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埋まっテルダム型録


「ダム」と言うのは我が国では一般に、川を堰止める構造物の事を指しますが、ヨーロッパではもう少し広義に使われていて、川の水が町に入らないようにする「堤防」の事もダムと言う場合があるそうです。

なので、国土が低いオランダでは、アムステル川の堤防で囲まれた町を「アムステルダム」、ロッテル川の堤防で囲まれた町を「ロッテルダム」と言うのは有名な話・・・。

それとはまるで関係ありませんが、今回のダムカタログ(堰堤型録)シリーズは、日本の「埋まっテルダム」「沈んデルダム」を特集します。


コンクリートダムの魅力には、いろんな面がありますが、ビジュアル的には何はともあれ「下流面」の表情が挙げられます。

大きなダムは壮大で雄々しく力強く。
その迫力を持って見る者を魅了します。
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小さなダムだって小さいなりに、
下流面はそのダムの「顔」としての役割を持っています。
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でも、沢山あるダムの中には、そんな大切な「顔」である下流面を隠してしまっているダムもいます。
下流面が土に埋まっている「埋まっテルダム」、
同じく水没している「沈んデルダム」です。

そんな、一風変わったダムたちから、まずは「埋まっテルダム」をご紹介。

山梨県北社市 頭佐沢ダム
1926年竣工 堤高21.5m

僕が初めて見た埋まっテルダムです。
21.5mもある事は事前に調べていたので、現地に到着して度肝を抜かれました。
地上に露出してるコンクリートの堤体は天端付近の5m程度しかありません。
堤高のデータが間違ってるのじゃないかと、疑いたくなる情景です。

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埋まり具合の見事さであれば此方のダム。
富山県富山市 新中地山ダム
1959年竣工 堤高35m

発電所の建設残土の処理として、コンクリートダムの下流面を完全に埋め立てています。
35mもある堤頂までみっしりと盛ってあるので、天端には下流側の欄干もありません。何故かと言うと、天端から転落しようがありませんので。
頭佐沢ダムもきっと同じような理由で埋まってるのかな?と思いますが、新中地山ダムは下流面に盛土をする前提で設計されている為が、コンクリートの堤体は幾分スリムな設計になっているようです。
(※このダムは立入禁止です。関係者様に特別な許可を頂き写真撮影)

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埋め立ての規模で言うなら、このダムが一番です。
群馬県利根郡 真壁ダム
1928年竣工 堤高26.1m

高さこそ26mですが、堤長が535.6mもあります。
長細いダムが多い北海道を除けば、このダムよりも長いコンクリートダムは下久保と弥栄しかありません(有峰よりも長い!)
この真壁ダムの場合、河川敷が長かった訳ではなく、丘陵に堤防を築く感じで建設されたものと思います。
基礎地盤まで掘り起こしてコンクリートのダムを築堤している為、ダムが完成後に下流面は堤体に沿って溝状の窪地が出来てしまい、雨水などが貯まってしまうので残土を埋め戻した、といった理由ではないかと推測しています。

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埋まっテルダムの理由は他にもあるようで、例えばこちら。
長崎市 本河内高部ダム
2006年竣工(再開発) 堤高28.2m

アースダムであった旧本河内高部ダムの再開発事業として建設されたコンクリートダムです。
アースダムのすぐ上流側に建設されて、外観上の下流面はそのまま明治に造られた既存のアースダムが活かされています。
アースの旧堤体の堤頂部からコンクリートの新堤体までは埋め立てで平坦な広場のようになっていました。

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上流からはご覧の通り、いたって普通の重力式コンクリートダムです。
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さらに凄いのはこちらでしょう。
大阪府泉佐野市 新滝の池
1995年 堤高26m

どこかの「少佐専用」とか言われる事の多い赤いダムです。
周辺の緑に映えるようにと赤いらしいのですが、下流面はと言うと・・・。

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このように、堤体の傾斜に沿って緑地化されています。(訪問時は初春であった為枯れ木ですが・・・)

一応、ほかの埋まっテルダムと同じく「建設残土」によるものだと言う事ですが、この新滝の池の面白い所は、とにかく「積極的に盛っている」と言う事です。

ダム建設中は、コンクリートの打設に合わせ、下流面に盛土をしていく事で現場への資材の搬入路を確保し、完成後は余分な盛土を除去して、木々を植林し緑化をするという設計になっています。
さらに面白いのは、コンクリートの堤体自体、盛土がし易いように表面は階段状に段差が付けてあるようです。

他の埋まっテルダムが、どちらかと言うと「仕方なく」埋まっている感があるのに対して、この新滝の池だけは、「もう、埋まりたくて埋まりたくて、仕方ない」といった感じなのです。

と、言う事で、新滝の池のその積極性を買って、勝手に「ベストオブ・埋まっテルダム」としたいと思います!。

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少し長くなってしまったので、「沈んデルダム」は次回に持ち越します。
アップするかは、この埋まっテルダムの反響次第・・・かな?

