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ここも観てきた 徳島県

福井ダム G FN 1995年 42.5m

| あつだむ宣言!(清水篤) | ダム徳島県 | comments(0) | - | pookmark |
見坂池

堤高17m
G/FA 1946年 徳島県営

2012.11.24見学


愛媛からの帰り道、徳島道を土成ICで降りて寄り道する事にしました。
以前このブログで、知られていないけど実在する石張ダムの情報を求めた所、日本全国を股にかけるダム紳士・阿部塁さんから教えて頂いたダムがあるのです。

情報によると見坂池というその石張ダムは、宮川内ダムの下流数百メートルの位置にあるとの事。
(宮川内ダムも、その上流の石張ダム・御所池も既に訪問済み・・・なんとも効率悪い、と、言うかよく調べてから行かないとダメですね)

宮川内ダムの下流3、400mの所に見坂という地名があります。
谷が深い事もあり、車道からは直接ダムは見えません。

でも、道路脇に趣のある石碑が鎮座してあり、場所は直ぐに特定できました。

IMGP0489.JPG

石碑の近くから谷に向かって道があります。
一見車道のようですが、直ぐに未舗装の歩道になってしまいます。

写真左が国道318、先のカーブを曲がるともう宮川内ダムが視野範囲の距離です。

IMGP0491.JPG

ざくざく歩道を歩いて到着しました。
以前、阿部塁さんから送って頂いた写真のままです。(当然か?)

IMGP0533.JPG

堤高17m、立派な石張ダムです。
その後、阿部塁さんの報告によりダム便覧で知られるようになりましたが、ダム目的は灌漑用水の他にF(洪水調節)も持っているそうです。

明らかに砂防堰堤を思わせる風貌ですが、洪水調節の具体的な事はよく解りません。

IMGP0527.JPG

その風貌と共にこの見坂池を特徴付けているのが独特の石張です。
知間石とも異なる微妙な形、そのくせ表面は平滑に仕上げてあります。

そしてこってりと幅広な目地が面白い。
石張というか、「石貼り」と当て字を付けたくなる感じです。

IMGP0516.JPG

その石張も天端付近の越流部に近い所では少し繊細な感じになります。
表面の石張は、完全に表面保護を目的にしているのだと思いました。

IMGP0518.JPG

天端の上はどうなってるかと言うとこんな感じ。
越流部の上にはスリットを刻んだ支柱があり、木板を落とすようになっています。(現在は使われていないようだ)

木板を使うのは、出水で破壊されても簡単に修復できるからだと思いますが、ダム目的にあるらしい「F」と、なんだかイメージのつじつまが合わなくてモヤモヤ。

IMGP0542.JPG

上流面は木々に阻まれ眺望が悪いのですが、下流と同じで石張となっている事が解ります。
堤体の傾斜は下流よりも少しだけ緩やかに見えます。

IMGP0538.JPG

再び写真は下流側。
堤体の中心部分に放流口があります。

ところどころ目地が抜けている部分がありますが、特に機能上は問題ないようです。
(越流水の跳ねかえりがそうさせるのか、それともその時に練ったモルタルが悪かったのか?、目地の抜けが水平方向に広がっていますね)

IMGP0523.JPG

岩盤直結な堤体着岸部。
苔がびっしりと覆っています。

IMGP0520.JPG

直下の減勢部は広いプール状になっています。
水底はコンクリートで覆われ洗掘を防いでいます。

IMGP0526.JPG

減勢池を形作る副ダム。
こちらも表面石張です。

関係の無い話ですが、僕の住んでる所は長良川上流の支流にあり、小学校に入った頃はまだ学校にプールが無くて、自宅近くの川の「堰堤下」とか呼ばれていたポイントでよく皆で泳いでました。
子供の頃は意識してなかったのですが、ようは「砂防堰堤直下の洗掘した窪み」が僕らの遊泳場だったみたいです。
川床の破壊されたコンクリートの裏によく魚が潜んでいて、その後、学校に新しくプールが出来ましたが、プールより川の方が断然面白くてよく通った気がします。
(泳いでいた川はもっと水量豊富で、水も澄んでますが)

IMGP0522.JPG

この見坂池、完成は1946年と石張ダムとしては遅い時期の完成となっています。

これより完成が後なのは、戦争で工事が中断して完成が大幅に遅れた淡路島の成相池(1950年完成)くらいではないかと思い、少し調べたのですが広島の門田貯水池(栗原ダム)も1950年と遅い完成となっていました。

門田貯水池もこの見坂池と良く似た砂防チックな外観なので、時代的な共通点の他にも何か繋がりを感じるところです。

IMGP0530.JPG

見坂池
★★★

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三縄ダム

堤高17m
G/P 1959年 四国電力

2011.10.8見学


若宮谷ダムを観た後、そのまま県道32を北上すること約12Km、県道から見下ろす位置に見えるのが四国電力の三縄ダムです。

堤高17mと低いのですが、ゲートピアがとても高く、ふたまわりは大きなダムに見えます。もし堤高がピアの頂上という事だったら、堤高は30m近いかも。

そのあたりはダムキング佐久間と同じで、ちょっと損をしています。
佐久間ダムもピアの高さまで含めたら、間違いなく奥只見ダムを軽く超え、重力式では高さナンバー1のはずです。



県道からダムへ降りる道は車両進入禁止です。

歩いて行ってみようかな・・・?。少し迷って諦めました。
不審者には違いないから、迷惑になるかもしれないので。



高いピアをやや上流から。

水の透明感も印象的。
白っぽいコンクリートと、淡く明るいグレーのペイントもよく似合っていて、蒼い湖面に映えます。
白い部分と、少し黒ずんだ部分の比率がなんだか白馬を連想させ、妙にカッコよく見えたりします。



