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野間川ダム

堤高31.5m
G/FNW 2013年? 広島県営

2012.11.23見学


本日の最終目的地として、傾く太陽と競争してやって来たのは建設が最終段階を迎えつつあった広島県の多目的ダム、野間川ダムです。

「野間川ダム???聞いた事ないなあ〜。」
きっとそう感じる人も多いと思います。

では、これがあの「まろん湖」のダムですよ。
って、言ったら、きっと皆さん、ああーー!ってなると思います。

そう、あの、栗湖(まろん湖)の、野間川ダムです。

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ともかく、例のキラキラダムネームで有名になった野間川ダム。
訪問したのは今からおよそ半年前の2012年11月です。

現在は工事は完了している様で、ダム便覧にも先々週、北陸のエクストリームダムハンターこと、ひろ@さんからフォトアーカイブに写真が投稿されていましたが、当時はまだ堤体の写真がネット上に無く、キラキラネームで一躍有名になった野間川ダムは、いったいどんな形をしてるのか???と思い、行ってみた、と言う訳です。

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でもって、これがまろん湖の野間川ダム。
ゆるゆるなネーミングとは裏腹にすごくシャープな顔つきです。
その性か、堤高30m程の小柄ながら、数値よりも大きく逞しい印象です。

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放流設備はクレスト辺りの他に、堤体下部にも備わる模様です。
ぽっかり空いた穴の中から工事の方が行き来するのが見えました。

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2012年11月末の天端辺りです。
まだ着々と工事が進められており、立入禁止。

関係者の方と二言三言話をさせて頂いたのですが、まろん湖と聞いて、岐阜から駆けつけましたと言う僕に、驚き半分呆れ半分という表情をされていました(笑

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カミングアウトすると、実は、ダム湖の名前が決まったというニュースを読んで、「ダムが完成した」と、勘違いして来ていた僕。(笑

季節がら、完成したまろん湖の湖畔では、栗きんとんとか、焼き栗とか、おいしそうな物があったり・・・と、ハンドルをよだれで濡らしながらやって来ていたのでした。

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まろん湖こと、野間川ダム
★★



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御調ダム

堤高53.1m
G/FN 1988年 広島県営

2012.11.23見学


本日の広島ダム巡り、最後の目的地は建設も大詰を迎えていた某コンクリートダムとしていたのですが、山陽道からそのダムへ向かう道すがら、全くノーマークだったダムが現れました。

デミオ号急停車。
晩秋の日暮れが早い季節、残された時間は多くありません。
ともかく、わわわーっと、大急ぎで見てまわる事にしました。

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この御調ダムは洪水調節を主な目的とした県営のダムです。
クレストに並ぶ洪水吐。

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堤高53.1mと、そこそこ立派な大きなダムです。

ちなみに「御調」と書いて「みつぎ」と読むそうです。
(口には出しませんが、今も頭の中では「ごちょう」と読んでしまいます)

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この規模の県営ダムとしてごくスタンダードな感じです。

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なかなか特徴を見出すのが難しいダムですが、真面目でしっかり者という感じはよく伝わって来ました。

薄味なレポでごめんね、御調さん。

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御調ダム
★★

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野呂川ダム

堤高44.8m
G/FN 1975年 広島県営

2012.11.23見学


今回の中国ダム遠征、ちょっと寄り道して以前からずっと気になっていた遺構を訪れる事にしました。
(元々このブログ、「SIDE WAY」→寄り道・道草、って意味なのです)

やって来たのは呉市東部にある安浦と言う漁港。
目的のその遺構は直ぐに見つかりました。

「鉄筋コンクリート船」

太平洋戦争末期、深刻な鉄不足と造船技術者不足から、海軍で4隻の鉄筋コンクリート製の貨物船が作られました。
鉄筋コンクリートなら、鉄の使用は最小限で設計から造船まで「土木技術者」で出来ると考え出されたのだそうです。

4隻の貨物船のうち2隻は戦時中に沈没や座礁により早々に役目を終えましたが、2隻が戦火を潜り抜け終戦を迎えています。

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安浦漁港にはその生き残った2隻、第一武智丸と第二武智丸が、「防波堤」として現存しています。

終戦直後、中国地方を襲った枕崎台風によって安浦漁港も甚大な被害を受けます。
漁業組合は防波堤の建設を県に要請するも、地盤が悪く防波堤の建設は困難とされました。

そこで、終戦により廃船となった2隻の鉄筋コンクリート船に白羽の矢が立ちました。

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前代未聞の鉄筋コンクリート船、一説には完成後も乗組員の確保に苦労したとか。

しかし、出来あがった船は頑丈で、3回魚雷に触れ、機銃掃射を受けるも洋上で修理を施し輸送任務を遂行したという武勇伝も持っています。
また、主に瀬戸内海を航路としていましたが外洋にも出た事もあるそうです。

現在の2隻は船尾を突き合わせる形で港入口に安置され、その上を歩く事も出来ます。

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第二武智丸の後部船室部分です。
現在は甲板がなく鉄筋コンクリートの枠だけの姿になっています。

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その船室の内部です。
戦後60年以上も防波堤として、時として荒波を受けて来たとは思えないほど、まだまだしっかりとしています。

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船室内の船尾部分です。
所々コンクリートが剝れ鉄筋が露出していますが、装備品を外す時に壊されたりもしたのかもしれません。

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第二武智丸の甲板デッキです。
総鉄筋コンクリート製であった事がよく解ります。

鋼管の手摺は防波堤として安置後に取り付けられたものです。

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船首部分。
鋼船ではなくコンクリートで出来ているという事が、表情としてもよく解る部分です。

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細部をクローズアップすると、しみじみとコンクリートで出来ていると実感します。
建造には、学徒動員もされたそうで、型枠の中に流したコンクリートを突き固める作業などに動員されたのだとか。

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現在、安浦漁港ではこの二隻の鉄筋コンクリート船を維持、保存して行く形で、大切に扱われています。

「水の守り神 武智丸」
静かな港の水面の向こう、船体に掲げられた文字に、
地元漁港関係者の愛着と感謝の念が伺えます。

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漁港の守護神 2隻の武智丸。
★★★★


おっとっと。
思わす流れでレポを締めてしまう所でした。
寄り道から本線に戻って、ここから本題のダム訪問記です。

野呂川ダムは安浦漁港からほんの3、4キロ山間に入った所にあります。
濃い赤色をしたローラーゲートが見えてきました。

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野呂川ダムのダム目的はFN、主に治水を目的とした県営ダムです。

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堤高44.8m
飾り気はありませんが、整った綺麗な形です。

