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北川ダム

堤高82m
A/FP 1962年  大分県営

2011.11.4見学


小雨の降る中、やって来たのは大分県営の多目的ダム、北川ダムです。
国道からダムサイトへの脇道に入ります。

直ぐに丸いグラマーな堤体が見えて来ました。
そうです、北川ダムは県営ながら、アーチ式コンクリートダムなのです。

(その昔、アーチ式が可能な岩盤でありながら、補助ダムのくせに生意気と言われ、泣く泣く重力式を採用したダムがあったとか、無いとか・・・)

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訪問時は、ダムサイトで工事が行われていました。
駐車場に車を停め、クレーンの脇を通って天端へ向かいます。

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アーチダムらしいタイトなダムサイト。
僅かな平地を占領して、少し年季の入った管理所が立っています。

北川ダムの竣工は1962年、60年代は全国にアーチダムが一番沢山建設された年代です。

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天端の入口に見学者に向けたメッセージ。

工事中でしたが、見学には問題ないみたいです。
天端入口に三角コーンが立っていましたが、車両の進入を阻む為と思います。

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まずは横顔拝見。

うわーっ。
これはべっぴんさんやわ〜。

立派なアーチダムですが、第一印象はそのスケール感よりも、とにかく美形の堤体という印象です。

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クレストには5門のラジアルゲート。
ドームのオーバーハングの面に揃って、下流面にピアが飛び出す事なく綺麗に揃っています。

奈良の関西電力 旭ダムも同じ感じで、ドームの面と面一にラジアルゲートが配されていますが、何処か男っぽい旭ダムと比べて、北川ダムのクレストは、スマートで女性的なイメージがあります。

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少し下を見下ろします。

堤体は白い美白肌。
その性か、曲線を描く2本の赤いキャットウォークが妙に色っぽい。

いいね、いいね、これは美人だ。

一番下のキャットウォークは銀色のグレーチング。
シルバーのネックレスをしているみたいに見えるのは、ちょっと妄想が激しすぎ?(笑)

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通りかかった工事の人が、天端から真下を観て。

「わー、高けー」
「おー、怖えー」

そりゃそうです、堤高は82mもあります。

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僕も同じ所から下を見ます。

「わー、高い!高い!怖い!怖い!」

この遠征では古いダムが多かったので、久しぶりの80m級です。

無色透明の印象的な水の色。
ダムの直下はすぐ近くまで天然の川床になっていて、静かな水面は、川床を寒天で固めたようなトロンとした表情。

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その向こうは両岸から切り立った山が迫っていました。
ダムの下流から国道はトンネルになっているので、家も道も何も見えません。

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振り返って、北川ダムの貯水池です。
幾つもの川が合流する地点に造られた北川ダム、貯水池は枝を広げる巨木の様な形をしています。

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天端からは、上流面にラジアルゲートを観る事が出来ます。
巻揚げ機も低く工夫され、天端から上部へ突起の無いスッキリとした堤体に一役買っています。

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天端を歩いて左岸に来ました。
形状がすっきりと整っていて、スケール感が湧きませんが、クレストゲート下のキャットウォークの手摺を観れば、紛れも無く巨大建造物である事を再認識します。

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大分の南端にあり、なかなか訪れるのは難しいのですが、アーチダムでは全国レベルの美人ダムとして太鼓判を押したい北川ダムでした。

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擬人化したら、やっぱり北川景子な北川ダムでしたー。

北川ダム
★★★★


ちなみに、県営ダムで、堤高80m以上の大型アーチは、北川ダムの他は、奥三面(新潟)、裾花(長野)、室牧(富山)などがあります。

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沈堕ダム

堤高5.5m
G/P 1909年 九州電力

2011.11.4見学


大分自動車道 大分米良ICで降りて、一般道を南下します。
北川ダムに行く途中で少し寄り道をして、沈堕ダムに向かいます。

沈堕ダムは九州電力の発電用取水堰堤で、大抵の地図で「沈堕の滝」と記された場所にあります。

国道502(日向街道)から脇道に入ると、滝を眺める展望スペースがありました。
そこから真正面に沈堕ダム(沈堕の滝)が見えます。

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「で、でかい!!」

沈堕ダムは、たかだか高さ5.5m程のローダムと聞いていました。ところが、目の前に轟々と水飛沫を上げる滝の迫力に、自然と驚きの声が出ていました。
「沈堕の滝」の高さはおよそ20m、その滝の上にあるのが取水堰堤の「沈堕ダム」。一体化した滝と堰堤のシナジー効果で、迫力の情景を創り出していたのです。

何故こんな滝の上に取水堰堤を造ったのか?

現在は九州電力が管理している堰堤ですが、歴史は古く、明治末期に豊後電気鉄道に使用される発電施設として造られました。

当初は普通に川を堰き止めて造ったスタンダードな堰堤でしたが、下流にあった滝が崩落を繰り返し、次第に堰堤に近づいて来たと言うのです!。

現在では全面越流の堰堤と、滝は完全に一体化して見えます。
知らなければ、滝の直上に取水堰堤があるなどと気が付く人も少ないと思います。

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沈堕の滝は、150年ほど前は、現在よりも240mも下流にあったそうです。
このまま滝の後退が進めば、やがて沈堕ダムも滝と共に崩落してしまう運命にありました。

そこで、1998年、九州電力によって、川床や滝の壁面の補強が施され、滝の崩壊が食い止められ、現在の姿になったとの事です。

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県道脇の展望スペースから移動して、近くの集落の中へ入ると、滝の下流は小さな公園になっています。
明治に建てられた最初の発電所が、公園の中に遺構として残されています。

現在の九州電力の発電所は、3キロ下流の別の所にあります。

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遺構の中の散策路を滝に向かって歩きます。
太古の昔から滝が崩壊を繰り返し、上流へ後退し続けた跡を辿る、ちょっと不思議な散策路。

