色の管理橋が桟橋に見えてきました。



小さな堤体なので貯水池もコンパクトです。湖面は眠っているように静かな表情。
発電所への取水口は、ダム本体とは全く別の場所にありました。

面白いのは取水口の向きが、川の流れに対して上流を向いている事です。
ここから送水する発電所の、方角の関係もありますが、さっき見た上流のゴロゴロとした巨石の事を思い出しました。
大水の度に、巨大な岩が押し流されて来ては取水設備もたまった物ではありません。
ひょっとすると、濁流と流れて来る岩から設備を守るための向きなのかもしれません。

そう思うと、鱒溜ダムのシンプルなゲートレスの構造にも、そういった意味があるのでは?
鱒溜ダムは、見た目はシンプルだけど、どこか奥深い物を予感させる魅力的なダムなのでした。



鱒溜ダム
★★★


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立岩ダム

堤高67.4m
G/P 1939年 中国電力

2010.11.7見学


中国自動車道吉和SAで車中泊し、すぐ近くの吉和ICから立岩ダムを目指します。
インターを降りて10キロ少々なのでそれほど遠くはないのですが、民家もなく狭路が延々と続く貯水池のインレット側からのアプローチとなります。
この立岩ダムへは、もうひとつ東の戸河内ICから向かうのがベターかもしれません。

11月の早朝。
霧につつまれた少し眠たげな空気は、まだ夜の匂いを残していました。



左岸の管理所脇に車を停めて歩きます。
立岩ダムは1939年に竣工した戦前のコンクリートダムです。

堤高は67.4m
これは戦前・戦中に完成しているダムではなかり高いダムと言えます。
戦前は〜1941年まで、戦中は〜1945年までとすると、この様になります。

1. 塚原ダム  87m      1938年
2. 三浦ダム  83.2m   1945年
3. 小牧ダム  79.2m   1930年
4. 大橋ダム  73.5m   1939年
5. 祖山ダム  73.2m   1930年
6. 立岩ダム  67.4m   1939年
7. 千頭ダム    64m      1935年
8. 岩屋戸ダム   57.5m  1942年
9. 帝釈川ダム   56m     1923年
10.小屋平ダム  54.5m  1942年
                  (間違いがありましたらご連絡ください)

こうやってランキングにしてみると、エンペラー塚原の凄さが判りますね。
千頭ダムが実はこんなに高いダムだったと言うのも驚き。

立岩ダムですが、立地と周辺の山林の都合で正面から堤体の全景を見る事はできません。
マニア的には少し残念ですけど、そういうミーハーな部分はまるで関心がないぞ、って所も発電用ダムの男らしい魅力だったりします。



クレストには6門のラジアルゲート。
角ばったゲート間の扶壁の形状が際立って見えます。

この時代のダムならば、もっと角の取れた形状をしていると思うので、この辺りは後から改修工事が施されているのかなと想像しました。



左岸の県道から脇の歩道を進むと、意外な事に天端が解放されていました。
集落の途切れた深い山中なので、てっきり天端には入れないと予想していたのです。

天端の幅は5m弱といった感じ。真っ直ぐに対岸まで伸びています。



ダム中央部にならぶクレストゲートの設備。
巻揚機は下流側の天端通路から一段高くなった場所に並んでいます。

その下の隙間から越流面が見えるはずなのですが、二段のガードレールで厳重に塞がれています。



ガードレールの隙間にレンズを突っ込んで下流面を拝見。
真っ黒なコンクリート、男の色香が香ります。

この時代のコンクリートダムは、越流面や導流壁の、水に逆らわない自然で素直なカーブが持ち味ですね。
例にもれず立岩ダムもいい表情をしています。



管理所は県道脇にあるので、ダムを渡った先の右岸にあるのは取水設備や関連の建物の様です。
発電所への取水設備は、ダム本体とは数メートル離れた岸にあるのですが、天端から通路が渡されていました。

ねじる前のウインナーのような網端も特徴的。



霧に煙る貯水池。

がらららら。
しゃぽーん。

時々、岸部から石が転げ落ちる音がしました。
鹿か猪の仕業かもしれません。



静まり返った山中にあって、一人黙って黙々と仕事を熟す。
そんな、とても男らしい風情のある立岩ダムでした。

立岩ダム
★★★★


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元気出して行きましょう!

