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浅川ダム

堤高53m

G/F 長野県営

 

2017.1.4 見学

 

完成まで紆余曲折ありました長野県浅川ダムです。

建設中から幾度と足を運んでいましたが、試験湛水によるサーチャージを無事迎えました。

普段水を貯留しない運用となる浅川ダムですので、クレストからの越流は貴重なシーンになります。

(防災操作中の越流はこんな穏やかな状況ではないでしょうしね)

 

IMGP0995.JPG

 

 

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三浦ダム

堤高83.2m
G/P 1945年 関西電力

2011.09.19見学

大同電力のフラッグシップ。


ダムを観て回るようになって3年くらいになりますが、当初からずっと行ってみたい、観てみたいと思っていたダムがあります。
長野県王滝村、御嶽山の山麓にある三浦ダムです。

自宅から3時間くらいの場所なので、その気になったら何時でも行ける距離ですが、ダムへ向かう唯一の道は国有林の専用林道となっていて、ダムの手前8キロに林道のゲートがあり、関係者以外の立入を拒んでいました。

ダム巡りを始めた頃にこのゲートまでは行っていたのですが、
「許可なく車両や歩行者の通行を禁止します。」と明記されていて、がっかりして帰った事があります。(徒歩でもダメだなんて・・・)

なんとか、三浦ダムへ行く方法はないものか?
関電の職員になる?営林署の職員に?王滝村役場に勤める?
唯一、木曽森林鉄道に関するイベントが一般でも林道内に入れるチャンスですが、今年もそのイベントがあるかは不明・・・。ここで唯一の望みの糸は切れたかと思いましたが、別の行事で年に何度か一般の人間でも林道に入れるイベントの存在が解ってきました。

「OSJトレイルランニングシリーズ」

山中を駆け巡るトレイルランのシリーズ戦が、毎年この三浦ダム周辺の国有林を使って開催されていたのです。
しかも、第8戦の大会は、三浦ダムの天端をコースが通過しています(!)

よっしゃー!今から体鍛えてレースに参戦!??

と、言う事で、OSJクロスマウンテンマラソン・イン・王滝2011の当日。

今まで立入を拒んできた林道入口ゲートはフルオープンのウエルカム状態。
この場所も大会のコースに含まれているからです!



と、ここでネタばらし。
40前のおじさんがいきなりトレイルランに挑戦なんて自殺行為です。

ここで、昨年より認定を受けている「ダムマイスター制度」の出番です。
トレイルランの主催事務局様にコンタクトを取り、写真撮影目的に特別にコース内(つまり林道内)への立入許可を頂きました。

いえいえ、決して私利私欲の為にダムマイスターを利用した訳ではありません。
素晴らしいダムを広く知って頂く事がダムマイスターの使命ですので。

それに今回は、歴史ある戦前のオールドダムの天端を、色とりどりのカラフルなウエアを着たランナーが駆けて行く・・・。
すごくいい写真が撮れそう、フォトコンのダムに親しむ部門はもう獲ったも同然。
あれ?やっぱり私利私欲???

なにはともあれ、同じダムマイスターでダム友のひろ@さんも誘い、二人でいざ三浦ダムへ。立入許可は頂きましたが、ゲートからは徒歩で向かいます。

9月の早朝。雲一つない秋空が絶好のレース日和、そしてダム巡り日和。
ゲートから8キロほどある林道は、かつての木曽森林鉄道の軌道を利用した林道なのでほとんど坂がなく平坦。
談笑しながら歩く事しばし、木々の間からとてつもなく大きな壁が姿を魅せました!。三浦ダムです。

堤高83.2m、堤頂長290m。かなり大きなコンクリートダムです。

巨大な古びたコンクリートの塊は、朝日を鈍く反射しています。
白いエレベータ塔が1本、渋い色のコンクリートから浮き上がって見えました。



また少し歩いて、ダム左岸に到着しました。

洪水吐が本体に無い(見えない)シンプルな堤体は、日本のダムではなく、もっと大きな大陸的なものに感じさせます。
ダムに関する洋書に載っていそうな風貌です。

竣工は古く、戦中の1945年まで遡ります。
宮崎の皇帝こと塚原ダム(堤高87m)に次ぐ、83.2mという大規模なこのダムは、福沢桃助率いる大同電力によって計画されました。
やがて日本は戦争の時代に突入し、国の政策により日本発送電に計画は引き継がれ、戦中を通して建設が進められた三浦ダムは、終戦の年に完成を迎えます。



