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二級ダム

堤高32m
G/WIP 1942年 広島県営

2010.11.6見学


広島県の二級峡にある二級ダムにやって来ました。
国道375から旧道の脇道に進むと、道はトンネルの入口で行き止まりになります。

路肩に車を停め、ここから先は徒歩となりますが、目指す二級ダムはすぐ脇に見えています。



二級ダムは呉海軍工廠への送水と電力の供給を目的に戦中の1942年に完成しました。
戦争が終わり、発電事業は中国電力が、水道事業は呉市が引き継いでいます。

現在は上水道への給水は行われておらず、呉市水道局のパンフレットを見ると、やはり工業用水専用の水道施設となっていました。(下流の臨海地域に大きな製紙工場があり、主にそこに給水しているのかなあと想像)



天端の上は遊歩道に使われています。
中国自然歩道の矢印看板に誘われるまま天端を進みます。



ダムの天端より下流を観ます。

ダムの下に見えるのは二級峡の力強い岩盤です。
吊橋が掛かっていますね・・・遊歩道の吊橋みたいです。

さらにその向うに小さく集落が見えるのですが、不思議なくらい遠くに見えます。
写真では伝えづらいのですが、二級ダムは山間の小高くなった場所にあり、吊橋から下流は数段に分かれた滝になっています。

二級ダムは真下に降りて近くから堤体を見上げる事が出来るらしいので、後から行ってみる事にします。



四国・中国型のゲートピア。
ゲート操作のワイヤーの下を歩きます。



型枠の木材の跡がくっきり残るコンクリートの表面。
戦前、戦中のダムですからね。



さっきから、ウインウインと大きな音を立てているのは浚渫作業中のフロートでした。
ぐういいいいん。じゃばじゃばあ。

浚渫作業を見ていたら突然サイレンが鳴り出しました。12時です。
程なく浚渫のクレーンもエンジン停止。お昼休みに入りました。

じゃあ、そろそろダムの真下に移動しましょうか。
マニアの先輩方のレポートの写真は、下流の右岸寄りからダムを見上げた写真が多かったはず・・・。
ならば下流にはダムの右岸から降りるのかな?・・きっとそうだ。
(今思えばゾッとする間違い)



天端を渡った先の右岸の中国自然歩道は思ったより険しく、時間にして30分、天端の標高から、右岸の山を70mほど登った後、今度は100mほど降りてようやくダムの真下にたどり着きました。疲労困憊。
(みんなこんな険しいルートで降りてたのか、無事帰る体力的な自信がない・・)

一面に広がる広大な岩盤、その上に積み重なる巨石群。
山を登った直後で膝がクスクス笑っていますが、滑らないように注意して脚を運びます。

写真はダムの真下から振り返った所、吊橋方向が下流です。



やっほー。苦労した甲斐がありました。
ここまで近くで寄って見上げる事の出来るダムは少ないですからね。



いつ見てもちょっぴり不思議な感じの四国・中国型のゲートピア。
手前の建物の中に巻揚機が入っています。

(この呼び方は正式名称ではありません、念のため)



岩盤に囲まれた渓谷の、滝の上にある二級ダム。
よくこんな場所を見つけたよなあ、よくこんな場所に建てたものだ・・・。

とにかく立地が特徴的な二級ダムですが、水力発電にはうってつけの場所と言えます。
発電所は二級峡の真下にあって、こんなに貯水池と発電所が近いダム水路式も珍しいのではと思いました。

滝の上にある貯水池。ちょっぴりセバ谷ダムを思い出します。

ダムが出来た事により、二級峡や二級滝は枯れ川になっています。
計画が戦前戦中なので、そんな事はお構いなしだったんでしょう。
華厳の滝みたいに時々観光用に放流するのも良いかも。でも、そうなるとダムマニアは自由に真下に来れないか・・・。うーむ。

ダムを見上げ体力が回復するまで、しばし色々な事を考えました。



帰り道は、来た道を引き返す程の体力が無かったので、一か八かで違うルートで帰る事にしました。
帰りは赤い吊橋を渡って左岸に登ります。

写真左の岩山が来た時に転げるように下って来た山です。

吊橋はグレーチングのシースルーだあ〜、わーっ。わーっ。(汗
吊橋の後はしばし九十九折れの階段、その後は水平移動ですーいすいっと・・・。



ありゃりゃ、何処だここは。

あっけなく到着したのはダムの左岸でした。

・・・・・・あ。



教訓。
二級の真下は左岸より。

そう肝に命じた二級ダムハイキングでした。

二級ダム
★★★★

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三永水源地堰堤

堤高14.2m
G/W 1943年 呉市営

2010.11.6見学


広島県呉市の三永水源地堰堤は戦前のオールドダムファンにとって必見のダムです。
堤高が14.2mと15mに満たない為、河川法上ではダムとは言えませんが、堤頂長は145mもある立派な堰堤です。

