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2020.03.26 Thursday
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ここも観てきた 福島県
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2018.10.21 Sunday 22:59
奥川第一堰堤 G P 1920年 12.8m
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摺上川ダム
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2013.01.25 Friday 12:14
堤高105m
R/FNAWIP 2006年 国交省(東北地方整備局)
2012.10.7見学
蓬莱ダムを観たあと、大急ぎで本日の最終目的地、摺上川ダムへ向かいます。
「すまん、信夫!」
蓬莱ダムの下流に、良く似た信夫ダムと言うオールドダムがあるのですが、秋の夕暮は早く、断腸の思いでスルーします。
明日は他の水系に入りたいので、摺上川はどうしても今日中に訪問したかったのです。
福島市街を突っ切って、およそ15km、見えた!摺上川ダムだ!。
摺上川ダムは、国交省直轄の多目的ダムで、2006年竣工の新しいロックフィルです。
左岸の管理所兼展示施設に急停車〜!
「ダムカード下さ〜い!!」
16:30の閉館間際に飛び込んで、カードを頂き、トイレだけ借りました。(※閉館時間は季節で異なります)
駐車場も17:00には施錠すると言う事で、大急ぎで天端に向かいます。
「まあまあ、旅の者よ、私の若い頃の話でも聞いて行きなされ」
嫌です、時間が無いもん。
どおおおおお!
これです、これが一目観たかったのです。
有機的な曲面を魅せる洪水吐。
真新しい白いコンクリートが、夕暮の淡い光線の中でより滑らかな表情を形作っていました。
薄暗い水鏡に、金色の雲が流れて行きます。
その造形のハイライトは、越流部の峰が造るS字カーブでしょうか。
綺麗に整形されたコンクリートはスムースで、その稜線はビロードのような光沢さえ放っています。
モダンアートを思わせるコンクリートの造形は、夜へと向かう光の中でオーロラのように刻一刻と色味を変えて行くのでした。
一見、外観的な見た目を重視したデザインのようにも見えますが、越流部の途中に常用吐を設置した事による、副産物ではないかと思います。
しかし洪水吐全体に感じるバランスの良さ、ディテールの丁寧な仕上げ、それに、管理橋や展示施設から見られる事を意識した造形は、単に機能ではなく審美性を強く意識した事を感じます。
たとえば、カーブを描く越流面と相対する、岸側の壁面。
こちらの壁は、通常なら垂直で問題なく、その方が施工、コスト面でも有利なはずです。
越流面と同じ勾配を付ける事で、閉塞感が無く、洪水吐の広がりと奥行き感をより感じる造形となっています。(本当の事は解らないけど、たぶんそういう狙いだと思う)
管理橋の下から下流の集落が見えます。
高いスロープの壁。
天端から下流面を観ます。
白っぽいリップラップ、綺麗に整形されています。
右岸ははるか向こうに・・・。
堤頂長はなんと、胆沢ダムに匹敵する718.6mもあります。
で、駐車場が閉まる17:00までに天端を往復しろと?・・・ひーっ。
ばたばたと急ぎ脚で天端を進みます。
奥行きのある湖面、貯水池は茂庭っ湖(もにわっこ)と命名されています。
(茂庭っ子って意味??)
裾が少しフレアした大きな取水塔。
なんとなくカリオストロの城がまた観たくなりました。
取水塔への管理橋は吊橋が採用されています。
なかなかお洒落な茂庭っ子。
オーロラ式洪水吐(勝手に命名)を少し離れた位置から観ると、何故あのような形になったか良く解ります。
(常用吐はあの場所しかないし、そうなると、自然とああなる)
DamMapsの航空写真で、真上から観ると、もっと分かりやすいと思います。
そして改めて観ると、凄く大きい。
堤体が長いので、下流側も大きく開いています。
リップラップの白さと、芝の緑のコントラストが綺麗です。
ダムの下は天然温泉や子供遊具、さらにキャンプ場など、のんびりでも、わいわいでも沢山遊べるゾーンが揃っています。
往復1.5kmを踏破して、車でさっき見えていた真下の公園に来ました。
改めて見ても大きなダムです。
堤頂長があるので、写真だとスケール感が狂いますが、高さ100m超の巨体です。
洪水吐を望遠レンズで観察。
深い洪水吐、スロープ下はカスケード状に数段の段差が付けてあります。
滑らかな壁面のライン、やはり只者ではない。
すっかり辺りは暗くなってしまいました。
さっきまで、はしゃぐ子供たちの声が聞こえていたのですが、ランタンの灯がともり始めると徐々に静かになってゆきました。
見ごたえある巨大な堤体、アート作品のような洪水吐、のびのびとした空間に子供達の歓声が聞こえる。
摺上川ダム。
もし外国人に知り合いが居て、
「日本二ハ、ドンナダム、有リマスカ?」って聞かれたら、真っ先に教えたくなる、そんな素敵なダムでした。
★★★★★ -
蓬莱ダム
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2013.01.22 Tuesday 12:17
堤高21.5m
G/P 1938年 東北電力
2012.10.7見学
ダムは人々の為に。
三春ダムを観た後、磐越道から東北自動車道を大急ぎで北上、やって来たのは蓬莱ダムです。
まずは、下流にある県道の橋からの眺め。