なだらかなバケットカーブからせりだしたクレストの形状。
オールドダムとしては、異例とも感じるシャープな造形です。

そして、思わず声を上げて驚いてしまったのは真近で初めて目にする高欄のデザインでした。高い部分と低い部分が交互に並ぶ凝った造形。

コンクリートでこんな凝った装飾を施すのは、そうです、間違いありません。
この高欄は、この三浦ダムが大同電力によって計画、設計されたダムである証だと直感しました。

電力王と呼ばれていた福沢桃助は、自身が携る木曽川水系の発電用ダムにそれぞれ異なった、凝った意匠を施した事で知られています。



完成から65年以上経ち、コンクリートは物凄い表情を生み出しています。
ざらざらした肌、分厚い苔。



そんな迫力ある堤体と比べ、真っ白で滑らかに見えるエレベータ塔。

傾斜のある下流面よりも鉛直なエレベータ塔が白いのはよくある事ですが、あまりにもその差が激しいので、表面保護剤などが塗布されているのだと思います。

よく観ると、エレベータ塔のコーナー部分にもさりげなく段差が付けてあり、塔をすっきりと見せるデザイン処理が施してあります。



大きな下流面。
ざらついた肌。
大型のオールドダムの魅力、アフターバーナー全開。



林道からそのまま繋がっている天端道路を歩きます。

定間隔で高さを切替えている高欄。
低い部分に付いている鋼管の手摺は後から追加した様にも感じました。



その高欄には、所々に四角い穴が抜いてありました。
穴の側面には配線を通していただろうダクト穴もあります。

これはかつての照明が設置してあった名残ではないかと思います。
堤体を下から見上げた時のクレストの飾り照明と、天端道路の灯りを兼ねた照明器具が高欄にビルトインしていたのだと思います。

同じ手法の照明が上椎葉ダムの高欄にもありますが、上椎葉はこの三浦からずっと後のダムです。
大同電力の力を誇示するかのように、とても凝ったデザインが施されていたのだと思います。



このような凝った仕掛けの高欄を観るのは下流側だけとなっています。

天端の貯水池側は、端から端まで冬季通路が貫いています。
この通路の為、天端から貯水池は一切目にする事は出来ません。
天端のやや右岸寄りに通路とは異なる建屋があり、発電所への取水設備に関する建物だと思います。



エレベータの近く、鋼管のガードに囲われているのは地震計でした。
ガードに結ばれたポールは、除雪の目印でしょうか。



天端から下流を見下ろします。

真下にある大きな建物は発電所。水が勢いよく湧き出していました。
一見すると減勢池や副ダムに見える水面は、発電所から出た水の導水路で洪水吐とは一切関係ありません。



導水路の先には3門のゲートを持つ水門。
水はここで直角に右折し、導水トンネルに導かれ、8キロ下流にある滝越発電所へ送られる仕組みとなっています。
滝越発電所は、林道入口ゲートの丁度川を挟んだ対岸に見る事が出来ます。

全ての水が導水トンネルで王滝川をパスする為、三浦ダムから下流は枯れ川になってしまいそうですが、ここからすぐ下流に別の谷(白谷川)が王滝川に合流しており、滝越までの川の水が枯れてまう事はありません。



ダムの真下は広場のように埋立てられ、平坦になっています。

ダム便覧の情報では、ダム建設の工事従事者は延べ210万人にも上り、建設現場には労働者の街が出現したとあります。
この広い平地はかつての街の跡地を思わせますが、現在は水門と発電所へ通ずる冬季通路の先に、職員宿舎といくついかの木造の建物を見るだけとなっています。



天端を歩いて右岸まで来ました。
ダム本体の右岸端には余水吐があります。



余水吐はローラーゲートが2門。
ここに来て、ようやくゲート越しに貯水池の水面が見えました。

しかし、色こそブラックですが、関電といえばラジアルゲートのイメージなのですが・・・。



ゲートピアに残る円弧状の戸当り?。いったい何の為の戸当りなのか?
遺構であるのか?それとも保守などで使う現役の物であるのか、全く不明。

現在では見ない型式のフラッシュボードの名残ではないかと思いました。



ゲートから下は、ほんの少し開渠の部分があり、トンネル式の余水吐となっています。
トンネルは、右岸の山を貫通し王滝川へ注ぐ白谷川へ繋がっています。



トンネル式の余水吐で注目したのは、暗渠の入口部分の装飾です。

アーチ状の間口の中心のデザイン。
明らかに石積アーチの飾り石を模したレリーフとなっています。
もちろん、全てコンクリートで出来ていますから、この形状にする構造的な理由はありません。

石積の装飾美を残したコンクリートの造形に、人の美的感覚の変化よりも早いスピードで変化した、当時の土木技術の変化が読みとれます。



右岸端の高欄。
親柱の上にあるのは人感センサーです。

親柱の上が四角く抜いてありますが、やはり照明等が入っていたのだろうと思われます。
柱の角に彫り込まれた段差は、エレベータ塔のコーナーと通じる造形で、ダムの細部にわたり、デザインがトータルでコーディネートされていた事を伺わせます。