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管理所が対岸にあり、天端も開放されています。

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貯水池の奥に岩盤が露呈した山肌が見えます。
原石山でしょうか?。

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しゃぱーーーー。
純白のレースのカーテンが晩秋の柔らかな陽光を受けキラキラ。

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特にスカートの一番下、減勢工に注ぐ部分の波紋が綺麗で、時間を忘れ見とれてしまいます。

黒いコンクリートの上を、泡を噛んだ転波が常にその形を変化させ、山水画のような模様を絶え間なく魅せてくれます。

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今日はいつものように早朝から活動開始していますが、江田島に行ったり、安浦漁港で3時間近く過ごした為、すでに日差しが傾き初めていました。

早々に次のダムが本日の最終目的地になりそうです。

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野呂川ダム
★★


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三高ダム

堤高 44m
G/AW 2004年 広島県営

2012.11.23見学


下関で廃ダムを見て山陽道のSAで車中泊、明けて早朝の広島市内です。
まずは呉方面に車を勧めます。

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呉市街から南下、倉橋島から早瀬大橋を渡り江田島に渡ります。

江田島を訪れるのは2度目、その昔、修学旅行で来た事があります。
その時は広島から船で訪れた事もあり、江田島はフェリーに乗らないと行けないものとずっと勘違いしていました。

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江田島市は、江田島と西能美島、東能美島などに別れています。
目的の三高ダムは西能美島にあり、江田島市だけど江田島じゃない、ちょっとややこしい所にあります。
呉から島々を渡って来た事もあり、意外と時間も掛かってしまいました。

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堤高44m。
クレストに自然越流の洪水吐4門、シャツの襟元のような導流壁です。

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左岸から天端に到着です。
素気ないほどシンプルな天端です、丸い取水設備の赤い屋根が唯一のポイント。

あまりにも素気ない天端は違和感を覚える程ですが、それもそのはず、辺りを見回しても、ダムの管理所らしき建物が何処にも見当りません。

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天端からの眺望。
ダムから3、4キロ先に三高港があり、その向こうに広島湾の海も見えます。
天気がどんよりしてるのがちょっと残念。

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貯水池はそれほど広い印象はありません。
ダムサイトが一番幅広く、上流に向かって自然に狭くなっている事もあるかと思います。

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四角いプールの様な減勢池。
そこからしゅっと狭くなり、護岸された河川に繋がっていきます。

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ダム下には浄水場らしき施設が見えます、ダムの取水設備は左岸寄りなので手前の貯水槽の水は??
奥の茶色い外壁の建物がダムの管理所です(こんな所にあるのか)

この三高ダムの、現在のダム目的は水道と灌漑となっています。

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現在の目的、と言ったのには訳があります。

三高ダムは、元々は旧海軍の水道施設(海軍兵学校への水道水源)として、1944年に完成した堤高32.6mのダムでした。
戦後は水道水源として利用されて来ましたが、農業用(主に柑橘類、トマト栽培、生花など)の水も取水出来るよう1995年から嵩上工事が行われ、現在の姿は2004年に完成したものです。

嵩上は旧堤体の下流側表面の傷んだ部分を斫った後、下流面を分厚く打ち増す形で施工されています。
堤高の増加は11.4mですが、堤体積は既存の41.000㎥から、78.000㎥ほど追加していますから、おおよそ三倍ぼど大きなダムに生まれ変わっています。

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天端から左岸を観ると、天端の高さから一段下に空地が見えます。
たぶん、旧堤体の時の天端の名残かなと想像。

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その空地には記念碑の他に「いいもの」があるそうなので行ってみました。

ガサゴソガサゴソ・・・。
なんだか枯れた雑草だらけ。

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腰の高さまで茂った雑草の先に、その「いいもの」を発見。
実は、旧堤体の天端の一部が保存されているのです。

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洪水吐の部分を切り出した物だと思われます。
天端の幅は2m弱といった感じ、ずいぶん可愛い天端だった事が伺えます。

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三高ダム
★★★

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ブログ3周年記念特別企画 三永水源地堰堤再訪レポ

堤高14.2m
G/W 1943年 呉市営

2012.5.12再訪

戦前のプレキャスト。


7月も終わろうとしていますが、今月をもちまして「THE SIDE WAY」は無事3周年を迎える事が出来ました。

ダムを観に出かけるようになって1年を過ぎた頃、撮った写真の有効活用と言う事で始めたのがこのブログです。

仕事では毎日パソコンを相手にしていますが、正直あまり詳しくなく、未だスマートにリンクを貼れないようなブログですが、記事を読みに訪問して下さるダムファンのみなさんに改めて感謝しています。いつもありがとうございます。

ブログをスタートした時点で既にストックが150基ほどあり、1年以上前の写真と記憶を頼りに、常に季節感のないレポート(笑)をだらだらと続けて来ましたが、3年掛かりでストックが尽き、これからはようやく訪問直後の新鮮なネタが書けるようになりそうです。

その反面、気軽に行ける範囲のコンクリートダムは、ほぼレポートしてしまったので、ダム訪問レポ以外のネタも挟まないと間が持たないよなぁ。なんて事も思っています。

さて、

前置きが長くなりましたが、ブログ3周年特別企画として、再訪問物件のレポートです。今まで自分が初めて訪れたダムのみブログに書いて来ましたので、再訪の事を詳しく書くのは初めてだと思います。

取上げるのは広島県呉市の三永水源地堰堤です。

呉市の市営水道として戦前から戦中にかけて造られた重力式コンクリートの堰堤は、堤高14.2mと現在の区分では堰堤に属しますが、100mもある堤頂長は当時の水道ダムとしては規模の大きな堤体です。

水道水源として厳重に管理され、一般には一切非公開の施設ですが、敷地内にある藤棚は西日本一と謳われる立派なもので、藤の花が咲く春の数週間だけ園内が公開されています。

今回の中国遠征の大トリとしていざ三永水源地へ!、前回訪問時のリベンジです!!。
(前回のレポはこちら http://side-way.jugem.jp/?eid=661

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ガードマン常駐の受付で記帳をして園内に足を踏み入れます。
ここ三永貯水池の藤棚は結構有名のようで、公開期間だけ仮設の駐車場も設けられるほどです。

湖畔に並ぶ立派な藤棚・・・。
但し、花の見頃はとうに過ぎており、探さないと花はありません。
実は、今日は開放期間の最終の週末で、今日を逃すと来年まで堰堤を目にする事はできないのです。

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でも、今日の目的は堰堤です。

咲き誇る藤の花と堰堤というのも素敵ですが、前回訪問時に苦労しただけに今日と言う日をどれだけ楽しみにして来た事か!。

広い敷地内を堰堤方面に急ぎます。
花は無くとも、園内は手入れが行き届き心地よい庭園となっています。

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しばらく歩くと水源地の概要を伝える看板がありました。

着工昭和13年、竣工同18年。
およそ70年前に造られた歴史あるコンクリートダムです。

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看板から左に曲がり、藤棚の下をくぐるとダムサイトです。

わくわく、どきどきー!。

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わー!
三永水源地堰堤だー!!

