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発表!!MVD 2010

全国一億二千万のダムファンのみなさまこんにちは。

今年見学したダムから、印象深く、個人的に気に入ったダムを挙げてみました。
題して、あつだむが選ぶ今年のダムベスト10&年間MVD2010の発表です!!

第10位
長崎県 転石堰堤
まさに城壁というダム勾配を持つ謎の石積ダム。来年早々にアップ予定。


 
第9位
兵庫県 上田池堰堤
これぞ男前メンソリー。
「こうだいけ」と正しく読めるかは、ダムマニア度を示す指標か?。


 
第8位
広島県 温井ダム
「アーチダムのファイナルアンサー」
高さでは黒部に譲るが、間違いなく日本を代表するダム。来春アップ予定。



第7位
広島県 本庄貯水池堰堤
「名門の誇り」 来春アップ予定。
                            

                    ※特別な許可を得て撮影
 
第6位
広島県 高暮ダム
切ないほど美しい、戦時中の名堤のひとつ。



第5位
宮崎県 塚原ダム
戦前のコンクリートダムの最高峰。皇帝の風格。


 
第4位
香川県 豊稔池堰堤
農民の為に、農民によって築かれた美しき名堤。



 
第3位
高知県 長沢ダム
吉野川源流部、四国を代表する味わい深い一基。




 
第2位
高知県 穴内川ダム
「コンクリートアーマー」
独特の左右非対称ボディ、希少なワンアームラジアルゲート。





 
そして、第1位 年間 MVD 2010 は!

だむだむだむだむだむだむだむ〜(ドラムロール)
じゃじゃん!

福岡県 曲渕堰堤
気品溢れる美しきメンソリー。
オールドダムに最新の装備、言うなればダム界の宇宙戦艦 YAMATO。
来春アップ予定。


                   ※特別な許可を得て撮影


                    ※特別な許可を得て撮影


いつもご覧頂いていますダムファンの皆様、今年一年ありがとうございました。
皆様の元に、ダムの神様と、トイレの女神さまと、風呂場の仏様のご加護がありますように。

それでは良いお年をお迎え下さい〜。

| あつだむ宣言!(清水篤) | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
総決算。

さて、いよいよ今年もわずがになりました。
今年の総決算として何か書いてみます。
 
この12月は緊張の糸が切れたように何処のダムにも行きませんでしたが、なんとか年内に目標にしていた訪問ダム数500基を達成する事が出来ました。(ローダムも含めると535基)
沢山見たからどうなるものでもないけど、ブログを書いたり、ダム仲間と話をする時でも、各地のダムを自分の言葉で話す事が出来るので、ある程度は沢山のダムを見た方が良いかもしれません。
それに、このダムはああだけど、あのダムはこうだった・・・の様に勝手に結び付けて空想する楽しみも増えます。
 
日帰りエリアでメジャー物件が無くなって来たので、新規見学のダム巡り=車中泊のパターンになりつつあります。
来年は今迄の様に数を沢山落とすような見学は難しくなって来るので、今迄の半分(年間100基)を目標にしたいです。
 
今迄何故そんなに急いで訪問件数を落としたかと言うと、土日高速千円が来年の3月で終了と言う、結局は金銭面の理由だったのですが、3月以降も何らかの形で高速の減額は継続されるらしいので、年間計画を見なおさねばなりませんね。
自宅が岐阜県にあり、青森も鹿児島も丸一日走れば辿りつけるという事も、沢山のダムに行けるメリットになりました。
また、去年の夏に東海北陸自動車道が全線開通して富山などへのアクセスがすこぶる良くなった事にも後押しされました。
おかげでダム巡りを始める頃に購入したデミオ号も、初車検を待たずして現在11万キロ突破(笑)。
全国47都道府県のダムで、デミオ号で訪問した事のないのは北海道、沖縄となぜか千葉の3県だけなのですが、さすがに北海道・沖縄には連れていけないかも。
 
で、
この2年でそこそこダムを巡って思ったのは、ダムって結局「人」だよね。
って事なんです。(ここ、池上彰風に)

