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太高山ダム

堤高16.4m
G/A 1927年 呉市豊町営

2011.11.6見学

みかん畑のロコ・ダム。


遠征最終日は、九州からの帰り道、以前から訪問したいと思っていた、広島の物件に向かいます。
それは、呉市の沖、瀬戸内海に浮かぶ安芸灘諸島にあるとされる太高山ダムです。
太高山ダムは日本ダム協会のダム便覧でも写真が無く、正体不明のコンクリートダムです。

竣工は1927年。
この時代は、数年前の1924年に志津川ダム(天ヶ瀬ダムのダム湖に永久保存)と、大井ダムが完成、コンクリートダムは、それまでの石積・石張から、型枠整形へと大きな変化を迎えた過渡期と言えます。

石積ダム全国制覇を密かに目論む(?)僕としては、どうしても確認しなければならない事がありました。
それは、太高山ダムは、もしかしたら石積ダムなのではないか?という疑問です
石積ダムの全国制覇は、同時に詳細不明の過渡期のダムを訪れ、石積なのか?整形なのか?を見定めて行く旅でもあるのです。

太高山ダムは堤高16.4mと小柄で、町営の農業用ダムである事から、石積である可能性は高いと考えていました。

山陽道のSAで車中泊をして、早朝からミッション開始。
薄暗い早朝の広島市内、街はまだ眠っています。

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路面電車のお客さんもまだ少なく、少し眠たげな街は静かな朝を迎えていました。

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広島呉道路を使って、呉市街に到着する頃には、すっかり明るくなっていました。

瀬戸内海に散らばる小島にある太高山ダム、そこへ行くには呉から幾つもの島々を連絡橋で渡って行く事になります。

まず最初に渡るのが、安芸灘大橋。
呉市街と瀬戸内海に浮かぶ下浦刈島を結ぶ立派な吊橋で、有料道路となっています。

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安芸灘大橋で下浦刈島に渡った後、次は浦刈大橋を通って、島の東隣にある上浦刈島に渡ります。
ここからの橋は無料で通行できます。

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その下浦刈島を西から東に半周すると、また次の連絡橋が見えて来ました。
さらに次の東隣の豊島に渡る、豊島大橋です。

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橋の上からは瀬戸内海の島々がよく見えます。

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島の道路は海岸線沿いの一本道なので道に迷う事はありません。

連絡橋で島に渡って、海岸線沿いに時計回りに進むと、島の反対側の次の連絡橋に至るという具合です。反時計回りに進んだとしても、自然と島の反対側に行き当るので道に迷わないのです。

島の入り江には映画に出てきそうな趣のある漁村が見えました。
海なし県育ちなので、どの景色も珍しく感動的です。

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豊島の東端、この辺りが豊島の中心部部でしょうか。
眼下に次に渡る連絡橋が見えます、豊島の東に隣接する大崎下島を結ぶ豊浜大橋です。この橋を渡った大崎下島こそ、いよいよ太高山ダムがあるとされる島です。

ちなみに、この豊浜大橋は立派な橋ですが広域農道である為か、カーナビによっては道として登録されていません。僕のカーナビも橋が載っておらず、自宅から太高山ダムまでルート検索しても「ルートがありません」と表示されてしまいます。
太高山ダムに興味を持ってから何年も経ちますが、ずっと船でしか行けないダムだと勘違いしていました。

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大崎下島に上陸し、海岸に沿って時計回りで島の東に来ました。
連絡橋はまだこの先の島々とも繋がっていて、隣に見える島からは愛媛県になります。

海の向こうにぼんやりと大きな吊橋が霞んで見えます、愛媛と尾道を結ぶしまなみ海道です。
先月、四国からの岐路にしまなみ海道を渡った時は、向こうから此方を眺めて、
「ああ、あの島の何処かに太高山ダムがあるんだ・・・」なんて事を思っていました。

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大崎下島の東端にある豊町御手洗に来ました。
目指す太高山ダムは、ここから海岸に沿って1kmほど進んだ場所にあるとされています。