中心でアーチ状の円弧を描く優雅な美堰堤、それが三永水源地堰堤です!。

決して背の高いダムではありませんが、たっぷりとした長さと、広い敷幅は堂々と威厳に満ちたものです。

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そして、三永水源地堰堤を、三永水源地堰堤とたらしめているのはこの見事な高欄です。

重厚なコンクリート造りの高欄は、それぞれ凝った装飾を施すオールドダムの中でも決定版と言えるものです。
優美なアーチ状の堤体と共に、オールドダムの造形の模範としてこの堰堤は登録有形文化財として指定を受けています。

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しばらくポーッと見事な高欄を眺めていましたが、ダム探究者として気になるのは堰堤の構造についてです。

浄水場への取水設備は堰堤の中程に見えていますが、洪水吐が見当たりません。
堰堤の下流に河川がある事は地形や地図でも確認していましたから、ダムサイトに洪水吐があるはずです。

堰堤の真下は対岸まで庭が広がっています。
その左岸の岸際をよく見ると、石碑があり、その近くに鋼管の赤い手摺のようなものが見えます。
どうやら左岸端に横越流式の洪水吐があり、赤い手摺は管理橋のものではないかと思います。

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そこまで行って確かめたいのは山々ですが、一般開放されているのは敷地右岸の藤棚のある庭園部分のみで、堰堤本体や天端までは近寄る事も出来ません。

てっきり天端まで行けるものと勝手に期待していたので少し残念ですが、現役の水道水源なので当然と言えば当然です。

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また、貯水池の岸辺も近付く事が出来ません。
ぐるっと金網のフェンスで厳重に囲まれている事もありますが、岸に連なる藤棚の中は立入禁止なので、藤棚が分厚いガードとなって湖面を覗くのも難しいのです。

なんとか別のアングルで堰堤が見えないものか?
園内をうろ付いて、敷地の下流側の端に来ました。
しかし堰堤下に行く道も当然のごとくフェンス封鎖。

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そこから遠くに覗く堰堤クレスト部。
いつかはあの天端を歩いて、直に高欄に触れてみたい・・・。

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近くには、アヒルとタチコマのトピアリー。
いやいや、鶴と亀ですね。

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その横には水道関連の鉄管でしょうか?
柵の向こうに並べてあるので一応展示物だと思います。

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再びフェンス越しに天端をしばし眺めて、藤棚の近くに戻ってきました。
開放最終週ですが快晴の陽気に誘われてか次々とお客さんがやって来ます。

今回の遠征や、前回来た時の事を反すうしながらのんびりとしばし休憩。
この後、自宅まで500km以上高速を走ります。

何処か座る所・・・。
と、思って園内に置かれているベンチに近寄ると・・・。

!!!!!。

これはもしや!。

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広い園内に点々と据置かれたコンクリート製のベンチ。

分厚いコンクリートで出来たベンチは・・・。
そうです!これは堰堤に使われている高欄のパーツを、そのままベンチとして利用した物に間違いありません!。

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さっきフェンス越しに観た天端の高欄。

柱状の部分の縦筋が何よりの証拠です。
つまり、三永水源地堰堤の高欄は現代で言う「プレキャスト」で造られていたのです。

確かに彫が深く複雑な造形は現場施工では難しく、予め別の場所で成型したパーツを使用した方が効率も良く仕上がりも上々だった事だと思います。

ベンチに使われているバーツは、きっと築堤時に余った物だと推測します。
(ベンチの為に設計されていないので、ものすごく座り心地が悪い!笑)

プレキャストと聞くと、最新の合理的な施工法のイメージなので、戦前のダムでの施工例は驚きました。
しかし、よく考えると日本の古来からの木造建築は全て加工済の木材を搬入して、現場では組み立てる(プレファブ)工法であり、これはプレキャストと共通する発想と言えます。
つまり、日本のダムに限って言えば、古いダムだからプレキャストが珍しいとは言えないのかもしれません。
(あるいは、西洋のダムを模範としてきた日本のダムが、この時期には日本的な建築工法のミックスを試みるに至ったか)

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藤棚の切れ目から湖面と堰堤が望めるスポットがありました。

水は澄んでいて、美味しそうな水に見えました。
庭園は美しく管理され、水源地がしっかりと守られている安心感からそう見えたのかもしれません。

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堰堤左岸を望遠で。
例の赤い手摺はやはり洪水吐に架かる管理橋のようです。

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ようやく観る事が出来た三永水源地堰堤。
庭園の中の美しいその姿は実に素晴しいものでした。

天端を歩き、高欄を触れて愛でる事は叶いませんでしたが、園内のベンチに触れて充分に満足する事が出来ました。

ああ、来てよかった。
しみじみと感じる心に残るダム見学となりました。

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三永水源地堰堤
★★★★

ちなみに毎年春にはこの三永水源地の他に、同呉市水道局の本庄水源地のお花見開放日や、少し足を延ばせば北九州の養福寺堰堤の開放日などがあります。
よい日を選べば貴重な見学困難物件を一度に観て周る事も出来るので、オールドダムのファンの方は要チェックです。

三永・本庄水源地(呉市水道局)
公開期間が決まり次第、毎年予定が水道局HPにアップされています。
本庄水源地 3月末〜4月初旬(?)
三永水源地 4月初旬〜5月(?)
http://www.water-kure.jp/customer/event/kaihou.html

養福寺堰堤(新日本製鐵 八幡製鐵所)
毎年3月末〜4月中程の約2週間のようです、開花状況で変わります。
遠方の方は、3月末頃に開放の予定を問い合わせされる事をお勧め。
http://www.nsc.co.jp/yawata/about/index.html

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渡之瀬ダム

堤高34.5m
G/P 1956年 中国電力

2012.5.12見学


御庄川ダムから東に広島県に入りました。
自宅のある岐阜にじわじわと帰りつつ、渡之瀬ダムに立ち寄る事にしました。

近くには温井ダムと並ぶ広島の主峰、弥栄ダムがありますが以前に訪問した事もあり今日はスルーします。

貯水池の左岸に沿ってしばらく走るとダムサイトに到着。
トンネルの手前から向かうダムサイトは、同じ広島の二級ダムのデジャブみたいに良く似ています。

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ダム本体の手前に休憩スペースがありました。
門の外なので常時開放されているようです。

決して立派なものではありませんが、整然と綺麗に清掃され、手入れが行き届いています。

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ベンチの後ろには周辺のダムも含め発電所の案内看板があります。
手描きの看板は味わいがあります。管理者様の大作でしょうか?