蓬莱ダムは1938年に完成した、歴史あるコンクリートダムです。
阿武隈川の水を受け止める7門のクレストゲート。
1門、径間14.00m×扉高6.30m。
ゲートのサイズ、門数ともに、ストニーゲートとして国内最大規模を誇ります。
ストニーゲートとは、ローラーをゲート側ではなくピアのレール側に設置するゲートで、ローラーに塵が掛かりやすい弱点があるのですが、この蓬莱ダムではダム完成後大きなトラブルなく現在に至っているそうです。
ダムサイトには下流右岸から向うのですが、すごく熱烈な歓迎を受けます。
蓬莱ダムは飯野堰堤とも呼ばれているようで、付近は公園になっているようです。
こんな看板もあります。
「新観光福島三十景第7位入選」
スゴイのか、そうじゃないのか、よく解りませんが地元で猛プッシュなスポットのようです。
公園へ向う入口から先は急に道が古くなり、木製路面の橋なんかも渡り、なんとか到着しました。
蓬莱ダムは、昭和初期に東北を襲った大飢饉、さらに、三陸地震による大津波で被災した東北の復興、経済振興事業として、特別法により設立された東北振興(株)がダム事業者として計画、建設された発電用ダムなのだそうです。
現在は東北電力が事業を引き継いでいますが、当初ここで作られた電力は、経済振興事業としてグループ内の電気化学工場へ送電されていたのではないかと思います。
ダム周辺には、いたる所に記念碑や説明文の看板があるのですが、天災で疲弊した人々の為に働いて来たダムに対して、愛着と感謝の現れなのかなと感じました。
この記念碑のダム名も「飯野堰堤」
飯野はダムサイトの地名のようです、蓬莱は数キロ離れた発電所の名前なので、東北電力が事業者となった後、発電所と名前を統一したのかもしれません。(そういった事例が中電の取水堰堤にあります)
記念碑や案内看板は豊富なのに、いまひとつ堰堤自体の眺望はよくありません・・・。
ゲートの巻揚機が天端橋梁の前にある、僕が勝手に中国四国型というクレストの構造です。
東北にも事例があるとなると、型名も変えなければならないか?。
侘び寂び色のコンクリート、白い保護剤が塗布された表情は、昭和初期建造物のリアルな今を感じます。
ダム本体右岸に取水設備、こちらも古く、趣を感じるものです。
地図を見ると、近くに浄水場があるのですが、もしかしたら水道水源にもなっているのかもしれません。(水道用はダム下流に別の取水口があるのかも)
堤体から少し離れた所に、駐車場があります。
周辺は地元の散歩の人も含め、思いのほか人の姿があります。
駐車場の下に、こんな階段を発見!
一番下の部分は、洪水により壊れていますが問題なく使えそうです。
おおー!
川面レベルから観る蓬莱ダム。
堤高は20mそこそこですが、随分と立派に見えます。
岸部にはフナ釣りの地元の方々の姿も。
釣りを邪魔しないように、声を殺してお近付き。
特に規制するものがなく、どんどん寄れますが常識の範囲に留めましょう。
丸く滑らかな下流面、四角く突き出した支柱、コンパクトな機械室。
なかなか特徴のある風貌です。
「鋼製ゲート百選」によると、ゲートを吊上げるワイヤリングにも特徴があるとの事でしたが、素人の僕にはよく違いが解りませんでした。
大飢饉と大津波からの復興、経済振興を目的に建設された蓬莱ダム。
今は当時と時代が異なりますから、必要とされるニーズも違い、当時のようにダムを造る事はありませんが、被災地への振興策はどうなっているのか?。
ちょっと悶々としながら蓬莱ダムを後にしました。
蓬莱ダム
★★★★ -
三春ダム
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2013.01.18 Friday 12:15
堤高65M
G/FNAWI 1997年 国交省(東北地方整備局)
2012.10.7見学
福島県中通り、郡山市の東に隣接する三春町にやってきました。
東北地方整備局の直轄ダム、三春ダムに向かいます。
ダムサイト右岸に到着。
大きな管理所のほか、資料館もあります。
駐車場から貯水池に向かって真っすぐ歩くと、ダム湖を望むこんな展望広場がありました。
休日とあって、結構お客さんも居ます。開かれたダムといった三春ダム。
実はここ、巡視艇の艇庫屋上を利用したスペースだったりします。
広い空が示すように、三春ダムは平野に近い丘陵に建設されました。
展望スペースからダム本体。
堤高65m、堤頂長174m。
現代的な雰囲気のコンクリートダムです。
左岸は上水道用の取水塔、ダム本体の取水設備はダム下流への利水用で、直下にある施設管理の発電の水もこちらから取水しています。
ダム貯水池はさくら湖と命名されています。
さくら湖上流部には、天然記念物に指定されている名木滝桜があり、樹齢1000年以上という巨木は、江戸時代の歌人にも歌われているとか。
湖名碑の左は、全日本建設技術協会 全建賞の記念碑。
それらの碑を観た後、開放されている天端に向かいます。
天端脇の小道を歩くと、ハーブのいい香りがしました。
職員さんの手でセージが植えられています。
こういう職員さんの顔が見えるようなダムサイトは、散策して気持ちが良いですね。
モダンなイメージの天端。
照明機器が高欄の手摺裏に隠してあり、スッキリとしています。
そして、これが三春ダムの姿。
・・・・・。
そう、以前ダムナイトで、ダムライターの萩原さんが、化粧型枠を使った独特の外観デザインについて「どーすんだこれ」と紹介したあのダムです。
ダムナイトは自宅で中継(録画だったかも)で観たのですが、実物を観ないとよく解らないなぁ、と言う事で、いつかは自分の目で実物を観なければとずっと思っていたのです。
で、実物を観てみたら、うーん、やっぱり今一つ・・・???。
何が問題で、どうすれば良くなるのか?