崖の上のポニョの港町にそっくりな御手洗の小さな町。
ここは、江戸時代には瀬戸内海の航路上にあり、「潮待ち、風待ち」の要所として、離島でありながら大変栄えた港だったそうです。

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海岸線から少し町に入ると、潮待ちの商人たちが泊まったであろう、船宿の街並みが保存され、情緒に溢れています。

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漁師町らしいこんな細い路地も現役です。
今日のダム巡りは太高山ダム1基に狙いを絞っている事もあって、珍しく旅情モードです・・・。

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瀬戸内なので特産はやっぱりみかんです。
家々の軒先に無人販売されています。一袋100円也、安い!。

たま〜に、家族に土産を買って帰るのですが、菓子類よりも果物の方が断然好評です。今回もみかんを買って帰る事にしました。安いので実家にも買って帰ろう。

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さてさて、すっかりダムブログである事を忘れていました。
情緒あふれる御手洗の古い町並みから海岸にそって車を進めます。

太高山ダムは、なんとなくの位置は解っていましたが、ダムまでの道などは全くの不明で、この時点ても、本当にダムが見れるのか?そもそもダム現存なのかさえ解っていませんでした。

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海岸伝いに走ると、街並みが途切れ、なんといきなり「太高山バス停」を発見!
御手洗を過ぎた最初のバス停が、いきなり「太高山」でした。

行ける、これはイケるぞっ!

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そして、バス停留所の近くを散策すると、こんな見慣れない物がありました。

なんでしょうか?近くで見てみます・・・。

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おおーっ!
スゴイ!すごすぎる!

なんとそれは、太高山ダムの貯水を使った「ダム水・供給スタンド」なのでした。

灌漑用ダムとされる太高山ダム、周辺は一面のみかん畑です。
きっと、地元のみかん農家の方が軽トラで横付けして、荷台に積んだタンクに給水して行くのだと思います。

それに、これで太高山ダムが確実に現存すると言う事も判明しました!。

後は、この「ダム水スタンド」の周囲の山を調査すれば見つかるはずです。
直ぐ海岸沿いにあるダム水スタンドから、山に向かって細い路地があったので、デミオ号で入って行きます、軽トラでもぎりぎりくらいの、細い農道です。

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急な坂道をぐいんぐいん登って行くと、フロントガラスいっぱいに、唐突に何か黒々とした壁が立ちふさがりました。
その壁は盛大に茂った巨木にカモフラージュされ、木漏れ日の向こうに空だけが見えていました。

こ、これはもしや!!。

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そう、これが太高山ダムです。
農道はダム下でカーブしていて、まさにダム直下に到着していたのです。

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ダムのすぐ直下だと言うのに、まるでその姿が見えません。
左岸から巨木が真横に伸びて、完全に下流面を隠しているのです。
全体に苔生した巨木は、老木ながら生命感にあふれ、近寄りがたい不気味ささえあります。

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下草を掻き分け、巨木の枝の下を潜り、堤体に近寄ってみました。

苔生した平坦な下流面・・・、整形コンクリートです。

1927年竣工の太高山ダムの正体は、石積ダムではなく、型枠整形による重力式コンクリートダムと結論が出ました。
残念ながら石積ダムではありませんでしたが、ダムの真下に立ってみて、もう、そんな事はどうでも良くなっていました。
それに、逆を言えば、型枠整形のごく初期の大変貴重なダムである、と言う事でもあるのです。

湿った黒いコンクリート。
下からは、つる性の植物が這い上がり、上の方は深い苔を生していました。

空の光で逆光になったクレストのシルエットにはクレストゲートの類は確認できません。非越流式の非常にシンプルな堤体である事が伺えます。

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逆V字をした堤体の、左岸のダム本体と岩盤の間を水が流れ落ちていました。

最初はこの水がどこからの水なのか見当も付きませんでしたが、以前に山口で観た羽根越堰堤に近い物を感じていました。
羽根越堰堤は、この太高山ダムとほぼ同時期に竣工したオールドダムです。