呉市には既に宮原浄水場や本庄水源地があり、前年には二級ダムも完成していましたが、それらは呉海軍工廠などに送水する軍港水道でした。
三永水源地は市民待望の市営上水道ダムとして呉市によって建設されました。

また、場内に咲く藤はとても有名で、水源池までの道路脇の道案看板も「⇒藤棚」と言った具合で、この場所の主役は藤の花のようです。

貯水池の右岸にある堅く閉ざされた水源地の正門。
そう、三永水源地堰堤は水道用ダムであり、その姿は貯水池にさえ容易に見る事が出来ない難易度の高い物件なのです。



正門の柵の隙間から望遠レンズをにゅっと伸ばし施設内を覗くと名物藤棚の案内看板が見えました。
三永水源地堰堤は、春の藤が咲く時期だけ一般公開され、由一その時にだけ姿を観る事が出来ると言われています。



門の隙間からレンズを伸ばし、スナイパーの様に場内を見ていたので、警備の方が飛んできて不審者と間違われて危ない所でした(汗。

「堰堤や水源池の写真を撮り歩いている者です」と説明して誤解は溶けましたが、(思いっきり不審者でした、すみません) だからと言って簡単に立入許可が出るはずもなく。
それで、「何処か写真を撮らせて頂ける場所を教えて下さい」と聞いて来たのがこのポイントでした・・・。

いやいや、たしかに水源池は見えるけどねぇ・・・ちょっとだけ。



実は三永水源地堰堤の難易度の高さは、公開期間が限られている事もありますが、立地の都合で外部から全くその姿が見えないと言う事があります。

周囲に山が無く、なだらかに広がる土地の僅かな丘陵の間を、長く、低く築堤したダムである事や、下流の広い敷地に広がるうっそうとした雑木林が完璧に堰堤を隠しているのです。

正門の近くの公道脇に通用口のような階段を見つけました。
交通量もあり路上駐車が出来ないので何百メートルも先に車を置いて戻ってきました(汗。



わずかな希望は、息を切らせて階段を登ってまたもや玉砕。
フェンス越しに見えるのは、水道施設の広ーい敷地だけ。
位置的に堰堤の右岸付近のはずですが・・・・

ん、これでは再び不審者だ。退却〜。



その後も貯水池左岸の住宅地を徘徊したり、ゴルフ練習場を覗き見したり、かなり怪しい行動を繰り返したのですが全て空振りに終わりました。

平野にある貯水池なので、何処からも見下ろす事が出来ないのです。

で、最後は湖周のローラー作戦です。
右岸の県道を周ってとにかくチラッとだけでも見えるポイントを探ります。
県道から水面までも雑木林ばかりでこれまた難しいのですが・・・・。

おっ!?



おおーっ!!



がんばれ高倍率ズーム。
250mmの望遠端でどやっ!。

な、な、なんとなく見えたっ!
オールドダムらしい半円形の取水設備。

コンクリートの重厚かつ装飾的な高欄(と、いう感じになんとなく見える)
ゆったりと優美なアーチを見せる天端(で、あるらしい・・・)

んー説得力無し。
・・・・・。

おや?
目に止まったのは取水設備のはるか向うに見える白い建物でした。

なんだろう、病院??
でも、あそこなら堰堤の真正面が見えるかも・・・???



で、行ってみました(笑)
地図で見当を付けたのは東広島運動公園でした。
三永水源地堰堤から直線距離でおよそ1.5kmです。

ところが、どうも様子がおかしい。
運動公園なので広い駐車場もあるのですが、何処も満車で車を停める事が出来ない。
イベントブースには沢山の人だかり。駅伝の選手や先導車みたいなのもいっぱい居るし。

どうも広島市の大々的なスポーツイベントの真っ最中なのでした。

で、ターゲットの白い建物ですが・・・。



発見!あったあった。
それは陸上競技場のスタンド脇の展望塔でした。

んー、でも、まず間違いなく施錠されていて立入る事は無理だろなあ。
満車の駐車場の空待ちの列に並んだあげく、施錠されていたショックの事を思うとこれ以上の調査は断念せざるを獲ませんでした。



三永水源地堰堤。
それはそれは難易度の高いオールドダム。

いつしか藤の咲く時期に再挑戦です。

★(未評価)

