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おめでとう、奥里ダム。

みなさん、連休は如何お過ごしでしょうか?

普段通りお仕事の方、お疲れさまです。
何日もかけて遠征の方、羨ましいです、くれぐれも事故には気をつけて。

と、いう事ですが、僕は早くも本日で連休中に予定していたダム見学は終了です。

残りの休みは、明日から家庭内土木工事 (と、少々仕事) です。



本日の奈良県 奥里ダム。

とにかく水が綺麗な奥里ダム、流れ落ちる水も格別です。

それに、奥里ダムにはビッグニュースがあります。

先日年度が更新された、ダム便覧2010 にて、GA から A に昇格(?)しましたー!

おめでとう、奥里ダム。

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御所池

堤高16m
G/P 1935年 御所土地改良区

2010.2.13見学

16mに感謝。


徳島県 御所池。
ダム巡りの計画を立てる時、ダム名だけで訪問地を検索していたら、てっきりアースダムと勘違いしてスルーしてしまいそうなのが、実は重力式コンクリートダムという、この御所池。
しかも、1935年という竣工は、四国4県で2番目に古いダムなのである。(一番は徳島県 明谷ダム 1931年)

場所は、宮川内ダムの貯水池に流れ込む谷川を少し遡った所にあります。
谷川に沿った細い林道は民家もなくひっそりとしていました。
やがて、流しそうめん屋へ向かう脇道があり、いかにもダムの真正面に出られそうな道ですが、その脇道はスルーします。
次の脇道を侵入すると御所池の左岸に到達です。(ダムサイトまで車で行けます)

オールドダム定番スタイルの石碑。
このタイプの石碑があると、ワクワク感2割り増し。

「御所池」とは、なんとも立派な名前ですが、宮川内ダムにも「宮」という字が使われていましたので、皇族と縁のある場所なのかもしれません。
石碑を頑張って読破したらその疑問は解けたかもしれませんが、とにかく後ろの堤体に只ならぬオーラーを感じていましたので、それ所ではありません。



そして、これが御所池の堤体。

じゃーん。
なんと、石積堤体なのでした!



天端は立入禁止。
鋼管の手摺が雰囲気です。

クレストのゲートは石積ダム定番の自然越流式のほかに、可動ゲートもあるみたいです。
それに、ちゃんと電化されている様子。

こうなると、是非とも下流面を拝みたいもの。
半ば獣道と化した歩道があったので、ざざざざっと、落葉や石ころと一緒に下流へ向かいます。



おおっ!
石積みだーっ。



巻天端からの越流も美しく、堤高16mと小柄ながら風格があります。
越流部には角落しのような板が入る感じになっています。



副ダムは、ダム本体とは違う年代のものですね。
この上は歩いて渡れるので、おかげで両岸から堤体を鑑賞できます。



ちょっと意外だったのはクレストの可動ゲート。
とても小さいながらラジアルゲートなのです。

アームの支点の華奢な感じといい、頼りなさげな巻揚ワイヤーの感じといい、竣工時のままのゲートだと思いますが、そうなると現役のラジアルゲートの中では、結構古い部類になるのかも。

とにかく、石積堤体にラジアルゲートという組み合わせがとても新鮮に感じます。



周囲は森に囲まれ、時おり鳥の声がするほかは、聞えるのは水の音だけ。
そんなひっそりとした山中に、一風変わった石積堤体がありました。

神戸の千刈、淡路の上田池、そして徳島の御所池。
ここは石積ダムのシルクロードの終着点でしょうか。

堤高16mの御所池。
ダムの見学訪問先を、15m以上をダムと定義する河川法を基準としたダム便覧に頼っている為、よくぞ15mを越えていてくれましたと感謝したい。
と、同時に、15mに満たないながらも美しいダムがきっと何処かの森で、ダム愛好家が訪れるのをひっそりと待ってるかもしれない。

