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本庄水源地堰堤

堤高25.4m
G/WI 1917年 呉市営

2010.11.6見学

名門の誇り。


二級ダムを後に、県道31号を北上し、次の目的地に向かいます。
車窓から風格あふれる石積ダムが見えました。本庄水源地堰堤です。

周辺に沢山の団地や住宅地があり、交通量が多く車を停めるのも一苦労です。
安全な路肩に停め、歩いてさっきダムが見えた所に戻って来ました。

今まで沢山の石積ダムを観てきましたが、本庄水源地堰堤はどのダムとも違う意匠を施されています。他のダムとは比べ物にならないほど装飾的。



もう少し近くから見えないものかと、県道脇の敷地の入口に来ました。
入口から先は一般車両は入る事が出来ません。

水道水源である本庄水源地は、関係者以外立入禁止の施設であり、ネット上でも堰堤のディティールが解るような写真はほとんど無く、とても謎に充ちた施設です。



歩いて施設の正門まで来ました。
数年前までは、この奥に浄水場がありましたが、現在は廃止されてありません。

訪れたのは土曜の昼下がり、門は開いていますが・・・。



とても警備が厳しいようで、うかつには近寄れません。
水源の警備は市民の衛生と安全の為にとても重要な事です。
ダムファンとしてはとても頼もしく思います。

この場所からは、どう背伸びをしてもダム本体はおろか、貯水池だって見る事が出来ません。やはりここまでか・・・。
諦めて戻ろうとした時に、本庄水源地にダム巡りの神が降りました。
門の中に見える管理所から、敷地の落葉掃きに職員さんが出てこられたのです。

「こんにちは〜!」

門の外から大きな声で声を掛けました。



ダムの神は本物でした。

職員さんにお願いをすると、ご厚意で特別に敷地内から見学させて頂ける事となりました。(自分の名刺と一緒に、初めて「ダムマイスターカード」を提示したのですが、その効力についてはよく解りませんでした)

セキュリティの厳しい水道水源は、正門に入った後も複数の堅いガードで守られています。
管理所からフェンスに囲まれた庭園に入る為に、常時施錠の入口を開けて頂きました。

貯水池に直接接する水際や、堰堤の天端はこのエリアからは入る事が出来ません。
フェンスは敷地内で二重になっていて、また別の入口の開錠が必要となります。
水際は完全に関係者以外厳禁のエリアです。

下の写真は庭園エリアからフェンス越しに撮りました。



周囲を森に囲まれた閑静な貯水池です。
突然の来訪者にばたばたと水鳥が飛び立ちました。



凄く寄りで撮影していますが、庭園エリアからフェンス越しに撮っています。

直接その素晴しい堰堤に触れる事は出来ませんが、これだけ近くで見学する事が出来て感激です。
軽くアーチのついた天端は、高欄が滑らかな曲線を描き、岸の上まで伸びていました。



右岸からの天端です。
堤高は25mと当時としてもそれほど高い堤体ではありませんが、堤頂部の幅はゆとりがあります。

天端は岸から階段で数段降りた高さにあります。
縞鋼板のスロープが置かれ、警備の方が自転車で往来していました。
軽自動車と思われる走行跡もありますね。



本庄水源地堰堤の竣工は1917年まで遡ります。

明治22年(1889年)、海軍の重要機関である鎮守府が呉市に置かれます。
鎮守府は全国に4箇所しかなく、呉市の他に横須賀、舞鶴、佐世保です。

本庄水源地は、呉海軍工廠ので使用する水源として当時の日本海軍によって建設された軍事施設です。
呉海軍工廠は戦艦大和を建造した造船の名門と言えます。およそ10万人が就労する世界でも稀に見る大規模な軍需工場でした。