明谷ダムにも通ずる角ばったゲートピア。
両岸にある自然越流のゲートは、対照的に丸く分厚い感じ。

そして、ローラーゲートの下流面に注目。



そうです、またしても石張りです。

三縄ダムの竣工は1959年。
堤体の整形目的ではなく、完全に表面保護を目的とした石張りです。

このタイル状に貼られた三縄ダムの石張りは、NASAの宇宙開発計画に影響を与え、
スペースシャトルに採用した耐熱タイルへと繋がりました。


うそです。



澄んだ水面の下には所々石張りが痛んで剝れていました。
それだけ激しい川だと言う事でしょう。

NASAが総力を注いで開発した耐熱タイルだって、最初の頃は時々剝れて問題になったくらいなので、石張りだってはがれる事もあります。



四国のダムを観ていたら、ダムの石張りには、実は色々な種類があるという事が良く解りました。

整形の型枠を兼ねて石を積み、内部にコンクリートを充填して堤体を築いた石張りダム(メイソンリーダム)と比べ、この三縄ダムは、石張りでありつつも、メイソンリーとは呼べないタイプだと言えます。

このタイプの石張りは決して三縄ダムだけでなく、例えば仁淀川の筏津ダムでも、左岸端のゲートに採用していたと思います。(筏津ダムの場合は、さらに鋼板で重武装)

四国以外でもきっと見つかるとは思いますが、四国のダムの特徴のひとつと言えると思います。



スペースシャトルが初飛行した頃、僕は小学生で、
「NASAが開発したくせに、表面はタイル貼りなんだー」
と、風呂場の水色やピンク色のタイルを連想して、なんだか微妙にガッカリした記憶があります。

戦後10年以上経過して、型枠でのコンクリート整形が確立していても、一見時代遅れに見えるけど採用されていた石張りに、なんだかスペースシャトルの耐熱タイルがオーバーラップしてしまうのでした。

三縄ダム
★★


おまけ。

先日、明谷ダムのレポートで「石積み」と「石張り」の違いについて書いたところ、先祖代々石積み職人の家系という詳しい方からアドバイスを頂きました。

石積みと石張りの区分は勾配によるのではなくて、もっと設計上の違いによるものとの事でした。
具体的には、石を外しても設計上の安定条件を満たし、構造として成り立つものを「石張り」、そうでないものを「石積み」と区分されるそうです。

そうなると、今まで「石積堰堤」として紹介してきたダム達も、表面の石を外しても内部のコンクリートでダムとして自立し、ダムの堤体として水を遮断する事が出来ますから、全て「石張堰堤」と言う事になります。

但し、これらの考え方は各土木分野で統一されたものではなく、分野によって異なり、それが全てではないとの事ですが、メイソンリーダムは下流面の傾斜に関係なく、「石積」ではなく、「石張」と表現した方がより正しい様です。

土木の世界って、知れば知るほど奥深くて面白いですね。

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若宮谷ダム

堤高32.2m
G/P 1935年 四国電力

2011.10.08見学

ミステリアス・ビューティー。


名頃ダムの後で無事に給油を済ましたあと、国道439から県道32に右折します。

祖谷川にある高野発電所を過ぎた所で、趣のある姿に車を停めて見入ってしまったのが、明谷ダムのレポでも紹介した、四国電力栗寄取水ダムです。
今から目指す若宮谷ダムは、この取水堰堤から水が送られています。

ガラスのように透き通った祖谷川の水に心が洗われます。



祖谷のかずら橋など観光名所をスルーして、西祖谷中学校の手前から細い山道に入ります。
若宮谷ダムは中学校のすぐ裏山にあります、500mも登らないうちに渋いコンクリートの堤体が見えてきました。

若宮谷ダムに限らず、ダムと学校というのは意外と近い場所にある事が多いです。
多くは、水没集落にあった学校の移転が想像できます。(岐阜だと横山ダムや、高根第二ダムなど)
若宮谷ダムの場合、水没範囲も狭く、戦前の古いダムなので、建設プラントや資材置き場などの平坦で広い跡地が、後の学校の建設地にうってつけだったのかもしれません(想像)。

洪水吐を持たない若宮谷ダム。
とてもシンプルで綺麗な堤体というのが第一印象でした。



シルエットがシンプルな事もあり、クレストのコンクリート高欄が際立っています。
高欄から垂直に落ちた下流面は、大らかなバケットカーブに繋がっています。



オールドダムで時々見かける、堤体表面のコテ跡のような模様。
佐世保の菰田ダムでは、もっとはっきりした模様が確認できます。

縦横の継目が汚れで目立つ事を避ける為、表面にモルタルを塗っているのかな?
と、思いましたが、そんな施工方法の存在も含め、僕の想像です。



調整池のような役割の若宮谷ダムには洪水吐がありません。
一番下部にあった穴は、排砂や仮排水などかと思います。



中学校から登ってきた道から脇道に降りると天端へ行く事ができます。
意外にも天端は解放されていました。

登ってきた道は、ダムが終点ではなく、この先にも集落がある様でした。



親柱がすごいボリューム。
柱の上に立派なブロンズ像を飾りたいほどです。

その間の通路は幅1.5mといった感じで、真っ直ぐ左岸に通じています。



右岸から天端を歩くと、最初に目に飛び込んで来たのは、この謎の構造物です。

奥の丸い物は、発電所への取水口と観て間違いありません。
上部がアーチ状に丸いスクリーンが洒落ています。

問題はその手前、湖面にせりだしているコンクリートの物体です。



大小、上下2段に、くちばしの様にせり出している形。
せり出しの下面に穴等があり、水か空気でも出入りするのか?と思ったのですが、水面の鏡越しで観察する限りでは、そんな穴がある様にも見えません。側面の太いダクトも気になります。

