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野呂川ダム
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2013.06.25 Tuesday 12:14
堤高44.8m
G/FN 1975年 広島県営
2012.11.23見学
今回の中国ダム遠征、ちょっと寄り道して以前からずっと気になっていた遺構を訪れる事にしました。
(元々このブログ、「SIDE WAY」→寄り道・道草、って意味なのです)
やって来たのは呉市東部にある安浦と言う漁港。
目的のその遺構は直ぐに見つかりました。
「鉄筋コンクリート船」
太平洋戦争末期、深刻な鉄不足と造船技術者不足から、海軍で4隻の鉄筋コンクリート製の貨物船が作られました。
鉄筋コンクリートなら、鉄の使用は最小限で設計から造船まで「土木技術者」で出来ると考え出されたのだそうです。
4隻の貨物船のうち2隻は戦時中に沈没や座礁により早々に役目を終えましたが、2隻が戦火を潜り抜け終戦を迎えています。
安浦漁港にはその生き残った2隻、第一武智丸と第二武智丸が、「防波堤」として現存しています。
終戦直後、中国地方を襲った枕崎台風によって安浦漁港も甚大な被害を受けます。
漁業組合は防波堤の建設を県に要請するも、地盤が悪く防波堤の建設は困難とされました。
そこで、終戦により廃船となった2隻の鉄筋コンクリート船に白羽の矢が立ちました。
前代未聞の鉄筋コンクリート船、一説には完成後も乗組員の確保に苦労したとか。
しかし、出来あがった船は頑丈で、3回魚雷に触れ、機銃掃射を受けるも洋上で修理を施し輸送任務を遂行したという武勇伝も持っています。
また、主に瀬戸内海を航路としていましたが外洋にも出た事もあるそうです。
現在の2隻は船尾を突き合わせる形で港入口に安置され、その上を歩く事も出来ます。
第二武智丸の後部船室部分です。
現在は甲板がなく鉄筋コンクリートの枠だけの姿になっています。
その船室の内部です。
戦後60年以上も防波堤として、時として荒波を受けて来たとは思えないほど、まだまだしっかりとしています。
船室内の船尾部分です。
所々コンクリートが剝れ鉄筋が露出していますが、装備品を外す時に壊されたりもしたのかもしれません。
第二武智丸の甲板デッキです。
総鉄筋コンクリート製であった事がよく解ります。
鋼管の手摺は防波堤として安置後に取り付けられたものです。
船首部分。
鋼船ではなくコンクリートで出来ているという事が、表情としてもよく解る部分です。
細部をクローズアップすると、しみじみとコンクリートで出来ていると実感します。
建造には、学徒動員もされたそうで、型枠の中に流したコンクリートを突き固める作業などに動員されたのだとか。
現在、安浦漁港ではこの二隻の鉄筋コンクリート船を維持、保存して行く形で、大切に扱われています。
「水の守り神 武智丸」
静かな港の水面の向こう、船体に掲げられた文字に、
地元漁港関係者の愛着と感謝の念が伺えます。
漁港の守護神 2隻の武智丸。
★★★★
おっとっと。
思わす流れでレポを締めてしまう所でした。
寄り道から本線に戻って、ここから本題のダム訪問記です。
野呂川ダムは安浦漁港からほんの3、4キロ山間に入った所にあります。
濃い赤色をしたローラーゲートが見えてきました。
野呂川ダムのダム目的はFN、主に治水を目的とした県営ダムです。
堤高44.8m
飾り気はありませんが、整った綺麗な形です。
管理所が対岸にあり、天端も開放されています。
貯水池の奥に岩盤が露呈した山肌が見えます。
原石山でしょうか?。
しゃぱーーーー。
純白のレースのカーテンが晩秋の柔らかな陽光を受けキラキラ。
特にスカートの一番下、減勢工に注ぐ部分の波紋が綺麗で、時間を忘れ見とれてしまいます。
黒いコンクリートの上を、泡を噛んだ転波が常にその形を変化させ、山水画のような模様を絶え間なく魅せてくれます。
今日はいつものように早朝から活動開始していますが、江田島に行ったり、安浦漁港で3時間近く過ごした為、すでに日差しが傾き初めていました。
早々に次のダムが本日の最終目的地になりそうです。
野呂川ダム
★★ -
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Comment
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2013/06/25 8:22 PM posted by: マックおばんです〜。
コンクリート製の船が有るとは!
船の月刊誌なども読んでいますが、
知りませんでした・・・。
野呂川ダムは新潟の県営ダムの雰囲気を
感じます〜。
ダムの放流は良いですね〜♪ -
2013/06/26 12:49 PM posted by: あつだむ宣言!マックさん、まいどです〜。
コンクリート船、4隻の輸送船の他に、何隻か石油とかを運ぶフロートも造られたらしいです。
そのうちの1つは同じように防波堤になってるそうです。
戦後何十年も経ってるのに、想像していたよりしっかりしていてとても驚きました。 -
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