人の為に人が造って、人が管理して。
 
ダムを下から見上げ造った人を想像して、
天端では管理している人を想像して、
湖を見て土地を明け渡した人を想像して、
下流を見て恩恵を受ける人を想像する。
 
ダム=人。
 
マニアや愛好家の主な表現の場が、ネット上のドライな環境と言う事もあり、これからはもっと人間味のある関わりが大切なのではないかと思ったりする。
 
それに、「ダムマニア」「ダム愛好家」と言うと、主体はマニア当人や愛好家自身を指すような気がする。
来年は、自己主張ではなく、愛するダムと言うものを支援(サポート)する = 「ダムファン」 として、ダムを訪問して行きたいな・・・。
 
なんて思ってみたりしています。
 
歳とると説教臭くていけねーな。うむ、反省。
30代最後となる歳の暮れに、ぼやいてみるあつだむでしたー。

文字ばっかのネタになったので、次回、今年最後(たぶん)のアップは、写真多めで、今年のベストダム10と、MVD 2010 の発表予定です。

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川谷ダム

堤高46m
G/AW 1954年 佐世保市営

2010.10.9見学

長崎市を後に長崎自動車道から西九州自動車道を通り、佐世保にやって来ました。
長崎市にはまだまだ沢山のダムがありますが、九州はめったに来れないので、今回はちょっと欲張りなダム巡りの計画を立てていました。

佐世保三川内インターで降りて、県道を10キロ程度走ると川谷ダムの貯水池が現れます。湖畔のトンネルを抜け、振り返ると川谷ダムが背後にありました。



おおらかなバケットカーブ。
クレストには華奢なアームのラジアルゲート、ピア上のコンパクトな巻揚機。

天端から階段で一段上のピア上に昇るスタイルは個人的に好きなタイプです。



上の写真の撮影ポイント。
右手のダムまでの道はゲートがあり立入禁止。
トンネルの向うは貯水池ですが、地形の都合で向うから堤体の上流面を見る事は出来ません。



少し場所移動をして、真正面から拝見できる場所に来ました。
ゲートの下から流れ出るみたいに苔が生えています。

四角い柱状のピアなど、この年代らしい実直で真面目な造りですが、高欄に面白い感じを受けました。



コンクリートに丸いアーチ状のくり貫き、その中にアイアンの飾りが見えます。
水平な部分は良いのですが、階段部分がなかり強引な感じです。

高欄部分は他の場所で整形さえれて、据付したようにも見えます。
プレキャスト監査廊ならぬ、プレキャスト高欄って感じでしょうか??



ちょっと電線が邪魔ですね。

それでも、堤体を眺めるポイントが少ない物件なので、バランスのとれた美しい姿を鑑賞できるのは幸運じゃないかと思いました。



川谷ダム
★★★

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西山ダム

旧堤体 堤高31.82m
           G/W 1904年 長崎市営
新堤体 堤高40m
           G/FW 1999年 長崎県営

2010.10.9見学

長崎市街中心部からおよそ2km
西山通りを北に進むと真正面にコンクリートダムが見えてきました。
西山ダムです。



ダム下の交差点を右折し、坂道を登るとアンティーク風の管理所があります。

外壁は新しく見えるので、改築やリフォームされているようですが、シャビーシックなアイアンの門は明治からのオリジナルかもしれません。



管理所から少し坂道を戻ると、上下に二つの堤体が見えました。

長崎市の緊急ダム事業として、1904年竣工の西山ダムも、水道水源専用の利水ダムから洪水調節が出来る多目的ダムへの転換が必要となり、既存の西山ダムにほとんど手を加えず、およそ60m下流に新しくコンクリートダムを建設する事となりました。

この様に上下に二重構造となっているダムは、全国的にも大変珍しいのではないでしょうか?。



まずは、1999年に竣工した新堤体を拝見します。

クレストゲートは最近のダムらしく自由越流式。
高い位置の四角いオリフイスゲートはデフレクターが無く、つるんとしています。
なんとなく80年代のターボ車のインテーク風(?)



