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河内ダム

堤高44.1m
G/I 1927年 新日本製鐵(株)

2010.10.10見学

石積のロマン。


北九州都市高速大谷ICから5キロ、河内ダムは曲渕ダムと並び福岡を代表する名堤です
河内ダムは、官営の八幡製鉄所によって造られました、現在は新日本製鐵(株)が管理する民間企業所有のダムです。

山間の坂道を登ると石積ダムの左岸に到着します。
周囲は公園化され、古いダムには珍しく観光用の駐車場も整備されています。



第一次大戦後、急増した鉄鋼需要を受け、官営八幡製鉄所の増産の為に1927年に完成しました。製鉄は冷却や洗浄など、多量の水を必要とします。
製鉄は、富国強兵を目指す国力の基幹産業であり、建設には国から潤沢な資金が出されました。

左岸からの下流面です。
切り立った勾配が凛とした佇まいを魅せています。



付近にあった堤体断面図、とても勾配が急です。
この河内ダムに限った事ではありませんが、石積ダムの特徴がよく解ります。

石積ダムは、ダム形式では重力式コンクリートダムですが、マニア目線で鑑賞する場合、現代のコンクリートダムとは全く違ったジャンルだと言えます。



河内ダムの天端は開放されています。
天然石の石畳の路面に、錆色に仕上げたアイアンが風情があります。



そして、何より圧巻なのは石材で緻密に細工が施された高欄の装飾です。
小さな割石がびっしりと埋め込まれているのです。
古い石積ダムは今迄いくつも見て来ましたが、どのダムとも違う繊細で手の込んだ装飾です。

この様な緻密な装飾が、189mの堤頂長の端まで続いています。
思わずため息の出る美しさ。



ダム中心にある取水設備の装飾です。
切石、割石、野面石・・・さまざまな表情の石を巧みに使った装飾は、高欄だけに留まらず、取水設備などクレストの全ての面を被い尽くしています。



これら石貼りの装飾は、単に見た目の美しさだけでなく、コンクリートよりも天然石の方が劣化に強く、恒久的に美しさを維持できるとの考えがあった様です。

美観だけでなく、機能を持った美しさ、それはダムの真骨頂とも言える考え方かもしれません。
時代を越え、訴えかけてくるものを感じます。



高欄の内側に連なるアイアンの装飾は、増設された感じを受けました。
転落防止の安全面から、後になって追加された様に見受けられます。



天端から下を見ると、同じようにびっしりと装飾が施された建物が見えました。
河内ダムの石の装飾は徹底していて、ダム関連の全ての建物に施されています。



写真は左岸の斜面にある建物。
現在は使われていない様ですが、以前は管理所だったと思われます。
こちらは野面石が貼り込まれた野趣溢れる重厚な印象。



天端からの静かな貯水池。
総貯水容量700万㎥は、当時東洋一のダムと呼ばれていました。
湖畔には竣工を記念して桜の木が植えられ、春には見事な花を咲かせるそうです。



貯水池周辺には、それぞれ特徴を持った美しい橋が幾つも架けられていて、その中でも南河内橋は、国内唯一のレンティキュラートラス橋として国の重要文化財の指定を受けています。

橋の近くでは、バーベキューを楽しむ地元の方々の姿があり、河内ダムの湖畔は市民の憩いの場となっているようです。



天端を渡った先、右岸の斜面にある石碑です。
周囲の石垣の積み方にも拘りを感じます。

KAWACHI RESERVOIR.
DESIGNED AND BUILT BY
H.NUMATA.  M.AM.SOC.CE.