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久山田貯水池堰堤

堤高22.5m
G/W 1924年 尾道市営

2010.11.6見学


門田貯水池堰堤の上流、西にわずが1キロの所に久山田貯水池堰堤があります。

湖畔に尾道大学がある関係か、ダムサイトにはきれいで可愛い周辺案内図がありました。久山田水源地は尾道市の水道水源となっています。



久山田貯水池堰堤は、国の登録有形文化財の指定を受けています。
石積の堤体は大きくアーチ状に湾曲した美しい姿です。

尾道市水道局の現地に設置したプレートによると「重力式とアーチ式を複合した構造形式」と説明されています。
それなら「重力式アーチダム」じゃん、と、早合点してしまいそうですが、そもそも日本で初めてアーチダムが建設されるのは、1924年竣工のこのダムから、あと四半世紀以上待たねばなりません。

過去に造られた物に、後々の基準で言葉を当てはめて考えるのは、なんとなくこじつけの気がしますし、堤体をアーチ状にする理由は、アーチ式の水圧に耐えうる力学的な理由の他にも・・・。

・下流に土地が無かったのでダム軸を上流にオフセットした。
・堤体積を減らせる(ダム軸が上流にあるほど河床の地盤の標高が高い)
・右岸と左岸が直線で結ぶ事が出来なかった(現代ならコーナーをつける)
・美観に優れる。

といった別の側面もありますから、見た目では判断できない難しさがあります。
つまり、「アーチ形」だけど、「アーチ式」ではない、といった堤体もあると思うのです。



両手を広げたほどの可愛らしい天端。

右岸よりには取水設備があります。
路面に埋め込まれた石材の並びを見ると、元々は建物があった雰囲気ですが、スピンドルの位置を考えると現在の姿は当時の状態である様にも思えます。



丁寧に積まれた布積みの堤体。
ゲート間の扶壁のカーブが、下流面にスッと溶けて消えていきます。

小さな石積堤体は、相対的にモザイクのドットが大きいようなもので、表面を滑らかに積上げるのは大きなダムよりも難しいと思うのですが、久山田貯水池堰堤は美しさにかけては、より大きな石積ダムにも引けを取りません。

今、写真を改めて見て思ったのですが、切石はよく使われる間知石よりも若干小さい様にも見えます。
現地でもっと見ておくべきでした。



天端から下流の左岸を見ると、山の斜面まで石積・石張りで補強、遮水されています。
石材はさまざまな形ですが、目地が整っていて、とても丁寧な造りです。

堤体端にそって掘り込まれた溝は下流面に降った雨水を流す樋でしょうか?。



堤頂長は75mほどなので、あっと言う間に左岸です。
クレストの薄いゲートには、角落し用に小さな支柱が並んでいます。

堤体の岸際は、下流面と同じ様に斜面に石が貼り込まれ遮水されていました。
現代で言うフーチングの祖先でしょうか。



現地では僕以外にパシャパシャと写真を撮影しておられる方が居ました。
ダム右岸の道路が拡張工事中で、法面の工事記録を撮影しておられるようです。

「何を撮っているんですか?」
先に声を掛けて来られたのは、道路工事の方でした。

「珍しいダムだと聞いて、ダムを撮っています」
そう答えると、とても不思議そうな顔をされていました。

天端のカーブですが、クレストの余水吐の所だけ直線で繋がれ、ちょっとカクカクした感じになっています。
プレキャストのように、他で作った管理橋を完成した堤体に乗せた様に感じました。



天端から下を見るとダム本体に沿ったアーチ状の副ダムが見えました。右岸は公園化されている様です。

行ってみましょう。



遊歩道を降りていきます。

眺望が良い様に木々も剪定され、最近整備された歩道のようです。
一歩一歩降りる度に堤体のアングルが少しづつ変わって、ドキドキ感も高まります。



んーっ。

美人ですね。

直線重力式だと「男前」だけど、アーチ状になると女性になるのは何故だろう。

空が青い!



明るい朝日を受けて、樹木の影を投影した美しい堤体は、
まるで映画館のスクリーンの様でした。

転校生のラストシーンの8ミリを写したいぜよ。(まだ言うか)



久山田貯水池堰堤
★★★★


余談ですが、日本最初のアーチダムは1953竣工の三成ダムですが、ローダムまで範囲を広げると1909年に完成した旧大湊水源地堰堤(重力式アーチダム)が最初と言われています。
でも、旧大湊堰堤はアーチダムでも重力式なのでどうもスッキリとしません。

調べてみると、神戸の布引水源地水道施設にある「分水堰堤」は純然たるアーチ式で、なおかつ完成は旧大湊堰堤よりも以前の1907年です。
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=102&item_id=00004080
これこそが日本初のアーチ式コンクリートダムなのかもしれません。
4月になってロープウェーの運行が再開したら早速行ってみるつもりです。