150年で240mも後退したとなると、毎年1.6mのペースで滝が移動した事になります。自然の力って凄いですね〜。

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散策路は、滝が近くで見える所で終点。
この先に、発電所への取水設備がありますが、関係者以外立入禁止です。

盛大に流れ落ちる沈堕の滝、ダイナミックな水の景観です。

豪快な滝にばかり目を奪われてしまいますが、滝の上の沈堕ダムも、全面に白く越流した水が美しく、上流の水面の静けさとのコントラストが印象的です。

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九州電力により、補強が施されたという沈堕の滝。
ぱっと見ても、人為的に手が加わっている様には見えません・・・。

実は元々の天然の岩に混じって、擬岩が配置されているのだとか(!)
でも、色も形も全く違和感が無く、僕の目では、どれが擬岩なのか解りませんでした。

やろうと思えば、全体をコンクリートで覆ってしまう事も出来たはず。
しかし、九州電力は擬岩まで使用し、かつて水墨画で有名な雪舟も見たとされる名瀑を再現したのです。
うーん、素晴らしい!!。

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対岸を観ると、魚道のような遺構が見えます。

堰堤と滝に挟まれ、今となっては用を成す事はありませんが、その昔、滝はずっと下流にあった名残と言えます。

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対岸の切り立った岩盤。一見、堅そうに見えるのですが、阿蘇山も近く、見た目よりも脆いのかもしれません。

この沈堕ダムの、およそ20km上流には、日本三大美堰堤のひとつ、白水堰堤があります。大分の美堰堤めぐりとして、セットで訪問されるのも乙かもしれません。

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最後は広角レンズに交換して全景を撮影。

岩盤に囲まれた丸い滝壷は、ここだけの特別な別世界をイメージさせます。

ダイナミックな地形の変化と、九州電力の技術と景観への想い、そんな素晴らしいコラボレーションによって産れた美堰堤。そんな沈堕ダムでした。

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沈堕ダム
★★★


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鮎返ダム

堤高24m
G/W(A?) 1949年 別府市水道局

2011.11.4見学

進駐軍の水源地。


別府市水道局は、乙原ダムの他にもう1基ダムを管理しています。
乙原ダムより南に500m、朝見浄水場のすぐ裏山にある鮎返ダムです。

乙原ダムの見学に朝見浄水場を訪問した朝、約束の時間まで30分ほどあったので、先に鮎返ダムを観に行ってみました。

浄水場の前を通過、薄暗く狭い林道を登って行きます(どうか対向車来ないで)

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立木の隙間から別府の街が見えました。
後で発見したのですが、街の方からも鮎返ダムの天端を観る事が出来ます。

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木々の隙間から白い高欄が覗いています。
鮎返ダムです。

自由越流式のクレストゲート、高欄や取水塔は白く塗られています(表面保護剤?)

水道水源とあって、乙原ダムと同じで完全に立入禁止、貯水池の周囲もフェンスで完全に囲われて外部から侵入する事は出来ません。

おまけに立木に阻まれ、眺望が全く良くありません。
他にダムが見れそうなポイントもなく、このまま山を降りました。

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以上で鮎返ダムの見学は終える予定でしたが、朝見浄水場の方に乙原ダムを見せて頂いた後、「遠くからはるばる来られたのですから、鮎返ダムも観て行かれますか?」と、大変嬉しいお誘いがありました。

これを断る理由なんて何処にもありません。
乙原ダムから、そのまま直行で鮎返ダムを案内して頂きました。

水道局の軽バンにゆられて、先程の対岸となる左岸に到着です。
ここに来るまで幾つもの施錠ゲートを通過して来ました、大切な水源は幾重にも厳重に施錠され安全が保たれています。

堤高24m、堤頂長97.2m
直線的でスッキリとした外観から新しいダムかと思えば、終戦間もない1946年に着工、1949年の竣工と言う、66年もの歴史を持つ思いのほか古いダムでした。

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シンプルなクレストゲート。
ピアの色が一つ飛びで濃淡があるように見えます。
埼玉の間瀬湖堰堤のように、ビアが前後にオフセットしているのかと思ったのですが、どうもそうではないみたいです。(うーん、なんでだろう・・・)

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終戦直後のダムとしては、とても表面が綺麗です。
それもそのはずで、堤体の表面は、コンクリートをはつり、化粧直しが施されています。

実はこの鮎返ダムは、現在は別府市水道局が管理運用をしていますが、他のダムとは違う生立ちを持っています。

終戦直後、進駐軍の別府キャンプへ給水する事を目的とし、連合軍の命令を受け、日本政府が建設したダム、それがこの鮎返ダムなのです。

終戦直後の粗悪な材料であった事から、堤体表面の劣化が著しく、今世紀に入って劣化部分の除去と、下流面30cm、上流面50cmの打増しコンクリートによる補修、補強工事が施され、現在の姿になりました。

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このダムが造られた鮎返川は、元々乙原ダムと並ぶ市の水道水源であった為、皮肉にも別府市は鮎返ダムによって市民の水源を奪われる事となります。

進駐軍が撤退し、管轄であった日本政府よりダム及び関連施設が別府市に譲渡されるまで、市民は不便な水道状況におかれる事となりました。

そんな過去を持つ鮎返ダムですが、現在は平和そのものといった風情で、水は音も無くダムを越え流れています。

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堤体を左岸から。

スリットの空いた高欄や、角ばった取水塔は、表面をペイントされていますが、形状は終戦直後のオリジナルが保たれている様に見えました。

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鍵を開けて頂き、天端にも入らせて頂く事が出来ました。
幅の狭い天端は、たしかにオールドダムの造りを感じさせます。