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オールドコンクリートダム型録(堰堤編)

さてさて、前回のオールドコンクリートダム型録では、日本で最も古い「ダム」たちを紹介しましたが、そもそも「ダム」と言うのは河川法によって定められた「河川を堰き止める高さ15m以上の構造物」と言うのは皆さんもご存じの通り。

ですが、この定義を定めた河川法は戦後の1964年(昭和39年)に施行されたものであり、それいよりも誕生が古いダムたちにとってはまさに寝耳に水、

「えっ!俺たちダムじゃないの?」「おいおい!聞いてないよ」
なんて声が聞こえて来そうです。

と、言う事で今回は堰堤編として、前回のオールドダム型録と同世代でありながら、知らない間に勝手に「堰堤」になっていた、堤高15m未満の「ローダム」たちの紹介です。



桂貯水池堰堤 1900年 京都府舞鶴市

まず、真っ先に名前を挙げたいのが、この桂貯水池堰堤です。
完成は布引五本松と同じく1900年、大日本帝国海軍の給水用水源として舞鶴に建設されました。

一面に苔が生したしっとりとした水源地に身をうずめるその姿は、風格と同時に野趣にも溢れ、さながらダム原人といった趣きです。
ここから日本のコンクリートダムが始まったかと思うと感慨深いものがあります。

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旧大湊水源地沈澄池堰堤 1909年 青森県むつ市

続いても有名な物件、旧大湊水源地はロシア・バルチック艦隊からの北海道防衛を目的に、帝国海軍の軍事施設として誕生しました。
戦後、民間の水源地として施設が引き継がれ、運用終了した現在は市民の憩いの場として穏やかな余生を送っています。

堤高7.9mと小柄ながら美しい弧を描く堤体は「日本最初のアーチダム」と称される事もありますが、現地で確認するとアーチダムでも「重力式アーチ」に近いものでした。
現代の感覚ではアーチダムは貴重な型式であり、なんとなく重力式よりも技術が高く、優れているダムのイメージを持ってしまいますが、当時はまだ、ダムの構造計算にアーチ効果による「期待値」が盛り込まれていた時代ですから、今とは逆に直線重力式の方が大胆で思い切った設計だったのかもしれません。

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(布引)分水堰堤 1907年 兵庫県神戸市

一般に日本初のアーチダムとされるのは上記の旧大湊水源地なのですが、実は布引五本松の上流にある分水堰堤の方が、アーチダムとして2年ほどより早く完成しているようです。

日本で最も古いダムこと、布引五本松ダムの付属設備であるこの分水堰堤は、布引五本松の貯水池への取水堰堤となっており、雨などで川が濁った場合に取水をカットし、貯水池が濁らない役目をしているものです。

フェンス越しに公開されているものの、茂った雑木でほとんど姿が見えないのが残念ですが、石張のその姿は、旧大湊水源地と異なり純粋なアーチ形状をしています。

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(布引)締切堰堤 190?年 兵庫県神戸市

布引五本松の貯水池と、分水堰堤との間にあるのが締切堰堤です。
元々は砂防堰堤ですので、ちょっと本型録とはジャンルが異なるかもしれませんが、表面石張の純粋なアーチ形状をしています。

分水堰堤から送水された水で貯水池の水位が上がり、水が谷に逆流しないように既存の砂防堰堤を嵩上して現在の姿になりました。竣工年はよく解らないのですが、分水堰堤と同時かそれ以後だと思われます。

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大河原発電所取水堰 1919年 京都府相楽郡

高山ダムのすぐ下流、木津川に根を下ろしもうすぐ100年となろうと言う古い堰堤です。ストイックでシンプルな形状なので写真では大きさが解り辛いですが、あと数センチで15mに届くなかなか立派なローダムです。
同期の石張ダムたちと同じく、非常に丁寧な施工が印象的です。