貯水池はダム湖百選にも選ばれています。
右岸にプレートを埋め込んだ石碑がありました。

また、本庄水源地の各施設は国指定の重要文化財の指定を受けています。
ダム本体の本庄水源地堰堤、施設内にある丸井戸、第一量水井、庭園の階段が重文となっています。

国の重要文化財はハイダムでは僅か6基、15m未満のローダムや砂防堰堤を含めても11施設に過ぎません。本庄水源地堰堤は大変貴重な近代遺産です。



滑らかなアーチ状の天端。

下流側にせり出して石材が積まれたクレスト部。
それを支える扶壁が独特のリズム感と、彫りの深い立体的な表情を魅せています。

白い御影石によく似合った淡いブルーの高欄は、爽やかな風のようです。

本庄水源地堰堤のクレストは、重厚さよりも、女性的で品の良いエレガンスを強く感じます。



右岸の土手から眺める堰堤下の様子。

現在は呉市が水道施設を引き継ぎ、呉市の水道水源となっていますが、周辺には現在も海上自衛隊の土地や施設があり、この地の生い立ちを色濃く感じます。

当時この場所には海軍の呉通信隊の基地があり、「ニイタカヤマノボレ」や、「トラトラトラ」等の有名な暗号がこの地を経由して洋上の艦隊や本土の基地に転送されたそうです。

また、戦後しばらく堰堤下には通信用の鉄塔が残っていましたが、頻繁に雷が落ちる為、水道局の要望で撤去されました。(ダム管理所の目の前なので、雷が落ちると相当怖かったそうです)

下に見える丸い大きな穴は国の重文の指定を受けている丸井戸です。



土手から階段を下ってきました。

竣工時からのこの階段も、国の重要文化財です。
幅3.6m、長さ36.5m。三段になった土盛りに真っ直ぐ石段が伸びています。



堰堤下からのダム施設の全景です。
ごみひとつ落ちておらず、清掃が行き届いていて、とても心地よい空間です。



視線を左に向けると階段状の水路が見えます。

カスケード形洪水吐!
と、ダム目線で単純に思ってしまいそうですが、これは洪水吐ではありません。
本庄水源地の右岸には、貯水池の右岸に沿って、別に独立した水路が掘られています。



右岸にそって500mほど県道を走ると、本庄水源地の洪水吐が見えてきます。
堰堤と同時期に造られた古い設備なので、吐のスロープも一面石張りです。

この洪水吐から出た水は例の水路に放流されますが、水路はここが最上流ではなく、貯水池の右岸に沿って、お堀のようにずっと上流まで続いています。

二河川を完全に堰き止めて、軍事施設である本庄水源地は建設されました。
その為、下流の既存の農業用に海軍によって人工的に掘られたのがこの水路です。現代の地図ではこの人工の水路が二河川を名乗っています。

装飾的な石積が特徴の本庄水源池堰堤ですが、右岸に沿って掘られたこの水路も軍事目的として建設された施設として他に無い大きな特色だと思います。



洪水吐の隣は公園が整備されています。

案内図の上部が貯水池、下側が農業に使う水が流れる人工水路(二河川)です。
公園の左隣が洪水吐。

警備上、公園からは湖面に触れる事も見る事も出来ません。
それでもこの時は何組かの家族連れが散歩に訪れていました。

地元のファミリーに愛されるレイクパーク本庄です。



公園内から、もっと近くで洪水吐が見れないかと思ったのですが、フェンスと樹木が邪魔をしてよく見えません。

ノーファインダーでバンザイポーズで写したのが下の写真。
よって肉眼では見ていません。

吐の上の管理橋は意外と幅もあり、しっかりした造りです。
フェンスが空いていて、通行できる風にも見えますが、写っている範囲は全て立入禁止の区画です。



再び写真は先程の右岸の土手からの眺め。

丸井戸は横に流れる二河川から、水道設備に直接取水する為の施設です。
二河川から取水した水を沈砂し、第一量水位に送ります。

貯水池が何らかの事情で取水出来なくなった時の緊急用として、堰堤と同時に造られましたが、実際に使われた事はほとんど無く、現在は水利権もあって使われる事はありません

この水道施設が建設された時代は、何よりも軍事最優先の時代だった事が伺えます。



敷地内から堰堤の真正面。

写真右手にあるのが第一量水井で、ここも国の重要文化財となっています。
堰堤の取水塔や、丸井戸からの水を集め、取水場に送り出す設備です。



見上げる本庄水源地堰堤。
規制線があり、触れるほど真下へは行けませんが、こんなに近くで鑑賞できるという幸せ。

雲ひとつない秋空に白御影石が眩しく映えています。
立体感のある装飾が陰影を作り、効果的に堰堤を美しく魅せます。



装飾が美しい本庄水源地堰堤。

西洋建築が近代化のシンボルであった時代にあって、この堰堤も西洋建築をモチーフにしてデザインされたのでしょうか?
でも、観れば見るほど、本庄水源地堰堤のデザインがとても特殊なニュアンスを持っている様に思えるのです。
華美な装飾は、最初はバロック建築をイメージしていましたが、どうもしっくり来ません。