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天端入口の門は開けてあり、中に入れます。

堤高34.5m、堤頂長125.6m。
中国電力の発電用ダムです。

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丸みが可愛いコンクリート欄干。
建設の時代からするとミッドセンチュリーですが、モダンというよりも無国籍。

角が無いので欠けたり、ヒビが入りにくいとか、意外と機能重視のデザインなのかも(想像)

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クレストゲートは大きめのローラーゲートが2門。
巻揚機が天端上にあり、通路の上をワイヤが走る「中国四国型」です。

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ダムから下は両岸ともに林になっています。
ダム便覧では真下からの写真があるのですが、下に降りて行ける道は解りませんでした。

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赤土の岸に、波の跡が綺麗なラインを描いています。
複雑な岸の地形は趣があります。

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左岸のトンネルを抜けて、ダムの顔が見えるポイントを探りましたが、こんな写真が精いっぱいでした。

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渡之瀬ダム
★★★

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太高山ダム

堤高16.4m
G/A 1927年 呉市豊町営

2011.11.6見学

みかん畑のロコ・ダム。


遠征最終日は、九州からの帰り道、以前から訪問したいと思っていた、広島の物件に向かいます。
それは、呉市の沖、瀬戸内海に浮かぶ安芸灘諸島にあるとされる太高山ダムです。
太高山ダムは日本ダム協会のダム便覧でも写真が無く、正体不明のコンクリートダムです。

竣工は1927年。
この時代は、数年前の1924年に志津川ダム(天ヶ瀬ダムのダム湖に永久保存)と、大井ダムが完成、コンクリートダムは、それまでの石積・石張から、型枠整形へと大きな変化を迎えた過渡期と言えます。

石積ダム全国制覇を密かに目論む(?)僕としては、どうしても確認しなければならない事がありました。
それは、太高山ダムは、もしかしたら石積ダムなのではないか?という疑問です
石積ダムの全国制覇は、同時に詳細不明の過渡期のダムを訪れ、石積なのか?整形なのか?を見定めて行く旅でもあるのです。

太高山ダムは堤高16.4mと小柄で、町営の農業用ダムである事から、石積である可能性は高いと考えていました。

山陽道のSAで車中泊をして、早朝からミッション開始。
薄暗い早朝の広島市内、街はまだ眠っています。

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路面電車のお客さんもまだ少なく、少し眠たげな街は静かな朝を迎えていました。

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広島呉道路を使って、呉市街に到着する頃には、すっかり明るくなっていました。

瀬戸内海に散らばる小島にある太高山ダム、そこへ行くには呉から幾つもの島々を連絡橋で渡って行く事になります。

まず最初に渡るのが、安芸灘大橋。
呉市街と瀬戸内海に浮かぶ下浦刈島を結ぶ立派な吊橋で、有料道路となっています。

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安芸灘大橋で下浦刈島に渡った後、次は浦刈大橋を通って、島の東隣にある上浦刈島に渡ります。
ここからの橋は無料で通行できます。

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その下浦刈島を西から東に半周すると、また次の連絡橋が見えて来ました。
さらに次の東隣の豊島に渡る、豊島大橋です。

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橋の上からは瀬戸内海の島々がよく見えます。

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島の道路は海岸線沿いの一本道なので道に迷う事はありません。

連絡橋で島に渡って、海岸線沿いに時計回りに進むと、島の反対側の次の連絡橋に至るという具合です。反時計回りに進んだとしても、自然と島の反対側に行き当るので道に迷わないのです。

島の入り江には映画に出てきそうな趣のある漁村が見えました。
海なし県育ちなので、どの景色も珍しく感動的です。

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豊島の東端、この辺りが豊島の中心部部でしょうか。
眼下に次に渡る連絡橋が見えます、豊島の東に隣接する大崎下島を結ぶ豊浜大橋です。この橋を渡った大崎下島こそ、いよいよ太高山ダムがあるとされる島です。

ちなみに、この豊浜大橋は立派な橋ですが広域農道である為か、カーナビによっては道として登録されていません。僕のカーナビも橋が載っておらず、自宅から太高山ダムまでルート検索しても「ルートがありません」と表示されてしまいます。
太高山ダムに興味を持ってから何年も経ちますが、ずっと船でしか行けないダムだと勘違いしていました。

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大崎下島に上陸し、海岸に沿って時計回りで島の東に来ました。
連絡橋はまだこの先の島々とも繋がっていて、隣に見える島からは愛媛県になります。

海の向こうにぼんやりと大きな吊橋が霞んで見えます、愛媛と尾道を結ぶしまなみ海道です。
先月、四国からの岐路にしまなみ海道を渡った時は、向こうから此方を眺めて、
「ああ、あの島の何処かに太高山ダムがあるんだ・・・」なんて事を思っていました。

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大崎下島の東端にある豊町御手洗に来ました。
目指す太高山ダムは、ここから海岸に沿って1kmほど進んだ場所にあるとされています。

崖の上のポニョの港町にそっくりな御手洗の小さな町。
ここは、江戸時代には瀬戸内海の航路上にあり、「潮待ち、風待ち」の要所として、離島でありながら大変栄えた港だったそうです。

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海岸線から少し町に入ると、潮待ちの商人たちが泊まったであろう、船宿の街並みが保存され、情緒に溢れています。

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漁師町らしいこんな細い路地も現役です。
今日のダム巡りは太高山ダム1基に狙いを絞っている事もあって、珍しく旅情モードです・・・。

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瀬戸内なので特産はやっぱりみかんです。
家々の軒先に無人販売されています。一袋100円也、安い!。

たま〜に、家族に土産を買って帰るのですが、菓子類よりも果物の方が断然好評です。今回もみかんを買って帰る事にしました。安いので実家にも買って帰ろう。

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さてさて、すっかりダムブログである事を忘れていました。
情緒あふれる御手洗の古い町並みから海岸にそって車を進めます。

太高山ダムは、なんとなくの位置は解っていましたが、ダムまでの道などは全くの不明で、この時点ても、本当にダムが見れるのか?そもそもダム現存なのかさえ解っていませんでした。

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海岸伝いに走ると、街並みが途切れ、なんといきなり「太高山バス停」を発見!
御手洗を過ぎた最初のバス停が、いきなり「太高山」でした。

行ける、これはイケるぞっ!

