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乙原ダム

堤高17.2m
G/W 1916年 別府市水道局

2011.11.4見学

別府の楽天地。


古いコンクリートダムが好きで、いろいろと見て周ったり、ネットで調べてみたりするのですが、情報が少なく今一つどの様なダムであるか謎が多い物件がありました。それが今回訪問する、大分県別府市にある乙原ダムです。

夜明ダムを観た後、大分自動車道をぶっとばして別府にやってきました。
温泉観光地として、全国的にも有名な湯のまち別府、街のあちこちから湯煙が上がっています。

海沿いの僅かな平地と、急斜面に広がる街並みは、オールドコンクリートダムの聖地、長崎や神戸と良く似ています。
貿易港がオールドダムの聖地であるのは、当時、外国から侵入するコレラなどの病原菌の蔓延を防ぐ為に衛生的な近代水道が求められた事があります。

それらと同じく、水道専用ダムとして建設された乙原ダムは1913年着工、1916年に竣工した日本で8番目に古いコンクリートダムです。
横浜から始まった日本の近代水道は、乙原ダムが出来る頃には全国に幾つもの事例あり、乙原ダムを水源とする別府の近代水道は特別に古い水道ではありませんが、他とは違う特色があります。

それは、別府の近代水道は、日本初の「観光水道」として整備された事です。
温泉街として別府の発展を目的に造られたダム、それが乙原ダムなのです。



ダム便覧にも写真が無く、詳細不明の乙原ダムですが、場所はなんとなく判っていました。
温泉街を見下ろす町はずれの山頂に「ラクテンチ」と言う味わい深い遊園地があります。

乙原ダムはラクテンチのすぐ南の谷にあるはずです。



昭和の臭いがする観覧車、手前には段々畑が残されています。

地図で見ると、乙原ダムはラクテンチの敷地から200m程しか離れておらず、遊園地南の真下にある様ですが、木々に囲まれ外部からはダムがあるようには見えません。



ダムを目指して山沿いの道を進むと、道路脇にオーラを放つ建物がありました。

朝見浄水場量水室です。
華美な装飾に飾られた外観は、小振りながら歴史を感じさせるもので、登録有形文化財の指定を受けています。



量水室の脇を通り、住宅地の坂道をくんぐん登っていくと、本日お世話になる別府市水道局朝見浄水場に到着です。

乙原ダムは水道施設として現役のダムであり、関係者以外は立入る事は許されません。今回は事前に問合せをして、見学申請書を提出、許可を頂き、公式に見学させて頂ける事となりました。

朝見浄水場では、普段から小学校の社会科見学を受け入れていますが、見学範囲は浄水施設までで、水源地の乙原ダムは学術調査を除き、外部の人を入れた事は無いとの事で、だだ単純に「ダムが好きなので、見学させて下さい!」と、いうのは前代未聞だったみたいです・・・。



朝見浄水場ではまず3階の事務所内の応接に通されました。

対応して下さいました職員さんが、まず最初に、
「ダムがお好きな方って、堰堤の下流面がどうなっているかとか、知りたいのですよね?」と、話を始められました。

それは、日本大学理工学部 伊東孝教授と、ダム好きにはおなじみ、写真家の西山先生のダム風土記の記事の事でした。
ネット上で唯一見る事が出来る、乙原ダムの記事でもあります。
http://www.nikkenren.com/archives/doboku/ce/kikanshi0101/fudoki.htm
この記事の中で、乙原ダムは下流に木々が茂り、下流面が見えないとあるのです。

その上で、職員さんは、古い資料の中から下流面が写っている写真を事前にコピーして用意して下さっていました!感激です!。

「おおお〜!!!」
静まり返った管理所のオフィスに、異様にハイテンションなダムマニアの歓声が響き渡ります(笑)

ダム風土記では見えなかった、美しい曲面重力式の下流面。
直下の構造物も石積や煉瓦で造られ、植栽も見え、公園の様に整備されていた様子が覗えます。
右岸端からの水流を辿ると、堰堤下の水路にはカスケードも見られ、美しい庭のようなダムであった事が解りました。


さらに、工事中の貴重な資料も拝見しました。
明治39年に当時の町長らによって起案され、大正5年に完成したとても古いダムです。(水道は翌大正6年に通水)
閲覧させて頂いた貴重な資料も、当時の実物なので、慎重に慎重にページをめくります。

これは建設中の乙原ダムを下流から撮影した写真です。
「別府町水道 貯水池堰堤施工中之図」とあります。
工事の節目に記念として撮られたものでしょうか?足場の上には紋付羽織袴で正装した人の姿が見えます。