先の2基の物件は軍港施設でしたが、こちらの堰堤は水力発電所で送水する取水堰堤であり、それだけでも当時の日本の情勢や経済の変化を想像できる気がします。

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以上、とりあえず、訪問した中で有名どころを並べてみました。

堤高15m未満の「堰」「ローダム」はネット上の資料も少なく全容を把握する事は困難だと思うのですが、資料を発見してしまうと現地に行きたくなってしまうので、決して開けてはならないパンドラの箱のような気がします。(笑)

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オールドコンクリートダム型録


しばらくぶりのブログ更新、前回の戦前のハイダム型録に続いて、それよりも古いオールドコンクリートダムを竣工年が古い順に紹介します。

1900年(明治33年)から始まった日本のコンクリートダムの歴史、古いものは既に完成から100年以上経過しています。
私たちの生活を支えるインフラで、100年を越えて尚現役という建造物は、なかなか無いのではないでしょうか?。
これら最古参のコンクリートダムは貿易港や都市の水道施設として建設されたものが多く、その為、比較的訪問し易い場所にあると言うのも魅力の一つと言えます。


第1位
布引五本松ダム 1900年 神戸市

日本で最も古いコンクリートダムは、19世紀最後の年、神戸の水道水源地として産声を上げます。
新神戸駅のすぐ裏手、ハイキングルートやロープウェーで訪れる日本最古のコンクリートダムは、神戸っ子の恰好のレジャースポットとなっています。

阪神淡路大震災にも耐え抜いた堤体は、補修工事により耐震性を強化、湖底の堆積物を浚い、次の100年も現役で神戸の街に水を送り続ける事と思います。

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第2位
本河内低部ダム 1903年 長崎市

神戸市と共にオールドダムの二大聖地と言うべき長崎市、海外との交流の拠点であった貿易港は、諸外国から侵入するコレラ等の伝染病の侵入を防ぐ水際であり、より衛生的な上水道が熱望されていました。

本河内低部ダムは既に完成していた本河内高部(1891年完成・アースダム)の500m下流に建設され、長らく長崎市の重要な水源地を形成してきました。
昭和57年に発生した長崎豪雨災害を契機に、洪水調節機能を持たせた多目的ダムとしての再開発を受けています。(写真は3年前の工事中のものです、現在工事は完成しているはずです)

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第3位
西山ダム 1904年 長崎市

本河内低部と共に、長崎オールドダム・ツートップの一翼を担うのが西山ダムです。
ダム本体からわずか50m下流に新しい西山ダムが建設され、オリジナルの西山ダムは首まですっかり水没した格好となっていますが、現役の水道用ダムとして活躍中です。

1999年に完成した新しい西山ダムには洪水調節の能力を持っており、本河内低部と違ったアプローチで多目的ダム化への再開発が実施されています。

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第4位
立ヶ畑ダム 1905年 神戸市

布引五本松ダムから西へわすが2km、直線的な布引五本松と比べ、アーチ状の柔らかな姿がとても美しい立ヶ畑ダムです。
曲線重量式はアーチ作用を期待する(具体的な計算はされていない模様)目的と、コンクリートが硬化する時の伸縮に対して、直線よりも柔軟性があるとされていたそうです。

神戸市街のすぐ裏手ながら静かな貯水池は周囲を緑に囲まれ、湖畔から眺めるその姿は100年前にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。

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第5位
藤倉ダム 1911年 秋田県秋田市

東北初の本格的な水道施設として誕生、以来秋田市の水道水源として活躍してきました。
1973年の運用終了後は「忘れ去られた水源地」として余生を送っていましたが、近代水道100選に選定された事を機会に公園として再整備され、現在は越流が美しいダムとして多くの人々に愛されています。

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第6位
黒部ダム 1912年 栃木県日光市

有名な関西電力の黒部ダムと奇しくも同名の「栃木の黒部」は、コンクリートダム初の発電専用ダムとして誕生しています。発電ダムは「黒部にはじまり、黒部に終わる」と言った感じでしょうか?
堤高の割にやたらと広い敷幅は、実は60m級のダムとして計画がスタートした名残りではないかと推測しています(個人的な憶測です)

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第7位
草木ダム 1913年 兵庫県宍粟市

兵庫県山間部、日本のマチュピチュとして人気の竹田城址に程近い所にあります。
ゲートレスのシンプルな堤体、越流部の表面は改修を受けていますが、軽いアーチを描く左右の非越流部は、表面の石張と共にこの時代のコンクリートダムの特徴を持っています。

