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瑞梅寺ダム

堤高64m 

G/FNW

福岡県

 

2013.10.11見学

 

カッコよく表記すると ZbyG

その名に相応な男前さんでした。

 

IMGP5946.JPG

 

 

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夜明ダム

堤高15m
G/P 1954年 九州電力

2011.11.4見学

夜明けの夜明け。


大分自動車道のSAで車中泊をして、遠征二日目はまだ夜が明けないうちに移動をしていました。
この日は、午前に別府に寄った後、そのまま南下して宮崎に入り、高千穂まで走る強行軍です。その強行スケジュールを割ってでも見ておきたいダムがありました。
筑後川本流を堰き止めている夜明ダムです。

今回の遠征で、どのタイミングで訪れようか思案したのですが、折角なので「夜明の夜明」を観てやろうと、まだ真っ暗なダムサイトに到着しました。

夜明ダムは幹線国道のすぐ脇にあります。
安全な所に車を停めて、三脚を立ててしばらく、東の空から明るくなって来ました。朝の川風が、辺りの枯草をカサカサと鳴らしています。

やがて暗闇の川の中に、夜明ダムの姿がぼんやりと浮かび上ってきました。



全てが藍色に染まる単調なモノカラーの世界に、高いピアの上の歩廊が、緻密で美しい姿を魅せています。



刻一刻と表情を変える夜明けの情景。
辺りが明るくなるに連れて、夜明ダムの全貌が露になりました。

カメラを持つ手に鳥肌が立ったのは、冷たい川風の性だけではありません。

堤高15mと数値の上では大した事のないダムですが、川幅一杯に巨大なローラーゲートを配し、異様とも思えるほどの迫力に満ちていたのです。
(残念ながら僕の腕では、その迫力を写真に収める事が出来ず・・・残念)



すっかり朝になり、詳細な部分も見えて来ました。
左岸は高く台地のようになっていて、その上にもゲートがある様です。

築後川は県境になっていますので、右岸の此方は福岡県、対岸の左岸は大分です。



8門の大きなゲートを支えるピアも巨大なもので、壮観な眺めです。
このタイプのダムでは、島根の浜原ダムも迫力ありますが、夜明ダムの方が一枚も二枚も上です。



シルバーに塗装されたローラーゲートは、径間15.6m×扉高11m。
1954年の竣工時に於いては、かなり大きなゲートであり、実は、扉体は上下2分割に独立した構造になっていて、リンクで結合されているそうです。

さらに、巨大なゲートによる大きな水圧を受ける為、ゲートのローラー部分に初めてロッカービームが採用されています。(上下2個のローラをビームで結び、ビームの中心に設けた、偏心軸の作用で扉体を水密ゴムに圧着させる)

このロッカービームの初採用に関しては、水門の風土工学研究委員会による「鋼製ゲート百選」でも、‘大型ローラゲートの実現を可能ならしめた「技術の夜明け」’と、委員会もダム名に掛けたノリノリの解説がされています。



九州を代表する河川である筑後川は、過去に何度も水害を出して来ました。
1953年の大水害では、当時建設中であった夜明ダムにも容赦なく襲いかかり、大きな被害を受けたそうです。

ダムは大きく川が蛇行する直前のポイントにあります。
川が蛇行すると言う事は、この辺りは強固な岩盤があり、ダムサイトに向いていた?
地形とダムサイトの位置関係を観ると色々と想像が膨らみますが、本当の事は判りません。



国道は左岸の岸際まで迫っていて、フェンス越しにダムを観て歩くには、車通りに要注意です。

九州電力さんもよく認識しておられる様で、フェンス伝いに国道脇を歩くと人感センサーが感知して、安全の注意を促すアナウンスが流れます。



発電所への取水スクリーンはこちらの右岸にあります。
でっかい除塵のカニ爪クレーン。



広い川幅を大きな多連ゲートで堰き止めるこのタイプのダムは、ダムファンの中でも特別に注目される事のない、マイナーなキャラクターかもしれません。
しかし、この夜明ダムの壮大な風貌は、巨大建造物として非の打ちどころの無い壮観なものです。

筑後川をガッチリ受け止めるその姿は、まさに雄姿という言葉が相応しい男気溢れるダムでした。



筑後川の雄姿
夜明ダム

★★★★

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養福寺堰堤

G/I 1927年 新日本製鐵株式会社

2010.11.3 見学 / 2011.4.5 再訪

河内堰堤の妹。


今回のレポート、本題の前に、振り返っておきたいダムがあります。
このブログで過去に紹介しています、福岡県北九州市の河内堰堤です。

堤高44.1mの立派な石積堰堤は、官営八幡製鐵所へ水を送る為、1927年に完成しました。
当時の国内最大級のダムであり、40mを超える堤高は、現在でも石積ダムでは最大規模の堤体です。



この河内ダムの特徴として、クレスト全体に施された繊細な石張の装飾が挙げられます。
これほど装飾に拘った事例は他に無く、ダムファンだけに留まらず、訪れた多くの人を魅了しています。

この河内堰堤に関しては、ダム便覧のコンテンツでもレポートを書いていますから、興味ある方はご覧ください。
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=493



さて、ここから今回のレポートの本題に入ります。
(今回のレポートはかなり長編です、覚悟してください 笑 でも、石積ダムに興味がある方は是非最後までお付き合い下さい、絶対に損はさせません!!)


実は、ロマン溢れる石積の美学・河内堰堤には、「双子の妹」が存在しているらしいのです。

日本ダム協会のダム便覧にも載っていない、その謎のダムの情報を得たのは、河内堰堤から帰って、自宅で河内堰堤について調べていた時の事でした。
場所も河内堰堤から西へ5〜6キロと近く、事前に判っていれば訪問できたと後悔しました。しかし自宅の岐阜の田舎からは、北九州は流石に遠く、気軽に行ける距離でもなく、もんもんとした日々を過していました。


そして、2011年11月3日。

山口県で、幻の石積ダム・大谷堰堤を訪れた後、九州まで足を伸ばして来ました。
ここは北九州市八幡西区、都市高速4号線黒崎ICから直ぐの所です。
目的のそのダムは北九州市の街の中にあり、駐車できる場所もなく近くの的場池公園に車を停めます。

写真は的場池公園入口の信号交差点。
目の前の林の向こうに、目的の「河内堰堤の妹」の貯水池が広がっているはずです。



交通量の多い幹線道路の脇を、貯水池の外周に沿って歩きます。
貯水池の敷地は厳重なフェンスに囲まれ、入る事は不可能です。
仮に入る事が出来たとしても、茂った林に阻まれ、貯水池を観る事は出来ません。