調整池のような若宮谷ダムですが、一応上流から流れ込んでいる谷川もあります。
ひょっとしたら洪水時の吐のような働きをする「何か」?・・・かも。
うーん、全くもって何なのか解りません。



不思議な構造物に目を奪われがちですが、この青い湖水も驚きです。

群馬の四万川ダム、長野の豊丘ダム、静岡の大間ダムが、僕が見た日本3大青色湖水ダムですが、それに続く第四位の青さです。

さっき見た、祖谷川の栗寄取水ダムの水は、澄んでいましたが色味はだいぶ異なります。
このダムが堰き止めている、若宮谷川の水が青い色をしているのかもしれません。



貯水池は小さく、幅はダム本体の部分が一番広く、奥行きも100m強といった大きさです。
上流部の左岸に見える構造物は、祖谷川からの水の出口かと思います。

その奥にもコンクリートの堰堤が見えます。
ひょっとして、このダムは上下2段になっているのかも。



天端から下流を見下ろします。
堤高32.2m 堤頂長93m。

非常にバランスの良い整った逆三角形の堤体です。



天端から左岸を観ると、巨石文明を思わせる構造物が見えます。
ダム建設時の遺構でしょうか?。



天端を渡って左岸に来ました。
綺麗なV字の堤体がとても美しいダムです。

ゲートが無く、下流面に導流部のないシンプルな形状

祖谷川を堰き止め、ここに水を送っている栗寄取水ダムは、全面を切石で覆った石貼堰堤でした。
同じ時代に建設されたこの若宮谷ダムは、当時、既に当たり前となっていた型枠整形によるコンクリートダムです。

この事からも、四国のダム(堰堤)は、コンクリートダムの築堤にもはや石積を必要としなくなっていても、河川の中に築堤する場合は、激流による摩耗を防ぐ為に、表面に石材を採用し続けていた事が推測されます。

また、それは、四国の河川というのはとても荒く激しい川である事を物語っているのかもしれません。



左岸の巡視路は立入禁止なので、一旦右岸に戻り、車で来た道を登ります。

苔とカビの色が味わい深し。
蒼い水とのコントラストはファンタジーの世界。



祖谷川からの水の出口と思われます。ずいぶんと複雑な形をしています。

それにしても水が青い!。



小さな貯水池の最上部にある堰堤ですが、若宮谷ダムの小型版といった感じで、下流面勾配もあり、ちゃんとした重力式コンクリートダムの形をしています。

しかし、残念ながら立木に阻まれてほとんど見えません。
この上流の堰堤に行く道は、立入禁止だった左岸の巡視路しか無く、これ以上は不明です。

上流に水面は無く、水は貯まってはいないなので、砂防目的の堰堤なのかもしれません。



四国のオールドダムのひとつ、若宮谷ダム。
非越流タイプのその姿は、大分の女子畑第二を思い出しました。

蒼い湖水のヴェールをまとったミステリアスな美女、といった若宮谷ダムでした。



若宮谷ダム
★★★★

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名頃ダム

堤高37m
G/P 1961年 四国電力

2011.10.8見学

ガソリンが無い!


今迄、北は青森から南は鹿児島まで、さまざな道をデミオ号で走りましたが、四国の山道ほど油断できない道はありません。
山の中を延々と続く道は、集落もまばらで時々不安になります。また、道路工事も頻繁に行われているので、思わぬ足止めを食らうこともしばしば。

徳島道を走っている時から、デミオ号のガソリン残量が少し気になっていました。
インター降りたら、適当にガソリンスタンドを見つけて給油しよう。
そして国道438を山奥方向へ、石油会社を選り好みしたり、たまたま入りずらかったりで、結局、明谷ダムまで給油する事なく到着。

まあ、なんとかなるさ。
次の名頃ダムまでの何処かで給油すればいいや。(この時はまだ余裕あり)

念の為、明谷ダムでカーナビ周辺検索で最寄のGSを検索。
するとヒットは1件のみ。明谷ダムまで来た道を20Kmくらい戻った辺りにあるらしい。うーん、さっきのインターの近くだなあ・・・。
今からインター近くまで戻って、名頃ダムに向かうと往復40km(しかも山道)ロスする事になる。
名頃の後も訪問予定のダムが目白押しなので、とりあえず名頃方面に向かう事に。

国道438は曲がりくねった峠となり、元々燃費のいいデミオ号でも、きつい上り坂やヘアピンカーブの連続に、無情にもガソリン残量を示す液晶表示が一つ、また一つと消えてゆく・・・!!。

さすがに少し焦って再びカーナビ周辺検索してみると・・・。
「最寄にガソリンスタンドはありません」

ひゃーーーーーっ。

今日は絶好のレジャー日和の秋の三連休。こんな山中でJAFを呼んでもいつ来るかは判りません。もしガス欠になったら、本日のダム巡りはここで終了です。

ガソリンどこだー、ガソリンないかー。
ガス欠になる前に、とにかくGSが見つかる事を祈りながら、ドキドキしながら車を進めます。
そんな感じでしばらく走ると、路肩に建物が。

あ、なんかある。

それは名頃ダムの管理所でした。
ガス欠の事ばかり気にしていて、すっかり目的のダムの事を忘れていました(笑)

