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刻まれた追憶のバットレス。


藪の中にコンクリートのカケラでもあればいいな・・・そう思っていた。

 
バットレスダム。
1923年から1937年にかけて、たった14年間の間に、わずが8基のみ建設された貴重な形式のダムは、現在6基が現存している。
消えてしまった2基のうち、新潟の高野山ダムは再開発により完全に消失。

そしてもう一つが、長野県小諸市にあった旧小諸発電所第一調整池、小諸ダムである。
 
1928年8月29日、午後4時8分。
突如として堤体左岸近くの下流側に地盤沈下が発生。バットレスダムの左岸側が崩壊し、貯水の流出により下流の住民7名が死傷する惨事となる。
当時の事業者であった東信電気は、この小諸第一調整池を放棄。従来からの千曲川の取水口の付近に、新しく代わりの調整池を設け現在に至る。
小諸発電所は、戦時中の日本発送電を経て、現在は東京電力が事業を引き継いでいる。

現在も小諸発電所に送水をしている第二調整池は、第一調整池である小諸ダムと同時期に築堤された双子ダムであり、かつて小諸ダムがあったとされ、現在は小諸市の管理する南城公園のすぐ隣に現役である。
 

南城公園
広い第一駐車場。
小諸バットレスは事故後、埋め立てられ、跡地がこの公園なのだと聞く。
まさにこの場所がかつて小諸ダムがあった場所なのだろうか。


 
芝生広場と遊具。
南城公園は、野球場やプール、マレットゴルフなど、総合運動公園として小諸市民に愛されている。日曜のお昼とあって、家族連れでにぎわう。
遊具のある月山のすぐ裏に第二調整池がある。
 
子供たちの声と、和やかな雰囲気が漂うこの場所に、かつてのダムを示すものは何も存在しない。周辺の木々の生育状況から当時の貯水池の輪郭が解るのでは、その時はそう考えていた。


 
だが、ここである違和感を覚える。
この駐車場や芝生広場は、隣接する双子ダムである第二調整池と比べ、明らかに標高が高い。
推測される二つのダムの距離はとても近く、堤体はほぼ横並びに200mも離れていないはず。それなのに、この場所は第二調整池よりも10〜15mは高い位置にあるのだ。水路で結ばれた双子ダムの水面はほぼ同じと考えるのが普通である。
 
つまり、小諸ダムの跡地はこの場所では無い。

駐車場脇の林の向こう、随分と下に野球場が見える。南城公園の敷地は上下二段になっていて、下段に野球場とプールなどがある。
 
駐車場脇の遊歩道から野球場方面へ降りてゆく。



木漏れ日の中を歩くと直ぐに視界が開けた、目の前には公園の管理事務所。
どうって事のない公園の風景。

まさか自分の視野に突如飛び込んで来た物に、度肝を抜かれる事になろうとは。


 
荒い肌は明らかに長い歳月を物語る。

突き出した一対の壁は、端の丸みから明らかに水に関わる遺構である事が伺える。
この構造物は、小諸ダムの右岸にあった排砂ゲートと見て間違いない。

だが、本当の衝撃はこの構造物の左、下流側の場所にあったのだ。
 
絶句。頭の中では驚きと歓声が沸きあがっているのに、まるで声が出ない。


コンクリートの護岸に傾斜した防水壁の名残・・・。



それは重力式でも、アーチ式でも無い。
防水壁を扶壁で支えるバットレスダムの証である。
 
コンクリートの壁から突き出した鉄筋。
砕けたままの傷跡、そこに根を降ろした草木。
 
竣工後、僅か数ヵ月での崩壊事故、そして放棄。
80年の時を越え、博物館の化石の恐竜ように・・・

「それ」 はコンクリートの壁面に刻まれていた。

 
埋め立てられていると聞いていた小諸バットレス、実際には埋め立てされてはいなかった。実際には堤体を撤去したのみで、水の抜けた貯水池の中に公園が整備されていたのである。

それが解るかつての右岸だった壁。
調整池であった小諸ダムは、全周にわたりコンクリートで護岸されていたと思われる。今、自分が立っている場所は、かつての池の底なのである。
 


今迄見て来たバットレスダムは、富山の真川調整池や鳥取の三滝ダムなど、物資の輸送が困難な僻地ばかりだ。堤体積が少ないバットレスダムが採用されるには相応の理由があるのだ。
だが小諸ダムの場合はどうだろう、小諸市の市街地の外れにあり、当時の周辺は桑畑に囲まれてはいたが、築堤資材の輸送には問題は無い立地である。

ヒントこの火山性の脆い地質にある。
浅間山麓のこの地にあって、重力式に比べ圧倒的に軽く、柔らかい地盤の上に築堤できるダム形式としてバットレスが採用されたのではないだろうか。
結果的にはその脆い地質の地盤沈下により命取りとなってしまった。