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門田貯水池堰堤

堤高23.5m
G/W 1950年 尾道市

2010.11.6見学

砂防の表情。


今日は広島県の尾道市にやってきました。
僕の歳だと尾道と聞けば、「転校生」「時かけ」「さびしんぼう」しか頭に浮びません。
そんなこんなで、車中でちょっぴり甘酸っぱくなりながら到着したのは、謎に満ちて、かつ個性的な門田貯水池堰堤です。

門田貯水池堰堤はダム便覧では栗原ダムとして掲載されています。
砂防ダムを改造してつくられた水道用ダムで、尾道市が管理をしています。

到着してまず驚いたのがその絶壁ぶりです。

小林聡美が二人でゴロゴロと転げ落ちたのが神社の石段で良かった。
もしこのダムの上からだったら、物語の冒頭で即死です。(なんじゃそれ)



堤体のやや右岸よりにある水通し。
いやいや、利水ダムなのでクレストゲートと呼ぶべきか?。
流木がぴゅんぴゅんと突き出しています。

堤頂はゲートの部分が一番低く、両岸に向かって高くなっている辺りも、砂防堰堤だった生い立ちが見て取れます。



手前の左岸側にあるのは取水用のスピンドルだと思います。
狭い堤頂部分に設備を増設した為、操作する人が立てるようにアングル材と鋼板で踊場が増設されたようです。



堰堤脇の道を下って、下流の正面に来ました。
ダムの下流には門田の集落で、隣接して民家もあります。

橋の上から見上げる堰堤。
堤高23.5mと、ハイダムとしてはローの方ですが、絶壁下流面はなかなかの迫力。



直下には水褥池。
いやいやこれも今は減勢池と呼ぶべきか?。

副ダムの形状は、みたまんまのミニ砂防堰堤形。
こちらもちゃんと本堤体とお揃いの谷積みの石積です。



堤体直下は尾道市水道部の敷地で、関係者以外は立入禁止なのですが、敷地内に地元地域の方が炭焼きをしておられます。

とってもラッキーな事に、軽バンのおじさんが門の鍵を開けて炭焼き小屋に入って行かれました。
挨拶をして立入をお願いすると、快く承諾して下さいました。



敷地内からの門田貯水池堰堤。
どうだー!と言わんばかりの迫力。

手前の木は桜かな?。



取水設備の踊場を下から。

谷積みの石積は、遊離石灰が目立ちますが、平坦な表面は丁寧に築かれた石積だと感じました。



つる植物が這い回り、石積の目地から直接雑草が生えたりしています。
あまり茂りすぎても困りますが、この程度なら集落の景観にも溶け込み、趣があります。



下流面を見ると断崖絶壁の門田貯水池堰堤ですが、勾配を持った堤体はちゃんと上流側にありました。

生まれが砂防なもので。



謎の多いダムですが、例のクレストゲートを良く見ると・・・・。
貯水池側に高欄がありませんね・・・。

ここに高欄や手摺を付けると、ゲートに切られた溝に角落しが入れれなくなるからだと思いますが。



姿形の他に、竣工年にも謎に思う所があります。

ダム便覧では竣工年は1950年とされていますが、その頃であれば下流面は石積よりも型枠成型の方が一般的のはずです。
この堤体のように勾配がほぼ鉛直なら尚更かと思います。

と、なれば1950年と言うのは、利水ダムに改造した年ではないかと推測できます。
上流のわずが1キロ弱の所に、1924年竣工の久山田貯水池堰堤があり、この久山田堰堤の完成により砂防の役割が半減したとすれば、砂防から利水に変身したストーリーも納得です。

と、言う事であれば当然、この門田貯水池堰堤(砂防堰堤)は、1924年よりも以前の完成となる訳で、下流面の石積とも合致するのですが、どうも腑に落ちないのが下流面の石積の「表情」なのです・・・。
古い石積の砂防堰堤って、なんというか、もっと温厚で大らかな表情だと思うのですが・・・。
同じ石積の砂防堰堤でも、この門田貯水池堰堤は面構えが厳しすぎる・・・。

謎だ。


雀の社会科見学帳の夜雀さんの調査では、現在は水道水源としては使われておらず、実質的に再び元の砂防堰堤としての役目に戻っているのだとか。

つまり、砂防→水道ダム→砂防。
うーん、つまり「転校生」みたいに、元に戻った訳ですねっ。
(どうしてもこじつけるかっ)

門田貯水池堰堤
★★★

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一の坂ダム

堤高42.1m
G/FN 1983年 山口県営

2010.10.11見学


阿武川ダムからの帰り道、立ち寄ってみたのが一の坂ダムです。
山口市内に流れ込む一の坂川にあって、洪水調節と河川維持を目的とした県営ダムです。

クレストゲートは越流式のシンプルなものですが、V字に開いた導流壁が粋な男前です。



ユニークな外観の放流設備の建物。
モンゴルの遊牧民の家ってこんなんじゃなかったっけ?