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そして、バス停留所の近くを散策すると、こんな見慣れない物がありました。

なんでしょうか?近くで見てみます・・・。

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おおーっ!
スゴイ!すごすぎる!

なんとそれは、太高山ダムの貯水を使った「ダム水・供給スタンド」なのでした。

灌漑用ダムとされる太高山ダム、周辺は一面のみかん畑です。
きっと、地元のみかん農家の方が軽トラで横付けして、荷台に積んだタンクに給水して行くのだと思います。

それに、これで太高山ダムが確実に現存すると言う事も判明しました!。

後は、この「ダム水スタンド」の周囲の山を調査すれば見つかるはずです。
直ぐ海岸沿いにあるダム水スタンドから、山に向かって細い路地があったので、デミオ号で入って行きます、軽トラでもぎりぎりくらいの、細い農道です。

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急な坂道をぐいんぐいん登って行くと、フロントガラスいっぱいに、唐突に何か黒々とした壁が立ちふさがりました。
その壁は盛大に茂った巨木にカモフラージュされ、木漏れ日の向こうに空だけが見えていました。

こ、これはもしや!!。

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そう、これが太高山ダムです。
農道はダム下でカーブしていて、まさにダム直下に到着していたのです。

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ダムのすぐ直下だと言うのに、まるでその姿が見えません。
左岸から巨木が真横に伸びて、完全に下流面を隠しているのです。
全体に苔生した巨木は、老木ながら生命感にあふれ、近寄りがたい不気味ささえあります。

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下草を掻き分け、巨木の枝の下を潜り、堤体に近寄ってみました。

苔生した平坦な下流面・・・、整形コンクリートです。

1927年竣工の太高山ダムの正体は、石積ダムではなく、型枠整形による重力式コンクリートダムと結論が出ました。
残念ながら石積ダムではありませんでしたが、ダムの真下に立ってみて、もう、そんな事はどうでも良くなっていました。
それに、逆を言えば、型枠整形のごく初期の大変貴重なダムである、と言う事でもあるのです。

湿った黒いコンクリート。
下からは、つる性の植物が這い上がり、上の方は深い苔を生していました。

空の光で逆光になったクレストのシルエットにはクレストゲートの類は確認できません。非越流式の非常にシンプルな堤体である事が伺えます。

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逆V字をした堤体の、左岸のダム本体と岩盤の間を水が流れ落ちていました。

最初はこの水がどこからの水なのか見当も付きませんでしたが、以前に山口で観た羽根越堰堤に近い物を感じていました。
羽根越堰堤は、この太高山ダムとほぼ同時期に竣工したオールドダムです。

夜雀さんが、羽根越堰堤の特殊な洪水吐について詳しくレポートされています。
http://yosuzumex.daa.jp/flame.htm

茂った木々が視界を阻み、太高山ダムの洪水吐に関しては実態を探る事は出来ませんでしたが、両ダムは、型枠整形の創世期の貴重なダムであり、近い構造を持っている可能性を感じます。

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それにしても木々の勢いが凄い。
85年もの歳月は、ダムサイトの風景を一変してしまう様です。

一昨日見学した別府の乙原ダムがフラッシュバックしていました。

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堤体表面のクローズアップです。
整形の型枠に使われた木板の筋が見えました。

古い石積ダムの中には、後に何らかの理由で石張の表面をコンクリートで覆ってしまったダムもある様です。そういったダムは一見すると型枠整形に見えるのですが、表面がのっぺりとして違和感があります。

木板の跡が刻まれた、この太高山ダムの表面は、まぎれもなく竣工当時の状態であると思います。

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真下からは全くクレストが見えないので、農道を少し登って、堤体から距離をおいてみました。木々の隙間から、ようやくクレストの一部分が見えました。

コンクリート整形の、シンプルながらとても品の良い高欄が見えました。
農道はそのまま山の上の方へ向かって続いていたので、歩いてみる事にしました。

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海岸のすぐ近くなのですが、結構登って来ています。
海の向こうに見える陸地は、四国の山なみです。

山の斜面はすべてみかん畑です。
島に来て観て、水田はおろか、みかん以外の作物は全く見ていません。
ここは、漁業とみかん栽培の島なのです。

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山の斜面の農道を登って来ました。
森の中に水面と、ダムのクレスト部分が見えて来ました。

クラシックな半円形の取水設備。
取水塔のような建屋は元々無かった様です。

脇に付いているパイプは後から付けた物でしょう。
これは、ひょっとして最初に見た「ダム水スタンド」の給水パイプかもしれません、高低差を使ってサイフォンの原理で水を落しているのかも。

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堤体の右岸まで来ましたが、天端に降りる道は見付ける事が出来ませんでした。

ダムからの給水設備は例のスタンドだけでは無いと思うのですが、詳細は解りませんでした。

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ダムの背後は切り立った山脈が連なっていて、山の頂上付近までずっとみかん畑が続いています。

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周囲にみかん以外の作物が無いとなると、灌漑用のダムと言う太高山ダムは、やはりみかん栽培の為のダムと思って良いと思います。(竣工当初は、他の作物もあったのかも)

しかし、給水先であるみかん畑はダムの標高より高い場所にも沢山広がっていて、その場合、水は農家の人が各々のトラックで運ぶしかないのかもしれません。

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みかん畑の中には、点々と、こんな感じの作業小屋があります。
そして、そんな作業小屋の脇には必ず、丸い大きなタンクが備え付けてありました。

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このタンクも、その一つです。
タンクの下にコックが付いています、タンクの上部からビニールホースが出ていて、何処かに繋がっています・・・・。

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ホースの先を観ると、作業小屋の雨樋に直結していました。

乾燥に強いみかんですが、全く水が要らないと言う訳ではありません。
みかん農家の方々は、こうやって各作業小屋を利用して雨水を貯水している事が解りました。

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みかん畑の斜面から見下ろすオールドダム。

そうです、太高山ダムは、みかん農家の方々にとって頼もしい、大きな、大きな、雨水タンクなのです。

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瀬戸内海、みかん畑、オールドダム、そしてまたみかん畑。
全国にはいろいろなダムがありますが、こんなロケーションのダムは初めてです。