崩壊した小諸ダムの跡地に整備された南城公園。問題のある地盤上を宅地にする訳にも行かず、野球場やプール等にしたのかもしれない。

当時の様子を想像しつつ周辺を散策すると、プールの脇にまたもや驚きの構造物を発見する。

マレットゴルフのコース内に横たわるコンクリートの構造物。
それは、千曲川上流の取水口からの送水管であった。



左岸から突き出して、池の中心あたりで地中を潜り、隣の第二調整池まで通じている。
そう、この送水管は小諸ダム建設時に造られ、そして今も現役の設備なのである
 
当時はこの送水管の上部だけ水面から覘いていたのだろう。
現在は第二調整池への水路であるが、当時は小諸ダムへの注水、さらには小諸ダムから第二への送水を担っていたのではと推測される。



次に南城公園の北に隣接する小諸発電所第二調整池に向かう。

堤高が15mに満たない為だろう、ネット上でも写真などの資料がほとんど無く、コンクリートダムである事は衛星写真から確認していたが、詳細は謎の物件である。
 
河川法のダムでは無い為、知られていないだけで実はバットレスダムなのではないか?
バットレスダムだったが、小諸ダムの事故を受け、扶壁内にコンクリートを充填し重力式としているのでは?
何れにせよ小諸ダムと同時期に建設された堰堤は、魅力的なものには間違いないだろう。

ダムに興味を持って以来、個人的に2年以上も妄想を膨らませていた堰堤である。
 
周囲をコンクリートで護岸された貯水池。その奥に堤体が見えて来た。
木造の建物は管理所ではなく、発電所への取水設備の建物であった。竣工当初からのものだろうか。


 
小諸発電所第二調整池堰堤。

ダム形式こそスタンダードな重力式コンクリートダムであったが、何よりもクレストの造形が注目に値する。
 両岸までずらりと並ぶ扶壁状のデザイン、中心の越流部は洪水吐の機能をもっているが、非越流部の扶壁には機能や役目は無く、隣接する小諸バットレスとの外観上の調和を意識したものであろう。
竣工当時は、下流からは二つの堤体が並んで見る事が出来たと思われるのだ。

意外な所で発見した小諸バットレスの残り香であった。



 
旧小諸発電所第一調整池 小諸バットレスダム。

跡地の地形や残された遺構、コンクリートの護岸から想像すると、ダム本体の堤頂長はおよそ70〜80m、堤高は10mにも満たない低い堰堤であったと思われる。
現在の河川法ではダムではなく堰堤に区分されるものだったと僕は推測している。
 
地盤の問題からか跡地が市営の公園に利用され、宅地などに造成されなかった事、双子ダムであった第二調整池が現役である事。
いくつかの偶然により、82年前もの昔に放棄された遺構が残るのは奇跡と言えよう。



(2010.6.13 調査、及び2010.6.26 再調査。 写真は両日が混在
この記事は、あつだむ宣言!が現地で感じた個人的推測であり、事実と異なる場合があります)

2010.10.26 追記
小諸バットレスのサイズは、堤高16m、堤頂長100m弱 で、あるとの事でした。

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム特別編 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2015/03/14 6:36 PM posted by: 小林悦男
大水が下った先に土地を所有して居る者の家族です。実際に祖母や母から口外するコトを禁じられ乍ら当時の被害状況を聞きましたが現地の状況が判らず記憶も定かでは有りませんが文章を拝読して当時の有様が垣間見えたようにも思います。ほんの一部分ですが合点が行き納得しました。
2015/03/16 12:29 PM posted by: あつだむ宣言!
小林様
コメント頂きありがとうございます。
複数の方々が亡くなってますので、決壊事故の事はタブーとされて来たのでしょうか?
かなり昔の事と言う事もあり、一般には知られていない話ですね。
南城公園の遺構はご覧になりましたでしょうか?
結構当時のままに残っている部分が多くて驚かされます。
2016/01/14 6:37 PM posted by: ダム好き小諸人
はじめまして
以前からダムが好きで地元の小諸発電所の関連施設を見て周り、こちらの記事にたどり着きました。
おかげさまで新たな発見も。
現在発電所工事のため第二調整池の水が無い状態ですが上流からの送水管が見えません・・・
マレットゴルフ場の画像部はゲートの跡のようですが何でしょう?
コンクリートの構造物の天端と遮水壁の高さがほぼ同じなのに驚きましたし、昭和三年の土木建築工事画報の「崩壊せる小諸堰堤、平面見取図」と変わらぬ景色がそこに

小諸発電所では繰矢川サイホン管のコンクリートアーチ橋がお気に入りです。
2016/01/18 12:26 PM posted by: あつだむ宣言!
ダム好き小諸人さま

ご覧頂きありがとうございます。

当時のままの施設が沢山残されていて、面白いですよね。

マレットゴルフ場のゲート跡のような部分は、河川から水を引き入れて来た設備跡かな?と想像しています。

第二調整池、工事中ですか、そそられます(笑)

希少なバットレスダムの遺構なので、もう少し有名になっても良さそうな場所ですよね。
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