しばらく歩くと、フェンス脇の立木が途切れた一画がありました。
事前情報で、外部からその姿が見えると言う唯一の場所です。

フェンスの向こうに黒い石の壁が見えました。



250mm望遠端でクレストを観察します。

びっしりと天然石が貼り込まれた取水塔が見えます。あの河内堰堤と同じ装飾が施された外観。
間違いありません。
河内堰堤と同時に建設された、八幡製鐵の工業用ダム、「養福寺堰堤」です!。

ついに会えた!フェンス越しですが、ちょっと涙腺が緩むほどの感動です。

しかし、この後も周辺を散策しましたが、ここより他に堰堤が見える場所はなく、幹線道路のガードレール上で背伸びをして、取水塔を遠巻きに眺める他はありません。



現在は新日本製鐵が管理している養福寺堰堤は、ダム本体を含め敷地全体が立入厳禁であり、その為かネット上にも極端に情報が無く、全容は謎に包まれています。

ダムの堤高の値さえも不明で、日本ダム協会のダム便覧にも未掲載である事から、堤高は15m未満の堰堤クラスではないかと思われました。

そして、調べを進めていくと、養福寺堰堤には、年に一度だけ、直接出会えるチャンスがある事がわかってきました。

堰堤の周辺には多くの桜が植樹され、桜が開花する2週間だけ、敷地の門が一般にも開放されると言う情報をキャッチしたのです!。



と、言う事で、
およそ5ヶ月後の、2012年4月5日午前7時。

僕は、新幹線岐阜羽島駅のホームの人となっていました。



京都からのぞみに乗り換え、デミオ号では丸々一日掛りとなる九州上陸ですが、たった3時間で小倉に到着。新幹線、なんて快適なんだ〜!と、カルチャーショック(笑)。

今日は、養福寺堰堤1基に狙いを絞って、日帰りで観てきます。
堤高さえ解らない堰堤1基の為に、我ながら酔狂だと思ふ・・・。



小倉からJR鹿児島本線で西へ数駅の黒崎駅へ、そこから可愛い黄色い電車の筑豊電鉄に乗換え。
レンタカーやタクシーも考えましたが、新幹線は早いけど高く付くので、現地での旅費は最小限に切詰めます。

筑豊電鉄の永犬丸駅で下車。
車掌さんに190円の運賃を直接払い、ここからは徒歩で向かいます。



永犬丸駅から住宅地の中を歩きます。
途中のコンビニでお弁当とお茶を買いました、後で堰堤を観ながら食べるつもりです。

しばらく歩くと幹線道路の向こうに土盛りの斜面が見えて来ました。



5ヶ月前にも来た、的場池公園入口の信号交差点です。
目の前には例の土盛り、実は、養福寺堰堤は石積の重力式コンクリートダムの他に、アースの副ダムを持ってるのだとか、目の前の土盛りの斜面は、その、副堤なのではないかと思われます。



そして、前回も来たフェンス越しに取水塔が見える場所に来ました。

前回同様、石積の優美が外観が見えました・・・。

ところが、天端に工事車両と思われるトラックが停まっています、ひょっとして工事中なのでしょうか?。
堤体の写真が撮れたとしても、クラシックな天端に、工事車両のトラックは似合いません。遥々岐阜からやって来たのに、運がありません・・・。

(実は、この後、この工事のお陰で・・・)



フェンス越しに敷地の外周をぐるっと歩いてきました。
敷地の北側にポンプ場の建物があり、敷地の入口はその近くにありました。

今年(2012年)の開放期間は4月1日から15日まででした。
開放期間は、曜日の関係や、開花状況で毎年違うので、遠方から訪問される時は事前に問い合わせた方が良いと思います。



前々日、列島を台風並みの春の嵐が通り過ぎていました。
もしかして散ってしまったかと心配していたのですが、ほとんど影響が無かった様です。

以前は何千本もの桜が咲き誇る名所だったそうですが、最近はだいぶ本数が減ってしまったそうです。
貯水池設備が無人化されてから、常駐の管理人が居なくなった為事もあるそうですが、桜の木の寿命は50〜60年だそうで(品種にもよる)、完成から85年も経っていますから、桜の木が減ってしまったのも無理もないと思います。

平日とあってか、花見開放の敷地内は閑散として、人の気配すらありません。



今日の僕の目的はお花見ではなくて、堰堤の見学です。
すぐ近くに趣のある階段がダムファンを誘っています。



これ!これですよ!!。
細かい割石をびっしりと貼り込んだ表面。河内堰堤のクレストと同じ装飾です。



その後に続く階段も同じ造りになっています。
やたらとピッチが狭く、ちょこちょこ登る感じが時代を感じさせます。

多少の修復はあると思いますが、85年も前に造られた階段としては、良い状態が保たれています。
普段、一般人が入る事がなく、それほど使われていない事もあるのかも。



階段を上り切ると、森の中に、まるでグリム童話の世界のような小道が伸びていました。
石畳みの緩やかな坂道を登って行きます。



小道の突き当りに現れたのは、丸い不思議な外観の建物でした。
野面石がびっしりと貼り込まれた外壁、同じ物を河内堰堤でも見たことがあります。

これは、昔使われていた、貯水池の監視塔だそうです。

たしかに、敷地の一番小高い所にあるのですが、現在は周辺に木々が生い茂り、建物の外観さえ覗う事は出来ません。
かつては此処から、堰堤をはじめ、くまなく貯水池を監視する事が出来たのでしょう。



監視塔は、丸い円筒形の鉄筋コンクリート造りで、天井は高く、がらんとしていました。

当時はまだ陸屋根(平屋根)さえ珍しかった時代なので、この建物の形や、内部の空間は、さぞかし珍しいものだったと思います。



由一壁に残っていたのは神棚でした。
流石に神様は居ませんでしたが、鉄筋コンクリートの超モダン空間に神棚の組合せが素敵です。



もう一つ、壁に残されていたのは貯水池の図面でした。
細い線はほとんど消えてしまって、図形と何かの数値?しか読めません。



監視塔の角を曲がり、今度は緩やかに坂を下ります。
脇の木々はどれも太く、85年という歳月を嫌でも感じます。



小道の坂を下って行くと、急に視界が開け、コンクリートの門柱が見えました!。

養福寺堰堤の天端に到着したのです!。
門柱には、赤錆色をした門が備わっていましたが、大きく開放されていました。



クレスト中央に凝った装飾の取水塔、河内堰堤と正に同じ物です。

吸い込まれるように天端に足を踏み入れました。
天端の上には、さっき見えていたトラックもあります。

トラックの人に挨拶をすると、
「もう帰るから、門を施錠するよ」と、言われました。
実は、花見解放期間であっても、天端は常時立入禁止で、今日は、たまたま取水口の清掃作業で、天端入口の門を開けていたそうです。

作業の事を少し伺ってみると、取水口の清掃方法は、なんと「水に潜って掃除する」のだそうです(!)。定期的にダイブして、芥等を除去しているそうで、大変な仕事だと思いました。
既に本日の作業は終了し、着替えて帰られる所だったので、もう少し早く来ていれば貴重な作業風景が見えたはずです。ああ、残念。

話ついでに、「今日は、この堰堤を観る為だけに岐阜から新幹線で来た」という事を話すと、作業員の方は、驚き半分、呆れ顔半分で、「それじゃあ、折角なので、天端の写真も撮って行かれますか?」と、言って下さいました。

なんと言う幸運!お礼を言って、天端の上でひとます別れました。
作業員の方は、トラックを天端から移動して、木陰で「休憩のフリ」をして下さっています(大感謝です!)