このダムの設計者であり建設を指揮した、沼田尚徳氏の名前が刻まれています。
製鉄所の土木部長であった沼田氏は、「土木は悠久の記念碑」という思想の下、この河内ダムを建設します。

そう、河内ダムは美学によって築かれた一つの作品とも言える名堤なのです。
竣工から80年を超え、沼田氏の思想は河内ダムで生き続けており、それは今後100年経っても変わらないと感じました。



この記念碑を見て感じたのですが、記念碑に設計者の名前が刻まれているのは珍しいと思います。
また、英文で刻まれている事から、最初、河内ダムの設計は雇われて来た外国人技術者かと頭に浮んだのですが、読んでみると沼田氏をはじめ、全て日本人だったので、この英文の記念碑には意外な感じを受けました。

これは、沼田氏からの「世界に誇れる素晴しいダムである」というメッセージだと、僕は解釈しました。

また、悠久の記念碑という思想の元、将来、普通に英語が使われる時代が来るのだと、沼田氏が予言をしたかの様にも受け取れ、まさにそれは的中していると言えます。



天端は湖畔からのサイクリングコースにもなっていて、レジャーを楽しむ人々の姿がありました。
ダムの存在を知らずにドライブに来た人々も、吸い寄せられるように車を止め、天端を訪れています。



堤体の左岸から、ダムの真下に向かう歩道があります。
落葉を踏みながら下る事数分、ダム下にかかる橋の上に出ます。

ここのコンクリート造りの薄い橋も、ダム建設と同時に架けられた貴重な橋なのだそうです。



堤高44.1m。
見上げる河内ダムは、石積ダムとして最大規模の立派なダムです。

着工時は国内最高峰のダムとなる計画でしたが、アメリカの技術を導入し工事の機械化を勧め、一歩先に53mを築堤した大井ダムにそのタイトルを譲る事となります。
一方、河内ダムは昔ながらの人力作業を中心に、延べ90万人という大工事でしたが一人の殉職者を出さなかったそうです。
官営工事として潤沢な予算が出され、安全管理が整っていたとも思われますが、
製鉄所の土木部長の指揮のもと、家族的な現場環境だった事が、沼田氏の奥さんが手造りの差し入れを度々持参していた等のエピソードから伺えます。



河内ダムと周辺のダム施設は、土木学会認定の「選奨土木遺産」の認定を受けていて、美しい装飾だけでなく、周辺は見所にあふれています。

ロマンと言う言葉は、気恥ずかしくてなかなか使える時がありませんが、この河内ダムほどロマンと言う言葉が似合うダムはありません。
できれば時間に余裕を持って、ゆっくり散策される事をお勧めしたい河内ダムでした。



河内ダム
★★★★★

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鳴淵ダム

堤高67.4m
G/FNW 2001年 福岡県営

2010.10.10見学


鳴淵ダムは県営の新しいコンクリートダムです。
ダムの下は広い公園になっていて、遊びに来た家族連れの姿もありました。



親水公園となっていて、ここまで自由に降りる事だって出来ちゃいます。
ちょっとだけ人の顔にも見えるクレスト中央は、永平寺ダムを思い出しました。

堤高67.4m、堤頂長308m
こうやって低い位置から見上げる堤体は、なかなかの迫力です。



ダムの周囲に有名なお寺さんがあるみたいで、公園の中にも観音様を祭ったお堂があります。観音様に通じるかは解りませんが、とりあえず治水祈願。

鳴淵ダムは水道水源のほかに、洪水調節も行う多目的ダムです。



ループ橋を登って天端にやって来ました。
天端は車道になっています。



鳴淵ダムの一番の特徴は、これらのトンガリ帽子の建物でしょう。
写真は天端上のエレベータ塔と取水設備の建物。

ファンシーな見た目とは裏腹に、実物はイメージよりも大きな建物です。
ヨーロッパ調(?)と表現される事もある様ですが、実際は無国籍なデザインだと思います。
(もしくはムーミン谷調?)