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天端からは別府の街や、別府湾がよく見えました。
天気が良ければ対岸の愛媛もよく見えるそうです。

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四角い形をした貯水池。
インレットは護岸され人工的な雰囲気です。

給水人口25.000人から始まった別府市水道局朝見浄水場ですが、幾度の拡張工事により現在は別府市の75%へ給水をしています。
水源の安定化を図る為、別府市水道局は大分県企業局との共同事業により、昭和44年、およそ20km離れた大分川からの取水を開始します。

大分川から取水した水は、朝見浄水場のすぐ裏にある県営別府発電所で発電に使われた後、朝見浄水場で処理され市内へ給水されています。
(発電所の写真を間違えて消去してしまった、ぼけあつだむ)

現在、朝見浄水場では、ほとんどの水をこの大分川からの取水でまかなっており、鮎返ダムの水は、大雨により大分川が濁り取水できない時や、別府発電所が点検などで停止する時のバックアップ水源の役目を担っています。

発電所停止時には、このインレット上流にある導水路の放流ゲートが開放され、発電所へ向かう水は、直接鮎返ダムに流入する仕組みとなっています。

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インレット付近から貯水池を見ます。
水は澄んでいて綺麗な貯水池だと思いました。

ご案内下さった朝見浄水場の方は、朝見浄水場の特徴や、優れた点をいくつも説明して下さったのですが、浄水システムの基礎知識からまるでなく、ちゃんと理解できず大変失礼をしてしまいました。
ともかく、朝見浄水場の水は、水質が良く、他の浄水場よりもより自然の水に近い形で、安全安心な水を作り、供給されていると言う事を知りました。

(オールドダムが好きなら、水道についての知識が必須のようです、これは今後の課題ですね)

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上流からクレストゲートの中を観ると、なみなみと湛える満水位の向こうに別府の市街地が見えました。
進駐軍の基地の為に生まれ、紆余曲折を経て、今はバックアップ水源として別府の街を見守る鮎返ダム。

水道は蛇口をひねれば、いつでもどれだけでも水が使えるのは、実はとても凄い事なんだと再認識した鮎返ダム見学でした。

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鮎返ダム
★★★

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乙原ダム

堤高17.2m
G/W 1916年 別府市水道局

2011.11.4見学

別府の楽天地。


古いコンクリートダムが好きで、いろいろと見て周ったり、ネットで調べてみたりするのですが、情報が少なく今一つどの様なダムであるか謎が多い物件がありました。それが今回訪問する、大分県別府市にある乙原ダムです。

夜明ダムを観た後、大分自動車道をぶっとばして別府にやってきました。
温泉観光地として、全国的にも有名な湯のまち別府、街のあちこちから湯煙が上がっています。

海沿いの僅かな平地と、急斜面に広がる街並みは、オールドコンクリートダムの聖地、長崎や神戸と良く似ています。
貿易港がオールドダムの聖地であるのは、当時、外国から侵入するコレラなどの病原菌の蔓延を防ぐ為に衛生的な近代水道が求められた事があります。

それらと同じく、水道専用ダムとして建設された乙原ダムは1913年着工、1916年に竣工した日本で8番目に古いコンクリートダムです。
横浜から始まった日本の近代水道は、乙原ダムが出来る頃には全国に幾つもの事例あり、乙原ダムを水源とする別府の近代水道は特別に古い水道ではありませんが、他とは違う特色があります。

それは、別府の近代水道は、日本初の「観光水道」として整備された事です。
温泉街として別府の発展を目的に造られたダム、それが乙原ダムなのです。



ダム便覧にも写真が無く、詳細不明の乙原ダムですが、場所はなんとなく判っていました。
温泉街を見下ろす町はずれの山頂に「ラクテンチ」と言う味わい深い遊園地があります。

乙原ダムはラクテンチのすぐ南の谷にあるはずです。



昭和の臭いがする観覧車、手前には段々畑が残されています。

地図で見ると、乙原ダムはラクテンチの敷地から200m程しか離れておらず、遊園地南の真下にある様ですが、木々に囲まれ外部からはダムがあるようには見えません。



ダムを目指して山沿いの道を進むと、道路脇にオーラを放つ建物がありました。

朝見浄水場量水室です。
華美な装飾に飾られた外観は、小振りながら歴史を感じさせるもので、登録有形文化財の指定を受けています。



量水室の脇を通り、住宅地の坂道をくんぐん登っていくと、本日お世話になる別府市水道局朝見浄水場に到着です。

乙原ダムは水道施設として現役のダムであり、関係者以外は立入る事は許されません。今回は事前に問合せをして、見学申請書を提出、許可を頂き、公式に見学させて頂ける事となりました。

朝見浄水場では、普段から小学校の社会科見学を受け入れていますが、見学範囲は浄水施設までで、水源地の乙原ダムは学術調査を除き、外部の人を入れた事は無いとの事で、だだ単純に「ダムが好きなので、見学させて下さい!」と、いうのは前代未聞だったみたいです・・・。



朝見浄水場ではまず3階の事務所内の応接に通されました。

対応して下さいました職員さんが、まず最初に、
「ダムがお好きな方って、堰堤の下流面がどうなっているかとか、知りたいのですよね?」と、話を始められました。

それは、日本大学理工学部 伊東孝教授と、ダム好きにはおなじみ、写真家の西山先生のダム風土記の記事の事でした。
ネット上で唯一見る事が出来る、乙原ダムの記事でもあります。
http://www.nikkenren.com/archives/doboku/ce/kikanshi0101/fudoki.htm
この記事の中で、乙原ダムは下流に木々が茂り、下流面が見えないとあるのです。

その上で、職員さんは、古い資料の中から下流面が写っている写真を事前にコピーして用意して下さっていました!感激です!。

「おおお〜!!!」
静まり返った管理所のオフィスに、異様にハイテンションなダムマニアの歓声が響き渡ります(笑)

