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高暮ダム
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2010.11.23 Tuesday 21:05
堤高69.4m
G/P 1949年
2010.9.5見学
沓ヶ原ダムを後に上流にあると言う高暮ダムを目指します。
沓ヶ原の貯水池を過ぎるとその先には集落や民家はなく、一車線の狭道が続きます。
沓ヶ原ダムから6〜7km、高暮ダムまでの道はずっとこんな感じの道です。
すれ違いが出来る待避所も少なく、ガードレールが無いので早朝や日が暮れてから向かうのはお勧めできません。
但し、アスファルトの舗装は途切れる事なく続いていますし、急激なアップダウンも無いのでこの日もロードレーサーの集団に出会いました。
崖側の樹木が途切れ、高暮ダムが姿を見せました。
このアングルが下流面を観る唯一のポイントです。
堂々とした姿。
完成は1949年、戦時中の資材不足により10年を費やし、竣工は戦後にずれ込みました。
高暮ダムは、細く狭いダムまでの道と比べて、驚くほど大きく立派なダムです。
建設には三次から索道が張られ物資が運ばれてたとの事です。
優雅なラインの導流壁が目を引きます。
有機的な曲線のそれは、植物の茎や葉を思わせます。
しかし、優しく見えるのは遠目で見た印象で、目を凝らして観察すると、その肌は粗く、酷くざらついた荒々しいものです。
丸く開いた穴は排砂用です。
クレストには非常用洪水吐が5門。
横長のラジアルゲートが時代性を感じさせます。
天端通路の高欄にはオールドコンクリートダムらしいアーチ形の抜きが見えます。
期待出来そうです。
峠道を登って、ダムサイトに到着しました。
右岸に見学者用の駐車場も確保されています。
右岸から堤体を観ます。
堤体は一段下に降りた高さにありました。
天端の入口、門柱にあたる高欄端の装飾。
稲妻のマークは日本発送電の社章でしょうか?
その下の銅版は要目表が刻まれていました。
いよいよ高暮ダムの天端に足を踏み入れます。
集落も何も無い山奥のダムなので、天端は立入禁止かもしれないと思って来たのですが、あっけらかんと受け入れてくれました。
素晴しい天端。
堤頂の幅は3〜4m弱、高欄のアーチ形の意匠がクラシックです。
一定間隔で柱状の装飾があり、ガス燈風の外灯が立てられていました。
照明器具自体は新しい物で、アーチの中にはめ込まれた珊もステンレス製に置き換えられていました。天端の細部は部分的にレストアされている様です。
下流を見下ろします。
堤高69.4mは、戦前〜戦中に建設されたダムの中では7番目に高いものです。
下流から良く見えなかった右岸の導流壁も、左岸と対称形状の様です。
下流は深い山林。
正面の山腹にさっき通って来た道筋が見えますが、他には何も見えません。
左岸の導流壁。
立体的に大きくうねる導流壁は、内側に倒れこんだ独特の形状をしています。
左岸からの横顔も貫禄充分。
左岸には発電所への送水設備がありました。
親柱のデザイン。
シンプルですが、重厚かつモダンな意匠です。
神之瀬湖と呼ばれる貯水池。
静かで深く沈んだグリーン、裸地とのコントラストも印象的。
左岸にコンクリート製と思われる遺構が水面から覘いています。
建設プラントの跡かもしれません。
クレストゲートの巻揚機を収める建屋は比較的新しい建物の様です。
大規模な改修が行われていると感じました。
ゲート部の貯水池側の高欄。
水を切るピア先端の造形が、そのまま高欄の高さまで立ち上がっていました。
再び右岸に戻ります。
右岸の地階に部屋があります、監査廊などに通じるのかもしれません。
一部剥がれかけた石垣風の装飾は、比較的新しく見えました。
クレストゲートの巻揚機や、高欄の装飾と同時期に改修されているのだと思います。
よく観ると、地階の部屋の下の壁面にも、薄っすらと石垣風の装飾が見られます。
痛み具合から、こちらは竣工当時のままだと思われます。
改修部分が石垣に見立てた薄板を貼り付けているのに対して、此方はコンクリートの表面に溝を刻み、目地に見立てたモルタルを埋め込んだと思われます。
高欄の品の良い装飾と相まって、実は当時としては飛びぬけたデザイン堤体であった事が伺えます。
駐車場から観る堤体。
巻揚機の改修工事で建屋が大きくなったのか、貯水池側へ軽くクランクした天端の曲がり角だけ鋼管の高欄となっています。
高欄のレベルまであるゲート間の扶壁がよく解ります。
ダムサイトにある日本発送電の慰霊碑。
此方は日本人の殉職者が祭られています。
これとは別に朝鮮人労働者の慰霊碑(追悼碑)があるとの事で、辺りを探したのですが見つける事が出来ませんでした。
帰宅後の調べて、その慰霊碑は右岸の少し離れた場所にあった様です。
今は静かで美しい高暮ダムですが、このダムについて避けて通る事の出来ない史実があります。
高暮ダムは、戦時中の人手不足から、騙したり、拉致するなどで故郷から連行されて来た朝鮮人らによって築かれました。
この地で強制労働を強いられた朝鮮人労働者は少なくとも2000人以上と言われています。
日本人の労働者も居ましたが、不当な低賃金で、トロッコ押しなどの重労働や、隧道掘りなどの最も危険な労働を強いられました。
過酷な労働や虐待に絶えかね逃亡者も多く、今世紀に入ってからも周辺から複数の白骨が見つかっています。
ダム本体の打設では、上からシュートで落とされるコンクリートに人が巻き込まれても、そのまま救出する事もなく作業は続行され、堤体の中に埋められる者も居たと、逃走して生き延びた方が証言しています。
戦争さえ終われば故郷に帰れる。
叶わなかった願いと亡き骸が堤体の中に永久に閉じ込められている・・・。
見学から帰って、自宅で強制労働の事を調べているうちに、戦争の被害者だとが、尊い犠牲だとか、そんな言葉は平和ぼけした今日の日本人のうわ言でしか無い様に思えて来ました。
天端を散策していた時に、一家で来ていた家族連れとすれ違いました。
少し派手めの服装と、話す言葉から韓国人である事は直ぐに気が付きました。
たまたまの偶然なのかもしれません。
でも、直感的に、その家族に対して偶然以上の物語性を感じていました。
高暮ダムには、またいつか再訪したいと思います。
次は必ず湖畔の慰霊碑も観ておきたい。
そして、天端を靴を脱いで素足で歩いたら、何かが理解できるかもしれない。
そんな事を今思っています。
高暮ダム
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