名頃ダムは1961年に完成した四国電力の発電用ダムです。



管理所はダムサイト右岸にあります。
厳重なフェンスの向こうに名頃ダムの姿が見えました。



ダムは、管理所や国道から少し下がった高さにありました。
天端へは管理所の敷地内から道が伸びていて、一般は立入禁止です。

対岸が絶壁の岩盤になっていて、そこから一直線に伸びる天端が綺麗です。
堤高は37mという事ですが、下流側の様子が見えないので、もっと背の高いダムの様に見えます。



クレストセンターにラジアルゲートが1門。
その右脇に用途不明の出っ張りがあります。
その出っ張りを利用して監視カメラが付けられています。

下流側の高欄のアーチ状のくり抜きがとても綺麗です。
いいな、いいダムだ、名頃ダム。



きれいなダムにのほほんとしましたが、今はとにかくガソリンを探さなくては。
燃料計のEマークはもうかなり前から点滅していましたが、心の余裕の残量もエンプティです。

管理所から道を下ると、ほんの少しだけ下流側から観る事が出来ました。
ダム便覧にはダム仙人様が撮影した下流面の写真がありますが、撮影場所へ行く道が良く分からず、下流正面の撮影はやはり困難なようです。



名頃ダム。向かう時はガソリン満タンで!。
★★★


ちなみに、その後ガソリンはどうなったか?

名頃ダムの下流にようやくガソリンスタンドを発見!!
お店のおばちゃんが女神に見えました。

でも、エネオスなのに支払は現金のみ、エネオスカードが使えなかった。
そんなエネオスって有りっ???

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明谷ダム

堤高19.6m
G/P 1931年 四国電力

2011.10.8見学

トランスフォーマー。


石貼の洪水吐を持っていた高西ダムを観た後、再び徳島道を走り美馬インターで降りて、国道438で明谷ダムへ向かいます。

明谷ダムの竣工は古く1931年。
愛媛の柿原水源地第一貯水池堰堤と並び、四国で最も古いコンクリートダムであり、オールドダムファンとしては、必ず見ておきたいダムのひとつです。
(柿原水源地第一貯水池堰堤は廃ダムの為、ダム便覧には未掲載)

僕がどうしても明谷ダムを観たいと思ったのは、ただ古いというだけでなく、特徴溢れるその姿に、謎めいた魅力を感じていた事もありました。

インターから延々と山道を30kmくらい走ってようやく現地に到着しました。
かなりの山の中ですが、まだまだ民家も多く、ダムは集落の外れにありました。



ダムの右岸に到着。

堤高19.6m、堤頂長51.3m。
谷も狭いので、それほど大きなダムではありません。

下流面に並ぶ重厚なコンクリートの塊。
この巨大まマス感を持った下流面が、明谷ダムの外観上の大きな特徴です。



山奥の発電用ダムですが、意外にも天端は解放されていました。

天端を渡った左岸に民家があり、地元の方の利便性を考えて解放されているのかもしれません。
その民家は、ダムのすぐ隣なので、その昔はダム守のような方の住まいだったのかも(未確認)

クレスト上でクランクした天端。
ダムから下流の川はゴツゴツした岩が転がる四国らしい谷です。



天端から貯水池。
左岸に発電所への取水口があります。

少し堆砂の多い貯水池。
水が澄んでいるので余計に砂が溜まっているように見えるのかもしれません。
上流を観ればすぐ近くにインレットも見えて、とても小さな貯水池です。



僕か明谷ダムに特別な興味を持っていたのは、この巨大なブロックです。

これはダム本体なのか?それともゲートピアなのか?もしかして導流壁?
今まで覚えたどのダム用語にも当てはまらないその形状は、富山の宇奈月ダムに良く似ています。

しかも、このダムは1929年着工、1931年完成という、とても古いダムなのです。
この形状が竣工当初からだとすると、とんでもない異端児と言えます。
バージェス動物群のように、ダムデザインの進化の過程で突然現れ、そして、消えてしまったデザインなのでしょうか???

シャープなエッジの効いたブロック自体、1931年完成のダムとしては異様な造形であり、違和感もあります。



いろいろと空想を膨らましながら左岸に渡ってみました。
木々が邪魔をして眺望は良くありません。

対岸に見える建物は管理事務所や車庫など。



再び、天端に戻ってきました。

3門あるクレストのスライドゲート。
左岸の1門だけ二段式のゲートとなっていました。

二段となっている分、越流面が他の2門より低くなっています。
取水口が左岸にある事もあり、この1門は排砂ゲートだと思います。

褪せたグリーンのゲート。
真下に目をやると、少し意外なものが見えました。

石?・・・石貼りだ!。



排砂ゲートからの下流面は切石できっちりと石貼が施されていました。

ちなみに、垂直に近く石を並べる事を「石積」、水平に近く石を並べる事を「石貼」と言います。
何度の傾斜までが石積で、何度から石貼であるかは、明確な決まりは無いようです。
一般的に考えて45°くらいが境界の気もしますが、勾配が途中で徐々に変わる場合もあるので、下流面の途中で呼名が変わるのも不自然だと思うので名前の境界線は無いと思います。

