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小屋平ダム

堤高54.5m
G/P 1936年 関西電力

2011.9.11見学

名堤のオーラ。


黒部渓谷鉄道に乗って、黒部川を遡る今日のダム巡り。
関西電力出し平ダムの後は、その上流の小屋平ダムに向かいます。

出し平ダムを過ぎた辺りから渓谷はより深くなり、目前にはあり得ない高さの岩の壁が迫ってきます。
日本にこんな絶景があったのか!壮大なスケールの黒部の自然には驚かされます。



トロッコはガタガタ、ギーギー音を立て、猫又駅の近くまで来ました。
黒部川を挟んだ対岸に立派なコンクリートの建築物が見えて来ました。

戦前の名建築として有名な黒部川第二発電所です。
建築家は山口文象。日本建築史でも重要な位置づけにある近代土木遺産です。



黒部川をまたいで発電所へ向かう赤い橋(目黒橋)。
鉄骨の形状が特徴的なこの橋は、発電所と同じく山口文象の手によるものです。
山口文象は、この黒部川の電源開発に携わる以前は、関東大震災における復興局の橋梁課の技師でもあったので、橋については専門家でもありました。
但し、復興局で手掛けた装飾性豊かな橋と異なり、それまでとは異なる趣を持ったものです。



凛とした佇まいを魅せる黒部川第二発電所。

山口文象は、この発電所を手掛ける直前にドイツに留学し、国際建築様式(一切の装飾を取り払い、機能に素直であり構成の美しさを目指す建築様式)という、当時最先端であったデザイン手法を持ち込みました。

構造を優れたプロポーションで表現した端正な外観。
既に完成から80年近い年月が経っていますが、まるで古臭さを感じません。

この黒部第二発電所で凄いのは、一見して冷たい印象の建築物であるのに、周囲に広がる黒部峡谷の大自然と不思議なバランス感覚で、違和感を全く感じない点です。
これは、決して、自然の環境と調和しているという事では無い様です。

本物の大自然の迫力溢れる黒部渓谷の絶景と、
本物の美しさを持つ建造物とが、真正面からぶつかりあってお互いを高め合いながらバランスを取っている様に見えるのです。
この発電所を眺めながら感じる軽い緊張感は、たぶんそんな事が影響しているのではと感じます。

そして、この発電所へ水を送っているのが次のターゲットである小屋平ダムです。



黒部川第二発電所のすぐ近くにある猫又駅辺りから対岸を観ると、山の中にコンクリートの構造物が見えます。
洪水吐のスロープを思わせる形状なのですが、用途は不明。

山の上には発電所の水圧鉄管などがあるので、自然の沢が浸食して発電所関連の設備に影響が無い様に、コンクリートで改良されているのかも(空想に近い想像)



がががががーぎぎぎぎー。
小さなトロッコの車両は、これまた小さな、すれすれで通過できるだけのトンネルを何本も抜けて行きます。

手を出せば壁に触れるほどの距離。
黒部のトロッコの客車には、他にもちゃんと窓がある客車もあります。

いつもと違い、交通機関を使った今日のダム巡りは遠足気分です。
コンビニで買って来た味付き煮卵の汁が飛び散って、他のお客さんのシートを汚す事件も発生。首に掛けていたK-5もしょう油まみれに・・・。

でも大丈夫、防塵防滴構造だから。(ペンタックスのエンジニアさん、ごめんなさい)



さらにどんどん山の表情が険しくなってきました。

ここまでトロッコは黒部川の右岸を走ってきましたが、釣鐘駅の手前で鉄橋を渡り左岸を走ります。

そろそろ見えて来るはずです・・・。



いくつかトンネルを抜けると、険しい両岸の山間が少しだけ広い場所に出ました。

見えたっ!!