ダム本体の右岸端に、堤体を俯瞰するように立派な慰霊碑が祀られていました。



慰霊碑の後ろを周ると視界が開け、大きな三浦湖が姿を表しました。

雲ひとつない快晴、穏やかな湖面。

Blue & Blue.
湖水は青空を映す鏡、いっそう青く輝き、水面を境に二つの青空が広がっています。

山々が低く感じますが、標高1300もある高地です。
天上の巨大湖といった三浦湖です。



複雑な形をした三浦ダムの貯水池。
ここから見える湖面はほんの一部でしかありません。



右岸から見る三浦ダム。
余水吐が極端に端に寄っています。



オールドダムに多い半円形状の取水設備。
しかし、相当に大きなもので迫力さえ感じるものです。



対岸には管理所、少し離れてボート庫、インクライン。



さらに視線を左にやると、建設プラントらしき遺構が湖面から覗いているのが見えました。



余水吐ゲートを上流から・・・。

ローラーゲートの戸当りとは別に、円弧状のレールが見えます。
実は、現在のローラーゲートは後に改修をしたゲートで、元々はラジアルゲート(テンターゲート)であったそうです(Hisaさん、情報ありがとうございます)。

関電といったら黒いラジアルゲートがイメージなので、なんとなく納得。
(大同時代や、日発時代のゲートがブラックだったかは謎ですが)

ゲート下流面側の戸当りが何なのかはHisaさんでもはっきりとは解らないとの事ですが、フラッシュボード説が有力です。



今日のトレイルランは、午前7時にスタートして、ダート林道を大勢のランナーが駆け巡ります。
コース総延長42km(!)、三浦ダムの天端はスタートから33km地点となっています。
ダート林道をフルマラソン。あり得ません・・・。

ちなみに、7月に開催されたシリーズ第6戦はここを舞台に制限時間24時間、コース総延長100kmの大会も開催されています。さらにあり得ません・・・。

現在、午前9時。
まだまだ先頭ランナーがやって来るには時間があります。

ひろ@さんと、三浦湖右岸を散策してみる事にしました。



ダムまで舗装だった林道も、貯水池から先は、わだち掘れ掘れダートです。
道なりにしばらく歩くと、林道は右岸の山を登り、余水吐のゲートを俯瞰できる場所に来ました。

木々に邪魔をされて、残念ながらダム本体は見えません。

しかし、視線を上げると・・・そこには御嶽山。



元々山岳系のひろ@さん曰く、これだけ御嶽が綺麗に見えるのは珍しいとの事。

日頃の激務で、この日は少々お疲れモードだったひろ@さんですが、綺麗な御嶽を観た途端にテンションが急上昇、むやみに山の斜面に登ってみたり、ちょっと面白い事になっていました(笑)。



ぶらぶらと林道を散策していたら、いきなり、びゅんびゅんとランナーが駆け下りて行きました。トップのランナーです。

は、速いっ!

予想より早い時間に、そしてスピードも速い!、体脂肪も少なそう!!。



我々も山を下りてダムに戻って来ました。
いつのまにか空には沢山の雲が浮かび、先程とは違った雄大な風景を造っていました。



やがて、ぱらぱらとランナー達が天端に現れはじめました。
どのランナーも背中には給水ギアを背負っています。林道を走る過酷なレースです

しかし、思ったよりもランナーが少ない・・・?
ランナーの募集には500名とあったのですが、実際参加したのは100名未満の様です。
そして、皆、ウエアが地味・・・。

色とりどりのウエアを流し撮りしてみようと企んでいたので、ちょっと計画が外れてしまいました。さようならダムに親しむ部門(笑)。



カメラを向けるとポーズを決めてくれるランナーも。

「がんばってー!」自然と応援してしまいます。

後続のランナーの中には天端で足を止めて風景を観たり、持参したコンデジで記念写真を撮ったり(僕が撮ってあげました)、和やかな雰囲気がありました。



ちょっと俯瞰位置からの三浦ダム。

ひろ@さんが三脚にカメラを固定して、こんな動画を撮っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=6Scx1-d6NAk



天端でしばらく過ごした後、ダムの下も行ってみました。

開閉所の向こうに大きなコンクリートダム。
田子倉ダムにそっくりな光景です。



手前は長い管理通路。
雪が沢山降る所なので、この通路が無かったら発電所へ辿り着くだけで半日仕事になりそうです。

ダム下の広い敷地が、雄大なイメージをさらに強調します。



朝一はあんなに晴れ渡っていた空も、ダムを見上げておにぎりを食べる頃にはどんより曇ってきました。

重厚なコンクリート。目立つ縦継目を下から上に辿ると、高さの異なる高欄の切替部分に繋がっていました。

白いエレベータ塔。青いカビの模様が曇天の空に染みてアンニュイ。



最後尾のランナーが三浦ダムを通過した頃、僕らも三浦ダムを離れました。

近くても、観たくても、なかなか会う事が許されなかった三浦ダム。
再訪を誓って後にしました。



大同電力のフラッグシップ、三浦ダム。
★★★★★


おまけの後日談。

見学当日は最初から林道ゲートが開いていたので、脇の看板を良く見なかったのですが、三浦ダムから戻った後に見てみると、看板は真新しい物に建て替えられていて、内容も数年前に諦めた時と異なっている事に気が付きました。