と、言う事で、トラックが移動した後の天端です。
天端は年間を通じて常時立入禁止ですが、許可を頂き撮影させて頂いております。



改めて見る高欄。
河内堰堤の全面石細工貼りの重厚な物に比べると、かなり素っ気ない気もしますが、コンクリートの柱には、アールデコ調の装飾が覗えます。

アールデコで有名なクライスラービルや、エンパイアステートビルは、それぞれ1930年、1931年に完成していて、この堰堤が完成した1927年当初はまさに最先端のデザインだったと言えます。



そして、目を引く取水塔の外観。

この養福寺堰堤の設計は、河内堰堤を手掛けた沼田尚徳が行っており、工事も同時進行で進められ、同じ年に竣工を迎えています。

河内堰堤と、養福寺堰堤は、まさに双子の姉妹ダムなのです。
(兄弟ではなくて、姉妹なのは僕の個人的な印象・・?好み・・?です 笑)



さまざまな大きさ、形、貼り方・・・取水塔の壁面をキャンバスとした絵画の様です。

もしくは、石で造ったステンドグラスと言ってもいいでしょう。

装飾の規模からすると、クレスト全体に装飾が施されている河内堰堤の方が立派ですが、丁寧で緻密な造作は、全く引けを取りません。



天端中程の取水塔を過ぎると、、左岸がくの字に折れている事に気が付きました。
実は、養福寺堰堤は、本堤体から連続する副堤体を持っていたのです。



本堤体の左岸端まで来ました。

副堤体との角には三角点のような柱が設置してあります、堤体の測量に使われるのかと思います。
柱の周りはコンクリートで丸く囲われていて、測量機器を立てるのかなあ?と想像。



三角点の位置から副堤体です。

副堤体の堤高は数メートル程度と思われますが、堤頂長は結構あります。
僕の歩幅約80cmで、端まで145歩でしたので、およそ116mもありました。



歩数計算で145歩目の眺めです。

副堤体の端は、門柱と、鋼管溶接の素敵なデザインの門がありました。こちらの門は、ほとんど開けられる事が無いのだと思います。
「S」マークは「製鐵」のSでしょうか??。



門から先も、土堰堤の堤体が続いています。
およそ100m先に貯水池の角があり、そこが的場池公園入口の、信号交差点辺りのはずです。



広大な養福寺堰堤の貯水池。

地図で見ると、貯水池の周囲はおよそ1500mくらいです。
北西の角に重力式コンクリートの堤体があり、西側の岸はコンクリートの副堤体、そこから繋がる土堰堤は、ぐるりと貯水池の南岸まで長く伸びています。

周囲1500mの、およそ半分は、コンクリートの堰堤と人工的に盛られた土堰堤と言う事になります。
貯水池を造る工事は、重力式コンクリートの築堤だけでなく、かなり大規模なものだった事が伺えます。



貯水池の中には、ぽっかりと小さな石灯篭が浮かんでいます。
水神様を祀っているのでしょうか?

同じような物を、呉の軍港水道として旧海軍が建設した、本庄水源地でも観ました。
元々の自然の地形を利用したのか?それとも神様の為に人工島を造ったのかは不明ですが、貯水容量よりも信仰心を大切にした証と言えます。

神様の恵みの雨があってこそ、貯水池に水を貯える事が出来るのです。



振り返って、副堤体を引き返します。
岸際から盛大に樹木が進出しています。

注意すると樹木の向こうから車の騒音が聞こえて来ます。
副堤体のすぐ横を、併走して幹線道路が走っている事に気が付きましたが、茂った樹木で何も見えません。(さっき歩いて来た歩道です、道路側からも副堤体は見えません)



副堤体の上から観る取水塔は、レア中のレア写真かもしれません。

背景の木々に桜も混じって、趣があります。
竣工から何十回と繰り返して来た、春の光景です。



例のアールデコ調の欄干、その下は堰堤の下流方向です。
赤錆の浮いた鉄パイプの向こうにも、広い水面が見えました・・・!?。



なんと、堰堤の下には池が広がっていました。
貯水池が上下2段になっている感じです。

そして、驚くのはそれだけではありません。
堰堤の直下には・・・。

なんですか!この色っぽい建物!!。
不思議な丸い塔が、堰堤下の水面から顔を出しています!。



クレストの取水塔と同じ、繊細な石造りの装飾。
円形の陸屋根には、ティアラのような縁飾りが、やはり石の細工で施されています。

今迄、古いダムは幾つも見て来ましたが、この様な構造物は初めてです。
これは流石に姉の河内堰堤にもありません。



養福寺の貯水池と、下の池、クレスト上の取水塔、それに下の丸い塔の位置関係です。

二つの水面と、独特の設備には、この養福寺堰堤の生立ちが深く関っています。



この場所の地名ともなっている「養福寺」、現在は、そういった名前の寺はありません。
かなり古い時代に廃寺になったらしく、その後、1911年に、この場所に灌漑用の溜池が作られました。廃寺跡は、その溜池に水没したと言われています。

そして、その灌漑用の溜池を、八幡製鐵が買収し、製鉄所に送水する工業用水専用ダムとして再開発を行いました、それがこの養福寺堰堤です。

およそ7.7haだったという灌漑用の溜池は、現在の貯水池の面積とほぼリンクしますが、貯水容量を増やす為、重力式コンクリートの堰堤、副堤、さらには外周を土堰堤で取り囲み、ベースとなった灌漑用溜池から大幅に嵩上をしたものと思われます。



堰堤下の池について、あくまで僕の推測ですが、買収した溜池の敷地内で堰堤を築く必要があった為、溜池内部の端をダムサイトとした結果、下の池は「既存の灌漑用溜池が取残された」一画ではないかと想像しています。

つまり、下の池の水面は、1911年に造られた灌漑用溜池の水面そのものであり、養福寺貯水池との高低差は、再開発の嵩上分を示しているのではないかと思っています。

下の池が取残された一画であれば、埋立てる事も出来たと思うので、何故池の状態のまま残したのかまでは解りませんが、少しでも貯水容量を確保できる様に、ここの水も使える仕組みになっているのかもしれません。