ここにもありました、おなじみの森と湖に親しむ旬間のトレードマークです。
山口の県営ダムは、何故このマークを大々的に掲げているのかは不明ですが、365日いつでも親しむ旬間というイメージでしょうか。
一の坂ダムの貯水池は錦鶏湖と名付けられていますが、そういやこれは親しむ旬間での公募で名付けられたはず・・・。



シンプルな天端を歩きます。



天端から下流を観ます。
河川維持の放流中。じゃばーっ。



左岸にある管理所です。
巡視艇の格納が秘密基地っぱくてカッコ良いです。



上下に長い錦鶏湖。

網端が何故上流に向かってカーブしてるんでしょうね?。
普通に考えると川下に流れてカーブすると思うのですが、水中で吊ってあるのかなあ?。



一の坂ダム
★★

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佐々並川ダム

堤高67.4m
A/P 1959年 中国電力

2010.10.11見学

タイトロープ。

極薄のアーチダムとして有名な中国電力佐々並川ダムは、阿武湖に流れ込んでいる佐々並川を遡った先にあります。
直線距離では阿武川ダムからそれほど離れていないのですが、渓谷を縫うような曲がりくねった道なので、道程だと10キロ程走る事になります。
見通しの悪い狭道が永遠と思えるほど続きますが、舗装の状態が良いのでそれほど怖い道ではありません。



そろそろアーチダムの匂いがしてきました。
急峻な険しい岩山の風景から、アーチの匂いがプンプンします。



と、思った矢先、いきなりドバーッ!と丸見えで登場しました。
これが佐々並川ダムです。

極薄アーチで有名な佐々並川ダムは、ネット上での写真が薄さが表現できる斜めからのアングルが多い事もあって、真正面からは観えないダムだと思っていました

だからいきなりこの姿が見えた時は、本当にド肝を抜かれたのでした。



驚きが冷める間もなく、ドキドキしながら堤体観察をします。

ダムの真下は申し訳程度の小さな副ダムで、減勢工と呼べるものではない様です。
クレストからの放流は、空中で水が分散してしまうのかと思います。
また、アーチダムのダムサイトなので岩盤も良いのでしょう。小さな副ダムの中にも岩盤が露出しています。



ダム本体にはクレストゲート以外に放流設備がなく、とてもシンプルな表情です

キャットウォークを目で追うと、枝分かれした先が行き止まりだったりします。
何かの測定機器があったり、置いたりする場所かなと想像。
極薄アーチなので多分監査廊も無いと思うのですが、その分、必要な機能が外部に露出しているのかもしれません。



さらに目を引くクレストゲートと天端通路。
薄いアーチに合わせて、こちらも見た事ない驚きの超極薄構造。

よく観ると吐の真下にもキャットウォークが・・・。



さらに道を進んで右岸のダムサイト真上に来ました。
天端へは途中で脇道へ分岐するのですが、立入禁止となっています。

凄い眺めです。
これを見ればアーチダムが水圧を両岸に掛けて踏ん張っている事が一目瞭然です。

それになんと言っても堤体のこの驚異的な薄さ。



薄いアーチなので天端も本当に細い。
高所恐怖症の人は逃げ場がありませんね。

正にタイトロープ。



対岸に発電所への取水設備が見えます。
アーチダムらしいダムサイトの狭さ、この取水口も含め、周辺の関連する建物は岩盤に貼り付くように立てられています。



阿武湖に続き、こちらも霧が立ち込める貯水池。
深い山の中にあり、しんと静まり返っています。

網端の先、岬にある白いものは小さな巡視艇です。
あまりにも急峻なダムサイトなのでダム本体の近くでは湖面に降りる事も困難なのでしょう。
インクラインがダムとはまるで違う場所にある坂本ダムを思い出しました。



非常に狭いダムサイトは手前の右岸も同じで、ほとんど敷地と呼べる場所はありません。せり出した岩盤の棚の上にあるのは竣工記念碑です。

この岩盤を巻き込んだ形、まさに岩盤の「ツボ」にアーチダムが連結してる感じがします。
ちなみに、僕の好きな中部電力の最高峰・高根第一ダムもこれに近い感じだと思うのですが・・・。



これは帰り道に立ち寄った佐々並川発電所です。
阿武川ダムの下流1キロくらいにあり、ダムの水はこの発電所に送られます。



道路に面した発電所の案内看板に湛水前の佐々並川ダムの正面写真がありました。
バランスの取れたV字の谷が印象的で、グラマーなアーチと言うよりも、シャープな印象だと言えます。