な、なんと、
「車両や歩行者の通行禁止」から、「車両等の通行禁止」に変っているではありませんか!。
つまり、歩いてなら入れるようなったのか?。



気になったので、王滝村に問い合わせてみると、あっさり「徒歩ならOK」との回答。
おお!なんと!!。

実際、村のホームページからリンクしているレジャー施設では、ハイキングルートとして紹介されています。
「看板が変わって、徒歩なら入れるようになったのですか?」と尋ねると、看板の詳しい事は村では解らないとの事でしたので、直接、中部森林管理局にも尋ねてみました。

以下が森林管理局様からの回答です。

>風景写真の撮影や一般的なレジャーを目的に、徒歩で入林していただく場合は問題ありません。
>ただし、林道は事業実行中の車両が通行しますので、十分注意をしていただく必要があります。
>国有林への入林に当たっての留意事項は下記をご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/apply/nyurin/index.html
>安全で楽しい行楽となりますよう祈念いたします。
 
と、言う事で、以前は訪問が困難だった三浦ダムが、ずっと身近になり、高瀬渓谷の高瀬ダムと並び、ハイキングで訪問するには絶好の物件となりました。

途中で照明の一切ない真っ暗なトンネルがありますから、ライトをお忘れなく。
林業や工事関係など、意外と車も通っていますから、真っ暗な一車線のトンネル内で背後から迫るトラックの爆音は相当な恐怖です。
車からもトンネル内に人が居る事が見えるように、ライト、出来たら反射材の着用をお勧めします。

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香坂ダム

堤高38.5m
R/F 1972年 長野県営

2011.5.21見学


鹿野ダムからスタートした忘れ物を巡る旅、最後はロックフィルダムを訪れました。
群馬からの県境を越え、香坂ダムは長野県の県営ダムです。



夕暮れのロックフィル。
ブラックロックの上は薄く雑草が生えています。



堤高38.5m、堤頂長184m。
香坂ダムは、農地防災を目的とした治水専用のダムです。

脇を走る県道からバリアフリー状態のアスファルト舗装。
車でも普通に入る事が出来ます。



防災専用なので通常ほとんど水は貯められていません。
狭い水面に魚の跳ねる波紋が見えました。



天端から上流です。
上信越自動車道が近くを通っていて、行きかう車が見えます。



左岸にある取水塔。
防災専用ダムなので、単純な放流用の設備なのかと思います。



洪水吐はロックフィルのスタンダードなバスタブタイプ。



洪水吐を越えた水は、アバットの脇から下流へ向かいます。
左岸にある管理所は、堤頂部から下流側にあって、天端から下流面に向かう道がありました。



水を貯めない防災ダムの表情。

同じ事をコンクリートダムで行なった場合、上流からダム本体を見ると、巨大な切り立った壁が河川を塞ぐ感じとなり、景観を壊してしまうかもしれません。
その点、天然素材で上流にも傾斜を持ったフィルダムなら違和感なく周辺に溶け込む事が出来ます。

貯水池に茂る木々や草花。
有事の際には水没する為、人が手を加える事のない貯水池内は、本来あるがままの自然な山野の情景が広がり、山野草のコロニーの様に見えました。



香坂ダム
★★

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南向ダム

堤高7.6m
G/P 1929年 中部電力

2010.9.25見学

福沢桃介の遺産。


南向ダムは天竜川にある発電用堰堤です。
ローリングゲートのダムがあると言う事で、米沢発電所取水堰堤を観た帰りに立ち寄りました。今日は、小粋なローダム巡りと言った一日です。

左岸上流からアクセスしてダムの下流に回りこみます。
丁度いい所に橋があり、まずは真正面から拝見です。



長細いローリングゲートが4門。
シンプルな四角いゲートピアは岩のような重厚な造りです。
堤高は7.6mと決して高くはありませんが、オールドダムの風格に溢れています。

電力王こと福沢桃介は、木曽川で大同電力の発電所を次々と手がけた後、天竜川電力を設立して天竜川の電源開発に乗り出しました。
この南向ダムは天竜川の電源開発のごく初期に造られたダムのひとつです。



橋を渡って、ダムの右岸にやって来ました。

右岸の入口、ごく普通の民家の門みたいです。
門は勝手に開けて入ってよいものか判断がつかないので諦めました。

右岸は崖になっていて、門の先はダムまで降りる階段が付いています。
表札が南向ダムではなく吉瀬ダムとなっていました。



門の近くのガードレールに登ってダムを拝見。

対岸の白い建物は中部電力の南向ダム管理所です。
ここの管理所は、職員さんが常駐の立派な管理所となっています。

視線をダム本体に移すと、ピアの上流側に鉄骨トラス組の味のある管理橋が見えます・・・。

!!!