今日は僕なりにもう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
まず、問題としたいのが型枠整形の石のパターンだと思います。
石張ダムファンの僕として、三春ダムのデザインがイマイチだと思う理由は・・・。
なんでダムやのに、
「布積」じゃないの!?
って事なんですが(笑)、古くは三春藩の城下町として栄えた三春町と言う事で、ちゃんと考えて選ばれた型枠パターンと言う事のようです。
この城壁風のパターン無くして三春ダムに非ずといったコンセプトならば、一介の石張堰堤好きが茶々を入れる隙はありません。うむ。
では、このお城風の石垣パターンは、三春ダムとして切り離せないとしたら、あと、何がいけなかったのか?、そして他の化粧型枠のダムと何がどう違うのか??。
型枠のパターンこそ違いますが、化粧型枠を使ったダムとして群馬の四万川ダムが有名です。
ダムマニアの中で化粧型枠を使う事に対しての賛否はあるものの、個人的には良くまとまった外観デザインだと思っています。
四万川ダムには三春ダムを一目観て感じる、違和感のようなものを感じません。
それは、四万川ダムの堤高89.5m、堤頂長330mの巨体に対して、化粧型枠一つ一つのサイズが程よくマッチしているからだと思います。
じゃあ、三春は四万川よりも小柄だから化粧型枠が似合わないとかと言うと、三春よりもさらに小さい宮ヶ瀬副ダムの事例を観てみると・・・。
これが悪くないのです。
要は堤体のサイズと、化粧型枠のパターンサイズの関係性ではないかと思われます。
改めて三春ダムを観てみると、石垣の石がちょっと大きいんじゃないかと。
亀の子のような石の形も、形そのものにインパクトがあり尚更です。
勿論、実物の城壁などを参考にしたのかもしれませんが、問題は石の大きさだけではなく、その範囲にもあります。
クレストゲートの非常用洪水吐です。
当然、水が流れ落ちる導流部には、水流の妨げになる化粧型枠は使う事が出来ません。
だとしても、これは無いと思うんです、扶壁の側面は手付かずのすっぴん状態。
もう、イミテーションだってモロにばれちゃっています。
前途の石のパターンが大きい事も、嘘臭さに拍車をかける悪循環。
石垣の模様は飾りだけど、「本当に石垣みたい、石垣に見える」って事が大切だと思うのですが、これでは表面にぺったんことシールを貼ったみたいで、石垣の重厚感がまるで感じられません。
マジックショーのステージイベントで、客席最前列の一番端の席から観たら、タネも仕掛けも見えてしまって、目のやり場に困ってしまうと言う感じ、どうせなら上手くだまして下さい。
気になって、昨年末に香川県の化粧型枠を使ったダム、門入ダムを観て来たのですが、こちらは側面にもちゃんとパターンが施され、さらには、クレスト放流の越流水深ぎりぎりまで化粧したこだわりは、まさにグッショブと言える仕上がりです。
(施工に融通が利くスチロール型だからこそ、三春もがんばって欲しかった)
と、ここまで書いてみて、言葉ばかりでよく解りずらい、あつだむは一体全体何が言いたいのか?と、いう声が聞こえてきそうなので・・・。
これが三春ダムの外観デザインです。
お城の石垣のモチーフは、地域性要素のキーワードとしては悪くないと思うのですが、いかんせん、決して大きくない三春ダムの堤体と比べて化粧型枠の石のサイズが大きい。
尚且つ、施工範囲が中途半端で、折角の石垣が嘘臭い・・・。
で、まず、石垣のパターン形状はそのまま、石のサイズを控えめにしてみます。
ちょっとの事ですが、石が仰々しくなく、これだけで落ち着きが出て来ます。
さらに、問題のピア側面にも化粧型枠を施し、デザインにリアリティを加えます。
どうでしょうか?