ダム風土記では見えなかった、美しい曲面重力式の下流面。
直下の構造物も石積や煉瓦で造られ、植栽も見え、公園の様に整備されていた様子が覗えます。
右岸端からの水流を辿ると、堰堤下の水路にはカスケードも見られ、美しい庭のようなダムであった事が解りました。


さらに、工事中の貴重な資料も拝見しました。
明治39年に当時の町長らによって起案され、大正5年に完成したとても古いダムです。(水道は翌大正6年に通水)
閲覧させて頂いた貴重な資料も、当時の実物なので、慎重に慎重にページをめくります。

これは建設中の乙原ダムを下流から撮影した写真です。
「別府町水道 貯水池堰堤施工中之図」とあります。
工事の節目に記念として撮られたものでしょうか?足場の上には紋付羽織袴で正装した人の姿が見えます。



これも同じ頃に撮られた、上流側の様子です。
遠景には別府湾がうっすらと見えます。



しばらくお話を伺ったり、資料を拝見させて頂いた後、職員さんの運転する軽バンで、いよいよ乙原ダムに出発です!。

浄水場の敷地内を軽バンで通過します。助手席の窓からは、数々の古い建物が見えました。
こちらは集合井室、浄水場の下で観た量水室と同じく登録有形文化財です。

そのほか、配水池の施設など、朝見浄水場の敷地内には幾つもの登録有形文化財が散見され、まさにタイムカプセル状態なのですが、それらを全て見学していては、とても時間が足りません・・・。



浄水場の敷地から出て、段々畑の狭路を通り抜けると、すっかり辺りは山の中です。湿った森の匂いがしました。

立入禁止のチェーン施錠ゲート。
この先も道路に轍がありますが、道はダムで行止り、車が回転できる場所が無いので、ここからは少しだけ歩きになります。



数十メートルも歩くと、うっそうとした林の奥に管理橋が見えました。

乙原ダムです!。

管理橋手前の施錠ゲートを開けて戴き、天端に向かいます。
(施錠を開けて戴く時のワクワク感は公式見学の醍醐味??)



ゲートをくぐり、右手を観ると、ダム風土記で西山先生が撮影された天端がそこにありました。

小振りで可愛い取水塔が見えます、トンガリ屋根の横顔は、ちょっとツンとすました表情に見えました。



天端に足を踏み入れます。
赤レンガを使った可愛い高欄、壁の部分はコンクリートブロックでしょうか。

周囲は360°木々に囲まれ、すぐ隣に遊園地があるとは思えない閑静な環境です。
ここだけ、すっぽりと大正時代にタイムスリップしたかの様です。



天端から、小さな貯水池に視線を移すと、ちょっと予想外の構造物に目が止まりました。
貯水池の右岸にそって、コンクリートの壁が立っています。

コンクリートの壁は決して貯水池の護岸でも、洪水吐の越流部でもありません。
貯水池の内側に、壁が上流まで縦断しているのです。



そのコンクリートの壁は天端の右岸近くから、真上を渡って歩く事が出来ます。
全面びっしりと青々とした苔の絨毯に覆われた頂上部を歩きます。

手摺のある右側はダムの貯水池。
左手は護岸された谷川です(乙原川???)

こんな構造物は、今迄どのダムでも見た事がありません。



貯水池最上流部には、水神様が祀られていました。
この川を数百メートル上流まで行くと、落差60mの隠れた名瀑「乙原滝」があります。(乙原滝へ行くには別の道があります)



その辺りから足元を見ると、またしても他のダムでは見た事のない物がありました。
壁を隔てたすぐ横の谷川から、ダムの貯水池にバルブで人為的に水が流入しています。



バルブの所から振り返った様子。
左に貯水池です、苔に覆われた壁を挟んで、右側の護岸された川はやはり乙原川でした。

驚くなかれ、なんと乙原ダムは、貯水池内に「仕切り」があり、貯水池の中に川が縦断している、なんとも珍しい構造を隠し持っていました!。

乙原ダムの水の流入はバルブにより自由に調節が出来ます。これは水道水源として、とても優れた仕組みです。
なぜなら、大雨で取水する河川が濁った場合はバルブを閉め、流入を止める事で濁った水や土砂の流入を完全にカットする事が出来るのです。



壁の上を戻って来ました。
乙原ダムは、堤高17.2m、堤頂長60.6mの小柄で可愛い堤体です。

大正ロマンを感じる取水塔が小さな湖面に揺らいでいます。



遠目には愛くるしい小さなダムですが、堤体に近寄ってみると、あと数年で竣工から一世紀を迎えようとする歴史の重みを感じる事ができます。

四角い石張に伝う植物たちが、古城の雰囲気を漂わせ、小さな堤体は、ちょっとした箱庭の風情があります。



貯水池と乙原川を仕切る壁と、堰堤の接合部分。
貯水池側に見える四角い穴は、いわゆるオリフィスゲートの役目をしています。

大雨が降っても、流入はバルブ径で決まっているので増える事はありません。
乙原ダムは、ダムでありながら「非常用洪水吐が無い」という、とんでもなく珍しい設計のダムなのです!。



同じ部分を下流側から観ます。
管理橋は護岸された乙原川の上に架かっていて、洪水吐のように見える石張は乙原川そのものであり、また、乙原ダムの堤体の一部分です。
滝のように水が落ちているのが、貯水池側の四角い穴からの水です。

貯水池と乙原川を仕切るコンクリートの壁は、昭和59年から60年に実施された改修工事により、見た目は現在の姿になりましたが、構造自体は大正5年の竣工時をキープしています。