表面は石積風のデザインが施されており、すぐ背後の大先輩への配慮が伺えます。

フーチング上の柵も天然石の石柱が使われ、新鋭のダムでありながら暖かみのあるディテールをしています。



天端はもっと凝っています。

歩道となっている天端は石畳が敷かれ、クラシックなアイアン風の高欄とランプ。
龍をモチーフとした装飾も見られます。



新堤体から見る、旧西山ダム。
本河内低部ダムに続き、コンクリートダムとして日本で3番目に古いダムです。



どっぷりと湖水に浸かる石積堤体は、ダムと言うより、城のお堀の様に見えます。

クレスト部分を観察すると、本河内底部ダムと共通のデザインと言う事がわかりました。
3キロも離れていない本河内低部とは、同時期に建設が進められていた事もあり、実質的に兄弟ダムとも言えそうです。




新堤体から下流を見ます。

デザイン的な遊びの少ない減勢工、周辺は公園化されています。
ダムの下流は明治時代のオリジナルの部分と、最近の工事の部分が混在している様に伺えます。



新堤体を渡り、右岸から旧堤体に向かいます。

やっぱり不思議な感じを受ける西山ダムの風景。

新旧二つのダムの天端レベルは同じ様です。
それでいて、旧堤体31.82m、新堤体40mと堤高が異なるのは、新堤体は河川の下流にある事と、基礎地盤の掘削の深さに違いがあるのだと思います。



新堤体は、上流側も石積風の型押しが施されていました。
石積風で現代的な放流設備と言うのもなんだかユニークです。



石積のバケットケーブの美しい旧堤体。

クレスト部分の水平に延びる帯状の装飾は、石積ダムでもごく初期のダムに見られる特徴のひとつです。
同じデザインの本河内低部ダムのほか、神戸の布引五本松ダムや立ヶ畑ダムにも見られます。

その後、究極的に装飾を施した呉市の本庄貯水池堰堤などが、このデザインの延長線にあると言えますが、クレストに洪水吐を配置するのが一般的になると、ダムデザインの華の部分はクレストゲートのピア等に取って替えられる事となります。

いずれにしても、日本のダム史上で初めて造られた堤体たちが、既にこの様な洗練されたデザインを採用していたのは驚きに値すると思います。
表面の色味こそ長い歴史を感じますが、形自体に全く古さを感じません、現代にも充分通用するデザインです。
推測ですが、欧米など海外のダムなどを参考にしていたのかもしれません。

また、新堤体のクレストゲートの越流部の高さから想像すると、旧堤体ではバケットカーブ上の装飾の辺りがサーチャージになりそうです。
ひょっとして、そういった水位等を示す機能的な役割があったのかもしれません。

(これらの事は、ダム愛好家の空想遊びにすぎませんが、再開発が行われても、オリジナルの状態が保たれているからこそ感じる事が出来た訳で、歴史的景観を残すという価値はとても大きいと思いました)



左岸にあった(と、思われる)洪水吐が掘削され、貯水池はフリーで新堤体に繋がっていて、水位も同じとなっています。

天端の左岸はこんな感じで自然な造りになっていました。
ここら辺は多分、竣工当時のままだと思われます。



青々と苔むした高欄。

でも、苔の中のコンクリート面や、石畳の路面はとても滑らかで、非常に丁寧な造りをしています。
同じ古いコンクリートダムでも、戦中〜戦後直後の荒々しい表情とは対照的に、穏やかで品のある天端です。



左岸の管理所の下から見る旧西山ダムの天端。
100年の間に木々成長したのか、森の中のダムといった雰囲気。



今回、下流側から新堤体を渡って時計回りに一周しましたが、もちろんその逆方向にも散策して周る事も出来ます。

管理所の近くには休憩用のベンチやダム案内看板、旧堤体のコンクリート見本なども見る事が出来ます。



ほんの3キロ四方の中に、100年を越す貴重なオールドダムがひしめく長崎市。

正面に新堤体を追加し、トンネル式の洪水吐を建設中の本河内低部ダム。
アースダムの直上に、コンクリートダムを建設した本河内高部ダム。
そして、既存のダムの直下に新堤体を建設した西山ダム。