完成予想図では見栄えのするデザインだった思いますが、実物が意図した仕上がりであるかは僕では良く解りません。
何かの様式に沿ったものであったり、特別に美しいデザインとも思えないので、建設したら100年200年と半永久的に使っていくダムのデザインとしては疑問に思う所もあります。
でも、店舗のデザインの様に、ニーズや時代性に合わせて改装やリフォームしていく前提であるなら、こういったデザインも良いかと思いますし、ダム直下の公園から見上げる姿は、そこで遊ぶ子供たちの目には、中年男と違った物に映っている事でしょう。



天端からの眺め。
ループ橋の下流にはJR篠栗線の高架橋が見えます。
この日、数時間違いでニアミスだったひろ@さん曰く、「ダムと鉄が同時に味わえる」ダムなのです。



さらに上空には福岡空港を離陸する飛行機が。

休みの度にダムに出かける僕を見て、「嫁や子が文句を言わないのか?」と、人から聞かれる事がありますが、この日僕が何時ものようにSAのセルフやコンビニ弁当を食べている頃、妻子はアニョハセヨとかいいつつ、本場のプルゴキやサムゲタンなんかで舌鼓を打っておられました。



正面側のコンクリートは型押しで石積模様が刻まれています。

水面に映るトンガリ帽子を見ると、これはこれで趣あるかな?と、思えてきました。
湖に浮かぶ城壁の風情です。




鳴淵ダム
★★★

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須恵ダム

堤高21m
A/W 1964年 須恵町営

2010.10.10見学


福岡県須恵町のはずれ、峠道の途中にあるのが水道用ダムである須恵ダムです。
町営のダムでアーチダムというのは希少な物件ではないかと思います。

水道水源という事もあり、ダムの周囲は貯水池までずっと高いフェンスで囲まれています。
「立入禁止」とありますが、看板が無くても物理的に敷地内に入る事は100%無理という厳重さです。



ダムサイトには駐車場が無く、車を停められる場所がありません。
離れた所の路肩に車を置き、歩いて戻ってきました。

満水の貯水池はおよそ200m四方の小さなもので、総貯水量は12万㎥ほどです。
ダムの中心に町境があり、対岸の左岸は隣町の宇美町となります。



フェンス越しに堤体を拝見。
地形の都合でダムが見れる場所も限られていて、鑑賞しづらい物件です。

円筒アーチを描く天端の高欄は、貯水池側だけコンクリートの壁になっています。
満水の湖面が近く、暴風などで発生した波から天端を守る為かもしれません(推測)



ダムの中央にアーチダム「らしくない」余水吐。

天端と吐の越流部が近いですね。
ゲートの間には放流管がある様です。



堤高は21mと小柄な須恵ダムですが、堤頂長は144.5mもあります。
極端に横長の円筒形アーチは、今迄見た事の無い形状で、かなり特殊な堤体と言えると思います。(アーチダムと言うより、岡バイザーゲートって感じ)
これだけ横長アーチだと、両岸への着岩と同時に、ダム軸真下への固定も大変かと思うのですが、よほど良い岩盤に恵まれていたのでしょう。

クレストゲートの真下から、魚眼レンズで円筒アーチを見上げれば、相当面白い画が撮れるんじゃないかと思うのですが・・・。



須恵ダム
★★

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曲渕ダム

堤高45m
G/W 1923年 福岡市営

2010.10.10見学


曲渕ダムは福岡市営の水道用ダムです。
国道から脇道に入ると立木の隙間から石積ダムの姿が見えました。

竣工は古く1923年。当時は堤高31.2m、堤頂長142m、総貯水容量142万㎥。
設計施工は、長崎、佐世保の近代水道を設計した吉村長策氏です(九州の水道ダムでは、すっかりおなじみですね)。



その後、人口増加による水不足を受けて、1931年から1934年にかけて拡張工事を行い、堤体を6m嵩上げ、堤高は37.27mとなります。
また1978年からは堆積した土砂の浚渫、さらに平成に入り1993年には再び堤体改良工事を実施して、現在の堤高45m、堤頂長160.6m、総貯水容量260万㎥となりました。