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第8位
飯豊川第一ダム 1915年 新潟県新田市


加治川治水ダムの下流、こっそりと隠れるようにあるのが飯豊川第一ダムです。
36.85mの堤高は竣工時は日本に最も背の高い堤体でした。
全面的な改修工事により、石張であったはずの当時の姿は、現在は見る影も無く少し残念。

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第9位
乙原ダム 1916年 大分県別府市

温泉で全国的に有名な別府にあり、温泉観光地の発展を目的に整備された「日本初の観光水道」の水源地として誕生。
もうすぐ100歳を迎えるオールドダムは、今も現役で活躍中です。

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第10位
大又沢ダム 1917年 神奈川県足柄郡

宮ケ瀬、浦山、滝沢とスターダムがひしめく現代の関東ブロック、その全てのコンクリートダムの祖先と言えるのが、このエリアのコンクリートダムで最初に建設された大又沢ダムです。
飯豊川第一ダムと同じく、全面改修により近代的な姿にリニューアルされていますが、当時のコンクリートダムのスタンダードであった曲線重力式の堤体は、まぎれもなくオールドダムのシルエットです。

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以上がニッポンのオールドコンクリートダム10ベストですが、飯豊川第一と大又沢は、全面改修により当時の姿とはかけ離れており、オールドダムとしての魅力に今一つ欠ける所があります。(第6位の黒部ダムは当時のイメージを残しつつ、再開発されていますね)
なので、ランキング繰り上げで11位、12位のダムもおまけでご紹介。


本庄ダム 1917年 広島県呉市

帝国海軍呉海軍工廠の水源地として築堤された名堤。
国家高揚を謳い上げるかのような華美な装飾、緻密な仕上げは、大正4年の竣工時のオリジナルを維持しており、軍港建設も手掛けていた海軍の土木技術の高さを証明しています。

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千本ダム 1918年 島根県松江市

日本の城壁を思わせる美しい谷積が印象的。
直線重力式と幅広の余水吐のシンプルなレイアウトは藤倉堰堤とも良く似ており、東の藤倉、西の千本といった所でしょうか。

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史実としては、この年代では、高原ダム(1917年 奈良県 堤高20m)、野花南ダム(1918年 北海道 21m)が完成していますが、これらのダムは廃止され、堤体は現存していないようです。

また、1918年には函館の笹流ダムに先駆ける事5年、国産初のバットレスダム・手井ダム(堤高21m)がサハリンに誕生していますが、何せ樺太なので実際に訪問しようがありません。
衛星写真をしらみつぶしに観察したのですが、いくつかのフィルダムは確認したものの、手井ダムと思われるダムは見つける事が出来ませんでした。
凍害が問題となりやすいダム型式ですので、廃止され、もう現存していないのかもしれません。


シリーズ・ダムカタログ(堰堤型録)、次回は、この時期のローダム(堤高15m未満)をいくつかピックアップしたいと思います。

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戦前のハイダム型録


個人的な好みを言うとフィルダムよりもコンクリートダムが好きです。
その中でも大型のオールドコンクリートダムは、石張堰堤と並び僕の大好物と言えます。

題して「戦前のハイダム型録(カタログ)」
今まで実際に訪れた戦前のオールドダムを、堤高順にベスト10でまとめました。
戦前の範囲ですが、細かく区分すると〜1941までが戦前、終戦の1945年までが戦中とも言えますが、ひっくるめて1945年以前に完成したダムとしました。

この時期を代表する大型ダムは、ほぼ間違いなく発電専用のダムだと言えます。
発電の為だけに建設されたダムたちは、絶対的な機能主義を前提としつつ、戦争へと突き進む大きなうねりの中で、まるで国家高揚を謳いあげるかのように、力強く、威厳に満ちたディテールを併せ持つ事が特徴です。


第1位
堤高87m
耳川のエンペラー 塚原ダム(1938年)宮崎県

その堂々たる姿は皇帝と呼ぶに相応しい威厳に満ちた堤体です。
西洋の砦を思わせるクレストの造形、そして何より滑らかで美しい堤体表面が、観る者に高貴な印象を与えます。

ダム建設には、日本のコンクリート研究の先駆者であった吉田徳次郎氏が顧問として参加。コンクリートの配合や骨材の選定など、現代のコンクリートの基礎とも言える技術が凝縮されています。
ちなみに吉田徳次郎氏は少し前にアップした広島の「鉄筋コンクリート船」の産みの親でもあります。