なんだこのゲートピア!

真正面からは単純な四角い形状に見えていたのに、横顔はこんなに色気のある形をしてたなんて。
遊郭風の丸窓といい遊び心のある粋なデザインです。

うーん、魅力的にも程があるぞっ。



右岸の道を少し戻って、ピアが斜めから見えるポイントを探しました。
先端が丸まったシルエットも洒落てますが、なんたって丸窓がいいです。



車をぶっ飛ばして、対岸の左岸に来ました。
南向ダム管理所の脇の道を降りるとダムの左岸です。

こちらの表札もやはり吉瀬ダム。
吉瀬はこの場所の地名です。南向というのは下流の発電所の地名だと思います。
地図なんかだと、ゼンリンの調査員がこの表札を見るのか吉瀬ダムと記載されてたりします。

こちらの門にはゲートが無く、オープンな状況だったので、念の為、管理所のインターフォンで立入の許可を頂きました。
普段から開放しているとの事ですが、不審者と間違われないように一声掛けて見学される事をお勧めします。

(管理所には、ひと通り見学を終えた後、パンフなどが無いか再びお邪魔しました、帰宅される所を呼び止めてしまいましたが、中部電力の職員さんはとても親切に対応して下さいました。どうもありがとうございました。)



天端を歩きます、真っ直ぐに伸びる管理橋。
橋の入口部分、ペケ印の鴨居が可愛いです。いい感じ。



一番左岸寄りのゲートから、水煙を上げ放流中。



ラックとギヤ。
ローリングゲートの構造もよく見えます。

リベット打ちのゲート本体もいい味してます。



ゲートピアのプレート。
一号ゲートではない、「一号ローリング」。



貯水池の表情。
独特のグリーン味を帯びた笹濁りの色。

この色の水を見ると、ああ、天竜川だねぇ〜、と、しみじみ思う。



夕暮れが迫ってきました。

ピア側面の窓の日差しが素敵。



この部分だけ「出航」して行きそうなデザインですね。
なんだかパーマンのバッチにも見えなくないけど。



丸い小窓ですが、ワイヤー巻揚のリールの位置を暗示させているのかも。
パッケージ的デザインと言った感じです。



このダムを手がけた福沢桃介は、南向発電所の建設を最後に現役を退きます。

以前、桃介記念館で聞いた話の中で、「桃介は手がける全ての発電所やダムにそれぞれ違った意匠を施し、同じデザインは二つと無い」と、聞いた事をふと思い出し、この南向ダムの洒落たピアのデザインに合点が合いました。

そう、この南向ダムは正真正銘の桃介チルドレンの一基なのでした。



南向ダム
★★★★

堤高、竣工年などのデータは、「水力ドットコム」Hisaさんに頂きました。
ご提供ありがとうございました。

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米沢発電所取水堰

堤高不明
G/P 1931年 中部電力

2010.9.25見学

究極の越流美。


日本全国には美しい越流を魅せてくれる素晴しいダムが幾つもある。
たとえば、鱗模様の越流が美しい、愛知県 瀬戸市水道局 馬ヶ城ダム。



玉石による石積の下流面を、越流水が滑り落ちる。
宮城県 仙台市水道局 青下第1、第2、第3ダム。



プラチナに輝く清流のカーテン。
奈良県十津川村 電源開発 奥里ダム。

IMGP9887.JPG

また、三大美堰堤と賞される藤倉堰堤、白水堰堤、長篠堰堤。
すだれ越流と呼ばれる宮城県 鳴子ダムなども、越流が美しいダムの筆頭候補に挙がるだろう。

だが、今回訪問した長野県茅野市にある、中部電力米沢発電所取水堰こそ、究極の美越流ダムであると断言したい。

この、あまり聞きなれない取水堰は、ネット上でもほとんど情報が無く、詳細な位置も不明であったが、幸い茅野市の地図に米沢水力発電所の記載があり、無事辿り着く事が出来た。

米沢水力発電所から上流へおよそ500m。
目的の取水堰は道路脇にあるが、林の中にあって、注意しないと通り過ぎてしまうかもしれない。



車道から見た米沢発電所取水堰。
手前に取水口があり、水路を通って水が送り出されている。



取水堰に歩み寄る。
取水設備内は立入が禁止されているが、正面の通路は開放されている。
対岸の左岸には水田が広がっており、地元の方の利便性の為に解放されているのかもしれない。