夜雀さんが、羽根越堰堤の特殊な洪水吐について詳しくレポートされています。
http://yosuzumex.daa.jp/flame.htm

茂った木々が視界を阻み、太高山ダムの洪水吐に関しては実態を探る事は出来ませんでしたが、両ダムは、型枠整形の創世期の貴重なダムであり、近い構造を持っている可能性を感じます。

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それにしても木々の勢いが凄い。
85年もの歳月は、ダムサイトの風景を一変してしまう様です。

一昨日見学した別府の乙原ダムがフラッシュバックしていました。

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堤体表面のクローズアップです。
整形の型枠に使われた木板の筋が見えました。

古い石積ダムの中には、後に何らかの理由で石張の表面をコンクリートで覆ってしまったダムもある様です。そういったダムは一見すると型枠整形に見えるのですが、表面がのっぺりとして違和感があります。

木板の跡が刻まれた、この太高山ダムの表面は、まぎれもなく竣工当時の状態であると思います。

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真下からは全くクレストが見えないので、農道を少し登って、堤体から距離をおいてみました。木々の隙間から、ようやくクレストの一部分が見えました。

コンクリート整形の、シンプルながらとても品の良い高欄が見えました。
農道はそのまま山の上の方へ向かって続いていたので、歩いてみる事にしました。

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海岸のすぐ近くなのですが、結構登って来ています。
海の向こうに見える陸地は、四国の山なみです。

山の斜面はすべてみかん畑です。
島に来て観て、水田はおろか、みかん以外の作物は全く見ていません。
ここは、漁業とみかん栽培の島なのです。

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山の斜面の農道を登って来ました。
森の中に水面と、ダムのクレスト部分が見えて来ました。

クラシックな半円形の取水設備。
取水塔のような建屋は元々無かった様です。

脇に付いているパイプは後から付けた物でしょう。
これは、ひょっとして最初に見た「ダム水スタンド」の給水パイプかもしれません、高低差を使ってサイフォンの原理で水を落しているのかも。

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堤体の右岸まで来ましたが、天端に降りる道は見付ける事が出来ませんでした。

ダムからの給水設備は例のスタンドだけでは無いと思うのですが、詳細は解りませんでした。

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ダムの背後は切り立った山脈が連なっていて、山の頂上付近までずっとみかん畑が続いています。

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周囲にみかん以外の作物が無いとなると、灌漑用のダムと言う太高山ダムは、やはりみかん栽培の為のダムと思って良いと思います。(竣工当初は、他の作物もあったのかも)

しかし、給水先であるみかん畑はダムの標高より高い場所にも沢山広がっていて、その場合、水は農家の人が各々のトラックで運ぶしかないのかもしれません。

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みかん畑の中には、点々と、こんな感じの作業小屋があります。
そして、そんな作業小屋の脇には必ず、丸い大きなタンクが備え付けてありました。

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このタンクも、その一つです。
タンクの下にコックが付いています、タンクの上部からビニールホースが出ていて、何処かに繋がっています・・・・。

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ホースの先を観ると、作業小屋の雨樋に直結していました。

乾燥に強いみかんですが、全く水が要らないと言う訳ではありません。
みかん農家の方々は、こうやって各作業小屋を利用して雨水を貯水している事が解りました。

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みかん畑の斜面から見下ろすオールドダム。

そうです、太高山ダムは、みかん農家の方々にとって頼もしい、大きな、大きな、雨水タンクなのです。

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瀬戸内海、みかん畑、オールドダム、そしてまたみかん畑。
全国にはいろいろなダムがありますが、こんなロケーションのダムは初めてです。

辺りを歩いて散策して、小さく古いダムを眺めているうちに、僕はすっかり、この太高山ダムが好きになっていました。

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いや、太高山ダムを好きになったのではなくて、この島そのものが好きになっていたのです。

よし!決めた!!。

家のローン完済して、子供が成人して、自分も定年になったら、老後はこの島に移住するぞ!!!。

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帰り際、何度も振り返っては眺めた島の風景。
瀬戸内の乾いた風は、どこか懐かしい甘い匂いがしました。

みかん畑のロコ・ダム。
太高山ダム
★★★★★


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