全国一億二千万のダムファンの皆様。すっかりご無沙汰ぶりのアップです。

僕の住んでいる地域では今回の大地震での直接的な影響は無いものの、生活や経済、産業の面での影響はこれから出てくるのではと思っています。

この震災以来、連日のテレビ報道を見て、自分の家族や子供の事をいろいろと感じたり思ったりしています。
震災前には、3連休を使ってぶらっと一人で四国の辺りに行きたいと思っていましたが、それはやめて、三日とも家族と過ごす事にしました。
その分のガソリン代と旅費を義援金に寄付したいところですが、その辺りは無理のない程度で募金したいと思います。


こうしている今も、被災地では不自由で不安な状態を強いられています。
被災地を支え続ける為には、僕らが疲弊していてはダメですもんね。

僕らが元気を出さないと、被災地も元気になりません。
みなさん元気を出してがんばりましょう!。


すっかりそれどころではなくなった感もありますが、ひき続き、
★春のダム愛好家マナーアップキャンペーン★
参加者大募集中です。
遅ればせながらバナーを作りました。
(ダムマニア界の重鎮にもご協力頂きました。ありがとうございました)
また、このキャンペーンに関しては本文の文章もフリーなので、コピペも自由に使ってくださいね。



 
 
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参加者募集!!★春のダム愛好家マナーアップキャンペーン★

春の陽気に誘われ、いよいよ本格的なダム巡りシーズンの到来です。

今日は、
「春のダム愛好家マナーアップキャンペーン」 参加者募集 のお知らせです!!


僕たちの愛するダムたちは、名所旧跡やお城巡りとは違い、現役で活躍中の大切な施設です。それはそこで働いているダム管理者さんの神聖な職場でもあります。

特に電力会社の管理する発電ダムは、一民間企業の「電気の工場」その物であり、僕たちは興味の赴くまま、その工場を勝手に見学させて頂いていると言う訳です

ダムを趣味として観て巡る「ダムマニア」「ダム愛好家」「ダムファン」の数はここ数年で急増しました。(僕もその中の一人だ)
まさに「ダムブーム」の到来と言って差し支えないかもしれません。

しかし、悲しいかなブームと言うのはいつか必ず終わりがやって来るものです。
僕たちが日々の楽しいダム巡りの中で、これから考えなければならない事は、

どうやって、「綺麗にブームを終える事が出来るか」 なのかもしれません。


前置きが長くなりましたっ!

そこで、
「春のダム愛好家マナーアップキャンペーン」を企画しました。

キャンペーンの参加に年齢性別などの制限等はありません、どなたでも参加できます。ダムに興味があり、以下のたった3つの事に賛同して頂くだけでokです。

1.立入禁止など現地での指示を遵守しよう。
2.立入禁止の表示が無い時も、ダムを管理する側の立場に立ってもう一度考えてみよう。
3.現地でダム管理の方と出会った時は、笑顔で感謝を伝えよう。

どうです?簡単でしょう??
今までもやって来たよと言う方も、もちろん参加できます。

キャンペーンに参加希望の方は、申請や申し込みは等は一切不要。
次にダムを訪問される時から上記の3つを頭の隅っこに留めて頂くだけで結構です。
それが参加方法です。

ね、簡単でしょ。



 
 
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生見川ダム

堤高90m
G/FNIP 1984年 山口県営

2010.11.6見学


弥栄ダムを後に急いでやって来たのは山口県営の生見川ダムです。

弥栄湖から国道186で上流に向かえば小瀬川ダムがあるのですが、中国自動車道の吉和SAで車中泊をする都合で、手前の六日市ICに乗り易いこちらのダムを本日の〆としました。