ともかく、この排砂部分の勾配は重力式コンクリートダムとしては異例になだらかで、僕の目には「石貼」に見えました。

両脇の大きなブロックの勾配が、通常のダムの下流面勾配よりも緩いくらいなので、石貼部分の勾配の緩さがイメージできると思います。



それでは、センターと、右岸の2門の下流面はどうなのか?。
例の巨大なブロックの間を覗いてみます。

これはセンターのゲート。
コンクリートのスロープの先、軽いジャンプ台の所にのみ石貼が見られます。



排砂の石貼と違い、未整形の野面石が、こってりとした目地で貼られています。

高西ダムの洪水吐と同じで、表面の耐摩耗性を上げる為、コンクリートの上に貼りつけられている印象を受けました。

などほど、この明谷も耐摩耗の為に天然石を貼っているのか。
そう思って隣の右岸ゲートも見たのですが・・・。



いかにも上から石を貼りつけましたというセンターのゲートと比べ、右岸のそれは、石を上から貼ったと言うよりは、石貼の上を一度コンクリートで覆い、後に、コンクリートが削られて再び石貼が露出した様に見えました。

形がまばらなセンターの石と比べて、右岸の石は形も揃っているので、施工された時期を含め、センターとはまた違った経緯でこの様になっている感じを受けました。



疑いの目でつぶさに観察すると、いろいろと気になる部分が見えて来ます。
排砂ゲートの右側のブロックですが、垂直な壁面に繋ぎ目の様な跡が感じられます。

やはり、この巨大なブロック部分は竣工後に大改修され、後付けされているのではないでしょうか?



これは明谷ダムを後に、県道32沿いで観た祖谷川の取水堰堤。

管理所には「四国電力栗寄取水ダム」とありました。若宮谷ダムに水を送っている施設ではないかと思います。若宮谷ダムも四国では有数のオールドダムで、明谷に送れることわずか4年、1935年の竣工です。

この栗寄取水ダムは、ほぼ明谷ダムと同時代に建設された堰堤と推測できます。



澄んだ水が印象的な栗寄取水ダム。
注目したいのは、石貼の石の形や、なだらかな勾配です。

この栗寄取水堰堤の姿に、一風変わった巨大ブロックが並ぶ明谷ダムの、竣工当時の姿を観るような気がしてなりません。

なだらかな石貼堰堤に3門のスライドゲートを追加する為、ゲートを支えるピアと、満水位が上昇する事で不足するダムの質量(重量)を補う為に、導流壁を兼ねた巨大なブロックを築いた。

左側のゲートは排砂ゲートとし、オリジナルの石貼下流面に手を加えず利用。
センターと右側は、排砂ゲートよりも越流面を上げる為、オリジナルの石貼の上にコンクリートを打設。こうして現在の明谷ダムの姿となる。

その後、センターのシャンプ台はコンクリートの摩耗が激しい為、擦り減ったコンクリート上に石貼を追加し補強。
右岸のゲートは使用頻度が少なく、センターほど摩耗が無かったが、現状、やはりコンクリートが摩耗して、オリジナルの石貼が露呈して来た状態にある。



以上が、明谷ダムが四国最古のコンクリートダムでありながら、時代性にまるでそぐわない、異様な姿に至ったヒストリーではないかと僕は考えています。
(あくまで、あつだむ宣言!の仮説です。正解かは判りません)

但し、ここから直接送水している切越発電所の事を少し調べてみたのですが、明谷ダムの嵩上工事が必要となる様な設備の変更は解りませんでした。
切越発電所で使われた水は、さらに下流にある別の発電所にも使われているので、かなり広範囲で調べてみないと、この明谷ダムが本当に嵩上工事をした姿であるのかは謎が残ります。



徳島のトランスフォーマー。明谷ダム
★★★★


ちなみに、レポの中で「石積」と、「石貼」の違いについて説明しました。

さらに言うと、石積の最上部の事を 「天端(てんば)」 と言います。
そうです、まさに、

「全てのダムは、石積堰堤に通ず。」 

と、言えるのです。

またひとつ、あつだむ語録が生れてしまった(笑)。

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高西ダム

堤高16.8m
A/FA 1954年 徳島県営

2011.10.8見学

行く価値無しなんて言わないで。


昨年の秋、4月に続いてこの年2回目の四国遠征に行って来ました。
四国はダム巡りでしか行った事がありませんが、景色は綺麗だし、どのダムも魅力的でお気に入りの場所です。

四国の形をざっくりイメージすると、四隅が尖った四角い形をしていて、4箇所の角には、それぞれ特徴のある個性的なダムが鎮座しています。
南東の室戸岬には、イナズマ模様のロックフィル・魚梁瀬ダムがあり、土佐湾を挟んで南西の足摺岬には階段状の下流面を持つデザインダム・中筋川ダムが。
その中筋川から北上して北西には迫力溢れるダンディ・野村ダムがどっしりと構えています。

そして、四国の鬼門である北東の個性派のダムこそ、今回の四国遠征の最初のターゲット、コンクリートアーチの高西ダムであり、いつか必ず行かないと、四国のダムを観た事にならないと思っていたダムでした。

しかし、今までこの高西ダムを訪問したマニアが口を揃えて言う言葉があります。

「ああ、高西ね。あそこは行かなくていいよ」 「高西ダム?わざわざ行く価値は無いねえ」

こちらから質問をしたつもりも無いのだけど、高西ダムという名前を耳にしただけで、行った事のあるマニアは誰もがそう第一声を発するのです。

行く価値が無いなんて・・・・しかもレア形式のアーチなのに・・・。

そんな事前情報に少し不安になりつつも、ダムへ向かう道の入口に到着。

徳島道を土佐インターで降りて数キロ。
高西ダムへ向かう道は、ほんとうにこの先にアーチダムがあるのか?と疑わずにいられないほど、ひっそりとした道です(ひっそりと言うか、こっそりという感じ)

ダートの山道は、以前は軽トラくらいなら通れそうな道でしたが、この日は路肩の崩壊が激しく、4輪は物理的に走行不能な状況でした。

うーん、不安だ。

長靴に履き替え、いざ四国の鬼門を守る高西ダムへ。



さらに不安がつのる謎の立て看板。

罠!??