うーん、素晴しい。



戦後になって生まれ、急速に発展した物にはさまざまな物があります。
日本のダムの歴史の中では、アーチ式コンクリートダムもその一つと言えるでしょう。

1953年に産声を上げた日本のアーチは、直ぐにドーム型という新たな形を手に入れます。
それはちょうど同じ頃、超音速を突き破る為にジェット戦闘機が手に入れた、後退翼やデルタ翼のような物かもしれません。

どんな物も進化発展の中であらゆる方向への展開が試行され、そして淘汰される運命にあります。
ジェット戦闘機の世界では最大速度の追求の時代はいつしか終焉し、現在は多目的で汎用性の高い機体が主流となりました。

ロッキード F-104 スターファイター。
極限までにスリムな機体と小さな翼の組合せは、驚異的な高速性と上昇能力を誇り、最後の有人戦闘機とまで呼ばれました。
しかし、コンパクトすぎた機体や翼では武装や増加タンクの搭載に余裕が無く、米軍の主力機になる事はありませんでした。

佐々並川ダムの素晴しく薄い堤体を眺めながら、ふと子供の頃よく田舎の空を飛んでいた、ロケットのように細く尖ったジェット機を思い出すのでした。



佐々並川ダム
★★★★★

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阿武川ダム

堤高95m
GA/FNP 1974年 山口県営

2010.10.11見学


今日は朝一に県営の多目的ダム、阿武川ダムに来ました。

堤高95mは重力式アーチダムとして新成羽川ダム(103m)に続き、二瀬ダムと並ぶ同立2位の大きな堤体です。
二瀬ダムとは堤頂長もほぼ同じ大きさの堤体です。



クレストに間隔をあけて配置した計4門のローラーゲート。
大きな堤体に埋まるように収まっているので小さく見えますが、幅12.74×高さ8.55mと決して小さなゲートではありません。



ダムサイト左岸のパーキングより。

阿武川の湖だから阿武湖。うん、解りやすい。
阿武湖は中国地方最大のダム湖で、総貯水容量は1億5350万㎥は都道府県が管理するダムとして、かなり大きな湖です。

看板のハートマークは「独占!女の60分」ではありません、念のため。



クレスト部分はダム軸よりも正面にオーバーハングした形になっています。
こちらから見ると、まんまアーチダムですね。



ちょっと凝った外観の管理所。
ダムカードはこちらで頂けますが、まだ朝の7時前だったのでパスしました。



GAの湾曲した天端。
手前の左岸が少し高くなってるのか、より複雑なカーブを描いています。



霧に霞み、ネッシーでも居そうな阿武湖。

いや、阿武湖なのでアッシーかな?。
とりあえず1970年代の人造湖なので恐竜の子孫は居ないと思います。



天端を歩きながら下流を観ます。

ダムの直ぐ下には温泉施設があります。
なんでも、ダム建設中に偶然発見した温泉なんだとか。

また、その温泉に付随したバンガローなどもあります。ダムマニアのお泊りオフには最高のロケーションです。



遠くから観た時は気が付かなかったのですが、二対のクレストゲートの間にはガントリークレーンがありました。
天端はクレーンの手前から先は立入禁止となっていました。



天端を散策した後、下流に戻って違うアングルから狙います。
阿武川ダムの下流は川原に降りる事が出来るのです。



かなり低い位置に配置した3門のコンジット。
手前は発電所からの放流口かと思います。



川原で気になったのがこれ。
沢山のワイヤーが張り巡らされていました。
まさか川鵜対策でもないだろうし、用途は全く不明・・・。

現地ではダム関係でなはくて、近くの温泉やバンガローのイベントとかの関連かと思っていましたが、山口国体のカヌーコースの目印なんだそうです(情報ありがとうございました)



バンガローの宿泊客の親子でしょうか?
ダム下の川原を散策されています。



立ち塞がる巨大な黒い壁。

ほぼ100mという巨体なのに、阿武川ダムには何故か不思議と威圧的なものを感じません。
それよりも、優しく大らかな印象だったのは、アーチダムの優雅さと、重力式の頼もしさを併せ持った、重力式アーチならではの表情なのかもしれません。



阿武川ダム
★★★★

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桂ヶ谷貯水池堰堤

堤高13.4m
G/W 1923年

2010.10.10見学

秘密の楽園。


羽根越貯水池に向かう手前、集落の片隅に重厚なコンクリートの建物ポツンとあります。
羽根越堰堤と同じ「水」マークが示す通り、かつての上水道施設の遺構で、以前はこの建物の脇には濾過池があったそうです。