辺りを歩いて散策して、小さく古いダムを眺めているうちに、僕はすっかり、この太高山ダムが好きになっていました。

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いや、太高山ダムを好きになったのではなくて、この島そのものが好きになっていたのです。

よし!決めた!!。

家のローン完済して、子供が成人して、自分も定年になったら、老後はこの島に移住するぞ!!!。

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帰り際、何度も振り返っては眺めた島の風景。
瀬戸内の乾いた風は、どこか懐かしい甘い匂いがしました。

みかん畑のロコ・ダム。
太高山ダム
★★★★★


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奥山ダム

堤高32.7m
G/A 2007年 広島県営

2011.10.10見学


台ダムを後に、再びしまなみ海道を北上します。
窓を開けて走ると、土産に買った早生みかんのいい匂いが車中に広がりました。

しまなみ海道で面白いと思ったのは、海峡を渡る橋にはちゃんと歩道があり、沢山の人が自転車や徒歩(!)で渡っていた事でした。

心地よい瀬戸内の乾いた風、美しい島々をぶらぶら途中下車。
いつか、僕も自転車で走ってみたいと思いました。



大三島から、生口島を越え、次の因島(因島南IC)で再び途中下車。
生口島からは広島県になります。

奥山ダムは2007年に完成した灌漑用のコンクリートダムです。



まだまだ白いコンクリート。
最近の自治体ダムらしい、シンプルな天端。



天端から下流です。
堤高32.7m、堤頂長は106mと、比較的小柄なダムです。

深さのある減勢工、橋の下辺りでぎゆっと狭くなっています。



右岸に来ました。
シンプルだけどキリッと引き締まった、いい表情をしています。



小柄なダムながら、フーチング部分もいい表情をしています。
うん、悪くないね〜。



坂道を下ってみました。
クレストにぽっかり空いた1門のゲート。

堤体は逆三角形のバランスの良い形をしています。



クレストから出水する事が少ないのか、減勢工の中は雑草の水耕栽培状態。
まさか、茂った雑草で減勢?いやいや、それは無い無い。



完成から5年も経つけど、ダム便覧では未だ完成予想図の奥山ダム。
最近になって、アーカイブに安部塁さんが写真を寄せておられますが、訪問時にはその写真も無かった奥山ダム。

あまりの注目度の低さが不憫に思えて、寄り道して観て来た奥山ダムでした。



奥山ダム
★★

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帝釈川ダム

堤高62.4m
G/P 2006年(再開発) 中国電力

2010.11.7見学


以前からずっと訪問してみたかったダムに、帝釈川ダムがあります。
堤高62.4mに対して堤頂長はわずか39.5m、日本一縦長のダムと言われています。

この日、温井ダムを堪能した後、中国道の東城ICから寄り道してみました。
景勝地帝釈峡にある帝釈川ダムは観光用の遊覧船も出ていますが、ダムサイトを訪れる場合は全く違う場所からのアプローチとなります。
左岸のダム本体の近くから向かうのですが、集落の隅っこの農道の先にあるのでカーナビによっては道が表示されないかもしれません。
なので事前に詳しい地図などでチェックされる事をお勧めします。

農村集落の外れ、ダムサイトに向かう道はチェーンが張られ、ここから先は徒歩となります。



ダムまでの道は、帝釈峡の散策歩道として解放されています。

地元の方の手でダムまでの地図のコピーが用意されていました。
複数枚用意され、持ち帰れる配慮がありがたいです。(晩秋とあり、ストックは無くなっていましたが)

「新帝釈川ダム」と書かれていますね。
帝釈川ダムは今世紀に入って大規模な再開発が行われています。



邪魔にならない場所に車を置き、ダムに向かいます。

渓谷の下にあるダムなので、ここから山道を下って行きます。
アスファルトの車道とは別に、真っ直ぐ下にショートカットする階段がありました。

木々の間にダム湖の水面がちらっと見えますが、ずーっと下の方です。



階段を下りると、再び車道に出ました。
濡れた落ち葉で滑らないようにそろそろと降りて行きます。

昨日の二級ダム登山(?)で足腰そこらじゅうが軋んでいます。
帰りは無事戻れるかな?。



森が開け、ダムの周辺設備が見えました。

写真の手前がダム湖上流。
ダム本体は正面の岩盤の向こうにあります。

岩盤の中腹に水平に屋根付きの巡視路が見えます・・・。



そう、なんと、帝釈川ダムまではこの巡視路の中を歩いて向かうのです!!

岩盤を水平に細長く削った棚に、鉄骨の屋根。
屋根は雨露をしのぐ目的もありますが、上からの落石から歩行者や脇のボックス内の配線を守る為だと思われます。

かつてないワクワク感にゴキゲンです。
岩盤に沿ってカーブしているので、先が見えない所もたまらん感じ。



周辺の岩は魚卵状石灰岩というものだそうです。
歩道の中に説明看板があり、見本のように石片がちょこんと乗っていました。



岩盤にそって100mほど進むと、巡視路は終着点に到達しました。
そう、ついに帝釈川ダムに到着です。



うわっ、なんかスゴっ。
今迄訪問したどのダムとも明らかに違う事が一目瞭然。

谷にを塞ぐと言うよりも「詰まっている」と言うか、「挟み込んである」雰囲気。
堤体は鋭い鋭角のV字型をしていますから、文字どうり渓谷に打ち込まれたクサビのイメージなのです。



嬉しい事に天端も解放され散策が出来るようになっていました。

40mに満たない短い天端です。
あえてじっくりと、じらしながら進みます。



この帝釈川ダムの歴史は古く、なんと1924年まで遡ります。
当初の堤高は56.4m、同年に木曽川に大井ダム(53.4m)が完成していますが、こちらの方が数メートル高く、堤高日本一のダムとして産まれました。

また、メイソンリー中毒として欠かせないのが帝釈川ダムは石積ダムであった事です。国内のメイソンリーダムで唯一堤高50mを超えるダム、それが帝釈川ダムなのです。
大井ダムが新しい工法と積極的な機械化で50mの壁を超えたのに対して、既存の工法でそれを上回っていたのが面白いと感じました。
とても急峻な立地です、まさに人の手によって造られた50m級の石積ダムだったのではと思います。

その後、完成間もない1931年に5.7mの嵩上工事を経て、さらに2002年から4年をかけた再開発で表面の石積は斫り落とされ、上からコンクリートを増設し近代的な現在の姿になりました。