堤高45mは、現存する国内の石積ダムでは最も高い堤体となります。

堤体の石積を観察すると、中腹のやや上辺りで草が生えている部分があります。
多分、この辺りから下が大正時代の竣工当初の石積だと思われます。



脇道を登って堤体の右岸に来ました。
満水の静かな貯水池。



対岸を見ると・・・。
これは越流式の余水吐ですね。



道路脇のダム管理所(福岡市水道局曲渕水源事務所)。
ダム本体はこの管理所の敷地の奥にある為、公道から天端の様子を伺う事は出来ません。

また、管理所の敷地内は関係者以外立入禁止となっています。
今回は許可を頂き、敷地内から見学させて頂きました。

(福岡市教育委員会の市の文化遺産を紹介するHPでは、ダムの天端は開放と紹介されています。いずれにしても、天端を見学される時は管理所を訪問して、許可を頂く事をお勧めします)



管理所の奥に進むと、曲渕ダムの天端が真っ直ぐ伸びていました。

うわーっ。

目の前の天端に思わず声を上げていました。
何故なら、これほど美しい天端は今迄見た事が無いと一目で直感したのです。

対岸までストレートに伸びた天端には、美観を損なうような障害物は見えません。
岸際は広くなっていて、シンメトリーに置かれたダム名を記す重厚な親柱。
嫌味なく、さりげなく立てられた外灯。

こんな空間が自宅にあったらいいだろうな。
テーブルを置いてお茶でもしたら美味しいだろうな。
ランチとかしても最高だね。
もし、大金持ちになったら、この天端を真似て別荘を建てよう。

妄想癖がある僕ですが、そんな事を思うダムはこの曲渕が始めてです。



重厚で格調高い高欄は総花崗岩(御影石)造り、上部の手に触れる場所はピカピカに磨かれています。シンプルなスリット状の装飾にも品があります。
また、色の違うベージュの路面は、この色の天然石が敷かれています。凄い。(レンガやタイルでは無い!)

デザインの基調はダムが竣工した1920年代に先端であった、アールデコの幾何学的な特徴を感じます。
この天端が竣工時のオリジナルのデザインを忠実に再現したものかは解りませんが、90年前の石積ダムの天端を、平成の時代に再現したものである事は確かで、この天端を歩くと、まるで大正時代にタイムトリップしたかのような錯覚さえ覚えます。

歴史を感じる古びた天端ではなく、真新しいものである事が実に新鮮なのです!。



ダム中心部の取水設備。
現代的な取水設備は、平成の改修工事で刷新されたものでしょう。

従来の取水設備よりも建物は大きくなったと思うのですが、天端の歩道幅に合わせてスッキリと収められていて、美しい天端への配慮を感じます(建物が歩道にはみ出していては台無しになっていたと思う)



他のどの石積ダムにも無いのが、この現代的な取水設備だと言えます。

下流から見た取水設備。
テラス状に少しだけせり出した天端、直線的で品の良い高欄など、平成のリデザインはよく吟味されていて、クラシックな石積ダムのクレストに、現代の建物を全く違和感なく収めています。



左岸まで進むと余水吐の越流部が見えてきました。

この部分も平成の改修で手が加えられていると思うのですが、ちゃんと石積の仕上げとなっています。



左岸のダム碑。
これは1931年からの嵩上げ工事の時の物の様です。

周囲は一面青々とした苔に覆われ、雨と土の匂いがしました。
ここは水源地の森です。



森の中から見たダム左岸。

すごくいい感じじゃないですか?
ダムじゃないみたいでしょ?
でもダムなんですよ。

余水吐の水は、この真下をトンネルで抜けた後、ダムの下まで導流路を流れます。



シンメトリーって、美しい形の基本ですよね。
右岸・左岸、そして上流側・下流側でそれぞれ対称にデザインされた天端。

完璧です。



先程からぱらついていた雨が次第に上がってきました。

厚い雲の隙間から、右岸の山に朝日が当たり、湖面に映えています。
この後、虹も観る事が出来ました(朝の虹は不思議な感じでした)