乙原川部分の石張は竣工当初からの部分でしょう。
仕切りのコンクリートの壁や、乙原川部分の護岸も、かつてはこの様な間知石の石張りで全面的に仕上げられていた事は、最初に見せて戴いたモノクロの写真で確認できます。



すっかり、初めて見る珍しい構造に気を取られてしまいましたが、ダム風土記でも取り上げられたトンガリ屋根の取水塔こそ、乙原ダムのハイライトと言えます。



淡いブルーのトンガリ屋根。
白いモルタルの柱と赤レンガのコントラスト。
屋根のひさし部分や、入口の造形も大変凝った意匠となっています。

サッシ部分は昭和59年からの改修時に変更を受けていますが、基本的に竣工当時の外観を保っています。



正面の屋根の下には梅のレリーフが彩色されて飾られています。
大分は豊後梅という梅の発祥地で、梅は県花にもなっている大分とはなじみ深い花です。



特別に取水塔内部も見せて頂きました。
昭和の改修で設備が改められ、現在は空家のようになっていました。



100年近い歴史を持つ別府市の上水道は、給水人口の増加に伴い度々拡張を繰り返してきました。
そして、昭和44年、遠く離れた大分川からの取水ルートが開通します。

現在、別府市の75%をカバーする朝見浄水場では、ほとんどの水は大分川から取水しており、乙原ダムの水源は、主に、大雨等により川が濁るなどメインの大分川の取水に制限が生じた場合のバックアップを担っています。



天端から下流側です。
ダム風土記でもあった様に、沢山の木々で覆われていました。
竣工時に植樹された木も今は大木になっているのかもしれません。

たしかにこれでは、真下から堰堤を見上げるのは無理といえます。



大正初期に建設された、日本で8番目に古いコンクリートダム。

そして日本最初の観光水道は、別府を有数の人気温泉街へと成長させた影の立役者でもあり、昭和60年には水道100選にも選ばれています。

赤レンガとトンガリ屋根の可愛い乙原ダムは、市街地を見下ろす森の中、これまでの100年と同じ様に、これからもずっと街を見守り続けて行く事でしょう。



別府の楽天地。

乙原ダム
★★★★★


別府市水道局 朝見浄水場さま。
この度は一人の物好きの為に、いろいろとありがとうございました。

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女子畑第二調整池

堤高34.3m
G/P 1931年 九州電力

2010.3.22見学

見返り美人。


女子畑第二調整池。
ちょっと萌え系な名前のこのダムは、九州電力女子畑発電所へ水を送っている重力式コンクリートダムである。
ロケーションは険しい山間部ではなく、田畑の広がる丘陵地帯の中にあるのだが、すぐ脇に第一調整池がある都合で、周辺は広範囲にわたりフェンスで封鎖され、以前から謎に包まれているダムである。



公道から見える唯一のポイントから。
クレストにはゲートや取水口の類は無いようだ。間瀬湖に似た高欄のデザイン。美しいダムの予感。
これは是非とも下流面からの姿を観たい堤体である。



調整池の左岸の農道を進む。

丘陵の複雑な地形の為、少し調整池から離れると方向感覚も鈍る。ナビの画面を手掛かりにダム本体に近づけそうな農道を進むと、作業中のトラクターに行く手を阻まれた。
 
チャンスだ。
「すみませーん、ダムが見える場所、無いですかーっ、コンクリートの壁が見える場所でーす!」
 
トラクターを運転していた親父さんは、傍らのおばさんと顔を見合わせた後、運転台の上に立ち上がり振り返ると、大声で、
 「一本、手前の道ーっ」「コンクリ舗装の坂ーっ」「行き止まりまで行くーっ」「その後、かなり歩くー」と、オーバーぎみのジェスチャーを交え、道を教えてくれた。
 
なんだか、つげ義春の温泉旅情シリーズに登場するじっさまに思えて楽しかった。
 
教わった道はすぐ判った。
農道の行き止まりは広くなっているので、普通車なら方向転換もできる。ここからは徒歩で向かう。



直ぐに調整池が見えて来た。写真の左に堤体、右がインレット側になるが水は動いていない。流れ込みは天然河川ではなく人工の水路で、流入も操作されていると思われる。 



やがて堤体が見えて来た。
貯水池の奥に見えるのが発電所への取水口、女子畑発電所の出力2万6750kWは、竣工当時は日本を代表する最新鋭の発電所であった。



そしてついに堤体の正面に対面。

おおーっ。

勾配が緩やかに見えるシンプルな下流面。
大きな曲面を描くバケットカーブ。
高欄から下流面がストンと垂直に落ちて始まるので、余計にバケットカーブが大きく見える。

全体としては裾が広くどっしりとした安定感があるが、堤頂幅が狭く、クレスト付近は繊細な印象も感じる。

施工は間組。
後に、丸山ダム、佐久間ダム、黒部ダムなどを施工し、ダムの間と呼ばれる事となる間組であるが、堤高30mを超える築堤はこの女子畑が初であったそうだ。



高欄はアーチ形にコンクリートがくり貫かれ、鉄格子がはめられる凝ったもの。

今年で竣工から89年を経ている女子畑第二調整池。
今でこそ、この様な意匠は珍しいかもしれないが、ダムは橋などに比べ耐用年数が格段に長いので、ダムが完成した1930年頃は、きっと日本中のコンクリート橋でこのような美しい装飾が見られていたのかもしれない。

高欄上部の丸みが素晴しい。出来る事なら、直接なでなで、すりすりしたい。
手や頬が血だらけになるかもしれないけど。



対岸に車道が見える。
九州電力の管理道路だろう。天端への入り口は厳重なゲートで封鎖されている。



下流方向。
遠くに見えるコンクリートの構造物は、隣の第一調整池の設備ではないかと思う。
女子畑第二に向かう管理道理は、ずいぶんと手前でもゲート封鎖されている。この女子畑第二調整池が、ほとんど愛好家を寄せ付けなかったのが判る。
 
