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黒部ダム

堤高28.7m
G/P 1912年 東京電力

2010.7.17見学

全てのダムは黒部に通ず。


川治ダムから川俣ダムへ向かう途中、トンネルを抜けるとダム湖の上に橋が架かり、近くに黒部ダムのクレストゲートが見えていました。
とりあえず先に川俣ダムと土呂部ダムを訪問して、再びさっきの橋の上に戻ってきました。

黒部ダムと聞くと、日本人であればほとんどの人は富山の巨大アーチダムを思い浮かべると思います。
しかし、この栃木の黒部ダムは、日本初の発電専用コンクリートダムという発電ダムの祖と言うべき銘堤なのです。



ダム湖を周って、堤体左岸にやって来ました。
天端の道路はそのまま通行できます。

重厚なゲートピア
表面は堤体表面に合わせ、石積風の型枠コンクリートで仕上てあります。
黒部ダムは昭和の終わりから平成にかけて大規模な改修を行っており、クレストゲートはその時に再構築されたものだそうです。



黒部ダムの特徴である、大らかでゆったりとした下流面。
美しい布積みの石張り表面、有機的なその形は生き物みたいな暖かみを感じます。



天端から下流を見ます。
川幅は広く、堤体と同じ幅で下流に続いています。
すぐ目の前を下流の発電所への送水管が横切っていました。



滑らかな下流面。
通常ダム下流の斜面は平面か、もしくは逆R(凹R)が付けられていますが、この堤体はタイヤチューブかババロア型によく似た、丸く膨らんだ曲面形状となっています。

この黒部ダムの竣工は大正元年まで遡ります。
日本のコンクリートダムでは5番目に古く、これより前は神戸の布引五本松、立ヶ畑、長崎の本河内低部、西山の4基しかありません。
この中で立ヶ畑はクレストゲートを持っていますが、控えめで小さな4門の越流式です。

対して、その後に築堤された黒部ダムは、天端の端から端までゲートを配し、しかも全て可動ゲートという布陣は、我が国では初めての試みでした。

どうやってゲートからの放流に耐えうる強固な越流面を構築するか?
この独特の下流面形状は、日本のコンクリートダム創世記を綴る1ページなのかもしれません。



天端の貯水池側にはフェンスが張られ、少し視界を遮っていました。

静かな湖面、向うに見える橋は、さっき写真を撮影した県道です。

趣のある照明のステー。
竣工当初からのものか?それとも80年代の改修の時にレプリカ風に仕立てられたものでしょうか。



天端を渡った右岸には、1912年の竣工から改修を受けるまで、77年もの間使われてきたゲート巻上機のギアがモニュメントとして飾られていました。

日本初の可動式クレストゲートはワイヤー巻揚でも、スピンドルでもなく、ラック&ピニオンだったようです。



モニュメントの場所からは、ふくよかな下流面が良く見えます。

計画当初は、堤高60mを予定していたという黒部ダム。
基礎地盤の関係で現在の20m台の高さで竣工しましたが、そういった目で見ると、堤高の割りに異常に前後に分厚い堤体である事に気が付きます。
例の丸い下流面もそういった事が関係しているのかもしれません。

現在の車が通行できる天端道路は改修によって新設されたものでしょう。
竣工当時、自動車が一般的に広まるのはまだまだ先の話で、牛馬が主な運送手段だった時代なのです。



薄く流れている水を見ていたら、ゲートの前に大きな石がいくつも転がっているのに気が付きました。

いったい何処から来た石なのか?



明治に着工し、大正に竣工、昭和から平成にかけて改修された黒部ダム。
まさに日本の発電ダムの生き証人といえるでしょう。

偶然ながら堤高日本一のアーチダムと同じ黒部というダム名。

日本の発電用ダムは、黒部に始まり黒部に終わる。



黒部ダム
★★★★

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム栃木県 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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