間違いありません、関西電力 小屋平ダムです!。



トロッコはスピードを落とす訳でもなく、ダムの前を走り続けます。
富山出身という室井滋さんの声で、ダム紹介のアナウンスが放送されました。

無骨とも感じる重厚なゲートピア。
冬季は雪に鎖される厳しい場所なので、太く見える管理橋は内部に冬季用の通路があるのではないかと思います。

ゲート型式も他では見た事のない特徴的なものです。
シェル構造のローラーゲートで、斜めに引き上げる方式。



この特徴的なデザインは黒部川第二発電所と同じく、山口文象の手によって設計されました。

走るトロッコからその全容を観る事は出来ませんが、水芭蕉の花のような美しい下流面を持っています。
先日、ダム便覧のダム百選で、「デザインの良いダム」の投票があったので、「美しい有機的なデザイン」として1票投じたのですが、その後の調査で、どうもそれは僕の見当違いであった事が解ってきました。

山口文象はドイツ留学の際、流砂とダムの形態についても修得していて、その結果として設計されたはずの小屋平ダムの形状は、単なる意匠デザインではなく、水の流れを計算した、「機能そのもの」なのではないかと思えてきたのです。

また、山口文象直筆のデザインスケッチを観ると、実物よりもシャープな印象が強く、特にゲートピアと管理橋の部分は航空機の尾翼を思わせるメカニカルなデザインで描かれています。



と、言うような、長い説明は帰宅してから考えた事。
トロッコ上の現地では、とにかく写真を撮るだけで精一杯(汗)

「あ、脇の下に何かあるっ!?」

ピアから連続する導流壁の外側に窓が確認できました。



ダムの真正面は小屋平駅となっています。
ネットで観れる小屋平ダムの写真はこのカットが多いので、てっきり駅で一旦停車するものとばかり思っていました。

が、無情にもそのまま通過。

わー、聞いてないよーっ。

この駅で止まるのは、関電さんの管理用列車と、すれ違い待ちの回送列車だけで、一般の観光列車はノンストップで通過です。



めげずに、煮卵くさいカメラでひたすら写真を撮ります。
(ファインダー越しじゃなくて、肉眼でも観たいよう)

さっきの脇の下の小窓、その下は導流壁伝いに吐のようになっています。
排砂ゲートか何かを隠し持ってるみたいです。
(発電所への取水は左岸なので排砂なのか不明、左岸にも別に違う構造の放流設備を隠している様です)



走るトロッコからは、クレストの周辺しか見る事が出来ませんが、実は堤高は54.5mもあります。

現代の感覚だとコンクリートダムで50mは特別高いダムではありませんが、この小屋平ダムの完成は1936年で、戦前(〜1941年)では8番目に高く、(帝釈川より低く、大井よりも少し高い)、当時としては大規模なダムであったと言えます。



うわーっ、木ーじゃまーっ。

でもまだまだ見えてるっ。



ぐわーっ。もうダメーーーーー。

小屋平ダムとの面会は、20〜30秒くらいで終了。
がくっと椅子に座り、久しぶりの呼吸。(しばらく息をするのを忘れてた)

ばさばさばさっ。と、線路脇の立木が列車の後ろに飛んでいきます。

ああ、僕の小屋平は終わったか・・・・。そんな事を思いかけた次の瞬間!!。



な!なんだこりゃーーーーーーーー!!



前触れなく目の前を通過した謎の建物。

心臓ばくばく。

事前に写真で知っていたダム本体よりもインパクト大。

これは発電所への制水門を覆っている建物との事です(車内アナウンスより)。



急流河川である黒部の水は、相当量の砂が混じる為、ダムサイトに沈砂池が作られ、発電所へ送水する前に砂が排除される仕組みとなっています。

扇型をした制水門の建屋がさらにもう一棟。
こちらは上流側なので沈砂池への入口にあたる門だと思います。沈砂池自体は雪対策かコンクリート舗装に覆われ地上からは見えません。

制水門の建物が何故この様な形であるかは不明ですが、国際建築様式の黒部川第二発電所とは対照的な違うデザインアプローチが試みられた様です。

忘れてしまいそうなので何度も繰り返しますが、これらの建物は全て戦前の建築です(!)。



上流の制水門の向こうにダム本体のピアが見えて来ました。

衛星写真で確認すると、ダム本体左岸に円弧を描く様に取水口があるようです。
特徴的な制水門の建屋は、反復する円弧をモチーフとした空間デザインではないかと思います。

舗装でカバーされた沈砂池が広場の様でもあり、公園にも見える小屋平ダムの敷地内は、ひょっとしてこの地を訪れる登山者達の憩いの場を想定した環境デザインだったのかもしれません。