放流設備の上に鉄の管理橋が架けられていて、それを渡れば取水堰の正面に出られる。



これが米沢発電所取水堰である。

堤高は低く、目測で5mにも満たないが、堤頂長はたっぷりとしており、越流部だけでおよそ60m、左右両岸にある放流設備も含めると、全長は70mはあるだろう。

一見すると、コンクリートの表面が、ただ単に「水に濡れているだけ」に見える。

だが、そうではない。
滑らかなコンクリートの表面を、薄く、そして均一に、音もなく水が滑り落ちているのである。



この米沢発電所取水堰の越流は、透明な水がそのまま透き通った状態で流れ落ちる

鱗模様をはじめ、通常の越流が白く見えるのは、流れ落ちる水が堤体表面の凹凸や、勾配の変化によって堤体表面から剥離を起こし、周辺の空気を噛み込む事によって起こる。

形のない水という物質を、薄く、空気を噛ます事なく流すには、表面の平滑性だけではなく水量や水の層の厚さなど、幾つもの要素が複雑に絡み合ってくる。
これだけの規模で、滑らかに薄く、均一に越流させるのには、緻密な設計と、さらに高度な整形技術が必要であるはずだ。

この取水堰が造られたのは昭和6年。
日本で始めて型枠を使って堤体を整形した、ゴッドファーザー・大井ダムから僅か数年、流体力学などといった言葉さえも無かった時代である。

これが、僕がこの越流を、究極の美越流とする理由である。



一切空気を含まない、無色透明な越流。

表面を薄い水の層で覆った堤体は、周辺の樹木の影を細部まで忠実に映し出す。
越流水が白く流れていては、この様に影を映す事は出来ない。
これも、この取水堰だけの情景だろう。

また、滑らかで水音さえしないコンクリートの表面は、局部的に強い水圧を受け、磨耗や破損をする事が無いのか80年前の物とは思えない美しい肌をしている。



右岸の端にある放流設備。先程渡った鉄製の管理橋からの様子。

階段状のゲートピアは、高知県の高藪取水堰(1930年竣工)を彷彿させる。
ほぼ同時期に作られた堰堤が共通するディテールを採用しており興味深い。今でこそユニークな形状に見えるが、当時としてはスタンダードな形状なのだろうか。

脇にあるのは魚道だと思われるが、ここを魚が遡上するのは至難の業である。
河川は本流ではなく、里山の小川に造られた取水堰なので両生類などの水辺の生き物が対象なのかもしれない。

この真後ろに、発電所への取水設備がある。



ゲートピアの細部。

石膏のように白い表面は、塗布された表面保護材の類だろうか。ゲート付近の放流が当たる部分は下地の石材が覗いている。

ひょっとしてピアは全面的に石積なのかもしれない。
石積である事が階段形状のピアの正体なのだろうか?。



取水堰の下流正面は中州になってて、対岸まで歩いて渡る事が出来る。

左岸にも別の放流ゲートがある。こちらのゲートピアは石積である事が一目瞭然である。
正面にミニチュア級の吊橋が架かっていて、対岸まで自由に渡る事が出来る。



この米沢発電所取水堰は二つの小川の合流点に造られており、両岸にある放流設備は、それぞれの川筋の名残の様に思われる。
どちらか片方は排砂ゲートかなと想像したが、判別は出来なかった。



吊橋を渡り、水田のあぜ道から見る越流部。
里山の小川なので、堆砂は少ないが、その代わり藻が繁殖しているようだ。



トロッとした水の粘度を感じる堤頂部。
こういう水の表情がたまらなく好き。



昭和初期に造られた、米沢発電所取水堰堤。

それまでのスタンダードだった石積を脱ぎ捨て、コンクリートで表面を覆った事で得たのは、水流に一切逆らわない滑らかな下流面と、流れ落ちる柔らかな水の表情でした。



米沢発電所取水堰
★★★★



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横川ダム

堤高41m
G/FN 1986年 長野県営

2010.9.25見学

長野県の真ん中辺り、横川ダムは治水を目的とした県営のコンクリートダムです。
クレストに自然越流の洪水吐が並んでいます。



天端は自由に散策が出来ます。
可動ゲートを持っていないので天端もシンプル。



センターのオリフィスから越流中。
円錐のデフレクターが可愛い。



貯水池はそれほど広くなく、天端からバックウォーターも見える範囲にあります。
周囲を森に囲まれ、紅葉の季節はさぞ綺麗な事と思います。



堤体とは道路を挟んで、左岸にある管理所。
左手のシャッターのある建物は車庫じゃなくて、巡視艇の艇庫。



形状や構造がシンプルなだけに、なかなか特色の説明が難しい横川ダムですが、唯一、特徴的だったのがこのインクラインです。
堤体に沿ってレールが敷かれていて、左岸の道路の下を潜って管理所横の艇庫まで伸びていました。