僕は生きて帰ってこられるのか???



ダムへの道と言うのは、管理者が時々巡視する為、普通それほど荒れてはいないものです。
現役のコンクリートダムへ向かう道としては、最高ランクのラフロード。

左手の崖下に川があるので、とりあえずこの道を歩けば高西ダムに行き付くはずです・・・たぶん。

途中、いくつか石積の砂防堰堤を観ました。



湿った土が匂うダートを歩くこと15分。

立木の向こうに水面が見えました。
水面に気付かないと、通り過ぎてしまいそうです。
ダムへの道と同じで、ひっそり、こっそりと、高西ダムはありました。



アーチダムのダムサイトはどこも狭いものですが、このダムの狭さはまた違った意味での狭さ。
道と言うよりも、護岸のコンクリートの上面といった感じ。
これ道?。



そして天端、苔生して滑るコンクリート。

貯水池側は一切ノーガード。
下流側は一応手摺がありますが、錆色の華奢な手摺は信頼出来そうもありません。



アーチダムと言うと、山深い所に多く、その事もあり発電用ダムのイメージがありますが、高西ダムは灌漑用のダムです。

また、便覧によるとFAとあるので防災の役割もある様です。
さっき見た石積の砂防のイメージが頭に残っていました。
防災→砂防?、灌漑兼砂防アーチ???(あくまで僕の思ったイメージです)

最近、その防災の仕事をしたのか貯水池は濁流に淀んでいました。



ぎゃはぎゃはぎゃは。
大きな羽音を立てて水鳥が飛び立ちました。

誰も居ない静まり返った山中なので、結構驚きました。これも罠か?。



慎重に天端を移動。

水通しのようなゲート部。
ヒレのような支柱には板が入るようなスリットがありました。
スリットは現在は使われてはいないと思いますが、板の取り外し、危なくないですか?

ゴミ等を取るのか?天端には竹竿が常備。

手前はスピンドルのハンドル。



そーっと下を覗いてみました。
堤高16.8m、堤頂長37.5m
日本に50数基あるアーチダムでは、最も小さなダムです。(15m以上のダムとしては最小)

ぎりぎりダムと名のつく高さなので慣れっこの高さですが、水が淀んで不気味な上に、手摺が信用出来ないのでいろんな意味でかなり怖いです。



垂直な下流面に沿って伸びるスピンドルシャフト。
設備が無防備なのは、ダムが好きだと言う理由で、こんな山の中に人が来る事を想定していない為です。
管理者様を裏切らない為にも、絶対にスピンドルには触らないように。



妙に後付けっぽい気がしないでもない板を入れるヒレ。
本体とはコンクリートの整形の仕方が違うから後付のように見えるのかも。

なんて見ていたら、越流部分の表面・・・あ、石だ。



1954年に完成したコンクリートアーチの高西ダム。
コンクリートダムが石積で造られていたのは、もう既に昔話になっていた時代です。

一見、硬そうに見えるコンクリートも、土砂混じりの濁流に対しては激しく摩耗してしまいます。
かつてコンクリートダムが石積で造られていた理由は、整形の型枠という事の他にも、石はコンクリートに比べ耐摩耗性に優れる、という理由もありました。

近代的な宇奈月ダムであっても、排砂設備にはステンレスプレートに混じって天然の石材が採用されています。



こっそりと林の中に隠れるように日本最小アーチの高西ダムがありました。

石貼のクレストゲート。
メジャーな石積ダム(メイソンリー)が少ない四国ですが、こんな部分的な石使いが四国のダムの特徴なんじゃないかと気が付いたのは、今回の四国遠征の中盤以降になってからでした。

そんなヒントをくれた高西ダム。

人に行くことを勧めれるダムかと聞かれれば、もっと他に行くべきダムがあると言うのが正しい答えでしょう。但し、個性的なダムである事には間違いありません。



高西ダム
★★★

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小見野々ダム

堤高62.5m
A/P 1968年 四国電力

2011.4.29見学


長安口ダムの上流10数キロ、四国らしい深い山々の間に小見野々ダムがあります。
川口ダム、長安口ダムと並び、那賀川上流ダム群の最上流がこのダムです。

たっぷりと湖水を湛える貯水池。
岸部の雑木が冠水していましたので、この日はかなり水位が高い様です。



国道から左岸伝いに脇道に入ると管理所があり、関係者以外立入禁止となっていました。
これよりダムに近寄る事はできません。



とても不思議な表情に見える小見野々ダム。

白くつるんとしたゲートと、その間の扶壁だけが水面からぷっかり浮かんでいます。

非越流部が無く、右岸から左岸まで隙間なく規則正しくゲートが並ぶ姿は、何処かしら生き物のような有機的な物にも見えます。
最初に頭に浮かんだのは、シャコ貝のような巨大な貝殻でした。