日本全国のダムを精力的に巡り、「ダム巡りのペースが変わらない、だた一つのダムマニア」 こと、だい〇ん によると、第一調整池は既に廃止されており、現在はすっかり埋立られてられているのでは?との事であった。実際、最近ダム便覧から第一調整池は削除されたようだ。



もう少し下流方向に行ってみよう。
雰囲気のある廃道をゆく。



ダムの下流側を見下ろすと、下には道がある様だ。
あそこまで行けるかな?行けないかな?いや、行けるかもしれない。



えい、こうなったら。

後先を考えず、とりあえず斜面を滑り降りる。帰りに登れるかは、その時に考えよう。
自宅から1000キロ近く離れた場所で、こんな事をするつもりではなかったのだが。

がさがさがさ。



なんとか、ダムの下流側に降りる事ができました。

ダムからの水は右岸のトンネルを通って発電所に送られるので、ダム下に河川はありません。調整池なので流入も操作しますから、余水吐も必要ないのです。

息を切らしながら近づくと、茂った木々で、あまり良く堤体が見えません・・・。

木製のフェンスから向こうは植樹林となっていました。
実は、この場所は、女子畑いこいの森と名付けられ、自然観察などの場として課外授業や子供会などで利用が出来るようです。

http://www.kyuden.co.jp/environment_activity_onagohata_index.html

ホームページを閲覧するとラブリーなイラストになんだか少し肩透かし。



落ちていた棒切れを杖にして、なんとか斜面を登って、元の場所に戻りました。
V字形の整った正面形状をしています。男前?、いや、やはり美少女でしょうか。

でも今じゃ、すっかりおばあちゃんかもしれませんね。



女子畑第二調整池
★★★★

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大山ダム

堤高99m
G/FNW 2012年 水資源機構

2010.3.22見学

僕はダムカードの収集はしていますが、あまり熱心ではない方だと思う。
訪問した曜日や時間帯によって入手出来なかったりする事も多く、運よく貰えたらもらうといった感じで集めています。
 
でも、この大山ダムについては、最初からダムカードをゲットするのを目的に訪れました。
それは、大山ダムは2012年の完成に向け建設中でありながらダムカードが発行されているからです。
 
ダムの実物が無いのに、カードの写真は一体どうなっているんだろう。
黒バックに「鋭意築堤中」って文字が入ってるとか?まさかね〜。
 
と、言う訳で現地です。
場所は下筌ダム、松原ダムの下流から西の別の谷筋に入った山中となります。

ダムサイト下流からアプローチしましたが、一般車両は近づく事が出来ませんでした。
谷をまたぐ極太の鉄管。こんなものが山中に潜んでいる事にも驚き。


先ほどの場所は諦めて、山道を登り、ダムサイトを迂回するトンネルを抜けると建設プラント全体が良く見える場所にたどり着きました。
ダムの建設現場は、辰巳ダム(石川)、丹生川ダム(岐阜)、胆沢ダム(岩手)、に次いで4度目ですが、コンクリートダムの本体の打設をちゃんと観るのは初めてです。



左岸の山が骨材の原石山です。ずっと山の上まで峠道が付けられています。
ここからダンプで続々と石が運ばれて来ます。



ダンプが石を降ろします。
いったん、ここに石が堆積され・・・・。



ベルトコンベアーで運ばれて行きます。



複雑に入り組んだベルコン。
何度も目で流れを追ったのですが、何かどうなっているのか。



この辺りの仕組みは勉強不足で説明できる知識がありません。
ダム愛好家として今後の課題です。



そして、骨材はダムサイト左岸へ運ばれ、コンクリートとなってケーブルクレーンでダム本体へ。
2基のケーブルクレーンが交互にバケットを運んできます。タクトはおよそ60秒でした。



がんばる高倍率ズーム。
望遠端でファインダーを覗けば双眼鏡の代わりにもなるので重宝します。

長い時間、この場所で作業を見学していました。ダム現場がじっくり観れて、大満足で次のダム見学先へ向かいます。

何か、大事な事を忘れてるような・・・・。それが何であるか気が付いた時は、すっかり峠を降りて国道に戻っていました。



あ、ダムカード忘れた。
 
急いでまた現場に戻ってきました、すっかり不審車両です。
水資源機構のダムなので、ダムサイトに立派なインフォメーションセンターがありました。
目的のダムカードを頂くと、

「見学は如何ですか?」と、嬉しいお誘い。
 
さすが水資源機構ですね、早速ヘルメットをお借りして、打設現場の見学となりました。



ダムサイトのバッチャープラント。









拡張レア工法の大山ダム。
手前の四角い柱が選択取水設備になります。
裾が部分的にダム湖側に伸びていますが、基礎地盤の具合によって補強されている部分だそうです。



ダム下の減勢工も建設中。壁が高い!



対岸のブルーシートが掛かっている所は監査廊です。



現在、この大山ダムの現場には、周辺の道路建設なども含め、150名ほどの方が働いているそうです。
本体の打設は24時間体勢。但し、気温の高い夏場の打設は夜間作業が中心になるので、こうやって日中に打設の様子を観れるのは期間限定なのだとか。
今年の12月には本体打設が完了して、堤高99mの雄姿がそびえる事になるそうです(早い!)