静かな貯水池。
対岸には道も無く、水源地の森が広がっています。

貯水池の水も透き通っています。



天端から下流。
ダムの下は公園となっています。

通常でも下から見上げる事が出来るようなのですが、素晴しい天端を散策して舞い上がってしまい、下から見るのをすっかり忘れていました。



管理所辺りから眺める曲渕ダム。

クレストの白っぽい花崗岩が森の中に映えています。
堤体の表面は雨の汚れで黒ずんでいますが、全て花崗岩で出来ている様に見えました。



さらによく見ると、積まれている切石の形状は一種類ではなく、通常よく目にする長方形の間知石のほかに、正方形の石も使われています。
クレスト付近は全て正方形の石ですが、それ以外は長方形の中に正方形が混在する凝った積み方となっています。

2度の嵩上げにより、竣工当時の姿を想像する事は難しいのですが、曲渕ダムは竣工当初からかなり美観を意識したデザイン性の高いダムであった事がこの石積から伺えます。



重厚な国内最大級の石積ダムに、大正の香りを感じる新築の美しい天端。
現代の基準でリニューアルされた新しいダム設備。

名堤を発見した、驚きと興奮の曲渕ダム見学でした。



曲渕ダム
★★★★★


ちなみに、曲渕ダムは、あつだむ宣言!が選ぶ2010 MVD を受賞したダム。
思えば2009年のMVDも、同じく重量式コンクリート、非越流形、水道ダムの小河内ダムだったので、個人的にこのジャンルのダムが一番好みって事なのかも。

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北山ダム

堤高59.3m
G/AP 1956年 農水省

2010.10.10見学


北山ダムは農水省直轄の利水専用ダムです、ダム目的は灌漑用水と発電。
早朝の北山ダムは霧に包まれていました。



高欄からストンと落ちるクレスト部と、美しいバケットカーブが特徴です。
ざらついたコンクリートは貫禄の風合いです。



天端はゲートで締め切られていましたが、これは早朝の為で、日中は開放だと思います。
路面は3車線に区分けされ、歩行者と2車線の自転車の指示がありました。
対岸の山の上に展望台が見えます。貯水池の周辺は公園化され、地元の方々の憩いの場となっています。

下流から吹き上げる風に乗って、濃い霧がわわっと上がって来ました。



ダム正面の重厚な取水設備。

クレストの2門のラジアルゲートは天端から低い位置に設計され、巻揚機も隠すように上手く配置されています。(ゲートが低いと言うか、バケットカーブから上部が高いデザイン)
なかなか秀逸なレイアウトだと思います。



夜明けの北山湖。
管理所前に掲げてある現在の貯水率は32%となっていました。

北山湖は佐賀県で最も大きい人造湖ですが、現在下流に嘉瀬川ダムが建設され試験淡水を行っています、これが完成すればタイトルは嘉瀬川ダムの貯水池に譲る事となります。

入組んだ複雑な地形はバス釣りで有名なのか、桟橋から朝マズメを狙うボートが出て行きます。



対岸に見える取水設備は下流の発電所への取水口です。
発電事業は九州電力が行っています。

右に見えるのはバッチャープラントの遺構の様です。



なんとなく、ほのぼのしてて面白いなと思った注意看板。
(農水省のダムですが、管理は委託を受け佐賀土地改良区が行っているそうです)

大型のコンクリートダムですが、どこか牧歌的な雰囲気は、やっぱり灌漑用のダムだからでしょうか?。



冷え込んだ秋の早朝。
霧の中の北山ダムは、優しくも力強い、男らしさがありました。



北山ダム
★★★


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天山ダム

堤高69m
R/P 1986年 九州電力

2010.10.9見学

天山ダムは厳木ダムと同時期に建設され、厳木ダムを下池に揚水発電を行っている九州電力の発電用ダムです。

長崎で軍艦島を見ながら夜明けを迎えたこの日、訪問の予定は下田ダムまでだったのですが、天山ダムまでほんの数キロだと道すがらの看板に誘惑され、山道を登って来てしまいました。
このところ、コンクリートダムばかり見てきたので、ひさしぶりのロックフィルです。



天山ダムは、天山の中腹の窪地を利用して造られた人造湖で、地形図を見ると、元々この場所には谷川は無かった様です。なので、湖水はほぼ100%厳木ダムから揚げられた水だと思います。
実際、ダム湖には流れ込みがありません。