ダムに相応しい落ち着いた趣きも出てきました。
でも、これではお城からどんどん離れていってしまう、三春藩のお城の石垣は大きくなくては。
と、言う事であれば、こんな感じで部分的にあしらってみるデザインも良いかと思います。(多分、デザイン検討段階で挙がっていたのではと思うのですが。)
こんな使い方の方が、フェイクであってもなんとなく構造として意味がありそうで、リアルな感じがします。
個人的には、ダムならやっぱり間知石の布積でしょう〜(笑)
三春ダム、布積Ver.
布積は見慣れている事もあって、しっくり来ますね〜。
ついでと言ってはなんですが、こんなのはどうですか?
スタンプを押すように同じパターンを繰り返す化粧型枠です。
三春ダムや、三春町にはそれぞれのマークがあるので、折角なのでこんなオリジナル型枠なんてどうですかね???
三春ダム モノグラムVer.
おしゃんてぃ〜(笑)
でも、なんだかんだ言って、これが一番だったりして。
(元も子もないハナシ・・・)
すっぴんの三春ダム、水資源のダムみたいに案外カッコいい形をしていた事に気が付いてしまったのでした。
いやはや、困った困った。
三春ダム
★★★ -
藤沼ダム
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2013.01.15 Tuesday 12:15
堤高18.5m
E/A 1949年 福島県営
2012.10.7見学
福島県 藤沼ダム。
今回の旅路で、訪れるべきか否か迷いがあったダムでした。
2011年3月11日。
東日本大震災、東北の太平洋岸を襲った巨大津波。
あの日、太平洋沿岸とは程遠い内陸部でありながら、集落を襲い、多くの人の命を奪ったもうひとつの津波がありました。
それが、かんがい用アースダム、藤沼ダムの決壊です。
ダム湖上流から向かう藤沼ダム。
上流部の公園に車を停め、湖の方へ歩み寄ります。
そして眼前に見えて来た光景・・・。
かつての湖畔の遊歩道。
大きく波打ち、貯水池に崩れ落ちている路面は、あの日、ここで何が起きていたかを無言のまま伝えています。
かつて藤沼湖と呼ばれていた空虚の向こうには、土が露呈した一画が見えていました。方角的に貯水池右岸にあった副堤ではないかと思います。
ダム本体と同じ構造であった副堤も、同じように崩れていました。
公園辺りに通行止の看板がありましたが、予告的なもので、自由に車が出入りしていました。
僕も徐行しながら先に進みます。
所々路肩が痛んでいるものの、いたって普段どうりといった湖畔の車道。
ただ、干上がった湖底の情景を除いては・・・。
その先に藤沼湖自然公園のレジャー施設があります。
コテージやキャンプ場、バーベキュー施設、それに温泉まであります。
震災以来それらは休業中という事でしたが、唯一パークゴルフ場は営業を開始していて、青々とした芝がお客さんを迎えていました。
空き気味の駐車場にはお昼寝中の方々も。
秋空と暖かい日差し、穏やかな心地よい空気は、いつもと違う緊張ぎみの僕の心を少しだけ解してくれました。
先程見えた副堤が、少し近くで見えました。
あの日、この藤沼ダムの決壊をニュースで知り、信じられない思いと大きなショックを受けました。
過去の歴史を紐解けば、ダムの決壊は、ごくまれに起きていた事が解ります。
弘法大使が修繕したという満濃池も、現在に至るまで何度も破堤と再建を繰り返しています。
また、大きな事故では明治元年の「入鹿切れ」なども知られています。
ですが、それらは遠い昔話ではなかったのか、正直、そう思っていたのです。
何故、藤沼ダムは破堤したのか。
かつてない強い揺れが、締め固められたはずの堤体に液状化をもたらしたのでは?。
そんな事も思ったのですが、素人の僕が安易に推測する事は控えたいと思います。
ダム便覧から原因調査報告書がリンクされていましたので貼りつけます。
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/Konogoro.cgi?id=310
ここから左岸にそって300mも行けば、ダム本体のはずですが、これより先は進む事が出来ません。
看板によればこの先で地質調査、測量などを行っているそうです。
一旦国道まで戻って、下流側からダムへ向かう事にしました。
かんがい用のダムが壊れて、今年の農作物に影響は無かったのだろうか?