見学を満喫してインフォメーションセンターに戻ってきました。
センター内に、萩原雅紀さんの写真集もちゃんとあります。



メモリアルストーン。
骨材にメッセージを書いて、大山ダムのコンクリートに入れてもらえます。
なんで、「治水祈願」とか、気のきいた言葉が浮かばなかったんでしょうかね。これじゃあほ丸出しだ。



肝心のダムカード。
表の写真がどんなかだったかは、是非大山ダムを訪れてゲットして下さい。(意地悪)

IMGP8602.JPG

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松原ダム

堤高83m
G/FNWP 1972年 国土交通省

2010.3.22見学

松原ダムは、すぐ上流の下筌ダムと同時に建設され、2基のダムは連携し1つのダムとして運用されています。

ダムサイト左岸のオーロラビジョン。



天端は国道212号が通過。
大分自動車道から阿蘇山へ向かう道という事もあり、神奈川の城山ダム並みの交通量です。

ダム自体はとてもオーソドックスで目立った特長はないのですが、見学者が後を絶ちません。オーロラビジョンの集客効果でしょうか?。



ダム湖は特産の梅にちなんで梅林湖と呼ばれています。

事前予約が必要のようですが、梅林湖は観光用の遊覧船が運行されています。
蜂の巣城紛争の中で、住民からの要望として出された観光資源活用の一環かなと思います。先ほどのオーロラビジョンの設置も同様かもしれません。



下流の眺め。
左岸には発電所、松原ダムは洪水調節の他に、水道用水、発電などを目的としています。



クレストの非常用洪水吐は、ラジアルゲートが4門。
下流側に低くせり出して配置しているので、天端はスッキリしています。



天端通路から見るゲートピアの真上。
巻揚機も内部に納められているので何もありません。バルコニー風ですが立入はできません。



左岸の下流側を散策すると、斜め前から見学できるスペースがありました。
直線を多用した外観は、機能的に見えます。



おや?
この感じは下筌ダムのクレストゲートにそっくりですね。

下筌ダムとは兄弟とも言える松原ダムですが、ダム形式が違うのに、意外な共通点がありました。
未確認ですが、ひょっとしてラジアルゲートのサイズが共通するなどの、設計や維持管理の効率化が図られているのかもしれません。



松原ダム
★★★

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下筌ダム

堤高98m
A/FNP 1972年 国土交通省

2010.3.23見学

竜門ダムの上流から大分県に入り、下筌ダムにやって来ました。

下筌ダムは昭和33年から13年もの間続いた建設反対運動「蜂の巣城闘争」の地であり、その後のダム建設の有り方に大きな教訓をもたらしたダムです。

左岸の展望スペースより。

クレストゲートのピアが直線的でスッキリした感じ。
アーチも整った円弧を見せていて、端麗なアーチダムといった印象。



天端は車道になっていますが、ほとんど交通はありません。
此方の左岸は大分県、管理棟のある右岸は熊本県です。



左岸のインクラインと取水設備。
取水設備の続きが岸のトンネルの中に隠れていて秘密基地みたい。



貯水池は闘争にちなみ、蜂の巣湖と銘々されています。
また、湖畔には蜂の巣城闘争の資料を展示した資料館などもあり、対立した双方が、ここで起こった出来事を包み隠さず教訓にして行こうとする思いが感じられます。



天端から下流を望む。
下流にある松原ダムと繫がっています。

堤体下流面を見上げる場所があるはずですが、その場所へ行けるかは松原ダムの水位によるのかもしれません。
副ダムが水没していますから、この日の松原ダムの水位は高い方かなと想像。

下流の右岸沿いに車を進めると、ひょっとしてこの道の先かな?という脇道があったのですが、林業作業中で進入禁止となっていました。



クレストに3門のラジアルゲート、下流側に突き出た感じで配置されています。

ピアの上半分だけお化粧直しされています。
ダム本体の高欄の影で雨が掛からず白いままの範囲に合わせている様子。
遠目に見てスッキリとした印象に感じたのは、こういった細かな配慮のおかげですね。



その下にローラーゲートのコンジットが2門、下流に向けて斜めに配置されています。
丸い屋根が特徴的です。





「ダムに沈む」
 
ダム建設に伴う水没集落に対して、よく見聞きする言葉です。
この言葉を最初に発信したのは、ダム建設に懐疑的な新聞記者ではないかと思いますが、繰り返し使われる事で一般に浸透し、ダム事業者側もこの言葉を使うようになっている感じさえします。
 
ダムに興味を持って各地を見学するに連れ、この言葉に違和感を感じるようになりました。
 水没集落となんの関わりも無い僕が軽口をたたくべきではありませんが、僕はこの言葉はあまり好きでは無いし、間違っていると思う。
 
集落はダムに沈むのではなく、集落は 「水に沈む」 と思うのです。
 
そもそも、ダムは、洪水調節と利水といった目的を持って建設されます。
コンクリートやロック材を積上げ、巨大な壁を造る事がその目的ではなく、果たすべき目的は治水と利水で、ダム本体はその目的を達する為の器(うつわ)に過ぎません。
 
水に沈むとは、すなわち、治水や利水によって集落が沈むという事です。
それは、土地や家屋を奪われる人と、治水、利水の恩恵を受ける人とのトレードオフで、ダム建設にあたる事業者はその2者の中間に立つものだと思います。
 
マスコミが使い始めた「ダムに沈む」という表現は、起きている事を広く世間に伝え、権力の番人という報道の一つの役割を果たす物であったかもしれませんが、そこで表現されたのは、水没者対ダム事業者 という、ショーアップされた対立構造であって、 治水や利水による効果という、ダムの有効性の部分が、丸ごと欠如してしまっています。
 
また、その片手落ちの表現により、水没者と、ダムにより恩恵を受けるの者との間に距離感が生まれ、ダム建設の是非を問う中で、恩恵を受ける人々の発言の場を奪ってしまったとも思えるのです。

結果、「ダムに沈む」 と、いう報道は、治水や利水などダムの有用性を、広く一般の人が知り、考える機会を奪ってしまったのではないでしょうか。
 


蜂の巣城闘争の経緯をまとめた資料館は、沢山の桜の花に囲まれています。
今日の下筌ダムの湖畔は、静かで優しい時間が流れていました。

下筌ダム
★★★★

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白水堰堤

堤高14.1m
G/A 1938年 富士緒井路土地改良区

2010.3.22見学

JAPAN ORIGINAL.