駐車場の看板を見ると、発電所への取水口がダム湖の最深部に描かれています。
流れ込みが無いので、堆砂容量を考慮する必要がほとんど無いと言う事だと思います。

しれっと凄いぜ、天山ダム。



広い駐車場は、暴走禁止のでこぼこ付き。
田畑はおろか、一軒の家もない山の上なので走り屋対策は必須。

天端を含め、ダム設備の敷地内はフェンスで厳重に囲まれ近づく事はで来ません。
巨大な右岸の建物は、取水口のゲートです。



駐車場から真正面の対岸には、四角い穴が四つ。
余水吐だと思いますが、壁にぽっかりと開いた不思議な感じです。

コンクリート製の副堤体??。
地図や衛星写真を見ましたが、穴の向うにシュートや減勢工などの構造物は確認できませんでした。
湖水は全て下池から揚げた水ですし、流れ込みも無いので、水が溢れ出る事は基本的にありえないのだと思います。



高欄のないシンプルな天端。
此方からは想像する事も難しいのですが、堤高69mはロックフィルの少ない九州では背の高い方になります。
ダムは高さ1000mの天山の中腹にあり、堤体の正面には遮る物がなく、雲が湧き上がって見えます。



さあ、もう日が落ちた。
そろそろ今晩のねぐらを探すとしよう。



天山ダム
★★

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下田ダム

堤高15.5m
G/P 1930年 九州電力

2010.10.9見学

国交省の直轄ダム、厳木ダムのバックウォーターから、上流に2キロ弱の所に下田ダムがあります。
厳木ダムと天山ダムとの間で揚水発電が行われていますが、天山ダムは全く別の谷筋なので、厳木ダムの上流のダムはこの下田ダムとなります。

ダム便覧によると、元々この下田ダムが厳木ダムを名乗っていましたが、国交省の厳木ダムが完成して名前を譲っているそうです。



下田ダムにあった各ダムの関係図。赤色の現在地が下田ダムです。
この図では、厳木発電所取水ダムと書かれていますね。



ダム施設はぐるりとフェンスで囲まれていますが、対岸に向かう歩道や、ダム直下に架かる橋は開放されていました。
苔むしたコンクリ舗装の上を滑らないように慎重に下って行くと。



目の前は下田ダムがどっかり腰を据えています。
全面越流のシンプルな堤体ですが、右岸側に管理橋が架かっています。



一見するとクレストゲートがありそうな管理橋の先には放流設備があります。
出口の高さ的には排砂ゲートに思えるのですが、この四角いリブの中に放流管があるとしたら入口はもっと上の様な気がします・・・。



堤体の直下は剥き出しの河床です。
ここから排砂が出たらえらい事になりそう、やっぱり常用吐かな?。



1930年完成という古い下田ダム。
施工は間組です。黒部ダムや佐久間ダムの先輩にあたります。
女子畑第二ですら、兄さんと呼ぶ大先輩です。

古いダムを見学すると、何に使われていたのかよく解らないディティールに出くわす事も度々です。
そして、これまたいつも通り、いくら考えても解らないのでした。



左岸からの下田ダム。
下流の発電所への取水口はこちらの右岸にあります。



再び車を置いてきた左岸に戻って正面を見ます。
現在は普段よりちょっとだけ水位が低いのか、表面には水面から間隔を空けて苔や草がモサモサと生えています。



ぎゅっとひと塊になっているダム設備。
スキのない造りです。

ここから取水した水は、厳木ダムの直ぐ下にある、九州電力厳木発電所へ送られます。
(ニュアンス的には、厳木発電所の直ぐ上流に、新しく厳木ダムが出来た)



でもって、厳木発電所の近くで見つけたのがこちら。
下田ダムをそのままスケールダウンした感じの可愛いU15です。

ここからは何処にも水を送っていないので、厳木発電所の逆調整池なのかと思います。
真ん中の放流口から水が出てますね。
下田ダムの放流設備は、やはり常用吐である事が濃厚です。