上流からは他に目ぼしいビューポイントがなく、下流面を推測できる様な物は一切ありません。



ゲート部分を望遠端で観察します。

ラジアルゲートの巻揚機は、下流側に低く設置されている様で、その事が上流から観てピアとゲートしか見えない不思議な感じに繋がっているようです。

一門だけ、形状の違うゲートがあります。
フラッシュボードかとも思うのですが、このボードを使うとなると、水位がとんでもなく高くなります。

観れば見るほど、謎が謎を呼ぶ小見野々ダム。



発電所の取水口は対岸にありました。
アーチダムのダムサイトらしく、岩盤にへばり付くような感じです。



傾いた日差しを反射するダム湖。
べた凪の湖面は、とろみを感じる少し微睡んだ表情。長安口ダムと同じで随分と濁りが入っていました。



続いて下流面が見えないものかと、一旦国道を川下に戻って、川に降りれそうな脇道に入りました。

かなり荒れたコンクリート舗装、轍も深くなって来たので、途中で車を置いて徒歩で向かいます。



坂道を下って行くと道端で、軽トラの兄弟がプロレス技を掛け合ってじゃれていました。

「どうだ、どうだ、ギブか?ギブか?」
「痛いよお兄ちゃん、ギブギブ~」



いつもおなじみの四国電力の女の子。
タフですね。



ごつごつした岩が散らばる川原の表情。

谷底にも夕日が差し込んでいます。
ダムの上からの日差しだとすると、目標の小見野々ダムはそう遠くないはずです。



ところが・・・・。
ここまで来て通行禁止です。



その先を見ると、かなりの落石で道が閉ざされている様です。
これは本当に危険。

潔く退却です。



那賀川に浮かぶ巨大な貝殻。

下流面を見るのは困難ですが、上流から丸く並ぶゲート群を眺めて、どんな表情なのか想像するのも一興かなと思います。



小見野々ダム
★★★

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追立ダム

堤高29.5m
G/P 1952年 徳島県営

2011.04.29見学

ハードロッカー。


大美谷ダムで癒された後は、すぐ近くにあると言う追立ダムに向かいます。
大美谷ダムから降りてきて、国道193号に戻り600mくらい北上するとトンネルがあります。
トンネルの名前は追立トンネル、このすぐ前の橋から川の上流を見ると・・・。



ドカーン!っと現れました。

これが追立ダムです。
堤高29.5m、堤頂長79.5m。
追立ダムは、長安口ダムの建設に必要な電力の発電を目的に造られたダムです。

但し、その経緯は少し変わっていて、建設費用や工期の短縮の為に、砂防ダムとして認可された堰堤を利用し発電用の取水口やゲートが設置されました。

長安口ダムは、元々県営ダムとして造られていますから、この追立ダムも四国電力ではなく徳島県の管轄となっています。

それにしても、凄まじい風貌。



荒々しい肌。ごつごつした岩のようなコンクリート。
表面はやたらざらついて、同じように荒い表面の岩盤との境界すら曖昧にしています。

さらには、水の沁みと赤い鉄分の流れた跡が印象をよりハードなものにしています。



堤体の一番下には厚くコンクリートの肉が盛られていました。
竣工当初の古い写真にはこの肉盛りは写っていませんので、後々になって追加で盛られた部分ではないかと思います。

このナイフで削ったような、エッジのある表面は初めて目にする造形で、大きな一枚岩から削って造った、巨大な岩の壁ようにも見えます。



堤頂の越流部もナイフで削り取ったようなエッジがあります。
実際、これらのエッジは、コンクリートカッター等で人為的削られたものだと思います。

ダムの造形は、フィルダムは勿論、コンクリートダムも基本的には「盛り上げる」事で形が成り立っています。
追立ダムの「削り取る」表情は、他のダムとは180°方向性が異なるものです。

勿論、元々は通常の盛り上げる造形だったはずですが、荒ぶる谷川の濁流と、補修工事を繰り返しこの様な姿になったのだと思います。



上部の右岸にあるのは排砂ゲートです。
幅3.0m×高さ4.0mが一門。

その後ろに発電所への取水口があり、大雨などで濁流が押し寄せる場合はこのゲートを揚げて取水口の周辺が堆砂で埋まらないようにする様です。

この辺りは砂防堰堤と発電のハイブリット堤体ならでわと言えます。



天端越しに見る上流はすっかり土砂で埋まっています。
砂防堰堤なので、この状態で通常です。

よく、山中の小規模の発電ダムで、堆砂で埋まっているけど発電用の水はちゃんと取れているといった事例がありますが、それとよく似た状態です。



ダムの直下は天然の岩盤が荒々しい渓谷です。

四国らしい、輝緑凝灰石の強固な岩盤。
この岩の色を見ると、四国に居る実感を新たにします。



徳島県のホームページでは発電用のダムとして紹介されていますが、日本ダム協会のダム便覧等では今のところ未掲載となっています。
取水口を持ち、発電を行っていますが、土砂を貯める砂防堰堤に間借する感じでの発電設備なので、やはり砂防堰堤の扱いになっているのかと思います。

ハードロッカー追立ダム。
妖精のような大美谷ダムとは、全く方向性の異なる野趣あるれるダムでした。



追立ダム
★★★★

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大美谷ダム

堤高31.5m
A/P 1960年 四国電力

2011.4.29見学

徳島の妖精。


「ダムマニアの心のオアシス」と呼ばれているダムに、仙台の青下3ダムがあります
(写真は青下第2ダム。特別な許可を経て立入禁止エリア内から撮影)



東日本のオアシスが青下3ダムなら、西日本のマニアのオアシスはここしかない!
今回、そんな素敵なダムを見つけました。それは徳島県 四国電力の大美谷ダムです。

長安口ダムのダム湖上流部から国道193号を北上して、脇道に入り集落の中を奥に進みます。
長安口から10kmの近さですが、行く手を道路工事による時間通行停めが阻みました。(今現在は、工事は終了していると思います)

1時間於きに、10分間しか通行出来ません。
次の通行時間まで時間があったので、迂回路が無いかと付近の脇道を奥へ奥へと突っ込んでみましたが山腹にある神社で行き止まりでした。
無駄骨を食っいる間に丁度時間となり、工事現場を無事通過。目指す大美谷ダムはすぐそこです。