時代の要求で本来の水道用利水ダムから、防災機能を持った多目的ダムに生まれ変わる事になりましたが、いずれのダムも既存のダムを極力残す方法が採用されているのは素晴しい事だと思います。

あと10年、20年すると、日本全国で次々と沢山のダムが100歳の誕生日を迎えます。
長崎市のこれらのダムは、ダム再開発の優れたモデルケースとなっていくのではと思います。



西山ダム
★★★★

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ダム、流し撮り。

先日の休み、この一年の写真の整理なんかを始めたのですが、忘れていた失敗作なんかも出てきました。

クレスト放流って、水の流れを目で追うと、止まって見える時がありませんか?

前々から一度試してみたかった放流の流し撮りです。

構想8ヶ月、撮影時間15分



うーん、なんだか思ってたイメージと違う。

流し方やシャッター速度をいじりながら何度もトライしたのですが・・・。

肉眼では止まって見える放流の飛沫も、絶えず形を変化させながら流れているという、ごく当たり前の事実に、この時ようやく気が付きました(遅っ)



ウデの問題もあるので、上手い人が撮ったら、もっと違った表現が出来るかも。
みなさん、是非挑戦してみてください(笑)

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本河内高部ダム

旧堤体  堤高18.8m
              E/W 1891年 長崎市営

新堤体  堤高28.2m
              G/FNW  長崎県営

2010.10.9見学

日本で2番目に古いコンクリートダム本河内低部ダムのすぐ上流にあるのが、こちらは日本で最も古い水道用ダムと言われる本河内高部ダムです。

鎖国時代から唯一海外との繋がりがあった長崎は、明治なってからも海外貿易が一早く盛んになった港町でしたが、同時に海外から伝染病が持ち込まれる事も多く、当時の長崎はコレラが猛威を揮っていました。
このような背景から、長崎は全国に先駆けて、横浜、函館に続き近代的な水道が造られる事になります。
この時に建設されたのが、本河内高部ダムです。

1982年の長崎水害を受け、緊急ダム事業の一環として、既存のアースダムの直ぐ上流に重力式コンクリートの新堤体を建設する工事が進められています。
この緊急ダム事業とは、新たに2基のダム建設に加え、既存の5基のダムに改造を施し総合的に治水能力を高めるものです。

写真の青々とした堤体がアースダムの旧堤体、そのわずが数十メートル上流に見える真新しいコンクリートの壁が新堤体となっています。



新堤体の右岸端から。

ダム本体の工事は既に完了していて、既に上水道への送水も再開されています。
直下の本河内低部が現在水を抜いて工事中なのでバトンタッチした感じですね。
(両方の貯水池を同時に空にする訳には行かないので)

現在、天端は徒歩でなら通行が出来ます。



新堤体はシンプルな形状ですが、取水設備の位置や外観の形状が面白いと思いました。
今世紀に建設された新鋭のコンクリートダムなのですが、とてもクラシックな外観の取水設備が付いています。

旧堤体の取水設備は、アースダムの裾野辺りから貯水池の真ん中に突き出した取水塔だったので、ひょっとしたら取水設備の位置自体は変わっていないのかもしれません。
(既存の取水塔の位置に合わせて、新堤体の位置が決まった?)

背後の住宅地にも注目、こんな住宅密集地にあるダムも珍しいです。



左岸から見る新堤体。

こうして見ると基礎地盤まで垂直の壁に思えますが、地中には通常の形状の堤体が埋まっています。
旧堤体と新堤体の間を埋める土は、下の本河内低部ダム工事の残土が使われているそうです。

下流面が盛り立ててあるコンクリートダムは小豆島の内海ダムなどがあるそうですが、まだ観ていない事もあり個人的には山梨の頭佐沢ダムに似ているなと思いました。
(頭佐沢ダムは謎だらけの堤体です、何方か詳しく調査してくださいっ!)