再び写真は下田ダムです。
つるつるの下流面と、苔モサの正面の境目が、すぱっと気持ちよく分かれています。



凄くつるつるに見える下田ダムの下流面。
サンドペーパーでもかけたかと思えるほど、本当に滑らかな表面をしています。

双子の兄弟だろう発電所下のU15は、通常のザラザラして黒ずんだ下流面です。
それが真上に厳木ダムが出来て濁流が越流する事が無くなった結果だとすれば、下田ダムのこのつるつる具合は、やはり出水時の土砂で磨かれたのだと思えるのですが、それにしても見事な平滑具合です。



間組の大先輩ダムは、スキンヘッドにねじり鉢巻きって感じの、元気なおじいちゃんダムなのでした。

下田ダム
★★★

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厳木ダム

堤高117m
G/FNWIP 1986年 国土交通省

2010.10.9見学


佐賀県唐津市の厳木ダムは、九州地方整備局のとても立派な多目的ダムです。
ダム目的もFNWIPと幅広く活躍する働き者です。

長崎自動車道多久ICから厳木多久有料道路に入り、牧瀬ICで降りれば厳木ダムはすぐそこです。集落からダムまで坂道を登ると、巨大なコンクリートの塊が見えてきました。

堤高は117m、九州では鹿児島の鶴田ダム(117.5m)と並び、重力式ダムの主峰のひとつです。いわば南の鶴田、北の厳木といったところです。



クレストの非常用洪水吐は堤体の右半分に寄せて配置。
その為、導流壁も右岸側のみで、完全に左右非対称の独特な表情をしています。

また、上に飛び出しの少ない構造は天端をすっきりと見せ、大きなボディをより広く感じさせています。



クレストの洪水吐をよく見ると、越流部が隆起しています。
乗り越えて落ちる水の流れに、何らかの効果があるのかな?。



クレストは車道となっています。
100mを軽く超えるダムとしては、ややこじんまりとした天端です。



うわっ、高っ。
天端からの眺望は、空を飛んでるかのようです。

S字カーブの河川の下流は厳木町の集落です。(ちなみに厳木と書いて、「きゅうらぎ」と読みます、知ってました?僕は読めなかった・・)

また、カーブの途中の山間には、九州電力の厳木発電所があります。



天端から直下を見下ろします。
減勢工の壁が高いですね。形状も極めてシンプル。

河川の軸上に、常用吐のコンジットゲートが配置してあります。



高欄のレリーフ。
オールドダムの高欄に見られるアーチ状の装飾をイメージしたものでしょうか。

それともみかん?いや、みかんならお隣の熊本かな?



100超級となると、正面の絶壁も迫力が違いますね。

わ、このインクライン怖っ。
って、反射的に思ってしまいましたが、巡視艇の係留スペースを水位に合わせて昇降させるレールですよね。
決して空中を上下する訳ではないと思います。



やや小振りに見える貯水池。
もちろん、洪水調節容量を空けている為で、いざとなったら大量の洪水を飲み込みます。

厳木ダムは北東にある天山の中腹に作られた、九州電力の天山ダムとの間で揚水発電が行われています(厳木ダムは下池)



厳木ダム
★★★

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菰田ダム

堤高40m
G/AW 1939年 佐世保市営

2010.10.9見学

最後の幸せなダム。


菰田ダムは市営の水道ダムですが、佐世保の他の古いダムと異なるのは海軍の建設ではなく、最初から市営水道の為に造られたダムと言う事です。

それまで佐世保の一般家庭では、海軍の軍港水道から給水を受けていましたが、この菰田ダムの完成により、水源地から家庭の蛇口まで一貫して市の水道となりました。

県道を登って、右岸に到着。
大切な水道水源地であり、天端や敷地内には立入は出来ません。



ダム便覧などの写真では、福井の鷲ダムによく似たGA風の堤体をイメージしていたのですが、実際の菰田ダムの形は、二つの直線を曲線で結んだ「くの字」形をしているようです。