さあ、これで長野県のコンクリート&ロックフィルもコンプリートに一歩近づきました。
あと残るは三浦ダムだけ・・・・と、思っていたら、香坂ダムが残ってました。
来年がんばろっと。

横川ダム
★★

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黒川ダム

堤高13.484m
G/P 1937年(?) 中部電力

2010.9.25見学

黒川ダムは長野県木曽福島にある中部電力の発電用ダムです。
堤高が15mに満たない為、河川法では堰堤となっています。

飛騨高山から開田高原を通って木曽福島に向かう国道361と、国道19号の合流地点の近くに黒川ダムはあります。



ダムのすぐ側に架けられた黒川渡橋。
それまでの木製トラス橋から1952年に現在の鉄骨トラス橋に架け替えられました。
下路ポニーボーストリングトラスと言う希少な形式だそうで、県下で唯一だそうです。
現在は他に新しい道が出来ていますが、以前は飛騨高山と木曽を結ぶ交通の要所でした。



橋からすぐ真近に黒川ダムがあります。
右岸にダム関連の建物、左岸は普通の民家が隣接しています。
ゲートの横に鴨が浮いていたり、のんびりとした雰囲気です。



道路とダムの間の、ほんのわずかな場所に、ぎゅっと押し込む様に建物が密集しています



建物の隙間。
ダムの天端や、ピア上部へはこの奥の階段から向かう様です。(もちろん立入禁止)



3門のゲートが並ぶ黒川ダム。

堤高およそ13.5m、堤頂長はわずが14.6mに過ぎません。
実は縦横の比率では川俣ダムに匹敵する縦長の堤体です。但し、絶対的な大きさが小さいので、とても可愛い感じです。



天然の河床も見える堤体直下。
左岸側に立っている壁は何かの遺構だと思うのですが?橋脚??

水が透き通っていてとても綺麗。



お水満タンの貯水池。
沢山の鴨たちが羽を休めています。奥のバックウォーターの近くに網端があります。

貯水池の真横から水が湧き上がっています。
木曽川上流から取水した水が送り込まれているそうです。
鴨たちが、湧きだす流れに乗って遊んでいるように見えました。



堤体の近くからは、道路の都合で真正面から見えないので、一旦離れて、下流から近づいてみます。下流の右岸は密集した宅地、左岸には中学校があります。

中学校の門をくぐり、敷地内にお邪魔させていただきました。
グランドでは部活の練習中。



小さいながらも端正な表情ですね。
民家と学校に囲まれ、地域密着型のダムといった雰囲気です。



黒川ダム
★★

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小諸発電所第二調整池

堤高不明
G/P 1927年(小諸発電所完成年) 東京電力

2010.6.14見学


小諸発電所第二調整池は、千曲川から取水した水を東京電力小諸発電所へ送水する調整池です。

小諸市の南城公園に隣接しており、アクセスも良好。
この日は小諸バットレスの遺構調査の為、南城公園から歩いて向かいました。

貯水池は、ほぼ全周に亘りコンクリートで護岸され、発電所の調整池らしい造りです。



貯水池の奥に堤体が見えてきました。

ネット上でほとんど情報が無いこのダムは、衛星写真から重力式コンクリートダムである事は見当が付いていましたが、詳細は不明です。



堤体までの道を進みます。
雑草の轍の向うに車止め、その先に天端が見えてきました。

対岸のコンクリート法面の向うは、直ぐに南城公園の芝生広場です。



手前の建物は管理所かと思いましたが、建物の下は発電所への取水口となっていて、窓ガラス越に機械類が見えます。

木造の趣のある建物は竣工当時からのものでしょうか?

この第二調整池は昭和2年、小諸発電所の建設に付随して建設されました。
すぐ南東に隣接して建設された旧第一調整池は貴重なバットレス式のコンクリートダムでしたが、竣工の翌年に堤体崩壊の事故の後に撤去、現在、跡地は南城公園の一部になっています。

車止めの先は特に立入を規制する標識もなく、敷地に入らせて頂きました。



下流面を初めて見た時、思わず何かを叫んでいたと思います。でも、何を叫んでいたかは興奮のあまりよく覚えていません。

クレストの意匠が今まで見た事のないものだったのです。

両岸までずらり並ぶ扶壁のデザイン。

中心のいくつかは余水吐となっていますが、非越流部には機能的な役目はなく、純粋に美観を狙ったデザインなのです。



これは間違いなく隣接する双子ダムであった旧第一調整池(小諸バットレス)との調和を意識したものに間違いありません。
現在、堤体の下流は木々が成長し視界を奪っていますが、竣工当時は下流から二つのダムが横並びに見えていたはずです。

1923年の笹流ダムに始まった我が国のバットレスダム、4年後の1927年に完成した小諸バットレスは当時としても最新鋭のダムデザインであったはずです。
オーソドックスな直線重力式として設計されたこの第二調整池は、隣接するバットレスダムに華を添えていたのでしょう。