そんな事を思いながら、今回の四国遠征を終えました。



御所池
★★★★

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宮川内ダム

堤高36m
G/FNA 1963年 徳島県営

2010.2.13見学

上へ下へ。


夏子ダムを観た後、再び徳島自動車道を西進、隣の土成インターで降りて国道318を北進すると、宮川内ダムに到着する。



特に特徴の無い天端通路。

面白いのがクレストゲートの操作室で、ゲートピアが無く、代わりにダム本体とは完全に独立した操作橋が据付られている。



近寄ってみる。

たき火禁止です!
わざわざ注意するって事は、焚き火する人が居たのかな。

鉄骨製の操作橋の台座が、コンクリートのダム本体と完全に分離しています。



クレストは1門のローラーゲート・・・。
ん?、なんだこのゲート。

上部が越流を前提としている事もすごく特徴的ですが、変わってるのは、どうもそれだけではなさそう。



正面から観たいのですが、立入禁止エリアの都合で、このアングルからの眺めが限界。

う、うわーっ。ゲートが延びてる!。
ゲート銘板によると、「越流型二段式ローラーゲート」と言うらしい。

実際の運用方法は未確認ですが、季節ごとの制限水位に合わせた2段の自然越流式オリフィスと、非常用洪水吐としてのクレストゲートをオールインワンで兼ねているのでしょうか?。

2枚重ねのゲートなので動作範囲がコンパクトに収まり、天端レベルより下で全ての操作が行なえる所も特徴的です。
ローラーゲートに付きものの、そびえ立つピアも必要無し。
ゲートの交換などの工事は、操作橋をクレーンでごっそり撤去できる仕組みですね。



とても変わったゲートを持っていた宮川内ダム。
貯水池の右岸の谷を登った所に次の目的地、御所池があります。



宮川内ダム
★★★

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夏子ダム

堤高43.8m
G/A 1994年 徳島県営

2010.2.13見学

夏子ちゃんのスカート。


徳島自動車道を脇町インターで降りて、国道193で夏子ダムを目指す。
国道からダムへの脇道に入って、現れた建物。

これが夏子ダムの管理棟。
一見すると和風建築だが、実際はそうでもない感じ。

建物の前に矢印看板があるので見てみると・・・。



条件反射で矢印の指す方向を見てしまうけど、もちろん何もありませんでした。
あくまでも、「あっち方向ですよ」の標識なので。



管理棟付近に車を停めさせて頂いて、歩いて天端に向かいます。

途中でクランクしていますが、クレスト部分に特別なものはありません。
ごくありふれた県営ダムの天端です。



でも、この夏子ダムの凄い所はクレスト部分じゃなくて、下流面なのです。

じゃーん。
ちょっと見た事ない形状になっています。



国道に戻り、車で下流から鑑賞できる所に来ました。
いたってシンプルな自然越流の洪水吐。



でも、そこから下流は長いエプロンが伸びています。

薄いさらさら越流が、白いレース模様みたいです。
減勢のブロックも面白い形、スカートの端のフリルに見えなくもない。

白いレースのスカートが良く似合う、夏子ちゃんなのでした。



夏子ダム
★★★

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本日の安全帯
ひ〜っ(汗)


ひ〜っ ひ〜っ(汗)


ひ〜っ、ひ〜っ、ひ〜(汗)
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池田ダム

堤高24m
G/FNAWIP 1974年 水資源機構

2010.2.13見学

かなめ。


水資源機構の池田ダムは、上流の早明浦ダムと連携し、香川用水、吉野川北岸用水などに水を送る、まさに四国の要となる重要なダムである。
その働きぶりは、FNAWIP と、ずらりと並ぶダム目的にも伺える。