堤頂部の幅もそこそこあり、ダム管理の車両が通った痕跡が見えます。
直線部分の高欄は石積の重厚な仕様のようです。



貯水池側から見たクレスト部。
ダムの中心にある余水吐の辺りで堤体がカーブして、再びストレートな堤体に繋がって行きます。
ダム湖側への出っ張りは取水設備だと思います。



天端は立入出来ませんが、右岸の県道から脇道を下ると、ダムの脇腹辺りに到着します。

この菰田ダム、堤頂長は387.7mもあります。
余水吐を中心にほぼ左右対称なので、対岸の木々に隠れた先にも、長く堤体が伸びているはずです。

堤高も40mほどあり、発電用のダム以外では、当時としては高い部類に入ります。
(当時、他で40mを超えていたのは、千刈(W)、小ヶ倉(W)、河内(I)、上田池(A) など)
 


直接触れる距離の菰田ダム。

表面にはコテ仕上げのような横筋が沢山入っています。
コンクリートの継目でもなく、はてさて、これは何でしょうか?。

プロバンス風仕上げ(???)



そのヒントになりそうなものが、右岸のアバットにありました。
元々石垣だった上にモルタルが塗布(吹きつけ?)されていて、所々に下地の石材が覗いています。(石垣風に、模様が刻んでいるのがキッチュですね)

まさか、ダム本体の中身まで石積だとは思えませんので、表面だけモルタルで整えてあるのではないかと思います。
これが竣工当初からなのか、その後の止水処理などの工事なのか、見た限りでは解りませんでした。

ちなみに、石積ダムの表面を改修工事でモルタルで覆う事例は、僕の地元の岐阜県だと、細尾谷ダムや、高橋谷ダムなどか多分そうではないかとにらんでいます。
(※あくまでも僕の推測です)



威風堂々という言葉が浮かぶ余水吐。

高欄の親柱も装飾的で、気配りと拘りが感じられます。
薄い導流壁も立体的な曲面で美しい造形です。



菰田ダムの取水設備は、石積ダムのようなダム本体に付属するタイプなので堤体の真下に取水設備への出入り口があります。
石積ダムなら見慣れた感じですが、ちょっと意外で面白い感じを受けます。

余水吐直下の減勢池は、三味線のバチのような美しい平面形状のはずなのですが、それを確認できる眺望ポイントはありませんでした。(天端からならよく見えるはず・・・)



この菰田ダムは各所で凝った造りになっていて、減勢池から下流は、トンネル式の地下水路で100mほど下流まで水が送られています。

残念ながら広い敷地内は立入禁止で詳しく様子を伺う事は出来ませんが、下流に架かる橋から見ると、茂みの奥に地下水路の出口のような構造物が見えました。



菰田ダムの竣工は1939年。

その後、日本は不幸な時代を迎える事となりますが、建設されるコンクリートダムも無愛想で、味気ないデザインが中心になって行きます。

美しい余水吐からサラサラと水が流れ、日差しが当たり輝いて見えました。

「みんなの役に立つ、立派なダムだぞ、どうだすごいだろう」
戦前に建設された古い水道用ダムたちは、みな大らかな笑みを浮かべ、口を揃えそんな事を言ってるように見えました。
それはダムが語っているのか、建設に携わった方々の声なのか。
きっと両方の声だった気がします。

菰田ダムは、幸せな時代に造られた最後のダムなのかもしれません。



今回、駆け足で長崎市と佐世保市の水道ダムを巡ってみましたが、歴史ある港町には、まだまた魅力と不思議に満ちたダムが沢山あります。

今回は行き洩らしてしまいましたが、その中でも1900年完成(!)の「岡本貯水池第二号貯水池」は、湧水を貯留する正円形状のダム(コンクリート遮水の水槽のようなものか?)だそうで、次回、佐世保に行った時は必ず見てみたいと思っています。

菰田ダム
★★★★

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メインアーム換装

防塵・防滴、マイナス10℃耐寒動作保障。

うへへへへ。

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