目指す桂ヶ谷貯水池堰堤は、この建物の裏山にあります。



遺構の裏からの道。
歩道と言うよりも獣道と言った方が似合います。

長靴に履き替え入山します。



時々道を失いそうになるガレた足元。
時には倒木に阻まれますが、とにかくこの先にダムがあると信じて進むのみです。

佐賀県の北山ダムで夜明けを向かえたこの日ですが日没が近づいていました。
入山して30分経ってもダムを発見できなかったら安全の為に引き返す事にしていました。



倒木と共に行く手を阻むのが大量のクモの巣でした。
避ける為にカメラ用の一脚を上下に振りながら前進するのですが、タイミングが合わないと顔面で蜘蛛の巣を受けてしまいます。
一脚もあっと言う間に女郎蜘蛛の巣でドロドロになっていました・・・。

薄暗い夕暮れの山中で心が折れそうになった時、視界が開け道の表情も変わりました。
廃ダムとなり現在は水が抜かれている貯水池の岸に到着したのです。



岸の道を水平に移動すると見えてきました。
これが桂ヶ谷貯水池堰堤です。

水道水源として造られたこのダムの竣工は古く1923年、大正12年に遡ります。
その後、水道需要が高まり近くに羽根越貯水池も造られますが、戦後別の大規模な水道設備が整備され羽根越貯水池と共に役目を終える事となりました。