走るトロッコから観る、小屋平ダムの横顔。

一瞬で通り過ぎてしまいましたが、年月に色付いたコンクリートの表面は平滑で、丁寧な施工を感じました。



あっと言う間だった小屋平ダムとの出会い。

見学と言うよりも、遭遇と言う感じのほんの一瞬でしたが、日本ダム史に燦然と輝く名堤のオーラを確かに感じました。



名堤のオーラ、小屋平ダム。
関電さん、いつか見せて下さい。宜しくお願い致します。

★★★★★


おまけ

黒部トロッコの終着駅である欅平。駅の真下にあるのが黒部川第三発電所です。
この発電所へ水を送っているのが小屋平ダムとよく似た外観を持つ仙人谷ダムで、難工事を極めた建設用トンネルの掘削は小説「高熱隧道」に書かれています。

これら戦前に造られた黒部川の発電所は、富山のアルミ精錬(軍需)の電力の為に開発されました。
高熱隧道の難工事は、まさに内地での戦場であったとも言われています。



欅平を散策して、黒部川第三発電所を別角度から。
上流に小さく見えているのは、新黒部川第三発電所です。



内容盛りだくさんの今回のレポ。
もういっちょ、おまけその2。

小屋平ダムは日本のダムでは珍しく、デザインした建築家が知られているダムです。
山口文象の作品を調べてみると、少ないながらも小屋平ダム以外のダムにも携わっていた事が解りました。

箱根湯本にある東京電力東山発電所と、取水堰である早川取水堰(ローダム)がそれで、竣工は1936年と小屋平ダムの完成と同時期ですが、実際に設計した順番は小屋平ダムの後ではないかと思います。
そして、もう1基、小屋平ダムに携わる以前に関ったダムがある事も解ってきました。

山口文象の作品年表を見ると、日本電力の嘱託技師となった1924年に、「庄川水系のダム」のデザインに関るとあります。
しかし、残念ながら具体的なダム名はどの資料を読んでもなかなか判明しません。
この「庄川水系のダム」に於いて、山口文象は図面を精査し、外観などの意匠を調整する仕事をした事も判ってきました。

着工が1920年代とすると、1930年頃に完成した庄川のダム・・・・。
ここで、もしかしたらという思いが湧いてきました。

ひょっとしたら、それは小牧ダムなのでは?

小牧ダムの完成は1930年、関ったとされる1924年とも時期的に合っています。
それに、小牧ダムが庄川初のダムだったはずなので、おのずと候補は絞られます。

僕が小牧ダムではないかと思った理由は他にあります。
クレストに17門ものゲートが並ぶ小牧ダムですが、左岸の非越流部のゲートが無い部分にも、まるでゲートがあるかの様に扶壁が付けられ、一見すると20門以上のゲートが左岸端まで並んでいるかの様に見えるのです。
構造的な理由がある様にも見えないので、明らかにデザイナーの参画を感じさせる造形なのです。



さらに調べを進めると、「舟戸ダム 1931年」と記されたダムの写真に行き当たりました。クレストに並ぶラジアルゲート、曲線重力式のその姿は間違いなく小牧ダムの写真です。

少し疑問なのは舟戸ダムというダム名です。
舟戸というのは小牧ダムのすぐ下流にある庄川合口ダムのダム湖名(舟戸湖)です
小牧ダムから水を送っている発電所は舟戸湖の上流部にあるので、小牧ダムは竣工当時は発電所の所在地名から舟戸ダムと呼ばれていたのではなかと仮説します。

小屋平ダムのデザインを追って調べていくうちに、まさか、God of  庄川 小牧ダムにたどり着くとは全く思っても見ませんでした。
オールドダムを調べるというのは、シナリオの無い物語を辿るようで、いつも想像を超えた結末に辿り着き付きます。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム富山県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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