生見川ダムは洪水調節や工業用水の確保などを目的に作られた県営のコンクリートダムです。



11月の日没は早く、到着する頃には太陽は西の山に沈んでしまいました。
夜を告げる風も既に止んでいます。

黒く沈んだ湖は一足先に眠りについていました。



天端から見下ろします。

堤体中程のゲート室。
上部が赤く塗装してあったのかな?剥げてしまっていますが。

それよか、左岸側に土砂が・・・。



法面が一部崩れていて、補修工事の最中でした。
早い完治をお祈り・・・。



右岸にある管理所です。
堅牢な造りが印象的、防災最前線ですからね。



管理所の裏手を通って、横顔を撮影。
堤高90mと、立派な体格の生見川ダムですが、手前の樹木に邪魔されて下の方まで上手く写りきらないですね・・・。



タイミングよく管理所の裏口から職員さんが出て来られました。
当直お疲れ様です。
お願いして管理所の敷地内から撮らせて頂きました。



ばたばたと走り回っている間に、すっかり夜になってしまいました。
じっくりと見学する間が無くでなんだか申し訳ないと思いつつ、宿泊地へ向かう事にしました。

生見川ダム
★★★

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ゼロ・グラビティ×3

この所、我が家の地域にも春らしい日差しが注ぐ様になって来ました。

先日の土曜日、暖かい日差しに誘われて、ぶらっと近所の3基のロックフィルを再訪してみる事に。実はようやく今年初めてのダム見学だったりします。
昨年は一年を通してコンクリーターだったので、本年一発目はあえてロッカーで始動です。

7時30分に家を出て、8時過ぎに到着したのが水資源機構の岩屋ダムです。
自宅から一番近くのダムで、覚えている限りでは僕が生まれて初めて見たダムだと思います。

複雑な岩屋ダムの湖。
年末年始に新調したカメラとレンズにとっても、初めてのダムとなりました。

日差しは有るけど、晴れた朝なので気温は0〜2°くらいです。
でもひと冬越した後なので体感的にはそれほど寒く感じません。



堤高127.5m、堤頂部から下流を眺めます。

リップラップは荒々しいイメージがあったのですが、改めて見ると整形タイプである事に気が付きました。
各地のダムを見て、自分の中の基準も少しづつ変わったのかもしれません。



岩屋名物巨大ラジアルゲート。
15mを超える高さがあるので、河床に直接このゲートを据えただけでも十分ダムを名乗れます。



岩屋ダムの標準断面図です。

傾斜コアですが、改めて見ると、下流側のフィルターはほぼ鉛直状態で、それほど斜めになっている訳ではありませんね。
中央遮水タイプと、傾斜タイプの両方の特徴を併せ持っているタイプのようです。

この斜め具合では、マイケルジャクソンのゼロ・グラビティには程遠い。



岩屋ダムから馬瀬川に沿って上流に向かうとあるのが中電の西村ダムです。

1門から放流中ですが、水が綺麗ですね。
放流の流れもガラス色に透き通っています。



これが見たかったんですよ。
地味なダムなのであまり有名では無いのですが、とっても味のあるアームでしょ?