ほどなくダムサイトに到着。
山深くの発電専用のダムですが、小さいながらもパーキングがあり、案内看板に音声案内も完備。

音声案内では、「この大美谷ダムは四国では2例しかない大規模アーチダムで・・・他には小見野々ダムがあり・・・」と、紹介。
高西ダムは小っちゃすぎてノーカウントですか?ちょっと可哀想。



堤高31.5m、堤頂長86mのドーム型アーチ、それが大美谷ダムです。

かっ、可愛いっ!!!。

ダムの形容詞に可愛いってのも変ですが、とにかくもうそれしか頭に浮かんできません。完全な一目惚れ。

そもそも、アーチ式は堤体に使用するコンクリートを節約するのが主目的の型式なので、ほとんどの施工例は大規模なダムばかり。堤高日本一の黒部ダムも、アーチ式だから成し得たハイダムだと言えます。
重力式ならこのサイズのダムは星の数ほどありますが、「一目で全てが視野に収まるアーチダム」と言うのが、とにかく凄く新鮮で、可愛い~っ!と、なってしまうのです。



さらにはサイズが可愛いだけでなく、大美谷という名前に負けないかなりの美人ダムなのでした。

小さくて、薄く繊細な羽根をぱたぱた。
擬人化するならチャーミングなティンカーベルって感じ。(妖精なので擬人化ではないけど)

堤体の下から3分の一辺りにキャットウォークが一筋。
その下は水が溜まっていますが雨水だと思います、堤体の直下はいわゆる枯川の状態。



でも、岩盤ひとつ下流には河川維持の放流が見えます。

発電用の取水口などのダム設備は対岸の左岸に纏まっていて、維持放流の設備も向こう岸にあるみたいです。



山奥の無人のダムとあって、天端は立入禁止です。

親柱に長沢ダムと同じ赤い文字で、大美谷堰堤と刻まれています。
アーチダムでも堰堤。うむ、渋いですな。



フェンス越しの天端。
ダム本体に放流設備もない事もあって、いたってシンプルです。



右岸を歩きます。
時間通行止めで、しばらくここに孤立状態なので、時間を気にせずゆっくり散策する事にしました。

堤頂長が100mに満たない小さなダムですが、アーチの曲線はかなりきつく、貯水池側の傾斜からも、かなり強いドーム形状である事が伺えます。

この大美谷ダムの完成は1960年、国内初のアーチが1953年の三成なので、日本のアーチダムの中ではかなり古い方になります。
この小さく美しいアーチは、後に建設されたより大きなアーチダムの「テストケース」的な役割を想像させます。

大美谷ダムの本体施工は西松建設です。
当時のアーチダムの施工は鹿島と前田の二強時代なので西松建設の施工は少ないのですが、丁度大分で、下筌ダム建設の用地収用をきっかけに「蜂の巣城紛争」が湧きあがっていた時期であり、その下筌ダムの本体施工は西松建設と言う事で、この二つのアーチには何らかの関連があるかもしれません(根拠のない推測です、鵜呑みにしないように・・・)



対岸には発電所への取水スクリーン他、関連施設が集まっています。



ざわざわと水音に誘われ足元を見ると、思わず声を上げ驚いてしまいました。

うわーっ!めっちゃ水綺麗!。

ダムのすぐ脇に他の谷筋からの流れ込みがあり、結構な勢いで流れ込んでいます。
気泡が白く帯のように長く伸びていました。



ガラス色に透き通った水。

やたらと透明度が高く、ずっと深い所から気泡が湧いて上がってくるのも丸見えです。
ダム本体も美しく素晴らしいものですが、この水を観に行くだけでも充分な価値があります。

今まで水の綺麗なダムはいくつか訪問しましたが、この大美谷はその中でも最高レベルです。



右岸を奥に進むと貯水池には吊橋が架かっています。



橋の上から糸を垂らす釣り人。

魚釣りがOKの湖かは不明ですが、他にも何人かの釣り人の姿がありました。
午後の食い渋る時間帯と言う事もあり、みなさんのんびりムードの様です。



吊橋は大嫌いだけど(高い所が苦手なので)、満水の水面まで近く今回は余裕でした。

吊橋の上から上流を観ます。
堆砂が多いのか、上流の水は少し濁り気味でした。



小さなダムなので、周辺をゆっくり観て周ってもまだまだ時間はたっぷり余っています。

通行止めで車は来ないので、車道のアスファルトに座って丸いアーチを眺めながら、いつものカロリーメイトで遅すぎる昼食。



透き通った大美谷の水。

水の音に耳を澄ますと、コップに注いだ炭酸水の様に、ぱちぱちと気泡が割れる音まで聞こえてきます。

気泡は底の方から幾つもの光の環になって湧き上がっては消えを繰り返していました。
産まれたばかりの本当に純粋な水たち。

観ていて飽きる事はありません、いつまでも観ていたい気分。



路肩には、たんぽぽが午後の日差しを受け風にゆれています。
柄でもない写真を撮ってみたりして。

優しい春の日差しは、早起きした旅人の揺りかご。
上のまぶたと下のまぶたが仲良くなって来ました。

こうして、僕はこのダムがすっかり気に入ってしまったのでした。



最後に右岸の斜面を少し登ってみました。
小さく可愛い大美谷ダム。

ガラスのように澄んだ冷たい水を湛えるその姿は、氷の妖精とも呼ばれているクリオネを思わせる、とても可愛いアーチダムでした。



大美谷ダム
★★★★★

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