この上部をアーチ状とする扶壁を見て、ムクムクとある妄想が膨らんできました。
ひょっとして小諸バットレスは、現在の笹流ダムのようにクレストにアーチ状の意匠を持っていたのでは?。

しかし、後の調査で小諸バットレスのクレスト部は、通常のシンプルな形状である事が解りました。



第二調整池の天端。

天端も立入を規制する表示はありませんが、実質的に関係者意外の者が訪問する事が無い為だと思います。
こういった施設では通常のダム見学より厳しくマナーが問われます。

柱状の装飾のあるコンクリート高欄、貯水池側は金網のフェンスとなっています。
車両通行不能の幅の狭い天端は、何処か名堤 大井ダムを思い出しました。



天端から下流へ見下ろします。

ゆるやかなカーブを描くエプロン、その先はオールドダムらしく石貼仕上げとなっています。



対岸の左岸までやって来ました。

調整池であるこの施設には、直接流入する河川はありません。

貯水池の水は千曲川の上流、現在の第一調整池(杉の木貯水池)の下流から取水され、隣の旧第一調整池の遺構を通過し、この低い屋根の設備から貯水池に流入しています。



左岸から見る堤体。

クレストの小さな余水吐は板が落とされ、さらに小さなゲートとなっています。
貯水池への流入も、発電所への送水も、全て人為的に操作が可能なため、非常用ゲートとしての出番はほとんど無いに等しいのでしょう。



左岸の先は、岸の斜面に点検用歩道が続き、そこから先は立入禁止となっていました。
現在は、この歩道の先にダム関連の施設は何もありません。

しかし、竣工当時は、この道の先には旧第一調整池があり、職員が行き来していた道なのでしょう。

こんな所にも小諸バットレスの残り香を感じます。



今回、初めてその姿を確認した小諸発電所第二調整池は、期待を大きく上回る美しく毅然とした姿を魅せてくれました。

堤高15mを超えるハイダムと違い、極端に情報の少ないローダムのひとつですが、日本中には沢山こんな魅力的な堰堤があるに違いありません。

巡るほどに、調べるほどに、ダムの深さと面白さを感じた小諸調整池の見学でした。



小諸発電所第二調整池
★★★


おまけ

通常、絶対に行けないクレストの扶壁内部に書かれた落書き(?)

三六年って、1936年?それとも昭和36年?
どっちにしても古い!!

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古谷ダム

堤高48.5m
G/FN 1982年 長野県営

2009.9.5見学

硬質硬派。



長野県営 古谷ダムは、長野から群馬へ向う国道299の道路脇にある。
それも、これでもかと言うくらい道路脇にあり、ダム管理所やパーキングは国道を挟んだ山側の道向かいと言う具合。だから、このダムに向って道に迷う事はありえないだろう。

自然越流式のクレストゲートが4門。ダム中心のやや下側にオリフィスが1門、ダム湖側にはコースターゲートも見える。

堤高はアンダー50mの規模だが、なかなか堂々と風格さえ感じるのはクレストにほとんど突起物がなく、スッキリとしている為だろうか。
ダムの端から眺める堤頂長162mの天端は、両側の高覧が一気に対岸まで伸び爽快感がある。

天端は徒歩で通行可能。



クレストゲートの扶壁の上なのですが、何がぶら下がっているのでしょうか??
棒を引き抜いてみたい衝動にかられるが、勿論そんな事しちゃダメです。

やっぱり僕は重力式コンクリートダムのフーチングが好きみたいだ。
前後に長い、ステージの様なフーチング。各段のピッチが不揃いなのもまたいい感じ。



古谷ダム。
長野県からはこの先、十石峠を越えると群馬県である。

★★

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余地ダム

堤高42m
G/FNW 2003年 長野県営

2009.9.5見学


平成スタンダード。



長野県の群馬との県境近くにある、長野県営の新しいコンクリートダムである。
シンプルでクリーンなデザインは、昭和の重鎮ダムを見なれた目では少し物足りないかもしれない。
細いスリットみたいなオリフィスと、自然越流の非常用洪水吐、どちらもシンプルな造形。

きれいに舗装ブロックが敷かれる天端から下流を見下ろすと、とてもコンパクトな減勢工が。
今まで、T字形とかL字形は見た事あるけど、この形状は初めて、表現するなら立体M字形。
減勢工の中にフーチングの続きがあったりするのも面白い。



天端には取水設備の建物があるが、ざっくり感漂うデザイン・・・(してあるのか?)



1990年着工、2003年完成の余地ダムは、平成生まれのスタンダードかもしれない。
だけど、昭和生まれのおじさんとしては、ついつい「最近の若い者は・・・」と、口にしてしまう。
そんなダムなのでした。

余地ダム
★★

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