赤レンガで造られた取水設備。
今まで見た事のない優美な姿は、河内ダムに匹敵する風格と品のある佇まいです。



桂ヶ谷貯水池堰堤は、堤高13.4m、堤頂長わずが23.6mという、とても小さな堰堤です。ダム正面の石積は珍しく谷積みの様です。

取水口の口金のデザインに、リアルな大正時代を感じます。



さらに堤体に向かって進みます。
取水塔と同じ赤レンガで造られた親柱が見えて来ました。



桂ヶ谷貯水池堰堤の天端です。
堤体は直線ではなく、天端には軽くアーチが付いている様です。
廃ダムは天端まで木々が進出していました。

天端は立入禁止となっています。



市松模様に赤レンガが積まれた高欄。

耐震性から現在では造られないだろう仕様ですが、完成から90年近く経った現在も、ほとんど欠ける事なく美しい姿を保っているように見えました。



その先に赤い取水設備が見えます。

かつては森の中の静かな湖に、この赤レンガの取水設備が眩く映えていた事と思います。
鳥がさえずり、湖面に映った赤いレンガが風にゆらぐ・・・美しい水源地。



天端には入れないので左岸の道を進める所まで進んでみますが、直ぐに道は落葉や木々で無くなっていました。

下流面は、つる植物や雑草が隙間なく茂りダムを飲み込もうとする勢いです。
これでは雑草の枯れる真冬に訪れても、石積の表情を見る事は出来ないと思います。

ダムの下流面がどの様なものであったかは、永遠の秘密なのかもしれません。



植物に覆われた赤レンガの高欄は、まさにイングリッシュガーデンの趣です。
これで茂った植物がつるバラだったら、本当に最高のワイルドガーデンとなるに違いありません。



ダムの左岸をよく見ると、小さな洪水吐が残っていました。
小さな堰堤なので、越流部も水路も本当に小柄で可愛いものです。

森の木々に飲み込まれようとしている桂ヶ谷貯水池堰堤ですが、当時の設備はどれも欠ける事なく現存している様に見えました。



山間の集落の山中に、ひっそりと余生を過ごす枯れたダムがありました。
名前は桂ヶ谷貯水池堰堤。

きっと人々の記憶から消えてしまうのも、遠い先の事では無いでしょう。
でも、ダムを被う木々は知っています、天端に根付いた雑草も。

それは美しい秘密の庭。
桂ヶ谷貯水池堰堤



桂ヶ谷貯水池堰堤
★★★★

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羽根越貯水池堰堤

堤高18m
G/W 1928年 小郡町営

2010.10.10見学


山口の山中に、曲線重力式のカーブした天端が美しいオールドダムがあると言う。

集落の奥、フラットダートな林道を車で分け入り、長靴に履き替え徒歩で山中に入ります。
うっそうとした杉林、土と苔の匂いに混ざって、水の匂いを感じます。

50mもしないうちに道は怪しくなり消えてしまいましたが、沢伝いに林の奥に進みます。



杉林の向うに、突如人工の大きな壁が現れました。
これが羽根越貯水池堰堤なのでしょうか?。

実はダムの天端を狙って入山したのですが、ルートが違ったのか?何処かでミスコースしたのか?
思ってもみない場所に突き当りました。



茂った木々の隙間から望遠ズームで天端を狙います。

天端上の建物に「水」のマークがあります。
間違いありません、小郡町の水道水源として建設された羽根越貯水池堰堤です。



傾いた午後の日差しは、ダムの真下をより薄暗くしていました。

落葉と苔。
湿ったコンクリート。
冷たい空気。



美しい曲線の天端を持つという羽根越貯水池堰堤ですが、ここからは天端辺りが僅かに湾曲しているように見えるだけで、スタンダードな直線重力式のように感じます。

下流面は根元から平面で始まり、クレストに向かって湾曲を強めていくような形状なのかもしれません。



現在は新しく別の水道設備があり、羽根越貯水池は実質的に廃ダムになっていると思われます。
ここから貯水池や天端の様子を知る事は出来ませんが、直下の周辺は荒廃が進んでいます。



石ころと同化しつつある金属パーツ。
ダム建設時のものか?それともダムとは関係なく林業関係の何かか?。



堤体にぽっかりと開いた暗渠。
這わないと入れない大きさですが、たぶん取水設備に通じているはずです。



一旦、引き返して、再び天端を目指して別ルートから入山しましたが、15分ほど山を登り、たどり着いた先から見えたのは、水の抜かれた岸部と思われる荒地でした。

ここから岸沿いにダム本体まで道が続いているようにも思えず、時間的にも、体力的にも限界が見えてきたので下山する事にしました。

帰宅後に調べてみると、天端へは最初の入山口辺りから、左岸へ道があるらしいのですが・・・。



羽根越貯水池堰堤
★★★

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江畑溜池堰堤

堤高14.4m
G/A 1930年 山口市営

2010.10.10見学

可愛い石積ダム。


中国道下関JCTから山陽道に入り、宇部JCTから今度は山口宇部道路に入ります。
阿知須ICで高速を降りて、ほんの2〜3分で江端溜池堰堤に到着しました。

ゴルフ場脇の小さな農業用ダムと聞いて、発見するまで苦労するかと思っていたのですが、それは全くの肩透しで、今まで訪問したダムの中でインターから最短時間で到着したダムとなりました。

ダム下から坂道を登ると、行き止まりの手前に立派な石碑が出迎えてくれました。
この石碑の脇を奥に進むと江畑溜池堰堤の右岸です。



右岸からの堰堤。
江畑溜池堰堤は、灌漑用水を溜める小さな石積ダムです。

対岸までスッキリ伸びた高欄は程よい重厚感、いい感じです。



天端を散策。
両手を広げれば両側に手が届きそうな狭さが、もうなんとも言えない心地よさなのです。



ダムの下を見ると、水深2.4mほどの深い減勢池があります。
1930年と、石積ダムとしてはやや後期に造られた江畑溜池堰堤は、どことなく近代のダムの匂いも感じます。

右岸下部の堤体に開いた穴から水が送り出されていました。



広い青空が広がる、天端からの江畑溜池。

現在の堰堤が造られたのは昭和のはじめですが、溜池の歴史はそれ以前にさかのぼります。
最初の溜池は1889年(明治22年)灌漑用の土堰堤として完成。しかし翌年の豪雨により決壊してしまいます。
直ぐに再建の計画が立てられましたが、決壊により被害を受けた下流の反対により実現しませんでした。
その後、昭和に入り国庫の補助により再建されたのが現在の江畑溜池堰堤です。



70m足らずの短い天端なので、あっという間に対岸に到着しました。

堰堤の左岸には、なんと竹林が広がっていました。
竹林はダム竣工後に広がったものかもしれません。



境界線がはっきりしないほど竹の葉が堆積した左岸の天端。
江畑溜池の文字は味のある銅版がはめ込まれていました。



再び右岸に戻ってきました。

満水の小さなダムは水面まで近く、堤体の脇に降りる事ができます。
取水設備の建物が不釣合いな感じですが、後から改修したものかもしれません。

四角い切石がみっちりと布積されています。
小さな堤体なので、一つ一つの石材が大きな石のようにも見え、ちょっとした錯覚を覚えます。



残念ながらこの可愛い石積堰堤は、下流から全貌を眺める事は難しいようです。
天端から下流を眺めた時、正面の車道にお地蔵さんが並んでいるのが見えたので、それを目当てに向かいました。

農業用の灌漑ダムは、住民の手によって築堤される事も多く、その事が土堰堤(アースダム)が多い事の要因ではないかと思います。
コンクリートによる灌漑用のダムは、この江畑溜池堰堤が最も古いものになるのだそうです。

ちょっと恥ずかしげに林に身を隠す小さな石積ダム。
平野の広い空と、美しい集落の景観。とても心地よい江畑溜池堰堤でした。



江畑溜池堰堤
★★★

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