さて、問題は堰堤下の池から顔を出している丸い塔。
まさか揚水発電でもしているのか・・・???。

今日は、本当に幸運続きの日です、この塔の事を、先程から「長めの休憩のフリ」をして下さっている作業員の方に聞く事が出来ました。

現在も、当時と変わらず現役で八幡製鐵に送水している養福寺堰堤ですが、送水先との高低差がなく、ポンプで水圧を掛けて送水しているそうです。
堰堤下の丸い建物は、そのポンプの建物(弁室と言う)という事でした、なるほど〜!!。

ちなみに、双子の姉の河内堰堤は、ここより標高の高い山の中にある為、高低差のみで送水する事が出来るので、よって、この様なポンプ設備はありません。



上の貯水池と比べ、下の池は小さく、水溜り程度といった感じです。
池の向こうの大きな四角い建物は、この貯水池施設の心臓とも言えるポンプ場です。

堰堤下の弁室で水圧をかけた水は、まずここに送られて、さらに高い圧力をかけで八幡製鐵の工場に送られるのではないかと思います。
先程見た、監視塔にあった古い地図には、他にもこのポンプ場に水を送っているルートがある様でしたが、詳細は不明です。

ポンプ場の向こうには北九州の街が広がっています。
市街地のど真ん中にあるというロケーションも、この養福寺堰堤の特徴です。
正しくは、堰堤が出来た後に街が発展し、貯水池が街に囲まれる事になったのだと思います。



さらに面白いのは、この場所は元々平野の低い土地であり、そこを外周ぐるりと嵩上した為、貯水池を水で満たすには、西に流れる遠賀川の水をポンプで汲み上げ、人為的に溜める必要がありました。
現在の貯水池の水も、当時と同じく、遠賀川からポンプで汲み上げた水です。

遠賀川から汲み上げた水は、堰堤右岸の奥に水の出口がある様ですが、ここからはよく解りませんでした。

川から水をポンプアップして貯留した後、再びポンプを使って送水している事は、現代の感覚では少々無駄とも思えますが、当時の富国強兵の国策で建設が進められた施設です。
それほど八幡の製鐵が、当時の国にとって、いかに重要であったかを物語っていると思いました。



天端を満喫した後は、堰堤の真下にも行ってみる事にしました。

天端入口の門の外で、「いつもより、少し長めの休憩のフリ」をしていて下さった作業員の方に、お礼を言うと、門を南京錠で堅く施錠し、次の現場へ向かわれました。

天端の右岸脇から、堤体の端に沿って階段があります。
こちらの階段は、花見開放期間中は自由に立ち入る事が出来ます。



左手で御影石の間知石に触れながら、階段を降りて行きます。

美しいバケットカーブは石積ダムの醍醐味です。
バケットカーブなど全く必要なくなった、現代のコンクリートダムでさえ、未だ多くのダムがバケットカーブを持っています。
バケットカーブは、重量式コンクリートダムの様式美として、受け継がれている部分なのだと思います。



堰堤下の弁室も良く見えて来ました、側面から観て、結構大きな建物と言う事が分かりました。

ぐるり全周を石の細工が施され、中世ヨーロッパの古城そのものです。
屋根部分の窪みも、敵の矢から身を守りながら、窪みから応戦する「狭間」そのものです。
今にも正面の入口から甲冑を着た衛士が出てきそうです。



堰堤下部には、弁室に向かう為のノッチがあります。

アーチダムならキャットウォーク、アースダムなら犬走り。
それなら、重力式コンクリートなら・・・ウサギ跳び?キツネ小走り???。

いやいや、無理して動物にしなくても、「人が歩く所」で良いか(笑)。
いずれにしても、他のダムにはない特徴的な部分です。



ちなみに、姉の河内堰堤には弁室はありませんが、実は「人の歩く所」は、ちゃんと持っていたりします。(写真は河内堰堤)

堰堤下を移動するとき、結構便利だと思います。
養福寺堰堤の設計を参考に、河内堰堤でも採用されたのかもしれません。



残念ながら、施錠されていて、実際に歩く事は出来ません。

あちこち散策して、流石にお腹が減ってきました。
堰堤を観ながら、コンビニで買ってきたお弁当を食べる事にしました。



見上げる養福寺堰堤。

すごく立派です、どっしりと重厚な表情。
同じ高さなら、通常のコンクリートダムよりも、石積の方が断然立派に見えます。
布積の目地もとても丁寧に仕上げられていて、とても85年も前に造られた建造物には見えません。

クレスト部分は、デンタル(歯飾り)の様な装飾はありませんが、太い突起状の装飾が真直ぐ伸びています。



階段を一度戻ってみて、装飾部分を確かめました。
円柱状のコンクリートブロックが埋め込まれていました。
シンプルな装飾ですが、クレストの飾りとして充分に機能を果しています。



再び真下から見上げます。

立派だ、それにしても立派な堰堤だ・・・。

日本ダム協会のダム便覧に未掲載なので、ここに来るまで堤高は15m未満だと思っていましたが、明らかに15mは超えています。

石積堰堤では、堤高15.8mの千本ダム(島根県)を観た事があるのですが、千本ダムよりも高い事は、目測であっても疑う余地はありません。
さらに、「人が歩く所」より下が、下の池に没している為、見た目以上に堤高があるはずです。

過去に見た事のある石積堰堤を、頭の中で思い出してみると、猪ノ鼻ダム(兵庫県)よりもずっと高く、小ヶ倉ダム(長崎県)を見上げた時のイメージに近く感じました。



しばらく堰堤下で物思いに耽った後、天端の入口に戻って来ました。
厳重に施錠された天端への門。

今日は本当に幸運に恵まれました、そして、ありがとうございました。



木々が茂るグリム童話の小道を戻って、最後は下の池のほとりに来ました。
堰堤を観るポイントは少なく、この写真の場所で管理歩道も行き止まりです。

水面に浮かぶ重厚な石積の壁は、まさに古城そのものでした。

下の池を残したのは、貯水量を増やす為?
さっきは、天端の上でそう思いましたが、ここへ来て、それは間違いだと思いました。

下の池は、きっとこの美しい水辺の景観を造る為に残された、あるいは、もしかしたら、わざわざ造ったものなのかもしれません。
美観を追求した、あの河内堰堤の妹です、養福寺堰堤も観る人を魅了する美しさに拘って設計された事は間違いないと思います。