車を走らせながらそんな事を思いましたが、稲作も終わった季節と言う事もあり、車窓からの風景からはよく解りませんでした。
藤沼湖自然公園への案内看板。
至る所に案内看板があり、人気のレジャースポットだと言う事がよく解ります。
ただ、今はなんとなくその看板も寂しげに感じます。
案内標識や、地図を読みながらダム本体に向かいますが、どの道も手前で通行止めとなっていました。
里山のアースダムと言うのは、大抵は集落の外れにあり、下流側は集落に向け開けている場合が多いのですが、この藤沼ダムに限っては、堤体直下は森となっているようです。
堤体を押し流した湖水は森を貫き、甚大な被害を及ぼした事を考えると、いかに水の力が大きなものであったかが想像されます。
ダムマニアや、ダムファンを名乗り、このブログを書き初めて3年半が経ちました。
興味のある人に楽しく読んでもらえるように、ダムに対しては肯定的な内容を中心に書いていますが、基本的には、常に中立でありたいと思っています。
盲目的にダムを称賛するよりも、一歩下がって俯瞰で物を見て、感じた事を素直に書くことが大切だと思っています。
そんな思いもあって、避けては通れないこのダムを観て来ましたが、湖水の抜けてしまった藤沼湖のように、ぽっかり空いた気持ちの整理は、まだ当分整理が付きそうもありません。 -
龍生ダム
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2013.01.11 Friday 12:14
堤高32.5m
G/FA 1961年 福島県営
2012.10.7見学
羽鳥ダムからさらに東へ、心地よい高原道路を数キロ。
集落に入り、その奥へと車を進めます。
ほどなく民家も水田も途切れ、アスファルトの路面さえも途絶えましたが、まだまだ目的のダムは姿を見せません。
その代りに、行く手を阻むように現れたのは一羽の山鳥でした。
雌のキジかな?。
なかなか退いてくれる気配もありませんでしたが、僕にも哺乳類の意地と言うものがあります。強制的に退去して頂きました。
卵生まれは負けません。
さらに道が険しくなる予感がしたので、途中で徒歩にスイッチ。
やっぱりその先は雨の跡でガレガレになっていました。
そろそろかなあと思い、目を凝らすと、木々の向こうに壁が見えていました。
コンクリートの黒い壁です。
龍生ダムに無事到着!
県営の灌漑と防災を目的とした多目的コンクリートダムです。
はい、ご覧の通りの男前です。
ダムサイトにあったコンパクトな記念碑。
龍生ダムは「りゅうい」と読みます。りゅうせいでも、たつなまでもありません。
が、しかし碑には広戸川ダムと記してありました。
その下の竣工年を記す年号のフォントがシャレてます。
天端はダム本体から一気に左岸の上まで貫いています。
下流面の岸際は、多めに埋め戻されているのかもしれません。
残念ですが天端は立入禁止です。
少し上流側も歩いてみました。
この先の林道は国有林の専用林道となっていて立入禁止だそうです。
木々がありよく見えませんが、かなり水位が低いみたいです。
治水目的が主なのかと思います。
堤体に沿って天端から梯子が降りています。
水位調節のオリフィスゲートに直接向えるようになっているのかなと思います。
左岸には、バッチャープラントの遺構らしき構造物もあるようです。
再び戻って、龍生ダムの横顔です。
飾り気の無い(飾る気もないだろう)薄い高欄の壁。
一分の隙も無いシャープな造形です。
何よりも、高欄から何の迷いも無く突き落とすように始まるバケットカーブ。
その壁面をよく見ると、コンクリート整形の型枠の跡が見えます。
大きな弧を描く壁も、モザイクのように小さな整形の集合体といったところでしょうか。
龍生ダムの凛々しい姿。
その無垢な造形は、治水ダムとしての力強さを内包しているかのようにも見えるのでした。
そして帰り道。
同じ場所で再びヤツが・・・。
鳥類としてのプライドを掛けたリベンジなのかっ!
龍生ダム
★★★ -
羽鳥ダム
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2013.01.08 Tuesday 12:16
堤高37.1m
E/A 1956年 農水省(東北農政局)
2012.10.7見学
旭ダムを観た後、再び下流の湯野上温泉まで戻って、国道118で東に向かいます。
その先に、地図で観ると天然湖のように大きな湖があります。
農水省直轄の灌漑用アースダム、それが羽鳥ダムです。
総貯水容量2732万㎥は、アースダムでは日本で3番目の規模を誇る大きなダムです。
地図で観る大きな湖面に、本当にアースダムなの??と、何度も確かめた物件でした。
って、冒頭で紹介しましたが、訪問した10月はかなり水位が下がっていました。
農閑期の今は、来年の春に向けて水を貯え始める時期なのだと思います。
それでも大きな空に負けない地上の鏡は、型式別の総貯水容量3位、湛水面積4位の特大スケールを持つ事は容易に想像が付きます。
直線で2キロ程向こうの対岸に、何か構造物が見えます。
肉眼ではよく解らないので望遠撮影&トリミングで拡大。
羽鳥ダムは阿賀川上流部の支流鵜沼川にありますが、その利水は山を隔てた阿武隈川水系の農地を潤す為に造られました。
この施設はその為の取水設備だと思います。
阿賀野川から阿武隈川へ渡す水のリレー。
その水は田畑を潤し、やがて人の命の源となります。
すなわち、この羽鳥ダムが行っている水のリレーは、命のリレーと言えるものです。
堤高37.1mはアースとしては高い方でしょうか。
堤体の端に置かれた親柱。ちゃんと「羽鳥土堰堤」と、この盛土が只者ではない事を主張しています。
堤高はそこそこありますが、堤頂長は169.5mと、湖面の広大さに比べコンパクトな堤体です。
ダム本体から貯水容量を鑑みた、堤体の効率の良さは抜群だと思います。
洪水吐は左岸にシュート式がしつらえてあります。
そして、湖の規模と並び羽鳥ダムのハイライトは・・・。
この洪水吐越流部の造形です!