丁寧に保存がされている旧堤体の一部。
これは底樋の一部切り取ったもの、明治24年完成の古いダムには、赤レンガが使われています。



同じく、保存されていた何か・・・。
現地では皆目検討も付かなかったのですが、旧取水塔の頂上部なのだそうです。



旧堤体の名残としては、石積の洪水吐の一部がそのまま残されています。



現在の旧堤体と新堤体の間は、まだ工事事務所も建っていて、いささか殺風景な感じなのですが、旧堤体の遺産を上手く使った親水公園として計画されています。
非常に美しい公園になるようですので、完成がとても楽しみです。



新堤体を一通り散策した後、旧堤体を観てみます。
ダムの下は水道関連の施設になっていて、関係者以外は立入出来ません。



明治に造られた水道用アースダム。

シンメトリーのデザインには、建築物としての気品を感じます。
細部もとても丁寧な造りです。



これは古い浄水場の跡地でしょうか?
周囲は赤レンガで囲まれていて、旧堤体の底樋との関連性が見受けられます。



旧堤体の高さ18.8mから、28.8mの新堤体へ少し背の高くなった本河内高部ダム。本河内低部をはじめ、周辺のダム達が洪水調節容量を作る事によって目減りする利水容量をカバーする事になっています。

本河内高部ダム
★★★★

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本河内低部ダム

堤高28.3m
G/W 1904年 長崎市営

2010.10.9見学

街の風景となったダム。


長崎は坂の街。
坂が多い為、自転車に乗る人が少なく、一説には多くの長崎市民は自転車に乗れないらしい。たしかに、自転車はほとんど見ないが、その代わりにやたらと単車ばかり見かける。
それに、路面電車は走るは、バスは多いわ、路上駐車は多いわで、長崎市街はとても走りにくい。
極めつけは練り歩く龍の神輿、実はたまたま長崎くんちと言う祭の最終日に当たっていたのだ。

市街をノロノロ、ウロウロしながら、ようやく目的の本河内低部ダムに到着。
本河内低部ダムは、神戸の布引五本松に次いで日本で2番目に古いコンクリートダム。
現在、1982年の長崎水害を受け、緊急ダム事業の一環として大規模な改造工事の最中である。



込み入った住宅地の奥に、黒ずんだ重厚な石積ダム。

まずは、密集した住宅地や団地に囲まれているロケーションの特殊さに驚く。
もちろん、ダムは周囲のどの建物よりも先に築かれたと思うが、ダムにより衛生的な水道が完備された事で街が発展したとも言えるかもしれない。

立入禁止の門の横は団地の小さな公園があり、なんとか全容を写真に収めようと、遊具の上に立ってみるが、さほど風景は代わり映えしなかった。



工事の看板から。
水道専用のダムとして築堤された本河内低部ダム。
ほんの500〜600m上流には先駆けて築堤された本河内高部ダムがある。

現在行なわれている工事は、水道専用であったダムに、洪水調節機能を加えるものである。
100年以上経過した貴重な土木遺産の改造は、既存の下流面に手を加える事なく行われている。



ダム本体の上流面に新たに堤体を加える工事の他に、既存の越流式の洪水吐に代わって、トンネル式の洪水吐が建設されている。
リニューアルされる本河内低部ダムは、目的に洪水調節と河川維持が追加され、FNWとなる予定である。
洪水調節容量の確保の為、常時満水位はぐっと下げられる事になるようだ。



重厚なクレスト部。
切石の凹凸を使った装飾が見られる。

先ほどの標準断面図によると、下流側の表面は「コンクリートブロック張り」とされている。
マルチプルアーチの豊稔池堰堤も実は下流面はコンクリートブロックであるらしく、当時としては案外一般的な仕様なのかもしれない。
いずれにしても、工事中の為、近寄って確認する事が不可能なのがもどかしい。

天端にヘルメット姿の作業者が見える。
ダムの左岸を長崎街道(国道34)が通過しており、車窓から正面側の工事風景も見られたが、交通量が多く、駐車場所も無かった為写真の撮影は出来なかった。