「水の古城」 養福寺堰堤は、そんな趣が溢れる、大変すばらしい堰堤でした。



水の古城 養福寺堰堤
★★★★★


さてさて、
やはりまだまだ謎の多い養福寺堰堤。

気になるのは、堤高が何メートルあるか、と言う点です。
いろいろ調べてみて、結局この資料に辿り着きました。
(この為に買ってしまった)



土木学会が出している「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」
(以前まで2000選でしたが、改定され2800選になっています)

これによると・・・。

堤高33.5m(!!!)
堤頂長159.8m

うわあ、やっぱり本当に立派な堰堤なのでした。


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頂吉ダム

堤高36.5m
G/W 1939年 門司市

2010.10.10見学

それぞれの人生。


頂吉ダムは、鱒渕ダムの貯水池の「中」にあります。
鱒渕ダムから、湖の右岸を走る事1〜2キロ、頂吉ダムに着きました。

ちなみに、頂吉と書いて「かぐめよし」と読みます。



無愛想な冷たい高欄。
その先には半円形の取水設備。(正しくは、取水設備の名残・・・)



茂った木々の向うに非越流形の堤体が見えました。
堤高36.5m、堤頂長は135mほど。

クレストから緩やかなバケットカーブを描いた切石の布積みの堤体です。
そう、頂吉ダムは石積のダムなのです。



頂吉ダムは水道水源として1939年、門司市によって建設されました。
その後、1973年に下流1.5キロの位置に県営の鱒渕ダムが新しく建設され、その役目を終えた頂吉ダムは、鱒渕ダムの貯水池に上部を残し沈む事となりました。
頂吉ダムが現役で活躍したのは、わすが30年ちょっとに過ぎません。

発電ダムや灌漑ダムと比べ都市近郊にあり、飲水の水源地として人々に観られる事を意識した水道用ダムにとって、高欄の装飾は最もダムの美しさをアピールできる重要な部分です。
鱒渕ダムの建設に際して、1972年、頂吉ダムには改造工事が施されました。
水道水源の石積ダムにそぐわない無機質な高欄は、この時に改造を受けたものではないかと思います。



天端はサイクリングコースとなっていて、自動車では往来が出来ません。
遮る物が無いので、釣り客の車が進入していますがダムを渡った先で行き止まりとなっています。

オールドタイプの取水塔は、設備が取り外され半円形の形だけテラスの様に残されていました。



天端から対岸の左岸下流を見ると、すっかり朽ち果てた洪水吐が見えました。

頂吉ダムは廃ダムが決定した後も、堤体に通水用の穴を空けられる事なく、そのまま鱒渕ダムに沈められています。
現在の鱒渕ダムの湖水は他の谷筋からの流入で賄われており、この場所からの流れが断ち切られても問題無いようです。

元々あった左岸の洪水吐の一部が取り壊され、上流からの水は洪水時にのみ、ここから下流に放流される様です。
それがかなりの頻度で起こるのか、濁流に破壊された様子が痛々しい。
湖面は鱒渕ダムの貯水池です。



天端から上流の様子。
鱒渕ダムの貯水池とは頂吉ダムの堤体で分断されていますので、上流は頂吉ダムの残存湖と言えます。
やはり流れが滞ってしまうのか、下流側の鱒渕ダムの湖面とは水の色が異なります。
それでも、頂吉ダムを挟み、両側の湖面の水位は同じに見えるので、何処かで繋がっているはずです・・・。



天端上の取水塔の跡から真下を見ると、取水用のラッパ管が残されていました。
カニの目のようでちょっとユーモラスに見えます。

ひょっとして、頂吉ダムの残存湖と鱒渕ダムの貯水池は、これらの取水管で繋がっているのかもしれません。



左岸に残る洪水吐の越流部です。

越流部は石積みで造られていました。
水路はダム本体の左岸で完全に断ち切られていて、ここから水が溢れて流れて行く事は二度とありません。
貯水池の中に茂った木々が、それを物語るかの様です。



例の取水塔跡のテラスから右岸を見ると、信じられないものにギョッとしました。



場所からすると、ダムの岸から投棄された別の物かもしれませんが、コンクリートで整形されたそれは、かつての頂吉ダムの高欄ではないかと思うのです。
表面が滑らかで新しく見えるのは濁流を被って泥でパックされている為のようです。

無残にも割れた断面から、玉石コンクリートが見えます。
また、鉄筋が入っておらず、鱒渕ダム建設に伴う改造工事で、鉄筋無しの高欄は危険と判断され、新しく鉄筋入りの高欄に変える為カッターで切断され、そのまま湖底に投棄されたのではないか・・・。

無残な高欄(らしきもの)の亡き骸。

新しいダム建設の周辺工事で、予算面で充分では無かったのかもしれないが。

これではあんまりだ・・・・。



それでも、今も頂吉ダムは立っている。
サイクリングコースの天端からは、時折明るい声が聞こえ、湖面を背景に写真だって撮ってもらえる。

頂吉ダムが役目を終えて40年近く経ちました。
既に、現役で給水していた期間よりも長い年月をこうして過ごしているのです。

そして、これからも、ひっそりとした余生が待っています。



今回のダム巡りは、長崎からスタートして、佐世保を経由して福岡、北九州と、石積のオールドダムをメインに訪問して来ました。

当時のまま大切に使われている石積ダム。
未来に向けて新たな一歩を踏み出した石積ダム。
時代に合わせ、改良を重ねてきた石積ダム。

どのダムも、それぞれ違った道を歩んできたと言えるでしょう。
九州最後に訪れた頂吉ダムは、他とはちょっと違った人生が待っていたのです。



人生もそれぞれ、ダムの一生もそれぞれ。

頂吉ダム
★★★


追記
まだまだ石積ダムを巡る旅は続きます・・・。

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鱒渕ダム

堤高60m
G/FNW 1973年 福岡県営

2010.10.10見学


河内ダムを見学した後、河内ダムの貯水池沿いに南下して県営の鱒渕ダムにやって来ました。
高速道路では、九州自動車道小倉南ICが最寄のICで、そこからおよそ6キロくらいでダムに到着します。

重厚な外観。
派手な色に塗られたクレストのゲート室が七面鳥の頭みたいです。



ダム湖の周囲はサイクリングロードとして整備されています。
ちゃんと路線名も付いた一周10キロ程のコースです。



天端もサイクリングロードとなっていて、一般車両は進入する事が出来ません。
自転車専用道という珍しい天端。



勿論、徒歩でならOKですので、車を置いて歩いて散策します。

全体に無駄の無い直線的なデザインの鱒渕ダムですが、随所にカラフルな塗装が施されているのが特徴です。
ダムの下には発電所を持っているらしく、ダム施設の電力に使われるほか、余った電気は九州電力に売電しているそうです。