サッシ以外は竣工当時のままの取水塔には、日差しのある大きな屋根が付いています。
建物なのだから雨除けの日差しがあるのは当然なのですが、石積ダムの取水塔は西洋の城を思わせる外観となっているのが普通で、この様に大きな屋根が乗っているのは非常に珍しいのです。

これは明らかに西洋建築ではなく、アジアや日本の木造建築を思わせるデザインです。
そう思うと、クレストの造形や立ち並ぶ扶壁が神社仏閣の梁や柱のように見えて来ました。

そもそも、石積ダムは西洋で生まれた舶来品です。
堤体の装飾は西洋の様式に準えるのがスタンダードであり、実際、神戸や長崎の石積ダムは当時の西洋建築を思わせる歯飾りがクレストに並ぶなど、西洋建築の潮流に沿ったものだと言えます。

しかし、この本庄水源地堰堤については、そこから一歩踏み出した、日本独自の様式美を目指していたのではないでしょうか?。

この独自性のある外観に、この堰堤を設計した帝国海軍の誇りのような物を感じるのです。



下部の設備には本庄貯水池の石碑。
左右には竣工年と完成年を刻んだ石板があしらわれていました。



クレストが下流に向かってせり出した造形なので、付近は雨に濡れる事なく竣工時の白さを保っています。
竣工から90年以上経過しているとは思えない白さですが、表面の石積は全て当時のままだそうです。堰堤が南西向きなのも、白さを保っている要因かもしれません。

雨に濡れる下部は黒く色付いていていますが、その姿は冠雪の富士山を思わせます。

実に日本らしい和風メイソンリー。
その解釈が正しいのかは解りませんが、現地ではそんな風に感じました。



一通り見学を終え、お礼に管理所に行きました。
開けて頂いた庭園エリアの施錠がありますから、一声掛ける目的もあります。

「よかったら、天端も見ますか?」

それは思ってもみない嬉しいお誘いでした!
勿論、こんな機会を逃す理由はありません。

先程とは別の入口の鍵を開けて頂き、再び天端右岸にやって来ました。
今度は庭園エリアを囲むフェンス越しではありません、関係者しか決して入る事の出来ない施設の最深部です。



天端上から眺める下流の敷地。
丸く円錐状に盛られた右岸が綺麗です、芝が青々と生える時期にはもっと美しく見えると思います。

また、古い施設にも関らず、植込みの木々が小さく整然としています。
百年に届くかという古い施設ですが、剪定や手入れが丁寧に行われ、その古さを感じさせません。
それは、竣工当時の姿を維持してると言う事です。



すっかり感激してしまい、天端ではほどんど写真らしい写真を撮っていません。
この写真は、天端に本当に入れて頂いたという証明になるのでは?。



舞い上がってしまいPLフィルターの存在を忘れていました。
写りこみで大変見づらいのですが、天端の中心にある取水塔の内部です。

バルブ操作の設備ですが、非常に凝った洒落たデザインとなっています。
海軍が設計したダム設備なので、帆船のデッキにある船の金具に類似するデザインとなっているのです。本庄水源地のデザインは細部まで隙がありません。

軍港や造船ドックなど、水際の土木工事に掛けては最高の技術を持っていた海軍による施工なので、石積の精度は非常に高く、それは水面と石積みのラインで確認する事が出来るそうです。



天端から貯水池を見ると、池の中に小さな島が浮び、水神様が祭られていました。
それも不思議なくらい堰堤に近い水面にあります。池の水を抜くと島の裾は堰堤に直接掛かっていると思う程の距離。

少しでも貯水量を確保する為に、地山ごと撤去されてもおかしくないのですが・・・。
何か特別なエピソードが潜んでそうな雰囲気です。

水神様の島の前後には、エアコンプレッサを使った循環装置が稼働中。



国の需要文化財、本庄水源地堰堤。

海軍の力を象徴する華美な装飾を施し、軍事施設として大正6年に建設されました。
威厳と誇りに満ちた立派な堰堤は、90年以上経た現在も呉市水道局の方々の手で大切に守られています。



誇り高き日本の名堤。本庄水源地堰堤
★★★★★

今回は、管理者さまのご好意により特別に見学させて頂きました。
大変貴重な文化遺産をご案内いただき、本当にありがとうございました。

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