普段、アースダムは訪問しない僕を、このダムに向かわせたのは、この洪水吐を持っているからに他なりません。
まるで蛇のように曲り、うねった形のコンクリート。
(今年の干支だけに年始早々縁起がいいや〜)
必要な放流能力と、洪水吐を設置する左岸の地形からこの様な形状になったものと思います。
へへへへっへ。
あ、
よど垂れた。
複雑なバスタブに残る昨夜の雨水。
もの凄いカット数で写真を撮りまくってしまった。
まさか、アースダムにこんなにハマってしまうとは。
そして、これを観てしまったら、まだ観ていない摺上川ダムを、
死ぬまでに観ないと気が済みません!
いや、死んでからは観れないので当たり前か?
じゃあ、観ないと死ねません!!
いやいや、まだまだ生きるよ俺は。
うー、よく解らんけど、とにかく凄かった羽鳥ダムの洪水吐なのでした。
羽鳥ダム
★★★★ -
旭ダム
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2012.12.25 Tuesday 12:16
堤高16.1m
G/P 1935年 昭和電工(株)
2012.10.7見学
大川ダムと大内ダムの2基の大型ダムを観た後は、堤高16.1mの小さなダムに向かいます。
巨大ダムの迫力も凄いけど、小さいけど魅力に溢れたダムもいっぱいあって、それがダム巡りの面白さだったりします。
古くからの街道筋といった趣きの国道から、少しだけ路地に入ります。
その先はごく普通の住宅や町工場が軒を並べています。
ダムサイトの道がすごく狭そうな予感がするので少し手前に車を置いて向かいます。
これが目的の旭ダムです。
って、岸際の雑木が邪魔でよく見えませんね。
ダム本体の左岸から。
旭ダムは昭和電工(株)という会社の発電用ダムです。
どこかしらひなびた漁村の風情が漂っていますが、それもそのはず、竣工は古く、戦前の1935年までさかのぼります。
「うー、全然見えへんやんけー」
あまりの見えなさに愕然としていると、対岸を犬の散歩のおばさんが歩いているのが見えました。
あっ!
どこかのダムと勘違いして、左岸からしか見えないものだと思っていました。
いそいそと車に戻り、対岸の右岸に向かいます。
おおー!
堤高16.1m、堤頂長84m。
堤体積も1万㎥に満たない小柄なダムです。
ピア頂上の昭和電工(株)の看板が誇らしげ。
川幅いっぱいにならぶ7門のクレストゲートが、その名の通り昭和(初期)らしい風貌です。
左岸よりのピアは最近補修が施されたのかコンクリートが真新しく見えます。
そしてこの旭ダムの一番の特徴はこのラジアルゲートのアーム部分の造りです。
鉄骨トラスで組んだ3本の四角錐を頂点で連結したような構造なのです。
今まで割と多くのダムを観てきましたが、このようなゲートはかなり珍しく、この旭ダム以外では唯一、岐阜県 岩屋ダム上流にある中部電力 西村ダムがあるだけだと思います。
こちがその西村ダムです、西村ダムもそんなに大きなダムではありません。
竣工が1938年と、旭ダムとほぼ同期というのが興味深いです。
そしてこれが西村ダムのラジアルゲートです。
こちらも鉄骨トラス組のアームを採用しています。
井川と同じ、裏中電カラーのグレーがよく似合います。
(念の為言いますが、軍用ではありません)
折角なのでもう少し寄ります。
四角錐を形造るトラスはより細かく、中程で連結している部分まで及びます。
リベットがいいですね、リベットが!
(もう一度言いますが、旧帝国海軍ではありません)
写真は旭ダムに戻ります。
西村ダムのアームと比較すると、こちらはずっと穏やかな表情に見えます。
どうせなので、こちらも寄ってみます。
淡い塗装色のイメージもあって、のほほんとした感じ?
なんだろこの感じ、哀愁と言うか・・・鉄塔ぽく見えるから?