このダムを訪れるには、一番困難な時期に来てしまったようだ。



100年以上の歴史ある堤体、改修工事により、さらに次の世代へバトンが渡される。

風土工学によれば、人の手による土木建築物も100年を経過する事で、景観から風景となるのだと言う。

ダムの顔である下流面に一切手を加える事なく行われている改良工事は、まさにこのダムが長崎の風景の一つとして根づいた事を示すものだろう。

本河内低部ダム
★★★★

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小ヶ倉ダム

堤高41.2m
G/W 1926年 長崎市営

2010.10.9見学


鹿尾ダムを後に、上流の小ヶ倉ダムへ向かう。
この二つのダムを結ぶ河川は、大きく180度カーブしている為、地図上では二つのダムは並列した並びになっていて、上下流の関係にある様に思えない。

小ヶ倉ダム下流左岸からアプローチ、坂道を登って、天端左岸に到着。
大正末期に建設されたダムなので、天端に自動車を通す事などは考えられていない。
天端に向かう入口は堅く閉ざされていた。

湖周の道路も一車線の狭路で、周囲は緑豊かな山林となっている。
Uターンする場所も少なく、そのまま貯水池左岸を進む。実はこの先に1基ダムがあるはずなのだ。



小ヶ倉ダム本体から500mほど左岸を進むと、うっそうとした木々の中にコンクリートの塊が見えた。

小ヶ倉ダム越流堤である。

1982年の長崎大水害では、小ヶ倉ダム下流の180度カーブの場所が氾濫を起こし、周辺の住宅地に水害を起こしてしまう。
小ヶ倉ダム越流堤は、鹿尾川総合開発事業として鹿尾ダムと共に建設されたもので、既存の小ヶ倉ダムに洪水調節容量を確保し、洪水調節を行なえるものとする設備である。

下の写真、水面は小ヶ倉ダムの貯水池である。



堤高15.3m、堤頂長73.8m
ダム便覧には未掲載であるが、堤高は15mを超えており立派なダムと言える。

ここから放流された小ヶ倉ダムの水は、洪水吐トンネルを通り、直接鹿尾ダムの左岸に送水される仕組みとなっている。



この小ヶ倉ダム越流堤が、鹿尾ダムと兄弟である事が解る正面側の構造。
オリフィスゲートは、鹿尾ダムと共通のシュート式が採用されている。
良く似た兄弟であるが、別の貯水池にあるので異母兄弟といった所か。

クレスト部分のサーチャージ EL 92.3mは、既存の小ヶ倉ダムと同じレベルにあり、オリフィスゲートの越流部が常時満水位となり、EL 90.6m。
その間の1.7mが新しく設けられた洪水調節容量となる。

大正時代に造られた小ヶ倉ダムはオリフィスゲートを持っていないが、この越流堤によって、オリフィスゲートを得た事になる。



越流堤の脇で車をUターンさせ、小ヶ倉ダム本体の下流まで戻ってきた。

小ヶ倉ダムの真下は小ヶ倉水園と言う公園になっている。
遊歩道の先にダムがあるはずだ。



雰囲気のある遊歩道、左手はダム下流の河川が流れる。



程なく、霧にぼんやりと霞む石積ダムが見えてきた。
小ヶ倉ダムである。



大きなアーチ状の副ダムを持っており、その下流にも石を積んだ歩道が造られている。
副ダムから立ち上がる靄が幻想的な雰囲気を作り出していた。



この副ダムも石積で造られている。
滑りやすい足元に注意して慎重に近づくと、副ダムはすぐ目の前だ。



堂々とした小ヶ倉ダム。
堤高さは40mを超えており、石積ダムでは、上田池、河内、等に並び最も高い部類に入る。

石積の利水ダムは堤体に半円形の取水塔を備えるものが多いが、小ヶ倉にはそれが無く、クレストは非常にすっきりとして、小さな洪水吐と共に、品の良さを醸し出している。



美しく整えられた公園から。
朝の小ヶ倉水園には、犬の散歩の方がみえた。



ぐっと、堤体に近寄ってみる。

布積みで整然と築かれた下流面が美しい。
切石一つ一つも整っていて、ピンと張り詰めたような緊張感が漂う。
赤茶けた副ダムとは対照的に、グレートーンの色合いがクールだ。