それにピア上の管理橋もとても堅牢な造りで、ちょっと惚れ直してしまいました。
いまいち地味な岩屋ダムと共に、今年イチオシの西村ダムです。



西村ダムをさらに上流に進むと、分水嶺を越えて高山市に入ります。
季節は少し戻って、雪道となりました。



11時50分
御母衣湖に到着。

うわ、今まで見た事のない水位の低さ。
この時期に訪れるのは初めてなのですが、毎年こんなに水位が低いのかな?。



湖畔を走り、御母衣ダム本体に到着。
取水塔の根元辺りまで見えています。



ダムサイドパークはまだ冬眠から覚めていませんでした。
雪はこれでもだいぶ溶けたのだと思います。



白い白い。
京都人でなくても二度繰り返して言ってしまう白さ。



いつもは芝のグリーンが鮮やかな開閉所も今日はまるで雰囲気が違います。
でもとても綺麗。



なんだかとても美味しそう。

子供の頃から遠足やバス旅行で御母衣を通るたび、バスガイドさんから「20世紀のピラミッド」というフレーズを何度も聞いて来ました。



14:00
到着したのはお馴染み九頭竜ダムです。
岩屋、御母衣と並び、子供の頃からダムとして認識していた場所です。

普段は歩く事のできる堤頂部ですが、深い雪に覆われ今は閉ざされていました。



それでも、九頭竜湖は上流の氷も解けて、たしかな春を感じている様です。



白九頭竜。南相木にだって負けない白さ。
(でも、雪の積もった南相木には負けるかも、そりゃそうだ)



九頭竜まで来たら、鷲様にも会いに行かないと。
いつ訪れても変わらぬクールなお姿。



この何もないスッキリとしたクレストがいいんだよね。



今日は、「人は一日に何基の傾斜コアを観る事が出来るのだろう」をテーマに巡ってみました。

本当は傾斜コアの事を詳しく調べてレポートしたかったのですが、きっと来週にはもっと雪が溶けてしまうと思うので、リアルタイムな表情としてさくっと公開してみました。

岩屋、御母衣、九頭竜の3基はどれも130m前後の規模で、傾斜コアという共通点を持ちながら、水資源、電源開発、国交省と管理は異なり、一度に巡ってみるには面白い物件かなと思いました。

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弥栄ダム

堤高120m
G/FNWIP 1990年 国交省

2010.11.6見学

いまどきのお父さん。


本庄水源地を堪能した後、傾いた太陽と競争しながら急いで来たのが弥栄ダムです。
北の温井、南の弥栄、二基のダムは広島県を代表するツートップです。見逃す訳には行きません。

国道のトンネルを抜けて、ダムサイトまでの脇道に入ります。
わお!
なんだかとても大きなコンクリートの塊が見えました。弥栄ダムに到着です。



ダムの左岸には管理所のほかに、立派な展示施設もあります。
いつもの様に閉館時間ぎりぎりで飛び込みました。

むむっ。ダムカードが見当たりません(見つけられなかっただけだと思います)
日が暮れそうなのでカードは諦めて、本物の弥栄ダムを観に行きます。



展示施設正面からの眺め、ダムサイトは公園が整備されています。

また、弥栄湖の湖畔にはキャンプ場やスポーツ施設などのレジャースポットが点在し、湖畔には遊歩道が整備され、家族で沢山遊べる場所となっています。



弥栄ダムの大きさ、堤高は120m。
これだけでも巨大なダムなのですが、堤頂長の540mは重力式コンクリートダムでは全国5位のスケールです。
堤体積155万㎥は、並み居る堤高140〜150mクラスのノッポダムに混じって堂々のベスト10入りです。

コーナーのある堤体は有峰ダムを思い出します。



歓声を上げて親子が天端を駆けっこ。
これは長〜いダムの正しい楽しみ方です。

ちなみに、うちの妻子ではありません。

「自分の家族はちっとも撮らないクセに、よその子は撮るのか (怒」
と、嫁に怒られるのでこの写真は内密にお願いします(笑)。



僕も思わず童心に帰って駆け出したくなる広さですが、中年男が一人で走ってると忘れ物をして焦ってるオヤジにしか見えないので自粛。

それでものんびりしてると日が落ちそうなので早足で天端を散策します。



ダム中央には4門のラジアルゲート。
このところ古いダムが多かったので、久しぶりのクレストゲートらしいゲートです(新鮮)

手前のエレベータの横に弥栄ダムのマスコットキャラクターのヤッシーくんが付いています。
ヤッシーくんは、体長7m、体重10t、年齢不詳のプロントザウルスです。
性格はおとなしく子供と遊ぶのが大好きですが、好物がブラックバスという獰猛さも併せ持っています。



クレストゲートの付近にこんなプレートがありました。
ダムの中心は県境になっています。
ダムの所在地は左岸住所となりますので、半分は山口でも弥栄ダムは広島県のダムと言う事になる訳です。