天端の目につく場所に、再開発の工事を記念したプレートが飾られていました。



天端から下を見下ろします。

下流の水面が遠い!
導流壁の穴から河川維持の放流中。
直下の減勢池は、滝壺のようになっています。

しかし、驚くのはこれから。
このまま視線を上げて行くと・・・。



目の前に現れたのは、まさに断崖絶壁という切り立った一枚板の岩盤でした。

岩盤までの距離も近く広角レンズに交換しても画角に収まりません。
このブログ始まって以来初の縦写真です。



天端の高さから直下の水面までおよそ60m・・・。
そして、そこからぐぐっと空を突き破るほどの垂直の壁がそそり立っています。



これはダムサイトの地形図です。
堤体直下左岸の等高線に注目。こんなに密集した等高線は見た事ありません!。
ダム直下から等高線を数えると、岩盤の高さはおよそ150mもある事が解りました。

もの凄い地形です。よくこんな場所を見つけて、さらにダムを建設したと思います。しかも大正時代の事です!。



この急峻な立地の為、現在でも陸路では巡視路を徒歩でしかダムに行く事は出来ないと思います。
もし大きな物資を搬入する時は船やヘリコプターで運び込む事になるのかなと思います。

また、再開発の時は仮設の道路を造り工事が行われました。(現場が帝釈峡の国定公園内の為、新たに道を付ける事が難しかったそうです)



現在の堤体はクレストに非常用洪水吐として2門のラジアルゲートが備わっています。

再開発は大正時代の竣工から80年を経て老朽化が進んでいた事や、既存の洪水吐の放流能力が少なく出水期には水位を下げて運用する必要があり、35mもの未利用の落差があるなど、水資源をより有効に活用する為に実施されました。

また、この時同時に発電所の再開発も行われています。



天端を渡って対岸に来ました。

階段を数段上がると、その先には狭い素掘りのトンネルが真っ黒な口を開けていました。
中はどうなっているのか?何処まで続いているのか?入口からは全く想像する事もできません。入るには相当勇気が要ります。(って、事でUターン)

再開発以前は堤体の上に歩道橋があったはずです。
巡視路からこの素掘りトンネルまで真直ぐ水平に橋が架けられていたと思います。



どでどでどでどでどどど・・・。
渓谷にディーゼルエンジンの音を轟かせて遊覧船がやって来ました。

再開発により洪水吐の処理能力が上がった事で、年間を通して満水の水位での運用が可能となりました。

最も観光客の多い紅葉の時期に、岸際の裸地を見せる事が無くなったのは、景観の保全、しいては観光資源としての価値を飛躍的に上げる効果があったと想像します。

まさにいい事づくめの再開発です。



「おおお。」
お客さんの視線が一斉に例の岩盤に注がれ、パチパチとフラッシュが光りました。

「あんな所に人がいるよ・・・」
僕と目が合った人がそう言ってる気がしました。

遊覧船は岩盤を見せるように向きを整え、ゆっくりとターンすると、でろでろでろでろ・・・と、再びエンジン音と波紋を残し上流に戻って行きました。



現在の非常用洪水吐はクレストゲートですが、それ以前はどうなっていたんだろう?。

現地ではダムとは別に左岸に大きな2門のローラーゲートがあり、トンネル式の洪水吐がある事は解っていたのですが、明らかに大正時代よりもずっと新しく、少なくとも1960年代以降のものだと感じていました。(神奈川の城山ダムのピアと同じテイストを感じたので同じ年代ではないかと)

帰宅後に調べてみると、やはりこのローラーゲートは1966年に造られた洪水吐ゲートだと言う事が分かりました。
このローラーゲートは720㎥/sの能力があり現在も現役です。クレストに新設されたラジアルゲートの890㎥/sと合わせ、現在は1610㎥/sの洪水処理能力を持っています。

さらにそれ以前はと言うと、下流への放流はたぶん同じこのトンネルなのですが、岸の岩盤にそって水路が掘られ、111門もの木製の小さなゲートが並べられていたと言う事です。

巡視路下の水面近くに棚になっている所がその竣工当初の放流設備の名残だそうです。



大正時代に築かれた50m超級ダム。
国内石積ダムの最高峰。
日本一縦長の堤体。
高い貯水効率。
中国電力所有の最古参ダム。
幽玄で美しいダム湖。

この帝釈川ダムにまつわるエピソードはいくつでもあります。
しかも、現地までの行程はちょっとした冒険が味わえて、家族で訪れるのも良いかと思います。(遊覧船よりもきっと楽しいはず)



普通のダムでは飽き足らなくなった愛好家に、是非ともお奨めしたい逸品でした。

帝釈川ダム
★★★★★

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温井ダム

堤高156m
A/FNWP 2001年 国交省

2010.11.7見学

ファイナルアンサー。


堤高156m、堤頂長382m、堤体積81万㎥。
温井ダムは国交省直轄の大型のアーチダムです。

上流にある王泊ダムから向かったのでダム正面からファーストコンタクト。
ダムサイトの上流にある公園から、グラマーなアーチが見えました。



もう少し近づいて、ダム本体右岸のパーキングから眺めます。

温井ダムは洪水調節や水道等を目的とする多目的ダムとして、2001年に完成しました。
この年は、同じく堤高156mの宮ケ瀬ダムと浦山ダムも竣工しています。
僕がダムに憑りつかれるのはその後何年も後の事なので、当時の事は知る由もありませんが、2001年は日本ダム史におけるビンテージイヤーであった事は間違いないですね。



直轄ダムである温井ダムは展望スペースが豊富に用意され、さまざまなアングルから存分に堤体を鑑賞する事ができます。
真っ白な下流面はドーム型アーチの証。

最初そのスケールに圧倒されますが、落ち着いてよく見ると上部に飛び出しの無い非常にすっきりとしたデザインに気か付きます。
通常天端に見られるエレベータシャフトや、洪水吐ゲートの建物などの突起物が一切無く、アーチの伸びやかさを強調しています。



天端は幅広く、車道になっています。
平日は車で往来が出来ますが、土日は一般車両通行禁止で歩行者天国(ダムマニア天国?)となっています。

この日も沢山の家族連れや、デート中のカップルが訪れていました。



天端で面白いのがダム中央のクレストゲート部分です。
ゲートの巻揚機は低くクレスト部分に埋め込まれ、温室のように透明のパネルになっています。



ゲートの扉体はどこにあるかと言うと、アーチの上流面にぺたーっと貼り付いていました。
コースターゲートみたいですが、紛れもなくクレストの非常用洪水吐ゲートです。

形式はローラーゲートですが、面白いのが開閉動作が通常のローラーゲートと真逆で、ゲートが下方にスライドし、上を越流させて放流する構造になってる事です。
現在はフルオープン状態ですが、有事にはゲートが上昇しサーチャージまで洪水を貯め込みます。