内側だけ白く塗られた高欄の先、親柱は真っ赤っか。
レゴブロック的な配色。

近くには真っ青な建物(倉庫?)もあります。



ダム目的は水道水源のほか、洪水調節なども行っています。
ブーメランのような形の貯水池、鱒渕ダムはブーメランの真ん中の曲がっている部分にあります。



サイクリングロードは少し寂れた看板の印象とは違って、沢山の利用がある様です。
ダムを散策する間にも何組もの家族連れがダムの上を通過して行きました。

明るくカラフルなペイントは、休日のレジャーによく似合っています。



今回、この鱒渕ダムに立ち寄ったのは、このダムの貯水池にどうしても観たいものがあったからでした。

その紹介は、後日、次のレポートにて。



鱒渕ダム
★★

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河内ダム

堤高44.1m
G/I 1927年 新日本製鐵(株)

2010.10.10見学

石積のロマン。


北九州都市高速大谷ICから5キロ、河内ダムは曲渕ダムと並び福岡を代表する名堤です
河内ダムは、官営の八幡製鉄所によって造られました、現在は新日本製鐵(株)が管理する民間企業所有のダムです。

山間の坂道を登ると石積ダムの左岸に到着します。
周囲は公園化され、古いダムには珍しく観光用の駐車場も整備されています。



第一次大戦後、急増した鉄鋼需要を受け、官営八幡製鉄所の増産の為に1927年に完成しました。製鉄は冷却や洗浄など、多量の水を必要とします。
製鉄は、富国強兵を目指す国力の基幹産業であり、建設には国から潤沢な資金が出されました。

左岸からの下流面です。
切り立った勾配が凛とした佇まいを魅せています。



付近にあった堤体断面図、とても勾配が急です。
この河内ダムに限った事ではありませんが、石積ダムの特徴がよく解ります。

石積ダムは、ダム形式では重力式コンクリートダムですが、マニア目線で鑑賞する場合、現代のコンクリートダムとは全く違ったジャンルだと言えます。



河内ダムの天端は開放されています。
天然石の石畳の路面に、錆色に仕上げたアイアンが風情があります。



そして、何より圧巻なのは石材で緻密に細工が施された高欄の装飾です。
小さな割石がびっしりと埋め込まれているのです。
古い石積ダムは今迄いくつも見て来ましたが、どのダムとも違う繊細で手の込んだ装飾です。

この様な緻密な装飾が、189mの堤頂長の端まで続いています。
思わずため息の出る美しさ。



ダム中心にある取水設備の装飾です。
切石、割石、野面石・・・さまざまな表情の石を巧みに使った装飾は、高欄だけに留まらず、取水設備などクレストの全ての面を被い尽くしています。



これら石貼りの装飾は、単に見た目の美しさだけでなく、コンクリートよりも天然石の方が劣化に強く、恒久的に美しさを維持できるとの考えがあった様です。

美観だけでなく、機能を持った美しさ、それはダムの真骨頂とも言える考え方かもしれません。
時代を越え、訴えかけてくるものを感じます。



高欄の内側に連なるアイアンの装飾は、増設された感じを受けました。
転落防止の安全面から、後になって追加された様に見受けられます。



天端から下を見ると、同じようにびっしりと装飾が施された建物が見えました。
河内ダムの石の装飾は徹底していて、ダム関連の全ての建物に施されています。



写真は左岸の斜面にある建物。
現在は使われていない様ですが、以前は管理所だったと思われます。
こちらは野面石が貼り込まれた野趣溢れる重厚な印象。



天端からの静かな貯水池。
総貯水容量700万㎥は、当時東洋一のダムと呼ばれていました。
湖畔には竣工を記念して桜の木が植えられ、春には見事な花を咲かせるそうです。



貯水池周辺には、それぞれ特徴を持った美しい橋が幾つも架けられていて、その中でも南河内橋は、国内唯一のレンティキュラートラス橋として国の重要文化財の指定を受けています。

橋の近くでは、バーベキューを楽しむ地元の方々の姿があり、河内ダムの湖畔は市民の憩いの場となっているようです。



天端を渡った先、右岸の斜面にある石碑です。
周囲の石垣の積み方にも拘りを感じます。

KAWACHI RESERVOIR.
DESIGNED AND BUILT BY
H.NUMATA.  M.AM.SOC.CE.

このダムの設計者であり建設を指揮した、沼田尚徳氏の名前が刻まれています。
製鉄所の土木部長であった沼田氏は、「土木は悠久の記念碑」という思想の下、この河内ダムを建設します。

そう、河内ダムは美学によって築かれた一つの作品とも言える名堤なのです。
竣工から80年を超え、沼田氏の思想は河内ダムで生き続けており、それは今後100年経っても変わらないと感じました。



この記念碑を見て感じたのですが、記念碑に設計者の名前が刻まれているのは珍しいと思います。
また、英文で刻まれている事から、最初、河内ダムの設計は雇われて来た外国人技術者かと頭に浮んだのですが、読んでみると沼田氏をはじめ、全て日本人だったので、この英文の記念碑には意外な感じを受けました。

これは、沼田氏からの「世界に誇れる素晴しいダムである」というメッセージだと、僕は解釈しました。

また、悠久の記念碑という思想の元、将来、普通に英語が使われる時代が来るのだと、沼田氏が予言をしたかの様にも受け取れ、まさにそれは的中していると言えます。



天端は湖畔からのサイクリングコースにもなっていて、レジャーを楽しむ人々の姿がありました。
ダムの存在を知らずにドライブに来た人々も、吸い寄せられるように車を止め、天端を訪れています。



堤体の左岸から、ダムの真下に向かう歩道があります。
落葉を踏みながら下る事数分、ダム下にかかる橋の上に出ます。

ここのコンクリート造りの薄い橋も、ダム建設と同時に架けられた貴重な橋なのだそうです。



堤高44.1m。
見上げる河内ダムは、石積ダムとして最大規模の立派なダムです。

着工時は国内最高峰のダムとなる計画でしたが、アメリカの技術を導入し工事の機械化を勧め、一歩先に53mを築堤した大井ダムにそのタイトルを譲る事となります。
一方、河内ダムは昔ながらの人力作業を中心に、延べ90万人という大工事でしたが一人の殉職者を出さなかったそうです。
官営工事として潤沢な予算が出され、安全管理が整っていたとも思われますが、
製鉄所の土木部長の指揮のもと、家族的な現場環境だった事が、沼田氏の奥さんが手造りの差し入れを度々持参していた等のエピソードから伺えます。



河内ダムと周辺のダム施設は、土木学会認定の「選奨土木遺産」の認定を受けていて、美しい装飾だけでなく、周辺は見所にあふれています。

ロマンと言う言葉は、気恥ずかしくてなかなか使える時がありませんが、この河内ダムほどロマンと言う言葉が似合うダムはありません。
できれば時間に余裕を持って、ゆっくり散策される事をお勧めしたい河内ダムでした。