九州遠征2日目、九州自動車道 託麻PAを出発したのは早朝4時頃だったと思う。
日本三大美堰堤のひとつ、大分県 白水堰堤を朝一で狙う為だ。
 
熊本ICで降りて、国道57号をひたすら東へ走る。
本当なら右手に阿蘇山の雄大な姿が見えるはずだが、だた漆黒の闇が広がるばかりだ。
 
途中、阿蘇の道の駅に立ち寄った。
するとどうだろう、道の駅のパーキングは車中泊のキャンパーや、ワゴン車で埋め尽くされている。
 
焦った。
目指す白水堰堤は、絶好の撮影ポイントとしてダム愛好家のみならず、今やアマチュア風景写真にもメジャーなスポットなのだ。
道の駅に溢れる車中泊の車を見て、どの車も、三脚の場所取り競争のライバルに思えた。
 
逸る気持ちにブレーキをかけつつ、白水堰堤に到着した頃は朝になっていた。
近くに白水の滝という景勝地があるらしく、現地では白水堰堤の事をそう呼ぶのか?と、勘違いし少し道に迷った為だ。
すっかり出遅れてしまい、三脚競争に負けたかもしれないと思っていたが、現地で待っていたのはアマチュアカメラマン達ではなく、朝の光と異様な静寂であった。
 
静かだ、対岸の小鳥の羽音まで聞こえるようだ、流れる水の音さえしない・・・・。
車を飛び降り堰堤に駆け寄る。

水が・・・・無い。



時おり、ゴボッ、と咳払いをするように、空気と一緒に水しぶきが上がる。
唯一流れている水はこれだけ・・・。



水が流れていない事に落胆したが、気を取り直して視線を上げる。

水が無い?もうそんな事はどうでも良くなった。

なんて美しい表情なんだろう!!



左右で表情の異なる下流面。
ゆったりとうねるドレープが印象的な右岸、流れるようなカスケードが美しい左岸。



白水堰堤を撮影した写真には、白いレースのような越流を背景に、堰堤下に人が立っている写真が多いが、この日は堰堤下は立入禁止であった。
水が止められていたのは、点検と調査の為との事なので、通常は立入可能なのだろうか?。

車を止めた左岸の堰堤下は、そこまでの農道の道幅は狭いものの舗装は新しく、十分な駐車スペースもあり、近年観光用に整備されたものだと思われる。

堰堤下が立入禁止の為、左岸に向かうには、車で7〜8キロ迂回する事になり結構大変だ。それに、左岸にはごく普通の民家が1軒あり、少し驚いた。
竣工当初、ダム守のような仕事をされていた家なのかもしれない。

オールドスタイルのダム碑、その前に祠。



白水溜池 朝7時。
下流の田畑を潤す貴重な水源地である。



貯水池の奥には水鳥たち。

複雑な地形のこの辺りは、昔から米作にかかせない水の確保が難しく、サイフォン式の用水路や円筒分水など、多くの灌漑設備が作られている。
白水堰堤は、その灌漑システムのほんの一部にしか過ぎないそうだ。



右岸から見下ろす。
越流面の苔が枯れていない所を見ると、水がなかったのは本当に運が悪かった。

下流面にも負けない美しい巻天端。クジラの背中の様だ。
積まれる切石は比較的小さなサイズだが、これだけ滑らかに築くのは高い技術が必要だったに違いない。



左岸のドレープの上には石造りの階段が設けられている。

ゲートバルブから放流した先は、用水路への入口だろうか。
越流していても、堤体の真下を人が歩ける秘密はこれだったのか。副ダムのようになっている部分は通常の越流では水が被らないのだ。

日本三大美堰堤として姿形が有名な白水堰堤は、構造的にも、まだまだ知られざる秘密があるようだ。



白水堰堤の竣工は意外にも遅く1938年。

この頃になると、一般にコンクリートダムの整形は型枠を用いており、とうに石積を脱ぎ捨てていてもおかしくない時代にあたる。

大分県は明治以降500を越える石橋や水路橋が作られており、石工の技術の含蓄もあったと思われる。
だが、この白水堰堤が時代遅れとも言える石積に拘ったのは、石積みの表面の凹凸により、越流水の減勢を狙ったものなのである。

左岸の階段状の下流面。
堤体から幾つもの階段が産まれている。



左右で異なる白水堰堤の設計は、石積みの構造も含め、全て越流水の減勢という目的を持って設計されている。

阿蘇山の麓、火山性の脆弱な地盤の上に築かれた白水堰堤は、堤体保護の為、いかに水流に逆らう事なく越流させるのか考え尽くされた結果なのである。

また、設計を担当した土木技師は、画家を志していた方であるらしい。




水の無い白水堰堤。

水が流れていないのに、しゃらしゃらと、今にでも水の流れる音が聞えるように感じる。

ちょうどそれは日本庭園の枯山水に通じる凛とした表情とイマジネーションに溢れている。

この美しさ、世界中を探してもここにしか無い。

JAPAN ORIGINAL.



白水堰堤
★★★★★


それにしても、三大美堰堤の内、秋田の藤倉堰堤は日没の為あきらめ、愛知の篠原堰堤は雨の為にアマゾン状態。
どうも、美堰堤にはツキが無いようで・・・。


おまけ。

白水堰堤から20キロ程度の位置にある大谷ダム。
こちらも非常に貴重な構造のコンクリートダムであるらしい。



集落からの道を下ると大谷ダムのはずだったが・・・。

神の領域では仕方ない、今日は諦めよう。
もっと沢山のダムを見学して、「ダムの神」になったら入れるかな?





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