機械的に負荷が少ないのか、通常は下に降りて全開になっているのかなと想像。

なにはともあれ、この構造によってすっきりしたクレストの美しいデザインが出来上がったと言う事かと思います。



156mの天端を散策する家族連れ。

わいわいと親子で会話して散策中、そのわずか1m横は150mの断崖です。
このギャップが凄いですよね。

河川をまたぐ土木建築ではダムの他に、橋があります。
日本で最も高い橋は、僕の地元にある東海北陸自動車道の高架橋(鷲見橋)で、高さは118mだそうです。
もちろん118mと言う高さはとんでもなく高いのだけど、日本一高い黒部ダムと比べると3分の2でしかありません。
しかもダムの場合、路面から谷底まで全部コンクリートが詰まっている訳で、つくづくダムってとてつもなく巨大な建造物だと思う訳です。

この親子も、もしもここが橋だったらすごくおっかないのではと思います。
谷底までしっかりと中身が詰まっているダムだから、心理的に安心できるのかなと思うのです。



手を伸ばし山勘撮影。
大きな減勢池が見えます。鏡のような水面。



左岸にある管理棟のエレベータで3Fのフロアに行くと、ダム展示施設です。

試験湛水での記念放流の写真が飾ってありました。
すごいです!。



リアルに作られた模型をにやつきながら見学します。

FNWPと働き者の温井ダム、役割の中心はやはり洪水調節でしょうか。
赤いラインは最高水位を示していますが、本当に天端ぎりぎりまで貯め込む事が分かりますね。頼もしいかぎりです。

左岸にあるのは選択取水設備です。
アーチダムなのでダム本体ではなくダムサイトに造られています。
この立派な取水設備は多段式と多重ゲートを組合せていて、この温井ダムで初めて採用された構造となっています。



展示施設のある管理棟とは別棟の屋上は展望台になっていました。
いろな場所から眺める事ができます。

芝生とカラー舗装、天端のアスファルトと白い堤体。
ダム本体だけでなく、周辺のダムサイトも美しくデザインされています。

王泊ダムでは見頃だった紅葉ですが、それよりも少し標高は低い為が周辺の見頃はあと1週間かな?と、言った印象でした。



芝生の上で、対岸から歩いて来たファミリーが休憩中。
手摺の近くに車イスのおばあちゃんも。



そうなんです。

温井ダムは見学用の通路(監査廊)にも車イス用の昇降機完備で、完全バリアフリーのダムなのです!(さすが新鋭の直轄ダム)



温井ダムの内部。
ダムの内部は一般に開放されていて、自由に散策できます。
高速エレベータで下に降りた後は、明るい監査廊を進みます。



これは途中にある展示物。
何の展示かと思えば、ダムサイトの基礎岩盤に触れるという展示でした。

アーチダムは岩盤が命!

温井ダムは当初は重量式コンクリートダムで計画されていたそうですが、岩盤が非常に良好な事が解りアーチ式で建設される事になりました。
宮ヶ瀬、浦山と並んだ重力式の温井ダムも観てみたかった気もしますね。

がっちりした花崗岩は、何かご利益がありそうなので沢山なでなでして先に進みます。



通路を抜けるとダム下流広場です。

翼を広げる温井アーチ。
大きいだけでなく、左右対称の美しい姿をしています。



副ダムも立派ですね。



「こんにちは、ようこそ温井ダムへ、ぼくの名前は利水次郎です」

と、しゃべりませんが、そう言ってる気がします。
次郎だがら次男に間違いなのですが、じゃあ長男はと言うと・・・。



兄の治水太郎はあんな所に居ました。
名前は太郎と次郎だけど苗字は異なります。少し複雑な家庭で育った二人です。

両脇はツイン波動砲こと、2条のホロージェットバルブです。
ホロージェットもこれだけ大口径だと迫力がありますね。
2条で最大60t/sの放流能力があります。

中位標高放流設備のこのバルブは主に洪水調節に使用されます。



下流広場は上下2段になっていて、もう少しお近づきになる事が出来ます。
至り尽くせりの温井ダム、どこまでもフレンドリーです。


でかい。

そして意外なほど重厚。
アーチダムと聞くと繊細なイメージがありますが、温井ダムのアーチは重厚で分厚い壁の印象です。
事実、堤体積は81万㎥もあり、重力式ダムだと長島(86万㎥)大山(80万㎥)に匹敵します。

また、形状はドーム形なのですが、156mという高さに比べ、クレストのオーバーハングはかなり控えめです。
以前新潟で見た奥三面ダムにとてもそっくりだと感じました。(奥三面は下からは見れないので、あくまで想像ですが)
奥三面ダムも堤高116mを誇る大型のアーチダムで、面白い事に温井と同じ2001年の完成です。
同時期に設計・建設された二つのアーチの設計は、どこか共通するものがありそうです。



ダムの一番下には4門のコンジットゲートを配備。

温井ダムは、コンジットゲートを装備するダムで国内最大級の堤体です。
コンジットゲートの水深は106mもあり、もちろん日本一深い所にあるコンジットゲートとなっています。



整然と各設備が配置されている事もあり、スケール感が湧きませんがこの部分だけでもなかりの広さがあります。
放流能力は1100t/s、25mプールをわずか1秒で満水にします(!!!)

ダムの下から、コンジットを目線の高さで鑑賞できるのもなんだが不思議です。

キャットウォークは樹脂パネルで覆われていますね。(行ってみたい!)



うひょー。
すっげーフーチング。

温井ダムはスケール感が完全に麻痺します。



真下から見上げるアーチ。ここまで観れるアーチダムは貴重です。
これより1mほど低い奈川渡ダムでも出来ますが、奈川渡とはだいぶ印象は違います。

ちなみにクレストの非常用洪水吐は、5門で最大2000t/sの放流能力があります。



美形で、たくましくて、フレンドリー。

あんまりいい奴なので、意地悪で悪者っぽくモノクロで撮影したら、妙にカッコよく撮れてしまいました。できる奴は何やってもキマっちゃう訳ですね。くやしい〜。



配慮の行き届いた美しいデザイン。
バランスの取れた重厚で堂々としたシルエット。
豊富な展望スペースや誰もが見学できるバリアフリー。
洪水をカットする重武装。

西日本を代表する大型アーチと呼ばれる事の多い温井ダムは、西日本のみならず、間違いなく現在の日本を代表する大型コンクリートダムの一つである事は間違いないと感じました。



アーチダムのファイナルアンサー。

温井ダム
★★★★★






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