河内ダム
★★★★★

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鳴淵ダム

堤高67.4m
G/FNW 2001年 福岡県営

2010.10.10見学


鳴淵ダムは県営の新しいコンクリートダムです。
ダムの下は広い公園になっていて、遊びに来た家族連れの姿もありました。



親水公園となっていて、ここまで自由に降りる事だって出来ちゃいます。
ちょっとだけ人の顔にも見えるクレスト中央は、永平寺ダムを思い出しました。

堤高67.4m、堤頂長308m
こうやって低い位置から見上げる堤体は、なかなかの迫力です。



ダムの周囲に有名なお寺さんがあるみたいで、公園の中にも観音様を祭ったお堂があります。観音様に通じるかは解りませんが、とりあえず治水祈願。

鳴淵ダムは水道水源のほかに、洪水調節も行う多目的ダムです。



ループ橋を登って天端にやって来ました。
天端は車道になっています。



鳴淵ダムの一番の特徴は、これらのトンガリ帽子の建物でしょう。
写真は天端上のエレベータ塔と取水設備の建物。

ファンシーな見た目とは裏腹に、実物はイメージよりも大きな建物です。
ヨーロッパ調(?)と表現される事もある様ですが、実際は無国籍なデザインだと思います。
(もしくはムーミン谷調?)

完成予想図では見栄えのするデザインだった思いますが、実物が意図した仕上がりであるかは僕では良く解りません。
何かの様式に沿ったものであったり、特別に美しいデザインとも思えないので、建設したら100年200年と半永久的に使っていくダムのデザインとしては疑問に思う所もあります。
でも、店舗のデザインの様に、ニーズや時代性に合わせて改装やリフォームしていく前提であるなら、こういったデザインも良いかと思いますし、ダム直下の公園から見上げる姿は、そこで遊ぶ子供たちの目には、中年男と違った物に映っている事でしょう。



天端からの眺め。
ループ橋の下流にはJR篠栗線の高架橋が見えます。
この日、数時間違いでニアミスだったひろ@さん曰く、「ダムと鉄が同時に味わえる」ダムなのです。



さらに上空には福岡空港を離陸する飛行機が。

休みの度にダムに出かける僕を見て、「嫁や子が文句を言わないのか?」と、人から聞かれる事がありますが、この日僕が何時ものようにSAのセルフやコンビニ弁当を食べている頃、妻子はアニョハセヨとかいいつつ、本場のプルゴキやサムゲタンなんかで舌鼓を打っておられました。



正面側のコンクリートは型押しで石積模様が刻まれています。

水面に映るトンガリ帽子を見ると、これはこれで趣あるかな?と、思えてきました。
湖に浮かぶ城壁の風情です。




鳴淵ダム
★★★

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須恵ダム

堤高21m
A/W 1964年 須恵町営

2010.10.10見学


福岡県須恵町のはずれ、峠道の途中にあるのが水道用ダムである須恵ダムです。
町営のダムでアーチダムというのは希少な物件ではないかと思います。

水道水源という事もあり、ダムの周囲は貯水池までずっと高いフェンスで囲まれています。
「立入禁止」とありますが、看板が無くても物理的に敷地内に入る事は100%無理という厳重さです。



ダムサイトには駐車場が無く、車を停められる場所がありません。
離れた所の路肩に車を置き、歩いて戻ってきました。

満水の貯水池はおよそ200m四方の小さなもので、総貯水量は12万㎥ほどです。
ダムの中心に町境があり、対岸の左岸は隣町の宇美町となります。



フェンス越しに堤体を拝見。
地形の都合でダムが見れる場所も限られていて、鑑賞しづらい物件です。

円筒アーチを描く天端の高欄は、貯水池側だけコンクリートの壁になっています。
満水の湖面が近く、暴風などで発生した波から天端を守る為かもしれません(推測)



ダムの中央にアーチダム「らしくない」余水吐。

天端と吐の越流部が近いですね。
ゲートの間には放流管がある様です。



堤高は21mと小柄な須恵ダムですが、堤頂長は144.5mもあります。
極端に横長の円筒形アーチは、今迄見た事の無い形状で、かなり特殊な堤体と言えると思います。(アーチダムと言うより、岡バイザーゲートって感じ)
これだけ横長アーチだと、両岸への着岩と同時に、ダム軸真下への固定も大変かと思うのですが、よほど良い岩盤に恵まれていたのでしょう。

クレストゲートの真下から、魚眼レンズで円筒アーチを見上げれば、相当面白い画が撮れるんじゃないかと思うのですが・・・。



須恵ダム
★★

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曲渕ダム

堤高45m
G/W 1923年 福岡市営

2010.10.10見学


曲渕ダムは福岡市営の水道用ダムです。
国道から脇道に入ると立木の隙間から石積ダムの姿が見えました。

竣工は古く1923年。当時は堤高31.2m、堤頂長142m、総貯水容量142万㎥。
設計施工は、長崎、佐世保の近代水道を設計した吉村長策氏です(九州の水道ダムでは、すっかりおなじみですね)。



その後、人口増加による水不足を受けて、1931年から1934年にかけて拡張工事を行い、堤体を6m嵩上げ、堤高は37.27mとなります。
また1978年からは堆積した土砂の浚渫、さらに平成に入り1993年には再び堤体改良工事を実施して、現在の堤高45m、堤頂長160.6m、総貯水容量260万㎥となりました。

堤高45mは、現存する国内の石積ダムでは最も高い堤体となります。

堤体の石積を観察すると、中腹のやや上辺りで草が生えている部分があります。
多分、この辺りから下が大正時代の竣工当初の石積だと思われます。



脇道を登って堤体の右岸に来ました。
満水の静かな貯水池。



対岸を見ると・・・。
これは越流式の余水吐ですね。



道路脇のダム管理所(福岡市水道局曲渕水源事務所)。
ダム本体はこの管理所の敷地の奥にある為、公道から天端の様子を伺う事は出来ません。

また、管理所の敷地内は関係者以外立入禁止となっています。
今回は許可を頂き、敷地内から見学させて頂きました。

(福岡市教育委員会の市の文化遺産を紹介するHPでは、ダムの天端は開放と紹介されています。いずれにしても、天端を見学される時は管理所を訪問して、許可を頂く事をお勧めします)



管理所の奥に進むと、曲渕ダムの天端が真っ直ぐ伸びていました。

うわーっ。

目の前の天端に思わず声を上げていました。
何故なら、これほど美しい天端は今迄見た事が無いと一目で直感したのです。

対岸までストレートに伸びた天端には、美観を損なうような障害物は見えません。
岸際は広くなっていて、シンメトリーに置かれたダム名を記す重厚な親柱。
嫌味なく、さりげなく立てられた外灯。

こんな空間が自宅にあったらいいだろうな。
テーブルを置いてお茶でもしたら美味しいだろうな。
ランチとかしても最高だね。
もし、大金持ちになったら、この天端を真似て別荘を建てよう。

妄想癖がある僕ですが、そんな事を思うダムはこの曲渕が始めてです。



重厚で格調高い高欄は総花崗岩(御影石)造り、上部の手に触れる場所はピカピカに磨かれています。シンプルなスリット状の装飾にも品があります。
また、色の違うベージュの路面は、この色の天然石が敷かれています。凄い。(レンガやタイルでは無い!)