堤高はスペックとしては、たかが24mであるが、両岸まで隙間なく並ぶ巨大なローラーゲートはとても迫力があり、格好良い。



天端は車道であり通行可。
貯水池の左岸に見えるのは吉野川北岸用水の取水口。



右岸には発電所があります、今日は何かの工事が行なわれていました。
発電所脇から伸びる魚道。



青くそびえるゲートピア。

もう少し後ろから撮りたかったのですが、工事中とあって立入禁止の範囲があり下がる事が出来ませんでした。

端っこ見事にケラレてますね、すみません。



広角がダメなら望遠で。
うん、いいね〜、池田ダム。



吉野川にそって走る国道脇には展望スペースが設けてあります。
左岸の立派な管理棟は池田総合管理所です。



四国を代表する大河川 吉野川をガッツリ堰き止める姿が実に頼もしい、四国の要、池田ダムでした。

池田ダム
★★★

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満濃池

堤高32m
E/A 1959年(再開発) 満濃池土地改良区

2010.2.13見学

満濃池は、とても古い農業用溜池である。

最初に築堤されたのは700年頃、その後、幾度となく決壊し、満濃池の歴史は決壊と修復、嵩上げの歴史と言えるかもしれない。
何せ、飛鳥時代から平安時代の話なので、当時は充分な洪水吐が備わっていなかった事だろうし、ひょっとして、「洪水吐」というものが発明される以前かもしれない。
(竹林征三著の「ダムのはなし」の中に、洪水吐の歴史について書かれていたと思うが、資料として持ち歩いているうちに、紛失してしまいました・・)

修復の記録の中で有名なのは821年の弘法大使による再築だろう。
満濃池略史によれば、「弓状堤防などの指図と説法をされた」とあり、興味深い。遣唐使として唐から持ち帰った築堤法だとしたら面白いが、詳細は不明。

結局、その後も決壊し、鎌倉時代からの400年以上放置され、湖底に池内村という集落があったという。
移り住んで来た農民にとっては、干上がった湖底は開墾の必要もなく、肥沃な土壌で都合が良かったかもしれないが、後の再築により移転を余儀なくされた事かもしれない。
(ひょっとして日本最初の水没集落か?)

現在の満濃池は1959年の嵩上げ工事によるもの、堤高32mの立派なアースダムで、その広大な湛水面積は139ha、愛知県の入鹿池(140ha)と並び、日本最大の農業用溜池となっている。


満濃池の朝。
穏やかな湖面が眩しい。



広大な湛水面積の割りに、堤頂長は155mと意外なほど短い。
近代に嵩上げを繰り返した満濃池であるが、その昔、最初にこの場所に目を付けた人は凄いと思う。

堤体の貯水池側は石積で補強されてる、勾配もゆるやか。



堤頂部はパーキングとなっていて、朝早くから沢山の車が並んでいた。
堤頂を右岸まで歩くと、山裾に料理屋さんがあり、「ヤーコンうどん」の幟が立っている。
どんなうどんなのか気になる・・。



右岸の洪水吐きは、トンネル式だ。



右岸の丘の上には立派な神社。
この袖野神社は満濃池の守護神が祭られる古い神社であるが、満濃池の嵩上げ、拡張に伴い現在の地に移転されている。



堤体の下流面には車道と、そこから枝分かれした歩道があり、下に降りる事ができる。



洪水吐のトンネル出口。放流路は剥き出しの岩盤。



灌漑用水の出口、満濃池樋門は国の登録有形文化財の指定を受けている。



公園の一番下には小型の取水堰堤がある。
小さな転倒ゲートが2門。堤体の表面は周囲の景観への配慮か、石貼りが施されている。



大阪の狭山池と並び、日本最古級の歴史あるダムは、沢山の方が訪れ、とても和やかな感じを受けました。

日本に農業がある限り、香川にうどんがある限り
これからも満濃池は田畑を潤し続ける事でしょう。

次は何方か、ヤーコンうどんのレポをお願いします(笑)



満濃池
★★★

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五郷ダム

堤高50.5m
G/FN 1964年 香川県営

2010.2.13見学

五郷ダムは、豊稔池のすぐ東隣に位置する県営の多目的ダムである。



シンプルな天端。

クレストゲートはローラーゲートが1門。
水門ぽいゲートピアのデザイン。



ゲート部分で下流側にクランクした天端通路。
渡った先は管理棟となっている。



洪水調節と、不特定用水を目的とするが、訪れた時はたっぷりと水を湛えていた。

鏡のように静かな湖面。



下流を覗くと深く長い減勢工の脇から河川維持放流がされている。
放流管の上に建物があり、発電も行っていそうな雰囲気である。



香川の朝。

忍び寄る影の向こうには養鶏場。
朝日を受け、盛大に鳴く鶏たちの声が聞こえる。



五郷ダム
★★



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豊稔池堰堤

堤高30.4m
MA/FA 1930年 香川県
2010.2.13見学

ダムに願いを。


豊稔池堰堤は、国内で2例しかないマルチプルアーチ形式の貴重なダムである。

竣工は昭和5年、香川県の工事として建設されたが、数名の技術者の指導の元、地元住民の手により完成。

1988年から1994年にかけて、ダム湖側の表面をコンクリートで覆うなどの補強工事が行なわれたが、下流面の外観は竣工当時の姿を残しており、1997年には国の登録有形文化財の指定を受けている。
元々灌漑用のダムだが、補強工事後は洪水調節の目的が追加されている様だ。