名前は旭だけど、夕焼け小焼けが似合いそう。
それはそうと、西村のとは、ゲート本体の門扉の構造も何処か似てますね。
旭ダムは古いダムとあって、魅力はゲートだけではありません。
岩を削ったかのようなゴツゴツとした表情のコンクリート。
あと100年もしたら化石になって、本物の岩盤になってしまいそう。
右岸から川下を観ます。
ダムのすぐ下で川幅が狭くなっています。
岸際のコンクリートも味わいがあります。
少し不器用に見えるのも、この時代、この規模のコンクリートダムの持ち味です。
たっぷりと水を湛えた穏やかな湖面は、自然な姿に見えます。
両岸ともすごく狭いダムサイトですが、それを補うかのようにピア下を使って、ちょっとした作業スペースが造られていました。
ありそうで、なかなか無い感じの工夫です。
左岸に可愛い感じの民家がありますが・・・。
いやいや、この建物こそ旭ダムの管理所です。
柱に「技術員駐在所」の看板が上っています。
「技術員駐在所」と言えば・・・。
以前、このブログで紹介したこの看板。
僕の務める会社の上司宅に、古くからあった謎の看板です。
上司の父親が昔、中古住宅を購入した時に、購入した家に置いてあった物なのだとか。
当初、白山水力の発電所か取水堰堤、ダムなどに掲げてあった物ではないか?との事でしたが、その後、調べてもらったら、どうもその住宅に掲げてあったものだと言う事でした。
当時は、発電所管理者さんの自宅に看板を掲げて、何かの時に連絡をしてもらう感じになっていたのかもしれませんね。
旭ダムの管理所も、かつては「ダム守さん」が住まわれていたのかもしれません。
そして、そういう古い看板が残っている所が、社有ダムの味だったりする訳で。
右岸からたっぷりと堪能した後、少し戻って下流にある橋の上に来ました。
実はいろんな角度から楽しめる旭ダム。
岸の天然の岩盤の表情が凄いです。
そして、その真上まで迫っている民家。
ごつごつした岩盤をよく見ると謎の穴が・・・。
放流路のようなコンクリートの造作が覗いています。
仮排水のトンネルでしょうか?それとも・・・??
岩盤と、コンクリートと、そしてまた岩のようなコンクリート。
天然の物と、人工物が混然として一体となっているオールドダムの味わいです。
7門あるはずのクレストゲートですが、ダム直下で川幅が狭くなっている為、真下からはこんな感じとなります。
旭ダム。
小型なから見応えのあるコンクリートダムでした。
旭ダム
★★★★ -
大内ダム
-
2012.12.21 Friday 12:21
堤高102m
R/P 1991年 電源開発
2012.10.7見学
若草色の軍団。
大川ダムを観た後、会津鉄道線湯野上温泉駅の少し手前から西の山中に入って行きます。
ダムに到着する手前で江戸時代の宿場町として有名な大内宿があり、沿道の観光客目当ての有料駐車場の誘導合戦を全てスルーして辿り着きました。
ダムの下流側左岸から登って来て、駐車場は車で天端を渡った右岸にあるので、まずはその右岸から初見の大内ダムです。
電源開発の揚水発電上池を担う大内ダム、下池は国交省の大川ダムを間借り(?)する感じになっています。
右岸の駐車場の隣にある非常用洪水吐。
フィルダムとしてスタンダードなバスタブタイプです。
ダム本体や湖面の面積と比べかなり控えめな感じの洪水吐です。
揚水発電の上池なので、貯水のほとんどは下池(阿賀川)からポンプアップした水なのだと思います。
それに、地形図を観ると、集水範囲があったとしても、天端から見渡せるダム湖の周りだけのようです。
バスタブから先はトンネル吐になっています。
豪雪地の山深いエリアのダムによく観られます。
湖面を観ると右岸から少しだけ離れて何か浮かんでいます。
曝気装置にも見えますが、ここは発電用ダムです・・・。
駐車場にあるでんぱつさんのPR看板によれば、これは表面取水装置とありました。
また、この岬の裏に揚水発電用とは別の取水口があり、それらから取り入れた水は地下の導水路と放流バルブを通り洪水吐トンネルと合流しているようです。
つまりこれらは、既得水利権用の放流設備ですね。
さて、右岸の洪水吐を見た後は、続いて天端を歩きます。
ワイヤーロープの簡単なガードレールだけのごくシンプルな堤頂部です。
下流面を観て驚け!
なんと一面のグリーン!
そしてこの雄大なスケール!!
大内ダム、こう見えて実はロックフィル。
そして堤高は100mを超える102m!。
1:2.5、そして1:3の緩やかな傾斜。
その表面に薄く30cmほど土が盛られています。
下流面の途中で広い踊り場があり、それが奥行き感を助長します。
アースダムに見えてしまうのは、その表面の滑らかさにもあると思います。
カバーした客土はわずか30cmの薄さなので、まずはリップラップを平滑に成型して、その上から土で覆っているのだと思います。
なんちゅうー拘り!