弥栄ダムは国交省のダムなのでどちらの県のダムなのかに拘る事はありませんが、富山と岐阜にまたがる境川ダムは、半分は岐阜県なのに、富山県営のダムです(涙。
岐阜県ってダムの基数は多いけど開発時期が古く、背の高いコンクリートダムは意外と少ないのです。
境川ダムが岐阜のダムだったら、重力式ダムでは県下ナンバーワンの好待遇でお迎えするのですが・・・。



天端からの眺め。
うむむ。120mはやっぱり高い・・。お尻がスースーします。
中国地方の瀬戸内側は、90mクラスの重力式ダムなら意外と沢山あるのですが、100超級は流石に違います。

減勢工も迫力あります。



こちらは貯水池の弥栄湖。
1億1200万㎥の総貯水容量を持つ大きな湖です。

水が綺麗ですね。



540mを歩いて右岸にやって来ました。
弥栄ダムの堤体は両岸に軽いコーナーを持った独特の形状をしていました。



1990年竣工なので、まだまだ二十歳を過ぎた辺りの若いダムです。
正面のコンクリートも白く綺麗です。

選択取水設備も西日に白く輝いて綺麗でした。



右岸には秘密基地のような建物がありました。
巡視艇の繋船設備みたいです。

それと、この奥にはダム本体の取水設備とは別に、山口県の取水設備がある様です。



天端を一通り見学した後、一旦国道を戻って下流の川に沿って登ってきました。
ダムの真下までは行く事は出来ませんが、そびえる弥栄ダムが見えます。



そんなに恐縮しなくても・・・。
もうすでにこの看板自体がひっそりとした場所なんだからもっと主張しても良いですよ。

奥ゆかしき中国電力さま。

ヤッシーのふるさと・・・。
って、事は巣立って今は湖に居ないのか???

消息情報求む!



やや横顔の弥栄ダム。

凄い男前です。
カーブした堤体は逞しい腕を思わせ、包み込むような包容力をイメージします。

すかーっと晴れた空ならもっと凛々しく見えたはず。
でも、やっぱりカッコいい!。


ダムを下から見上げた後は弥栄湖を通過して、夜が来るまでにもう1基別のダムに行けそうなのですが、正面から見たあまりの大きさに思わずUターンして戻って来てしまいました。

ビッグボディ弥栄ダム。
たくましい大きな背中です。



おや、
さりげなくお洒落??
いやいや。



県境を跨ぐ弥栄ダムは、FNWIPと幅広く活躍する働き者のお父さんのようなダムでした。
周辺に沢山レジャー施設が整っていて、オフの日も大切にする今時の優しいお父さんといった感じでしょうか?

うむ、ちょっとは僕も見習わないとね。

弥栄ダム
★★★★

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本庄水源地堰堤

堤高25.4m
G/WI 1917年 呉市営

2010.11.6見学

名門の誇り。


二級ダムを後に、県道31号を北上し、次の目的地に向かいます。
車窓から風格あふれる石積ダムが見えました。本庄水源地堰堤です。

周辺に沢山の団地や住宅地があり、交通量が多く車を停めるのも一苦労です。
安全な路肩に停め、歩いてさっきダムが見えた所に戻って来ました。

今まで沢山の石積ダムを観てきましたが、本庄水源地堰堤はどのダムとも違う意匠を施されています。他のダムとは比べ物にならないほど装飾的。



もう少し近くから見えないものかと、県道脇の敷地の入口に来ました。
入口から先は一般車両は入る事が出来ません。

水道水源である本庄水源地は、関係者以外立入禁止の施設であり、ネット上でも堰堤のディティールが解るような写真はほとんど無く、とても謎に充ちた施設です。



歩いて施設の正門まで来ました。
数年前までは、この奥に浄水場がありましたが、現在は廃止されてありません。

訪れたのは土曜の昼下がり、門は開いていますが・・・。



とても警備が厳しいようで、うかつには近寄れません。
水源の警備は市民の衛生と安全の為にとても重要な事です。
ダムファンとしてはとても頼もしく思います。

この場所からは、どう背伸びをしてもダム本体はおろか、貯水池だって見る事が出来ません。やはりここまでか・・・。
諦めて戻ろうとした時に、本庄水源地にダム巡りの神が降りました。
門の中に見える管理所から、敷地の落葉掃きに職員さんが出てこられたのです。