ヨーロッパの古城に例えられる美しい5連アーチ。

堤高30.4m、堤頂長128m。想像していたより、実物はかなり大きい。
そう感じるのは、この重厚で風格ある姿に、一目ですっかり魅了されてしまったからだろうか。



アーチを支える扶壁に開いた、四角い穴状の洪水吐。
一番左の吐きは岸の上にある為、左岸は谷積みの石積で覆われている。



その場所は、放流水が流れる部分だが、人が歩ける段差があり、誘われるがままに堤体に近づいてみる。



扶壁に囲まれた石積みの空間。
床の中心の溝は背丈以上に深く、奥には排砂ゲートらしきものがあるが、現役かは不明。



見上げる石積みアーチ。
アーチは垂直ではなく、下流側に大きく覆いかぶさっている。

この豊稔池堰堤は形式名としてはアーチダムの一種であるが、重厚な扶壁と大きく傾斜した遮水壁の組み合わせは、バットレスダムに近い。その点では、国内もう1基のマルチプルアーチ 大倉ダムとは大きく異なる。

1930年という竣工は、三成ダムや上椎葉ダムが完成する20年以上も前の時代であり、重力式アーチダムを含めると青森の大湊ダムが1909年に完成しているものの、この豊稔池堰堤がアーチダムの先駆者である事は歴然としている。

なぜ、この時代に豊稔池はマルチプルアーチダムという異例の形式で造られたのだろうか。

1930年頃は省コンクリートのダムとして、最も盛んにバットレスダムが建造された時期である。

また、それ以前から九州を中心に西日本では多くの「石造アーチ橋」が造られている事にも注目したい。
連続するアーチを石積みで築いた豊稔池堰堤は、有名な長崎の眼鏡橋などの石造多連アーチ橋に非常によく似ている。
豊稔池堰堤の構造は、石造多連アーチ橋をそのまま横倒しにした状態に近いと思うのだ。

ダム築堤の経験の無い地元住民による建設を、確実に、かつ容易に進める為、既に確固たる技の含蓄のあるアーチ橋建設の技術が応用されたと思うのは、僕の突飛すぎる空想だろうか。



オーバーハングするアーチにぴったりと背中を付け、上を見上げる。
丸いアーチと垂直にそびえる扶壁の間に、狭い空が見える。



扶壁のエッジ部分は、コンクリートで整形されたパーツが使われている。
その表面も砂利が貼り込まれ、一見して周辺の切石に溶け込んでいる。

この堤体の完成度の高い美しさは、こういったひとつひとつのディティールの積み重ねによる。



垂直な扶壁の壁を見上げると、表面には無数の鉄筋が突き出す。
建設時の足場などに使われたのだろうか。



香川県の観光スポットとなっている豊稔池。
まだようやく朝の7時を回った時刻だが、既に数組の見学者が訪れていた。



右岸寄りのアーチに配置された放流バルブ、こちらは現役と思われる。
但し、未だ電化されておらず操作は手動である様だ。



バルブからの放流水が直接当る部分は、アンカーが打たれ補強されていた。
歴史ある名堤を守る為、細かな配慮が施されている。



風格ある豊稔池堰堤は、堤体以外にも見所に溢れている。

右岸側の下は広く石張りがされ、石造りの宮殿の様だ。



滑らかな傾斜を持つこの一角は、放流水の減勢の部分であるが、それだけが目的では無い様に思える。
低い位置の放流バルブの正面に位置しており、低層の冷たい放流水を温める目的があるのか?。

このエリアの端には中に入る為の階段があり、水が溜まると水深は浅い所で膝下、一番深くても大人の股下辺りであり、子供達が水遊びするには丁度良い水深になるだろう。
地元住民が中心となって造られた豊稔池である。貯水池により川の遊泳場が水没してしまう事が、もしあったとすれば、子供達の為にそんな使われ方もあったのでは?。