これも同じ頃に撮られた、上流側の様子です。
遠景には別府湾がうっすらと見えます。



しばらくお話を伺ったり、資料を拝見させて頂いた後、職員さんの運転する軽バンで、いよいよ乙原ダムに出発です!。

浄水場の敷地内を軽バンで通過します。助手席の窓からは、数々の古い建物が見えました。
こちらは集合井室、浄水場の下で観た量水室と同じく登録有形文化財です。

そのほか、配水池の施設など、朝見浄水場の敷地内には幾つもの登録有形文化財が散見され、まさにタイムカプセル状態なのですが、それらを全て見学していては、とても時間が足りません・・・。



浄水場の敷地から出て、段々畑の狭路を通り抜けると、すっかり辺りは山の中です。湿った森の匂いがしました。

立入禁止のチェーン施錠ゲート。
この先も道路に轍がありますが、道はダムで行止り、車が回転できる場所が無いので、ここからは少しだけ歩きになります。



数十メートルも歩くと、うっそうとした林の奥に管理橋が見えました。

乙原ダムです!。

管理橋手前の施錠ゲートを開けて戴き、天端に向かいます。
(施錠を開けて戴く時のワクワク感は公式見学の醍醐味??)



ゲートをくぐり、右手を観ると、ダム風土記で西山先生が撮影された天端がそこにありました。

小振りで可愛い取水塔が見えます、トンガリ屋根の横顔は、ちょっとツンとすました表情に見えました。



天端に足を踏み入れます。
赤レンガを使った可愛い高欄、壁の部分はコンクリートブロックでしょうか。

周囲は360°木々に囲まれ、すぐ隣に遊園地があるとは思えない閑静な環境です。
ここだけ、すっぽりと大正時代にタイムスリップしたかの様です。



天端から、小さな貯水池に視線を移すと、ちょっと予想外の構造物に目が止まりました。
貯水池の右岸にそって、コンクリートの壁が立っています。

コンクリートの壁は決して貯水池の護岸でも、洪水吐の越流部でもありません。
貯水池の内側に、壁が上流まで縦断しているのです。



そのコンクリートの壁は天端の右岸近くから、真上を渡って歩く事が出来ます。
全面びっしりと青々とした苔の絨毯に覆われた頂上部を歩きます。

手摺のある右側はダムの貯水池。
左手は護岸された谷川です(乙原川???)

こんな構造物は、今迄どのダムでも見た事がありません。



貯水池最上流部には、水神様が祀られていました。
この川を数百メートル上流まで行くと、落差60mの隠れた名瀑「乙原滝」があります。(乙原滝へ行くには別の道があります)



その辺りから足元を見ると、またしても他のダムでは見た事のない物がありました。
壁を隔てたすぐ横の谷川から、ダムの貯水池にバルブで人為的に水が流入しています。



バルブの所から振り返った様子。
左に貯水池です、苔に覆われた壁を挟んで、右側の護岸された川はやはり乙原川でした。

驚くなかれ、なんと乙原ダムは、貯水池内に「仕切り」があり、貯水池の中に川が縦断している、なんとも珍しい構造を隠し持っていました!。

乙原ダムの水の流入はバルブにより自由に調節が出来ます。これは水道水源として、とても優れた仕組みです。
なぜなら、大雨で取水する河川が濁った場合はバルブを閉め、流入を止める事で濁った水や土砂の流入を完全にカットする事が出来るのです。



壁の上を戻って来ました。
乙原ダムは、堤高17.2m、堤頂長60.6mの小柄で可愛い堤体です。

大正ロマンを感じる取水塔が小さな湖面に揺らいでいます。



遠目には愛くるしい小さなダムですが、堤体に近寄ってみると、あと数年で竣工から一世紀を迎えようとする歴史の重みを感じる事ができます。

四角い石張に伝う植物たちが、古城の雰囲気を漂わせ、小さな堤体は、ちょっとした箱庭の風情があります。



貯水池と乙原川を仕切る壁と、堰堤の接合部分。
貯水池側に見える四角い穴は、いわゆるオリフィスゲートの役目をしています。

大雨が降っても、流入はバルブ径で決まっているので増える事はありません。
乙原ダムは、ダムでありながら「非常用洪水吐が無い」という、とんでもなく珍しい設計のダムなのです!。



同じ部分を下流側から観ます。
管理橋は護岸された乙原川の上に架かっていて、洪水吐のように見える石張は乙原川そのものであり、また、乙原ダムの堤体の一部分です。
滝のように水が落ちているのが、貯水池側の四角い穴からの水です。