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第2位
堤高83.2m
大同電力のフラッグシップ 三浦ダム(1945年)長野県

福沢桃助が計画し、ニッパツの手よって完成した木曽川最上流に待ち構えるラスボス。
非越流の巨大な堤体が醸し出す迫力は、日本離れしたワールドクラスのサイズ感。
それは電力王・福沢桃助の夢のスケールを物語っています。

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第3位
堤高79.2m
庄川のダム神 小牧ダム(1930年)富山県

石井頴一郎氏によりコンクリート内部発熱に関する本格的な研究が実施され、耐震設計論で名高い物部長穂氏や、後に小屋平ダム(下記10位)をデザインする山口文象氏も建設に参加するなど、いろんな意味で話題が尽きません。
巨大な曲線重力式はアーロックダム(1916年アメリカ)を参考にしたもので、具体的な計算はされていないものの、アーチ効果を期待したものと言われてます(基礎岩盤に現れた断層を避けるにも都合が良かったとも)

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第4位
堤高73.5m
吉野川のオールドジェントルマン 大橋ダム(1939年)高知県

貴族的な印象のクレスト部。
「若い頃はブイブイ言わしたもんじゃよ」
そんな事を語ってくれる、素敵な老紳士です。
現在は稲村ダムという若い相棒をコンビを組み、生涯現役を貫いています。

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第5位
堤高73.2m
庄川ワンダー 祖山ダム(1930年)富山県

高さ73mの本堤は国道から奥まった所にあり、そこに辿り着くまで、流木設備の遺構が残る副堤など、ちょっとした探検気分が味わえる物件です。
3位の小牧ダムの上流にあり、セットで訪問される事をお勧めします。

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第6位
堤高67.4m
広島の秘密電気工場 立岩ダム(1939年)広島県

早朝の薄暗く深い霧の中を延々走って辿り着いた事もあり、とにかくすごい山の中にあったという印象があります。
周囲は民家はおろか何もなく、ただひっそりと静まり返っています。
深い山の中、だれに見られる訳でもないのに、ただ黙々と任務を遂行する・・・。そんな発電専用ダムの鏡のようないじらしい姿に、涙腺が緩むのを抑えきる事ができません。

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第7位
堤高64m
千頭ダム(1935年)静岡県

このダムのみ未踏の為、写真はありません(ごめんなさい)
過去の資料でしかその姿を見る事はできませんが、実は64mもある事に驚きです。
元々徒歩でしか行けない物件、さらに水害や地震による災害により現在は立入厳禁となっています。
さいはての地に多いこのジャンルの中でも、とびきり訪問難易度の高い(訪問不可能)物件です。


第8位
堤高62.1m
石張の楔 帝釈川ダム(1931年嵩上)広島県

なんとここで、元「石張ダム」がランクイン!
60mを越える堤高にして堤頂長わずか35mと言う、日本一縦長のダムとしても有名です。
全面的な再開発により、石張当時の姿は見る影もありませんが、急峻な谷に打ち込まれたクサビのような姿は今のなお健在です。
ダム本体までは歩道を伝い徒歩でしか行く事が出来ませんが、景勝地とあり遊覧船に乗って湖上からダムを観る事もできます。

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第9位
57.5m
日発スタンダード 岩屋戸ダム(1942年)宮崎県

上流の上椎葉ダムが放つ後光が鮮烈すぎて、その影になってしまい、いまひとつ印象の薄い物件ですが、よく見ると、有機的な堤体導流壁、臼状にラウンドした減勢工など、ニッパツらしい特徴に溢れたダムでもあります。

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第10位
堤高54.5m
名堤のオーラ 小屋平ダム(1936年)富山県

魔境・仙人谷ダムと揃いの、戦前を代表するデザイナーズダム。
黒部トロッコからはその上半身しか観賞できない事が本当に残念。
間違いなく、日本を代表する名堤のひとつではないかと睨んでいます。

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さてさて、堤高ベスト10は以上ですが、参考に1945年には着工済で、終戦直後に完成した背の高いダムを紹介しますと・・・。

長沢ダム(71.5m 高知県)

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高暮ダム(69.4m広島県)

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相模ダム(58.4m神奈川県)

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などがランキングにくい込んできます。
小河内ダムや有峰ダムなども戦前着工組ですが、ジャンルとしては少し異なる感じですね。

それでは次回もまた、別ジャンルでダムカタログとして紹介したいと思います。
乞うご期待。



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