石積ダムらしい開口部の狭い洪水吐。
越流面に滑らかに繋がる扶壁が素晴しい。
直線的な装飾で、少し控えめな印象であるが、丁寧で確かな造りである事が伺える。

小ヶ倉ダムは品格に溢れた名堤の一つである事には間違いない。



美しい小ヶ倉ダム。

長崎市には、日本ダム史に名を刻む本河内底部や西山ダムなどがあり、少し印象の薄い小ヶ倉ダムであるが、霧雨の中の石積の表情はしっとりとして、独特の落ち着いた佇まいを魅せていた。



小ヶ倉ダム
★★★★

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鹿尾ダム

堤高34.6m
G/FNW 1987年 長崎県営

2010.10.9見学


長崎県 野母半島南端 権現山展望台。
午前6時。
一時間以上も待たされて、ようやく空が明るくなりはじめた。遅い夜明けは厚い雲の性もあるだろう。
暖かい南風、海原から雨を降らせながら雨雲が近づいて来るのか見える。



三菱端島炭鉱 通称軍艦島

僕がダムにのめり込むきっかけとなった聖地である。
(軍艦島の事を調べていて、偶然、萩原さんの写真集に出会ったのがきっかけ)
遠慮なく岸壁に波が打ちつけられ、白く砕けるのがここからでもよく見える。

軌跡を残し、素知らぬ顔で小型の漁船が出港していく。



昔見たACのコマーシャルは、子供ながらにインパクトがあったので今でも良く覚えている。

展望台から海岸沿いの国道に戻り、再び端島を眺める。

国道でバスを待つ人、通勤の軽自動車、犬の散歩。
そこにはごく普通の朝があり、人々の日常があった。

思えば当たり前なのだが、海を隔て非日常的な軍艦島とのコントラストが新鮮に思った。
今迄何千回と繰り返して来た、ありふれた朝なのだ。



軍艦島の見える野母岬から長崎市内にかけては、高浜ダム、黒浜ダム、落矢ダムなど、幾つものダムが連なっている。
国道からも見える落矢ダムは、堤体の真下に長崎ちゃんぽんの「リンガーハット」があり、なかなか長崎らしいダムだと思ったが、今日は先を急ぐ為、これらのダムの見学はまたの機会とした。

やって来たのは市街地も程近い鹿尾ダム。
カーナビの案内に従い、ダム湖の上流からアプローチする。
(下流からでも向かう事が可能だが、かなり解りづらい)

一見するとクレストに越流式の洪水吐を持った、ごく普通のダムに見える。



だが、近づくにつれ、鹿尾ダムが普通のコンクリートダムでは無い事に気付く。

正面に堤体と離れて一枚の壁が設けられている。
これは、特徴的なシュート式のオリフイスゲートの越流部である。



ダムサイトの案内看板より。
常時満水位EL31.2mに対して、サーチャージ水位が33.5m
その差はわずか2.3mしかなく、この事がこの特徴的なシュート式オリフィスゲートの採用理由だと推測。

基礎地盤まで深く地面を掘り込んで築堤されているのも面白い。
オリフィスゲートの吐口が減勢池の水面辺りにあり、クレスト放流も深い減勢池で充分に減勢が出来るのか、減勢池の底はコンクリートが打たれていないようだ。



とても不思議なゲートであるが、形状的には、宮ヶ瀬ダムや比奈知ダムの天端側水路のオリフィス版とも考えれるかもしれない。



複雑な導流壁がカッコいい下流側。
クレストの越流部も薄く、シャープな表情を見せる。



オリフィスの吐口には大きなデフレクター。
この鹿尾ダムの上流に、1926年竣工の小ヶ倉ダムがある。



鹿尾ダム
★★★

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南向ダム

堤高7.6m
G/P 1929年 中部電力

2010.9.25見学

福沢桃介の遺産。


南向ダムは天竜川にある発電用堰堤です。
ローリングゲートのダムがあると言う事で、米沢発電所取水堰堤を観た帰りに立ち寄りました。今日は、小粋なローダム巡りと言った一日です。