根拠の無い空想に過ぎないが、そう思わせるに充分な凝った造りとなっている事は確かである。



堰堤の下流は芝生が敷かれ公園となっている。
季節が冬とあって芝は枯れてしまっているが、ゆるぬきがされる初夏には、青々とした芝生と青空、それに美しい石積ダムの放流が観られる事だろう。



公園の左岸脇には旧設備の展示。
実はその裏手に歩道があり登って行くと・・・。



堰堤建設時の火薬庫跡が残されている。
山の斜面の歩道はまだまだ先があり、登ってみる事にした。



サクサクと枯葉を踏みながら登った先には、小さいながらも立派な祠とダム碑があった。



立派なダム碑。
向かって左は稲穂のレリーフ、右はうどんの国らしく小麦だろうか。

僕がこの豊稔池で最も素晴しいと思うのは、石積みの美しさでも、貴重な形式でもなく、「豊稔池」という堰堤名である。
通常、ダムの名前は、その土地の地名に由来するのが慣例であるが、近くの「満濃池」の影響もあったのか、この堰堤は地名に由来しない名前が命名されている。

「豊かな稔りの池」と書いて豊稔池。その事を想うと目頭が熱くなる思いがする。



振り返ると豊年池の貯水池。この時期は水位は低い。
決してアーチ形式のダムに適した岸に見えないが、湖畔には、くっきりと地層が刻まれた荒々しい岩盤が露出する部分もある。



駐車場は、ダム真下の他に、左岸のダムサイトにも用意されている。
傾斜の強いアーチ面。

各扶壁上の丸い出っ張りはサイフォン式洪水吐によるもの。
アーチ上部の天端から湖水が越流する前に、サイフォンを通って自動的に放流するカラクリとなっている。

その非常に凝った洪水吐は、天端の保護が目的だが、灌漑用水として、より適温の水を放流するといった狙いもあったのではないだろうか?。

左岸の一番手前の洪水吐のみ手動のゲートとなっている。




石の宮殿を思わせる美しい姿。

日本にアーチ式ダムが登場する遥か前に築かれた石積み多連アーチは、空中都市マチュピチュや、ナスカの地上絵に通じるミステリアスなロマンに溢れている。



豊稔池堰堤。
★★★★★


2010.10.26 追記
豊稔池堰堤の石積は、貯水池側は石材だが、下流面側はコンクリート製のブロックなのだそうです。
現地では気が付きませんでした。

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新宮ダム

堤高42m
G/FAIP 1975年 水資源機構

2010.2.12見学

柳瀬ダムを出発した頃には、ついに日没を迎えてしまいました。

夜の知らない山道は走りたい道ではないのですが、出発した柳瀬ダムは陸の孤島といった場所にあるため、とにかく下流に下って、新宮ダムを目指します。
周辺には、集落も民家も街灯すらなく、ヘッドライトが照らす峠のアスファルトの他は漆黒の闇が広がるばかり。
やがてずっと下の方に一軒だけやたらと明るく灯りが灯っている建物が見えて来ました。
方角から推測すると新宮ダムの管理棟に間違いありません。
峠道よりずっと下にあるので、なんだが夜間飛行からの眺めの様です。

新宮ダムに到着したのは午後7時を過ぎていました。
天端の照明で、シルエットが闇夜に浮かんで見えます。

高い所怖い、おばけ怖い、犬も苦手。
怖いものだらけの僕ですが、勇気を振り絞って初めての夜ダムの撮影です。

でもやっぱり怖いので、車のドアー開けっ放し、ステレオ鳴りっ放し。(汗)



ダム下からの撮影の後、大きく山道を迂回して、ダムサイトまで登って来ました。
左岸から三脚を立て、バルブ撮影。
堤高42mと、決して高いダムではないのですが、巨大なピアはスペック以上の力強さがあります。



続いて、ISO感度を上げて手持ちで夜ダムを撮り歩き。
赤い大きな巻揚機。



高い&暗い。
ダムの直下を見下ろしたり、写真を撮ったりする勇気おまへん。(涙)



さっき、峠道から見下ろしていた管理棟の灯り。
毎日遅くまでご苦労さまです。

きっと監視カメラで見られていますから、ご心配をおかけする前に帰る事にしました。



新宮ダム。
★★★

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