天端の上から大内宿が見えました。
って、事は大内宿からも此方の堤体が良く見えると言う事です。
大内宿は伝統的建築群保存地区として国の指定を受けています。
ひょっとしてこのグランドカバーは大内宿を意識した景観保全なのでしょうか?。
もしそうだとしたら、これまたスゴイ拘りです。
揚水発電の取水口は左岸のダム本体から離れた所にあり、天端からは見えません。
大内ダムの高さ102mは、奥只見、田子倉に続き阿賀野川水系では第3位の高さを誇ります。
また、揚水発電を行っている下郷発電所の最大出力100万kWは、一般水力の奥只見、田子倉を大きく上回る大出力です。
うーん、恐るべし大内ダム!。
一見、温厚なアースダムに見えて、実は阿賀野川水系の巨峰や重鎮たちもひれ伏す怪力を隠してるとは!!。
電源開発 大内ダム。
あのラオウさえも恐れたという、「山のフドウ」に思えてならないのでした。
大内ダム
★★★★
※「山のフドウ」 北斗の拳より。
南斗五車星の一星「山」の拳士。心優しき大男。「若草色の軍団」を率いる。(wikiより引用)
わぁーお!「若草色の軍団」だって! -
大川ダム
-
2012.12.18 Tuesday 12:16
堤高75m
GF/FNAWIP 1987年 国交省(北陸地方整備局)
2012.10.7見学
阿賀野川水系ダム巡り、明けて2日目は阿賀川本流に戻り、国交省の大川ダムからスタートです。
国道118のトンネルを通過し、振り返ると鬼っ子鉄塔の向こうにコンクリートの堤体が見えました。
ダム本体から200mほど離れた左岸のパーキングに車を滑らせます。
右岸から、大きな取水設備、4門のラジアルゲート、そしてコンジットの予備ゲートとそれを吊るすガントリークレーン。
駐車したパーキングはこちらの駐車場でした。
J-POWER 下郷電力所。
ん、大川ダムは国交省なのにでんぱつさん?
ほとんど予習無しで訪問したので、この時はその理由が判っていませんでした。
下郷電力所は1Fに展示施設もありますが、オープンは春夏のみで、9月から3月まで長めの冬休みとなっています。
電発さんの駐車場からダム本体方向は大川ダムの管理敷地内となっていて、車両進入禁止となっています。
この時はダム直下の道が災害復旧中で通れない為か、特別に天端が迂回路として利用されている様でした。
いつものように歩いて付近を散策します。
大きく立派なコンクリートダムです・・・。
って、思っていたのですが、どうも右岸が怪しい。
少し段差のある天端、岸際にはリップラップが見えます。
何処かで見た事あるぞ・・・。
奈良県の布目ダムだ。
って事は、この大川ダムってコンバイン??
(ちなみに布目ダムのリップラップは止水処理工であって、ダム本体では無いけど)
左岸から、
予習不足で現場で複合ダムだと気が付いた大川ダムの横顔です。
大川ダムは、堤高75mの大きなダムです。
でも、今、ブログを書き書き、改めて写真で見るとそれほど高く見えません。
それはきっと減勢池がばかでかく、それを囲む壁も異様なほど大きく高い為かなと思います。
その巨大な減勢工。
ダムの真正面に切り立った岩盤があり、放流した水はいきなり右に90°ターンする事になります。
大きすぎてあまりイメージが湧きませんが、周囲の壁の高さは軽く15mは越えているんじゃないかと思います。
減勢工にそってカーブの先に目をやると、さらにもう1段減勢工があるようです。
そして川筋は今度は左に90°カーブしています。
このクランクした川筋もあって、こんなに減勢工が大きくなったのかも。
写真中程の赤レンガ色の建物は東北電力さんの大川発電所。
本当はあの辺りも散策できると思うのですが、下流からの道が通行止め、行くことが出来ませんでした。残念。
発電所と言えばそうそう、電発さんの下郷電力所。
巨大減勢工ばかりに目を奪われていましたが、貯水池側を観ると何やら構造物が湖面から覗いていました。
大川ダム左岸の、山ひとつ向こうの大内ダムとの間で揚水発電が行われていて、大川ダムは下池の役割を担っているという事でした。
てくてく歩いて右岸まで来ました。
途中で軽く折れ曲がった大川ダムの堤頂長は406.5mもあります。
ロックフィルダムの部分は、重力式コンクリート部分よりも少し高くなっています。
フィルダムは締め固めてあるとは言え、完成後に落ち付くにつれほんの少し下がるのだとか、
フィルダムは天端越流に耐える事が出来ない為だとか、
いろいろ見聞きした事があります。
長い天端を歩いて来た先には国交省の管理所がありました。
大川ダムはダムカードも発行されています。
休日の場合は正面玄関のインターフォンで申し出るのがセオリーですが、建物手前からチェーンで規制され、正面玄関まで到達する事が出来ません。これは困った。
右岸は公園化され、広い芝生や野外ステージなんかもあり、さまざまなイベントに使えそうです。
石井神殿みたいに本体にギャラリーとか無くても、ダム目的にRを付けれるんじゃ??
それでもって雪も降る所だから消流雪もやったら、大川ダムのダム目的はFNAWIPSR!
わお!フルコンプ!?。
公園の桜の木の下を歩いて再び横顔拝見、今度は右岸からです。
大きなコンクリートダム部分のボディ。
ダム軸が途中で折れていたり、フィル部分に向かって天端が高くなっていたりと、複雑な表情も併せ持っています。
400mを越える複合ダムの本体と、巨大な減勢工。
フィルダムを持つ事からも想像できますが、地盤が少し軟弱であった為、建設にはダム本体と減勢工周辺の基礎岩盤上にコンクリートを打ち込む事が必要でした。
コンクリートを打つ範囲が広大であった事もあり、その部分に初めてRCDコンクリートが採用されたという事です。
今日も朝一から幸先の良いスタートとなりました。
がんばって沢山巡るぞ〜。
大川ダム
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