デザインの基調はダムが竣工した1920年代に先端であった、アールデコの幾何学的な特徴を感じます。
この天端が竣工時のオリジナルのデザインを忠実に再現したものかは解りませんが、90年前の石積ダムの天端を、平成の時代に再現したものである事は確かで、この天端を歩くと、まるで大正時代にタイムトリップしたかのような錯覚さえ覚えます。

歴史を感じる古びた天端ではなく、真新しいものである事が実に新鮮なのです!。



ダム中心部の取水設備。
現代的な取水設備は、平成の改修工事で刷新されたものでしょう。

従来の取水設備よりも建物は大きくなったと思うのですが、天端の歩道幅に合わせてスッキリと収められていて、美しい天端への配慮を感じます(建物が歩道にはみ出していては台無しになっていたと思う)



他のどの石積ダムにも無いのが、この現代的な取水設備だと言えます。

下流から見た取水設備。
テラス状に少しだけせり出した天端、直線的で品の良い高欄など、平成のリデザインはよく吟味されていて、クラシックな石積ダムのクレストに、現代の建物を全く違和感なく収めています。



左岸まで進むと余水吐の越流部が見えてきました。

この部分も平成の改修で手が加えられていると思うのですが、ちゃんと石積の仕上げとなっています。



左岸のダム碑。
これは1931年からの嵩上げ工事の時の物の様です。

周囲は一面青々とした苔に覆われ、雨と土の匂いがしました。
ここは水源地の森です。



森の中から見たダム左岸。

すごくいい感じじゃないですか?
ダムじゃないみたいでしょ?
でもダムなんですよ。

余水吐の水は、この真下をトンネルで抜けた後、ダムの下まで導流路を流れます。



シンメトリーって、美しい形の基本ですよね。
右岸・左岸、そして上流側・下流側でそれぞれ対称にデザインされた天端。

完璧です。



先程からぱらついていた雨が次第に上がってきました。

厚い雲の隙間から、右岸の山に朝日が当たり、湖面に映えています。
この後、虹も観る事が出来ました(朝の虹は不思議な感じでした)



静かな貯水池。
対岸には道も無く、水源地の森が広がっています。

貯水池の水も透き通っています。



天端から下流。
ダムの下は公園となっています。

通常でも下から見上げる事が出来るようなのですが、素晴しい天端を散策して舞い上がってしまい、下から見るのをすっかり忘れていました。



管理所辺りから眺める曲渕ダム。

クレストの白っぽい花崗岩が森の中に映えています。
堤体の表面は雨の汚れで黒ずんでいますが、全て花崗岩で出来ている様に見えました。



さらによく見ると、積まれている切石の形状は一種類ではなく、通常よく目にする長方形の間知石のほかに、正方形の石も使われています。
クレスト付近は全て正方形の石ですが、それ以外は長方形の中に正方形が混在する凝った積み方となっています。

2度の嵩上げにより、竣工当時の姿を想像する事は難しいのですが、曲渕ダムは竣工当初からかなり美観を意識したデザイン性の高いダムであった事がこの石積から伺えます。



重厚な国内最大級の石積ダムに、大正の香りを感じる新築の美しい天端。
現代の基準でリニューアルされた新しいダム設備。

名堤を発見した、驚きと興奮の曲渕ダム見学でした。



曲渕ダム
★★★★★


ちなみに、曲渕ダムは、あつだむ宣言!が選ぶ2010 MVD を受賞したダム。
思えば2009年のMVDも、同じく重量式コンクリート、非越流形、水道ダムの小河内ダムだったので、個人的にこのジャンルのダムが一番好みって事なのかも。

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江川ダム

堤高79.2m
G/AWI 1972年 水資源機構

2010.3.22見学


女子畑第二調整池を満喫し、岐阜までの帰路に着く事にしました。今日中にひとまず本州に渡り、適当なSAで車中泊の予定です。
大分自動車道日田インターから、九州自動車道を目指し車を走らせると、予想どうり鳥栖ジャンクションで渋滞しています。
結局、ジャンクション手前の甘木インターで高速を降り、北九州辺りまで一般道で行く事にしました。

2日間に沢山のダムを見学して、もうお腹一杯です。
頭の中で、九州のカッコいいダムや、美しいダム湖を思い出すとハンドルも軽いです。

車窓を流れる景色の中に、瞬間でしたがダムの二文字が見えました。
ダム愛好家となってから、この二文字の感知センサーは相当敏感です。

「江川ダム 〇〇km →」

ちょっとルートから外れますが、この先にダムがありそうです。
予定に無かったダムなので、事前情報一切無しです、たまにはこういう見学もいいだろうと、寄り道をする事にしました。

そろそろ有りそうだ。

そう思って慎重に車を進めると、ぱあーっと視界が開けて唐突に赤いゲートのダムが視界に飛び込んで来ました。



多分、よくある自治体形の自然越流吐のダムかなあ、と、イメージしていたので、予想外のグッドルッキングに再びテンションが上がります。



江川ダムは県営ではなく、水資源機構の利水ダムでした。
管理棟の駐車場に面した壁に貯水量と貯水率のリアルタイム表示板。



けっこう天端が長い。およそ300m程。
堤体は、こちらの右岸側で折れ曲がっています。ダムの下流側に一山取り残されています。

あれこの感じ、なんだか東電の上野ダムに似てるぞ。



水資源だけど赤いゲート。
放流管からは河川維持の放流ですね。その下流の四角い建物は小規模の発電所の様です。



水のふるさと 江川ダム
対岸のアバットにキャッチフレーズを掲げるのは水資源のダムではおなじみですね。

この江川ダムは、福岡市の水道水の水源となっているそうです。



左岸から振り返ると、やっぱり上野ダムにそっくりだ。
クレストのラジアルゲートが低く構えている辺りもよく似ています。

バケットカーブのキレイさは有峰ダムに近いかな?。



堤体の折れている部分。
下流だけじゃなくて、ダム湖側にも地山が残っています。
結構個性的な江川ダム、ごちそうさまでした。



江川ダム
★★★

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