「こんにちは〜!」

門の外から大きな声で声を掛けました。



ダムの神は本物でした。

職員さんにお願いをすると、ご厚意で特別に敷地内から見学させて頂ける事となりました。(自分の名刺と一緒に、初めて「ダムマイスターカード」を提示したのですが、その効力についてはよく解りませんでした)

セキュリティの厳しい水道水源は、正門に入った後も複数の堅いガードで守られています。
管理所からフェンスに囲まれた庭園に入る為に、常時施錠の入口を開けて頂きました。

貯水池に直接接する水際や、堰堤の天端はこのエリアからは入る事が出来ません。
フェンスは敷地内で二重になっていて、また別の入口の開錠が必要となります。
水際は完全に関係者以外厳禁のエリアです。

下の写真は庭園エリアからフェンス越しに撮りました。



周囲を森に囲まれた閑静な貯水池です。
突然の来訪者にばたばたと水鳥が飛び立ちました。



凄く寄りで撮影していますが、庭園エリアからフェンス越しに撮っています。

直接その素晴しい堰堤に触れる事は出来ませんが、これだけ近くで見学する事が出来て感激です。
軽くアーチのついた天端は、高欄が滑らかな曲線を描き、岸の上まで伸びていました。



右岸からの天端です。
堤高は25mと当時としてもそれほど高い堤体ではありませんが、堤頂部の幅はゆとりがあります。

天端は岸から階段で数段降りた高さにあります。
縞鋼板のスロープが置かれ、警備の方が自転車で往来していました。
軽自動車と思われる走行跡もありますね。



本庄水源地堰堤の竣工は1917年まで遡ります。

明治22年(1889年)、海軍の重要機関である鎮守府が呉市に置かれます。
鎮守府は全国に4箇所しかなく、呉市の他に横須賀、舞鶴、佐世保です。

本庄水源地は、呉海軍工廠ので使用する水源として当時の日本海軍によって建設された軍事施設です。
呉海軍工廠は戦艦大和を建造した造船の名門と言えます。およそ10万人が就労する世界でも稀に見る大規模な軍需工場でした。



貯水池はダム湖百選にも選ばれています。
右岸にプレートを埋め込んだ石碑がありました。

また、本庄水源地の各施設は国指定の重要文化財の指定を受けています。
ダム本体の本庄水源地堰堤、施設内にある丸井戸、第一量水井、庭園の階段が重文となっています。

国の重要文化財はハイダムでは僅か6基、15m未満のローダムや砂防堰堤を含めても11施設に過ぎません。本庄水源地堰堤は大変貴重な近代遺産です。



滑らかなアーチ状の天端。

下流側にせり出して石材が積まれたクレスト部。
それを支える扶壁が独特のリズム感と、彫りの深い立体的な表情を魅せています。

白い御影石によく似合った淡いブルーの高欄は、爽やかな風のようです。

本庄水源地堰堤のクレストは、重厚さよりも、女性的で品の良いエレガンスを強く感じます。



右岸の土手から眺める堰堤下の様子。

現在は呉市が水道施設を引き継ぎ、呉市の水道水源となっていますが、周辺には現在も海上自衛隊の土地や施設があり、この地の生い立ちを色濃く感じます。

当時この場所には海軍の呉通信隊の基地があり、「ニイタカヤマノボレ」や、「トラトラトラ」等の有名な暗号がこの地を経由して洋上の艦隊や本土の基地に転送されたそうです。

また、戦後しばらく堰堤下には通信用の鉄塔が残っていましたが、頻繁に雷が落ちる為、水道局の要望で撤去されました。(ダム管理所の目の前なので、雷が落ちると相当怖かったそうです)