左岸上流からアクセスしてダムの下流に回りこみます。
丁度いい所に橋があり、まずは真正面から拝見です。



長細いローリングゲートが4門。
シンプルな四角いゲートピアは岩のような重厚な造りです。
堤高は7.6mと決して高くはありませんが、オールドダムの風格に溢れています。

電力王こと福沢桃介は、木曽川で大同電力の発電所を次々と手がけた後、天竜川電力を設立して天竜川の電源開発に乗り出しました。
この南向ダムは天竜川の電源開発のごく初期に造られたダムのひとつです。



橋を渡って、ダムの右岸にやって来ました。

右岸の入口、ごく普通の民家の門みたいです。
門は勝手に開けて入ってよいものか判断がつかないので諦めました。

右岸は崖になっていて、門の先はダムまで降りる階段が付いています。
表札が南向ダムではなく吉瀬ダムとなっていました。



門の近くのガードレールに登ってダムを拝見。

対岸の白い建物は中部電力の南向ダム管理所です。
ここの管理所は、職員さんが常駐の立派な管理所となっています。

視線をダム本体に移すと、ピアの上流側に鉄骨トラス組の味のある管理橋が見えます・・・。

!!!



なんだこのゲートピア!

真正面からは単純な四角い形状に見えていたのに、横顔はこんなに色気のある形をしてたなんて。
遊郭風の丸窓といい遊び心のある粋なデザインです。

うーん、魅力的にも程があるぞっ。



右岸の道を少し戻って、ピアが斜めから見えるポイントを探しました。
先端が丸まったシルエットも洒落てますが、なんたって丸窓がいいです。



車をぶっ飛ばして、対岸の左岸に来ました。
南向ダム管理所の脇の道を降りるとダムの左岸です。

こちらの表札もやはり吉瀬ダム。
吉瀬はこの場所の地名です。南向というのは下流の発電所の地名だと思います。
地図なんかだと、ゼンリンの調査員がこの表札を見るのか吉瀬ダムと記載されてたりします。

こちらの門にはゲートが無く、オープンな状況だったので、念の為、管理所のインターフォンで立入の許可を頂きました。
普段から開放しているとの事ですが、不審者と間違われないように一声掛けて見学される事をお勧めします。

(管理所には、ひと通り見学を終えた後、パンフなどが無いか再びお邪魔しました、帰宅される所を呼び止めてしまいましたが、中部電力の職員さんはとても親切に対応して下さいました。どうもありがとうございました。)



天端を歩きます、真っ直ぐに伸びる管理橋。
橋の入口部分、ペケ印の鴨居が可愛いです。いい感じ。



一番左岸寄りのゲートから、水煙を上げ放流中。



ラックとギヤ。
ローリングゲートの構造もよく見えます。

リベット打ちのゲート本体もいい味してます。



ゲートピアのプレート。
一号ゲートではない、「一号ローリング」。



貯水池の表情。
独特のグリーン味を帯びた笹濁りの色。

この色の水を見ると、ああ、天竜川だねぇ〜、と、しみじみ思う。



夕暮れが迫ってきました。

ピア側面の窓の日差しが素敵。



この部分だけ「出航」して行きそうなデザインですね。
なんだかパーマンのバッチにも見えなくないけど。



丸い小窓ですが、ワイヤー巻揚のリールの位置を暗示させているのかも。
パッケージ的デザインと言った感じです。



このダムを手がけた福沢桃介は、南向発電所の建設を最後に現役を退きます。

以前、桃介記念館で聞いた話の中で、「桃介は手がける全ての発電所やダムにそれぞれ違った意匠を施し、同じデザインは二つと無い」と、聞いた事をふと思い出し、この南向ダムの洒落たピアのデザインに合点が合いました。

そう、この南向ダムは正真正銘の桃介チルドレンの一基なのでした。



南向ダム
★★★★

堤高、竣工年などのデータは、「水力ドットコム」Hisaさんに頂きました。
ご提供ありがとうございました。

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