貯水池と乙原川を仕切るコンクリートの壁は、昭和59年から60年に実施された改修工事により、見た目は現在の姿になりましたが、構造自体は大正5年の竣工時をキープしています。

乙原川部分の石張は竣工当初からの部分でしょう。
仕切りのコンクリートの壁や、乙原川部分の護岸も、かつてはこの様な間知石の石張りで全面的に仕上げられていた事は、最初に見せて戴いたモノクロの写真で確認できます。



すっかり、初めて見る珍しい構造に気を取られてしまいましたが、ダム風土記でも取り上げられたトンガリ屋根の取水塔こそ、乙原ダムのハイライトと言えます。



淡いブルーのトンガリ屋根。
白いモルタルの柱と赤レンガのコントラスト。
屋根のひさし部分や、入口の造形も大変凝った意匠となっています。

サッシ部分は昭和59年からの改修時に変更を受けていますが、基本的に竣工当時の外観を保っています。



正面の屋根の下には梅のレリーフが彩色されて飾られています。
大分は豊後梅という梅の発祥地で、梅は県花にもなっている大分とはなじみ深い花です。



特別に取水塔内部も見せて頂きました。
昭和の改修で設備が改められ、現在は空家のようになっていました。



100年近い歴史を持つ別府市の上水道は、給水人口の増加に伴い度々拡張を繰り返してきました。
そして、昭和44年、遠く離れた大分川からの取水ルートが開通します。

現在、別府市の75%をカバーする朝見浄水場では、ほとんどの水は大分川から取水しており、乙原ダムの水源は、主に、大雨等により川が濁るなどメインの大分川の取水に制限が生じた場合のバックアップを担っています。



天端から下流側です。
ダム風土記でもあった様に、沢山の木々で覆われていました。
竣工時に植樹された木も今は大木になっているのかもしれません。

たしかにこれでは、真下から堰堤を見上げるのは無理といえます。



大正初期に建設された、日本で8番目に古いコンクリートダム。

そして日本最初の観光水道は、別府を有数の人気温泉街へと成長させた影の立役者でもあり、昭和60年には水道100選にも選ばれています。

赤レンガとトンガリ屋根の可愛い乙原ダムは、市街地を見下ろす森の中、これまでの100年と同じ様に、これからもずっと街を見守り続けて行く事でしょう。



別府の楽天地。

乙原ダム
★★★★★


別府市水道局 朝見浄水場さま。
この度は一人の物好きの為に、いろいろとありがとうございました。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム大分県 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2017/04/10 11:24 AM posted by: フリージャ
はじめまして。祖父が乙原貯水池の管理人をしていまして、昭和36年〜(共働きだった両親から預けられて私も0歳〜)数年ここに住んでいました。ここから3年保育の幼稚園に通いました。住居は取水塔を渡り切って右側下流側にありました。(多分祖父が最後の管理人かと。空き家になった住居は数年後防犯の為取り壊されました。)横の小さな川は当時は山側を歩きました。バルブの所でダム側に渡れたと記憶しています。ゴツゴツ石岩でしたしダム側に柵はなかったんです。取水塔の中は当時も空っぽでした。取水塔前で遊んでいる写真が何枚かあります。台風の時にラクテンチのアシカが流されて来た事があり、渡り切ってすぐ左下に貯水池に降りる階段があり、普段は×な階段をアシカを見に降りたのを覚えています。乙原貯水池は思い出深い大好きな場所です。今も大分市在住なので入り口までは車で行けるのですが、入れないので大変懐かしくお写真拝見しました。
朝見浄水場の所に祖父が家を建て、朝見浄水場でも良く遊びました。ブームでしょうか。2017年春別府市報に乙原貯水池や大分合同新聞に朝見浄水場の取水塔の写真が掲載されました。今、私は貯水池の両側から行けた乙原の滝近くの当時入っていた男風呂と女風呂が壁一枚の仕切りだった岩風呂を現在探し中です。長々とおじゃましました。
2017/04/10 3:10 PM posted by: あつだむ宣言!
フリージャさま。
大変貴重な体験談のコメント頂きありがとうございます。
昨年、竣工100年を迎えていますので、新聞に掲載されたのもそうった意味があったのでしょうか。
貯水池にアシカですか!すぐ上がラクテンチとは言え、すごい体験談ですね。
多少の補修はあれど、ほとんどの部分で当時の姿を残しているのですね、本当に素晴らしい文化材です。
朝見浄水場では、見学を受け付けていると思いますので、一度問合せされても良いかと思います。きっと浄水場の職員さんもフリージャさんのお話に興味津々だと思いますよ。
ありがとうございました。
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