下に見える丸い大きな穴は国の重文の指定を受けている丸井戸です。



土手から階段を下ってきました。

竣工時からのこの階段も、国の重要文化財です。
幅3.6m、長さ36.5m。三段になった土盛りに真っ直ぐ石段が伸びています。



堰堤下からのダム施設の全景です。
ごみひとつ落ちておらず、清掃が行き届いていて、とても心地よい空間です。



視線を左に向けると階段状の水路が見えます。

カスケード形洪水吐!
と、ダム目線で単純に思ってしまいそうですが、これは洪水吐ではありません。
本庄水源地の右岸には、貯水池の右岸に沿って、別に独立した水路が掘られています。



右岸にそって500mほど県道を走ると、本庄水源地の洪水吐が見えてきます。
堰堤と同時期に造られた古い設備なので、吐のスロープも一面石張りです。

この洪水吐から出た水は例の水路に放流されますが、水路はここが最上流ではなく、貯水池の右岸に沿って、お堀のようにずっと上流まで続いています。

二河川を完全に堰き止めて、軍事施設である本庄水源地は建設されました。
その為、下流の既存の農業用に海軍によって人工的に掘られたのがこの水路です。現代の地図ではこの人工の水路が二河川を名乗っています。

装飾的な石積が特徴の本庄水源池堰堤ですが、右岸に沿って掘られたこの水路も軍事目的として建設された施設として他に無い大きな特色だと思います。



洪水吐の隣は公園が整備されています。

案内図の上部が貯水池、下側が農業に使う水が流れる人工水路(二河川)です。
公園の左隣が洪水吐。

警備上、公園からは湖面に触れる事も見る事も出来ません。
それでもこの時は何組かの家族連れが散歩に訪れていました。

地元のファミリーに愛されるレイクパーク本庄です。



公園内から、もっと近くで洪水吐が見れないかと思ったのですが、フェンスと樹木が邪魔をしてよく見えません。

ノーファインダーでバンザイポーズで写したのが下の写真。
よって肉眼では見ていません。

吐の上の管理橋は意外と幅もあり、しっかりした造りです。
フェンスが空いていて、通行できる風にも見えますが、写っている範囲は全て立入禁止の区画です。



再び写真は先程の右岸の土手からの眺め。

丸井戸は横に流れる二河川から、水道設備に直接取水する為の施設です。
二河川から取水した水を沈砂し、第一量水位に送ります。

貯水池が何らかの事情で取水出来なくなった時の緊急用として、堰堤と同時に造られましたが、実際に使われた事はほとんど無く、現在は水利権もあって使われる事はありません

この水道施設が建設された時代は、何よりも軍事最優先の時代だった事が伺えます。



敷地内から堰堤の真正面。

写真右手にあるのが第一量水井で、ここも国の重要文化財となっています。
堰堤の取水塔や、丸井戸からの水を集め、取水場に送り出す設備です。



見上げる本庄水源地堰堤。
規制線があり、触れるほど真下へは行けませんが、こんなに近くで鑑賞できるという幸せ。

雲ひとつない秋空に白御影石が眩しく映えています。
立体感のある装飾が陰影を作り、効果的に堰堤を美しく魅せます。



装飾が美しい本庄水源地堰堤。

西洋建築が近代化のシンボルであった時代にあって、この堰堤も西洋建築をモチーフにしてデザインされたのでしょうか?
でも、観れば見るほど、本庄水源地堰堤のデザインがとても特殊なニュアンスを持っている様に思えるのです。
華美な装飾は、最初はバロック建築をイメージしていましたが、どうもしっくり来ません。

サッシ以外は竣工当時のままの取水塔には、日差しのある大きな屋根が付いています。
建物なのだから雨除けの日差しがあるのは当然なのですが、石積ダムの取水塔は西洋の城を思わせる外観となっているのが普通で、この様に大きな屋根が乗っているのは非常に珍しいのです。

これは明らかに西洋建築ではなく、アジアや日本の木造建築を思わせるデザインです。
そう思うと、クレストの造形や立ち並ぶ扶壁が神社仏閣の梁や柱のように見えて来ました。

そもそも、石積ダムは西洋で生まれた舶来品です。
堤体の装飾は西洋の様式に準えるのがスタンダードであり、実際、神戸や長崎の石積ダムは当時の西洋建築を思わせる歯飾りがクレストに並ぶなど、西洋建築の潮流に沿ったものだと言えます。

しかし、この本庄水源地堰堤については、そこから一歩踏み出した、日本独自の様式美を目指していたのではないでしょうか?。

この独自性のある外観に、この堰堤を設計した帝国海軍の誇りのような物を感じるのです。



下部の設備には本庄貯水池の石碑。
左右には竣工年と完成年を刻んだ石板があしらわれていました。



クレストが下流に向かってせり出した造形なので、付近は雨に濡れる事なく竣工時の白さを保っています。
竣工から90年以上経過しているとは思えない白さですが、表面の石積は全て当時のままだそうです。堰堤が南西向きなのも、白さを保っている要因かもしれません。

雨に濡れる下部は黒く色付いていていますが、その姿は冠雪の富士山を思わせます。

実に日本らしい和風メイソンリー。
その解釈が正しいのかは解りませんが、現地ではそんな風に感じました。



一通り見学を終え、お礼に管理所に行きました。
開けて頂いた庭園エリアの施錠がありますから、一声掛ける目的もあります。

「よかったら、天端も見ますか?」

それは思ってもみない嬉しいお誘いでした!
勿論、こんな機会を逃す理由はありません。

先程とは別の入口の鍵を開けて頂き、再び天端右岸にやって来ました。
今度は庭園エリアを囲むフェンス越しではありません、関係者しか決して入る事の出来ない施設の最深部です。



天端上から眺める下流の敷地。
丸く円錐状に盛られた右岸が綺麗です、芝が青々と生える時期にはもっと美しく見えると思います。

また、古い施設にも関らず、植込みの木々が小さく整然としています。
百年に届くかという古い施設ですが、剪定や手入れが丁寧に行われ、その古さを感じさせません。
それは、竣工当時の姿を維持してると言う事です。



すっかり感激してしまい、天端ではほどんど写真らしい写真を撮っていません。
この写真は、天端に本当に入れて頂いたという証明になるのでは?。



舞い上がってしまいPLフィルターの存在を忘れていました。
写りこみで大変見づらいのですが、天端の中心にある取水塔の内部です。

バルブ操作の設備ですが、非常に凝った洒落たデザインとなっています。
海軍が設計したダム設備なので、帆船のデッキにある船の金具に類似するデザインとなっているのです。本庄水源地のデザインは細部まで隙がありません。

軍港や造船ドックなど、水際の土木工事に掛けては最高の技術を持っていた海軍による施工なので、石積の精度は非常に高く、それは水面と石積みのラインで確認する事が出来るそうです。



天端から貯水池を見ると、池の中に小さな島が浮び、水神様が祭られていました。
それも不思議なくらい堰堤に近い水面にあります。池の水を抜くと島の裾は堰堤に直接掛かっていると思う程の距離。

少しでも貯水量を確保する為に、地山ごと撤去されてもおかしくないのですが・・・。
何か特別なエピソードが潜んでそうな雰囲気です。

水神様の島の前後には、エアコンプレッサを使った循環装置が稼働中。



国の需要文化財、本庄水源地堰堤。

海軍の力を象徴する華美な装飾を施し、軍事施設として大正6年に建設されました。
威厳と誇りに満ちた立派な堰堤は、90年以上経た現在も呉市水道局の方々の手で大切に守られています。



誇り高き日本の名堤。本庄水源地堰堤
★★★★★

今回は、管理者さまのご好意により特別に見学させて頂きました。
大変貴重な文化遺産をご案内いただき、本当にありがとうございました。

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